#219/1160 ●連載
★タイトル (AZA ) 04/03/02 00:00 (192)
そりゃないぜ!の恋11 寺嶋公香
★内容
ぐずぐずしていてもしょうがない。僕は泉の部屋から自室に戻ると、電話を
手に取った。三井家の番号は、広海君から聞いて知っている。父や母によると、
昔はそんなことしなくても、クラスメートの電話番号ぐらい、電話連絡網とや
らで全員が互いに把握できたらしい。
「……いきなり電話したら、三井さんに気味悪がられるやろか」
ふと不安を覚え、それが口に出た。勝手に他人の電話番号を調べて、しかも
小さい子に言わせて掛けてくるなんて、エチケットに反してるとか何とか……。
大丈夫だと思うけどな。気になり始めると際限がなくなるもので、僕は部屋を
出て、母に電話帳を出してもらった。
「何を調べるつもりなん? もうすぐ晩御飯なんやから、向こうさんに迷惑掛
けんときよ!」
……「母」と呼ぶよりも、「おかん」の方が絶対に似合う。体型もよう頑張
っとったけど、段々、横に広がってきてるで。
「み、みつ……あった」
何軒か三井姓の番号が並んでいた。その内の一つが、広海君から教えられた
ものと同じと分かり、ほっとする。番号の電話帳掲載をよしとしているのだか
ら、いきなり掛けてもいいだろう。
電話帳を戻し、駆け足で自分の部屋に戻る。ドアをぴたりと閉めてから、携
帯電話を操作した。
弟に掛けるだけなのに、こんなに緊張するのは何でやろ。いや、理由には心
当たりが充分あるけどさ。
「はい、三井でございます」
呼び出し音が三度した段階で、フックの上がる気配がし、やや年輩らしい女
性の声が聞こえてきた。三井さんのお母さん? お手伝いさんてことは……な
いとも言い切れないか。
そんな誰何は詮無きこと。僕は三井万里さんのクラスメートと名乗り、昨日、
遊園地に同行した旨も伝えた。
「はい、伺っていましたよ、岡本さん」
少し砕けた口調になる。お手伝いさんではないようだ。となると、やはり三
井さんのお母さんか。
と、緊張したのがいけなかった。
用件を伝える前に、相手に早合点させてしまった。女性は「しばらく待って
くださいね」と電話口を離れたのだ。
「あ、あの……」
思わず、見えない相手に片手を伸ばして、呼び止める仕種をやってしまった。
開いた五指が、虚しく宙を掻く。
ほどなくして足音が小さく聞こえ、再び送受器を取り上げる音。
「代わりました。岡本君?」
予感した通り。三井さんの声だ。電話だとまた違って聞こえるが、鈴の音の
ような愛らしさは一緒。
って、何をぼーっとしてるんだ、僕。
「岡本君? おっかしいな。おーい」
「はい、聞いてます聞いてます」
慌てて応じると、向こうはびっくりしたみたいで、短い悲鳴が聞こえた。
「い、いたのなら、ちゃんとすぐ返事して。恥ずかしい……」
「ごめんごめん。実は、三井さんに用事があったのではなくて、広海君を呼ん
でもらおうかと思っていたんだけれど、女の人がさっさと」
「え」
お互い、しばしミュート状態。こっちは気まずい。
「もう、お母さんたら……」
三井さんが独り言のように言ったフレーズから、先ほどの女性がお母さんな
んだと分かる。今、落ち着いてから振り返ると、かなりいい感じの人だったな
と思う。朗らかな声で、暖かみが伝わった。
「それじゃ、どうしよう? 私が話を聞いて、広海に伝えよっか?」
「あー、どうしようかな」
由良に関係することなんだから、三井さんを通じてもだめではないかもしれ
ないが、細かい部分で三井さんに知られたくない点もあるだけに。
「やっぱり、広海君を呼んで。男同士の話があるんや、ははは」
「ふうん。分かった。たった一日で、随分親しくなったんだね、岡本君」
いやそれほどでも、などと返事する間に、三井さんは電話を置いた。足音が
遠ざかる。大声で弟を呼べば済みそうなものなのに、それをしないのは、大声
を張り上げるのをクラスメートに聞かれたくないのか、あるいは家がとてつも
なく広いかのどちらかだな。多分、前者と見た。
最前よりは長く待たされ、と言っても三十秒ほどだったと思うけど、今度は
小刻みな足音が近付く気配。「危ないから走るんじゃありません」というお母
さんの声が、微かに捉えられた。
「もしもし? 広海ですけど、岡本さんのお兄さんですか」
やけに丁寧な挨拶だ。いつもこうしているのかな。いや、ひょっとしたら、
僕からの電話だと聞いても信じられず、確認をしたのかも。
「ああ、そうだよ。声、覚えてるか?」
「あ、分かる分かる。覚えてるよ」
「出るのが遅かったけど、テレビでも観てたのかい? ごめんな、邪魔をして」
「ううん、違うよ。宿題やってた。ちょうどいい休憩」
「そっか。えー、しょうもない話なんだけど、同じクラスに由良……っちの親
戚の子がいるんだよね?」
「うん。知ってたの?」
「ああ。そいつと広海君は、仲がいいか?」
「うーん……普通」
つかみどころのない返事だな。まあ、親友だとしてもそう言い切るのは照れ
があるだろう。何にしても、犬猿の仲ってことはなさそうだ。もし仲が悪いな
ら、はっきり言うに違いない。
「由良っちの親戚、って、いちいちこの言い方、面倒だな。名前、なんて言う
んだろう?」
「瞬也君。瞬間の瞬に、平仮名の『や』を漢字っぽくした字だよ」
由良瞬也、か。字面だけ見れば、すげー格好いいイメージ。いや、悔しいこ
とに由良の家系が二枚目の血筋なのは認めざるを得ないようだから、本当に格
好いいのかもしれないな。
そんな想像は、次に飛び出した広海の話で、図らずも裏付けられた。
「岡本さんのお兄さん。僕、由良っちは好きじゃないけど、瞬也君には本当に
普通だよ。ただね、あんまり一緒に遊べないから、凄く仲いいってことになら
ないだけ」
「よく分かんないなあ。どうして一緒に遊べないんだ? どんどん一緒に遊ん
で、仲よくなればいいじゃないか。まさか、瞬也君てのは、タレント顔負けの
二枚目で、女の子が周りを取り囲んで、男子の入る隙間がないってか? まさ
かな、ははは」
「半分、当たり」
「へ?」
どういうこっちゃそりゃ。思わぬ話の流れに、送受器を持ち換えた。
「瞬也君ね、モデルをやってるんだ」
モデルってプラモデルか? なんていう定番のボケは口に出さずにおく。こ
こ、関東だし。
「モデルって、ファッションモデルのことだよな。子供服だろうけど」
「うん。よく知らないんだけど、結構売れっ子みたい。時たま、授業の途中で
帰っちゃうし、土日はたいてい留守」
「……ははは」
「どうしたの?」
「いや、何でもない」
さぞかし嫌みな小僧ができあがりつつあるんじゃなかろうかと思って、どう
してだか笑えてきた。頭の中で想像図まで描いてしまったぞ。そっくりだった
らコワい。
「そいつ、眼鏡掛けてる?」
「ううん」
「そうか」
想像図を少し手直ししてみたり。別の意味で、顔を見るのが楽しみになって
きた。あ、そういう機会を待たなくても、モデルやってるぐらいなら、雑誌な
んかに載るのかね。
ああ、いかんいかん。脱線していた。
「瞬也君と、由良っちを話題にすることってあるかい?」
「四月にちょっと話して、それからはあんまり……」
「じゃあ、瞬也君は由良っちをどう思ってるんだろう?」
「……普通じゃないかなあ」
また普通か。判断が難しいやん。
「仲が悪くはないん?」
「多分。どっちかって言うと、仲いいと思うよ。たまーに、一緒に遊ぶことも
あったみたいだし……。あっ、そうだ!」
いきなり大声を張り上げてくれるなよ〜。耳を押さえながら注意すると、広
海君は聞く気配もなく、続けて言った。
「昨日の日曜日だって、スケジュールが休みだったら、瞬也君も遊園地に来る
かもしれなかったんだ。岡本さんが僕と瞬也君の二人同時デートっていうのを
嫌がったみたいなのもあるんだけどさ。あの、岡本さんは、何か言ってました
か、昨日のことを」
急に丁寧口調に戻って、探るように聞いてきた。
そうだよな、気になるよな、相手の女の子がどんな風に思ったか。今、僕に
尋ねてくるぐらいだから、学校では遊園地のことを話題にしなかったのだろう。
恐らく、周囲の目を気にして……かわいいもんやねえ。
こっちが情報をもらうばかりも気が引ける。よっしゃ、答えてやろう。
「楽しかったとは言ってたな」
「はあ。あの、僕のことは」
「うーん、あの日、観覧車の中で言った台詞を繰り返してたぞ。お姉さんばか
り大切に思ってると、嫌われるかもしれないなあ」
脅かし半分、事実半分。案の定、広海君の声はおろおろした調子になってい
た。素直な反応が面白い。
「そ、そんなこと言ったって、僕、お姉ちゃんも大事だし……」
「だから、それ自体は悪くないんだ。親愛の情ってのは色んな種類があってだ
な……って、こんな言い方じゃ分からないか」
「うん」
「まあ、ともかく、まだまだ手遅れじゃないから、安心してよろしい。これか
らちょっとずつ直していけばいいことだ」
恋愛のベテランみたいに演説調で喋ってしまった。広海君は「はい、分かり
ました」などと安心プラス感心したように返事してたけれども、よくよく考え
たら、これってまずくないか。
つまり……三井さんの耳に入ったら、どう思われるんだろ?
そんなことに危機感を覚え、会話がストップしたちょうどそのとき、背後か
ら母親の声がした。
「大地、ご飯やで! いつまで話してんの、あんた! この忙しい時間に、い
い加減にしときや、ほんま」
「わーった! 今、行く!」
送話口を押さえ、うるさい方向に返事をしておいてから、再び送受器を耳に
当てる。
「あんな、今の聞こえたか?」
「うん、聞こえた。岡本さん家のお母さん、怒ってる?」
「いや、そうやないよ。あれが普通なんや」
つい関西弁になって、苦笑混じりに答える。
「まあ、そういう訳で夕飯やから、これで一旦、電話切るわなー。そっちも飯
時やろ」
「――そうみたい」
台所の方を振り返りでもしたのか、少しの間を挟んでから、そんな返事があ
った。
「じゃあ、またあとで電話する。言うても、今晩はせんかもしれん。遅くなると
あかんやろから」
「九時には寝なさいって言われるよ」
「うん、そうか。じゃ、多分、明日な。勉強の邪魔しといて言うのも何やけど、
忘れるなよ、宿題」
「分かってるよ」
「ほいじゃな」
それで電話を切ろうとしたら、広海君、大きな声で「あ、待って!」と言っ
た。今回は耳を話していたので助かった。
「何や?」
「岡本さんに、僕のこと、悪いように言わないでくださいね」
「……」
爆笑しそうになるのを我慢するのに十秒ぐらい要したぞ。ごくっとつばを飲
み込んで、
「ああ、分かった。心配せんでええ。いいように言っておくから」
「お願いします。じゃあ……ばいばい」
「おお」
電話を切ってから、笑いがこみ上げてきた。腹を抱えなくて済んだのは、直
後に、母親から再度のお呼びが掛かったおかげだ。
「何してんの、大地! すぐ行く言うたやろが、あんたっ。はよ来ぃひんかっ
たら、おかずなくなるで!」
僕が食堂に駆け付けるまで、この罵詈雑言は終わらなかった。
――続く