#1776/3624 ◇フレッシュボイス2
★タイトル (sab ) 21/04/24 14:22 (104)
「二万人の目撃者」【ネタばれ】 朝霧
★内容
第16回「ミステリーズ!」受賞作ですが。
作者は、内田康夫ミステリー文学賞特別賞受賞、鮎川哲也賞候補など
輝かしい実績もあるのでどんなものかと思って読んだのだが。
全く大した事なかったですね。
ネタばれすると
犯行の時刻、犯人はyoutubeライブをやっていたというアリバイがある
のだが、
実はそれはyoutubeライブではなく、4Kだかのディスプレイに写っているものを
ライブで放送しただけだった、というもので。
こういうのは、昔、「新黄金の7人」にあったのでは。
だから、古い発想だよなあ、と私は思ったのだが。
他の読者の感想を見ると(選考委員も)
「こういう新しいものはすぐに古くなってしまうものだが、
しかし技術革新などで新しいものが出てきたら、それが出てきた時代を
描写するのも小説の役割だ」みたいな事が書いてあって。
全然違うなー、と思ったのですが。
そもそも、youtubeというのはオンデマンドなんだから、
Aという時刻には〇〇をやっていたので他の事は出来ない、
というアリバイにはならない、
というのが”新しい”ところであって。
そういう新しい時間の流れの中にあって
youtubeライブというのは昔的な時間の流れであって、
新しいのは、オンデマンド的な時間の流れであって、
それはもはや従来のアリバイには使えない筈で。
そういうのが通用しなくなった時代が今の時代だと思うのですよねぇ。
例えば「容疑者Xの献身」でも、
その時間には映画館で映画を見ていた、というのがアリバイになっていたが、
今の時代、オンデマンドだから、
A時間には〇〇をしていたので他の事は出来ない
というのはアリバイにならない、というのが新しい感覚だと思うのですが。
それどころか、生まれた時から、オンデマンド的な環境で育った世代には、
そもそも、「Aという時間に〇〇をしていたから他の事が出来ない」という事すら
理解出来ないのではないか、と思ったのですが。
最近、アマゾンで電池とかシャンプーとか雑貨を買ったのですが、
注文は、コンピューターのシステムに向かってポチるだけだから、
夜の10時に電池をポチって、11時にシャンプーをポチってもいいのだけれども、
実際に運んでくる佐川のおじさんの苦労を考えると
なるべくまとめて注文した方がいい、と思ったのですが。
ところがそう思ってまとめて注文しても、
アマゾンの方で勝手に別便になっていたりする事がある。
受け取りはコンビニなのだが、段ボールが2つになっていて無駄だし、
運んでくる佐川のおじさんの苦労を考えると、
アマゾンで出荷を担当している人は、
段ボールのムダとか、佐川のおじさんの苦労とか、
そういう事は一切考えないんだろうなあ、とか思う。
更には、実はシャンプーを頼む積りがリンスインシャンプーを頼んでしまって、
それをキャンセルしたいのだが、
既に「出荷準備中」になっているのでキャンセル出来ない、
という場合に、
アマゾンのコールセンターの女にいうと
「だったら受け取らないで下さい。コンビニに2週間放置されると
勝手にこちらに送り返されてきて、キャンセル扱いになりますから」
と平気で言う。
そんな事をしたら、コンビニまで運ぶ佐川のおじさんの苦労はどうなるのか、
とか全然考えない。
そういう佐川のおじさんの苦労を考えない現代の若者はミステリーを
理解しないだろうなあ、と思ったのですが。
そもそも、ミステリーにおけるアリバイとは、
つーか、ミステリーに限らず、「出来る男」みたいな感じの人というのは、
なるべく合理的な行動をする、みたいな。
合理的とは、電池とシャンプーを同時に注文すれば、佐川のおじさんの苦労が減る
という事で。
ところが、コンピューターのシステムが何時でもポチればいいだけなので、
生まれた時からコンピューターのシステムを使っている現代の若者は、
そもそも合理的とは何か
という事自体理解していないんじゃないのか、
などと思ったのですよ。
だから、Aという時刻にはyoutubeライブを見ていた、だから犯行は出来ない、
という事が、そもそも理解出来ないのではないか。
昔の人は、時間でもなんでも合理的に使わないとムダになってしまう
と思って考えながら生きていたが、
今の人は、全てはオンデマンドであり、全てはシステムに向かってポチるだけなので、
そういう人は、ミステリーのアリバイもトリックも理解しないのでは。
もしミステリーに新しい何かがあるとしたら、そういう感覚ではないのか。
と愚考した次第です。
(なんとなく私の言っている事伝わります?。ちゃんとした文章になっていないが)。
#1777/3624 ◇フレッシュボイス2 *** コメント #1776 ***
★タイトル (AZA ) 21/04/24 20:40 ( 33)
新感覚 永山
★内容
現代のアリバイ事情とか論理的行動とか>
島田荘司が二十一世紀の(本格)ミステリーというのを提唱していたように思いま
す。書き込みを読んで、それを連想しました。
一つのことをしていたからといってそれがアリバイとして認められないという見方
は、独創的だと思います。ミステリ作家としての武器になるくらいの独創性。
世代間ギャップと言っていいのかどうか、たとえば中年男性がアリバイ作りのために
トリックを弄して自信満々で犯行を成し遂げ、同じ世代の刑事達にはその壁が崩せな
い。ところが警察官になったばかりの新米があっさり解いてしまう、ぐらいの展開は前
からあるかもしれません。でも捜査員全員が端から「そんなアリバイ、成り立たないよ
ね」と否定するとしたら、かなり衝撃的になりそう。読者がアリバイトリックだと認識
してくれないと話にならないという心配はありますが、もうしばらくは行けるでしょ
う。(^^;
ただし、この手のものは一回使ったらそれまでで、以降はミステリ界隈に浸透してい
き、当たり前になるという可能性もそれなりにありそうですが。
ミステリ、特に本格と称されるジャンルの登場人物はなるべく論理的な行動を取るこ
とを大前提にしている、という話がありますよね。本格推理・本格ミステリにおいて名
探偵がロジックを展開することが非常に煩雑になるから。犯人は馬鹿な失敗や思い込み
は犯さない、というのが暗黙の了解のように存在している。もし仮に犯人が馬鹿な失敗
や思い込みをしているときはその手掛かりを読者に分かるように提示すべき、というの
が基本的な考え方でしょう。
もしもその前提・暗黙の了解が、時代が進むことで成り立たなくなるようだと、本格
ミステリにとって困った事態になるなあ……。
推理作家の佐野洋がエッセイ『推理日記』(講談社文庫他)シリーズのどれかで、石沢
英太郎「退職刑事」シリーズの一短編について感想を述べていて、その作中でやくざの
親分の取る行動に疑問を呈していたと記憶しています。親分の選択が、最善の策とは思
えない、次善・三善としてもおかしいんじゃないかと、首を傾げる感じでした。
単に作者が思い付かなかったとも、短編であるため書き切れなかったとも考えられま
すが、やはり前提を崩しての本格推理は成り立たない、読者との間に溝を作ることにな
りそう。
ではでは。