CFM「空中分解」 #1674の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
してみると、世の中には、たいそうご立派な、しかしながら全くもっていい加減 な成語が溢れていることですよ。得た静寂が永遠の物だと悟ったとき、果たして誰 が「百聞は一見にしかず」なんて言葉を口にできるだろうか。ぼくは腹立たしくな って叫んでみた。咽喉から息が抜けている。手ごたえというか、喉ごたえというか、 そういう物が感じられなくて、穴のあいたゴム鞠のように、息が抜けてしまうよう だ。瞬間、ぼくは重大な真実に気がついた、そう、「百聞は一見にしかず」という フレーズは、「百見は一聞にしかず」と言い替えたとしても、完全にシノニムとし て、成り立つのではないかということだ。矛盾しているようだが、全くそんなこと はない。例えば、例えばの話、バロック音楽の味わい、あの安らぎを誰が僕に、 「見せる」ことで説明できるというのだ? はじめの一か月ほどの間(僕にはそう感じられた)は何も起こらなかった。とい うより、何も気づかなかっただけかもしれない。 思考が視覚化されていた。変な話だが物を考えるのに、頭の中に声がしなくなっ ていた。代わりに、文字が見える。ワープロをたたく間、ディスプレイを眺めてい るかのように。自分の声が聞こえずに、文字が見える。 その、事実にはじめて気がついたとき、僕は驚き、戸惑い、せめて頭蓋骨の中だ けにでも、自分の声を取り戻そうと試みた。文字をながめ、黙読と視読と精読の違 いを思いだそうとして、ページをめくり文字を眺める。ありがたいことに僕は、つ いこの間まで音を聴いていたのだから。生来、音を聴いたことがない人とは条件が 違うのだ。有利なのだから。文字を眺め、黙読とは何だったのか、ということ、 音読の、音量無限小としての黙読。ただ眺めることと、そこにどういう差があった のかを必死に思い出そうとする。 しかし、やっとのことで掴みかけた音の残像は、子供の頃、瞼の裏に映っていた 幾つもの秋の赤い太陽のように、まっすぐに見つめようとすれば逃げて行く。僕は この音の残像を生涯掴み続けていたかった。だが、そこにある音の影を真剣に聞こ うとすればするほど、それはなぜか僕を避けるように逃げていった。 やがて幻は揺らぎ、ふやけて、湿っぽい僕の視界ならぬ聴界から消えた。 *********************************** そんな僕の頭の中にじりじりと鳴る目覚ましの音が響いたとき、それがどんなに 素晴らしいことであったか想像できますか? 僕はあの音の中に至福の時を見いだ して、いつまでもその音に包まれていたいと思ったのでした。涙さえ浮かべながら、 いつまでも・・・・・ それは大学の入学試験の朝でした。時計を見た途端、僕は真っ青になり・・ *********************************** 結局、僕は一年を棒に振ったのでした。
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