CFM「空中分解」 #1598の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
洋子は苛立たしさを押さえ切れず、細いヒールの爪先で、橋の欄干を二、三度蹶った。 彼女と建治にとって、納屋橋は忘れられない場所だった。純白な心に愛を受け、愛を 返した初めての時がそこに秘められている。 「こんな馬鹿なことはないわ!」洋子は吐き捨てるようにつぶやいた。彼女は先程の 事実を認めようとしなかった。当然ではないだろうか、私は何に不足するものもない。 お金だって、自分の容姿だって、仕事だって満足出来ないものはない。自分で選び望む ままを得た筈だ。人間の欲望に果てしがないというが、今の私はもうこれ以上あえて 何も欲しくない。私に真剣に愛を捧げて来る男だって、幾人か数えることが出来る。 だから、私は今の自分に何の悔いも持っていない。何でも好きな事が出来る人生に私は 不平をいいはしない。私より自由で、人間の欲する本能をすべて満喫させることの出来 る女性は、それほどは居ないことを知っているからだ。 父が事業に失敗し、何の苦労も知らなかった私は貧困の苦味を、イヤというほど味あ わされた。そのころ私への彼の愛は、それによって逆に増々強く深くなっていった。 私はその愛情を糧に生きる事が出来たが、同時に人生に対する要塞を強く心に固めて いった。そして、ついに育てられた親を踏み台にして、私は自分の人生を切り開いて 行った。弱肉強食の世界では当然の道なのだ。愛情はあってもそれで生きていく事は 出来ない。私は愛情を捨てて私の道を選んだ。 私は、私なりに自分を最大限利用し、悪どく、狡猾に立ち回り運よく望むものを得る 事が出来た。青春の代償に得たものは小さなものではない。当然得るべくして得た価値 あるものだった。それは私自身、以上の価値ものでなくてはならなかった。そのために 私の総べてと、取り替えせない青春の時間を賭けたのだから。 大学を出ただけの平凡なサラリーマンでしかない彼に、見切りをつけた私の判断が 正しかったことは、つい今しがた確かめたばかりだ。建治と妻、そして小さな女の子を 抱いた彼等。大きな束縛の中でやっと保っている小さな幸福。私はそんなものを勇気 のない諦めといってやる。彼は私を見て、おもわず息をとめて立ち止まった。彼の妻は 不審そうに彼を見やり、それから私に遠慮勝ちな目礼をした。私は何故かそんな彼等を 見るに耐えず目を反らして通りすぎた。彼の視線が痛いほど肌をさした。 勿論もう彼に愛情を感じはしない。後悔など少しもない。それが、何故こんなに強く 気持を乱すのだろう。私が辛苦の末、築きあげた城壁が、何時どうして消えてしまった のか。 分からない! 洋子の頬に意識のない涙が一筋はしった。 暗くなった町をイルミネーションが明るく点滅し、水面を彩って揺らいでいる。行き 交う人ごみをぬって、ひときわ洗煉された女が、ゆっくり物思い気に納屋橋の上を通り すぎて行く。暗い空は星もなく冷たい風が鳴って行く。 完 ID:62826 野水 淳
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