長編 #4689の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
「おっと、俺は思い出話に花を咲かせてる場合じゃなかったんだ………急がない とションベンがの漏れっちまう」 少年の部屋にはトイレがないのか、あっても使用出来ない状態にあるのだろう。 半ば冗談めかし、少年は股間を手で押さえ、跳ねるような足どりでその場を去ろ うとした。 「あ、ネス、ちょっと待ってよ」 それを少女が呼び止める。 「確かネスの部屋、いま一人だったよね?」 「そうだけど、それが?」 「悪いけどこの子、デニスだっけ? 同室になってもらっていいかしら」 「ああ、かまわないぜ」 「おい、待てよ。お前ら」 デニスは自分の意向も尋ねずに、勝手な話が進んでいくのを不快に感じて口を はさむ。 「誰がいつ、ここに泊まるなんて言ったよ?」 少女といい、ネスと呼ばれた少年といい、二人とも自分のことを嘗めているの ではないか? このスラムではそれなりに名を知られ、恐れられてきたつもりの デニスにしてみれば愉快なことではない。ましてネスは以前デニスと組んだこと があるのなら、なおのこと。そう思ったデニスは、目一杯に凄んで見せながら言 った。 「あれ? なんかデニスの方は納得してないみたいだけど………と、やばい本当 に漏れちまうよ。ま、とにかく俺の方はOKだから、ちゃんと話をまとめておい てくれよ、マリィ」 少女同様、ネスもそんなデニスには全く臆する様子がない。そのまま用足しの ために闇へと消えていってしまった。 「ほら、いつまでも駄々をこねてないでおいでよ」 階段の上から少女が呼んだ。 三階の部屋では少女の同居人が二人を出迎えた。そこで改めて自己紹介が行わ れる。デニスをここまで連れてきた少女はマリィ。出迎えた方の少女は、レナと 名乗った。マリィよりも二つ三つ歳下だろうか。その陽炎を連想させる細い影は、 説明を受けなくてもレナの身体が丈夫ではないのだろうと簡単に理解出来る。 気がつくと、何か言いたげにこちらを見ているレナの瞳があった。自分に対し ても自己紹介するこを求めているのだろうと分かったが、デニスは無視を続けた。 人の気持ちを察して何かをしてやるなどとは、今日まで一人で生きてきたデニス とって必要なのないことである。デニスが無視を続けていると、レナは何も言わ ない。ただ不安そうな顔でこちらを見るばかりであった。 身体の弱さに加えて、気も弱いようだ。そんな少女がスラムでよく生きてこら れたものだとデニスは思う。おそらくはマリィや先ほど廊下で会ったネス、そし て他の部屋にもいるらしい仲間に助けられて来たのだろう。 デニスはそれを素晴らしいとは思わない。何を好き好んで自分より生活能力に 劣る者を仲間と称し、ともに暮らすのか。それではただでさえ楽ではないスラム での生活を、より苦しくするばかりではないか。 「ねぇ、あなたも名乗りなよ」 困った顔をしているレナを見かねたのだろう。彼女に成り代わり、マリィが訊 ねてきた。 「必要ないだろう。さっきお前だって、あのネスとかいう野郎が俺をどう呼んで いたか、聞いてたはずだ」 そう、かつて一緒に仕事をしたことがあるというネスは、確かにデニスの名を 呼んでいる。知られてしまった名前を隠しても仕方ないが、再度名乗る必要もな い。 「聞いていたけど………でもさ、やっぱりお互いに名乗りあった方がいいでしょ う」 「イヤだね。俺には娼婦なんぞに教えてやる名前はないんだ」 ここまでマリィに着いてきながら、悪びれることもないだろう。誰よりも、デ ニス自身がそう感じていた。けれど二年間のスラム暮らしで培われてしまった性 は、どんな時にでも自分の狂暴さを相手に見せようと働いてしまう。 ふっ、とデニスの横を弱い風が抜けて行った。 白く細い掌がデニスの顔の前を横切った。 レナが、デニスの頬を打とうとしたのだ。 すでに一度マリィに打たれているデニスにしてみれば、二度までも少女に叩か れる訳には行かない。そのことがスラムの他の連中に知られれでもすれば、皆に 嘗められて、思うように仕事が出来なくなる。 レナの手を避けるのは、実に容易なことであった。ふいをつかれたとは言え、 マリィに比べれば動きも遅く、百戦錬磨を自負するデニスにしてみれば、喰らう ことの方が難しい。 「マリィのことを悪く言うなら、私、許さないから」 デニスに避けられたレナは、バランスを崩して転びそうになっていた。それを 危ういところでマリィに支えられると、きっ、とデニスを睨み付けて言った。 「なんにも知らないくせに! マリィは………マリィはねぇ」 しかしレナという気弱な少女に、憎悪の表情を長く保つことは適わないようだ。 くしゃくしゃに顔を歪ませ、ぼろぼろと涙をこぼし、わなわなと震える唇で抗議 する。 「ふん」 と鼻を鳴らし、デニスは顔を背けた。内心、気まずく感じながら。 一端の悪党を気取っていたデニスだが、女や子ども、身体の弱った老人を標的 にしたことはなかった。ポリシーやプライドと言った、確たる信念として心に決 めていた訳ではない。それでも自分より弱い者を狙うことは、無意識のうちに避 けていた。 そんなデニスにとって、己の言葉によって泣き出してしまった少女を前にする のは、初めての経験である。これまで、散々重ねてきた悪事の後には感じたこと のない、気まずさを覚えてしまった。 「泣かないでよ、レナ。私は平気だから………それにこの子、レナがどうして怒 っているかも分からないんだから。ね、機嫌をなおして」 優しくレナの髪を撫で上げる、マリィの手。 この声だ、とデニスは思う。 デニスがマリィの言葉に従い、ここまで着いて来たのは、なにも敗北感のため だけではない。人に弱みを見せることを嫌い、いつでも強がっていたデニス。工 場では奴隷のように扱われ、自由になってからもスラムに居着いた悪党として人 に疎まれていた。デニスに向けられる人の目は、常に自分を恐れるものか、見下 したものでしかなかった。そのどちらでもない、初めての目、初めての言葉に抗 うことを忘れてしまった。 そんなことを考えていると、ふいにマリィの顔が上げられ、そちらを呆然と見 入っていたデニスと目が合ってしまった。 「あなたの言うとおり、確かに私は娼婦をしている」 怒ってはいない。 嘆いてもいない。 穏やかな表情。 穏やかな声がデニスへと掛けられる。 「そのことで軽蔑されても仕方ないね。私、こう見えてもまだ12歳なんだよ」 マリィは笑う。 しかし決して自らを卑下した笑みではなかった。 マリィが12歳と知っても、デニスは驚かない。大人びて見えるよう、かなり 意識された格好をしてはいるが、その年齢の顔立ち、身体つきを隠しきれるもの ではない。また十代前半の者が娼婦をしていることも、スラムでは珍しくもない。 マリィの年齢は、初めて出逢ったとき、デニスが予想していたものとほぼ一致し ていた。 「お金さえ払ってもらえれば、どんな男の人とだって寝る。それを汚いことだと あなたが思っても、私は否定出来ない。だけどね、私は自分が生きるために、他 の人には迷惑を掛けていないつもりだよ。 あなたも私も………ううん、私たちかな。自分が生きたいと思うのは、当たり 前だわ。でもそのために、誰かに迷惑を掛けたくはない。パンを食べて今日を生 き延びても、もしそれが本当は他の人が食べるはずのパンだったら………そして 私がパンを食べたことで、本当に食べるはずだった人が、生きることが出来なく なってしまったとしたら、とても耐えられない」 おめでたい考えだ、といつものデニスなら笑っていただろう。 自分たちのように、世の中から見捨てられた存在が他人のことを気にして生き てはいけない。そう思うからこそ、デニスは悪党としてやって来れたのだから。 なのにいまのデニスは笑わない。笑えない。 優しい言葉で語るマリィへと、耳を傾けていた。 「でも私には他に何も出来ない。私にあるのはこの身体だけだもの………それで も人に迷惑を掛けるよりいい。将来、私たちだって普通に暮らせるような日が、 きっと来るわ。悪いことをしてその日を迎えても、幸せにはなれないと思う」 「デニス、デニス・ラングレイだ」 「えっ?」 マリィとレナの声が重なる。突然名乗った、デニスに驚いて。 「説教なんて、聞きたくないからな」 ふてくされて見せるデニスだったが、上手く不機嫌な顔を作れたかは自信がな かった。 あの男の財布さえ手には入っていれば、もっとましなものが食べられたはずだ。 噛んでいると口が疲れる、固いパン。クリームシチューとは名ばかりで、本当 に入っているのか具材の姿もよく見えないスープ。13歳という、まだ成長過程 にあるデニスの腹を満たすには、あまりにも足りない食事。まして、元は二人分 として用意されていたものを、三人で分けて食べているのだ。デニスはもちろん のこと、食の細そうなレナでもその量が充分だとは思えない。それなのにデニス の心は、しばらく知ることのなかった心地よさが満ちていた。 マリィが「ご馳走する」と言ったのは、自分が食べるはずの食事だった。裕福 な街の人間から見れば、実に質素なものだった。しかしそれは、彼女たちが用意 できる精一杯のものでもあった。 食べ物の値段は、驚くほどに高い。身体を売って稼いでいるとは言っても、大 人の娼婦たちほどの上客を得られない少女たちの収入はたかが知れている。一晩 に数人の客を取って、一日を食い繋ぐのがやっとなのだ。デニスのような突然の 来客へ食事など、予め用意出来るはずもない。 一日の糧を得るためその幼い身体を売っているのに、マリィは恩着せがましい ことを言うでもなく、粗末な食事をデニスへと差し出した。 普段から盗んだお金で、もっといい食事をとっていたデニスは、そんなことに も気がつかずにいた。もしレナが何も言わなければ、それが自分の当然の権利で あるかのように出されたものを平らげて、「不味い食事だ」と悪態をついていた だろう。 「マリィ………これ、食べて」 笑みを絶やさずにいるマリィの前に、デニスに出されたものと同じ食事がレナ の手で置かれる。デニスが固いパンを折るようにしてちぎったときだった。 「だめよ、それはレナのぶんでしょう」 デニスに気を遣っているのだろう。囁くようにマリィは応える。 「だって、マリィのぶんは………」 マリィの様子に気づき、レナも幾分声を潜めた。けれど耳に届いたその会話で、 自分に出されたものが、本当はマリィのための食事だったのだと、デニスにも察 しがついた。 「ほら、私は今日、外でお客さんにご馳走してもらったから、お腹、いっぱいな んだ」 「うそ。マリィはいつも、そんなうそばっかり………私、他の子たちに聞いたの よ。値切るお客さんはいても、ご馳走をしてくれるお客さんに会ったことなんて ないって」 「もう、レナはそんなこと、気にしないで。あなたは身体が弱いんだから、ちゃ んと食べないと、ね」 都合の悪いことを知られたマリィは、急に口調を強めた。ただ相手を言いくる めようとしてのものではない。もうデニスの記憶には、その存在も残されてはい ないが、幼子を諭す母親のような慈しみが込められていた。 「マリィこそ、昨日だって食べてないくせに。私は、マリィがいたから今日まで 生きてこれたのよ。だからこれは、マリィが食べて」 「だめ、そんなこと出来ないわ」 「私、絶対食べないから」 マリィはそうでもなかったが、レナの方は話しているうちにデニスへの気遣い が失われてしまった。見かけからは想像しにくい頑固さで、自分の主張を押し通 そうとしている。 「じゃあ、半分こにして食べましょうか?」 レナの方から退くことはない、と判断したのだろう。折れたマリィが、そう提 案をした。 しかし提案通りに、食事が半分に分けられることはなかった。レナがその提案 を飲むより先に、デニスが強くテーブルを叩いたのだった。 突然の、どん、という大きな音に驚き、四つの瞳がデニスに集まる。 「ご馳走するからって人を呼んでおいて、その目の前でもめられちゃあ、落ち着 いて食ってらんねぇだろうが」 「あっ、ごめんなさい」 ほとんど間を置かずに、マリィが頭を下げる。レナの方も初めは驚いて目を丸 くしていたが、マリィに倣うように頭を下げた。 本当におめでたいやつらだ。 と、デニスは思った。 デニスがここで、二人からご馳走される理由などないのだ。確かに自分の仕事 を邪魔されたことで、デニスはマリィに対し酷く腹を立てた。マリィに対し、手 を上げそうにもなった。それを冒すのに禁忌感などとうになくしてはいたが、デ ニスにも客観的に正義を判断することは出来る。あの男から財布を脅し取るのに 失敗した件で、マリィに非はない。 それなのにマリィは、今日の糧を得損ねたデニスに食事を与えた。自分たちの 口に入るはずだったものを。自らも決して充たされている訳でもないのに。
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