連載 #4618の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
5 彼女たちを押し流した運命の奔流は、その流れを止めはしなかった。 その翌朝、突然の訪問客がテティスと、そしてリィスル家の運命を変えた。 遠出馬車でやって来た訪問客は、マーノリファという小太りの中年女性で、 自分はフラネーカーガウのキャリガッド伯爵の召使いだと言い、トゥスネルダ に伯爵様はテティスという少女を屋敷の使用人として迎え入れたいお考えであ る、と伝えた。 トゥスネルダは、彼女のそのほとんど命令といっていい口調が気に入らなか った。<娘を使用人として使ってやるからこちらに預けよ>と言っているよう に彼女は聞こえた。だからこのまま玄関口でこの召使いを追い払おうと決めた。 「なぜその伯爵様がわたしたちに会って、直接話をなさらないのかしら?」 トゥスネルダは相手の尊大な態度にまずそう応えた。 「いえ、伯爵様はあさってお見えになられます」と召使いは言った。 「わたしどもはいま、ベイリースタウンのヨアン侯爵の屋敷に滞在中なのです が、明後日、フラネーカーガウへの帰途につくことになっております。その前 にこちらへお尋ねになられて、そのとき伯爵様自身がお話になるでしょう」 <つまり二日間が猶予になわるわけね> トゥスネルダはちらっと娘たちを振り返った。ふたりは台所で朝食の後片付 けをしていた。彼女たちにはこちらの会話は聞こえていないはずだ。 「どちらがテティスなのです?」 召使いのその質問はトゥスネルダを苛立たせた。品定めでもするかのような 含みがある、と彼女は感じた。 「ええ、そうですわね、たぶん今お皿を洗っている女の子がそうだと思います けれど?」 その返答に、マーノリファは彼女の心境をたちまち理解した。 「まあ、なんということでしょう、リィスル夫人、あなたはどうしてか誤解な さっています……わたしはただ、伯爵様の申し出を伝えにきただけですのよ」 「ええ、確かにそのとおりですわ」トゥスネルダはにっこり微笑んだ。「そし て話はもううかがいました。そのほかにもまだ何かあって?」 「いえ、いえ、それだけですわ」 マーノリファはちらっとテティスを見やった。そのとき少女と目が合った。 少女の目は何かを訴えていたようだが、召使いには分からなかった。「わたし が言ったことをあの子にも話して、どうするかを決めてくださいな。それに伯 爵様はテティスをたいへん気に入られたということと、彼女を迎え入れるとき には充分な支度金を用意……」 「ええ、ええ、伝えておきましょう、マーノリファさん」 そう言いながら、トゥスネルダはテティスには決して言わないだろうと思っ ていた。彼女としては、この大嫌いな召使いとの荒れ地のような会話をはやく 終わらせたかったのだ。荒れ地ではどんな実りある作物も生まれはしない。 召使いはトゥスネルダに会釈し、最後にごきげんようと言い残して、やって 来たときと同じように、遠出馬車で侯爵の屋敷へと帰っていった。 「あのおばさんは何の用事だったの?」 いつの間にかテティスがトゥスネルダのそばに立って、白いエプロンの裾を 引いた。「とてもきれいな馬車だったわ」 「何でもないのよ」 小さくなってゆく馬車を見送りながら、トゥスネルダは思わずテティスのち っちゃな手をきつく握りしめた。なぜか言いようのない不安を感じていた。「 何でもないの……わたしたちには関係のないことなのよ」 トゥスネルダはそうつぶやいた。 6 その日のことをテティスは、きっと一生忘れない。 穏やかに照りつける日射しの中で、庭先の色鮮やかに咲き乱れる花々に囲ま れて、テティスはエイミィといっしょに芝の上にすわりこんでおしゃべりして いた。彼女たちはおしゃべりで疲れると、綺麗な花を摘んでは花冠や髪飾りを 作ったり、笛を吹いたりして遊んだ。『シャン・ヴァン・ヴァホト』や『エル ン湖の岸辺』などの曲は、すべてアデルに教わったものだった。 「ねえ」と、突然エイミィがひとさし指を唇にあてて、言った。 「静かにして……何か音が聞こえるでしょ? あれは馬車がやって来る音よ」 エイミィは立ち上がって辺りを見回した。丘のなだらかな斜面の小径を駆け て来る黒い馬車が一つ見えた。 「あれはこのまえの馬車かしら? ねえ、テティス」 「きっとそうよ」 テティスは言うなり、さっさとエイミィに背を向けて家の方へと歩きはじめ ていた。その表情は硬く、彼女の目はそれ以上に固い決意を示していた。 <あたしは自分の人生に対して権利があるわ> テティスは思った。<だからこうするのよ、誰がどう言おうとも、それがあ たしにとっていいことだと、あたしが思ったのだから> それから台所へ入ってゆき、昼食の準備をしているトゥスネルダのそばに立 った。キャラウェーの香りが鼻をつく。では食後にケーキがでるということね。 「どうしたのテティス。まだできていないのよ、もうちょっとだけ待ってね」 「馬車がきたわ」とテティスは言った。 その言葉にトゥスネルダは特別何の反応も示さなかった。 「そう……テティス、悪いけど、エイミィとあなたたちの部屋でおとなしくし て……」 言い終わるよりはやく、テティスはすでに廊下に出、階段を上りはじめてい た。その行動はテティスの理解を、ええ、分かってるわ、大人たちの話なんで すものね。子どものあたしはただそれに従えばいいのよね、という声をトゥス ネルダに告げた。 トゥスネルダはいまはっきりと悟った。そしてこんな風に彼女を驚かせたの は、何もこれが始めてではなかった。 <あの子はすべてを理解しているわ。何もかも知ってるのね……> エイミィが小走りに近寄ってきて、お客さんよ、それもすごい身分の人よ、 だってだって、とっても豪華な馬車に乗ってきたんだもの、あたしあんなにき れいな馬車は見たことがないわ、と早口に言った。 トゥスネルダが玄関口に出てみると、ひとりの男が立っていた。男は黒いフ ロックコート、黒い帽子、てかてかと光る黒色の靴といういでたちだった。 男はトゥスネルダが姿を見せると帽子を脱ぎ、それを胸の前に持ってゆくと、 うやうやしくおじぎをした。 「リィスル夫人ですね? わたしはフラネーカーガウのクリストファー・ヴィ ス・キャリガッドといいまして、すでにうちの召使いから聞いていると思いま すが、娘さんのテティスのことで話をしたく、やってきたしだいです」 それを聞いてトゥスネルダは面食らった。すると、この男が伯爵なのか? ひとりの従者もつけずにこうしていきなり言葉を交わすとは、想像もしていな いことだった。従者がもったいぶって伯爵様とやらを紹介することにつけて、 まず従者にがみがみ噛みついてやろうと決め込んでいたトゥスネルダは、応え るべき言葉を見つけられなかった。 「勝手なことであるのは分かっているつもりです、リィスル夫人」 と伯爵は言った。「しかしあなたやあなたの娘さんにも、また分かってもら えると信じています」 その声は、そしてトゥスネルダを見つめるその目は、とても穏やかで、魅力 的で、優雅で、優しく彼女を包み込んだ。だから彼女は思った、そんな言葉は 嘘つきよ。そんな表情はうわべだけ。わたしはそんなことには惑わされないわ。 「それにこれはわたしの切望であって、もし娘さんやあなたが拒否を示すなら、 わたしはそれを受け入れるつもりです」 その言葉はトゥスネルダの心を一瞬にして氷に変えた。 「ええ、もちろんそうでしょう、伯爵様。テティスはわたしたちの娘です。わ たしたちの大切な家族なんですもの。わたしたちがどうするかを決めるのです」 <そして決して離れやしないでしょうね> トゥスネルダは伯爵の目をじっと見返した。それは明らかな拒絶と少しばか りの非難を相手に伝えるはずだった。ところが伯爵は首を振って否定してきた。 「いいえ、そうではありません。そうでしょう、リィスル夫人? 彼女は今は 亡きニコルズィとイマ−−すなわちあなたの妹−−とのひとり娘、あなたがた が彼女をひきとって自分の娘として育ててきたのです。そして彼女は、養子で もありませんね。つまり、彼女はテティス・リィスルではなく、今なおテティ ス・アンシーダなのです」 伯爵はここでちょっと言葉を切った。何かを吟味しているようであった。言 った。「そして先日、あなたは夫を亡くしてしまわれました」 その言葉はトゥスネルダをぎくりとさせた。それだけは言ってほしくない言 葉だった。アデルが死んで、まだ三日しか経っていないのだった。たった数日 で傷が癒えるには、彼女は夫を愛しすぎていた。 いったい何の権利があってこのひとはそんなことを言うの?−−トゥスネル ダは激しい心の痛みを覚えていた。それは夫が亡くなったときの、身を引き裂 くような悲痛を思い起こさせた。 「それは……それは関係ありません。夫が死んで、わたしひとりで娘ふたりを 育ててゆくことがどれだけ大変であるかは分かっているつもりです、それがあ なたの言いたいことでしたら」トゥスネルダは激情に流されまいと必死だった。 「だから……だから娘を渡すのですか? 自分たちの生活のために、背中に負 うた重荷を軽くするために、娘を預けよと? そんなことしないわ、いいえ決 してできはしない。そうでしょう、あの子はもう、わたしの体の一部なのよ。 だからあの子を失うことは、わたしの体を削り取ることなのよ、わたしはその 痛みにきっと耐えられはしないでしょう」 「彼女は、どう思っているのでしょう?」 伯爵はひっそりと言い、それはトゥスネルダに彼女の理性を思い出させた。 「あの子は……」 言いかけて、トゥスネルダははっと口をつぐんだ。テティスがいつの間にか 二階から降りてきていて、台所の戸口からじっとこちらを見つめていたのだ。 「テティス、自分の部屋へ戻っててくれる?」 声は平静で穏やかだったが、それは明らかな命令だった。 「リィスル夫人、彼女の気持ちはどうなんですか?」 「テティス、いい子だから……」 「あたし……そんないい子じゃないのよ」 テティスはきゅっと唇を結んだ。上目づかいにトゥスネルダを見上げ、両手 はスカートのはしをぎゅっと握りしめていた。 このとき衝動的に、トゥスネルダはテティスがこの家を出てゆこうとしてい ることを知った。テティスの唇が動き、トゥスネルダは、それを信じられない 面持ちで見つめていた。 「あたし、伯爵様のお世話をさせていただきます……お母さま、あたし、この 家を出ていきます、もう決めたんです……」 その言葉はトゥスネルダには告発のように聞こえた。あなたはあたしの母親 にはなれなかったのよ、結局あなたは母親の役を演じることしかできなかった のね−−そう言っているように感じられた。 おそるべき荒廃がトゥスネルダを襲った。だからあなたはわたしのもとから 去ってゆくの? どうして? わたしの愛しい夫は死んだのよ。今わたしの心 を慰めてくれるのはあなたたちだけなのに、それなのにどうしてあなたはわた しから離れてゆこうとするの……。 「ごめんなさい……ごめんなさい、お母さま……」 テティスはゆっくりとトゥスネルダの胸に倒れ込んだ。トゥスネルダは反射 的に、思いの限り強く、その胸の中に娘を抱いた。そういえばこうしてテティ スを抱くのも久しぶりのことだった。 <大きくなったわ……本当に> 腕にかかるその重みこそテティスを実の娘として育ててきた一二年間のすべ てであり、愛情の深さであった。 「ごめんなさい……」 テティスは、トゥスネルダの胸に顔をうずめてむせび泣いた。 「いいのよ、テティス……わたしにはちゃんと分かってるわ、あなたのことだ から、きっととてもつらく思い悩んだんでしょうね。でもあなたは自分で自分 のことを決めたのよ。だからわたしは何も言わないわ……でも、わたしの最後 のわがままだけは聞いてね……あなたを送り出す日まで、ずっとわたしのそば にいて欲しいのよ」 テティスは顔を上げた。もう泣きやんではいたが、頬は涙の跡でひどく濡れ ていた。赤く泣きはらした目はトゥスネルダを見返した。 「いいえ、お母さま。あたしは今すぐここを発ちます」 トゥスネルダの表情が凍り、テティスの目をじっと覗き込んだ。しかしすぐ に、微笑みに変わる。 「そうね。ずっとそばにいると、その分、別れがつらくなるものね……」 それでもトゥスネルダは、テティスをぎゅっと抱きしめたまま、なかなか離 れようとはしなかった。おそらくこうしてテティスをその腕に抱くのも、これ が最後になるだろう−−何といってもフラネーカーガウは、ここから一〇〇マ イルも離れた街なのだ。彼女たちにとってはあまりに遠い距離だった。 「……もう行ったほうがいいわね。エイミィが気づく前に出発しなさい。あの 子は今どうしているの?……そう、どうして降りてこないのかと思ったら寝て るのね。ふふ。ちょうどいいわ、はやく身支度を−−いいえ、その必要もない でしょう、この家に身支度して持ってゆくほどのものは、何もないものね……」 伯爵に連れられてテティスが馬車に乗るのを、トゥスネルダは家の玄関口で、 夢の中の出来事のように見つめていた。テティスは、一度もこちらを振り向か なかった。マーノリファがトゥスネルダに何事か言ってから馬車に乗り込んだ が、彼女は何も聞いてはいなかった。 −−これは悪い夢ね。目が覚めたらきっとまたいつもの生活に戻ってるのよ。 そこには夫とエイミィとテティスがいて、いつまでも楽しく、幸せな人生を送 っていることでしょう……。 そんなことを彼女はぼんやりと考えていた。 しかし悲しいことに、明日の朝こそ、もうテティスはいないということを、 彼女が思い知る日なのだ……。 −−続く
メールアドレス
パスワード
※書き込みにはメールアドレスの登録が必要です。
まだアドレスを登録してない方はこちらへ
メールアドレス登録
アドレスとパスワードをブラウザに記憶させる
メッセージを削除する
「連載」一覧
オプション検索
利用者登録
アドレス・ハンドル変更
TOP PAGE