長編 #4747の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
「うぅーん……ちょっと楽になった気がするわ」 まだ苦渋を残した顔付きではあったが、白沼は明るい調子で言った。 (もう大丈夫かな) 壁を見渡す相羽。時計を探したのだが、どうやらこの部屋には壁時計も置き 時計もないようだ。 「あの、白沼さん」 そろそろ行かなくてはならないことを告げようとした相羽だったが、相手の 舌の回りの方が早かった。足を伸ばした姿勢から、わずかばかり上半身を乗り 出す白沼。 「相羽君、しばらくいてちょうだいね。いいでしょ」 「えっ」 「両親が帰ってくるまででいいの。こんな体調で、一人で留守番をするなんて、 恐くてできない」 手を合わせてお願いしてくる。瞳がかすかに潤んでいるかもしれない。少な くともそういう風に見える。 相羽は自分の額に手をやった。 (白沼さんの家は、防犯システムもしっかりしてるんじゃなかったっけ) そんな思いがよぎったが、口には出せない。白沼の足首に巻かれた白い布が、 相羽の心のブレーキとなっていた。 「どこかへ行く途中だったのかしら?」 黙っていたら白沼が聞いてきた。今度は本当に泣きそうな顔になっている。 「うん、まあ。ご両親が帰るのは、いつ頃の予定?」 「二時間ぐらいかかると言っていたわ。だから」 白沼は言葉を途切れさせた。今いる部屋に時計がないことを思い出したらし く、さらに彼女も腕時計を外してどこかにやっていた。相羽に改めて尋ねる。 「何時?」 「あ、いや、僕は持ってないから……ごめん」 かつて白沼から腕時計をもらったことを思い起こし、頭を小さく下げた相羽。 放置したままのあの時計、まだ動いているだろうか。 相羽の行為の意味に気付いたのかどうか、白沼は言った。 「隣の部屋にあるから見てきて」 相羽は無言で立ち上がると、迅速に行動した。時刻は午後二時四十分だと分 かった。 (もうこんな? 四十分の遅刻……) 焦りをひしひしと覚えつつ、白沼に時間を伝えた。気になって、立ったまま 貧乏揺すりをしてしまう。 「三時半には帰って来ると思う。つまり、あと五十分ね。これぐらい、かまわ ないでしょ? ねえ」 「電話を使わせてほしい。友達に連絡したいんだ」 「あ、それなら私がしてあげるわ。遅くなったことをきちんと説明しようと思 ったら、私が電話に出たら一発よ」 白沼の言にも一理あるとは思うものの、やはり自分自身が話さなくちゃ意味 ないだろうと感じた相羽。その意志を告げる。 白沼は肩をすくめ、「たくさんあるのよね、電話……」とつぶやいた。ほど なくして、戸口近くの棚を腕で示す。 「そうね、あそこにある緑のを使うといいわ。聞かれたくない話なら、よその 部屋にどうぞ」 「あ、ありがとう」 つっけんどんな口調になった白沼に、相羽は内心で吐息しつつ、電話を手に 取った。ダークグリーンの落ち着いた感じのそれはコードレスタイプで、自由 に歩き回れる。 「使い方、分かる?」 「多分」 言い残して部屋を出た相羽は、扉をそろりと閉じてから、廊下の壁にもたれ かかった。多少、ほっとした気分になる。 町田の家の電話番号を押して、耳にスピーカーを当てる。 「話し中――」 つぶやいて、一旦切る。三十秒ほどおいてかけ直すと、再び通話中の音が聞 こえてきた。 (おかしいな。もう始めてるんだとしたら、電話なんかするか?) 疑問が湧いたが、確かめる術もなし。 今度は一分余り待って、もう一度リダイヤルボタンを押した。流れ出たのは、 またも話し中のサイン。 「しょうがない」 ため息混じりに言って、相羽はあきらめた。あとからかけ直すか、なるべく 急いで駆けつけよう。 元いた部屋に引き返すと、白沼が戸口に背を向けて、窓の方を見やる姿が目 に入った。でも、相羽が戻るのを待ちかねていたのか、凄い勢いで振り返る。 「どうだった?」 「ん、話し中だった。またあとで使わせて」 電話機を置くと、ことりと乾いた音がした。相羽は仕方なしに覚悟を決めた。 白沼の方は、痛みからかたまに顔をしかめるものの、随分と楽しげである。 「私にはちょうどよかったかな。クリスマスに一緒に遊ぶ話、なくなってしま ってたものね」 「あ、ああ。そう言えば白沼さん、旅行に出るのはいつからだって?」 「さっき言ったわよ。明日の夜」 聞いたような記憶があるが、どたばたしていて、しかとは覚えていなかった。 相羽は落ち着こうと、胸を反らして深呼吸した。 「暖房が効き過ぎじゃないかな」 平静になって初めて気付いた。夏、テーブルに出した冷たい飲み物みたいに、 全身にじんわりと汗をかいている。 白沼は首を傾げてから笑った。 「上着を着たままじゃない、相羽君。脱いだら?」 「そっか」 照れ隠しに鼻の頭をかく。急な騒動のおかげで、すっかり失念していた。と にもかくにもジャンパーから腕を抜く。 「喉が乾かない? それだけ汗かいてるんだから」 白沼に言われて、そんな気もしてきた。自転車で走り回ったし、邸内捜索も した。思わず、喉元を右手で一度さすった。 くすりと微笑んだ白沼は立ち上がろうとするも、ものの五秒もしない内に、 呆気ないほど簡単にあきらめた。 「あん、だめね、やっぱり。紅茶でも入れようと思ったのに。前の同じになる けれど、相羽君、紅茶好きでしょう? うちにはいい物がたくさんあるのよ」 「うん。無理しなくていいよ。おかまいなく」 「実は、私も飲みたいのよね」 太股の辺りに手を置き、物憂げに白沼。相羽は迷いを吹っ切った。 「もしよかったら僕が入れるよ」 すると、申し出を待っていたかのように目を輝かせた白沼。 「ほんとに? そう言えば相羽君て紅茶を入れるの、上手なのよね。文化祭の とき、ちらっと見させてもらったわ」 「見ただけじゃ分かんないだろ」 素気なく反応したものの、よく言われて気分悪いはずがない。相羽はキッチ ンに向かうと、道具や紅茶の葉そのものが揃っているかどうか確かめた。 「お――凄い」 思わず感嘆の声を上げてしまった。三つの缶を見つけたため。 (ダージリンがあるのは分かるとして、キーマン、ウバまで揃えてる。げっ、 これ、ゴールデンチップ? ……はは……さすが。白沼さんの家も紅茶にうる さいのかな) 百グラム五千円以上するはずの高級品を前に、内心で感嘆の叫びを上げたの も束の間、道具の方はひと月ほど前に目にしたときと変わっておらず、大した ことなかった。高価そうな品揃えではあるが、適切とは言えない。スプーンが 小ぶりなのは我慢できるとして、茶こしの付いていないポットがほしいのに見 当たらない。ガラスのケトルがあったのにはご機嫌になったが、メリオールを 見つけたときは正直なところ、がっかりしてしまった。ファミリーレストラン などで紅茶を注文した際に出て来る、垂直に押し込む棒の着いた縦長の筒状容 器のことだ。当然、紅茶の葉っぱを圧搾して色を染み出させる目的があるのだ が……。 (こんな道具で、こんな高級な紅茶を飲んでいるんだとしたら、実にもったい ないぞ。オレンジペコーばかりみたいだけど、このタイプは葉が開くのをじっ と待ってこそよくなるのに) 初っ端に三大銘柄の葉を目にしたおかげで、つい、要求レベルが高くなる相 羽だった。もっとも、講釈を垂れるつもりはない。気分を切り換える。 始める前に、白沼に念押ししておく。 「ねえ、白沼さん。このTG……ゴールデンチップのやつ、使ってかまわない の? かなりの物なんだけどさ」 「いいわよー。どれでも好きなだけ使って」 値段を知っているのかどうか、気易い口調で返事があった。 相羽は、紅茶の缶を見渡しながらうなずいた。 (こうなったら折角の機会だし、遠慮なく。えっと、ここにある物から考えて ……ミルクティが作りたくなるな。やかんはいらないから、鍋) 相羽が思ったのは、ロイヤルミルクティではなく、牛乳を鍋で煮込んで作る 方式のミルクティ。チャイと言った方が通りがよいかもしれない。 銅鍋を流し台から引っ張り出し、相羽はもはや夢中になっていた。それなり の道具しかないとは言え、最高級の葉っぱを使えるのだ。普及品をおいしく飲 みたいがために身に着けた知識を、存分に発揮できるだろう。 (味に大差はないそうだけれど、やっぱりゴールデンチップを混ぜて飲んでみ たいな。TGを冠したのがあるのはダージリンとウバか。時間を考えると、ウ バの方が短く済むかな。僕もウバは飲んだこと少ないし) 微苦笑を浮かべながら取りかかった。 「ほんとに家庭的ね、相羽君は」 先ほどから白沼は、ほとんど同じ話を繰り返していた。紅茶を入れている最 中から間断なく口を動かしていたように思う。 相羽はちっともくつろげないでいた。一口飲んだだけでほったらかしにされ たカップから立ち昇る湯気は、もう元気をなくしかけている。 紅茶を入れるのに熱中していた相羽だったが、終わってみると、またクリス マス会のことが大いに気になり出した。おかげで、最高のミルクティを充分に 楽しめないでいる。 「きっと優しい旦那さんになれるわ。家事を奥さんに任せきりにしないで、仲 よく共同作業」 「紅茶を入れただけのことで、そこまで判断しますか」 応えつつも、気もそぞろの相羽。普段なら苦笑いの一つも浮かべるところだ が、今は余裕がない。 「調理部でも色々覚えてるんでしょ。相羽君はどんな家庭が理想かしら? 私 はね」 白沼は二人きりという絶好のチャンスに、お喋りがしたくてたまらないのか、 口をフル回転させる。酸素不足の金魚よりも忙しない。 「四人家族がバランスがよくていいわ。子供は女の子と男の子一人ずつ。でも、 広いお家が寂しくならないように、たくさんいた方がいいかもしれないわね」 「さあ」 適当に受け答えする相羽。 「両親に援助してもらえるから、最初から子供を持てるけれど、結婚して何年 かは夫婦二人きりがいいわよねえ。私も働きたいし。ニュースキャスターか弁 護士に憧れてるのよ」 「ふうん」 「あと、女優ね。少し前までは、歌手やモデルもいいなと思ってた。だけど、 知的なイメージが足りないじゃない」 「そうかな」 「世間一般のイメージよ。女優にしても、標準レベルなのじゃだめ。映画専門 の大女優ね。できれば、海外の作品に何本も出て、ロサンゼルスに別荘を持つ ような。相羽君は将来、何の仕事をしたいと考えてるのかしら。興味あるわ」 「……」 相づちを打とうとした相羽だったが、質問されたのだと半拍遅れて理解して、 言葉を詰まらせた。まじまじと相手を見返してしまう。 こほんと咳払いをし、当たり障りのない答を探した。 が、その間にも白沼は喋り続ける。足の痛みはどこへやら、実に楽しげだ。 「サラリーマンでも出世すると思うけれど、平凡な感じがして似合わない。そ うねえ、学者とか。パイロットなんて素敵よね。あっ、そうだわ! サッカー に本気で力を入れたら、いいんじゃない? 前からもったいないと思っていた のよ。絶対に行けるわ」 「サッカーは選手生命が寿命が短いよ。引退後も保証されていないんだ。指導 者になるには、試験を一つずつ合格していかなければならない」 つい、現実的な返事をしてしまった。 「だったら、相羽君はどう考えているの。教えてよ」 「……具体的には、まだないんだ。人の役に立っていることが実感できる仕事 に就きたい」 「ふーん。素晴らしいと思うけれども、それってボランティアみたいになっち ゃいそうね」 「社会奉仕ばかりじゃないよ。たとえば、君がさっき言った女優。俳優だって、 出演映画を大勢の観客が楽しむ様子を目の当たりにしたら、人のためになる仕 事をしたんだって、きっと実感できる」 言い終えてから、真面目すぎたと思い直し、口元を拭う。 「ま、こうなれたらいいなってだけさ。やり甲斐や充実感とも違う、手応えの ある仕事をする人に」 「確かに、普通のサラリーマンじゃ、なかなか味わえないわね」 凡庸でないことに満足したのか、白沼は笑顔のままうなずいた。 相羽も無理に笑みを作りつつ、時刻を気にした。 ――つづく
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