CFM「空中分解」 #1603の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
第3回 いもうと 1985年8月12日、ジャンボ機墜落事故。 私はたった一人の妹を亡くした。 すっかり力の無くなった母親を慰めようと、毎週、東京から大阪の実家に帰った。 駅々の新幹線のホームには、旅行する女の子達が数多く見受けられた。 妹も生きていれば、旅行をしただろう。そんなことをすぐに思いだしながら、車窓 の女性達を眺めていた。 しかし、その事故から二ヵ月後に東京晴海で開催される展示会で、私は我が社の展 示ブース責任者として活動しなければならなかった。 私に預けられたのは、二人のプロのナレーターと全く素人の六人のオペレーター、 合計八人の女性達。その他、説明員、サポート・バックアップチーム合わせて、総勢 三十名のスタッフを動かさなければならなかったのだ。 デモのストーリーは何も決まらず、会社においては睡眠時間をすり減らし、週末は 新幹線で東京と大阪の実家を往復する生活が続いた。 新幹線の中で思いついたデモストーリーを、会社のワープロで徹夜で叩いた。 妹の四十九日も済んでいないのに、夜の夜中に俺は何でこんな漫才の原稿を書かね ばならないのだろうと、情け無い思いでワープロを叩いた記憶がある。 我が社の展示会で初めて、二人の女性ナレーターの軽い会話で繰り広げられるデモ ストーリーがこうして誕生した。 デモストーリーに合わせて、部下がシステムのソフトを作成していった。 展示会はもうすぐだった。 事故後の各種の手続き、葬儀、慰霊祭、遺品探し、その多くのスケジュールによる 多忙が、「忘れろ、忘れろ、お前には妹なんかいなかったんだ」と叫んでいた。 展示会目前の女性オペレーターの訓練、説明員教育、他社偵察部隊への指示、社内 協力部署へのアクション。 妹と同じか、少し年下の明るく希望に燃えた女性達を前にして、何度となくくじけ る毎日だった。 忘れることは容易ではない。 ついに展示会前日、最終調整段階に入った。 女性ナレーターと女性オペレーターのタイミングが合わない。ナレーターが製品名 を間違える。何度もやり直しが続く。練習に熱が入るが彼女達は張り合っていた。 翌日、展示会に突入した。 ナレーターとオペレーターのタイミングはまだ合わない。まだ製品名を間違える。 ぎこちなく、固さが残っている。女性同士の突っ張りのようなものが漂っていた。 他社のブースのデモが好評だという情報が入る。ここまできて負けられない。 デモが終わるたびに指示し、彼女らの緊張を解きほぐす。 初日がなんとか終わった。二日目、まあまあのでき。やっと本調子か。やっと彼女 らの中にチームワークができてきたようだ。評判もよくなった。 午後になると、我が女性デモチームの評判を聞きつけた他社のブースのナレーター や説明員までが見学に来た。 そして三日目、私は展示会場を抜け出し、前橋へ。妹の遺品を探すためである。 展示会が気になるが、そんなことは言っていられなかった。 しかし、結局遺品は発見できなかった。 翌日再び展示会場へ。 前日、私のいない間に、社長が来て、女性チームのデモを見学したらしい。 日頃から、そんな展示会で拍手することなぞなかった社長が、彼女らのデモが終っ た時、拍手したというのだ。彼女らは素晴らしいデモをやったらしい。 しかし、私のいない間に、デモショットのインターバルを縮め、無理をさせたため にナレーターが疲れきって、私の代わりに会場を取り仕切らせた若い部下も、彼の指 示を無視する説明員達に憤慨していた。 その日、全員の調子を解きほぐし、なごやかさ柔らかさを取り戻させることで私は 疲れきった。 最終日、我が社始まって以来の顧客動員数を確保し、全ての日程を終えた。 展示会場撤収作業前、女性デモチームは私を囲んで記念撮影をしてくれた。 その日、私に八人の新しい妹ができた。 以来、私は何十もの展示会を演出し、幾つものデモチームを立ち上げてきた。 以前にも増して女性達の進出は目覚ましく、昨今では単なるナレーターやオペレー ターだけではなく、チーフインストラクター、チーフデモンストレーターとして、彼 女達は活躍している。 この三月、私が手塩にかけて育てた部下の男性と女性インストラクターが、社内の 別のプロジェクトに引き抜かれた。 私は引き抜かれたメンバーと居残りメンバー数名で、ディズニーランドに行った。 チームの解散式となるレクレーションだった。 みな、子供のように走り回り、とことん遊んだ。 遊び疲れて立ち寄った食堂で、各自の兄弟姉妹のことが話題になった。 一人の女性が私に「兄弟がいますか」と尋ねるので、しょうがなく妹のことを話し た。暗い話なので、すぐに打ち切った。 その後、彼女らに引きずりまわされ、閉園まで実に楽しい一日だった。 一週間程経ったある日、社内メールで届いた手紙と、ディズニーランドでしか売っ ていないボールペン。 一緒にディズニーランドに行った彼女達からだった。 「また 誘ってください」と書かれた手紙のラストメッセージが目に焼きついた。 「妹になってあげよう!」 こうして、私にはまた妹が増えた。 この四年間、仕事の上で様々な女性達と知り合った。 彼女らと私の関係はいわゆる男女の仲ではなく、兄と妹のような関係である。 つい最近、男の友人よりも、腹を割って話せる女の友人の方が多いという事実に気 付いて愕然とした。 そのくせ、一人として「恋人になってあげる」とか「奥さんになってあげる」とい う奇特な女性はいないのだ。妹だから当然なのかもしれないが。 妹達は私の小説もよく読んでくれる。しかしながら、口うるさく批評する。 私の作品の女性キャラクターのモデル、女性が主人公のストーリー、青臭いラスト の青春物の大半は、彼女ら妹達に支えられている。 男女雇用均等法でもまだまだ改善されない我が社の女性の立場。これから女性の力 はどこまで発揮できるのだろうか。 今年は例年になく展示会が多い。秋には幾つもビッグショーが控えている。 私は、人を引き抜かれて解散したチームに代わって、再び新しい女性デモチームを 結成する準備を始めた。 また他のプロジェクトに引き抜かれるかもしれないが、私の妹達はきっとそこでも 中核メンバーとして活躍してくれることだろう。 たった一人の妹を失った私だが、今やたくさんの妹達ができた。 多忙な毎日だが、また新しい出会いと新しい妹ができることを楽しみにしている。 1989年5月30日 コスモパンダ
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