長編 #5341の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
「ついでに、持って行っとこうか」 釣島香苗からそう声を掛けられ、今日の日番は喜色満面で振り返った。 「いいの?」 「職員室に行く用事があるから」 「ほんと? じゃ、これ、お願いね。急いでるんだ。委員長、感謝してるっ」 日誌帳と教室の鍵を押し付けるようにして釣島に渡すと、片手拝みをしなが ら走り去る。一足先に教室を出た友人の名を呼びながら、慌ただしい足音が廊 下に響いた。 「よほど急いでたのね」 つぶやくと、釣島は一人、クラスに残り、夕焼けの光が射し込む中、机に向 かった。少しだけ残していたアンケートの集計を全部片付け、荷物を手早く鞄 に仕舞い込むと、音もなく立ち上がる。急ぐ必要はない、静かに教室を出る。 誰ともすれ違うことなく、廊下や階段を行く。何度か角を曲がって、職員室 に着いた。 「失礼します」 明瞭な声音とともに扉を開け、お辞儀をする釣島。まず、鍵を所定の位置に 返し、それから担任教師の机へ足を運んだ。 「先生。よろしいですか」 「ああ、釣島か」 薄いが、文字のぎっしり詰まった本から目を起こすと、担任は左手をぐいと 突き出した。 「こっちが、アンケートをまとめたものです」 本来の仕事である方から渡す釣島。担任が大雑把に目を通すのを待って、日 誌帳を机の上に置いた。 「それから、日誌帳です。金森さんが急ぎの用事があったので、代わりに持っ て来ました」 「おお、そうか。ご苦労だったな。集計の方もきちんとできてるようだし、釣 島に任せておけば安心だな」 「それじゃ、失礼します」 軽く会釈して下がろうとした釣島を、担任は呼び止めた。椅子に座ったまま、 手招きする。 「成績のことなんだが。この間の実力テスト、珍しく数学が悪かったな」 悪いと言っても、八十九点。この春に高校入学して以来、ずっと九十点以上 をキープしてきた科目が、一点割っただけで、先生には気になるものらしい。 「テストの前日に、気になることがあって、勉強が少し足りませんでした」 「いや、別にそんな、すまなそうな顔をしなくてもいいんだ。代わりに、国語 が満点だったんだしな。大したものだ、実力テストの国語で満点とは」 呼び止めておいて、何を言いたいのかよく分からない話が続く。釣島は辛抱 強く待った。 「それで釣島は、将来のことを、もう考えているのか?」 やっと本題らしき話に入った先生は、煙草をくわえ、ライターを左手に取っ た。 「まさか、先生。一年生です、私」 ちょっぴり、相好を崩し、砕けた調子になる。愛想のいい笑みがゆっくり広 がった。先生まで、つられたように笑う。 「それもそうだろうな。いや、決めてないのなら、進学コースで、大きなとこ ろを狙ってみないかと思ってな、ことのついでに聞いてみたんだよ」 火を着け、煙草を吹かす担任。 「うちの学校は二年次から、クラス分けを始めるのは知ってるよな?」 「は、はい」 釣島が身体を先生から少し遠ざけたかと思うと、頬の筋肉が引きつけを起こ したように動く。固く握りしめた手が、小刻みに震えた。ごく些細な動きのた め、先生は気付かないでいる。 釣島は、両腕を重ね、擦り合わせるような動作をした。震えが収まる。 「今の段階で、どんな希望を持っているのか、聞かせてくれたら、こちらとし ても有効な指導ができる。考えをまとめておいてくれないかな」 「は、はい」 先と同じ返事をする釣島。まだ震えは、完全には収まっていないようだ。交 互に腕をさする。 「よし、行っていいぞ。本当に、ご苦労だったな」 煙草を灰皿に押し付けると同時に、担任がそう告げた。釣島は角度の深いお 辞儀を無言ですると、入ってきたときの倍ほどのスピードで、退出していった。 高く、大きな塔だった。 定められた通学路から外れて、二本、隣の通りにあるそれは、だから、登下 校の度に、香苗の目に留まる。 塔の先には、鐘があった。一見、重々しそうな色合いと大きさをしているよ うだが、音色は澄んでいた。この町に来てから、鐘の音が時間を知らせるのを 何度も聞いた。最初は驚いたが、今では慣れて、心地がよい。 そばまで行ったことはなかった。でも、塔のすぐ脇にある落ち着いただいだ い色をした屋根の建物が、十字架を頂いているので、教会なんだろうなと見当 はつく。 (……こっち) 分岐点で立ち止まり、迷っていた香苗だったが、結局、いつもと違う道を選 んだ。 あの塔や建物が教会なのかどうか。今日の香苗は、何故か確かめてみようと いう気になった。教会を目の当たりにすれば、気分が少しでも落ち着く……と、 心のどこかで期待していたのかもしれない。 同じ町内とは言え、知らない道を行くのはちょっとどきどきする。見るもの 感じるものが、どれも新しい。初めての風景が、新鮮だ。 ほどなくして、塔の根元近くまで来た。無論、敷地の中にあるから、勝手に 入れない。生垣が巡らしてあるので、覗けないことはないのだが、じろじろ見 るのはためらわれる。 季節柄いくらか元気をなくした緑を横に、周囲をゆっくりと歩いてみた。オ レンジ屋根の建物の前に、門があって、そこに**キリスト教会と記してあっ た。これで当初の目的は、ひとまず達成。 しかし、すぐ離れる気にはなれなかった。もうしばらく歩を進め、ちらちら 目を配っていると、仕舞い込んであるクリスマスツリーだろうか、緑色をした 大きな鉢植えのような物が見えた。足を止め、香苗は生垣の上に手を置いた。 さすが教会と言っていいものか、大きなツリーだった。 (いいなあ。昔は、私達の家でも、ツリーを囲んで……あんな大きくはなかっ たけれど、大勢で、楽しかった) 知らず、うつむく香苗。 (ああ、今年のクリスマスは、昔と同じ気分を味わえるかな……) 「どうかしましたか?」 物腰柔らかな男性の声にはっとして、香苗が顔を起こした。 返事を迷って遅らせる内に、生垣越しに相手が近付いてくる。きれいに丸く 刈り込まれた生垣の縁に、節くれ立った小枝のような手が置かれた。 「いきなり話し掛けて、驚かせてしまいましたか。とても心配げな顔をなさっ ているように見えたものだから、つい放っておけなくて」 声のおかげで、香苗は初対面の人に、親しみを覚えて、表情を和らげた。 この男の人が、教会の関係者だと分かっているだけではない。変わらぬ物腰 は、相手を安心させる力を秘めているよう。額のしわと鷲鼻の目立つ顔は一見、 恐くて頑固そうだが、よくよく見れば、瞳に優しい感じが灯っている。 「初めまして」 香苗は深呼吸と同時に、挨拶をした。前に手を揃えて頭を下げ、一定時間、 溜を取ってからまた起こす。 すると相手も、丁寧なお辞儀を返してきた。男性は、荻崎宗佑と名乗った。 香苗の思った通り、神父として仕えているという。 「あなたは……応和学園の生徒さんですね」 制服から判断したのだろう、荻崎は言った。香苗が肯定の返事をすると、重 ねて「教会は、初めてですか」と尋ねてきた。脈絡があるようなないような。 「はい……キリスト教じゃないし、敷居が高い感じがして」 「ははは、敷居が高いとはいいですね。しかし、それは誤解というものです。 応和学園の生徒さんの中にも、礼拝に見られる方がたくさんいるのですよ」 「そうですか」 香苗の物腰が、いくらか素っ気なくなる。彼女は、神や宗教といったものを、 “あまり”信じていない。 にもかかわらず、教会の前で足を止めたのには、もちろん理由があった。 「あの、神父さん。あ、神父様?」 「名前で結構ですよ。荻崎と呼んでください」 話しやすい雰囲気に、香苗は切り出し方をあれやこれやと考え、やがて意を 決して口を開いた。 「荻崎さん。私達みたいに普段はキリスト教に関心がなくて、クリスマスだけ を祝う人を、どう思われますか?」 「それでかまわないと思っています」 よく聞かれる問いなのだろうか、即答する荻崎。機嫌を損ねた風もなく、表 情は穏やかだ。 「毎日欠かさず、信仰を捧げていただきたいのは、言うまでもありません。で すが、神とは――キリスト教に限った話だけではなく、およそ全ての宗教にお いて、神とは、人々が必要とするときにこそ、手を差し伸べるものだと思うの ですよ。信仰の厚い人も、得手勝手な人も救う。だから……クリスマスを祝い たい方は、そのようにされればいいのでしょう。どうです?」 「あ――」 香苗はまさか問い返されるとは予期しておらず、返事に詰まる。五秒ほど過 ぎて、至極当たり前の答を言った。 「そう思います」 言ってから、後悔とともに恥ずかしくなる。つまらないことを聞いた上に、 子供じみた返事をしてしまった。これではどうしても、顔を伏せがちにしてし まう。失敗とも言えないような些細な失敗が、香苗にはひどく重荷に感じられ た。学校でも家庭でもいい子で通っているせいかもしれない。 そのとき、神父が呟くように言った。ほっとしたため息とともに。 「よかった。賛同を得られて」 面を起こして、荻崎の様子を見る香苗。柔和な表情が、笑い皺をさらに深く して、にこにこしていた。香苗は、何故だか知らないけれど、気恥ずかしさが 消えていくのを自覚した。 「幸せを感じます。宗教の教えという観点からは、自信があるとかないなどと いうことは言ってはいかんのでしょうが、あなたのような若い方と通じ合えた と感じたときは、やはり嬉しくなるものです。――そうだ、二十五日にここで ミサがあるのですが、よろしかったら一緒に祝ってみませんか」 「……神父様」 無意識の内に、最初の呼び方に戻していた。荻崎は聞き咎める風でもなく、 無言で軽くうなずき、香苗に先を促す。 「ありがとうございます。あの、それじゃあ、私達三人で、クリスマスに、教 会へ来てもかまいませんか?」 「――もちろん、かまいません」 ちょっと目を大きくして、荻崎は気さくに請け負った。そして右の手の平を 香苗に向けて、人差し指を立てる。 「一つだけ、尋ねてもいいかい」 「はい、何でしょう?」 「今、『私達三人』と仰いましたね。あとの二人は、あなたにとってどのよう な方です? 差し支えなければ、話してください」 「妹なんです」 神父の当然の質問に、元気のよい返事が、香苗の口から自然に出た。普段、 学校の友達には隠していることなのに、この会ったばかりの神父には、何故か すんなり話せる。 「事情があって、小さい頃、別々になってしまって。最初の妹とは連絡取れた んですけど、下の子はどこへ行ったのか分からなくなっていました。それが、 今年になって、分かったんです!」 「それはよかった」 我がことのように、嬉しそうに目を細める神父。香苗も呼応したみたいに嬉 しさを増して、はつらつと話を続けた。 「三人で行きたいと言ったのは、二人の妹の誕生日にも関係しているんです」 「ほう。ということは、妹さん達はクリスマスにちなんだ生まれですか」 なかなか察しのよい荻崎。香苗が大きくうなずくと、神父は口をOの字に開 けた。どこかしら、羨むような笑みを浮かべ、 「素晴らしい。過去に何があったかは存じないけれど、これから先の将来、二 人の妹さんは神の祝福を身体いっぱいに受け、幸福な道を歩まれることでしょ うね。私はそう信じて疑いません」 「私も同じ思いです。ありがとうございます」 香苗が礼を言った直後、神父は「おっと、いけない」とつぶやき、思い出し たように付け加えた。 「もちろん、その二人の姉であるあなたにも、幸福が待っているはずですよ」 「私は……別にいいんです。葵や柚花が幸せだったら。それが自分の幸せにつ ながるような気がする」 「優しい子ですね、あなたは。妹想いで」 「これくらい、姉として、当然だと思ってますけど」 「当然のことが難しい場合もあります。時代が移れば、特に。――それから、 老婆心から一つだけ忠告を。優しいのはいいけれど、強がりはほどほどにして おくのが、自分のためにもよろしいですよ」 ――続く
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