CFM「空中分解」 #0306の修正
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勢いにのったフランス兵たちが後を追い掛けてくる。シュタイナ−は時々振り向きざまに発砲するが,敵兵誰一人として,身を伏せたり,木の陰に身を隠そうとする者はいない。敵弾が足をかすめるが,痛みにかまっていられない。残った力をふり絞って,前方の薮の中に駆け込んだ。 「他の兵はどうしただろう。」 シュタイナ−が初めて気遣う余裕を持ったとき,すでに銃声はやんでおり,フランス兵の追い掛けて来る様子もなかった。彼はポケットから布切れを出すと手早く止血し,再び歩きだすと,やっとのことで自分の小隊に戻った。 帰隊早々の小隊長の詰問にシュタイナ−は突然襲われたとしか報告しなかった。 「認識標を取って来る間もなかったのか。」 「敵の最初の一撃で隊が散りじりになっちまったんです。」 「応戦はしなかったのか?」 「敵は数に於て優勢でしたし、完全に不意を突かれたんです。」 「伍長のミュ−ラ−はどうした?」 「私の目の前で頭を撃ち抜かれて,戦死しました。」 シュタイナ−とミュ−ラ−の仲を知っている小隊長はそれ以上何も聞こうとしなかった。シュタイナ−の気持ちを察して,言った。 「分かった。もう戻ってよし。今日のことは早く忘れろ。」 シュタイナ−は略式の敬礼をして,自分の分隊に戻った。 20数年近くたった今でも,はっきりと覚えていた。鉄十字章を求めるあまり,大事な人を失ったことを。そして,己の誇りをも。ナチス=ドイツの国防軍として,徴兵された彼の目にはもう昔の輝きはなかった。いつしか,その目に哀しみが宿るようになり,彼の卓越した戦闘能力とは裏腹にその度合を増していった。 30分ほど,考えていたのだろうか。ふっと,気が付くと自分を呼ぶ声がしていた。リッタ−の声だ。 「シュタイナ−,何をしている。ヘッサ−中尉がお待ちかねだ。」 シュタイナ−は手を上げて,了解の合図を送ると今来た道を戻り始めた。 数十分後,彼は連隊の高官たちの前に立っていた。 連隊長のシュミットが言った。 「ラドル・シュタイナ−。君は5月10日の122地区の攻防において,第2小隊を率いて敵の攻勢を頓挫せしめたこと、その勇敢さは名をもって恥むことなしであった。ここに,その武勲を賛え,鉄十字章を授与する。」 シュミットは鉄十字章をシュタイナ−の首にかけてやると 「これからも頑張ってくれ。」と言い,短時間で授与式は終わった。 「やったじゃないか,シュタイナ−。さぁ,これからみんなでぱ−っとやろうぜ。」 「あぁ。」 シュタイナ−はそういうと小隊の部下と共に壕に戻った。 ときに1942年7月のことである。ドイツ軍はコ−カサス地方を目指して進撃を続けていたが,独ソ開戦後,僅か数ヶ月でモスクワ前面まで押し寄せたドイツ軍にも今や疲労の色が徐々に現れ始めており,スタ−リングラ−ドにおける戦闘も雌雄がつかないでいた。 シュタイナ−たちは南方軍集団に属しており,別名ウクライナ軍集団とも呼ばれていた。南方軍はコ−カサスの油田地帯の奪取を目標とした集団で,モスクワを攻撃する中央軍集団に次ぐ勢力であった。だが,開戦後数ヶ月間の大衝撃からソ連軍も徐々に立ち直って,体勢を整えはじめ,東部戦線全体では枢軸軍の優勢ではあったが、その進撃速度は衰えつつあった。ヒトラ−も各軍の将軍連に檄を飛ばしたが,彼らもまたロシアのだだっぴろい平原には閉口するばかりであった。 北アフリカではロンメル率いるDAK(ドイツアフリカ軍団)が要所であるトブルクを陥落させ英軍に大打撃を,そしてアレクサンドリアに空襲の恐怖を与えるなど,大健闘していた。 ヒトラ−の構想であるDAKと南方軍が中央アジアで合流し,そのまま東進してインドで日本軍と会合するというのも南方軍の進撃次第では,あながち夢ではないと思われていた頃だった。 <続>
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