#642/1850 CFM「空中分解」
★タイトル (HRJ ) 88/ 1/ 2 18:12 ( 87)
「雪の降った日」 メガネ
★内容
それは、表で雪が降り始めた頃の事でした。
コンコンコン。誰かがドアをノックしている音。
私はこの家には1人で住んでいます。父も母も私が未だ小さかった頃に亡くなりまし
た。それから長い間私の世話をしてくれたのは、近所に住む優しいおばさんでした。
おばさんはいつも夜になにかしら食べ物も持って来てくれます。そういえばそろそろ
おばさんが来る時間でした。
コンコンコン。おばさんがドアをノックしています。
「はぁい、今開けます。」
私は暖炉に火が付いたのを確かめてからドアを開けに行きました。
ギィーー。そこに立っていたのは、優しいおばさん……では無かったのです。服装は
異様な−−−そう、背広でもないしジャンパー…でもありません。といって決して労働
者とも言えません。
「まあ一体…何ですの…あなたは誰です」
私は一瞬うろたえてそう云いました。
「失礼しますお嬢さん。決して怪しい者ではありません。驚かれるのも無理はないと
思いますが。信じて頂けるでしょうか…私は……科学者なのです。お嬢さんは御存じゃ
ありませんか? タイムマシンという機械を。私はあのタイムマシンを運転する科学者
なのです。」
「え、タイムマシンですって…」
「そうです。ほら、小説に出てくるじゃありませんか。過去や未来の国に行けるあの
不思議な機械。私にはあの機械があるのです。私は時間の旅行者です。お嬢さんの様な
美しい方に会えるとは…。御存じの範囲で結構ですから、いまの東京、いまの日本の事
についてどうぞ御聞かせ下さい。」
不思議な若者…自称科学者は部屋の中に話ながら入って来ました。
「…これがピアノ、これがラジオ。間違いありませんね? いや、それにしても素晴
らしい応接室です。あのーここに腰掛けても宜しいですか?」
「いえ、は、あの……結構です。どうぞおかけになって…。」
彼は座るとゆっくり煙草を吹かして、廻りの物を珍しそうにみていました。どうにも
落ち着かずそわそわしていた私も、彼の全く紳士的な態度を見て、だんだんと落ち着い
て来ました。
「でも、タイムマシンなんて、何だか夢の様ですわ。でも。そんなことって本当かし
ら。アメリカの様なお金持ちの国なら、お金にまかせて作るかもしれないけれど…あな
たは日本人でしょう?」
「ええ、純粋の日本人ですよ。」
「そうすると…あの小説にあった様な事が日本でも行われるのかしら。でも何だか変
だわ…間違っているみたいですわ。ね、そうでしょう? ここは過去でも未来でもなく
現在なのよ。あなたはまだ時間旅行をしていないんだわ。機械の故障かしら…。早く係
の人に言ってあげなくては…。」
「いや、御待ち下さいお嬢さん。失礼ですが間違っておられるのはあなたの方です。
あなたは、自分を中心に考えておられます。私共は成功したのです。私は西暦2千年の
人間なんです。そして、何十年か過去に戻りました。考えても御覧なさい、今の時代は
……空を飛ぶ物といえば飛行船と飛行機ぐらいなものでしょう。日本は勿論、アメリカ
だってとてもタイムマシンなど作る能力は未だありません。小説にもあった様ですが、
誰も本気になって作ろうなどと、考えてもいなかった筈ですよ。然し…それ以後の科学
の発達は素晴らしい物でした。全く、飛躍的というか加速的というか…。飛行機だって
潜水艦だって、或は電車や自動車にしても昔は夢物語だったんでしょう。」
「そうねえ本当に…。この頃世の中はびっくりする様な事ばかり。そうすると、日本
も将来タイムマシンを作る事になるんですの?」
「はい、私共から言えば、ここ20年程の間にあらゆる工業力を挙げてとうとう完成
しました。私は過去の東京で、当時の人が何を考え、何を食べ、どんな事に興味を持っ
ているのか…そんな事を調査する役目です。」
「まぁ、そうでしたの。あなたはそんな難しいお仕事をしていらっしゃるの。それは
それはようこそ…遠来の…と申し上げたらいいのかしら。早速素敵なコーヒーを入れま
しょう。ウイスキーもありましてよ。未来の方のお口にあいますかしら。良く判りまし
たわ。私の知る限り何でもお話ししますわ。未来の方にお会い出来るなんて、本当に考
えてもいませんでしたわ。」
私はそう云いながら、彼にコーヒーやウイスキーを出しました。彼はコーヒー、ウイ
スキーを一々見ては、ほうこりゃ凄いとか、ほほうこりゃまた旨いなどと言ってました
。
かなり長い間話したのでしょう、もう朝日が照りつけて来ました。今迄楽しそうに話
していた彼の顔が急に厳しくなって、
「お嬢さん、私はそろそろ帰らなくてはなりません。」
「まだ、宜しいではありませんか。もう少しゆっくりなさっていけば。」
「いえ、もう十分に話しはお聞きしましたし、私は早く帰らなければならないもので
すから…」
「そんな…」
「お嬢さん、短い時間でしたが、楽しかったです。もう会う事は無いと思いますが…
お元気で。」
「いえ、いやです、もう1度来ると言って下さい! 私、私……」
「お嬢さん、無理を言ってはいけませんよ。私は他の時代も調査しなくてはならない
身なのですから。」
「いやです、いやです!!」
「……判りました。必ずもう1度ここへ来ましょう。」
「えっ! 本当ですか! 嬉しい。私いつまでも待ってます。」
「ハハハ、大丈夫です。待ってて下さい。」
「はい。いつ来て下さるの?」
「それは判りません。明日かあさってか…来年かも知れません。」
「なるべく早くいらっしゃって下さいね。」
「ええ、必ず。それでは私はこれで…」
彼はどこかへ去ってしまいました。一体どこから来たのでしょうか。でも、私にはも
うそんな事は関係ありません。只、一緒にいるだけで幸せですから…。
それは表で雪が降り始めた頃の事でした。
雪の降った日 おわり