長編 #5339の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
なんとさもしいことか。 客観的な視点から、男は思う。 真紅の衣装を身に纏い、道行く人に愛想を振りまく男を見ながら。 つい数時間前まで、クリスマスに浮かれる街と人々とを忌々しく見ていた男が いる。 そして浮かれた街と一体化し、乱痴気騒ぎの片棒を担ぐ、サンタクロース姿の 男がいる。 しかしどちらも尾崎聖司(おざきせいじ)の名を持つ、同じ男であった。 どれほど世を妬み、拗ねてみても、ただそれだけでは生きていけない。嫌いな がらもその世の中に迎合する素振りを見せ、片隅で生きていく以外手段はない。 それが完全な悪党に成りきれない男が、二年余りの懲役の後に見出した答えであっ た。 サンタクロースに扮し、街を行く人々へレストランのチラシを配る。それが男 の仕事であった。 満足はしていない。特に何がある訳でもないのに、楽しげな、幸せそうな顔を する他人。見ているだけで反吐が出そうだ。しかしながら、男とて働かなければ 飯にありつけない。ましてこのご時世、前科持ちともなれば仕事を選べるほどに、 世の中は優しくない。期間限定ではあったが、ようやく見つけたアルバイトであ る。クリスマス当日までは己の感情は押し殺し、無難にこなそうと決めていた。 浮かれた雰囲気に加え、自分のミスとはいえ遅刻をオーナーに咎められたこと が、聖司の感情をより尖らせていた。もしいまが仕事中ではなく、普段の彼であっ たなら、些細なきっかけで誰かに喧嘩を仕掛けても不思議でない。そしてまた刑 務所へと逆戻りになっていたかも知れない。 聖司にとって最も幸いだったのは、彼自身が内心酷く嫌っているサンタクロー スの扮装だった。真っ赤な衣装加え、頭の大半を被う帽子。そして顔のほとんど を隠す白い髭。彼を多少見知った者がこの場を通り掛っても、気がつくことはな いだろう。 ここでチラシを配っているのは、尾崎聖司ではない。 誰でも扮装、変装をすることによって、少なからず自分とは別の人格が表面に 出ることがある。もちろんそれは多重人格などではなく、単に気分が変わるだけ。 中身までが本当に別人となる訳ではない。 けれど赤面するほどに馬鹿馬鹿しい扮装によって、男は尾崎聖司とチラシを配 るサンタクロースとを切り離した別の人格として分かつことに成功していた。 よくやるよ、こいつは。 本物の馬鹿だ。 見る者の十人が十人、傷害沙汰で前科があるとはとても思わないだろう笑顔を 振りまくサンタクロースがいる。それを侮蔑を込め傍観する男がいる。一人の男 の二つの姿、視点。それがふいに、一つへと戻る。 「どうもありがとう」 嬉しそうな声。傍観者、尾崎聖司の嫌う子どもの声だった。 こんな格好をしているのだ。子どもが近寄って来るのは珍しくもない。むしろ チラシに同梱された、安物のキャンディは子連れの家族を狙った店の戦略を如実 に現している。チラシ、正しくはキャンディを欲しがって、子どもが近寄って来 るのはごく当然であった。 手元だけを見て、顔は極力見ないようにする。それが子ども嫌いの聖司が子ど もを相手にしたこのアルバイトの中で学んだコツである。まともに顔見てしまえ ば、露骨に表情へと出てしまうかも知れない。いくら素顔を隠してはいても、仕 事としては不都合であると思っていた。 しかし意識するより先に、身体が動いてしまった。いや、動いた、というほど に大仰なものではない。ほんの少し頭を動かし、チラシを受け取った手の持ち主 の顔を見ただけなのだから。 「どうもありがとう、サンタさん」 微笑む小さな顔。 小さな唇から再度生まれる、お礼の言葉。 その声に、聖司は背中の毛の逆立つ思いがした。 聖司の嫌う、幼い声のため。いや、そればかりではない。 微笑みながらも、どこか寂しげな声。いつかどこかで聞いたことのあるような 声。 サンタクロースに扮した聖司のそんな思いを、少女が知る由もない。寂しげな 微笑を見せた瞳は、その手に握られたキャンディ入りのチラシへと落とされる。 「………学校は………」 そんな呟きが、一度は離れた瞳を聖司へと戻させた。 「えっ?」 「学校はどうしたんだ……どうしたんだい」 口にした質問は、聖司にとってどうでもいいことであった。が、目の前の少女 は幼いとはいえ、そろそろ就学していておかしくない年頃である。平日のこの時 間、しかも保護者もなく一人でいるのは不自然に思えたのだ。 「………………」 少女は何も応えない。 わずかな時間、無言のまま少女と聖司は見つめあうとこになった。 先に目を逸らしたのは、聖司のほうだった。 「まあ、いろいろあるわ、な」 どこか寂しげな瞳。 今時の子どもにしては、あまり恵まれていそうにない服装と持ち物。なにやら 訳ありだろうと、容易に想像がつく。 あるいは聖司自身、恵まれない少年時代を過ごしたこともあるのだろうか。嫌っ ている子ども相手にでも、不要な詮索、同情がどれだけ無慈悲であるのか承知し ていた。それが彼なりの思いやりであるとは、聖司自身気づいてはいなかったが。 「またくるね、サンタさん」 目を逸らしていたため、その表情を見て取ることは出来なかった。けれど、今 度は本当に嬉しそうな声に聞こえた。その声に、聖司が視線を戻したとき、その 目に映ったのは元気に走り去る少女の後ろ姿だった。 はあはあと、はずむ息。 あの公園へと戻って、柚花は足を止めた。膝に手を充て、身体を折り曲げる。 長い髪が、地に向かって真っ直ぐと伸びた。 力いっぱいに走って来たため、息は大きく乱れていた。けれど若い、いや正し くは幼い身体が乱れた息を整えるのに、さほど時間を必要とはしない。 息が整うのを待って、柚花は身体を起こした。 そしてしっかりと握り締めていた小さなこぶしを開く。しわくちゃになったチ ラシが、がさがさと音を立てる。しわの中央には、小さな赤い玉。一粒のキャン ディがあった。赤い包装紙に白いごま粒のような模様が施されていることから、 キャンディはイチゴ味であるらしい。 慎重な手つきでチラシからキャンディを外す。かじかんだ指先が思うように動 かず、もどかしい。 安っぽい包装のキャンディではあったが、少女にとっては宝石にも等しく、い やそれ以上の価値を持っていた。幼い指先は、玉を珠へと変える。 ふいに明るくなったような気がして、柚花は顔を上げた。 気のせいではなかった。 あれほど厚く重く天を覆っていた雲の隙間から、陽の光が射し込んでいたのだ。 まるで、おひめさまのドレスみたい。 折り重なり、射し込む陽光を見ながら柚花は思った。 その光に向かい、少女は手にした珠をかざす。薄い包装を通して、中のキャン ディが光を反射させた。決して、美しい輝きと言えるものではない。けれど、そ れは少女を充分に満足させてくれたらしい。 雲が再び空を覆い尽くすまでのわずかな時間、その輝きを楽しんだ。それから 大切そうに、キャンディをスタジアムジャンバーのポケットへとしまう。 「ほんとうに、いたんだ」 呟いた柚花の手には、しわだらけのチラシ。しかし柚花が見ているものは、少 ない知識の中では何物であるのかさえ想像のつかない、クリスマス・メニューで はなかった。その下に描かれた、お世辞にも上手とは言い難いサンタクロースの イラストだった。 幼い柚花であったが、これほど情報の氾濫した社会に生きる子どもである。い くらクリスマス時期だけ、マスメディアや周囲の大人たちが夢を与えようと試み たところで、サンタクロースは実在しないと薄々気がついていた。また、幼い夢 を保ち続ける家庭環境でなかったことも、拍車を掛けていたのかも知れない。 それなのに、いやそれだからこそ、なのだろうか。 とにかく、柚花は聖司の扮したサンタクロースだと信じてしまった。 レジで温めてもらったとはいえ、この寒さである。コンビニエンスストアから 近くはない帰り道を行くうち、すっかり冷めてしまった。いやわずかに、半端に 温もりは残っている。 聖司はテープも取らず、弁当の蓋を引き剥がした。蓋は半分に割れ、片方は反 抗的に容器へと残る。結局聖司は残った蓋を外すために、テープを剥がすことに なった。 思いがけず、たかが蓋を外すのに手間取ったぶん、割り箸は慎重に割る。が、 またそれが裏目となったか、箸は実に不器用な形で二つに分かれた。 決して上等とは言い難い夕食が、食べる前からなお一層憂鬱になってしまう。 苛立ちのあまり、容器ごと弁当を投げ出しそうになるのを堪え、最初の一口を口 へ運んだ。 『新鮮、北海道産サケ使用』『特選コシヒカリ』等と素材の良さを謳い、あるい は頻繁にテレビ出演する料理人のプロデュースであると強調し、販売される弁当。 聖司の手にした弁当も、それらの一つであった。が、テレビCMとは照明の違い を差し引いて見ても、同じものとは思い難い。口にしてみれば、コマーシャルが いかに誇張してなされているかを強烈に感じる。 しかしいまの聖司であれば、どれほど高級な食材をふんだんに使った料理でも 美味いとは思わなかっただろう。実際のところ、聖司は食している弁当が美味く ないことなど、さして気にしてはいなかった。 習慣として、ただ弁当を口に運んでいるだけ。それがいまの状態だった。喉の 通りの悪い弁当を、これもまた人肌以下に冷めた缶入りの緑茶で流し込む。 「くそっ、忌々しい」 食べ終わった弁当の容器と缶とを詰めたコンビニ袋を、ゴミ箱へ強く投げ込む。 が、袋は壁に当たり、プラスチック特有の音を残し、ゴミ箱を大きく外れた。 日常的に気の荒れている聖司だったが、今日は一段と荒んでいた。 『どうもありがとう、サンタさん』 傷痕を覆う、かさぶたのようにしつこく残った少女の声。 昼間出会った少女の寂しげな瞳が、なぜか腹立たしかった。それを気に掛けて いる自分に苛立った。 怒りが沸々と湧き上がる。とにかく何かを破壊したい衝動に駆られ、部屋を見 回す。が、結局は思い止まることとなった。今朝、出掛ける前に見たのと同じ時 刻を示したままの時計が目に入ったからだ。安定した収入のない聖司である。こ れ以上、一時の癇癪で生活水準を下げてしまうのは馬鹿馬鹿しい。 動く時計がないため、正確なところは分からないが時間的にはまだ宵の口であ ろう。 しかし起きていても腹が立つばかりだ。 見たいテレビ番組もない。 電気代も勿体ない。 聖司は早々に寝ることにした。 果して明日、時間通アルバイトに行けるか、僅かばかり不安に思いながら。 (続く)
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