#212/1160 ●連載
★タイトル (AZA ) 04/02/22 23:35 (202)
そりゃないぜ!の恋5 寺嶋公香
★内容
昨晩、寝床に潜り込んでから今朝、目覚めるまでの間に、ぼんやりと考えた。
三井さんは高校一年生だ。 → 高校一年生の年齢は通常、十五か十六歳だ。
→ 高校一年生で十六歳なら、その年の誕生日は終わっている。 → 日本
で女性の結婚できる年齢は十六歳からだ。 → 三井さんは結婚できる年齢に
なっている。つまり……。
「今年の誕生日、終わってるやんけ!」
起き抜けに口走ってしまった。
誕生日にかこつけて、プレゼントを贈ってみようかなと考えていたのに、敢
えなく挫折。他に、自然な形で彼女にプレゼントするよい口実はないかいな。
昨日、由良と会ってからは結婚祝いを贈る気は更々なくなったし、もちろん
クラス全体の結婚祝いにも協力しないと決めていた。だいたい、結婚後じゃ遅
いんだよ。
などと、一人悩んでぶつくさやっていると、学校に着いた。
「――あっ、来た。岡本君!」
廊下で呼び止められた。まだ自分のクラスまでは少し距離があるのに。
振り返ると、昨日知り合ったばかりの顔が。何部に入っているかは忘れたが、
名前はさすがに覚えている。
「知念さん。おはよう」
「おお、おはよう。礼儀正しいんだね、岡本君て。大阪の人はみんなもっとが
さつだと思ってた。ごめんね」
君に言われたくない、が、最後に謝ってくれたとのだからよしとします。こ
っちも初対面の印象だけで決め付けてたしなと、密かに反省。
「わざわざ呼び止めたのは、友達になったことの確認のためかいな?」
「それもあるよ。でも、メインディッシュは、由良長太郎に対する……反感同
盟ってところかな」
「何やて、反感同盟?」
聞き慣れない、いや、初耳の単語だ。恐らく、知念さんの造語だろう。
それを尋ねる前に、もう一つ、ワンランク上の気になる名前が出て来たな。
「由良長太郎って……あいつの名前、長太郎?」
「そうよ」
わはは。思わず、失笑。外見や年齢から著しくかけ離れた名前だ。名付け親
のエゴすら感じて、あの由良にほんの微々たる同情を抱かないでもない。即刻、
忘却するけどね。
「知念さんは、どうしてあいつを嫌ってるん?」
「先に岡本君の理由を聞かせて」
「声を掛けてきた方が、まず手の内を見せるべきと違うか?」
「……大した理由じゃないんだけど」
あきらめのため息をついて、彼女は喋り出した。
「私、万里とは幼なじみだって、昨日言ったわよね。小学校からの」
「うん」
「その頃から、由良は万里の家にたまに来てたのよ。正確に言うと兄弟揃って、
だけどね。だから何度か、あいつの顔を見たことあってさ」
「由良には弟がいるのかあ」
「違うわ。弟じゃなくて、兄の方」
「え? でも、由良長太郎って、いかにも長男の名前じゃないか」
「光一って人がいるの。お医者さんでね、次男とは年齢が一回りぐらい離れて
て、そんなに似てないわ。やな感じなのは大差ないけれど」
「待った待った。話が見えへん。医者なら、三井さんとことは関係ないんやな
いか? それなのに家を訪ねるなんて」
元々家族ぐるみの付き合いがあって、由良次男と三井さんとは子供のときか
らの許嫁……なんて想像が頭の中をぐるぐる回る。
「あ、それは、万里のとこが」
知念さんが言葉の途中で口をつぐむ。長話が過ぎたか、予鈴が鳴り出したの
だ。まだ五分の余裕があるから、今の台詞ぐらいは全部聞けないこともないは
ずだが……。
「またあとでね」
知念さんはさっさと教室に引っ込んでしまった。
あとでっていつだ? 次の休み時間か昼休みか、それとも放課後なのか?
僕から出向くのか、君が来るのか?
そういうことを全然示さないで。
休み時間になっても知念さんは姿を見せなかった。
こっちも当てられるのが確実な問題の予習やら、体育の着替えやらで忙しく、
足を運ぶことはなかった。
代わりに、その体育の授業中、剣持から少しだけ話を聞けた。
「三井さん家(ち)は、先生の家系なんだよ。聞いただけだから、詳しくは知
らないけどさ」
「先生の家系ってのは、つまり、家族や親類親戚に先生や教授助教授やってる
人がたくさんいるって意味だな」
「そう」
それで医者の由良光一とやらも、三井さんの家に出入りしていておかしくな
いって訳か。由良長太郎の方は、兄に引っ付いてきていただけ……そう考える
と、いくらか気が楽になった。
「……ひょっとすると、三井さんも将来、先生志望なのかな」
教壇に立つ三井さんを思い描きつつ、口に出してみた。
「そこまでは知らんよ。まだあきらめられないよーだね、岡本」
からかい半分に大げさな動作で肩をすくめる剣持。答えないでいると、重ね
て言った。
「転校してきた早々、いいなと思った相手が他人のもん、しかも絶対に手の届
かない立場なんだから、ショックなのはよく分かる。でもこんな特殊なケース
は、あきらめが肝心じゃないかな。おまえだったら、もてない訳じゃないだろ
うし」
「物珍しがられてる内に、他の女子に愛想振りまいとけってか」
「そうそう。うまくすれば、相手から告白される」
「けど、好きになってからじゃないと付き合えないタイプなんだよな、俺」
「それは難儀な」
二日前に知り合ったばかりの相手と、こんな馬鹿話をしながら走ったり跳ね
たりしていたせいか、右肘を擦り剥いた。
この日は朝から温(ぬく)かったので、教室では上着を脱ぎ、白シャツでい
た。昼前には陽射しが射し込んできて、さらに暑く感じるようになった。だか
ら、昼休みになって両袖を捲ったのは、決して怪我を見せびらかすためではな
かったのだけれど。
「大変っ。血が出てる」
隣の席にいた三井さんが急に声を上げたものだから、びくっとしてしまった。
「ああ、これ」
と、僕は自分の右肘を見た。大した怪我じゃないと思って、保健室に行かず
に放っておいたが、皮膚を変に引っ張ってしまったか、再び血が滲んでいる。
心配顔の三井さんに、さっきの体育でどじったんだと照れ笑いを浮かべたら、
そんなことよりも保健室に行った方がいいわとたしなめられた。小学生じゃな
いので、保健委員の類は置いてなくて、委員長か副委員長が付き添う決まりに
なっているらしい。
「万が一、悪い菌が入りでもしたら、酷いことになるわ」
脅かすようなことを言う三井さん。先生の家系だと聞いたばかりあって、な
おさらだ。
とは言え、こんな軽傷で大げさに着いて来てもらっても困る。恥ずかしいだ
けだ。そりゃ、三井さんが着いてくれるなら恥ずかしさを上回る嬉しさがある
けれども、男の僕には男子、副委員長の渡辺が着くもんだろう。たかが肘を擦
り剥いたくらいで、男が二人、保健室まで仲よく行くのは滑稽だ。
三井さんは不安そうに眉根を寄せ、僕が保健室に行くのを見届けない限り、
弁当箱を開かないつもりでいる様子だ。仕方ない、と僕が腰を浮かしたとき、
「渡辺君は……いないみたいだから、私が」
と、三井さんも席を立った。慌てて両手を振って、押し止める。
「いいよ。ほんと、大したことないから」
「気になるの。とにかく止血しないと、服も汚れる」
「それは分かってるって。ただ……一人で行けるから」
「だめ。委員長の役目よ」
手を掴み、引っ張ろうとした三井さん。柔らかい感触が、肌を直に伝わって
くる。これはこれで、天にも昇る心地なんだが。
「いいって。がきじゃあるまいし」
「そんなこと言わないで、岡本君。素直に」
「三井さんが優しくする相手は、昨日の男だけで充分だろ」
「えっ」
つい、言ってしまった。あまつさえ、手を振り払った。まずかったと思った
ときには、もう遅い。
「そんなこと言わなくたって……」
悲しそうに声を掠れさせ、潤んできた目を伏せがちにする三井さん。
うっ。
だめだ。こういう仕種をされると。
とかなんとか言う前に、悪いのは明らかに僕の方だ。これで彼女に泣き出さ
れた日には、ますます悪者度がアップする。何としてでも避けねば!
「ちょ、ちょっと」
焦りが自分を大胆にさせる。僕は三井さんの手を取ると、「さあ、保健室ま
で案内して」と、我ながら空々しくもごもごと言いながら、教室を出た。
皆の目が届かなくなった地点――階段の踊り場――で、相手を立ち止まらせ、
僕は真正面に立った。
「ごめん。許してな」
「……」
三井さんが面を起こす。さすがに涙を流してはいなかったものの、少々目が
赤くなっているのには正直、ぎょっとさせられた。この程度のことで目を赤く
するほど思い詰めるなんて、今まで僕の知る範囲にいなかったタイプだ。想像
していた以上に繊細。いや、もしかしたら、女の子はたいがいこうなのかもし
れないけれど……現在の僕にその判断が下せるはずもなく。
「さっきのは、心にもないことを言うてしもうたんや。何ちゅうか、気恥ずか
しゅうて。一人で行きとうて、思わず言うてもた。そんだけ。三井さんを傷つ
けるつもりなんか、全然あらへん」
必死に語り掛ける内に、三井さんはまた顔を伏せる。その上、今度は肩まで
小刻みに震え始めたじゃないか。
焦りが最高潮の僕は、早口になり、呂律が怪しくなってきた。
「せ、せやからな。悪いんは僕で、三井さんは何も悪うない。い、いや、こん
なことは、言んでも明らかっちゅうやつやけど。結婚相手に向ける優しさとク
ラスメートに向ける優しさは、そりゃもう別もんや。とととにかく、謝るから。
この通り!」
何人かの喋り声や足音が近付いてくるのを察して、最高潮に達したはずの焦
りに拍車が掛かり、これまでの人生にないほどまでになる。折角人目に付かな
い空間だった踊り場も、十五秒後には、行き交う生徒で満ちるに違いない。
「……っ」
三井さんの沈黙の中に、小さな声が聞き取れた。笑いのように聞こえたのが、
自分自身、信じられなかった。
「あ、あのー、三井さん?」
「――あはは。あぁ、おかしい!」
三井さんが辛抱しきれずに笑い声を立てたのと、どこの誰とも知らない生徒
のグループが階段に差し掛かったのは、ほとんど同時だった。
ざわめきが浸透する。
三井さんは、僕に言った。まだわずかに掠れた声は、それでもよく通った。
「岡本君、どんどん関西弁になるんだもの。何ていうのか、素が出た感じで、
すっごく真面目なのに、どこかおかしくて……。あ、ごめんなさい。方言を馬
鹿にしたんじゃないのよ」
「あ、ああ……分かってる」
僕は口元を拭った。
「それで結局、許してくれる……?」
「え? それはもちろん」
何を今さらとばかり、意外そうに目を見開いた三井さんはしっかりと首を縦
に振った。歯の白さとともに笑みがこぼれる。
ああ、よかった。
この笑顔だけで、僕は救われた。つられた訳じゃないけれど、こっちも笑顔
になれた。焦りに焦っていた気持ちが、水に投じた粉末洗剤みたいに、すーっ
と消えていく。
「ああ、よかった」
感じたままを声にも出す。そのあと、胸をなで下ろしてみせたのも、ほとん
ど無意識の内の動作だ。
「私こそ、無理強いしちゃったみたい。ごめんね。子供扱いする気は全然なか
ったの。ただ、岡本君は転校生だから、保健室がどこにあるのか、うろ覚えじ
ゃないかしらって思って……」
「そこまで記憶力悪くないよ」
関西弁の気配をなくし、僕は言った。やっと余裕ができたよ。
「それじゃ、改めて、保健室まで着いて来てくれる?」
「はい」
「次からは、もっとひどい怪我のときに頼むとします」
「その前に、怪我をしないようにしてね」
また笑い合った。悪くない雰囲気。これで三井さんに婚約者がいないのなら、
文句ないんだけれども、まあ、友達の関係は切れなかったのでよしとせねば。
一階まで降り、何度か角を曲がって保健室が見えてきた。この頃には、右肘
の血は止まり、固まりかけていたかもしれない。
「ありがと。ここでいいよ」
「――あのね、岡本君」
教室に引き返しかけた三井さんは、ふっと足を止めた。僕の方に向き直り、
「岡本君も、私達の結婚をお祝いしてくれるよね?」
と言った。
――続く