空中分解2 #2881の修正
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6 「わたしに何か隠している事ない?」さりげない口調で香澄が圭介に尋ねたのは、 結婚式を明後日に控えた夜だった。 「え、何が?」身におぼえがありすぎる圭介はどきりとしたが、かろうじて何気な い驚きを装うことに成功した。「隠すって、何を?」 「訊いているのは、わたしの方よ」香澄は真正面から圭介の目をのぞきこんだ。「 隠し事があるなら今のうちに言っておいて」 「いきなり、何を言い出すんだ。何も隠し事なんかないよ」どぎまぎしながら、圭 介は答えた。 「そう」香澄は目をそらした。「ならいいのよ」 特に何か確信があったわけじゃないのか、と圭介は安堵のため息をつきそうになっ た。香澄はそのわずかな一瞬をついて、熟練した剣士のような一撃を与えた。 「セーラー服の女の子は誰なの」 呼吸が止まった。心臓の鼓動と思考も同時に凍りついた。 香澄は再び真剣な顔で、圭介の目を見つめていた。 ようやく圭介は口を開く事ができた。 「どうして知ってるんだ?」口にしてから、しまったと思ったが遅かった。みるみ るうちに香澄のつぶらな両目に涙があふれた。そのまま香澄は立ち上がって、玄関に 向かった。 「香澄!」圭介は飛び上がって、香澄の腕を掴んだ。香澄はその手を振り払った。 圭介がこの世で一番愛した少女の顔には、今まで見た事もないような悲しみと絶望が 刻まれていた。 「今日は帰る」感情を押し殺した声で香澄は言った。「式までに、うまい言い訳を 考えたら?」 香澄は激しくドアを閉じると、走り出て行った。圭介は呆然と立ち尽くすだけだっ た。 「わざとしたのか?」圭介はグレーチェンを問いつめた。「わざと香澄に見られる ように仕組んだんじゃないだろうな?」 「ばかを言わないでよ」というのが浮気の相手と誤解された少女の返事だった。「 そんなことして、あたしに一体何の得があるってのよ。もし、あんたが香澄ちゃんと 結婚できなけりゃ、あたしの今までの苦労は完全に水の泡なのよ」 圭介はうなだれて、頭を振った。 「これで終わりだ」 「そうねえ」グレーチェンは圭介の苦悩を楽しんでいるような顔で言った。「一途 な女の子だから、裏切られたって想いは人一倍強烈に感じてるでしょうしね。大体、 すぐ否定すればよかったのよ。よりによって、『どうして知ってるんだ?』なんて。 嘘でも何でも、ひたすら否定すれば、最後には香澄ちゃんだってそれを信じたでしょ うに」 「これが最後の頼みだ。何とかしてくれ」圭介はグレーチェンにすがりついた。 「この間、あんたがあたしに何て言ったか忘れたわけじゃないでしょうね」グレー チェンは意地悪く言った。圭介は必死に謝った。 「悪かった。悪かった。ぼくのために一生懸命やってくれたお前に、あんなひどい ことを言うつもりはなかったんだ。本当だ。つい、口が滑ってしまったんだ」 「全く口は災いのもとねえ。ま、いいでしょう。何とかしてあげるわよ」グレーチ ェンは圭介の肩に手をかけて、皮肉な笑みを浮かべて付け加えた。「今度は人を殺さ ずにね」 よく晴れた青空が広がっていた。教会の鐘が祝福を与えるように美しく鳴り響き、 人々の心をうきうきとした気分で満たした。一組の若い男女が結ばれる日としては、 これ以上望みようがないぐらい素晴らしい一日となりそうだった。 控室で圭介は落ち着かない気分で待っていた。あれから、香澄とは会っていない。 今のところ、式を中止したりする様子はなさそうだったが、怒りと悲しみに満ちた花 嫁では、めちゃくちゃになるだろう。グレーチェンがうまくやってくれることを祈る ばかりだった。 「まるで熊みたいね。うろうろと」聞き覚えのある声に圭介はばっと振り返った。 いつの間にか、グレーチェンが立っていた。 「ばか」圭介は誰もいない控え室をきょろきょろと見回して、声をひそめた。「誰 かに見られたらどうするんだよ」 「誰か来たら、その前に消えるわよ」 「それで…」圭介はおそるおそる問いかけた。グレーチェンは微笑んで、圭介の心 配を取り除いた。 ・・・・・・・・・・ 「心配しないで。もう、大丈夫よ。香澄ちゃんはもう怒ってはいないわ」 「本当か!」圭介は思わず歓喜の叫び声を上げかけて、危うく思いとどまった。「 助かった。ありがとう。一生恩に着るよ」 「気にしなくていいわよ」グレーチェンは手を振った。「それより、いよいよ契約 が完了する時が近づいてきたわね。ちゃんと憶えてるでしょうね?忘れたなんて言わ ないでよ」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「もちろん。ぼくが結婚式の日に悲しんでいたら、その悲しみをお前が取り上げる、 だったよな」 「そう。約束は守ってもらうわ」グレーチェンはにっこり微笑んだ。 「構わないとも。構わないけど、今日1日でぼくが悲しむことなんか、まず有り得 ないと思うよ。たとえ、あったとしてもそれを持っていってくれるなら喜ばしいこと だと思うがねえ。一体、お前に何の得があるんだ?」 「あんたたち人間の、特別な悲しみや喜びは、ものすごい価値がある、とでも言っ ておくわ。まあ、説明したってどうせわかんないわよ。ほら、よくSF映画か何かで あるでしょう?人間の精神を吸い取る怪物、なんてのが」 「食べるのか?」圭介は目を丸くした。 「ちがうわよ。説明できないって言ったでしょ」グレーチェンは何かを感じとった ように、ドアの方を向いた。「じゃあ、また後で」 セーラー服の少女が消失した数秒後に、ドアが開いた。そこに純白のウェディング ドレスに包まれた香澄が立っていた。 「香澄」圭介はドアを閉めて、介添えの女性を追い払った。「もう、怒ってないの かい?」 「怒るって何を?」香澄は無邪気に訊きかえした。その声には若い女性の喜び以外 の感情は全く見いだせなかった。予想していたことだが、グレーチェンは例の一件を 香澄の記憶から消し去ってくれたらしい。圭介はほっとして、ベールの奥の香澄の顔 をのぞき込んだ。 「綺麗だよ、香澄…」言いかけた声が途中で途切れた。「香澄?」 美しい瞳が圭介を見返した。圭介はたった今感じた違和感の原因を探し、すぐにそ れを見つけた。 「グレーチェン!」圭介は叫んだ。グレーチェンはすぐに出現した。 「大胆ねえ。紹介してくれるの?」揶揄するようにグレーチェンは圭介を見た。 「これはどういうことだ?」恐怖に襲われて圭介は震え声で問いつめた。 「何の事?」 「とぼけるな!」圭介は怒鳴った。ドアの向こうで小さなざわめきが走ったが、気 にも止めなかった。「一体、香澄をどうしたんだ!」 香澄は、グレーチェンを目にしても、何の関心も示していなかった。ただ、にこに こと幸せそうに微笑んでいるだけだった。空中から出現したセーラー服姿の少女を確 かに目にしたはずなのに、悲鳴をあげもしなければ、圭介にすがりついたりもしなか った。 ・・・・・・・・・・・・・ 「ただ、喜び以外の感情を消しただけよ。それだけあれば、結婚できるでしょう」 グレーチェンは香澄に微笑み返しながら、答えた。 「ばかな!」圭介はグレーチェンにつめよった。「それじゃあ、人間とはいえない じゃないか。ただ、にこにこと笑っているだけなんて!」 「いいじゃないの。怒りや悲しみや憎しみなんて盾ォだけよ。ないにこしたことは ないでしょう」 圭介は絶句して、香澄を見た。二人の人間が自分の喪われた心について、話してい るというのに、全く気に止めていない様子だった。ただ嬉しそうに、にこにこしてい るだけである。 「もとに戻してくれ」圭介は頼んだ。「これじゃあ、人形みたいじゃないか」 「もう、駄目よ」グレーチェンは姿を消した。 「香澄…」圭介は香澄に近づき、力一杯抱きしめた。「ごめんよ。ぼくを許してく れ…」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 圭介の頬を、深い悲しみの涙が流れた。心から香澄が哀れに思えた。 「確かに受け取ったわ」グレーチェンの勝ち誇った声が遠くから聞こえた。同時に 圭介の心から、香澄を哀れむ気持ちがきれいに消失した。 「あれ?」圭介は不思議そうに首をかしげた。「どうして、ぼくは涙を流している んだ?」 「わからないわ」香澄は嬉しそうに笑っていた。圭介はその笑顔を見て、最高に幸 せな気分になった。喜び以外の感情がないなんて、実にうらやましい。怒りや悲しみ や憎しみなんて醜いだけだもんな。ぼくもそうしてもらいたいくらいだ。 「圭介さん、香澄さん」誰かがドアを叩いていた。「どうしたんですか?式の時間 ですよ!」 「いま行きます」圭介は朗らかに応えると、香澄の手を取って言った。「さあ、行 こう。ぼくたちの結婚式だ」 「ええ。圭介さん。わたしたちの結婚式ね」香澄はにこにこと答えた。 ドアを開けようとして、圭介は訊いた。 「香澄、幸せかい?」 「ええ。とっても。この幸福な瞬間がずっと続くといいのにね」 「きっと、続くさ」圭介はドアを開いた。「永遠にね」 鐘の音が幸せな二人を優しく迎えた。心からの幸福に包まれて、圭介と香澄はゆっ くりと歩き始めた。 The End
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