短編 #0208の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
窓の外の世界は光に満ちあふれていた。ボーイング747は真っ青な天蓋の すぐ下を飛んでいる。ぼくは機内食を食べ終え、白くかなたへ広がる雲の平原 を飽きずに眺めていた。 「ねえ、煙草持ってない?」 隣に座っていた黒人の少年が僕にそう訊ねてきた。少年はどこから見ても十 才ぐらいにしか見えなかった。僕がうろんそうに見つめると、少年は不快な表 情をあらわにした。 「喫煙席に座ってるんだから、煙草、持ってるんだろ」 その通りだった。けれども僕は、どうかな、という風に肩をすかしてみせ た。 「一本でいいんだよ、頼むよ」 あきらめてジャケットの内ポケットからマルボロの箱を取り出すと、少年は それを見て現金に微笑んだ。 「マルボロでいいかい?」 と僕が一応訊くと、彼はアリガトと言って僕が差し出した箱の中から煙草を 一本引き抜いた。彼はそれを口にくわえ、ジーンズのポケットから銀色のジッ ポライターを取り出し、なれた手つきでクールに火をつけた。少年は最初の煙 を勢いよく吸い込んだが、すぐに、ゴホッゴホッとむせ返した。彼の黒い瞳― ―それは本当に黒かった――には涙が浮かび、苦しそうに咳き込むので、僕は 少年の背中をさすってやった。 「煙草は二年ぶりなんだ」 少年はそう言って苦笑した。 「二年ぶり?」 「そう。ずっと禁煙してたんだけどさ、そろそろエンディングのサンフランシ スコだからね」 「エンディング?」 僕は少年の言葉を理解することができずそう訊ね返したが、彼は僕を無視し てあたりを見回しはじめた。いないなぁ、と彼はつぶやき、肘掛けの先端につ いている小さな灰皿に煙草を押し入れた。煙草は少しの間くすぶって、やがて 立ち消えた。 「ねえ、裏技教えてあげようか。これ知ってる人はあまりいないよ」 「裏技?」 「そう、裏技」 「何の?」 どうやら僕は彼に質問をしてばかりいるようだった。 「決まってるじゃないか。まあ、いいや、見てな」 彼はゆっくりと三回深呼吸して、まぶたをそっと閉じた。それは不可解な儀 式の始まりだった。てのひらを天に向けて膝の上に置いた。少年のてのひら は、全体の黒い肌と黒い瞳からは想像もできないほどにピンク色だった。彼は じっと呼吸を整えているようだった。一分が過ぎただろうか。少年は前の座席 のサイドを突然両手でわしづかみにし、数を数えながら頭を力一杯そこに叩き つけた。1、2、3、4、5、ととてつもない大声で叫びながら。頭が座席に 当たるたびに、ごんっ、ごんっ、と痛々しい音が響いた。 不思議と周囲の乗客は彼の奇行に少しの感心も示さなかった。 少年の黒い肌が一瞬鮮やかな緑色に光った。すると、どうだ! 少年の生命 が三つに増えた。僕は、驚き怯えて口の中がカラカラに渇き、グラスの水を一 気に飲み干した。少年は目を開いて心地よさそうな笑みを浮かべ、僕を見てい る。 「エキストラ・ライフさ。すごいだろ」 僕は言葉がなかった。 「これをやるにはね、レベルが八〇以上になってなきゃいけないし、カルマも たくさん貯めとかなきゃ」少年の声は突然ささやきに変わった。「それとね、 これも必要なんだ」 彼は白無地のTシャツの中に隠していたペンダントを人目から避けるように して注意深く取り出し、僕だけにそっと見せてくれた。それは賢者の水晶だっ た。正真正銘のKマート製だ。僕が感心してそれを手にとり眺めていると、彼 は不意と何かに気付いたように身構え、ペンダントをTシャツの中にあわてて しまい込んだ。僕は周囲を見渡し、どうしたんだいと小声で問いかけた。少年 は神妙な顔つきで、しーっ、と僕を制した。 「ほら、あそこのぶすなスチュワーデスだよ」 スチュワーデスがひとり前方から僕らの方に向かって通路を歩いてきてい た。確かにぶさいくなスチュワーデスだった。彼女は北欧系の金髪女性で、ス タイルは優れているのだが、うわっなんだこいつ! と見たものが思わずうな ってしまうほどにぶさいくな顔つきをしていた。髪型も、額も、眉も、目も、 鼻も口も、ひとつひとつを取ってみればおそらくそんなにおかしなところなど なにもないのに、それらの部分が合わさり織りなす顔全体の雰囲気は、まるで 立体派の売れない画家が宴席で興じた福笑いのようで、どこか物哀しく悲劇的 に感じられた。 少年は身を隠すようにして前の座席にかがみこみ、スチュワーデスの様子を じっと伺っている。僕は息を殺して、少年と少年の視線の行き先を交互に見や った。彼は親指の爪を噛みながら首をわずかだが上下に揺らしていた。タイミ ングを計っているようだった。座席三つ分というところまでスチュワーデスが 近づくと、少年は、そこだ、とつぶやいた。その瞬間、ぶさいくなスチュワー デスの足はもつれ、よろめき倒れそうになった。少年の唇がにやりとほころん だ。彼女はすぐに体勢を立て直し、苦笑を呈しながらふたたび歩を進めた。 「やっぱりそうだよ」 と彼は言って僕に目配せした。 「ちょっと、そこのスチュワーデスさん、あれ、持ってきてよ」 そのぶさいくなスチュワーデスは少年の言葉にうなずき、無機質な笑みを顔 にたたえてきびすを返し、控え室へと入っていった。少年は興奮に体を震わせ ていた。満足そうに、やったやったとつぶやいている。彼は僕に握手を求めて きた。事情のつかめぬまま僕はしぶしぶそれに応じてやった。 「京王ホテルのベルボーイが言ってたとおりだ」 「何だい、そのベルボーイって?」 「ちょっとね、へへ」 スチュワーデスが小さな硬質の棒切れのようなものを持って戻ってきた。彼 女が差し出すより早く少年はその棒切れをひったくった。そして彼はそれを頭 上にかかげ蛍光燈の光に透かすようにして仔細に眺めはじめた。スチュワーデ スは無感動に帰っていった。 それは、キーホルダーのようだった。キーホルダー……。まさか! 僕はそ れに顔を近づけて目を凝らした。青い半透明のアクリル製で、長さは八センチ メートルほど。シャープペンシルの芯のケースを拡大したような形をしてい て、一端には銀色のチェーンが繋がっている。よく見てみなければ、西伊豆の 土産屋にでも売っているごく普通のキーホルダーと間違えてしまいそうだっ た。しかしそれはまぎれもなく、勇者のキーホルダーだった。その証拠に、 リーボックのロゴマークが白抜きに刻印されてある。話には聴いたことがあっ たが、実物を目の前に見るの初めてだった。 「あんたもひとつもらっといた方がいいだろ」 僕が口をぽかんとだらしなく開けて勇者のしるしに見とれていると、少年が そう忠告してくれた。 「それは誰にでもくれるものなのかい?」 「そのはずだよ」 「それは助かる」 僕は例のぶさいくなスチュワーデスの姿を捜した。彼女は見あたらなかっ た。 「ところで、あのスチュワーデスはいったい誰なんだ?」 「ああ、隠れキャラだよ。この飛行機に乗ってれば現れるって昨日泊まった京 王ホテルのベルボーイが教えてくれたんだ」 最近はいろんなところでいろんな情報が手に入る。 僕はもう一度機内を見回してみた。やっぱり彼女はいなかった。 「いなくなったみたいだ」 「心配しなくたってまた来てくれるさ」 そう言った少年は正しかった。すっかり冷めてしまったコーヒーを飲みなが ら待っていると十分ほどして彼女はふたたび通路にその姿を現した。 「すいません」 僕は大声で彼女を呼び止めた。 「どうかなさいましたか?」 「ええ。あ、えっと、あの、あれ、いただけます?」 「かしこまりました」 僕の膝は小刻みに揺れ、てのひらと腋の下は脂汗で湿りはじめた。輝かしい 予感に急かされ心臓はその鼓動を早めた。少年は僕のそんな興奮を知ってか僕 の肩をぽんとやさしく叩いた。僕は精一杯の笑みで少年に応えた。 「お待たせしました」 スチュワーデスがやってきた。しかし彼女が手にしていたものは、キーホル ダーではなかった。コーヒーポットだった。何かの間違いだろう。僕は思い切 り強くまぶたを閉じた。ポットの中にしるしは入っているのだ。そう願い、三 秒待ってふたたび目を開けた。スチュワーデスは僕のカップに純然たる、ただ の、コーヒーを注いでいる。僕は彼女をにらみつけた。とにかく腹立たしかっ た。彼女のぶさいくな顔の造りが僕を必要以上にいらいらさせた。しかも少年 は声を殺して笑っている! 僕が失望のため息に仕方なく沈むと、スチュワー デスがこう言って僕を慰めた。 「ミルクはいかがしますか?」 つまり、そういうことだ。 ☆ バッゲージクレイムのベルトコンベアーに自分の荷物が現れるのを僕は煙草 をふかしながら気長に待っていた。例の少年はすぐとなりに腰掛けている。よ ほど心配なのだろう、彼は何度もジーンズのポケットを触ってそこにキーホル ダーが収まっていることを確かめていた。僕ができるだけ平静を装い紫煙をく ゆらせながら少年をちらりと見やると、彼は口をすぼめ、これでも悪かったと 思ってるんだぜ、といった感じの瞳で僕を見つめかえす。 「そんなに落ち込むなよ。騙すつもりはなかったんだ。あんたがあんなに興奮 するとは思わなかったし」 「……君と僕とでは、何が違うんだろう?」 それは質問ではなかった。問いかけですらなかった。疑問という形を借りた 自己弁護だった。自分を慰めるささやかな試み。僕は少年からの答えを期待し ていなかった。分かりきったことだからだ。客観的推測に基づいた主観的事 実。僕の知らないことを、彼は知っている。僕には知らされていないことを、 彼は知っている。それだけのことだ。 ――しかし少年は応えた。 「おいらはね、プログラマーと知り合いなんだ」 つまりこういうことだ。 「君のいうプログラマーというのは、神のことだろう」 「神?」 その言葉が僕の口から出てきたことに少年はひどく驚いた様子だった。「小 学校で習わなかったのか。サンタクロースといっしょさ。神なんてイマジネー ションだよ。イリュージョンさ。プログラマーはね、もっとソリッドでリアル なんだ。ある意味では実在してるんだ」 「そのプログラマーのことを世間じゃ神って呼んでるんだ。君も中学校に入っ たら習う」 いや、もしかしたら、僕が小学校で習った知識がもう古いのかもしれない。 なにせ、中学校の地理の教科書ですら、ソ連は世界第二位の工業国ですと書か れていたのだから。 「……」それでも少年は言葉を探しているようだった。しばらくしてあきらめ たのか口をすぼめ肩をすくめた。「……そうかもしれないけどね」 だからといって、それがプログラマーだろうと、神だろうと、ネーミングの 問題であって、結局はどうでもいい話だった。 少年は不満気だったが、ゆっくりと起き上がった。自分の荷物をコンベアー に見つけたようだった。彼は大きな黒いボストンバッグと派手な水玉模様のバ ックパックを取り上げた。 「それじゃ、おいらは行くよ」 「気をつけてな」 彼はボストンバックとバックパックをカートに載せ、去っていった。小さな 背中と細長い足が妙に印象的だった。 二十メートルほど歩いて少年は振り返り、僕に向かって叫んだ。 「やっぱり、プログラマーと神は違うんだ。おいらはプログラマーと知り合い だから、おいらには分かるんだ」 「分かったから行けよ」 どちらにせよ、彼は選ばれ、僕は選ばれていない、そういうことだ。僕は冗 談で中指を彼に向けて突き立てた。それほど冗談ではなかったかもしれない。 彼は微笑みながらピースサインを僕に送ってきびすを返し、入国審査の列の中 に消えていった。 ☆ ところで―― その後少年とは会っていない。彼は、エンディングを無事に迎えたのだろう か。
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