長編 #4684の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
「おい」 ボルドに声を掛けられると、凶悪な風貌の用心棒が、どこに持っていたのか綺 麗な紙で包装された、平たい箱を持って来た。箱を受け取ったボルドは、それを ルウへ差し出す。 「恐がらなくていいんだよ。おじさんは、お嬢ちゃんと仲良くなりたいだけなん だ。ほら、これはおじさんから、挨拶代わりの贈り物だよ」 それでもなお、ルウはマリィの陰から出て来ようとはしない。すると突然ボル ドは、箱の包み紙を乱暴に破り捨てた。包装紙の下から現れたのは、整然と仕切 られた中に並んだ、綺麗なチョコレート。 微かに甘い香りが漂う。 隠れていたルウが、香りに誘われたかのように、わずかに顔を出す。 ルウばかりではない。周囲の少女たちの視線も、箱の中の豪華なチョコレート へと集まった。 ごくり。 誰かが唾を飲む音が聞こえた。 日々口にする、少しばかりの糧を得るのさえ精一杯の彼女たちにとって、チョ コレートなどはこの上ない贅沢品であった。マリィはもちろん、ここ数年の間に 食べたことのある者はいないだろう。その一粒が、彼女たちの一日分の稼ぎより も遥かに高価なのだ。 四つか、五つ。どう見ても6歳には達していなルウが、果たして口にしたこと があるかどうか。しかし例えその味を知らなくても、いや知らないからこそ、甘 い香りは強烈にルウを誘惑したらしい。 チョコレートの甘い誘惑が、ボルドに対する恐怖に勝った。 箱の中の小さなチョコレートの包みに相応しい、小さな手が恐る恐る伸ばされ た。けれど小さな手が、甘い香りを放つ包みをその中に収めることはなかった。 ルウの手がチョコレートに達するより早く、マリィが箱ごと叩き払ってしまった からだ。 ぱん、と大きな音を立てて箱が宙を舞う。 ぱらぱらと、チョコレートが雹のようにひび割れた石畳の上に降り注ぐ。 箱を持ったままの姿勢で止まったボルドが、わずかに眉をひきつらせる。 目的を失った小さな手を虚空に置いたまま、ルウがマリィを見つめる。小さな 身体には大きすぎる瞳に、戸惑いの色をありありと浮かべて。 「ひどいことをするなあ、マリィ。せっかく、その子も喜んでいたのに」 ボルドの声は、完全には怒りを隠しきれていない。紳士的に振る舞おうとして はいるが、所詮は粗暴な性格の男なのだ。ただ多くの手下を従えたことによって 生まれた余裕が、自分を紳士と勘違いさせているのだろう。 マリィはそんなボルドを無視し、しゃがみ込む。そしてルウの肩を抱くように してつかみ、顔を自分の方へと向けさせた。 「いい? ルウ、聞きなさい。たとえどんなにお腹が空いていても、人から施し を受けてはだめ。他人に頼ることを覚えてしまえば、この街では生きていけなく なるのよ」 母が幼子を諫めるように、マリィはルウへと説く。強い口調で。ただ叱るので はなく、その小さな肩から、自分の温もりを感じさせながら。 「おかしなことを言うね。君だって、その子と昨夜知り合ったばかりだろう? 君はその子に施しはしていないのかい」 「していないわ」 毅然とした態度で、マリィは応える。しっかりと、強い視線をボルドへと向け て立ち上がる。もう震えてはいない。 「確かにルウと知り合って、まだ一日しか経っていない。でも、ルウと私は家族 になったの。家族の間に、施しなんてないもの」 そう言って、マリィはルウの手を握りしめた。小さな手が、マリィの掌を強く 握り返してくる。言葉を持たない少女の、精一杯の応え。 「ふん、なるほどな」 ボルドが鼻を鳴らす。纏っていた体裁を徐々に脱ぎ捨て、男の本性が見え始め ていた。 「が、食べ物を粗末にする理由にはならんな。せこせこと日銭を稼ぎ、毎日が喰 うや喰わずの娼婦ごときには、あまりにも身分不相応な真似じゃないのかね」 ボルドの、高級さを滑稽なまでに誇張した革靴が、石畳に落ちたチョコレート を一つ、踏みつぶす。 「あなたこそ、そんなことを言えた身分じゃないわ」 「なんだと?」 もうボルドは、露骨にマリィたちを蔑む態度を見せている。男の身体からにじ み出る圧力は、先ほどと比べて遥かに増していた。けれどマリィは怯まない。 「そんな娼婦たちが、身体を張って稼いだお金を巻き上げて、自分では何もしな いあなたに、そのありがたみを言う資格なんてないわ」 「おいおい、心外だな」 ボルドは笑う。マリィの知る限り、この世でもっとも醜い笑顔を見せて。実際 の見てくれだけなら、もっと醜い顔はいくらでもあった。けれど、これほどまで に歪んだ心を映し出した笑顔は他に存在しないだろう。 「俺たちは、娼婦どもを守ってやってるんだぜ。戦争が終わって二年になるが、 いまだこの辺りの治安は最悪だ。客の中にも危ないヤツが少なくない。そんな連 中から、守ってやってるんだ………これは、お前らが考えるより、ずっとしんど いことなんだぞ。安全のため、多少の出費をしてもらってるだけなんだぜ」 「それなら、レナはなんなの?」 マリィは名を呼んだ少女へ、ちらりと視線を送った。名を呼ばれた少女は、一 瞬その身を竦める。 「レナは身体が弱いのよ。それはあなただって、知っているでしょ? そのレナ に娼婦をさせるなんて!」 「お前は、あまり頭の良いほうじゃないらしいな、マリィ」 いかにもおかしそうにボルドは言った。 「レナは自分で希望して、客を取ることにしたんだと説明したはずだが。さっき、 本人にも訊いただろう?」 「本当にいいの? レナ」 ボルドを無視し、マリィは身体ごとレナへ向ける。怯えた目をした少女は、マ リィから瞳を逸らしてしまった。 「贅沢は出来ないけど、この子とレナの二人くらいなら、私とデニスで面倒見れ るよ」 マリィは一瞬、足下のルウを見遣り、再びレナを見つめる。 その言葉に、レナの逸らされていた瞳がマリィへと戻された。遠くからの明か りを反射して、光っている瞳。涙を浮かべているのかも知れない。 「ありがとう………マリィ。でも私、自分の力で生きてみたいの」 そう答えるレナの顔は、微笑んでいるようにも、泣いているようにも見えた。 その答えが、本心から出たものなのか、ボルドへの恐怖からなのか、マリィは 分からない。 もうそれ以上マリィには、三ヶ月前まで同じ部屋で寝起きしていたレナへ、掛 ける言葉がない。ただ一言を残して。 「そう。だけど、いつでも戻って来ていいから………私、ずっと待ってるよ」 「さあさあ、無駄話はここまでだ。いい加減仕事をしないと、明日の食事にはあ りつけないことになるぞ」 ぱんぱんとボルドが手を叩くと、蜘蛛の子を散らすように少女たちは、各々の 客を見つけるためにその場を離れていく。数人の子は、マリィと石畳の上に落ち たチョコレートに名残惜しそうな視線を送っていたが、それを拾い集めるボルド の手下によって追い払われてしまった。何度もマリィへと振り返っていたレナだ ったが、やはり他の少女たち同様に、その儚い影は夜の街へと消えて行った。 「さあ、私たちも行きましょう」 マリィもまた、ルウの手を取りその場から離れようとした。 「まあ、待ちたまえ。ミス・マリィ」 行く手をボルドが遮る。 「さっき君がレナに言った言葉じゃないが、意地を張るのは止めて、私のところ に来い。そうすればまた、他の娼婦たちと一緒に居られるんだよ。そのお嬢ちゃ んのことも、私がなんとかしてあげるから」 そんな言葉に耳は貸さず、マリィは障害物を避けるようにボルドの横を通り過 ぎようとした。が、そのまま通り過ぎることは出来なかった。 「おい、シカトはねえだろう」 ボルドの手がマリィの肩をつかむ。 「汚い手で触らないで! 私の身体は、大事な商売道具なんだからね!」 マリィは思いきりの力で、その手を振り払った。 他人に対しては、死に至るまでの暴力を平然と振るう男だが、自分には蚊が刺 すほどの抵抗すら許さない。そんなボルドが、マリィの態度に激怒した。 「つけあがるななよ、この売女(ばいた)風情が!」 口汚い言葉とともに、ボルドの拳が大きく振り上げられる。渾身の力で、マリ ィを打ち据えるつもりなのだろう。 咄嗟のことに、逃げる余裕のないマリィは、両腕で顔を守ろうとした。 「なにしてるんだ!」 突然の声に、ボルドの動きが止まる。声の主を探すマリィとボルドが、闇の中 からにじみ出るようにして現れたデニスの姿を発見したのは、ほぼ同時であった。 「ふん、お前か」 「デニス………」 思わず、マリィの口からは安堵の息が漏れた。 「スラムの顔役ともあろうアンタが、女子(おんなこ)ども相手に手を挙げるな んて、みっともないんじゃないかい?」 デニスの声は穏やかだった。だがボルド見つめる目には、マリィさえ竦ませる 迫力があった。マリィが出逢ったばかりの頃、いつもデニスの瞳にの中にあった 激しさ。それが再び姿を現す。 「なに、ちょっとした冗談だよ。そうむきになるな」 先刻までの形相が嘘のように消え、ボルドはまた笑みを浮かべて拳を収めた。 その際、何やら妙な仕草をした。マリィがその仕草の向けられた先を目で追うと、 いつの間にかデニスを囲んでいたボルドの用心棒たちが、身を後ろへ退くところ だった。ボルドの仕草は、手下への合図だったらしい。 デニスの登場に一時は勇気づけられたマリィだったが、それを見た瞬間、背筋 に冷たいものが走るのを感じた。 確かにデニスも喧嘩慣れしてはいるが、まだ14歳の少年である。ボルドの手 下と比べれば、その体つきは華奢であった。しかも人数的に不利であるのに加え、 ボルドたちは刃物は愚か、拳銃までも所持していると噂に聞く。もしここで、ボ ルドが手下へと静止の合図を送らなければ、デニスはどうなっていたか分からな い。 「ごめん、マリィ。すっかり遅くなっちまって………ルウのこと、押しつけちゃ ったみたいだな」 デニスもそのことに気づかないはずはない。けれどボルドや手下たちが身を退 くと、まるで何事もなかったかのように、陽気な声とともにマリィへと近づいて きた。 マリィもデニスに応じようと、歩きだそうとした。が、膝に何かがぶつかり転 びそうになってしまう。 「ルウ?」 いつの間にか、後ろにいたはずのルウがマリィの前に立っていたのだ。ルウも また、デニスの登場に喜んでいた一人なのだろう。 「遅くなったお詫びだ」 そんな少女の小さな身体を、デニスが片腕で抱き上げた。そしてポケットから 取り出した何かを、ルウの口へと放り込んだ。 「そら、キャンディだぞ。うまいか?」 デニスの問いかけに、顔中をしわくちゃにした笑顔が答える。 「悪いな、マリィ。ルウのぶんしかないんだ」 デニスがおどけてウィンクして見せる。 「いらないよ、そんなもの、私は………」 陽気なデニスと、ルウの笑顔。 それがマリィの心を和ませる。つい先ほどまでの、ボルドと対峙していた緊迫 感がまるで嘘のようだ。 「さあアパートに帰ろうな、ルウ。なあ、マリィ………今日はどうも空気が悪そ うだ。こんな日は、マリィも商売になんかならないだろう?」 「え? あ………ああ」 「よし、じゃあみんなで帰ろう」 「ちょ、ちょっと………デニス」 マリィに考えるゆとりなどない。デニスに手を引かれるまま、その場を後にす ることとなった。 「気持ちは分かるけどな。ボルド相手に、無闇にトンがるもんじゃないぜ」 ボルドたちの姿はもう見えない。アパートまで、あと幾らも距離のない暗い道 に差し掛かると、それまで陽気だったデニスの声が険しく変わった。 「私だって分かってる………でもやっぱり、あいつのやり方は許せないんだ」 「けどな、真正面からやり合ったって適う相手じゃないんだ。けがでもしたら、 どうすんだよ」 風はほとんどなかったが、冬の夜の空気は冷たく重い。だがデニスの腕の中は、 よほど暖かいのだろう。いつの間にかルウは、すっかり寝込んでしまっていた。 半開きの口から、甘いキャンディの香りがする涎をこぼしながら。 「ふん、あんなヤツにやられるもんか」 先ほどのことを思い出すと、マリィも興奮してしまい、つい声も荒くなる。 「別に俺は、マリィの心配はしてないさ。いざとなったら、一人でも結構強いも んな」 そう言ってデニスは笑った。 「ただルウが一緒となると、話は別だ。マリィ一人で、守りきれるのか?」 「………ごめん。つい興奮しちゃってさ。ルウの安全のことまで、考えられなか った………」 「ひょっとしてマリィ、気づいてなかったのか?」 デニスの眉が歪められた。半ば呆れたような目で、マリィを見る。 「気づいてないって、なにをさ?」 「ボルドがマリィを殴ろうとしてたろ? そん時、ルウのやつマリィの前に立っ て、お前を庇おうとしてたんだぞ」
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