空中分解2 #3067の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
今日は、なんだか、凄く、疲れた。それは、どいつもこいつも、エゴイストであり 、狡猾な演技で、がっちりとガードを固めていて、自分にプラスにならない事は、 何一つしたくはないという、そんな連中に囲まれていると、太陽が黒く見えたり( テニヲハがおかしくなったり)するのだ。やっと定時のチャイムが鳴った時には、 身も心もよれよれだ。窓の外は真っ暗だった。これは、分裂病とは関係なくて、冬 だから日没が早いだけだ。 俺はコーヒーカップを洗いに、給湯室に行った。<そうしたら、なんと>総務の花 田さんがみんなの湯呑みを洗っていた。花田さんは、背中で俺に気が付くと、「洗 っておいてあげるから、置いておいて」と言う。 それは、なんとも純粋無垢なイメージであった。花田さんの「洗っておいてあげる から、置いておいて」は、文字通りの意味において、そうなのだ。田丸や宮本の場 合には、その後に、「その代わりに**してくれる?」という条件がつく。花田さ んの親切はアガペーだ。実は、俺は、宮本以上に、花田さんの事を憎からず思って いたのだ。ましてや、宮本の化けの皮が剥がれた後の今だ。ますます、花田さんを 好きになる。こういうのを結晶作用と言うのかしら、などと思いつつも、花田さん は、掃き溜めの鶴だ、と結論する。 「じゃあ、お願いしちゃおうかなあ」と言って、俺は流しの方を覗き込んだ。 流しの中には、洗剤の泡にまみれた湯呑みが沢山あって、それ以外にも、お盆の上 に、沢山の湯呑みがある。ほとんどが、飲みかけだ。アルミの灰皿には、タバコの 吸殻が山盛りだ。総務の連中や、お客や、業者が、タバコの吸いすぎで、痰がから んで、それを飲み込むのに、ほんの一口飲んだだけなのだ。おかげで、花田さんの 手が荒れてしまう。あんな連中は、梅干しでも想像して自分の唾液を飲んでいれば 十分なのだ。 「随分、沢山あるね」と俺は言った。 しかし、花田さんは黙々と洗っている。田丸みたいに、文句を言う人ではないのだ。 「そんなに沢山あるんじゃ、大変だ」と言って、俺はワイシャツの袖をまくった。 「手伝うよ」 「いいの」と花田さん。 「だって」と俺。 「本当にいいの」と言う花田さんの声が、心なしか、震えている様な気がした。 「どうしたの?」と俺。 花田さんは、背中を震わせている。 「何でもないの」と言うと、花田さんは、肩口で涙を拭った。両手は、洗剤で、泡 だらけなのだ。 「何でもない事ないよ」 「でも」と花田さん。「これ、洗ってしまわないと」 三十分後、我々は、喫茶『リクハチチノマズホ』でコーヒーを飲んでいた。店内は 薄暗い上に、ステンドグラスの傘から漏れる光では、よくは分からないのだが、花 田さんの肌は、大理石の様に白い。しかも、伊勢丹の柱みたいにアンモナイトや貝 の化石みたいな模様などない。毛穴もない程につるつるだ。笑うと歯科矯正の針金 が見える。おかげで、美しさが過剰になる事を防いでいる具合だ。花田さんは、多 摩平団地で、両親と三人暮らしだと言っていた。団地に住んでいる人々を馬鹿にす る訳ではないが、団地育ちで歯科矯正をするなんて、とても大切に育てられたに違 いない。愛されて育てられると、奉仕の心が芽生えるのだ。だけれども、鼻の下が 短いから母乳で育ったのではないらしい。じんちゅうが豊かに波打っていて、顎が カーク・ダグラスみたいに割れている。カーク・ダグラスなどと言うと、いかにも ごつい感じだが、ギリシャ神話のニンフの様な感じなのだ、と、色々、部分を観察 している内に、なんだか、自分が変態の様に思えてきた。 俺は、慌てて、言った。「それで、どんな事があったの?」 花田さんは、恥ずかしそうに、両手で、包む様に、コーヒーカップを持っている。 「今日ね」と花田さんは言った。 「今日ね、大河内さんの疾病手当の手続きに社会保険に行ったの。疾病手当という のは、病気で休んでいてもお医者さんの証明があったら給料の七割を貰える制度な のだけれども。でも、大河内さんの判子がシャチハタだったの。社会保険の人は、 シャチハタでは駄目だって言うの。だけれども、ふと見たら、お医者さんの判子も シャチハタなの。会社に帰って、大河内さんに判子をいただいて、又、社会保険に 行って、今度は、お医者さんの判子がシャチハタだから駄目だ、なんて言われたら 、主任に、何やっているんだ、って怒られてしまう。だから、社会保険の人に聞い たの。そうしたら、お医者さんの判子はシャチハタでもいいと言うの。なんか、お かしい。シャチハタで駄目なら駄目でいいけれども、みんな駄目でないと、ずるい と思うの。でも、私、内気だから、そんな文句は言えないし、そのまま帰ろうかな あ、って思ったのだけれども、なんとなく諦めがつかないで、うろうろしていたら 、案内の人が、別の窓口に案内してくれたの。そうしたら、そこの窓口の人は、シ ャチハタの事なんて何にも聞かないで、平気で、受け取ってくれたの。凄く悲しか った。おかしいでしょ?たまたま書類を受け取ってもらえたのだから、ラッキーな 筈なのに、悲しいなんて。だから、こんなに悲しいのだけれども、悲劇にならない の」 「解る解る」と、俺は、がくがくうなずいた。 「本当?」 「解るよ、花田さんの気持ち。すごく解る」と言ってから、俺を罵った田丸の顔が 浮かんだので、俺は幾分慎重に言った。「つまり、やりようによったら上手く行く っていうのが、気に入らないのかな」 「そうなのよ」と花田さんも強くうなずいた。 「そうでしょう」 すっかり勇気を得て、俺は、饒舌にまくしたてた。
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