短編 #1237の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
(悦子のやつ、こんなに簡単に死を選ぶとは、予想外だった) 猿島孝典は、己の計画のもたらした行きすぎた結果に戸惑いさえ感じていた。 (あいつのせいでミッキーが死んだときは、そりゃあ、あいつも死んじまえと は思ったが……。今度のことを俺が仕組んだのは、悦子にお灸を据えてやりた かっただけなのに) かわいがっていたハムスターのミッキーを悦子の過失によって亡くして以後、 猿島はハムスターの飼育に対して急速に興味を失っていった。他のハムスター を連れて来ても、全然愛情が湧かない。彼にはミッキーこそが唯一にして最高 のハムスターだった。飼い続けたのは惰性だ。 やがて彼は、ハムスターを飼うのはもうやめようと決心する。ただ、その前 に、もう一度だけ悦子に思い知らせてやりたい。そうでもしないと、ミッキー が浮かばれないではないか。罰を与えたあとなら、悦子とも昔同様に仲よくや っていける気がする。 そんな気を起こした猿島は、出張に行くと嘘をついて、再びハムスターを悦 子に預けた。餌を一日分ずつ小分けし、与える日や時間を細かく指定したメモ を用意した。悦子には、そのメモ通りにハムスターの世話をするようにきつく 命じ、猿島は旅立った。 (毒まで用意したのがいけなかったのか) 煩悶する猿島。 猿島は小分けした餌の五日目の分に、少量の毒を注射しておいた。少量とは 言っても、食したハムスターは簡単に死んでしまう。 ハムスターが死ねば、悦子は半狂乱になって苦しむだろう。そして俺に前回 よりも深く謝罪してくるはずだ。俺は――そのときの気分にもよるが――悦子 を適当にいたぶって、それで手打ちにしよう。猿島の思惑では、段取りは完璧 だった。ミッキー以外のハムスターをかわいく思えなかったからこそ発想でき た、一種悪魔的な計画。 ハムスターを預けてから四日目の朝。理由もなくいらいらしていた猿島は、 ふと、いたずら心を起こした。そしてさほど考えることもなく、実行に移す。 悦子のマンションに電話を入れ、ハムスターの様子を心配げに聞き出すふりを 装い、悦子に持ちかけたのだ。 「今度またハムスターを死なせたら、おまえ、どうする? 死んで詫びを入れ る気、あるか?」 「そんな……死なせることなんて、絶対にない」 気弱な調子であったが言い切った悦子に、猿島は付け入った。 「それなら、遺書を用意しろ。『死なせてしまってごめんなさい。私、命をも って償います』とでも書いておけよ。メモったか?」 悦子からの返事は小さくて聞き取れなかったが、猿島はいらいらが解消され たので、電話を切った。 (真に受けるとは……俺のハムスター熱が冷めたら、いつの間にか悦子の方が 重症になってやがった。くそっ、信じられねえ) 猿島には、悦子が自殺した理由が分かっていた。上沼奈美恵とかいう悦子の 弟の恋人を殺してしまったからなんかじゃ、絶対にない。遺書の文面から言っ て、あれはハムスターが死んだことがきっかけになったんだ。 (大方、弟の光夫が女を殺して、その罪を悦子に着せたに違いない) 真相は容易に知れた。だが、猿島にもやましい点があるため、警察に進言は せず、また光夫本人を問い質すこともできないでいた。 (あの刑事、妙にこだわってたからな。ハムスターの死体が見当たらないのが 気になるって。万が一、ハムスターの死体を警察が見つけて、毒を検出したら、 やばいかもしれない。あの毒は俺だからこそ手に入れられたものなんだからな。 どんな罪になるか知らないが、俺の経歴に傷が付くことだけは間違いない。俺 の方が先にハムスターを見つけて、焼いて処分しちまわないと。悦子、どこに 隠したんだよ?) ハムスターの遺体を求めて、方々を探したが、見つけられないでいた。どこ かの公園の片隅にでも埋められたのだろうか。あるいは、流れの速い川に投げ 込まれたか……。それだけで、探し出すことは困難な気がする。警察ほどの組 織力があるならともかく、個人の力では不可能だ。 (いっそ、光夫に全部おっ被せることができればいいのだが……あいつにあの 毒の入手は無理だ) 猿島は顔を上げた。突然のブザー音に思考を破られたのだ。 「どなた?」 玄関まで走り、ドアにある覗き窓から見通すと、すでに馴染みになった飛井 田刑事の顔があった。 「お休みのところを申し訳ありません。例の件、ちょいとばかし重要な展開を 見せたので、報告しておこうと思いまして」 猿島が招き入れると、飛井田は饒舌に始めた。 「あれは決着していたはずですが」 「いいえ。私にはどうも引っかかるものが残ってまして、捜査を続けておりま した。そしたら、昨日の夜遅くになって、犯人、いや、現時点では容疑者です な。容疑者から自供の一部を引き出せたんです」 「容疑者? 誰です? 私の知っている人物ですか?」 「ええ。悦子さんの弟、北田光夫ですよ」 飛井田の言に、猿島は口を尖らせ、目をしょぼしょぼさせた。確かにそれで 当たりだろうとの思いがある一方で、猿島自身にとっても危険信号が点滅した ような予感も即座に浮かぶ。 「それはまた……どうして」 「順を追って話します。上沼奈美恵さんの死亡推定時刻に、悦子さんはよそで 目撃されていたんですよ。光夫のアパートからは遠く離れた、むしろ自宅マン ションからほど近い川縁を歩いていたんですな。これはどうも、悦子さんには 上沼さんを殺せそうにない。それどころか、言い争っていたというのも怪しい。 そこで、光夫を呼んで話を詳しく聞いたところ、たまに答があやふやになる。 特に事件当日の行動がはっきりしない。で、光夫の手の甲や腕を見ると、かさ ぶたのできた小さな引っ掻き傷がありまして、どうやら女の爪にやられたよう だ。上沼さんの爪を早速調べましたが、犯人が取り去ったらしく、目に着くも のは何もない。より詳しく調べれば光夫の血痕が出るかもしれませんが、そう したところで別の機会に付着したんだろうと言い逃れされる危険もある。そこ で私は、はったりをかましました」 秘密めかして片目を瞑り、声を低める飛井田。流暢だった喋りが、ややゆっ くりになった。 「上沼さんが死んだとき着ていた服に、おまえさんの皮膚が引っかかっていた ぞ、とね。光夫は途端に震え出し、上沼さん殺害を白状しました」 「はあ、そんなことだったんですか」 「……何かご質問は」 両手を広げ、促してくる飛井田。猿島は首を傾げた。 「いっぱいありすぎて、すぐには浮かんできませんね」 「そうですか? いや、あなたなら、真っ先に聞くべきことがあると思ったん だが……」 「何のことです?」 「だって、そうじゃありませんか。上沼さん殺害が光夫の仕業なら、悦子さん の死も自殺ではなく、恐らく光夫に殺されたのだろう。そう考えるのが自然で しょう。なのに、猿島さん。あなたは何も仰らなかった。質問が多すぎたとし たって、これは変だなあ」 「刑事さん。何が言いたいんです」 厳しい表情を作り、断固とした口調で言う猿島。 「私は上沼さんを殺したのが光夫君だと聞いて、動揺したんですよ。恋人の弟 が殺人犯とはね。そこに加えて、光夫君が姉である悦子を殺したなんて、考え る余裕はない」 「そんなもんですかなあ。事件の辻褄が一気に壊れるんですから、当然、悦子 さんも他殺だと考え――」 「刑事さんは人の死に慣れているから、そんなことが言えるんだ。幸か不幸か、 私はそういう環境では育たなかったものでね」 鼻息を荒げて憤然とした猿島に、飛井田は軽く頭を下げた。 「そりゃ、どうも失礼を。ここで退散したいところなんですが、まだ腑に落ち ないことが多々ありまして、猿島さんのご意見を伺いたいんですよ」 「何ですか」 「さっきの続きになるんですがね。光夫は、上沼さん殺害を認めたものの、姉 の悦子さんの死に関しては、何も知らないと言ってます。往生際が悪いとしか 言いようがないほど、強情にね」 そりゃそうだろうと思った猿島だが、無論、声にはしない。 「奴が言うにはですね、上沼さんを誤って殺して動揺し、助けを求めに姉のマ ンションに行ったところ、その姉も首を吊って死んでいた。驚いたが、とっさ にこれを利用することを思い付き、姉の遺体を自分のアパートまで運び、吊し 直したと。なかなか奇抜な説明でしょう」 「奇抜と言うよりも、下手な言い訳だ。嘘をつくのなら、もっとましな――」 「私は嘘だと思ってないんですよ」 猿島はその発言に目を剥き、飛井田の顔を見た。けろりとして、薄笑いを浮 かべている。気味が悪かった。 「だったら、私に意見を求めることないじゃないですか」 不機嫌さで本心を覆い隠し、猿島は刑事から目をそらした。 「まあ、聞いてくださいな。ご意見はそのあとということで……」 飛井田は肩をすくめて苦笑いを返してきた。 「考えるまでもなく、恋人を殺した罪を姉になすりつけるなんて、普通の神経 じゃできません。それに、普段から光夫と悦子さんは仲がよかったそうじゃな いですか」 「……私も、そう聞いてはいましたがね。犯行当時、光夫君は普通の神経じゃ なかったのかもしれないじゃないですか」 「いえ、それはないと思うんですよ。恋人を殺し、次に姉を自殺に見せかけて 殺すなんて、計画的にやろうとしたってできることじゃない。何故なら、上沼 さんが殺された頃、悦子さんは無関係の第三者に目撃されているんです。光夫 が上沼さん殺害後、姉を殺すにはアパートに呼び出すか、自ら姉のマンション に出向く必要があります。どちらにしても、時間的にかなり厳しい。しかも、 遺書を書かせて、自殺に偽装せねばならないから手間も掛かったはず」 「絶対にできない、ということではないでしょう」 「悦子さん目撃の証言を聞けば、その考え方も変わると思います。悦子さんは 死の直前、死んだ鼠のような物を両手に抱き、ふらふらと川縁を歩いていたそ うなんですよ」 「……鼠って、ハムスター?」 惚けたような問い返し方をした猿島。やっぱり川に?という思いがよぎる。 「恐らく。あなたの飼ってらしたハムスターであることは、疑う余地がない。 となるとですね、悦子さんは恋人のあなたから預かった大事なハムスターを死 なせ、ショックのあまり自殺したと考えるべきではないかと思う訳でして」 飛井田の声がお経のように聞こえる。猿島は内心、必死に言い聞かせる。 (落ち着け。ハムスターの死体をわざわざ解剖するはずがない。毒が検出され ない限り、自分は安全圏) 「ハムスターを調べてみたら、興味深いことに毒物が出ました」 猿島の心の動向を読み切ったかのごとく、飛井田が言った。 「な、何故、ハムスターを解剖したんですか? か、かわいそうじゃないか」 「ああ、申し訳ない。飼い主である猿島さんの許可を得るべきでした。ことは 急を要すると判断したんで、お許しを。何故解剖してみる気になったかと言い ますと、悦子さんの部屋で、ハムスターの餌を見つけたのがきっかけでした」 「餌を見つけた? 残ってたんですか?」 「はい。絨毯の縁、それも裏側に隠れるような感じでね。茶色と緑色が混じっ たような俵型の小粒が三つ、ありました。ほら、私、ハムスターの死体が見当 たらないことを気にしてましたでしょう? でね、何となく、その餌を調べて みたんですよ。いや、調べたのは科捜研の連中なんですが。結果、一粒に毒が 含まれていた。ハムスターの死体も解剖したくなるのは道理ってもんです。あ、 ハムスターから出た毒は、餌に混じっていた毒と同じ種類でした。毒は液状に して、餌の内部に、注射器のような物で注入されていたそうです。極小さな針 の穴も見つかっています。餌に毒を塗っても、ハムスターが警戒し、口にしな いことが多いそうですから、そうやって内側に仕込んだんでしょう」 飛井田はおもむろに顎に手を当て、首を傾げた。 「分からないのは、この点なんです。餌は確か、あなたが用意した物でしたよ ね、猿島さん?」 「……ええ」 背中を冷や汗が伝ったような感覚があった。実際は違うかもしれない。 「悦子さんが毒を仕込んだとは思えません。では、彼女の部屋に出入りした誰 かか? たとえば、弟の光夫? しかし彼にしろ別の誰かにしろ、注射針を使 うことを思い付くものでしょうか? ある程度ハムスターに、いや、せめて動 物に詳しくないと無理がある。さらに言えば、そんな点を論じる前に、もっと 重要な事実があります。餌は悦子さんの部屋にあった。注射器で毒を仕込むな んて真似をすれば、悦子さんに気付かれてしまうのは確実だ。犯人が自宅で毒 入りの餌を用意し、すり替えるにしても、そこまで手の込んだことをする必要 性があるでしょうか? そんな可能性を追及するよりも、私はより単純な解釈 を確かめたいと思いましてね。さあ、いよいよ猿島さんのご意見を聞くときが 来た」 刑事がにやりと笑ったようだ。 「あらかじめ伝えておきますと、我々警察は、あなたが四週間ほど前に、鼠駆 除用の薬物を購入した事実を突き止めています。残念なことに、検出された毒 とは違う成分でしたが……恐らく、事前に色々な薬や毒を試し、ハムスターが 躊躇せずに食べる劇物を探したんじゃないかなと思ってます。もうちょっと聞 き込みを重ねれば裏が取れると確信してますから、この点、心配しておりませ ん。さて――猿島さん。あなたが毒を仕込んだのではありませんか?」 猿島の口からは、息だけが漏れ出た。追い詰められたことを否応なしに自覚 させられる。 今になって、鼠の気持ちが再び分かったような気がした。 猫に追われ、部屋の片隅に追い詰められ、いたぶられる鼠の気持ちが。 ――大山鳴動・終
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