◇フレッシュボイス過去ログ #2486の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
談知さんの『小説家とエッセイスト』を読んで、言葉について感じたこと。 この作品で特に多用されている語の一つに、「やはり」があります。八箇所 に使われていました。ちなみに「やっぱり」は一つ。 四百字詰め原稿用紙で四枚ほどのエッセイに、同じ表現が八度も登場すると、 普通なら気になって読みにくい。少なくとも私はそうです。 ところが、本作ではほとんど気にならなかった。読み終え、保存する段にな って、「やはり」が一度に三つほど目に飛び込んできたため、数えてみようと 思った次第。 元々、談知さんの文章には「やはり」が多く、慣れたのかと考え、本作の前 までに連日UPされた三十四編をチェックしてみると、十二箇所に登場(なお、 「やっぱり」は七箇所)。およそ三編に一つで、決して多いとは言えない。 技術故気にならないのかというと、そうでもないようで、本作にて同じく八 箇所で使われる「まあ」には、引っかかりを覚えました。 ひょっとすると、「やはり」は文脈に即した形で使われることがほとんどで あるのに対し、「まあ」は感覚的に用いられる(換言すれば、仮になくても文 意は変わらない)のが、私の感じた差につながったのかも……。 ただ、そうだとすると、同じく談知さんのエッセイで多く見られる「だから」 や「しかし」は、結構気になる場合が多いってことが、説明できない。何でだ ろう? エッセイは、喋り言葉として心地よいと、同じ語が頻出しても気にならない のかな。 ではでは。
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