短編 #0917の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
あなたが万一、頭を酷使するのがお好きなら、こんな問題はどうだろう? 季節は冬。真夜中の今、あなたは離れにいるとしよう。離れを出て、雨上が りのぬかるんだ地面を南に三十メートルほど歩けば、大きなお屋敷、本館があ る。 あなたは本館に戻りたいのだ−−足跡を残さずに。 離れに役立ちそうな道具はない。ビニールロープがあるにはあるが、三十メ ートルには遠く及ばない。 堂々と歩いて行きながら、足跡を消していけばいいではないかと考えるかも しれない。 それは却下だ。地面に一度足跡を着けると、どんなにうまく消しても人目に 分かってしまう。まあ、大雨が降ってくれれば別だが、ラジオが伝える天気予 報は、今夜から明け方にかけて急速に冷え込み、日の出とともに気温は再び上 昇するとのこと。雨も雪も降りはしないだろうと言っている。 何故、足跡にこだわるのか? そりゃあ、こだわりたくもなる。目の前に死 体が転がっているのだから。 そう、私こと狭山が殺した。 雨が降る中、こっそりと離れに足を運び、絞殺した。自殺に見せかけるべく、 俗に地蔵背負いと呼ばれる担ぎ方をして殺し、ビニールロープを死体の首に回 し、梁からぶら下げた。手術用の薄い手袋をはめているから、指紋がそこらに 付着する心配はない。 ところが大方の仕事を終えて、気が付いた。雨が上がってしまったことに。 言ってしまえば、ここに来て私は非常に困っているのだ。帰りの足跡を残して は、自殺に見せかける計画が水泡に帰すばかりか、己が犯人だという有力な証 拠を残してしまうことになる。 このまま離れで頑張っていても、朝が来れば、確実に家人がやってくる。そ れをやり過ごせれば、どさくさに紛れて脱出できるかもしれないが、あいにく と離れは狭く、隠れるスペースはない。 本館に戻らず、離れの窓を開けて塀を乗り越え、道路側に逃げるのは簡単そ うだ。だが、それだと私は本館からいつの間にか消えたことになり、どう考え ても怪しまれるだろう。何としてでも本館に帰り、あてがわれた部屋のベッド に潜り込まねばならないのだ。 考え始め、最初に私の頭に浮かんだのは、後ろ向きに足跡を着けるという方 法だった。慎重に後ろ向きに歩き、本館まで戻る。そして朝が来れば、誰より も早く起き出し、足跡の上をなるべく重なるように歩き、離れに直行、死体の 発見者となるという計画。 これは、足跡に関してはまあいいのだが、不自然さが否めない。私が早朝か ら藤原−−殺した男に会いに行く用などないのだ。いくら死亡推定時刻が真夜 中であっても、警察は第一発見者の私を疑うだろう。 次に考えた方法は、後ろ向きに歩くのは先ほどと一緒だが、その際、藤原の 靴を履くのだ。これなら離れに戻る必要がない。藤原が離れに向かった足跡が 着いているだけなのだから、警察はきっとこう思うだろう。雨が降っていると き、藤原が離れを出て本館に向かい、何らかの小用を済ませた後、離れに戻っ た。ちょうどその時点で雨は上がっていたのだと。 ところがこの考えにも大きな欠陥があった。靴を離れに戻さなくてはいけな い。せめて藤原が同じ靴を二足、この離れに置いてくれてればよかったんだが、 そんな都合よい状況はもちろんなかった。 その後も知恵を絞ったのだが、妙案はやって来ない。珍案ならいくらでも浮 かんだんだが。 曰く……走り幅跳びよろしく、跳んで、できる限り少ない歩数で本館まで行 く。着けてしまった足跡の上には、木の枝やら石やらを置いてごまかす。 あるいは……離れに火を放ち、大勢の人が集まってきたところで、火事場の 慌ただしさに紛れて脱出する。 さらに……携帯型ドライヤーで地面を乾かしながら歩き、通過した部分には また水を撒いておく。 ついには……雨乞いのためのおまじないをテレフォンサービスで調べよう。 挙げ句の果て……幽霊になったら、足跡を着けずに移動できるのに、なんて ことも真面目に考えた。 そんなつまらん考えさえ浮かばなくなった私は……どうすればいいのだろう? 疲れ切った頭を振りながら、私は窓の外を眺めた。 次の瞬間、私は我が目を疑い、また、神を信じてもいいと思った。 事態収拾に汲々として気付かないでいたが、今夜の冷え込みは相当な物らし い。ふと我に返ると、ぶるっと寒気が来た。 そうなのだ。表を見ると、地面が凍っているのが分かったのだ。 水分をたっぷり含んでぬかるんだ土−−泥は、肌を切るような夜間の冷気に よって固くなっている。これなら上を歩いても、足跡は残らないに違いない。 私は善?は急げとばかり、手早く、藤原の身体を梁から吊し終えると、離れ の玄関ドアを開けた。一気に流れ込んでくる冷たい空気。体温を容赦なく奪う この寒さに、日常生活においては不快な思いをするに違いないが、現在の私に はありがたいぐらいだ。寒ければ寒いほど助かる。 天気予報を信じたがために、こうして馬鹿を見た私が、今また天気予報に、 いや実際の天候に救われるのは、さぞかし滑稽な図だろう。 両腕を胸の前で抱えた私は屈み込んで、恐る恐る、地面に触れてみた。 指先は、地面の固さを感じ取った。 充分だ。これなら歩いても足跡は残らない。 私は確信を得てうなずくと、一旦引き返し、来たときに使った傘を丁寧に折 り畳んだ。それを携帯し、外に出、ドアを慎重に閉める。 一つ、大きく息を吐き、手袋をゆっくりとした所作で脱ぐと、懐にしまった。 そして、静かに一歩を踏み出した。 * * 「不思議ですねえ」 現場を一通り見終わった刑事がつぶやいた。顎に手を当て、首をしきりに捻 っている。 別の一人、やや老け気味のが言う。 「こんな緩い坂で転ぶなんて、どじな野郎だよ。それで頭を打って、あの世行 きとは運がない。哀れだね」 「いえ、私が不思議だと言ったのは、転んだことではなくて、足跡が……」 言いながら、比較的若い刑事は指を動かした。坂を上がりきったところに建 つ離れ、斜面下方に横たわる男の遺体、その向こうに見える大きな屋敷を順に たどっていく。 「足跡がないんですよ。こんなに地面がぬかるんでいるのに、本館からも、離 れからも、狭山の足跡がありません」 「うむ。確かにな」 年輩の刑事もまた顎に手を当てた。 「転んで、坂を滑った痕跡さえない。妙だ」 「気象台に問い合わせたところ、狭山の死亡推定時刻後、この一帯に雨は一滴 も降らなかったそうです」 「考えられるとしたら……雨が降っている間に、坂の中程までやって来て、そ のまま止むのを待つ。止んでから、おもむろに歩き出し、足を滑らせたってこ とか」 「それもおかしいですよ」 異を唱える若い方。 「雨の中でずっと待つこと自体、変ですけど、そもそも狭山の身体はほとんど 濡れていません。傘は遺体から少し離れたところに落ちていましたけど、折り 畳まれた上、きちんと袋に仕舞ってありました。使った形跡がないんです。傘 を使ってなくて、身体も濡れていないからには、狭山が外に出た時点で、雨は 降っていなかったんでしょう」 「そうだな。となると、やっぱり、離れの遺体と関係ありか?」 年輩刑事は離れを見上げた。 「雨の中、離れに行った狭山は、藤原の首吊り死体を見て仰天。離れを飛んで 出た。まさしく飛ぶように走り出たもんだから、坂に足跡を残さず、そのまま 転落死した……」 「それもちょっとおかしいですよ。慌てて離れを飛び出したのなら、傘を乾か し、折り畳む時間がなくなります」 「……かわいくないねー、おまえ」 「だって、事実は事実として……」 年輩刑事が眉を寄せると、若い刑事は口ごもり気味になるも、どうにか抗弁 した。 「内ポケットに押し込んであった手袋も、奇妙ですし……」 腕組みをしていた年輩刑事は、しばらく続いた渋面を解き、不意に柔和にな った。彼に笑顔は、全く似合わない。 気味悪がって身を引いた若い刑事の両肩を掴まえ、猫なで声で告げる。 「仕事熱心で、結構なことだねえ。じゃ、報告書はおまえに任せるからな。知 恵を絞って、辻褄の合うストーリー、こしらえろよ」 「そ、そんなあ」 情けない声を上げて弱る若いのをおいて、年輩刑事は坂を上り始めた。 「−−おっと。こいつはマジで、滑り易いや」 * * やはり、私は気が急いていたのだろう。もしかすると、緩やかな坂を甘く見 ていたのかもしれない。 斜め下に見える本館ばかりに意識が向き、足下への注意がおろそかになって しまった。 あ!と思ったときには、もはや遅かった。私の身体は一本の棒のようになり、 氷結した斜面を転がっていった。ごろごろ、ごろごろと。 そして突然、後頭部に衝撃が−−。 −−終
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