空中分解2 #2897の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
剣をとり落として恐怖に腰をぬかさないだけでも、隻眼の胆力を誉めたたえてし かるべきだろう。 「いかがかな、傭兵どの」 白髪の男は――隻眼の背後の闇に向けて呼びかけた。 「幻術か」 こたえる者のいるはずもない背後の闇から、返答とともに黒い影があらわれた。 熱く、鋭利な風が、部屋の内部に充満する。あの黒ずくめの傭兵――ダルガが、 そこにいた。 「君も金品をねらって忍んできた口か?」 男の問いに、傭兵は舌うちで応じた。 「見そこなうな。人相の悪いのがおまえらをうかがっていたからな。強盗の類な ら、お宝とひきかえに追いはらってやろうと思って来たまでだ。が――まあ、俺の 出る幕でもなさそうだな」 「そうでもない」 「そのとおりだぜ」 答えたのは、隻眼だった。 剣をかまえたままぐるりとむき直り、ダルガと対峙する。その唇の端から――一 筋の血がしたたり落ちていた。 「幻術というのは大方はこんなものだ」自嘲の響きすらなく、白髪の男は淡々と いう。「巫術だけでは、力に敗れることも珍しくはない。からくりを知られていれ ばこのとおり、なんの役にも立たんしろものだ。でなければ――」 「傭兵を頼みにする必要もない、か」とダルガ。 「そのとおり。報酬の用意はある」 「受けてやる」いって、傭兵はすらりと腰の剣をぬき放った。「ただし、この件 に関してのみ、だぞ。酒場での与太話は無関係」 「結構だ」 白髪の男はおもむろにうないてみせると、高見の見物とばかりにゆったりと寝台 に腰をおろす。 そのやりとりの間も隻眼は、傭兵を眼前にしながら必死に打開策を検討していた。 夕刻の一件で思い知らされたごとく、このダルガという男は尋常の相手ではない。 隻眼自身、もとは傭兵としてならしていたし、腕のほうにも並ならぬ自信をもって いる。だからこそなお、この黒ずくめの男が人間ばなれした剣技の持ち主であると わかるのだ。 まき返しは一瞬で決まる、と隻眼は考えていた。ただの一撃。それをはずされれ ば、おそらく自分の命はないだろう。 問題は、タイミングにあった。抜刀した状態で対峙した以上、なんのきっかけも なく不用意に動けば、死に直結する。かといって――このままの状態がつづけば、 力量の差からいってもあきらかに自分が不利だった。 きっかけが、必要だ。 ほんのちょっとしたことでいい。ほんの、ささいなきっかけが。 「リシ」ふいに――少年の寝ぼけ声が、闇を震わせた。「なにをしてるの――」 機を逃さず、隻眼は打ちかかった。 存分の間合いだった。 そして、生涯最高の突きであった。 これをかわされるなら、もはや打つ手はない。だが、鬼神といえどもこの突きを かわすことなど、できるはずがなかった。 長剣はダルガの水月深く、ずぶりとつき刺さり、 ――手ごたえがなかった。 そんなはずがあるか! 隻眼はうろたえ、突きを入れた瞬間に傭兵が消失した空 間を痴呆のごとく凝視した。 「いい腕だ」声は、背後から聞こえてきた。「しかし、盗賊ぐらしが祟ったな」 ――手首を、がしりとつかまれていた。 万力のような圧力がぎりぎりと加わり、長剣ががらりと音を立てて床に落ちた。 そして首筋には、冷たく、鋭い感触。 「金貨一枚」 「承知した」 簡素なやりとりに総毛だち、思わず隻眼は叫んだ。 「待ってくれ、おれァまだ死にたくない!」 「虫のいいことをいう」 抑揚のない声でダルガがつぶやいた。 「まま、待てったら! なあ、あ、あ、あ、あんた、あんたからもなんか言って やってくれよお」 恥も外聞もなく泣きわめきながら、隻眼は白髪の男と、目ざめたばかりでなにが 起こっているのか把握しきれていない少年とを、交互に見やった。 「頼む、頼むよお。助けてくれたら、なんだっていうことをきく。そうだ、あ、 あ、あの話にのったっていいぜ! もちろん、命を助けてもらえるんだったら、報 酬だっていらねえや。な、な、な。どうだい、え?」 隻眼のうったえを完全に無視して、僧衣の男はダルガにうなずいてみせた。 「やってくれ」 とたん、隻眼はがくりと膝をつくや、 「糞ったれが、好きにしろ!」 叫びはなち、あぐらをかいてすわりこむ。そのまま、手の甲にどっかりと顎をの せ、ふてくされたように黙りこんだ。 そのとき――ふいに少年がいった。 「いいだろう」 あっけにとられたように隻眼がその左目を見ひらき、しばたたいた。僧衣の男も また、いぶかしむようにして少年に視線をむける。ひとりダルガだけが、我関せず といった風情だ。 「おまえの命を代償に、傭ってやると、いっているのだ」 しばし呆然とし――隻眼は天啓を受けたかのごとくがばと身をふせ、少年にむけ てひれふした。 「ありがてえ!」わざとらしく声をはりあげて、隻眼は少年にとりすがるように していう。「ありがてえ、本当にありがてえ! あんたはまるで天使みてえだ。い やいや、みてえ、じゃなくて、本当の天使さまにちげぇねえ、いや本当に俺は生ま れてこのかたあんたみてえな――」 「底の知れる追従はいい」少年は辛辣な口調で隻眼の冗舌をさえぎり――おもむ ろにダルガにむけて視線をあげた。「おまえもだ、傭兵」黒い瞳を真正面から見つ めた。「ともに来てくれ。あの“死者の森”へ」 「その話なら断ったはずだぜ」 剣をゆっくりとおろしつつ、突きはなすようにダルガはいった。その動作の間も、 隻眼からはけっして目を離さない。隙あらば牙をむいて襲いかかる毒蛇の本性を知 っているからだった。 「リシ」 少年は僧形の男に、命令口調でするどく呼びかけた。 白髪の男は、しばらくのあいだ無言で少年を見つめかえしていたが、やがてあき らめたようにかくしに手をやり、小さな皮袋をとり出した。 寝台脇の小卓を引きよせ、その上に袋のなかからとり出したものを置く。 隻眼の左目が大きく見ひらかれた。 子供のこぶしほどもある大きさの、紅の宝石が、星あかりに燦然ときらめいてい た。 「これひとつで、おまえひとりなら一生遊んで暮らせる」 つかの間、傭兵は目を細めて宝石に見いっていた。しかし、ふいにその口もとに 冷笑をうかべた。 「笑わせるな」剣をあげ、その切先をぴたりと少年にむける。「一生遊んで暮ら せる、だと? 生きていられればな。宝石を握りしめたまま、闇につつまれた森の 奥で亡者どもに囲まれて屍をさらす気は、あいにくだが俺にはねえんだ」 いい捨てて、くるりと背をむけた。 少年は、制止すべく手をあげかけた。 が、もはや説得できる言葉などない、と気づいたのか――沈黙に沈みこむ。 そこへ、 「ひとつ、聞き忘れたことがある」 背中ごしに、ダルガがいった。 「うけたまわろう」 なにかいいかけた少年を制し、白髪の男がこたえた。 「あの森に、なにをしにいくつもりだ?」 「さがしものがあるのだ」少年の答えがはずんだ。変声期前の幼さと――そして 高貴なる者の威厳とをともに内包した、不可思議な魅力のある響きだった。「あの 森に棲まうドーラン・ファドという名の魔道士がそれを持っているときいた。噂に すぎないが、真偽をたしかめずにはいられない」 「――たったそれだけのために、あの森にわけ入ろうというのか」 あきれたような声音に、 「そうだ」 少年は誇らしげにこたえた。 「おまえらは馬鹿だ」 少年は唇を噛み、僧衣の男はため息をついた。 そのふたりに、傭兵はくるりとむき直る。 「俺の名はダルガだ」 思いがけない言葉に、ふたりは顔を見あわせた。 そして――少年はよろこびに頬を染め、ほとんど叫ぶようにしていった。 「わたしはティアン。この男はリシだ」 「よろしくたのむ、ダルガ」 言ってほほえむリシに、ダルガはそっけなくうなずいてみせただけだ。 「ちなみに……俺の名はガイラってんだ」遠慮がちに盗賊の名乗るのが、つけた しのように白々しく響いた。さらに、「ところで、あんたらのその捜しものっての だが、いったいなんなのか教えてくれねえもんかね」 沈黙が闇をうめた。 少年の紅潮した頬が、潮が引くようにみるみる色褪せていき、探求者たちは意味 ありげな視線をかわす。 リシは首を左右にふり―― その制止をふりきってティアンは、しばしためらいを見せた後、意を決したよう に口をひらいたのである。 「開闢の智の書――『死界魔道書』」 と。 3 「たまらんな、これは……」 列の最後尾で、隻眼がつぶやいた。 語尾がたよりなげに薄闇へと消える。 前をいく三人は、何回めかのそのつぶやきを黙殺した。 陽がのぼるのを待って森に踏みこんでから、だいぶ時がたっていた。太陽はすで に中天をまわっているだろう。もっとも、樹間をとおして見あげても、薄曇りの空 のどこに太陽があるかなど、見当もつかなかった。 疲労が重くのしかかる。単調で、それでいて神経をはげしく消耗させる旅程だ。 厚く雲におおわれてただでさえとぼしい陽光は、いくえにもおり重なった枝々に さまたげられて、森の底にはほとんど届いてこない。 踏みしめる地面はじっとりと湿り、腐臭を放つ濃汁のごとき水分をじゅくじゅく と分泌している。 森に踏みこむ前の、ひんやりとこころよく肌を刺す清澄な朝の空気が、まるで遠 い別世界のことのように思えた。 ながく、遠く、鳥の鳴声が森をつらぬいた。生は絶えることなき苦しみ、とその 声はつげる。 なまぬるい風が、樹々をざわざわと鳴らした。死は、残されたただひとつのやす らぎと、それはささやく。 そして――樹々の陰に、下生えのかたわらに、暗く湿った小穴の奥に……じっと 息をひそめてうずくまるものたちの、ひそやかなうめき声。 森の住人たちは、樹影をぬってとどけられる貧弱な昼の光さえきらい恐れて、わ ずかな暗闇のなかで息をころして夜の訪れを待ちつづけているのだ。 隻眼は、そんな闇の住人の姿を垣間みるたび、おぞましげに肩をふるわせていた。 さもあろう。ここはあの名高き“死者の森”なのである。 街道をいそがしくいきかう行商人も、この広大な森の突端にでもさしかかろうも のなら、普段あれほど慈しみ大切にしているおのれの愛馬にののしり声をあげなが ら鞭をいれ、一刻でも早くこの呪われた土地を抜けでようと足を速める。 日没がせまるとなると、旅人は一様に恐怖の表情を顔面にはりつけて、ほとんど 駆けるようにして町をめざす。 そして、昼間は切れ目もなくいきかう馬車や徒歩の人の姿も、夜ともなれば蹄の 音ひとつ響かせることはない。通常の街道筋であれば当然目につく野営の準備も、 この一帯では絶えて見られることがない。 森をかたわらにして夜を迎えるということは、自殺するよりなお始末が悪いから である。人々は――とくにこの地方に住む人々は、死よりもなおおぞましい運命が 存在することを知っているのだ。 聞くがいい。あの哀しげな鳥のかぼそい声が、広大な森のどこにいようと届けら れるのを。フレンの街とイデルシャの村とのあいだに重く横たわる広大な森の内懐 には、ただ一羽の鳥しか棲息しない。その魔鳥のさえずりは、森のなかにさえいれ ばどこにいようと届かぬことはないという。そして、そのさえずりの魔性にひとた び魅入られた者は、人の肉をかみ砕く巨大な嘴からのがれるすべはないのである。 暗い森のなかを、どこにいるともしれぬ化鳥のもとへとむかって、夢遊病者のよう にたよりない足どりで進む人の姿を物見の砦から垣間みた、という噂はいまでも絶 えることがない。 物陰からふいにあらわれては消えるちいさな影を無害な小動物のたぐいと見る者 は、一夜あけぬうちに肉の一片だにまとわぬ白骨と化すだろう。闇よりなお暗い毒 霧を吹きだす黒猿の顎は、そのちいさな体躯には不つりあいな長大な牙を剥きだし にして、空腹をみたす新鮮な生の肉を――とりわけ人間のそれを、夜の間中待ちつ づけているのだ。
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