空中分解2 #3056の修正
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ええ? うっそだあ、と妖怪でも目撃したような顔で見返す葛城に重ねて苦笑を おくり、手もちぶさたにごきごきと鳴らしながら首を左右にふるう。 「この十年間、なんども禁煙しようとしてさ。たいがい一日もたたないうちに我 慢しきれなくなって喫っちまった。そのたんびに本数が増えてさ。禁煙なんざした ってムダだって思うようになってた」 「でしょ? でしょでしょでしょ? 喫えないとなるとよけい喫いたくなるもん ねえ。ねえ? ねえねえ、そもそもなんで禁煙しようって気になったの突然?」 おれは腕をくみ、しばし考えた。煙草やめた宣言をするたびに山ほどくりかえさ れてきた質問だ。適当に受けこたえていたのだが、それは確たる理由が見当たらな いからでもある。 「前からやめようとは思ってたんだ。心あたり、あるだろ? できればやめよう、 そのうちやめよう、てな」 「うん。ホントにそのとおりだよねえ」 「で、ちかごろ咳とまんなくてさ、おれ。正直、煙草喫うの苦痛に思う瞬間がふ えてたわけだ」 「いやーそれでもやめられないんだよなあ。煙草ってのあ」 と江戸っこぶった発音で腕を組みつつしかつめらしくうなずく葛城に、おれはう んにゃと否定してみせた。 「それが簡単にやめられた」 「いー?」 「ホントかなあ」 「まちがいないっての。おれもまあ、喉苦しかったし、何時間かでも煙草やめて 痛みがなくなりゃめっけもんだ、くらいの気持ちではじめたんだけどさ。三時間我 慢できたからあと二時間我慢してみようか、朝起きても喫わずにすんだからもう一 日ためしてみようかって、タイムトライアルしてるうちに、こりゃやめられるなっ て。実感してよ」 「で、一週間たっちゃったわけだ」 「そう。酒の席にはまだ用心して出ないようにしてるからわからんけど、これで 呑んだときも喫わずにいられたら、まあ完全にやめられたとみてまちがいないだろ うな」 「すごいなあ。信じられない」 「事実だってば」 「うん。さっきからあたしがすぱすぱ喫ってんのに、まったく動じてないもんね」 「じつは多少、うっとおしい」 「へん。あたしゃなんと言われようと喫煙権を遵守するよ」 などといいつつ灰皿をおれから遠ざけるあたりに、この葛城の性格の一端がよく 出ている。 「ねえねえ、もうさ、ぜんぜん、喫いたいって思わないわけ?」 「とんでもねえ」おれは猛然と首を左右にふってみせる。「煙草ってのは句読点 だからな。飯くったあと、電車降りた瞬間、ひと仕事終えたとき。喫いてえって思 うときなんざ山ほどあるさ。気がつきゃカラッポの胸ポケットんなか、一所懸命煙 草とライターさがしてることがあるんだ」 「あー無意識に」 「まあここんとこはなくなったけどね、それも。でも、煙草ないと手持ち無沙汰 だなあって時間は、ホント、キリがないほどあるねえ」 「ふうん」と葛城は紫煙を天井にむけてふうと吹きだし、「でもやめられたんだ」 いいつつ、灰皿に火口を丹念におしつける。「あたしも、やってみようかな、禁煙」 そのセリフを機に、 「ワリカンでいこうや」 伝票を手にして立ちあがりながら葛城に釘をさした。わかってらいと葛城も小銭 いれを開いて中身を数え、チャーハンの分だけジャラ銭をわたしてよこす。 「少し散歩、してこうぜ」 おれがいうと渋ってみせるのはいつものことだ。彼女の店とは反対方向に誘導し ながら事後承諾させ、坂をおりて堀ばたの土手道へ、ゆっくりと歩をすすめる。 風。 さざ波はたたない程度。木枠をくんだ足場に腰かけて、釣り人が竿をおろしてい る。緑に薄紅の対岸。ビルと、春の陽ざし。 「この堀ばたさあ」 と、おれは背後にすこし離れて歩く葛城に呼びかける。 「うーん?」 「楓と二人で、歩こうと思ってたんだよなあ。ちょうどいまごろの季節にさあ」 「ああ。だろうねえ。去年の今ごろはまだつきあってなかったんだっけ?」 「ああ。ふたりきりで歩くようなことはなかったなあ」 「うん。でー?」 「うん。でさー」 とおれは立ちどまる。 そのまま無言に沈みこんだおれをしげしげとしばし眺めまわしたあげく、とん、 とん、とん、と軽快に飛び跳ねながら葛城はおれのわきに立つ。 「で?」 真正面から見つめる一重の黒い瞳は、楓とちがってまぶしくはないが魅力がない わけじゃない。 「で、さ。ほかにもいろいろ、あそこいこうねとか、どこそこいきたいねとか、 そういう話を山ほどしてたんだ」 「もったいねーよなあ。なんで別れちゃったの」 「わがんね」 と肩をすくめる。そして立ちどまったまま、ぼんやりと堀の水面を眺めおろす。 「こういう時に、煙草喫いたくなるんだろ?」 からかいまじりに葛城はいい、ヴァージニアスリムを口にくわえた。 そう、とおれは葛城のほうに目をやらないままうなずき、足もとを軽く蹴とばし た。 煙を肺にすいこんで思いきり吐き出す音を三度耳にしてから、おれはふたたび口 を開く。 「あいつといっしょだと、なんでもできたんだよな」 「なにが?」 能天気にきき返す葛城をふりかえって苦笑をおくる。 「なんでもさ。ひとりじゃいく気になれそうにもない場所とか、食いもんとか、 いろいろ。たとえばさ」 「うん」 「禁煙なんかも、やるんだったらあいつと一緒に、励ましあったりとかしながら やるんだろうなとか、おぼろげに思ってたわけだ」 「はーん。楓ちゃんもヘヴィスモーカーだったからねえ」 「うん。で、ひとりじゃとてもムリだろうけど、ふたりでやればどうにかなるか もしんないな、とか」 「ふふん」わかった、とでも言いたげに葛城は鼻で笑う。「それができちゃった わけだ。ひとりで」 「それも、いとも簡単に、さ」 「なるほどね」 言って、ふうと煙を吹きあげる。春風に追われて煙はおれの鼻先に流れ、土手ぞ いに坂巻いていった。 「ま、そんなもんさ」 いって葛城は褐色の微笑をにっと浮かべる。 「そんなもんかね」 ため息とともにおれも吐きだし、小石をひとつ、足もとからひろいあげて堀の真 ん中へと投げつけた。 なんともありがちな仕種だ。 葛城はそんなおれの様子を見ながらはは、はは、と声をたてて笑う。 「史郎ちゃんてホント、そういう仕種が似合ってるよねえ」 「そうかい?」 にやりと笑ってみせてやる。 葛城は笑いながら煙草の吸いさしを堀にむけて弾きとばした。 「あ、環境破壊」 「ちょっと自分が煙草やめたと思って」 「ふん、これが楽しみで断煙したんだ。へん、肺ガンは苦しいんだぞう」 「うるさーい。肺ガンなんかにならなくても、人間いつかは死ぬんだーい」 言いながら葛城はファイティングポーズをとっておれの肩をぽんぽんと叩いた。 「また始めなったら」 「ん。気がむいたら、そのうちな」 生返事をかえすおれに「きっとだぞ」と脅迫的なジャブをさらに数発、やにわに くるりと踵をかえし、 「じゃあ、あたしゃ店に帰るよ。またおいでよ」 「おお」 「ぜったいに、焼き肉食いにいこうな」 へ、とおれは肩をすくめつつ、遠ざかる背なかに叫びかけた。 「焼き肉ってのあよ、相当親密な男女で食いにいくもんだぜ」 「あ、そういうよねえ。なにさ、史郎ちゃんらしくない。既成概念は敵なんだろ ー?」 最後のほうはふりかえりふりかえり、かろうじて届くだけの遠い声になっていた。 「またな!」 腹の底からしぼり出した声に、またね、と声がかえり、葛城の後ろ姿が桜並木の むこうに隠れる。 おれはため息をひとつつき、胸ポケットに意識をとばして苦笑にいき当たる。 「ま、こんなもんだな」 つぶやき、堀はだに沿って駅を目ざした。 山バトが電柱のうえで、鳴いていた。 (了)
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