空中分解2 #2898の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
土をおしわけてあらわれる、黒い細ながい影を見たら、ためらわず身を縮めて息 をひそめるがいい。鋼の剣をもとおさぬ堅固な鱗におおわれた土蛇が、皮膚を食い 破って体内に侵入するのを防ぐには、ただただちいさく身を縮めて気づかれぬよう 息をひそめる以外に方法はないからだ。ただし、土蛇が土中よりあらわれる瞬間を 目撃できる運のいい者は、そう多くはいないだろう。なにしろ、その細ながい胴体 の全長は、わずか五ミリにしかすぎないのだから。 その他、この“死者の森”にはあらゆる種類の魔物、怪異のたぐいがより集って いる。透きとおる昆虫の羽を美しくふるわせて飛行する少女の姿をした屍肉喰いや、 夜空を優雅に旋回する半透明のくらげ様の生きもの、満月のあやしく輝く夜に地よ り生えでるルパシアの妖花、など――この森では、外見の美しいものほど、秘めた 毒もまたより強いのかもしれない。 むごたらしい死をのぞんでいるのなら、この森に踏みこむがいい。夜の訪れとと もにすみやかに、それは訪れるだろう。だが、それでこの世の苦しみのすべてから 解放される、などとは考えないほうがいい。事実はむしろ、その逆だ。なぜなら、 この森のなかで死を迎えた者はひとりの例外もなく、この世に顕現した地獄――す なわち、この“死者の森”の呪われた住人たる“屍鬼”と化して、永劫の苦痛に責 めさいなまれつつ悪夢のなかを徘徊せねばならないからだ。 森の実態を知る者なら、だれひとりとしてそこに踏みいる者はない。昼は足早に とおりすぎ、夜ともなれば魔よけの印をびっしりとしたためた門のむこうがわへと すみやかに避難する。そしてその門は、再び朝を迎えるときまで、決してひらかれ ることはないのである。 たとえ闇の退けられた昼のあいだとはいえ、この森に足を踏みいれるなど正気の 沙汰ではない。隻眼が怖ぞ気をふるうのも、無理からぬことなのである。つねに不 安げに四囲をうかがうティアンはともかくとして、むしろ動じる気配もなく黙々と 歩をすすめるダルガやリシのほうが異常といっていいだろう。 森はどこまでもはてしなく広がっていた。目じるしに樹木の幹に刀で傷をきざみ ながら進んではいるものの、たとえいま、この場でまわれ右して引きかえしたとし ても、戻ることなどできはしないのではないか、といった原初的な恐怖がおさえよ うもなくわきあがってくる。 足取りは遅々として進まない。森の奥ふかくあるという“諦念の滝”へと、日没 までにたどりつかねば、死を免れることなどできそうにない。だがあせりと疲労が、 いっそう足どりを重くする。 「なあ」隻眼が、重い口をひらいて呼びかけた。「あんたたち、いったいなんで また『死界魔道書』なんて、あるかないかもわからねえような、わけのわからんも のをさがす気になったんだ?」 リシとティアンはつかのま、黙したままだった。が、やがて巫術士が重く口をひ らく。 「真理を探求しているのだ」低く、淡々とした口調だった。「私は見てのとおり の巫士だ。幻術、巫占、魔道の術のたぐいを数かぎりなくおさめてきた。そして何 人もの師が、『死界魔道書』の名を一度ならず口にするのをきいた。しかもその口 調は、まるで判でおしたようにどのひとりも同じだった。声をひそめて、だが、そ の底深くにはかならずや羨望とあきらめの念をにじませて、まるで口にだして言葉 にすればはかない泡のごとく消えてしまう、とでもいいたげに、その名を口にする のだ」 つかのま、巫士の言葉がとぎれた。とおりすぎてきた昔日の日々への懐旧か。あ るいは……。が、再開された述懐には、やはりいかなる感情の片鱗もふくまれては いなかった。 「古賢の記したもろもろの書物もまた、かならずといっていいほど『死界魔道書』 に言及している。それに、あるかなきかもわからない――それこそまさに真実その ものの象徴ではないか。いやしくも、この道に足を踏みいれた者なら、『死界魔道 書』をなんとかして手にいれたいと考えぬ者など、いるはずがない。それは至高の 叡知、この世の実相そのものを解きあかした神秘の書にほかならないのだからな」 隻眼は納得のいかぬ様子でリシの言葉をきいていたが、ふいにいった。 「俺にはそれは、単なる例え話としか思えんのだがな」 それに答えたのは、ティアンであった。 「わたしも一度ならず、そう考えたことがある。実体のない、ただのお伽話に過 ぎぬのではないか、と。だが、それならそれでいい。たとえそのような書物が実在 しているとしても、一朝一夕でおさめられるものではあるまい。そしてたとえ実在 していないとしても、わたしたちは真理を探求することに一生をささげることがで きるのだ。これはとりもなおさず、同じことではないのか? そのような人生をお くることができるならば、悔いなどあろうはずも――」 ふいに、ティアンの言葉がとぎれた。そしてつぎの瞬間、少年はかっと眼を見ひ らいていた。 隻眼の口もとに、あるかなしかの薄笑いを見出だしていたのだ。 「おおっと」 剣の柄に手をやるティアンから、隻眼はあわてて飛びすさった。 「よしてくれ、こんなところで切り死になんざ、ぞっとしねえ。あの屍鬼どもの 仲間いりなんてな、これ以上のみじめな死にかたはねえやな」 いいながらも、口もとの笑いはいよいよ大きくなっている。少年の腕前などたか が知れている、と踏んでいるのだろう。 「いや、なにね」顔面ににやにや笑いをはりつけたまま、「あんたがた、察する にもとはどっかの貴族と宮廷魔道士かなんかじゃねえのか?」 少年の表情にかすかな動揺を見てとって隻眼は、得たりとばかりに何度も首をう なずかせた。 「やっぱりな。いくら汚れた身なりをしようと、氏素性ってのは隠しきれるもん じゃねえやな。要するに、あんたがたはおおかた継承者あらそいにでも敗れて、家 を追われるはめにでもなったって――うわっ!」 大仰におどろいてみせながら、隻眼はうなりをあげる剣先をかわした。 抜刀したまま、ティアンは怒りにわれを忘れて叫ぶようにいった。 「愚弄するか、この野盗めが!」 隻眼はあわててぶるると首をふると、 「めめ、滅相もねえ」 いいざま、地にふせて深々と頭をたれた。 「お気に障ったんならおわびしますよ。なにも俺はそんなつもりでいったわけじ ゃあ……」 「黙れ無礼者!」 激昂しつつ詰めよろうとするティアンを、リシがおしとどめた。 「離せ、リシ! どうでもこやつを打ちすえねば、わたしの腹はおさまらん!」 「そんな場合でもなさそうなんだがな」 低く発されたダルガの声が、ティアンをはっとさせた。 異様な気配に、隻眼もまたすばやく四囲に視線をはしらせる。 声が、きこえてきた。 地獄の底からの、呪咀のうめきが。 「やはり徒になったようです」 抜刀するダルガを見やりつつ、リシが静かにいった。 ぎり、と、ティアンは奥歯をきしらせた。 「よお、どうすんだよ」 剣をかまえてすさりつつ、隻眼がいった。かまえ、目くばりともに堂にいってい る。まがりなりにも、辺境で荒らくれ相手に生きのびてきた戦士の姿だった。 「結界をはれば、難はさけられる」抑揚のない口調でこたえたのは、リシだった。 「ただし、この場を離れるわけにはいかなくなる。八方ふさがり、というやつだ」 「なら、強行突破だな」 こともなげに、ダルガがいい放った。 「冗談だろう」隻眼がはげしく首を左右にふる。「それこそ自殺行為じゃねえか」 「耳をすましてみろ」 ダルガの言葉に、一同はわけがわからぬまま、きこえてくる音に耳をこらしてみ た。 屍鬼のうめき声が、徐々に大きくなりつつある。 その声の彼方に―― 「滝か!」 隻眼がいちはやく叫び、ティアンもまた感嘆のため息をもらした。 言われてみればたしかに、ほんのかすかにだが、轟々と落下する大量の水の音が ひびいてくる。 「“諦念の滝”か」 リシの静かな口調の底にも、感嘆の響きがふくまれていた。 ティアンがじっと見つめるのへ、リシは深くうなずいてみせた。 「強行突破だ。ダルガ、合図と先導をたのむ」 無言で傭兵はうなずく。 すでに、森のそちこちで黒い影が蠢くのが見えてきている。ティアンは嫌悪に顔 を歪めつつ、こみあげてくる吐きけと必死に闘っていた。 見るがいい。 しわがれた灰色の皮膚を。 だらしなくたれた顎を。 そこにのぞく、黒ずんだ長い舌を。 そして、生あるものへの呪咀と憎悪をやどす、底なしの眼窩を。 生気の喪失した灰色の一団は、のろのろとした動作で樹間を縫い、ゆっくりと近 づいてきた。 かたわらで、かちかちと音がした。ティアンが目をむけると、地面に布の切れは しを広げたダルガが、火うち石でそれに火をともそうとしている。 なにを悠長なことを、といいかけるティアンを、リシが目で制した。 濃汁をじゅくじゅくと分泌する灰色の人壁が、じりじりと包囲をせばめてくる。 それが抜けでる隙もなくなったか、と見えたとき―― ぽう、と灼熱の赤い点が布の端に灯り、それはみるみる燃えさかりはじめた。 同時に、四囲をとり囲んだ屍鬼の動きがとまった。 「燃える炎は、闇に生きる者の忌避するもののひとつです」 リシがティアンにささやく。 火が充分にいきわたるまで待って、ダルガは足もとからひろいあげた石を燃える 布でくるみこみ、そして四人をとり囲むおぞましい肉の壁にむけて無造作に投げす てた。 ひいい、と、うめき声が力ない悲鳴にかわり、包囲網がずいと退いた。 「いくぞ」 低くいい放ち、ダルガは疾風の勢いで飛びだした。 傭兵を先頭に、ティアン、リシ、隻眼の順に四人は樹々をぬって走った。 前後左右から無数の屍鬼がよろよろとまろび出てくるのを、ダルガと隻眼が剣で 無造作に薙ぎはらう。 滝の音は、いまや四人の耳にはっきりと聞こえていた。そして――うるさく立ち ふさがっていた樹木の群れがとぎれ、ふいに視界がひらけた。 丸石のころがる河原、逆まき荒れ狂う流れの奥に、どうどうと流れおちる瀑布が あった。 「奥へ!」リシが叫んだ。「滝の裏がわに、洞窟があるはずだ!」 その叫びを待つまでもなく、ダルガはすでにひるがえる波涛のただなかに飛びこ んでいる。あとにつづくティアンが逡巡した一瞬、 「うわあっ!」 背後から身も背もない悲鳴があがった。 肩口に屍鬼をとりつかせて、隻眼が狂ったように剣をふりまわしている。右がわ ――盲いた片眼の死角をつかれたのだろう。そのうしろから、一団となった屍鬼の 群れがせまりつつある。 「ティアンさま! はやく!」 背後から肩をおすリシの手をふりはらい、ティアンは隻眼にむけてかけ出した。 恐慌に陥った隻眼の目には、救い主の姿はうつらなかった。耳ざわりな悲鳴とと もに風車のようにふりまわされる剣がティアンのいく手をはばみ、近づくことさえ できそうにない。 「ティアンさま!」 呼びかけるリシの叫びに、ティアンは途方にくれたようにふりかえる。 そのリシの背後、荒れさわぐ急流のなかから、ダルガが叫んだ。 「寝ころがれ! 足だ!」 一瞬眉をひそめ、すぐにティアンは戦士の言葉を理解した。砂利のひろがる河原 で、隻眼の足もとむけて身体ごと、いささかの躊躇もなく果敢に突っこんだ。 もつれて倒れこむ隻眼の下からすばやく抜けだし、腐臭をはなつ口を威嚇するよ うにひらいた屍鬼の首筋に、懐剣を深々と突きいれた。 悲鳴は、あがらなかった。苦しげで、哀切きわまりないうめき声が、弱々しく、 長々とあがっただけだった。 「この死に腐れが!」 叫びざま、隻眼がなおもとりついて離れようとしない屍鬼の腹に長剣を突きたて る。恐慌から脱したらしい。呼応するようにティアンも、腐肉の塊をひきはがしに かかる。 「ティアンさま、はやく!」 少年を守るためにひきかえして屍鬼の一団のまえに立ちはだかり、呪句で進攻を おしとどめていたリシが苦しげに叫んだ。おし寄せる一団は、じりじりともどかし げに前進しはじめている。秘呪の壁をぬけでて、すでに二、三の腐人がもがくティ アンと隻眼にむけてよろよろと歩を踏みだしていた。 「とけたぞ、リシ!」 声音が響くや、リシは印を解いてふりかえった。 残骸と化した屍鬼のかたわらに立ちすくむティアンと隻眼の背後から、汚汁をま きちらしながら飛翔する腐人の姿があった。 身を切るようなリシの叫びと、ほぼ同時だった。 ダルガの長剣が弧を描き、宙にとどまったままの屍鬼の胴が両断されたのは。 「ぐずぐずしてるんじゃねえ!」 ダルガの叱責に、ティアンと隻眼ははっとして背後の急流めざして走りはじめた。 「すまねえ」 走りながら、隻眼はティアンにいった。まぎれもない感謝の念が、恐慌に陥った ことを恥じる表情の下に見えかくれていた。ティアンは微笑み、白く波うつ流れに むけて飛びこんだ。 「ダルガ、おまえも!」 堰を切られておしよせる屍鬼の群れに応戦する傭兵のかたわらで、リシが叫んだ。 そのリシへ、意外に冷静な体のダルガがきいた。 「リシ、おまえ、さっきなんと叫んだ?」 リシの顔から、能面のように表情が消失した。 「はやく」
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