空中分解2 #2906の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
九月は第二火曜日。 朝、薄もやの中、河原を見渡せる土手を行くのはジョギングをする人達。あ るいは大きな犬を連れて散歩する人もいる。静かな朝だ。 「何だ、あれ?」 その静けさを破るざわめきが沸き起こった。それは瞬く間に広がり、悲鳴を 上げる者まで出る。 最初に声を上げた者が見たのは、河原に転がる人間だった。ぴくりとも動か ないそれは、もう死んでいる。 何故、断言できるのか? その身体には首がなかったのである。 誰かが通報したのであろう、どこからともなくパトカーの音が届いてきた。 「親父が死んだ?」 朝からとっぴもないことを聞かされ、相原克は、夜更ししていたためにもや がかかっていた頭が、すっきりする感覚を持った。 「……ふーん。殺しても死なないんじゃないかと思ってましたが、あなた方が 言うんなら信じない訳にはいかないようですね」 玄関先に立っている中年の男は、警察手帳を示しながら、相原克の父親・孝 助の遺体が発見されたことを告げたのだった。 「いや、ひょっとしたら、あなたのお父さんでない可能性もあります。我々は 遺体の服にあった名刺から、こちらに伺ったんですがね」 「この名刺なら、親父のに間違いないです」 問題の名刺を見せられた克は、すぐに判定を下した。厳しい字面をした名前 の右上に、相原病院・院長とすり込まれてあった。 「で、何をすればいいんでしょう? 遺体の確認に来いということですか?」 「無論、それも考えとりますが、ちょっと問題があって」 刑事は歯切れが悪い。 「何です? 言って下さい。朝からこれだけ驚かされたんです。少々のことで はもう驚きませんよ」 「実は、相原孝助さんらしい遺体には、首から上がなかったんですな、これが」 「首? ……と言いますと、つまり、頭が、頭部がないってことですか?」 「そういうことですな。申し上げにくいんだが、犯人が殺害後、切り取ったと 考えられるんです」 「首を……。親父は他人の恨みを買うようなこともやってきただろうから。女 にも手を出していたし」 「……えっと、相原克さん? あんたね、父親が死んだかもしれんてのに、え らく淡々としてるじゃないかね。実の父親なんだろ?」 中年刑事の背後に控えていた比較的若い刑事が、いきなり乱暴な言葉を駆使 した。 「そうですが、実感がね」 「にしてもだ。あんたの言葉といい態度といい……」 彼がなおも続けようとするのを、中年の方が制した。 「相原克さん。他に身内の方はおらんですかね?」 「親父のね。母は何年か前に病死したし、じいさんばあさんもいないし。親戚 もいない。簡単に言えば、僕と康子の二人だけですねえ」 「康子とは?」 「妹です、僕の。高二で今、学校に行ってます」 「ほう。食事なんかはどうしてるんだい?」 「適当にやってますよ。親父が充分な金をよこしてくれるから、妹と二人で飯 ぐらい簡単に。そんなことより、妹の学校に連絡するんですか?」 「うむ、まあ、そうしない訳にはいかんだろう。電話、我々からしようか?」 「直接的な表現を避けてくれるんなら、それで構いませんよ」 そう言うと、克は妹の高校の電話番号を調べに、奥に引っ込んだ。 「信じられない……」 言った切り、康子は声をなくした。黒髪のかかった肩が震えている。 遺体の確認と簡単な事情聴取を終え、克と康子は戻ったばかりであった。家 に送られるまで、終始無言だった康子は、中に入るなり、涙声になっていた。 「どうしたんだ? 遺体を見ても何ともない様子だったから、強いんだなと思 っていたのに……」 克は、妹が急に変わった気がして、戸惑いを覚えていた。 「……あのときは、あんまりに突然だったし、腕とかを見せてもらっただけだ ったから、実感がなかったの……きっと」 克は遺体の腕を見せられても、父親だと断言できなかったが、妹の康子はす ぐに断定をしてみせた。 「……」 何と続けたらいいか迷っていた克は、思い付いた言葉を小さな声で口にした。 「……おまえにはまだ涙が残っててよかったな。俺には、あんな親父が死んだ 程度じゃ、出る涙は残ってない」 克は、父親に対して思っていたことを包み隠さず、警察で話した。例えそれ が元で、疑われるようなことになろうとも、である。 相原孝助は私立病院の院長で経営者である。自身ももちろん医者で、内科が 専門。三十四のときに見合い結婚した年下の妻とは、四年前に死別した。医者 の妻が、つまらない見落としで病死してしまったのだ。 克には母の生前から、相原孝助の態度に対して気に入らない点がいくつかあ った。家族を大事にしないというか、見かけは大事にしても根本では家族を道 具か何かのように考えているような節が、孝助にはあった。そう感じていたの だ。 母が死んでから一年もしない内に、孝助は昼間の仕事が終わると病院を若い 医者や看護婦に任せ、遊び歩くようになった。実際に克が見ていた訳ではない が、夜遅くに帰宅する父親からは女か酒の匂いが漂ってきた。 そんな父親に反発し、克は医学部への進学を蹴り、同じ大学の社会学部に入 った。父親とはしばらくの間、冷戦となったが、体面を気にする質なのか、「 息子の意志を尊重する寛大な父」というポーズを孝助が取ったため、短期間で 終結した。 だが、克は今になってこれを悔いていた。妹の方に、父親の無理強いが向け られていたからである。とりあえず娘を薬学部に入れ、どこかの有能な若手医 者を婿として迎えさせようという魂胆が、父親から見え隠れし始めていた。そ の矢先の父親の死であった。 「……病院の方も、大騒ぎだろうな」 克が言った。病院の内情について、詳しいことはまるで知らされていなかっ たが、理事を仕切っている人間が別にいるから、何とかなるのだろうが。 「ふん、めぼしいことはないな」 九月十八日付けの朝刊を眺めながら、克は言った。家の中は、他に誰もいな かった。 事件直後は、主に病院関係の人間が大勢やって来たが、それも葬式までで、 一夜の嵐だったように静かになっていた。葬式そのものは、首が見つからない まま執り行われ、一種異様な雰囲気であった。 妹は、婦長がしばらくの間一緒にということで、今も婦長の家に世話になっ ている。別に親父がいようがいまいが、この家での暮しには飯の量以外の変化 はないんだが。克はそう思いながら、妹を見送った。 一人になった克は、父親を殺した人間に会ってみたいと考えていた。どんな 理由で殺したのかを聞きたかったためと、一言、礼をしてやろうと思ったので ある。 警察の捜査を、新聞でつぶさに見ているが、まだ犯人について何も分かって いないようだ。今朝までに新聞で分かったことは、それ以前に警察から知らさ れた事実ばかりであった。 死因は絞殺。ロープのような物で背後から絞められたと見られ、首を切断し たのは死んだ後。鋸等の大ぶりな刃物によると考えられている。ただ、凶器は 共に未発見のまま。不審人物の指紋は一切、残っていなかった。 首の行方も不明。とりあえずは川に投げ捨てられたものと見て、さらってい るらしい。 死亡推定時刻は発見前日の午後八時からの二時間。発見現場の血の量から、 遺体移動のなされた可能性が高く、それに基づいて周辺を捜索したところ、近 くに止めてあった乗用車を発見。車内後部座席に大量の血を認め、鑑識の結果、 被害者の血液と完全なる一致を見た。また、その乗用車の持ち主が被害者自身 であることの確認には、克も立ち会った。 遺体の損壊が車内で行われたとなると、凶行も車内で行われたものと推測さ れ、犯行時に車がどこにあったか分からないため、聞き込みも非常に脆弱なも のとなっている。そこでもっぱら車の目撃者捜しに力を入れており、現在のと ころ、発見前日の午後六時半までは病院の駐車場に停車してあったことを確認。 「いつもの逃げ手だな。変質者の犯行説か」 新聞には、そんな意見が載せられていた。何故、そんな説が出るのか? 首 を切断する異常性もあろうが、遺体の胸に破損した十字架が置いてあったこと もある。 破損した十字架−−安物のプラスチック製のそれは、遺体と同じように「首」 の部分がなかったのだ。ちょうど、T字型に見える。 克も見せられたが、親父が持っているような物ではないと証言した。妹の康 子も同様である。 メーカーについても分からないままで、仮に分かったとしても大量生産であ ろうから、決め手にはならないと見られている。 「しかし……。これだけ日が経っても、何の悪い噂も出ないなんて、残った人 間がうまくやっているんだな」 軽蔑した口ぶりで、克は息をついた。 克にしても、父親が、あるいは相原病院があくどいことをしている確たる証 拠がある訳ではない。ほんの小さな頃、怪しげな会話をしているのを聞いただ けである。ある程度の知識が身についてから、そのときの会話が断片的に思い 出され、ひょっとしたら……と思っているだけである。だから、ことことは警 察に話をしていない。警察だって馬鹿ではないはずだから、その内、調べ上げ るだろう。 「それに、患者との間にトラブルはなかったかとも、聞いてきたしな。何とか なるだろ。病院の奴らが正直に話せば、だが」 新聞を読むのが面倒になった相原克は、それを放り出して横になった。まだ 大学に出る気にはなれなかった。幸い、九月二十三日までは夏季休暇である。 昼過ぎまで、テレビのワイドショーを見たり、週刊誌を読んだりと、だらだ らと過ごしていた。 「いますかな、相原克さん?」 呼び鈴があるのに、いきなりドアを開く音がしたかと思うと、そんな野太い 声がした。 「ああ、刑事さんでしたか」 表面上は穏やかに繕いつつ、相手を迎える。今日は中年−−湯川という名前 だった−−が一人で来たようだ。 「何の用で?」 「ここで話も何ですから、ちょっと警察の方まで」 「家の中じゃだめなんですか」 「……はっきり言いまして、容疑者が皆無の状態なんですな。それで、身内の 者から洗い直しとなりまして」 言いにくそうにする刑事。 「……つまり、容疑者扱いなんですね?」 「いえいえ。今は参考人の段階です。ですがね、今回を拒みますと、わたしゃ あ好きじゃないんだが、重要参考人っていうレッテルをあんたに張ることにな る。この参考人と重要参考人の差は大きいんでしてねえ。ほとんど容疑者扱い になる。ですから、今の内に、正直なとこを聞かせてもらえんでしょうかな」 「親父が死んだ時間、僕は妹と二人で、この家にいましたよ」 「無論、伺っおります。だが、身内同士の証言じゃ、意味をなさんのですよ。 ご存知でしょう?」 「……ふん。どうして僕が親父を殺すのかっていう動機も、そちらで用意して くれてるんでしょうね?」 「ま、一応は。色々と家庭の問題があったようですし、あんたは何度か被害者 と衝突もしている。ある人から聞いたんだが、最近じゃ、妹さんが無理矢理結 婚させられるんじゃないかと心配していたそうですな」 「大方、病院の誰かが喋ったんですね。結構、行きますよ」 克は覚悟を決めて、仕度をしようとした。 「あっと。妹は、康子は、どう扱ってくれるんですかね?」 「心配せんでもよろしい。状況はあんたと変わらんかもしれんが、なにぶん、 未成年だし、車の運転ができる方が犯人像に近いかと思ってね」 克が警察から解放されたのは、午後七時だった。かなりきつかったが、これ が参考人扱いじゃなくなるとしたら、いつ帰してもらえるのか知れたものでな かった。 事件を知らせに来た湯川刑事ともう一人の若い奴が相手だったが、型通りと 言うべきか、やはり、若い方が乱暴な言葉で言い立ててきた。疑惑が吹っ切れ た訳ではないが、向こうにも確たる証拠があるのでもないらしく、妹の結婚相 手が具体的に決まりかかっていたのではないという事実もあって、解放された ようであった。 「あの調子じゃ、全くあてになんねえな。俺が自分で犯人を見つけてやるか」 冗談混じりに、克は口にしてみた。まるで現実感がなかった。 急に、現実的な思いが浮かんだ。 克はうるさいことを聞かれるの覚悟で、大学の友人に電話をした。これから 何人かで飲みに行くつもりだった。 「これからは、常にアリバイを用意しとくか。いつ疑われてもいいようにな」 この思い付きが、後で役に立つことになった。 −続く
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