◇フレッシュボイス2 #2264の修正
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キャンディスバーゲンが「砲艦サンパブロ」のコメンタリーで語っていたのですが、 スティーブマックイーンの顔がオーディエンスを惹きつけるのは、 動物っぽいからだ、と。 理性のある人間だったら、無茶苦茶な事はしないだろうという安心感があるが、 動物っぽい顔をしているので、 次の瞬間何をするか分からない、 という緊張感があって、 それが見ているオーディエンスの心を掴むのだ、と。 (これを、「キャンディスバーゲン理論」と勝手に言ってますが)。 「砂の器」に出てくる俳優陣の迫力も、 キャンディスバーゲン理論で説明出来ないでしょうか。 だから、現代版になると、俳優の顔がのっぺりしていてなんとなくつまらない。 ではなぜ昔の人は動物っぽい顔をしているのか、 というと、 昔は国電の床も木だったし、 教室には石炭のストーブもあったし、 床は木で、 動物性のワックスを塗っていたし、 着ているものもウール(動物性)だったし、 という感じで、生活のそこかしこに動物性のものが埋め込まれていると 人間の顔も動物っぽくなるのでは。 今みたいにアクリルの制服を着ていても動物っぽい顔にはならない、と。 これは俳優の顔だけではなくて、 小説自体も、こう、なんつーか、ダイナミックな感じなものが出てこなくなったのは、 やはり、アクリルなど化学繊維ばかりを着ているからではないのか。 「砂の器」に関してですが、 何で映画館に和賀の写真があっただけで犯人と決めつけられるのか、 という謎にはピーンとこなかったのですが。 森田健作がたまたま新聞のエッセイを読んでいて、 車窓がら捨てられた赤い何かは証拠の洋服の事じゃないのか、 と直観的に思い、 新聞社に問い合わせたら、本当にそういう布を捨てていた女(島田陽子)がいて、 そして物証となる血液の染み込んだ布切れを線路のそばから見付ける、 というあたりは、さすがにおかしいでしょう、と思いましたがね。
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