短編 #1202の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
当時、あの人は誰?という話題で街は持ち切りだった。 問い掛けの答は、表面的には出ていた。アルバレス夫人であると――。 山の手にできた大きな屋敷。やがて越してきたのは白髪に車椅子の老男性と すらりとしたブロンドのうら若き妻、その他大勢のメイドと忠実なる執事。子 供こそいないものと見えたが、屋敷には裕福で多幸な空気が充満していた。 三ヶ月後、街にアルバレス一家が馴染み、そしてまた、アルバレスの多岐に 渡る事業展開のおかげで街そのものも潤ってきた冬の夜、大火が屋敷を襲った。 厨房に端を発した炎は、瞬く間に屋敷全体を包み込み、赤く燃え上げ、そして 黒へと帰した。 主人のアルバレスとメイドの三分の二が死亡し、執事は落ちてきた屋根の下 敷きになり半身不随に。そして夫人は全身に深い火傷を負ったものの、命は取 り留めた。 アルバレス邸は一ヶ月もしない内に再建された。保険に入っていたこともあ るが、それ以上にアルバレスの財産は巨額であった故だ。火事で焼失した分な ぞ、ほんの一部に過ぎない。 屋敷が建て直されると時を同じくして、未亡人のマルチナ=アルバレスは退 院して戻って来た。顔中に包帯をして。 惨事の記憶が色濃いせいか、生き残ったメイドも全員が辞めてしまい、新た に雇われる人間も極端に少なくなったため、以前よりも屋敷は静かになってい た。執事も半身不随となっては身を引くより他なく、代わって彼の息子のジョ ージ=ラブレーが二代目執事を務めている。無論、執事学校を卒業しており、 経験に劣る以外は父親に匹敵する能力の持ち主だ。 屋敷が静かになった分を補うかのごとく、マルチナ=アルバレスはことさら に明るく振る舞おうとしているようだった。こもりきりになるのが当然と思え たのに、退院直後からちょくちょく中庭に姿を見せたし、回復するにつれて来 客への応対をこなし、事業への指図を下す。ついには自ら買い物に出かけるこ とまでした。 深窓の若夫人から社交的な未亡人へ。 事故前と比べてあまりに著しい変化に、こんな噂が密やかに立つようになっ た。あの人は誰? 包帯の下の顔は、本当にマルチナ=アルバレスなのかい? アルバレス邸にメイドとして雇ってほしいと現れた女性は、ターニャ=ウェ ットソンと名乗った。二十代半ばにして、申し分ない身上書と推薦状を携えて おり、あとは見目が凡庸だったから(この理由は大きい。マルチナ=アルバレ スの顔の火傷は二度と消えぬ深い物であった)即採用となった。 アルバレス邸にはメイド長がいない。メイドの監督者的立場でもあるジョー ジ=ラブレーは、新入りの働きぶりに感心していた。一から教えずとも能力は 高かったし、命じるまでもなく仕事をこなす。しかも、無駄口を叩かないのが 好ましかった。二ヶ月後、マルチナ=アルバレスの体調が一段とよくなるのを 見越し、ラブレー執事はターニャを抜擢、マルチナのそばに置いた。マルチナ も、ほぼ同じ背格好のターニャに親近感を覚えたのか、すんなりと打ち解け、 かわいがるようになった。 「お子さんを?」 「その通り。亡きご主人とマルチナ様との間に」 執事はターニャに重要な話を伝えた。妊娠となると、ラブレー一人では処理 し切れぬことが増え、どうしても女性の力が必要になる。 「生前、不妊にお悩みになっていたご夫妻は、体外受精を考えられた。そのた めに、アルバレス様の精子は取り出され、凍結保存されているのだ。この辺り の専門的なことは医者に任せておくべき領域だ。君は、身篭もられたあとのマ ルチナ様を心身両面から支えるんだ。できるね」 「かつて、他家の奥様のご懐妊に際し、お世話申し上げたことが二度ございま す。マルチナ様のお身体はまったくの健常者と同等という訳ではありません故、 私も経験が活かせず、初めての困難に直面しておろおろすることがあるやもし れませんが、精一杯お世話させていただきます」 彼女の謙遜しつつも自信に溢れた物腰に、ラブレーも意を強くした。 さらに半月後、マルチナ=アルバレスの妊娠のための手術が行われる直前に なって、ターニャ=ウェットソンは姿を消した。アルバレス邸の中はおろか、 街からも。 ときを同じくして、マルチナはそれまでの外科医を首にした。薮医者のおか げでいつまでも改善しないというのが理由だった。 火災から一年が経ち、二年が経とうという頃になっても、噂は街から消えは しなかった。むしろ根付いた感があった。表立って囁かれることはなくなった が、たまに、ふっと思い出したように現れる噂。 「ラブレー」 大きくなったお腹をゆっくりとさすりながら、いまだ包帯をしたままのマル チナ=アルバレスが執事を呼んだ。 ジョージ=ラブレーは、執事にしてはわずかばかり騒々しい足取りで寝室へ と駆けつけた。 「いかなるご用でございましょうか、マルチナ様」 後ろ手に扉を閉めた執事に、ベッドの上の女性は物憂げな、焦れったそうな 口調で言った。 「そのような堅苦しい喋り方はやめて。もう誰にも聞かれてはいないわ」 「さようで」 ベッド脇に腰を下ろすラブレー。スプリングの軋む音は全くなかった。 「誰にも知られず、ここまで無事やってこられたのだから、これからも問題な く過ごせるでしょう」 「それよりも聞いて。子供が産まれたあと、あなたを正式に迎えようと思うの。 いい考えでしょう?」 「それは……世間がどう見ることやら。特に、会社の重鎮連中が」 「大丈夫よ。あなたは二代に渡ってアルバレス家を支えてきたのよ。感謝の意 志を示しても不自然じゃないわ。誰にも文句言わせない」 「いずれにしろ、私が口を挟めることではありません。挟むと、かえって反感 を買うだけで損。あなたに任せますから、よいように取り計らってください」 ……今でも噂は消えていない。 あの人は誰? 包帯の下の顔は、本当にマルチナ=アルバレスなのかい? ――終
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