長編 #4713の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
これでいいんだわ。これで……… 曇天の空を見上げ、マリィは思う。 デニスのために油絵の道具を手に入れたことで、マリィは自分の役目が一つ終 わったような気がしていた。もし少女と出逢っていなければ、最後まで抵抗を続 けボルドに殺されても構わない。そんな心境になっていたかも知れない。 デニスは必ず入選する。そして立派な画家になるため、スラムを離れて行く。 それはマリィの描いた希望ではない。変わりようのない事実、間違いなくやっ て来る未来としてマリィは確信していた。 後にはマリィと少女の二人だけが残される。寂しいとは思う。デニスと別れた くはない。仲間たちとともにあった頃、二人だけで過ごした時間、ルウが現れ三 人で迎えた日々。そんな時間の流れの中、マリィにとってデニスは特別な存在と なっていた。 常にそばにいて欲しい人。 愛してしまったとは言わない。思わない。 純潔さえお金に換え、身を売ることでその日の糧を得る自分には、持つ資格の ない感情。 デニスの足枷になる訳にはいかない。一緒にスラムを抜け出せるなら、どんな に素晴らしいだろう。けれど汚れた自分は、もう成功への道を歩き始めたデニス の役に立つことはない。せめてルウはともに行かせてやりたいが、幼い少女がそ ばにいてはデニスの成功に障害をきたすかも知れない。 マリィと少女は、デニスの思い出になる。 輝ける栄誉の中、ふと高名な画家が辛かった過去を思い起こす。ああ、あの時 の少女たちはどうしているだろうか。そして恵まれたいまを幸せに感じる。それ でマリィは満足だった。 「ルウ?」 後ろからの足音が聞こえなくなっていることに気づき、マリィは足を止めた。 振り返ると、黒っぽい固まりがこちらを見ていた。固まりの正体は、いまにも泣 き出しそうな少女だった。羽織らせたデニスのコートが、幼い少女の身体にはあ まりにも大きく、その大半を地面に引きずることになっていた。 マリィの半ば脅迫じみた説得に応じ、二人でボルドのところへ行くことを承知 した少女。デニスがいなくなってしまえば、マリィ一人で少女を守りながらボル ドに逆らい続けることは出来ない。悔しくても、おぞましくても、ボルドに屈す るより他、生きていく方法はない。 けれど改めてボルドの前に立ち、マリィでさえ激しい悪寒を覚えたのだ。幼い 少女の感じたものは、それ以上だったのだろう。 「怖がらなくてもだいじょうぶよ。私が一緒だから、ね。どんなときだって、絶 対ルウのことを守ってあげるから」 その言葉は少女をなだめるためだけではなく、マリィの決意でもあった。デニ スを笑顔で送り出した後は、全身全霊を以て少女を守ろうと。自分の小さな意地 悪のため、死なせてしまった妹の分までも。 「早く帰らないと、デニスが心配するよ。あ、その前にお買い物もして行かない と」 マリィたちはデニスの絵の完成まで、必要な食べ物などの買い出しに行ったこ とになっている。デニスが怪我をしているマリィを引き止めないよう、朝早く書 き置きだけを残してアパートを出てきたのだ。 声を掛けても、少女は一向に歩き出そうとしない。ボルドに屈したマリィを、 非難しているかのようでもあった。 「しょうがないあ。じゃあ、私がおんぶしてあげるから」 マリィとて、とても辛い。それでも少女に対して、努めて明るく振る舞う。少 女に近寄ると、背中を向けて屈み込んで見せる。 ようやく少女が動いてくれた。しかしマリィの背中に乗るのではない。マリィ を追い越し、前に立つ。 柔らかな髪が踊る。 マリィの前で、首を振ったのだ。 優しい少女は、彼女の望まない選択をしたマリィを気遣ってくれている。まだ 暴行の傷跡癒えないマリィの背中には乗れない。だから歩くと、意志表示してい た。 青年は極めて不機嫌であった。いや、焦っていた。 アトリエとして街に借りている家のドアを、乱暴に開ける。 「あっ、お帰りなさい、坊ちゃん」 ソファの上にだらしなく寝ていた男が、慌てて飛び起きる。坊ちゃんと呼ばれ た青年、アルベルト・ローダンは嫌悪を顕わにした一瞥を男へとくれた。 「ふん、のんきなもんだな。貴様は」 普段からアルベルトは、男に対して尊大な態度を執っている。お金を払って雇 っている使用人には、それが当然だと考えているからだ。さらには、露骨なまで に下卑てみせる男に少なからず侮蔑の念を抱いていることも手伝う。 「なんすか? 偉く不機嫌なご様子で………今日はまた、ポリッシュの旦那にお 会いなされたんでしょう」 「それだ、それ! あのクソったれ画商めが」 アルベルトは仮にも貴族とは思えない、口汚い言葉を吐く。そればかりか来て いた服を乱暴に脱ぎ捨てると、本当に唾までを床へ吐き捨てる。 「あのデブ……いやそんな………いや、画商の旦那がなにか?」 男にしてみれば、そんな主人の態度には慣れている。尊敬などはしていないが、 大事な金づるであるアルベルトの不始末を、のろのろと片づけて行った。 「ああ、あいつに誘われて食事に行って来た。こっちはな、絵を仕上げにゃあな らんのに、見るのも不愉快なブタ野郎につきあってやったんだ!」 話しながらアルベルトは、さらに興奮を高めてしまう。その悪い癖に、男は主 人に見えぬよう、「また始まった」と顔をしかめた。 「それはまた、難儀なことでしたなあ」 「そうよ………それもな、あいつが俺の絵を認め、サロンでの最優秀賞を保証す ると言ったからだ。でなきゃ、誰が!」 アルベルトは怒りをものへとぶつけた。さっきまで男の寝ていたソファへ腰を 下ろすと、目の前のテーブル上にあるものを手でなぎ払う。酒瓶や飲みかけのグ ラス、吸い殻の詰まった灰皿が賑やかにぶちまけられた。 「えっ? まさか………いやいや、しかし私の知る限り、今回坊ちゃん以上の画 家はいないはずですよ」 「そうだ、今回のサロンは俺の独壇場になるはずだったんだ………だが事情が変 わりやがって」 「と、申しますと、新しい参加者が?」 「先日、念願適ってようやく伯爵と会うことが出来た。だが、その伯爵がブタ野 郎に紹介したという似顔絵描きが案外侮りがたいかも知れんのだ」 「ははっ、まさか」 男はいささか神経質過ぎるアルベルトの心配を笑う。たかが貧しい街の似顔絵 描きこどきに、何を焦っているのか理解が出来ないのだ。 「だから貴様はのんきだと言うんだ。実力が知れないだけに気味が悪い………何 よりあの伯爵が妙に肩入れをしてことも気に懸かる。おい、貴様は毎日暇を持て 余し、街をぶらぶらとしているんだ。何か手を打て」 「手を打てと申されましても」 「名はデニスとか言ったな」 「はあ、しかし………ああ、そうだ」 男は何かを思いだして、手を叩く。 「こんな話を聞きました。この街には影の実力者、ってやつがいるそうです」 「影の実力者?」 「早い話、ギャングのボスってところですかね。スラムを拠点に、街中に目を届 かせているボルド・バトゥって男がいるとか。金次第で、どんな相談にも応じて くれるそうですよ」 「ギャング………ふん、面白そうじゃないか」 貴族としての気品もプライドもない。そんなアルベルトが、ようやくその顔に 笑みを浮かべた。 「あのぉ………やっぱりやばいですよ。帰りませんか?」 つくづく使えない男だとアルベルトは思う。自分から言い出したくせに、一歩 スラムに足を踏み入れた途端、見苦しいほど怯えている。 「だいたい坊ちゃんの恰好は目立ちすぎます。ここはろくでもない連中が巣くう スラムですよ」 確かに男の言うように、ここは安全な場所ではなさそうだ。まだ住人の姿を見 てはいないが、重苦しい街並みがそれを感じさせる。賑わう街からはまだ二百メ ートルくらいしか離れていないが、目に映る色がまるで違う。 黒と灰色。 大小の銃弾痕を残し、限界近くまで傷んだ建物にはその二色しか見られない。 噂では、金目のものを持ってスラムに入り生きて戻るのは、空腹のライオンの 口に頭を突っ込んで無事にいるより難しいと訊く。たかが噂と侮っていたアルベ ルトは、プライドと言うより、見栄から誰の目にも貴族然とした恰好でスラムに 挑んでいた。 いざとなったなら、お金を使えばいい。そのために大金を持ってきたのだから。 お金の力を絶対と信じるアルベルトは、懐の重みを確認し、芽生えた恐怖を払 おうとしていた。 「坊ちゃん、坊ちゃん」 「やかましい、少しは黙っていられないのか。貴様の声の方が、よほど目立つ」 分かってはいたが、これほど臆病で役立たずとは知らなかった。よほど殴り倒 してしまおうかと思う。殴りどころが悪く、死なせてしまってもここでならアル ベルトの仕業と警察にも分からないだろう。 だがアルベルトは、沸々と沸き上がる殺意をぐっと堪えていた。お金の力を信 じてはいるが、それでもこの場で一人になることには不安があった。無駄飯食い でも、いないよりはいくらかましである。だから生かしてやってもいいだろう。 その代わり、用事を済ませて街に戻ったなら、即、クビにしてやろうと考える。 「それより、ボルドと言うヤツはどこにいる? 早く案内しろ」 「知りませんよぉ。私だって噂で訊いただけなんですから」 考えを改め、やはりこの場で殴り殺してしまおうかと思う。役立たずにも限度 がある。 そんな主の物騒な考えも知らず、男はアルベルトの背に縋るように隠れ、おど おどと周囲を見回している。こともあろうに、主人を守るべき立場の男がその背 中に隠れていることがまた、アルベルトを腹立たせる。 「全く役に立たないな、貴様は」 男に対する殺意はともかく、これからどうするべきかとアルベルトは思案した。 誰かに尋ねようとしても、スラムに入ってから猫の子一匹見かけない。狭くは ないスラムを闇雲に探し回るのも無謀であるし、何よりも面倒である。 と、そんなことを考えていたとき。 「お前ら、ボルドさんに会いに来たのか」 突然、そんな声が掛けられた。 驚いての声の方を振り向くと路地から、いや崩れた建物の大きな穴から、三人 の男が現れた。 三人が三人とも、とても親切心から声を掛けてきたようには見えない。警察署 の前に、その似顔絵が貼られていても、何の不思議もない風貌の持ち主であった。 特に先頭を切って現れた男は、刃渡りの長いナイフを手にしてニタニタと不気味 な笑いを見せていた。 「貴様ら、ボルドを知っているのか? ちょうどいい、俺を案内しろ」 アルベルトはプライドこそ高いが、決して勇敢ではない。てれでもただ黙って 立っているだけでも威圧感のある形相の男たちに、身体と声を小刻みに震わせな がら尊大な態度で臨んだ。 「知ってるも何も、俺らぁボルドさんの身内だあ。けどよぉ、その身内としちゃ あ、ボスを馴れ馴れしく呼び捨てるヤツぁ、ちょっと許しておけないよなあ」 とてもまともな脳みそを持ち合わせているとは思えない男は、手にしたナイフ を嘗めながらアルベルトへと近づいて来た。 「お、俺は貴様らのボスに、仕事を依頼しに来た客だぞ」 「だからぁ?」 「だ、だから、だと! それが金を払って仕事を頼もうとしている客に対する態 度なのか」 「かかかっ、ばあぁかっ」 激昂するアルベルトを、ナイフの男が笑う。 「金なんて、お前をぶっ殺して、身ぐるみを剥いじまえばぁ、仕事なぞ受けなく ても手に入んだよ」 この男は狂っている。アルベルトには信じがたいことだったが、お金を握らせ て言いなりになる手合いとは違っていた。さすがにアルベルトも、それを認めな ければならないようだ。 「くっ………二対三か。少々不利だが………」 普段偉ぶってはいるが、自らの力での喧嘩は経験がない。それでもお金が通じ ない以上、他に方法がないと考えたアルベルトは、頼りない味方を確認しようと 後方を見遣った。だが、そこに使用人の姿はなかった。 「一緒にいた男なら、俺たちを見るなり早々に逃げ出しちまったぜ」 嘲るように笑うナイフの男。耳障りな笑い声を聞きながら、アルベルトは使用 人の男を呪った。もし無事に帰ることが出来たら、ただでは済まさないと心に誓 う。 「なあ、こいつ、ヤッちまってもいいだろぉ?」 ナイフの男が、後ろの仲間たちに訊ねた。 どうする? 一対三ではとても勝ち目がない。逃げて逃げ切れるか。しかし足には自信がな い。アルベルトは焦りながら考えを巡らせた。
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