長編 #4775の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
決意を一層固くした純子だったが、香村とともに元いた部屋へ戻ると状況が 大きく変化していた。 「ぜひとも引き受けるのよ」 駆け寄ってきて純子の両肩をしっかり掴むと、有無を言わせぬ口調で始めた のは市川だった。 藤沢は別室にいるとかで、香村もひとまずそちらに移ったあと、純子は疑問 をぶつける。 「市川さんがどうしてここに……?」 まず市川当人へ、それからその横で片手を頬に当てている相羽の母に目を向 けた。急に現れた市川のことが、どうにも理解できなかった。 「詳しくはあとで説明するけれど、ルークの立場からは今度の話、引き受ける に越したことはないらしいのよ」 相羽の母からため息混じりの返答があった。 覆い被せるように市川がウィンクしてくる。 「間違いなく、今後のためになる」 「でも、これは久住淳じゃなく、モデルの私に……」 「そんな簡単じゃないの。外との結び付きを大事にしていかないとね」 仕事上のつながりがいかに大切か、とうとうと諭すように一席ぶつ市川。相 羽の母はすでにあきらめ顔だ。 「演技できないって泣き言を言ってるんだって? それじゃ聞くけれど、歌は 最初から自信があったのかしら?」 「とんでもない! そんなことありません」 市川の追い詰めるような調子に、純子は首を振った。 「周りの人達が支えてくれて、やっとできたんです」 「だったら、演技も段々うまくなっていけばいいじゃない。違う?」 「今度は時間が足りないと思うんですが」 「役柄、聞いたわよ。下手でも全然問題なしじゃないの。顔を出さないのもい い感じだし。大丈夫、あなたならちゃんとできる」 太鼓判を押されても理に叶った根拠は見当たらず、いかにも頼りなかった。 「演技すること自体は、どう捉えているのかしら?」 視点を変える風に相羽の母が言った。純子がきょとんとした目を返すと、説 明が加えられる。 「つまりね、今度の話を切り離して考えてみたらどうかなと思うの」 「うまくやり通せたとき、気持ちよかったですけど、これは演技が好きという ことになるのかな……」 数少ない経験の中から三年前の劇を思い起こす純子。 「好きなのよ、絶対」 ここぞとばかり、市川が思惑を込めて主張する。 「何でも経験よ。周りに迷惑を掛けることを含めてね」 「無茶苦茶言ってるような」 「歌のとき、迷惑掛けなかったと思ってる? まさかね。だったら今度も、そ れでいいじゃない。周りの人達に大きくしてもらいなさい」 「――市川さん。どうなっても知りませんよ、もお」 半ばあきらめムードに包まれつつ、純子は悲鳴を上げた。 小菅先生が休むのは初めてだった。しかも三日続けてとは尋常でない。 「どうかしたのかな」 「体調がすぐれないとだけ聞かされてもねえ」 「はっきり言わないのが怪しい」 「もしかして、おめでたとか」 「え、結婚してないのに?」 「ばかね。だから隠そうとしてるんじゃないの」 担当の十組のみならず、無責任な噂が迷い犬のごとく駆け回る。 「お見舞いに行こうよ」 純子は同じクラスの富井に持ちかけてみた。 「三日も休むなんて、どんな病気にしろ重いのよ、きっと。少しでも元気出し てもらいたいじゃない」 「行ってもいいけど、純ちゃんも噂を確かめたいんでしょ?」 「……噂が嘘だということを確かめるのよ」 見透かされた気がして、純子は目を伏せた。 「興味本位じゃないわ。本当に心配して」 途中でやめた。言えば言うほど、本当らしさが消えていく。自分の気持ちに 嘘偽りがないことは自分が一番分かっている。それで充分。 「いいよ。私も行く。でもぉ、二人だけだと淋しいし、プレッシャーって感じ。 他にも誘おうよ」 「誰を? あまり大人数で行っても迷惑でしょうし……久仁香や芙美はクラス が違うでしょ。こういうのは一応、十組の中から」 「分かってるってば。男子代表で相羽君を」 スムーズに言った富井。年がら年中このことを考えているのじゃないかと思 えるほどの即答だ。 「いいわ」 最初から反対するつもりはない。純子はうなずいた。 放課後、話を持ちかけると、相羽は快く承諾した。 「いつ行くの? 僕は今日これからが空いてて都合がいいんだ」 「私達もおんなじ」 慌ただしく決まった。 住所は以前伺ったことのある純子と相羽が覚えている。が、その際のいきさ つを富井の前で話すのははばかられ、胸の内に仕舞っておくことに。 「まさか入院してるなんてことはないよね」 「ないと思う。行ってみれば分かるはずよ」 「事前に電話しといた方がいいかな?」 「お邪魔だと分かったら、すぐにおいとますればいいわ」 物事を前向きに捉え、出発。途中で店に寄り、お金を出し合って花を買った。 「女の子、いや、女の人って、花が好きだね」 小菅先生宅へ通じる道を歩きながら、相羽がぽつりと言った。 「男の子は花が嫌いなの?」 後ろを向いて純子が問い返すと、相羽の表情には苦笑いが広がった。 「いきなり正反対にならないでほしいな。男の花好きって、女の人ほど多くの 割合じゃないって思うんだよね」 「そうよねえ。やっぱり男の人の方が粗暴な感じ。ああ、相羽君は別だよ、も っちろん」 実に嬉しそうに喋る富井。好物のケーキを十個ずらりと並べられても、こう まで相好を崩しはしないだろう。 純子は脳裏で、最初から分かり易く言ってよと文句の一つも唱えつつ、別の ことを思い起こしていた。 「――六年生のときのお見舞い、花でよかったのね?」 「はい?」 「お見舞いしたでしょ、学芸会目前に風邪引いた相羽君を。副委員長だった私 がクラスを代表して。忘れた?」 「覚えてるよ。あの花は今も残ってるんじゃないかな」 「え、まさか! 冗談でしょ」 こんなことでは騙されないわよと気持ち、身構える純子。 相羽は楽しげな声を上げた。 「種を明かすとばからしいけど、母さんがドライフラワーにしたんだ。物持ち よくてさ。あはははは」 「なぁんだ」 謎が解けた安堵感が広がった。 ほどなくして小菅先生の自宅にたどり着く。前回訪問時と外見は何ら変わり ないのだが、どことなく空気が沈み込んでいるような感覚があった。住んでい る人の笑い声が全く聞こえないからかもしれない。 (前はすがちゃん――裕恵ちゃんの元気いい声がしてたものね) 回想しながら、玄関前に立った純子ら三名。相羽が呼び出しのボタンを強く 押した。 しばらくしておもちゃの鳥が羽ばたいているような音が連続して聞こえ、次 いで「うんしょ」という子供の声があった。磨りガラス越しに、小さな子が土 間に降り立つのが見て取れた。 ねじ込み式の鍵を外す時間が長かったが、じっと待つ。 「どちら様でしょ」 舌足らずな台詞とともに、戸が開いた。 姿を見せたのはまだまだ年端の行かない女の子。小菅先生の妹、裕恵だ。名 前は裕恵だが自分で自分のことをすがちゃんというから、少々ややこしい。 久しぶりの再会に相羽も純子も来意をいきなり伝えるような無粋はせず、ま ずは黙って微笑みかけた。 リスみたいな仕種できょとんと見上げてくるすがちゃんの目が、くりくりし ている。その直後、顔全体に別の表情が広がった。 「――レイだあ!」 「ふふ、覚えててくれて、ありがとうね! すがちゃん、いい子にしてた?」 「うん!」 返事するや否や、純子のお腹辺りをめがけて飛び付いてきた。今年で六才に なるだけあってなかなか力がある。 「わあ、元気いいね」 純子がすがちゃんの相手をする間に、相羽が富井に事情を話している。富井 は純子達がこの家を訪ねた経験のあることも知らなければ、恐らく小菅先生に 妹がいることも知らないだろう。唖然とするのも無理ない。 「遊びに来てくれたのー?」 足にすがったまま見上げてくるすがちゃん。純子は頭を撫でてあげながら答 えた。 「遊びたいんだけどね、その前に気になってることがあるんだ。すがちゃんは 元気だってようく分かったわ。お姉ちゃんは元気かしら?」 「……あんまし、元気ない」 エネルギーが切れかかったかのように、すがちゃんはトーンを落とした。ま だ短いお下げ髪も、心なしかしおれて垂れ下がったような感がある。 純子は一瞬、気分が沈んだが、唇を噛んでこらえると、相羽に目配せをした。 よくしたもので、相羽も察しがいい。 「お姉さんは、このお花で少しでも元気になるはずなんだ。セシアが言うこと に間違いはない」 と、素早く仮装のときの役柄になりきった。 すると効果てき面。眉を八の字にして泣きそうになっていたすがちゃんが、 燃料補給を瞬時に済ませた。 「ほんと?」 「もちろん、僕らだけでは難しい。君や家族の人みんながお姉さんを励まして あげれば、どんどんよくなる」 相羽はこれ以上は言葉が過ぎると考えたか、不意に口を閉ざした。あとを引 き受ける純子。 「お会いしたいのだけれど、今、いいかな? すがちゃんがお家の人に聞いて きてくれる?」 「はーい!」 方向転換をすると、頭から転びかねない勢いで家の中に駆け込んでいった。 「小菅先生にあんな小さい妹がいるの? まだ信じられない感じ」 開けっ放しの戸を、富井が呆れたように見つめている。 「私も最初に会ったとき、意外に思った。でもね、とても仲いいんだよ。羨ま しくて、妹がほしくなりそうなほど」 「へえ? 私も妹か弟かって言われたら、妹がほしいなあ。弟って、何だか生 意気そう。弟がもしできたら、びしびし厳しく育てようっと」 存在しない弟に、いわれなき中傷を浴びせる富井だった。 と、そこへ小菅先生の母がすっと現れた。白の割烹着姿に身を包み、健康そ うな顔色をしている。 「ようこそ、いらっしゃい。由美子(ゆみこ)のクラスの方かしら」 上品な佇いで指を揃えてお辞儀してきた。子供の立場としては最大限の恐縮 をしてしまう。 純子達は自己紹介を手短に終え、小菅先生の容態を尋ねた。 「大したことはないんですよ。風邪をこじらせたようなものですから」 柔らかな物腰と相まって、安堵感が広がった。 「先生にお会いできるでしょうか? 差し支えあるなら帰ります」 「そうですね……由美子も会えば喜ぶでしょうが、万が一にもあなた達に風邪 をうつしてしまっては由美子も私も申し訳が立ちません。悪いのだけれど、今 日のところは」 語尾を濁し、その代わりに淀みない身のこなしで頭を下げてきた。 「……分かりました。それじゃあ」 心残りはあったが、無理強いもできない。純子と富井は相羽の方を向いた。 相羽はかすかにうなずく仕種のあと、花束を小菅の母へと差し出した。 「これを先生に」 「皆さん、わざわざありがとうね。由美子もきっと喜ぶわ。よい生徒さんを受 け持つことができて幸福者だって」 よい生徒さんという言い方に、そんなことは……と照れを感じる純子達三人。 富井に至っては後頭部に手をやり、本当に「そんなことありませんよぉ」と言 葉にした。 小菅の母はブロマイドのような形のよい笑みを静かにたたえ、受け取った花 束を抱え直した。 「ご看病もあるだろうから、早めにおいとましよう」 相羽が言うのへ、純子と富井は互いに見合って首肯した。 「先生に、お大事にして、早く治ることを願ってますと伝えてくださいね」 「それと、学校で待ってますって」 二人して言伝を頼む。言葉が足りないような気がしないでもない。でも、今 できることはこれぐらい。 「もちろん、伝えておきます。あなた達のお名前、もう一度確認させてちょう だいね」 小菅の母の眼差しに、三人は笑顔で改めて名乗った。 ――つづく
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