連載 #4886の修正
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荒井由美のライブアルバムをレンタルで借りてきた。それで分かったこと。 荒井由美は歌がへただ。しかし、へただが味のあるへたさだ。きく気が 起きる歌いかただ。私の場合、オペラのバリトンみたいな歌いかたは どうしても好きになれない。あれは歌っているのではない。ほえているのだ。 ひとがこころをこめて歌うとき、そう音吐朗々とはならない。馬鹿みたいに 声をはりあげることもない。つっかえつっかえ、ぼそぼそと歌うこと。 そのあたりに、本当のうまさというのはあるのではないか。ひとが聴く きになる歌いかたとは、そんな歌いかたなのではないか。そんなきがする。 荒井由美は、まさにそんな歌いかたをする。だからこころにしみる。 荒井由美というのは、今のまっとうやゆみの、昔のなまえ。 「中央フリーウエイ」などの名作がある。 しかし、いつも思うのだが、歌手とか作曲家の場合、昔の若いときの作品の ほうが圧倒的にできがいいのはどうしたわけか。単に同時代に聴いたから よく聞こえるというのではない。あきらかに若いときのほうができがいい。 歳をとるにつれて、つまらない作品になっていく。歳をとり、さまざまな 経験をして成熟していくのが人間というものだが、それが曲にまったく でてこない。かえってつまらなくなる。作曲家や歌手に成熟によるよさと いうのはないのだろうか。 この、荒井由美のライブは、昔の作品だけのライブだ。荒井由美時代の ものばかり。どれもいい。それにたいして、のちの、まっとうやゆみの 時代のものは、さっぱりだ。成熟による完成というのがないのは、考えて みると、作曲家や歌手というのは、なんだか気の毒だな。未熟のほうが できがいいんだもん。
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