CFM「空中分解」 #0182の修正
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野良理教授は教授と言われるからには本物の教授であった。何故わざわざこんな ことを言明する必要があるかと言うと、以後に続く物語を読むと、読者は・・ 「果して彼は本当に博学と言われる<教授>なのであろうか?」 と、疑問を抱かれることは疑問の余地がないからである。いや、敢えて念を押し ておくと、彼は都内にあるH大学で日本の古代文学を教えている、れっきとした 国文科教授に間違いはなかった。 野良理教授は当年六三才の年齢にあった。この六三才というのは世田谷区役所の 記録の中に記されている<事実>に間違いはなかった。しかし、野良理教授はそ の<事実>を決して認めようとはしなかったのである。 「そんな数字は国家の権力か、或はその他誰かの策謀に違いない。鳴呼、絶対 にそうじゃ!」 教授は誰に対してでも、この説を言い張って譲らなかった。そのうち誰かが 「それでは先生の本当のお歳は・・・?」 等と聞こうものなら、教授は我が意を得たりとばかりにこう答えたものである。 「五九才じゃ」 (五十才代に拘っているのである) そこでこの質問者は即座に 「いやあ、お若いですね」 と、返事をする必要があった。もしそう言わずに疑問の素振りでも見せようもの なら、たちまち教授のゲキリンに触れ、有無を言わせずその場から追い出される 羽目に陥るのであった。 なおついでに教授の息子の嫁さんの発言を付け加えておこう。 「お義父さんは四年前 (即ち本当の五九才の歳) からずっとご自分で五九 才に留まってらっしゃるんですよ」 野良理教授はかくのごとく、いわゆる「変人」の部類に属する人物であった。 それに加えて、教授の大学に赴くときの出で立ちも、彼の「変人ぶり」を証明し ていた。その服装たるや、派手な縦縞の紺のスーツに戦前に流行ったようなソフ ト帽。チョッキのポケットには愛用の懐中時計(勿論それは鎖の付いた金時計) であった。時には衿に白いバラの花を挿して行く事もあったのである。 「お願いですから、もっと普通の格好で出かけてください」 と、息子の嫁が言うのであるが・・・ 「何をいっとる。卑しくも最高学府で教鞭を取るものは、常に時代の最先端の 服装でいなければならんのじゃ」 等と言い張る始末であった。いえ、そうではありません、その服装は逆に<時代 遅れ>すぎるんです、と言いたいところをぐっと堪えて、お嫁さんは黙って引き 下がるのだった。そんなことを言おうものなら、 「お前達の感覚はどうなっとるんじゃ、映画を観て勉強しろ!」 「・・・・・・」 こういった具合いになって、教授の血圧が急上昇することは確実であった。それ は義父の健康を心配している優しい女性の代表である彼女にとって、何としてで も避けねばならない事態だったのである。(注:彼が最後に映画館に行ったのは 何と昭和二五年の事であって<カルメン故郷へ帰る>という、国産初の総天然色 〜今で云うところのカラー〜映画であった) 教授が住んでいるところは、東京都世田谷区金田町と言った。(読者は手元に 東京都の地図があるなら、それを開いて調べて見られるとよい、おそらくそこに は、金田町という名は見つからないであろう。それはそれでよいのである。何し ろこれはフィクションであるからして、なくて当然である) この「金田町」という町名は、野良理教授にとってひとつの誇りであった。何故 ならこの町名こそ、教授の命名によって今日ある固有名詞だったからである。 野良利教授のバラード 第一話:「鳴呼!カネダ町」(つづく)
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