#539/568 ●短編
★タイトル (AZA ) 23/07/04 17:34 (141)
裏の顔 〜 担任教師はアイドルを切り刻む 永山
★内容
朝、登校してきて五年三組の教室の前まで来ると、すでに雰囲気がおかしいのが伝わ
ってきた。
ざわざわしているのはいつもの通りなんだけれども、ざわざわの質がいつもと違うっ
て感じ。そう、きっと笑い声が極端に少なかったんだ。
教室に入ってみて、はっきりした。席で言えば窓際の列の真ん中辺り、金沢《かなざ
わ》さんの席を中心にして、人の輪ができていた。もちろん窓際の席だから、ぐるりと
囲む訳にはいかないため、実際には半円だけれども。
金沢さんと、彼女と仲のいい滝本《たきもと》さんがその中心にいて、二人揃って目
を腫れぼったくしている。金沢さんはほとんどしゃべらずにいて、三つ編みを垂らして
俯き気味だ。その隣で滝本さんが近くの男子、藤原《ふじわら》君と話をしているみた
いだ。どちらも声が大きく、しかも滝本さんの方が時折ショートヘアを掻きむしる仕種
をするものだから、すわ、口喧嘩か?と一瞬思わされた。
が、どうやらちょっと違う。滝本さんが何かを説明するのに対して、藤原君が信じら
れないで首を傾げている、そんな雰囲気だ。周りにいるみんなも二つに分かれているの
が感じ取れた。男子と女子とで分かれている、なんていう単純なものではなく、あちこ
ちでぽつぽつと言い合いが起きているのが見て取れた。
「あっ、委員長」
とりあえず自分の席に荷物を置こうとした僕に、佐々木《ささき》さんが気付いて声
を上げた。彼女はクラスの副委員長で、この何だか分からない揉め事をさっきから一歩
離れて見ており、どうしようか迷っている風だった。
佐々木さんは近付いてくると、小声だけどしっかり聞こえる口調で僕に言った。
「何とかして」
そして人の輪の方にあごを振る。
「このままだと、授業どころじゃなくなるかも」
「来たばかりで状況がさっぱり飲み込めてないんだけど」
授業どころじゃないとは大げさじゃないかと思いつつ、そのことを口には出さずに応
じた。
「説明するから」
「うん。先に聞いておくけどさ、佐々木さんはどちらかの味方?」
「味方っていうか、金沢さん達の話を信じるかどうかという意味なら、ちょっとね。聞
いただけではにわかには信じられないってところかなぁ」
迷いの露わな表情で答える副委員長。強いて選ぶなら、というニュアンスが感じられ
たよ。
「分かった。なるべくありのままに話してみて」
「ええ。金沢さんと滝本さんは昨日の日曜、先生の家に遊びに行ったんだって」
確か、金沢さんの家が、先生の家に近いんだっけ。一軒家ではなく、アパートの一室
だが。
ここでいう先生とは僕らのクラス担任、秀島大吾《ひでしまだいご》先生のこと。え
っと、年齢は二十代後半で独身、いわゆるイケメン、僕ら児童に総じて甘いこともあっ
て人気が高い。特に女子人気は絶大だ。前に、忙しかったのか無精髭を残して学校に来
たことがあって、普段に比べたら小汚くみすぼらしい外見だったにもかかわらず、女子
は誰一人として悪く言わなかった。それどころかワイルドでいい感じ!って賞賛する子
すらいたくらいだ。
「特に約束をしていた訳じゃなく、突然の訪問だったから、先生は仕事をしていて」
いきなり押し掛けた挙げ句に先生が恋人と一緒にいるところを目撃してしまい、ショ
ックを受けた、とかいう話ではないらしい。とりあえずほっとした。
「もう少しで片付くからという状態だったから、二人は部屋の外で待たされたの。十分
くらいで終わって、中に入れてもらって。最初に、先生を訪ねる建前として、勉強で分
からないところを教えてもらったみたい。そのあと、おしゃべりに突入」
どんな話をするんだろう? 僕自身はこれまで先生の家を個人的に訪ねたことなんて
一度もなく、想像するほかない。……想像してみたら、間が持ちそうにないなと思っ
た。たとえ相手が女の先生でも、難しそうだ。
「それで、これまたいつものことらしいんだけれども、途中で先生が台所に立って、お
茶を入れてくれたんだって」
途中でお茶……杜仲茶《とちゅうちゃ》……駄洒落が浮かんだけれども、言わないよ
うに我慢、我慢。
「その隙にと言うのも変だけれど、先生の部屋をあちこちチェックした。本棚の隙間と
かベッドの下とか、普通にしていたら目の届かないようなところをね」
もし将来、僕が先生と同じ立場になったときは充分気を付けることにしよう。
「昨日はすぐにでも先生が引き返して来そうだったからあんまりチェックできなくて、
引き出しを開けてみて特に何もなくて、そのあと何の気なしにゴミ箱を覗いたら……」
ためを作る佐々木さん。手短に話してくれないと時間がどんどん進み、みんなの騒ぎ
も心なしか大きくなっている気がするよ。
「切り刻んだ写真が見えたって。見られちゃまずい物を急いで切ったのかもしれないと
二人は思って、大きめの切れ端をいくつか拾い、調べてみた。そうしたら河相《かわあ
い》リセナの写真と分かったって」
「河相リセナってアイドルの?」
子供向け番組出身のタレントで、今十五歳くらいだっけ。春のドラマで準主役をやっ
て、人気に火が着き、男女問わず年齢層は幅広い。コマーシャルの出演本数は増加中、
たまに雑誌の表紙を飾ることもあった。無論、僕らのクラスにもファンはいっぱいい
る。
「そう。一週間ほど前、先生も話題に出してたの、覚えてる?」
「うん。えっと、『ああいう子が娘だったら嬉しいかもしれない。けれども演技力あり
すぎるのは怖いなあ。嘘をつかれても見破る自信が持てない』だったっけ?」
「そんな感じ。それでも、先生も河相リセナのファンという風だったでしょ?」
「ファンというか、好ましい芸能人の一人と思っている雰囲気だったな」
「何にせよ、嫌ってはいないはずよね。嘘をつかれたらどうこうと言っていたにせよ」
「まあ、そうだろうね」
「にもかかわらず、写真を切り刻んでいた。金沢さん達はそこにショックを受けて、そ
のあとほとんどすぐに帰ったと言っていたわ」
「なるほど。昨日のそのいきさつをみんなに話したら、信じる人と信じない人とで分か
れたってわけか」
「そういうこと。私は写真を切り刻んでいたという話自体が信じられない。先生のキャ
ラに合わないもん」
「キャラねえ。どうだったら合うんだろう?」
まさか燃やすとかじゃあるまい。
「仮に嫌いなアイドルなら、写真を捨てる。それだけで終わり」
「それもそうだ。嫌いな人の写真なら捨てればいい。切り刻んだり燃やしたりするの
は、写真の人物に恨みを持っているレベル」
「そうそう、それが言いたかったの」
先生が河相リセナに恨みを抱いているとはとても考えられない。かといって金沢さん
達が口裏を合わせて嘘をついているとも思えないし。先週、話題に出たとき、本当は嫌
いなアイドルだけど、僕らに話を合わせたのか? そんな風には見えなかったなあ。一
週間で真反対に嫌いになるとかも、ありそうにない。
……待てよ。そもそも、嫌いなアイドルだとしたら、わざわざ写真を手に入れる?
それこそ恨みを持っているくらいじゃないと、切り刻むために写真を入手しまい。
「――あのー、質問いいかな」
僕は佐々木さんから視線を外し、金沢さんと滝本さんに聞いた。近付きながら、話は
聞いたと告げる。
「質問て何、委員長?」
金沢さんが少ししゃがれた声で聞き返してきた。よかった、思ったよりは元気そう
だ。
「二人が見た写真て、どんな物だったか覚えてる? ブロマイドなのかポスターなの
か、それともシールか何か?」
「えっとー」
金沢さんは覚えていないのか、困惑した表情になり、滝本さんの方を向く。滝本さん
も似たようなものだったが、こめかみの辺りを人差し指でこつこつやる内に思い出した
ことがあったみたい。
「シールではないわ。それなりに厚みがあって、裏に小さめの字や数が書いてあっただ
からポスターでもないし、ブロマイドというのも違うかも」
「裏の字や数っていうのは、手書き?」
これには滝本さんと金沢さん、揃って首を横に振った。
「ううん。印刷された文字」
「そうか。うん、ありがとう。多分だけど、分かった」
「ええ? 今の話だけで?」
佐々木さん達が驚きの声を上げる。いや、全然たいした思い付きじゃないんだけど。
「だから多分ね。心配してるようなことではないと思うよ」
僕はみんなを前に、思い付いた想像を詳しく伝えた。
一時間目が始まり、秀島先生が教室にやって来た。必要な教材を入れた鞄に加え、今
朝は丸めた模造紙を小脇に抱えている。工作めいた資料や教材を使う先生は、秀島先生
を入れて今でも結構いる。コンピュータでは表現しにくいことでも、紙や木などを使っ
て作れば分かり易くなる場合もある。
起立、礼、着席のあと、秀島先生が出欠確認のために機械を開く。そのタイミング
で、僕は挙手した。
「ん? 何だい、小原《おはら》君」
「先生が持って来た物って、昨日、ご自宅で作ったのですか」
「ああ、これか。そうだよ。学校で作った方が持ち運ぶ手間が省けていいんだけどな。
なかなか時間が取れなくて。それがどうかしたか」
「ちらっと見えたんですが、色々と切ったり張ったりしていますよね。カッターナイフ
ですか」
「うむ、カッターを使う。何だ何だ、気味悪いな」
秀島先生は出欠確認の手を止め、苦笑いを浮かべた。
「もう一つだけです。先生は雑誌、今でも紙のを買いますよね?」
「そりゃまあ、紙でしか売ってないのもあるし、再利用できるしな。ああ、昨日も台に
したよ。こう、紙を切るのに下の机を傷つけないよう、雑誌を敷いて」
やっぱり。想像が当たったと確かめられて、僕は頬を緩めた。これで問題解決だ。
と、そのとき窓際の席から叫び声に近い調子で、金沢さんが言った。
「先生! 裏の表紙の写真に気を遣ってください! 怖かったんだから〜っ」
終わり