CFM「空中分解」 #0161の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
============================== 長篇散文詩 魔の満月 直江屋緑字斎 昭和52年9月書肆山田刊 改訂版 ============================== 1 (*4) 闇に囁(ささや)くものたちの勢力が拡がるにつれ 再び蘇ってゆ く火と鏡とを材質にした逞(たくま)しい武士たちを率き連れて エルドレはもう潤いを呼び戻した河の右側に高く堂々と聳(そび) える円形の宮殿に赴いてゆく 唐草のびっしり絡まった城壁を取 り巻く幅の広い濠(ほり)には巨大な跳ね橋が渡されている 音 もあげずに橋が跳ねるのを振り返りながら無数の矢狭間の並ぶ二つ の円筒に挟まれた拱門(こうもん)に進んでゆくと その奥から明 るい光とともに優雅で澄明なソプラノが和し甘美な娘たちの匂いが 漂ってくる 城壁と円形の宮殿との間で輪を描いている庭園には 色とりどりの花もさることながら 涼し気に幾つもの噴水が高々と 舞い上がり 内部から綺麗(きれい)な光を発する漏刻がそのひと つひとつの側に置かれている 武勇を誇ったり愛を主題にしたり 厳そかに神々を讃えたり たとえば木に縛りつけられた金髪娘とそ れを襲うタイガー その娘のはだけた胸を蔭(かげ)から覗(の ぞ)き見るハンターなどといった野外劇あるいは仮面劇を思わせる 大小の立像が 花苑や小鳥たちの囀(さえず)る叢林(そうりん) の中に幾多並んでいることだろう 宮殿の高い入口は成金好みの ごてごてとは異なり絢爛(けんらん)でありながら上品な装飾が施 されていて 当主の趣味の良さを感じさせる その図柄は蠍(さ そり)を際立たせた四大の精霊のもので 透き通るがごとくのレリ ーフである この宮殿の一階中央には縦に二つの矩形(くけい) の大広間が続き廊下のように並び 壁全体をカンヴァスにした絵に は古今東西の動植物および建物 山脈 運河 湖が鏤(ちりば)め られ その手前の部屋はありとある絢爛(けんらん)豪華な快楽が 象徴され 奥の部屋には崇高な神々の国が美事に描かれている 高い天井に貼(は)りつけられた星座は明るいシャンデリアに隈な く映し出され 幻想的な物語が繰り展(ひろ)げられている 黒 檀(こくたん)の円テーブルや大理石の龕(がん)やマントルピー スには細やかな彫刻が絵巻物のように飾られ 金銀の食器には酒や 数百種類の料理が盛られている 二つの広間に挟まれた鍵型の渡 り廊下の中央に極めて深い井戸が掘られていて そこからは芳醇 (ほうじゅん)な匂いを湛(たた)えた黄金の美酒が湧き出ている これらの中央を貫く通路の外側にたくさんの数の個室が割り当てら れ そのどの部屋からも必ず二階へ通じることのできる螺旋(らせ ん)階段がさらに外側に太い帯のようにして備えつけられている 屋上の庭園の真ん中に尖塔(せんとう)のような天文台が設けられ その天文器械には蚤(のみ)たちの製造した精巧なレンズが使用さ れている 快楽の広間に嫋(しな)やかな腕をもつあらゆる種族 から選りすぐられた娘たちが幾千人といるのだろう 娘たちは細 い躯(からだ)にぴったり吸着する繻子(しゅす)織の胸や背中や 太股の部分の切れ込みの深い衣裳(いしょう)をつけ その中には ときおり一糸も纏(まと)わずに優れた肢体を晒(さら)けている 者も見受けられる 大きな踊りの渦(うず)は強大な吸引力を備 え いかに火と鏡とを材質にした四千八百八十八人の屈強な若者と いえどもたちまち呑(の)み込んでしまうのである 槍や楯(た て)や鎧(よろい)や剣などの武具をことごとく解除した若者たち に 噎(む)せ返るような娘らの裸体が絡みついてくる 様々の 形と組み合せの豊富さで媾(まぐわ)いが繰り展げられる 大食 漢は百二十の大皿に盛られた料理と三十の大樽(おおだる)に詰め られた強い酒を平らげてしまう そのような大食漢が少なくとも 五百人はいるのだ 性豪は一度に千人の女を相手にし五十回の腎 水を迸らせる 喉の良い者は古今東西二千の歌を披露する そ のどれ一つをとりあげても一千行に及ばぬものはない 力自慢の 男は朋友の愛馬四百六十八頭と指揮官の巨大な悍馬(かんば)を鎖 で繋(つな)ぎ城外に引きずり出し 深い濠(ほり)の底に叩き込 んでしまう 男たちの荒々しい咆哮(ほうこう)と咽(むせ)び 泣くような女たちの激しい吐息が唱和し その切れ切れに獣の断末 の叫び 鞭(むち)の唸(うな)る音や神々を呪う罵声(ばせい) や糞尿(ふんにょう)の匂い 乱れ飛ぶ血に噎(む)せって惹 (ひ)き起こされる咳(せき)や嘔吐(おうと) そして人肉の香 ばしい匂い 骸骨のからからぶつかる音や決闘に一瞬休止符を叩か れどっと湧き上がるどよめき 蛇(へび)や嬰児(えいじ)を弄 (もてあそ)んでの笑い 酒瓶(さかびん)の粉々に砕ける音や火 の燃え上がる凄じいバス そして狂気のソロが高々と歌われ 尻を ぴしゃぴしゃやるリズムや転がる食器やテーブルの上での複雑な媾 (まぐわ)い 変化に富んで組み合うもの 大喧嘩(げんか) 大 乱痴気にかなりの数の乳房や首や陰茎が供託され 尽きることのな い快楽の交響曲は壮大な仕上がりに向っている 媾(まぐわ)い に食傷し強烈な渇きを覚えてエルドレは 宮殿の中心にこんこんと 湧き出る泉であの聖アントニウスの伝説にある数千の味覚を充たす という霊液を流し込み 喉(のど)が潤ってゆくと躯(からだ)の 芯(しん)からめらめらと精気が立ち昇り その奥に通じている 神々の広間へと誘われる グリュフォンが人頭を踏みつけている さまを彫り込んだ荘重な大扉を押し開けると 老女が柩(ひつぎ) に横たえられ それを囲んで若いぴちぴちした生贄(いけにえ)た ちが裸のまま跪(ひざまず)いている 天使のように美しい姿を している十一歳以下の少年たちと頬(ほお)を桃色に染めた可憐 (かれん)な少女たちが十数人ずつ両側に膝をついて並び 形の良 い尻と胸を持つ二十歳をようやく越えたばかりの選り抜きの美女数 人が老女の頭の方に座っている 厳粛な気持と淫らな情欲とが鬩 (せめ)ぎ合っているエルドレは柩(ひつぎ)に近づいて覗(の ぞ)き込む 老女の容貌は気品のある鼻骨を中心にしてよく整っ ている どこかで見覚えのある顔だ だが過去は弔われつつあ る 黒塗りの柩(ひつぎ)の中で老女の唇は青みを帯び 昔の栄 耀(えいよう)を刻みつけた細い裸体は透き通るように白くなる かすかな呟(つぶや)きが唇から洩(も)れようとするが すでに 力尽きただ頬(ほお)の筋肉が顫(ふる)えるばかりだ そして 異様に大きく窪(くぼ)んだ碧(みどり)の瞳がその奥にちらちら 赤い炎を揺らめかすと エルドレをじっと凝視(みつめ)るのであ る その最後の瞬間にエウスタキー管は開かれたのであろうか 尋常ではないことばの形に打擲(ちょうちゃく)されてエルドレは 一挙に狂乱の影を帯びる 荒々しい声で少年と少女たちに向い合 って並ぶように命じると よく撓(しな)う鞭(むち)を各自に持 たせ互いを打ちのめさせる 彼らの無垢(むく)な躯(からだ) はみるみる蚯蚓腫(みみずば)れを呈し蛇神(じゃしん)の手下ど もの無残なる巣窟(そうくつ)と化す エルドレは素裸の乙女た ちの尻を情容赦なく鞭打(むちう)ち 前と後ろとを抜いて気をや りながら腰の短剣で豊満な乳房や美しい首筋をひと振りで刎(は) ねてしまう さらに少年と少女たちにそのどくどく溢(あふ)れ る血を貪(むさぼ)るように命じ その血と鞭(むち)の饗宴(き ょうえん)の中で次々にまだ硬い躯(からだ)を持つ子供らを襲い 肉と鋼でできた二種類の剣の餌食(えじき)にしてしまうのである それから祭壇を蹴倒し その火が脱ぎ捨てたばかりの衣から神々の 壁画に燃え移るのを確かめると やおら柩の中に躍り込む エル ドレは最前死んだばかりの老女を凌辱(りょうじょく)する ま だ生温かいよく業を極めた腟(ちつ)と肛門の中におびただしい液 を注ぎ入れると 老女の躯(からだ)は死の姿のままみるみる若返 る おお何という素晴しい悪意 その至上の美貌はまさしくエ ルドレの実母の俤(おもかげ)である 猛り狂う逸物は だがな おも激しく漿液(しょうえき)を噴き出すのである 少女の愛ら しい姿から無邪気な子供へと さらに純白の嬰児(えいじ)へと退 行し 聖なる胎児の歴史を逐一回想してゆくと それらの肉は消滅 し エルドレの躯(からだ)にはただどろりとした邪悪なる液体が 残されている 柩(ひつぎ)の周囲に崩れている屍体が一斉に腕 を上げ天井を指さす エルドレは飛び起きると部屋の隅に設けら れている螺旋(らせん)階段をぐるぐるぐるぐる駈(か)け上がる 二階には“賢者の階段”“エリクシルを調整するときの輝かしい石 の書”“秘密を開明することの書”そしてあのゲーベルの“慈悲の 書”や“濃化の書”さらに有名なるヘルメスの“偽デモクリトスの 書”また“天球分割の理解の終局”などという金箔(きんぱく)で 象嵌(ぞうがん)された題字をもつ古代の書物を厖大(ぼうだい) な書架に収蔵した立派な図書館や 歴代の翕侯(きゅうこう)やそ の眷族(けんぞく)を讃えた彫像や愛妾(あいしょう)たちの肖像 を飾った美術館がある だが今や紅蓮(ぐれん)の炎に包まれ それら真昼の文明は滅びようとしている 階下ではおよそ一万人 の若者がそれに殉じている 屋上の空中遊園の花々は炎の中で妖 しく揺らめき その絶世の艶(あで)やかさは大饗宴(きょうえ ん)の供物と化した焼け爛(ただ)れる人肉を滋養にしているかの ようだ エルドレは階段を昇りきり 中央に鋭く聳(そそ)り立 つ天文台に入り込み そこから空を見上げると ありとある喧噪 (けんそう)がまるで他所事であるかのような美しい光景が展開さ れているのを知る おお天を視よ 漆黒(しっこく)の夜空に は流動体の火が流れている 様々の色 特に紫や赤に変化する一 条の焔(ほのお)から薔薇(ばら)色の光沢をもつ色彩が発せられ る 中宇に一つの手が現れ 薔薇(ばら)色の光沢はまずその背 後に密着し それから包むようにその周囲を優しく舞っている 地獄第七界に君臨する大王は地上に顕現し人体宇宙の中枢に大洪水 を齎(もたら)すのであろうか その色彩と手とは ゆるやかな 弧を描き彼方へ去りゆこうとするが 今にも消え入ろうというあた りで停止し その地点に明るい光が現れる 手はそこからさらに 後退しようとするが 突然鳥に変貌してより自由に飛翔(ひしょ う)する そのうち羽撃(はばた)く大鳥は石のように硬直して なおも飛びまわる それは最初真珠色の光沢をもっているが つ いには黒色に至ってこの天文台目がけて墜ちてこようとするのであ る 空と地はこの天文台に向って近づいてくる 周囲の色は灼 (や)けるような鮮紅色だ あらゆる物質は熔(と)かされてゆ く エルドレは世界の混淆(こんこう)とともに何処へ流されて ゆくのだろう 出入口といえば あの青銅の衛士の守護する緋 (ひ)の扉しかないというのに (第1章了 第2章につづく)
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