短編 #1151の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
びゅうびゅうという恐ろしい音をたてながら、相変わらず激しい 勢いで雪が男の体に吹き付けられている。ざっく、ざっくと雪原を 踏みしめながら、男は真っ白な視界の中をやみくもに歩いていく。 「米山!氷川さん!」 男は叫ぶ。何度も、何度も叫び続けてきた名前だ。だが相変わら ず、返事はない。 「寒い……」 自らの両腕で、自らを抱きしめる。体の芯まで冷えきって、歯が がちがちいうのを、止めることができない。 視界不良の中、丘を越え、分厚く雪のコートをまとったエゾマツ の間を抜け、氷ついた川の上を渡り……そしてまた丘を越え、分 厚く雪のコートをまとったエゾマツの間を抜け、氷ついた川の上を 渡り……。 雪山で遭難し、疲弊してくると、方向感覚が失われて同じ所を堂 堂巡りすることがあるのだという。そんな雪山に関する乏しい知識 が、男の頭に思い起こされた。 すでに時間の感覚も、方向感覚も、失われていた。 男は雪山での登山を、なめていたのだ。 * * * − 我々は"円錐"の中でしか動き回れないのだよ。 − − どういうことですか?先生。 − − 垂直方向に時間を、水平方向に空間をとった座標系の中では、 現在の座標を頂点とする倒立した円錐の中でしか、動き回れな いのだよ。まあ簡単にいえば、空間を移動すれば時間もたつ、 ということだ。 − − 先生の研究は、時間は経過しないまま空間を移動する、という ものでしたね。そんなことができるんですか。 − − ああ。例えばおそろしく強力な重力場では、時間の経過が遅く なることくらいは、科学雑誌の記者をしているくらいだから君 も知っているだろう?例えばブラックホールのシュワルツシル ドの壁では、完全に時間が止まってしまう。 − − でもそれでは運動も止まってしまうのではないですか?時間が たたないまま運動する、というのとは違うと思いますが。 − − 時間がたたなくする方法の一つの例を挙げたまでだ。ではもっ と分かりやすい例を挙げよう。ワームホールは知っているだろ う?あれだと入り口と出口の間には時間の差がない。 − − ああ、遠く離れた2つの場所を瞬時に移動する、"宇宙の虫食い 穴"のことですね。 − − そうだ。ここで重要なのは2つの場所が「遠く離れている」と いうことではない。場所を移動しているのに時間が経過してい ない、ということだよ。 − * * * 思えば、あの立て札を無視したのがいけなかったのだろうか、と 男は思う。 「ここより先、遭難の危険あり。」の立て札を見た時、米山は言っ たものだ。 「いいよ。無視、無視。迂回してったら、とんでもなく遠回りに なるぜ。」 その時すでに、ちらほらと雪が舞い始めていた。雲行きも怪しか った。あの時、思い切って引き返す決断をすべきだったのだ。 ……甘かったのだ。 進むに従って、雪の勢いはその猛烈さを増していき、遂には真っ 白な雪の壁に視界が阻まれた。気がつくと、前を行く二人の姿が見 えなくなっていた。 「おい!米山、氷川さん!どこだ!!」 ……返事がない。男は駆け出した。途端に足が深い雪の中にず っぽりと埋まってころんだ。どうしようもないあせりが、男の口を からからに渇かせ、全身から汗が吹き出し、恐怖が喉元を這い登っ てきた。 「米山!氷川さん!!」 * * * − 先生の研究は、完成されたのですか? − − ああ。実験室のレベルではね。我々は直径1メートルの、"時間 が経過しない"空間を作った。もちろん方法は教えないよ。こ れはまだ極秘段階だからね。 我々はその空間にマウスを放った。マウスはその、1メートル の円内に入るやいなや、フッと消えてしまった。 − − ……どうして、消えるんですか? − − 考えてもみたまえ。0秒の間に無限の距離を移動できるのだ よ?つまり無限の速度を持っているわけだ。そんなものが見え ると思うかね? − − マウスは……どうなったんですか?円から出てきて、どこに も変化がなかったんですか。 − − いや、マウスはそこから出てくることはできない。マウスは永 遠に時間軸上の一点にとどまっているが、我々は時間軸上をど んどん未来方向に進んでいく。だからマウスが我々と同じ"時 空間"に出てくることはできないのだよ。 − * * * 男は腕時計をのぞきこむ。 ……8時27分。 何度見ても同じ事だった。時計は壊れてしまっていた。まさかこ の寒さで動かなくなってしまった、というわけではあるまい。おそ らくあの時に壊れてしまったに違いない。 真っ白に舞い続ける雪の中、男は右も左も分からず歩き回ってい た。突然、足元の雪がぼろりとくずれた。男は崖のふちから突き出 した雪庇の上に足を踏み出してしまったのだ。 「わあっ!!」 4メートル近く転がって、岩にぶつかって止まった。危ないとこ ろだった。下方を見やると、急斜面が延々と暗闇に向かって延びて いるのだった。 あれからどのくらいの時間がたったのだろうか。ほんの5分にも 思えるし、10時間もたったようにも思える。右腕がまだずきずき と痛む。 南西に4キロほど行った所に、避難小屋があるはずだ。しかし男 には、もうどちらが南西なのかも、分からなかった。 * * * − 我々は次に、もっと大きな空間を作ることにした。実験室の中 ではなく、普通の土地にね。我々は直径3キロメートルの、"時 間がたたない空間"を作ることに成功したのだよ。でもこっち の方は未完成だ。安定して存在させ続けることができないの だ。 − − 普通の土地に、ですか?そんな事をしてもし誰か入り込んだら どうするんですか。 − − その辺は大丈夫だ。場所は辺鄙な所だよ。北海道の旭岳の山奥 だ。しかも季節は冬。登山コースからも外れている。しかも空 間は安定して存在させ続けることが不可能だから、春が来る頃 には元の普通の空間に戻ってしまうだろう。 − − もし、誰か迷いこんだとしたら……どうなります? − − この空間は閉じているから、絶対に外に出ることはできない。 そうなったら大変だ。 − − 春が来るまで、出られないというわけですか。 − − いや、その人間には春は来ないな。ずっと冬のままだよ。冬の 大雪山といったら、極寒の地だ。永遠に逃れられない、"寒冷地 獄"だね。まあ、もっとも、誰か入り込んだとしたら、の話だ が……。 − * * * 「寝てはだめだ。」 男は重くなるまぶたを必死にこじあけ、ずるずると重い足をひき ずって歩いていく。その足にはもうほとんど感覚がなかった。凍傷 になりかけているのかもしれない。 気をゆるめると、睡魔が容赦なく襲ってきて、心地よい眠りの中 に引きずり込まれそうになる。 あと何時間待てば、朝が来るのだろうか?この雪はいつやむのだ ろうか? ……分からない。 雪の凍りつくような乱舞に巻かれながら、男は丘を登っていく。 この丘を越えれば、今度こそ……。 必死の思いで丘をのぼりきった男の視界に、再び分厚い雪のコート をまとったエゾマツの林が、薄ぼんやりと広がってきた。 <了>
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