●短編 #0216の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
小説家の書くエッセイとエッセイストの書くエッセイに違いがあ るのだろうか。ワタシは違いがあるような気がする。もちろん個人 個人による違いも大きいのだが、しかし違いはやはりあるような気 がするのだ。 ひとことでいって、エッセイストのエッセイのほうが面白い。ま あエッセイストはそれが本業なのだから、それがつまらなかったら 食ってはいけないわけだが。ではなぜ面白いかというと、そのエッ セイストの個性が強くでているからと思う。個性が強く出てどぎつ いくらいのほうが面白いものができる。たとえば古くは林真理子、 最近では中村うさぎ。これらのひとの面白さは、本人の面白さその ものである。本人自身が前にでて書いているという感じがする。林 真理子の場合は、本人の嫉妬と劣等感による文章が、独特の笑いを 生み出している。中村うさぎは、そのはちゃめちゃな買い物人生そ のものが面白い。もちろん、両人ともその面白さを、文章で表す才 能があるから面白いのであるが、しかし、やはり本人の面白さにほ とんど寄りかかっていることは確かだ。 それに対して、小説家のエッセイはあんまり本人がでてこない。 個性に乏しいともいえる。それゆえ面白さも少なくなる感じ。まあ それはそうだろう。小説家で面白い人生を送っているひとは少ない のでないか。毎日単調な生活を送っているひとがほどんどなのでは ないか。一日部屋に閉じこもってひたすら書くだけ。それだけの生 活。そんなひとが多いのではないかと思う。そうしなければ小説な んか物理的に書けないと思う。そんな生活ではそうエッセイのネタ になるような面白いことも起きないだろう。それに小説を書く場合、 あんまりワタシがでてきてはうるさい感じがある。なるだけワタシ を少なくしておかないとまともな小説にはならない。司馬遼太郎な ど、ワタシを一点まで縮めて書くとかいっている。ふだんワタシの 入らない文章を書いていて、エッセイのときだけワタシを出しなさ いといってもそれは無理というものだ。ワタシの少ないエッセイは、 やっぱりそう面白いものにはならないだろう。 小説家の書くエッセイがいまいち面白いものにならないのは、そ ういう理由があるように思う。 ワタシはどっちなんだろう。やはり小説家タイプかな。まあこの エッセイがさして面白くないからそういっているのかもしれないが。 しかしあんまりワタシという個性を押し出して書いている感じはせ んのよね。そうはちゃめちゃなことやっているわけでもないし。単 調といえば単調な毎日を送っている。これを書けば絶対面白い、と いうような事件にはまあ出会ってない。これではどうしても小説家 タイプのエッセイになってしまうよな。 まあ小説家はいい。小説が本業であって、エッセイは余技である から。エッセイがあんまり面白くないからといって別に卑下する必 要もない。まあ面白くないといっても、エッセイストの最高レベル に比べればということで、その作家の個性による独特の物の見方と か感性によるエッセイはやはりそれなりの味がある。ワタシはそれ を十分楽しんで読んでいるのだが、林真理子や中村うさぎのエッセ イが来ると、やはり顔が青ざめるという感じはあるな。こんなん書 けないやと思う。才能の差はいうまでもないが、やはり作家の個性 の出し方が違う。 ワタシなど今はエッセイしか書いてないわけだから、もっとエッ セイぽく個性を出すべきかもしれないが、何かもうひとつ出せない でいる。何か変に客観ぽい文章になっているのが自分でも分かる。 やはり小説家タイプなのかなとか思うけどね。まあそれはこれから ワタシが小説を書いてみたらわかる。その小説が面白いものだった ら、やはりそうだということだし、つまらなかったら、要するに単 に文章を書く才能がないというだけのことだ。まあそれだけのこと なんだね、結局。
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