#221/1160 ●連載
★タイトル (AZA ) 04/03/05 00:00 (327)
金差の勝利 3 永山
★内容
「そのお顔は、悪い知らせのようですね」
二階堂は音楽準備室に入り、関を見るなり、微笑を浮かべた。
それだけ関の気まずさが増す。演奏会が終わって初めて彼女に会った折、褒
めちぎった。決してオーバーでなく、これで決まりだろうと確信していたほど。
選考に携わらない教師達も、口々に二階堂を称えていた。ライバルと目された
堀田には、その癖のある演奏に難を呈す声が多少あった。
それなのに、二階堂早苗は選ばれなかった。
「すまない。君の力は充分だったのに、私の力が及ばなかった」
二階堂を促し、正面に座らせてから、気重なまま口を開いた。相手は小首を
傾げ、涼しい調子で聞いてきた。
「今年は多数決で選考が行われたと聞きましたけれど、わたくしは何番手でし
たか」
「次点だった。一票差の。四対五だ。ピアノの照井和己が選ばれた」
今回、宗方がいなくなったことで、決が採られるのは事前から分かっていた
ようなものだった。それを見越した多数派工作が行われたと聞く。レンドルか
ら高い評価を受ける関に、これ以上の力を与えないようにと結束した勢力が、
過半数の五票を集めた……。
否。
実状は異なる。
多数決は記名投票で行われた。ピアノの照井を推すことで結束した連中は、
四票しか集められなかったのだ。
五票目を投じたのは、レンドル学校長その人だった。
レンドルがピアノの照井に票を投じた……そうと知ったとき、関は訳が分か
らなくなった。二階堂で勝てなかったショックに追い討ちを掛けられた格好で、
レンドルに疑問をぶつけることさえ考え付かなかった。
思い返せば、伏線はなくもなかった。会議中、レンドルは「私は代役だから」
と述べ、自分の意見を全く開陳しなかったのだ。これではいくら関が抗議して
も、受け付けられない。抗議する根拠がないのだから。以前に二階堂を推すよ
うな言動をしていても、理由にならない。
多数派工作にやられたのか? それすら判然としなかった。レンドル学校長
が二階堂を推すからこそ、関は主流派でいられた訳であり、劣勢だった勢力が
結束して工作する意味がある。ところが、レンドル自身が寝返った(?)のな
ら、工作そのものが必要だったのかどうか疑問……。
「照井和己……あんな人より下に思われたのは、全く納得できませんわ」
二階堂は声を微かに震わせた。
「好みの分かれるであろう堀田のぞみなら、たまたま好む人が集まったと思え
ば、まだ受容できなくもありません。それが、照井? あのようなきれいなだ
けの音が! 冗談が過ぎます」
「……」
自信過剰だとか、他人の長所を認めろとか、窘めるフレーズが脳裏に浮かん
だが、口にする気にはなれない。今、二階堂の吐いた台詞が正しい。関も同じ
考えだ。だが、それを表明するのもまた避けるべきだろう。
「学校長の意向のようなんだ」
半ば責任転嫁のつもりで、関は云った。文句ならレンドルにぶつけてくれ。
「レンドル先生まで照井に投票したのですか。それじゃあ、あの噂はあながち
的外れではなかったのかもしれませんね、先生」
刺のある冷ややかな物腰で、関を見つめてくる。
「噂とは何だ、二階堂」
「あれですわ。寄付金の多い生徒が選ばれる、という」
「そのことか」
馬鹿々々しいと一笑に付そうとしたが、引っかかりを覚えた。二階堂が一番
多かったのではないのか? それを、当人が否定するような物言いをするとは、
辻褄が合わない。
疑問点を質すと、二階堂は素気ない調子で答えた。
「噂が立ったせいか知りませんが、照井の両親が大口の寄付金を申し出て、学
校側も喜んで受け入れたと聞きました。これも噂に過ぎませんけれど。高級車
で学校に乗り付けた照井の両親が、学校長室に案内されるのを見たという話で
したわ、確か。そのときはくだらないと、聞き流したのですが」
「そういうことがあったのか。私は学校運営には無関係なんでな。知らなかっ
た。……うちの場合、学校長が理事も兼務している。お金の流れを把握してい
る」
「レンドル先生を疑うんですの、先生?」
面白おかしいという風に、くすっと笑う二階堂。関は一旦、首を左右に振っ
た。だが、答はイエス。
「今回のコンクールに関して、レンドル学校長の言動は首尾一貫していない。
裏あるような気がしてならないんだ。だが、根拠のない勘だ。悔しいが、行動
に移せない」
「レンドル先生が、急にお金が必要になったというような話は、出てません?」
「探偵ごっこか」
二階堂がそんなことをするなんて、と苦笑いが勝手に浮かぶ。
「いや、そんな話は聞いたことないな。仮にそうだとしても、隠し通すだろう。
プライドの高い人だよ、学校長は」
「それでは、我が校そのものの経営が危ない、という話はいかがです?」
「学校のために、生徒ではなく金を優先した訳か。不正を行って危ない橋を渡
るより、優秀な生徒を外に送り出し、実績を作った方が、入ってくる金は多く
なると思うね。世間にアピールすることで、更に優秀な人材が集まり、スポン
サーも増える」
「そういうものですか」
下を向き、しゅんとする二階堂に、関は慌ててフォローした。
「いやいや。私に経営は分からない。多分、こうだろうと思っているだけだ」
「……動機から探るのはあきらめます。宗方先生を殺したのがレンドル先生と
証明できればいいのですから」
奇妙に捻れた理屈だと感じた。何らかの理由で金が入り用になっていたから
こそ、レンドル学校長は宗方先生を殺した、とも云えるのだから、二階堂の言
葉は矛盾をはらんでいる。
それとも……。
「推理のみで、殺人犯を特定しようと考えているのか、二階堂?」
「警察の捜査に協力するだけですわ」
「それなら、まあ、私もやってるが……」
「そして警察はわたくしに協力するんです」
関もさすがに唖然とさせられた。二階堂に高慢なところがあるのはよく見て
きたが、警察に協力させるとはまた破格だ。
「先生には、警察との橋渡し役をお願いします。既に捜査協力をされた実績が
おありなのだから、容易いことですよね」
にっこり笑ってウィンクまでした二階堂だが、関は片手で額を押さえた。重
要な事実を遅蒔きながら思い出したのだ。
「レンドル学校長が宗方先生を殺せたはずないんだ。事件の日、私と一緒に車
に乗って、宗方先生の家まで行き、そこでご遺体を見つけたんだから」
「わたくしも大まかには伺っています。詳しくお聞かせ願えません?」
「かまわんさ。だが、聞いても、学校長には不可能だと分かるだけだと思う」
そう云って引き下がるような相手でないと知っている。関は順を追って、事
件当日の成り行きを説明した。
二階堂は一通り聞き終わったあと、関が宗方に電話を掛けた際の、レンドル
の行動について、関心を示した。いくつも質問をし、そのときの模様を描き出
そうとする。
「おかしな点があったか?」
聞かれるままに答えた関だが、二階堂の狙いが読めず、逆に問うた。
「はい。レンドル先生は、電話に出ていません」
「ん? 確かにそうだな」
「宗方先生の行方を気にしていた割に、電話がつながったあと、会話をしよう
としていません。最低限、偽のメモの存在を知った時点で、関先生に代わって
レンドル先生自身が話すべきではありませんか。それなのに実際には、異変が
あって初めて電話に出ました」
「……だったらどうなる?」
「単なる憶測になりますが、レンドル先生と宗方先生は事前に打ち合わせをし
ていたのじゃないでしょうか。偽のメモ騒ぎを起こすことを決めていた。二人
で通話すると、かえってぼろが出るかもしれないので、避けたんです」
関は五秒間ほど、口を開けっ放しにしてしまった。疑惑を抱いた着眼点には
感心したが、そのあとの飛躍がいただけない。荒唐無稽だ。
「何故、二人がそんなことをする必要があるんだ?」
「他にその場にいたのが関先生お一人である事実から考えて、関先生を騙すた
めに行ったんでしょう」
「い、いや、そういう意味の“何故”ではなくて、動機だ。私を騙す動機が分
からんよ」
「レンドル先生にとっては、殺害計画を成し遂げるためでしょう。でも、宗方
先生にとっては、単純に、関先生を引っかけて笑おうと思っていたんじゃない
でしょうか」
「そんないたずらの片棒を担ぐような人じゃないな、宗方先生は」
「あら、分かりませんわ。たとえば、地位が上のレンドル先生に頼まれては断
れない、という状況もあり得ます。宗方先生は昔気質のところがあったそうで
すから」
「……一歩、いや、百歩譲って認めるとしよう」
昔気質だから上のどんな命令でも聞く、というのは分からなくもない理屈だ
が、逆に、昔気質の人間は自分というものを強く持っていて、その基準から外
れたあまりにも馬鹿げたことには頼まれても手を貸さないのではないか、とも
考えられる。それでも「認める」と云ったのは、二階堂の考えの続きを聞きた
いとせつに思ったからだ。
「学校長が犯人と仮定するなら、どんな風にして宗方先生を殺したかが大きな
関門になるぞ。あのとき、学校長はここに、宗方先生は自宅にいたんだ」
「電話中に襲われた宗方先生が、どうして庭に這い出る格好で亡くなっていた
のでしょう?」
「何だって?」
「電話で話をされているとき、宗方先生が不意に呻き声を上げ、続いて倒れる
ような気配がしたんでしたよね。そのまま動けなくなった感じを受けましたが、
実際は何故か庭まで出ていた」
「助けを求めるためかもしれない」
「助けなら、電話に向かって声を上げればいいんじゃありません? 庭まで這
って行く余力があるのなら、声を出せたはずです」
「うーん……」
指摘されて、初めて不自然さに気付く。あのとき、携帯電話はつながったま
まだった。助けを求めるのは簡単だ。
「車は、関先生のを使ったと仰いましたよね」
「そうだ」
「間違いなく、先生ご自身の車でしたか? 同じ車種、同じ色の別物というこ
とは?」
「改めて問われると困るが、同じタイプの車に乗っても、微妙な違いは分かる
はずだよ。買ったばかりの新車なら話は別だが、使い込んだ手触りや、ミラー
類の微妙な角度、汚れ具合などで区別できるだろうね」
「そうですか。レンドル先生が同じ車を用意し、宗方先生をトランクにでも隠
れさせ、関先生に運転させたのかとも考えたのですが」
「……突飛もないことを思い付くな、二階堂は」
今度ばかりは変な意味で感心させられる。関にはできない発想だ。
「レンドル先生の用意した車と考えれば、宗方先生を密かにトランクに潜ませ
られます。自宅に着いたら、関先生の隙を見てトランクから出し、殴って、刺
して、庭に転がしておく。そう、庭に遺体があったのは、中から這い出たので
はなくて、外で殺したのを放り込んだからだと考えれば、辻褄が合います。レ
ンドル先生は西洋の方ですから、立派な体格の持ち主ですし」
「穴だらけだ。車の鍵はどうした? レンドル先生の用意した車があったとし
ても、私の鍵では動かせない」
「いくらでもすり替える機会があるでしょう。男の方は、上着をよく脱がれま
すから」
「電話の問題はどうする。君の説だと、宗方先生は学校にいたことになってる
んだろう? 私は間違いなく、宗方先生の自宅に掛けた。電話に出たのも本人」
「自宅の設置電話には、転送電話機能があるかもしれません。もしくは、自宅
電話の送受器と携帯電話を互い違いにくっつけて、ガムテープか何かで固定す
るんです。そうすれば、自宅にいなくても、自宅電話に出ることができます」
「……転送電話は警察が調べればすぐ明らかになるだろう。後者の説は、よく
分からないな。電話機同士をてれこに固定するのは、当然、私が宗方先生の家
に掛けたあとだよな。予め固定していたら、送受器が上がりっ放しで、話し中
になるはずだ。まさか協力者がいて、宗方先生の家で待機していた、なんて云
わないでくれよ」
「……そうですね。ほんの少し、飛躍しすぎましたわ」
ほんの少し、だって? 関は馬鹿負けして、笑いそう
になった。やはりこの子は大物かもしれない。音楽の道以外でも大成を予感さ
せる。
ただし、この推理を公にはできない。特にレンドルの耳に入ったら、どうな
ることか、皆目見当つかない。
「なあ、二階堂。君の推理は所々鋭いから、つい聞き入ってしまった。私も一
瞬、レンドル学校長が犯人ではないかと信じかけたよ。だが、どうやらここで
行き詰まった。素人に事件解決は無理ってことさ。プロに、警察に任せよう」
「いいえ。修正を施せば、筋道は通ります。宗方先生はやはりご自宅に戻って
いたのです。関先生や警察が結論づけたように」
意固地なのかと思いきや、関は二階堂の目を見て、その考えを改めた。自説
にしがみついて頑なになっているのではなく、真相を求めている。そう感じら
れたからだ。
「関先生が家に駆け込むよりも一足先に、庭に出た宗方先生は、生垣を挟んで
レンドル先生と顔を合わせます。これも前もって決めていたのでしょう。恐ら
く、レンドル先生は宗方先生に、全ては関先生に対するジョークとでも云い包
めていたのではないでしょうか。刃物を道端に転がして恐怖心を煽るためと理
由付けし、持ち出させた包丁を、生垣越しに受け取る。このあと宗方先生は襲
われて昏倒した格好をするつもりだったと思うのですが、現実の痛みに倒れる
ことになったのではないでしょうか。レンドル先生は、相手が背を向けた刹那、
用意していた長細い凶器で殴り付け、間髪入れず、受け取ったばかりの包丁を
突き立てた。返り血を浴びずに済んだのは、凶器を抜かなかったのと、生垣越
しだったのが幸いしたのかもしれません」
「用意していた長細い凶器とは?」
「分かりません。金属製のパイプやカーテンレールみたいな物を想像していま
す。いずれにしても、生垣の根元に隠すことは容易です」
「……」
「筋道が通ってきたと思いません?」
「ああ」
認める関。少し、拍手さえした。
「すさまじい突貫工事だがな。惜しむらくは、証拠がない」
「長細い凶器が見つかっていないそうですね」
「うむ。警察は生垣の根元も勿論調べていたぞ」
「恐らく犯人は犯行直後、先生の車の中に凶器を隠したんでしょう。素知らぬ
顔をして、現場から凶器を持ち去ることができる訳です」
「私の車のトランクにでも、凶器がまだ入っていると云うのかい?」
凶器の形状から推して、隠し場所はトランクか後部座席下しかない。事件以
降、普通に車を使っているが後部座席には目が行く。凶器らしき長細い形状の
物はなかった。
「トランクに隠したのでは、始末できませんから、犯人にとって困るだけです。
きっと、後部座席の下です。事件当日、先生達は最終的に学校に戻られたので
しょう?」
「無論。事情を聴かれてくたくたに疲れていたが、戻らぬ訳に行かなかったか
らね」
「では、学校に到着し、車を降りる際に凶器も持って出たのでしょう。駐車場
の隅にそっと置けば、当分気付かれませんわ。事件現場から車で三十分掛かる
遠方に、まさか凶器が落ちているとは、警察もなかなか思い当たらないと見え
ます。あら、事件から日が経ち、もう凶器は処分されてしまったかしら」
「じゃあ、結局、証拠はないのか……」
「凶器は血を吸っています。後部座席下に置いたのであれば、必ず血痕がある
はずです」
「ああ、そうか。調べてもらう価値はありそうだ。いや、勇み足になってはま
ずい。まず、私と君の目で確認してみるか。敷いてあるマットに黒い染みでも
残っていれば、警察に知らせようと思う」
「心から賛成します」
にっこり。二階堂の表情は晴れ晴れとしていた。まるで、苦手な数学の問題
をやっと解いた風に。
事件の様相が明らかになったことで、特待留学生の件は白紙に戻った。具体
的に疑義が出される前に、決定が自然消滅した形だった。照井は辞退し、居づ
らい雰囲気に耐えられなかったか、転校して行った。
空席となった学校長のポストには、大学の方から臨時に代役の人が座った。
春までに正式な新しい人が決まる手筈になっている。
宗方の抜けた穴は意外と大きい。人脈の豊富さで双璧だったレンドルと宗方、
その両方の跡を埋めるのは、私立K文化音大グループをもってしても、かなり
の難題と云えた。
多分、埋める穴は一つに留まるだろう。宗方が力を持ちすぎたことが、今回
の事件につながった側面があるのだから。
そして関は、元の地位のまま、二階堂早苗と話していた。音楽準備室ではな
く、校門の近くで。
「二位の君が自動的に繰り上がったのではなく、選考会議をやり直した結果、
全員一致で推薦された」
「わたくしの実力を評価していただき、ありがとうございます。これで気が済
みました」
急に冷え込んだ初冬の午後。曇天の下で、二階堂はコートに身をくるみ、白
い息とともに微笑んだ。いつもの作ったような表情だった。本心から喜んでい
るようには見えない。
「事件で君達生徒が傷ついたのはよく分かる。それに、学校の名声も地に墜ち
たとまでは行かなくても、暴落した。こんな学校にいたくないと思う気持ちは
理解できる」
「それなら、早く通してくださいません?」
門扉の前に立ちふさがる関は、軟禁するつもりはないと、大きく両腕を広げ
た。
「通りたければ通っていい。だが、君は人の話を最後まで聞かずに立ち去れる
性格じゃないものな」
「それは誤解ですわ、先生。時間を割く値打ちのあるお話でなければ、わたく
しとて無視します」
「私の話は、値打ちがないかね」
「まだ分かりません。先ほど云ったのは、わたくしの気持ちが分かると仰った
から、話は終わったも同然だと判断したのです」
説得を一任された関は、急いで言葉の接ぎ穂をした。
「我が校が、君の才能を開花させるに相応しい道を用意する。二階堂には拝ん
ででも残ってもらいたい。それが総意なんだ」
「……特待留学生の他に、何か用意されるのかしら」
面白がるかのように、試すかのように、余所を向いて呟いた二階堂。寒さの
せいか、頬がほんのりと赤い。普段は洗練された都会の美少女だが、今このと
きばかりは、田舎娘に見えなくもなかった。
「君の望みをできる限り叶えようと思っている。指導者、期間、場所、環境、
それに練習方法もなるべく君に合わせよう。あ、それに君にとって大したメリ
ットじゃないだろうが、費用は全てこちらで負担する」
「それで全てですか」
「あ、ああ、まあ、大体は」
「その程度でしたら」
二階堂が関に目を向ける。
関は内心、憤慨していた。その程度、だと?
「その程度でしたら、K文化音大グループでなくても、できる支援ではありま
せん? それに、わたくしはシンボルにされたくありません」
「……」
立ち聞きでもされたのだろうかと、絶句する。学校側がここまでして二階堂
早苗を手元に置き、サポートしたがるのは、彼女の才能もさりながら、学校の
建て直しの象徴的存在として、ぜひとも必要と考えたためである。それを、二
階堂自身が見透かしている……。
「ともかくだ。いくら二階堂の才能が突出していても、さっき提示したほどの
厚遇を他校で受けられるとは考えにくい。思い直してくれ。頼む、この通りだ」
そうして、何分か前の自分の言葉を実践した関。中学生の少女に、手を拝み
合わせて頭を下げるなぞ、思っても見なかったが、只今なら何の躊躇もない。
「既に、生徒と先生の関係が切れてしまっています」
二階堂は気温に合わせたかのごとく、冷ややかな口調で告げた。
面を起こした、しかし手はまだ合わせたままの関に、追い討ちが来る。
「尊敬できる人、尊敬できる場で教えを受けたい。わたくしの願いです」
「……今から作り直していては、遅いのか。手遅れか」
両手をだらんと下げる。関は自分の吐き出した息が、最早諦めのため息にな
っていることに気付いた。
「恐らく」
答が遠い。
それでも最後の望みをかけて、関は聞いた。
「他にあると云うのか、尊敬できる先生のいる、尊敬できる学校が。我が校に
絶望した君を満足させるほどの学校が?」
「わたくしも確信はありませんでしたが、探せば見つかるものなんですね」
小首を傾げた格好で、微笑を浮かべる二階堂。今度の笑みには、わざとらし
さが薄い。
「探せば見つかる、だって……? つまりそれは」
「今度の事件が起きたとき、嫌な空気を肌で感じ始めました。だから、すぐに
探しにかかり、見つけてしまいました。関先生には悪いのですが……」
初めて申し訳ない表情を浮かべる。
それを見つめる関の視界に、ちらり、雪が舞い、迷い、降りていく。
「全く価値のない言葉になりますが……先生には感謝し続けます。そう遠くな
い未来、先生の教え子さん達と、大きな舞台で競えたら楽しいでしょうね」
「二階堂」
「夢で終わらせないように、関先生は早く生徒を育ててくださいませ。わたく
しは先生のおかげで、ずっとずっと先を走っています」
恐らく、彼女が正しい。
――終