AWC ●短編



#568/571 ●短編
★タイトル (AZA     )  25/09/01  17:51  (117)
雨一文字   永山
★内容
「今日はまたどんな用件ですかね、吉野《よしの》刑事」
「言わなくても分かっておるでしょう。お知恵を拝借したくて来たんですよ」
「ふむ。まあ、税金ドロボーと呼ばれない程度には勤めをこなしているあなた方の頼み
なら、聞く耳を持たないでもない。つい最近もS区の殺人事件で、有力な容疑者を見付
けたとかニュースになっていましたねぇ。被害者の金森《かなもり》氏が何故か、コン
タクトレンズ着用の上に普段使っていない予備の眼鏡まで掛けていたという奇妙な状況
には、ちょっと興味を惹かれたな」
「おお、実はまさしくその件で足を運んだんです。デイトレードで成功した投資家、金
森|満夫《みつお》が自宅で殺害された事件。最有力容疑者の身柄を押さえたのはいい
が、面倒な成り行きになっとりまして」
「被害者の恋人、雨谷直美《あめたになおみ》で決まりみたいな報道がなされていまし
たが、あれはマスコミの先走りだと」
「うう、そうとも言い切れないところが……いわゆるダイイングメッセージってのが現
場に残されていて、そのことを外に漏らした輩が捜査班の中にいたらしくて」
「ほう、ダイイングメッセージがあったとは初耳だ。吉野さんも私に、同じように情報
漏洩してくれるんですかね」
「じ、自分は一般国民に捜査協力をお願いしているだけであって、やましいところは一
切ない……なんて苦しい建前を言わせんでください」
「分かっていますよ。すでに漏れている情報なら、罪の意識も軽いでしょう。さあ聞か
せてもらいましょう」
「シンプルに“雨”の漢字一文字が、被害者自身の血で書かれていました」
「“雨”か。その写真、見せてもらえますか」
「いや、今回は無理。さっき言った情報漏洩があったのが分かって、皆ぴりぴりしてい
て、簡単に持ち出せる雰囲気じゃない。私と親しい同僚までならともかく、お偉いさん
の耳に入ったらどんな叱責を食らうか分からんので、勘弁を」
「仕方がないな。そのダイイングメッセージ、“雨”の他に読みようはありませんでし
たか」
「ええ、まったく。まごうことなき“雨”でした。あとから何か書き足された風でもな
く、消された風でもなかった」
「被害者自身が書いた確証は?」
「ほぼ100パーセントと言ってよいでしょうな。ご存知と思いますが、金森は自宅近
くの屋外で刺されて、急いで家に逃げ込み、鍵を掛けたあと絶命した。逃げ込むまでの
様子は、防犯カメラに残っている。さらに金森は一人しかいない密室状況下で死んだの
だから、彼以外に血文字を残せる者はいない。まさか、犯人が被害者の行動を予測し
て、この辺で死ぬだろうから先に偽のダイイングメッセージを書いておこう、なんてこ
とができるはずもない」
「なるほど。それじゃ本題。雨谷が犯人かどうか怪しくなったようですが、その理由を
聞かせてください」
「彼女、本名の雨谷を名乗らないまま、金森と付き合っていたようなんですよ。容疑者
自身が言っているだけでなく、雨谷や金森の関係者の証言を集めると間違いない」
「何と名乗っていたんです?」
「『雨』の代わりに『天』の字を使って、読みも“あめたに”ではなく“あまたに”で
通していました。なんでも、雨女の気《け》がある雨谷は、子供の頃によくからかわれ
て、本名が嫌いになったとのことで、『天谷』と称するようになったらしい。改名はし
ておらず、あくまでも通り名ですがね」
「ふむ……雨谷直美が被害者には本名を打ち明けるか、あるいは被害者が彼女の免許証
などを見て、知っていた可能性は」
「言ってないと思いますよ。被害者のパソコンを調べると、簡単な日記が見付かりまし
て、恋人に関しても度々書いていた。そこには“天谷さん”か“直美さん”呼びしかな
く、また、本名を知ったならそのことを日記に書きそうなものだが、実際にはそんな記
述はなかった。ああ、日記が改竄された形跡もなかったですよ」
「さすが、吉野さん。先回りしてくれてありがたいです。それにしても被害者は恋人を
呼ぶのに、さん付け止まりだったんですね。殺人の疑いを掛けられるくらいだから、結
構深い仲だと勝手に想像していた」
「交際を始めて半年くらいでしたかな。意外とと言っていいのか、健全なお付き合いを
進めていたようで、金森が天谷を自宅に上げることも滅多になかったそうです」
「ああ、ということは当然、自宅の合鍵をもらっているような関係ではなかったと。だ
ったら仮に雨谷が犯人だとしても、金森の家に上がり込んで、完全に息絶えたかを確認
することはできないし、ダイイングメッセージなどを遺されていないかを確かめる術も
ない訳だ」
「そうなりますな。元々、金森は自身のスペースを守りたがる性質だったらしく、唯一
の近い肉親である姉にさえ、スペアキーを渡してはいなかった。そのせいで、遺体発見
まで手間取ったんだよな」
「最初に異変に気付いて、通報したのは姉でしたっけ」
「ええ。いくら電話しても出ないし、家を訪ねても応答がない。やむなく、救急を呼ん
だところ、中で死んでいたのが分かったという流れです」
「そのとき、金森の姉もいたんですよね」
「そりゃまあ、通報者だし、実の姉だから、いてもおかしくないというよりもいなきゃ
まずいでしょう」
「……吉野刑事。仮に、あなたが金森と同様の状況で刺され、自宅に駆け込んで鍵を閉
めたあと、助けを求める余裕もなくこれは死ぬ可能性が高いなと感じたら、どうしま
す?」
「ん? もちろん、犯人の手掛かりを残そうとします。ダイイングメッセージを書くか
もしれないが、先に電話を掛けるでしょうな。あ、金森と同じ状況というのでしたら、
電話は無理だ。固定電話はないし、携帯端末はバッテリー切れを起こしていた」
「じゃあ、ダイイングメッセージ一択ですね。その場合、犯人について知っていたら、
直接名前を書きますか」
「ええっと、家は密室状態なのだから、犯人に関与される恐れは極めて低い。だった
ら、直に名前を書く」
「ですよね。一方、金森は“雨”と書いていたが、該当する有力な容疑者は雨谷ただ一
人で、彼女も天谷と名乗っていたので除外せざるを得なくなっている」
「そうです。他に“雨”と結び付けられる容疑者がいればいいんだが」
「いや、かえって助かるかもしれませんよ」
「何だって? 容疑者がいなくなるというのに?」
「逆です。絞り込める。さっき言われたような状況下であったにもかかわらず、“雨”
という字に当てはまる有力容疑者がいない。裏を返せば、被害者は犯人にダイイングメ
ッセージを改竄されることを危惧していたんじゃないか?と、こうなりませんかね」
「いやいや、家は密室状態にあった、だから犯人はダイイングメッセージに手出しでき
ないと、先ほど言ったじゃないか」
「他の者にはできないが、犯人にはできるとしたら?」
「犯人にはできる……言い換えると、犯人には密室を破る術があったと言うのか」
「そこまでは言いません。でも、密室を破る場に高確率で居合わせることができる人物
なら、思い当たる関係者が一人、いるでしょう」
「金森の姉?」
「はい。無理がありますか? 少なくとも動機は、遺産絡みでありそうですが」
「待った待った。先走らないでくれ。動機はあとで調べるから。えーっと? 姉が犯人
だとしたら、刺された金森は普通、“姉”か姉の本名をダイイングメッセージにする。
だけどいくら現場を密室状態にしても、姉は発見者の一人になり得る。下手すると、ダ
イイングメッセージに気付かれて、消されるか改竄される。それを防ぐために、捻った
メッセージにした、という理解でいいのか?」
「ええ」
「だが、“雨”が姉につながらないとお話になりませんぞ。“あめ”と“あね”で似て
はいるが、違う」
「そこで考えるべきは、眼鏡ですよ」
「眼鏡……って、もしやあれもダイイングメッセージだってか」
「普段使っていない眼鏡を掛けていたのだから、ダイイングメッセージである可能性を
検討すべきなのは当然でしょう。じゃなきゃ、警察はどう解釈してたんですか、眼鏡
を」
「それは、犯人の顔をよく見ようとしたんじゃないかとか。コンタクトレンズが多少ず
れていたから、そういうこともあるかと」
「うーん、まあ、しょうがないということにしておきます。眼鏡もダイイングメッセー
ジの一部と見なせば、答は簡単に導き出せる。いいですか、紙に書くまでもないですが
――こう、“あめ”とあって、《《“め”が“ね”になったら》》どう変わりますか
?」
「“あめ”の“め”が“ね”に……“あね”だ」

 終




#569/571 ●短編
★タイトル (AZA     )  25/10/02  17:44  ( 68)
OSHI−KATSU   永山
★内容
 日本にやって来て七年目、初めて一人で定食屋に入った途端、「はい、オシカツドン
二人前、お待ち!」と威勢のよい声が轟いて、身体がビクッとした。自分に向けられた
ものかと思い、焦ったが、実際は違った。
 若い女性の店員さんがどんぶり料理を二つ、お盆に載せて運んでいく。ちら見してみ
ると、どんぶりの蓋から平べったく伸ばされた豚肉らしきかつが大きくはみ出してお
り、そこそこインパクトがあった。程なくして席に案内され、メニューに目を通す。さ
っき見たのは押しカツ丼という料理らしい。
 オシカツつながりで、頭の中が一杯だったため、必要以上に驚いてしまった。今、僕
は“オシ”のことばかり考えている。今日、初めて顔を合わせるのだけれども、緊張が
どんどん高まっている。どうしたらいいか分からないほどだ。
「お待たせしました。お席の方はこちらで大丈夫でしたか」
「はい、問題ありません」
「よかった。ご注文はお決まりですか?」
 まだ決めていなかった僕は、店の壁に貼ってある写真パネルを指さした。大柄な黒人
男性が店主らしき年配男性と肩を組み、一つのどんぶりを支えるようにして持ってい
る。黒人男性は僕も知っている有名な格闘家、オーガ・ヌーだ。どんぶり料理が美味し
そうなのはもちろんのこと、二人のにこやかな笑顔が非常にいい。
「あれは何という料理になりますか」
「あー、はい。あれはですね、こちらのメニューで言うと」
 メニューを手に取るとページをめくって、一つの料理を指先で押さえた店員さん。
「これになります。牛カツ丼ビーフカレー」
「この、あとから書き足されているのは何ですか」
 メニューの料理名のすぐ上に、“オーガ・ヌー、一推し”とあるのだけれども、“一
推し”が読めない、意味が分からない。“ひとすいし”だとしたら人間が溺れ死んだよ
うに聞こえるが……?
「それはあの外国人が強い格闘家で、あの人もイチオシしている、つまりえっと、推薦
している、おすすめしているという意味になります」
「ああ、分かりました。ではこの牛カツ丼ビーフカレーを一つ、お願いします」
「大盛りにもできますが、いかがいたしましょう?」
 僕の体格を見てのことか、おすすめしてきた――イチオシしてきた?――店員さん。
今よりもっと子供だった頃は、外見だけで判断されていわゆるOTAKU扱いを受けて
いたが、それに比べたら随分とましだ。
「ライスを増やすだけなら無料、具も増やすのでしたらプラス百円、多めに頂戴するこ
とになりますけれども」
 験担ぎだと思い、具も増やしてもらうことにし、注文をすませた。
 お水やおしぼりなどはセルフサービスのシステムだという説明を受け、理解して、店
員さんを見送る。さて水とおしぼりを取りに行くかと、腰を上げたところ、店のドアが
がらりと開いて、ほぼ同時に「おーい、せきとり頼むよ」という声が遠くから聞こえ
た。
 僕がまたびっくりして、出入り口の方を振り向くと、入って来たばかりの人が外に向
かって「大丈夫ですよ、先輩! 幸い、席は空いています!」と返した。
 何だ、せきとりって席取りのことか。僕は自分を見て言ったのではないと分かり、何
となくほっとした。そうして改めてお水とおしぼりを一つずつ取って来ると、元の席に
収まった。
 太い指でおしぼりを広げ、手を拭きながら、考えることはまたも“オシ”について。
 どうやったら“オシカツ”ことができるのか、堂々巡りが続いている。
 同じ部屋の先輩で部屋頭の豊羽島《とよはしま》関とは、稽古でもなかなか勝てな
い。僕も豊羽島関も突き押しを得意とし、立ち会いから一気に押し勝つのが身上。わず
かだけれども確実にある押しの差が、稽古場での差につながっているのは分かってい
る。幸い、同部屋だから本場所で当たることはなかった。けれども今日は地方巡業で、
同じ部屋の関取同士でも対戦が組まれる場合がある。土俵上で勝負する日がいつか来る
と思っていたけれども、ついに来てしまった。取組決定を知らされたのが昨日で、以
来、ずっと考えているのだが、よい対策が浮かばない。戦う相手と顔を合わせるのすら
精神的にしんどいから、ちゃんこの食事は早々に退席して、こうして食べに出て来たく
らいだ。
「おまえそれ、太い信者だと思われてるだけなんじゃね?」
「いや、そんなことない」
 また新たなお客が来店した。今度は僕と同じぐらいの若い男二人組だ。
「俺の拝金のおかげで、クビにならずに済んだって、推しから直接、お礼のメールが来
たんだから」
「いやいや。それ、おまえ宛だけじゃねーから、絶対」
 聞くともなしに聞いていた二人のやり取りに、何故かしらヒントを見出した気がし
た。オシカツためのヒント、光明。それは“太い”“クビ”じゃないか? 豊羽島関の
首はとてつもなく太くて頑丈だが、先場所、土俵下にもつれ合って落ちたときに傷めた
はず。完治していないとすれば……僕は自分の右手をじっと見つめた。
 太い首を喉輪押しでとらえる、はっきりとした手応えを予感した。

 終わり




#570/571 ●短編
★タイトル (AZA     )  26/01/31  17:41  ( 79)
書き出し指定>F&Mシリーズ   永山
★内容
※本作は、某小説投稿サイトの公式企画として催された書き出し指定のお題の一つに対
し、応えたものです。お家芸?のずるい手で攻略しております。(^^;

 〜 〜 〜

 あの夢を見たのは、これで9回目だった。

「堂本《どうもと》君、何それ」
「ん? ああ、これは例のやつだよ。今の時季恒例の」
「ていうことは、お題? 書き出しが指定された」
「それそれ」
「――ふうん。なかなかの難物って感じ」
「まあ、どんな物が来ても、面白くなるかどうかは別にして、とりあえずこういうやり
方をすれば対応できるというメソッドはあるから」
「にしてもよ。日本語としてちょっとおかしくない? 癖があるっていうか」
「お、木川田《きがわだ》さんがそういう日本語云々で疑問を呈するのは珍しいな。ど
こが?」
「何て言うか、距離感? 『あの夢』って話し手から多少離れた感じするじゃない?」
「そうだね。こそあどの中で“あれ・あの”は一番遠い」
「よね。でさ、『あの夢』と言っておいて、『これで』で受けてる。凄く違和感を覚え
たんだけど」
「うーん、なるほどね。『これで』と言っているからには、『あの夢』を最後に見てか
らさほど時間は経過していないはず。なのに、『あの夢』という表現には話し手との距
離感がある」
「堂本君もおかしいと思うんだ? 同じ意見で嬉しいかも」
「そうだねえ、難しいところ。微妙だな。ここにある『夢』というのを初めて見たのが
遠い昔だとしたら、『あの夢』と言い表しても構わない気もする。その後、間を置いて
繰り返す見るようになったんだとしたら、その度に『あの夢』と表現するのは間違って
いない」
「そっか。漫画やドラマなんかで、悪夢にうなされてガバッと起き上がって、夢だと気
付いたときに、『またあの夢だ……』ってな台詞を言うシーン、よくあるけどあれには
違和感ない。逆に『またこの夢だ……』と言われたら変に感じるかも」
「不思議だな。そのシチュエーションなら、『またこの夢だ……』であっても、論理的
にはおかしくないだろうに、何故か違和感があるなんて」
「ところで、九回も同じ夢を見たことってある?」
「その夢というのは、狭い意味での夢、つまり眠っているときに見る夢と解釈していい
んだな? それなら、ない、と断言しておこう。そもそも僕は、たいていの場合、目が
覚めると忘れてしまう質でさ。夢を見たこと自体は分かっているのに、内容については
きれいさっぱり忘れている。創作に使えそうな夢を見たという思いだけ残って、肝心な
中身を思い出せないあのもどかしさと来たらないよ」
「枕元にメモを置いとくとかしないの?」
「してる。それでもだめ、ほとんどの場合は思い出せない。そんな訳で、もしかしたら
同じ夢を九回も十回も見ているかもしれないが、覚えていないんだから確かめようがな
い」
「なるほど〜。私は覚えているつもり。その上で、九回も同じ夢を見たことはないな、
せいぜい三回ぐらいと言おうとしてたんだけど、案外、四回以上見ていても記憶してい
ないだけっていう可能性あるのかしら」
「まったく同じ内容の夢なら、飽きてきて覚えなくなる可能性はあるかも。いや、分か
らん」
「それにしても、何で九なの?」
「はい? ああ、書き出し指定の話か。多分、ここのサイトが主催するコンテストが十
回目を迎えたからだろう。去年の第九回まで全部参加して入賞を果たせなかった人にと
って、入賞はこれまでに九回見てきた夢だ、って」
「そういうことかぁ〜。細かいこと言えば、全部の回に出してる人なんて少数派だと思
えるけど」
「そこら辺は気にし始めたらきりがない。出さなくても夢だけ見ることはできるんだし
さ」
「おお、ちょっと名言ぽいけど、中身がないフレーズ」
「辛辣だな。それこそ夢がない。――あ、さっきのやり取りで思い付いたんだけど、こ
ういうなぞなぞはどうかな」
「なぞなぞ? いいわよ、どんと来い」
「正解しても何も出ないけど、真剣に考えてくれたら嬉しい。『探しても探しても見付
からない物ってなぁんだ?』」
「探しても探しても見付からない……って、まさか、夢、じゃないわよね」
「ないない。当てはまる人もいるかもしれないけれど、このなぞなぞの答ではないよ」
「うーん、夢じゃないとしたら……ヒントちょうだい。分かんないままだと、夜寝られ
なくなる」
「ヒントの要求が早いな。まあいいけど。ついさっき、答そのものをずばり言ってい
る」
「ずばり? ……う〜ん……思い出そうとしても無理だわさ。別のヒントを。ジャンル
でいうと何になるかとか」
「ジャンルか。あれは……大工道具かな」
「大工道具……分かったかも」
 ユキ――木川田|雪奈《ゆきな》は手の平を合わせ、こすり合わせる仕種をした。
「錐《きり》でしょ? 探しても探しても見付からず、きりがない」
「ご名答」
「ああ、よかった。これで夢見がよくなりそう」

 おしまい




#571/571 ●短編
★タイトル (AZA     )  26/02/28  13:46  ( 80)
余所のお題>書き出し指定>〇〇には三分以内に 〜   永山
★内容
余所のお題>書き出し指定>〇〇には三分以内にやらなければならないことがあった


 角田《つのだ》には三分以内にやらなければならないことがあった。遅くとも三分後
にはここを発ち、駅に向かう必要がある。そしてプラットフォームに滑り込んできた電
車に乗り、自宅に戻れさえすれば、アリバイが確保できるのだ。
 このときのために、久しぶりに腕時計を装着した。携帯端末よりも素早く時刻を確認
できると踏んでのことだ。腕時計は正確に時を刻んでおり、狂いや電池切れの心配はな
い。
(指紋は別に残っていてもかまわない。よほど不自然な場所じゃない限り、以前この部
屋を訪れたときに着いたのだとすれば済む。問題は髪の毛だ。こいつと来たら、相変わ
らずきれい好きだったようだからな)
 先ほど、撲殺したばかりの男を見下ろす。山内《やまうち》は潔癖症とまでは行かな
いまでも、きれい好きで通っており、暇さえあれば自宅の掃除をしている。そんな性質
の男の部屋に、髪の毛が落ちていたら目立つ。
(掃除した日時を山内が記録しているとは思えないが、もし仮に警察がこの部屋を調べ
て、私の毛髪が見付かったとしたら、昨日よりも前に訪問した際に落ちたんでしょうと
主張しても、認められまい)
 角田はこの日に備え、なるべく髪を伸ばしてきた。さらに毛先を軽く脱色して茶色が
かったようにもしている。すべては、落ちた自分の毛を見付け易くするため。無論、髪
の毛をすっぽり覆えるサイズの帽子を被っては来たが、毛髪が落ちるのを完全に防げる
との確信は持てなかった。実際、犯行の際には帽子が脱げて、床に落ちてしまった。
(危惧したほどは、落ちなかったみたいだ)
 帽子をきつく被り直したあと、手早く三本拾い上げた時点でそう思い始め、その後二
分近くを要して探したが、四本目が見付かることはなかった。角田は、自分の特徴的な
髪をすべて回収し終えたと確信が持てた。
(見付け易かったのは、ある意味、山内がきれいに掃除をしていたおかげでもある。し
かし、そのせいで毛髪ごときに細心の注意を払わねばならなかった訳だ。卵が先かニワ
トリが先か論争みたいなものか。ま、どうだっていい。ぼちぼち立ち去らねば)
 腕時計を見た。あと二十秒ある。ざっと最終確認をして、玄関に向かった。計画通り
に事は運んだ。まだ途中ではあるが、とりあえず一安心すると口元に勝手に笑みが浮か
ぶ。
 速やかに外に出て、ドアを閉めると、そのまま振り返ることなく往来へ向かう。タイ
ムスケジュールには余裕を持たせてある。下手に走っては、周囲の目を集めかねない。
駅や道端の防犯カメラに映っても大丈夫なよう、軽く変装をしているが、それでも人目
に付かないに越したことないだろう。ゆったりと歩いても間に合うはず。ただ、分かっ
てはいても、気持ち、早足になるのは仕方がなかった。
 線路沿いの道路まで辿り着いたところで、念のため、時間のチェック。問題ない。歩
きながら、携帯端末を取り出し、鉄道各社の遅延情報を見る。これもまた問題は発生し
ていなかった。
(この路線は、事故率が極めて低いが、万が一、何らかの原因で遅れが出た場合は、B
プラン。もう一つの鉄道の駅に向かえば大丈夫。両方の路線で、同時に遅延が発生する
なんて、まずあり得ない)
 計画を思い返し、ほくそ笑んだ。
 と、そのとき。
「!」
 足元から地鳴りと小さな揺れが伝わってきた。程なくして、それは大きな大きな振動
へと変化する。

「ちくしょう……」
 角田は思わず口走っていた。
 三十秒くらいだったか、立っていられないほどの揺れに襲われた。もちろん、単に遅
れが三十秒程度なら、計画に支障を来すことはない。だが、ことは地震だ。すべての鉄
道が一斉に停まるのは確実。だめ元で携帯端末による確認を試みたが、もうつながらな
くなっていた。
「タクシーを拾う……無理か」
 ぽつぽつとではあるが、倒壊した家がある。道路が塞がれているのも確実だろう。そ
もそも、角田から見える範囲でも、道のあちらこちらにひび割れが出来ていた。
(何てこった)
 消防車や救急車の音を遠くに聞きつつ、角田は歯がみした。
(計画が台無しだ。まさか、こんなに大きな地震が、このタイミングで起きるなんて。
ああ、このまま山内の遺体が見付かったら、現場近くにいた私は真っ先に疑われる。だ
いたい、大きな地震が起きると分かっていたら、もっと殺し方を工夫したのに! 地震
による事故死に見せ掛けるくらい、簡単だろうに)
 そこまで考えた角田は、ふと冷静に立ち返った。
 今からでも何とかならないか?と。
(犯行現場に戻るのは危険な行為だ。しかし、あの近所だけじゃなく、誰も彼もが混乱
し、右往左往しているだろう。私の存在など、気に留めまい。幸いと言っていいのか、
山内の死因は撲殺。地震による揺れで、何かが頭に落下し、死に至ったと見なされるよ
うに細工できるんじゃないか? あいつの家が倒壊してなければ、部屋に入ることさえ
できれば、どうにかなる。少なくとも、様子を見に行くだけの価値はあるぞ、絶対)
 そうして今来たコースを引き返した角田は、山内の一軒家が何事もなかったように建
っているのを視認した。
(よし、いいぞ)
 角田はまた帽子を被り直し、俯きがちな姿勢を取って、山内の家に入っていった。

 直後に、最初の揺れに匹敵する地震が起き、倒壊した家屋の下敷きになって、命を落
とすとも知らずに。

 終




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