連載 #4768の修正
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★内容(1行全角40字未満、500行まで)
【6】 私はヴァイオリンをこよなく愛しているが、大人になってから習い始めたので、一 向に上達しない。 札幌盲学校へ赴任して暫くの間は、よい先生が見つからずヴァイオリンをあきらめ かけていたが、ある先輩の紹介で、札幌音学院のKY先生に指導を受けることになっ た。 「15年みっちりやって御覧なさい。」 と先生に言われ、そのつもりで始めたものの、なかなかおちついて練習できない。 私は人一倍エンジンのかかりが遅く、本調子の出ない内にいつも時間切れとなって しまう。それでも一時期、毎晩2時間以上練習したものだ。 2DKの狭い市営住宅に、家族5人と盲導犬が1頭、私のヴァイオリンの音がやか ましくて、妻子は落ちついてテレビも見られないし勉強もできない。 家で練習するだけでは物足りず、学校でも授業のない時間に、空いている教室を捜 してヴァイオリンを弾いたので、生徒や職員から一度ならず文句が来た。 仕方なく、地下の石炭倉庫に潜り込み、埃で喉や鼻が痛くなるのを我慢して練習し た。 その頃の私にとって、ヴァイオリンは趣味というよりも生活そのものであり、ヴァ イオリンこそが生き甲斐であった。 正しいフォームで弾くこと、楽譜を点字に直すこと、暗譜すること、練習の時間と 場所を確保すること…、これらのことが私の頭の中を占領していて、当時の日記には、 「今日はヴァイオリンを何時間弾いた」 「今日は練習が全然できなかった」 「速くこの仕事を済ませて、ヴァイオリンを弾かねばならない」 「今習っている曲は何々で、何処と何処が難しい」 というようなことばかり書いていた記憶がある。 こんなにも力を入れたのだから、それなりの進歩はあったに違いないが、好き嫌い は別としても、今から考えると、ヴァイオリンが私に合っていたのかどうか甚だ疑問 である。 音程の正確さでは自信があっても、その他の面でヴァイオリンが私にそぐわない気 がして、努力を傾けた割には上達が少なかったようにも思える。 家族や職場に迷惑を掛けつつ、5年間、文字通り必死で練習して、〈フリマリー〉 音階教本第1巻、〈ホーマン〉教則本第1〜4巻、〈カイザー〉教則本第1巻、鈴木 慎一〈ヴァイオリン指導曲集〉第1〜6巻まで進んだが、私の名古屋転勤とともにや めてしまった。 【7】 長男は6歳から・長女は3歳4か月から・次女は4歳半から、ヴァイオリンを習わ せた。もっと早期からやらせたかったが、家計が苦しくて月謝が支払えなかったので やむをえない。 毎週2回、妻は私と子どもたちを連れて、札幌音楽院へ通った。片道1時間半かか るから、その日は半日仕事である。3人分の楽譜とヴァイオリンを抱えて、雨や吹雪 の中をバスに乗って出掛けたものだ。 私の娘が初めて人前でヴァイオリンを弾いたのは、4歳のクリスマス発表会の時だ った。 大変な恥ずかしがり屋なので、みんなの前でちゃんと弾けるかどうか、私は気が気 でなく、今にも心臓が躍り出すかと思うほど緊張して聞いていたが、当人は案外平気 らしくて、普段より上手に弾けたのは嬉しかった。 あの折りの感激は一生忘れることができない。正に親馬鹿の典型である。 札幌音楽院の発表会は、ちょっとした演奏会を凌ぐ豪華なプログラムである。 院長は当時、札幌交響楽団常任指揮者のAM先生、生徒は100名近くいたと思う。 その中からよりすぐったヴァイオリンやピアノの独奏や重奏が次々と舞台に繰り広 げられ、その演奏がまことにうまい。 全員合奏やジュニア オーケストラは、院長自ら指揮を取り、大人の管弦楽団顔負 けである。 会場に響く澄みきった調べは、幾日も私の耳を離れなかった。 要するに、私たち家族全員は札幌音楽院の教えを受け、AM先生ご一家のお世話に なっていた。ヴァイオリンの他に、ピアノとソルフェージュと英語のレッスンまで受 けて、正に音楽院一色だったと言ってよい。 けれども、私の名古屋転勤により、5年間お世話になった音楽院とも別れなければ ならなくなった。 札幌を去る日、残雪を踏んで、音楽院のKY先生が見送りに来てくださった。 飛行場へ向かうバスが動き出した途端、子どもたちがワアッと泣き出し、私も釣ら れて急に悲しみがこみあげてきた。 11年間住み馴れた北国の町、生甲斐を与えてくれた札幌音楽院! 私たちは泣きながら「サヨーナラ」を告げた。 【8】 札幌から名古屋に移って来て何より心配だったのは、良いヴァイオリンの先生に巡 り会えるだろうかということだった。 新聞広告を見たり、電話番号簿を調べたりして、随分捜したあげく、やっと某音楽 事務所の紹介で、EK先生に師事することとなった。 EK先生のヴァイオリンの音色は実に美しく、また、先生の話し声も大変綺麗だっ たから、やはり芸術と人柄は一致するものかと思ったりもした。 札幌音楽院のKY先生やAT先生は、ドイツ方式に従って基礎を徹底的に指導され たが、EK先生は、難しい曲を数多くこなさせる方針のようだった。 今度のレッスンも片道1時間半かかり、まず家から歩いて新守山駅まで15分→国 電(JR)で千種駅まで8分→地下鉄で星ケ丘まで15分→市バスで新宿まで15分 →そこから歩いてやく20分、乗り換え待ち合わせ時間も加えると大変なロスである。 それがまた、ヴァイオリンに出掛ける日に限って嵐や雷の日ばかり続いたので、さ すがの私も閉口した。 EK先生はピアノも巧みで、結局、長女はヴァイオリンとピアノとソルフェージュ、 長男はヴァイオリンとソルフェージュ、次女と私はヴァイオリンだけ という具合に、 傍目にも呆れるほど音楽教育に打ち込んだ。 あらゆる付き合い・趣味・娯楽・教養・学問を捨てて、もっぱらヴァイオリンを練 習するための場所と時間と費用を産みだすことに専念したのである。 この頃が私の人生で最も充実していた時期だったかも知れない。 発表会で長女が演奏した〈ミリスのコンチェルト〉は、我が子ながら最高の出来映 えだった。スピード感・音程・音色・表現など、小学生としては完璧に近かったので、 私は娘の将来に大きな期待を寄せた。 思えばあの頃が懐かしい。何の迷いも邪念もなく、ただただ音楽に心酔し、ヴァイ オリンが生活の全てであり、生甲斐であった。 ところが、6年間通って、息子が中3・長女が小6の時、EK先生が豊田市へ引っ 越しされることになった。 当時は自家用車などなく、私の住む守山区からは到底レッスンに通うことはできな い。せっかく先生に慣れたのに、またまた涙を飲んでお別れしなければならなくなっ た。 【9】 今度は、かつての恩師YS先生の紹介で、HS先生に付くこととなった。 先ほど、ヴァイオリンを習うことに何の迷いもないと書いたが、ある意味では偽り かも知れない。 親がやりたくて果たせなかったことを子どもにさせようというのはよくないことだ ろうか? 子どもの方にはヴァイオリンに対する素質も意欲もないのに、無理遣り叱 ったり宥めたりしながら、もうやめようか、いつやめさせようかと迷いつつ、つい惰 性で続けてきたのが我が家の状況である。 子どもが習い初めの頃は、何よりもまずヴァイオリンを優先させたものだが、身の 程が分かってくるに連れて熱意は薄れ、こんな先行きの知れない稽古事に莫大な労力 を費やすのが無駄なようにさえ思えてくる。 けれども、我が子が大人になった時、曲がりなりにもヴァイオリンが弾けたら、ど んなにいいだろうとも思ったりする。 それやこれやで、先生が替わったのを潮に、息子は高校受験・次女は進歩が遅いこ とを理由に、思い切ってヴァイオリンをやめさせてしまった。 後は長女のみが頼りである。 ヴァイオリンはHS・ピアノはYT・ソルフェージュはKMの各先生に付いて習っ たが、親の望みほどには頑張ってくれず、小さい頃期待していたようには伸びて来な い。 その長女が高校へ進む際にも随分迷った。普通の高校へ行かせるのか、音楽課程へ 進ませるのかという点である。 結局は進路を音楽1本に搾り切れなかったのと、幅広い教養を身に付けさせたいと いう欲もあって、普通の進学高校へ入学させたが、はたしてそれでよかったのかどう か疑問が残る。 大学受験の時も、音楽大学へ行くのか、それとも普通の大学へ行くのか、長女は虻 蜂取らずで困ってしまった。 それらを考え合わせる時、子どもに習い事をさせる場合、その時期・指導者・目標・ 親の対処の仕方など大変難しい問題がある。 10年20年後になって、子供が、 「内の親がヴァイオリンを習わせてくれていてよかった。」 と思う時があれば、それでよしとせざるを得ない。 ところが、この文章を書いている今、子供たちは誰一人ヴァイオリンを続けていな いし、私自身、ヴァイオリンを弾かなくなってからもう10何年にもなるのである。 これはいったいどういうことなのだろうか? [1996年3月26日 竹木貝石] --------------------------------------------------------------------------
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