#553/1850 CFM「空中分解」
★タイトル (FXG ) 87/12/ 8 22:12 (155)
『暗い山本さんちの明るいお話』−秋本 87・12・8
★内容
「あんた、どうだったの」
「ああ」
「ああって、職は見つかったの」
山本さんは可哀相な人です。半年前、工場の人員整理で23年間勤めていた製鉄所
を解雇されました。もうすぐ失業保健もきれるんです。それなのに新しい職がみつ
かりません。
「またパチンコしてたんじゃないの」
嫁さんは太っています。山本さんはガリエリに痩せています。
ああ、山本さんは可哀相です。
「ほんとに家のこと考えてるの。敦子は来年高校なのよ」
この娘の敦子というのがまたクセ者で、いわゆる不良です。まだ学校ですが、もうす
ぐ帰ってくるでしょう。
「おい、敏夫。ファミコンはやめろ」
もう一人家族がいまして、これが小学4年の敏夫です。これまた頭が悪くしかも性格
が暗い。まるで山本さんの生まれ変わりのような子です。
山本さんに云われて敏夫は黙ってファミコンのスイッチを切りました。
家はもちろん借家。六畳と四畳半の二部屋で親子四人が生活しています。
今日の晩御飯は鰺の開きと納豆とキュウリの酢のものです。
風呂に入って野球の大洋戦を観ながらビ−ルを飲むのが、この間までの山本さんの
幸せのひとときだったのですが、ここのところそのビ−ルがありません。
ああ、ビ−ルもないんです。可哀相な山本さん。
山本さんは敏夫をテレビの前からどかしてスイッチをいれました。
なんとNHKではニュ−スをやっています。山本さんはすぐチャンネルを換えました。
お笑いはやってないかと探していくと、
山本さんは幸せ者でした。「滅茶苦茶家族」というアメリカのドラマをやっていまし
た。
うるさい蠅が一匹いてそれをやっつけようと家族全員でドタバタと追いかけ回ってい
るところです。ほうきやバットや殺虫剤なんかを手に手にもって。
しかし、しばらくすると蠅はお母さんのお尻の下敷きになって大団円
山本さんは何だか拍子抜けしてしまいました。お笑いなんか見るんじゃなかった。
そう思いました。やはり山本さんは可哀相な人でした。
さて、晩御飯の用意ができました。太った嫁さんがあんた、そこ、どいてよなんて
いつものようにブツクサ云いながら食卓をつくりあげます。
あっ、敦子が帰って来ました。無造作に扉を開け、
ペチャンコの鞄を振り回しながらいつものとおりです。
「敦子、ただ今くらい云いなさい!」
山本さんの嫁さんがこれまたいつものように怒鳴ります。
勿論、そんなこたあ、無視です。二部屋しかないもう一つの四畳半の方の襖を開ける
とピシャリと閉じます。この閉め方がもう長年の年季がはいっていて、心がスットす
るくらいです。
これで山本さん一家全員が揃ったわけです。
食事風景はいつもの通りです。敏夫を除いて三人は見るとはなしに、つけっぱなしの
テレビを見ながら黙って口を動かします。いつもの通りです。
敏夫はといいますと実はテレビを背にして食事をしているのです。四人家族の四角い
テーブルなので一番背の低い小学生の敏夫が犠牲になっているのです。
どうせ好きなアニメの番組なんか見せてもらえないので、内容に感心があるわけでも
ありません。振り向くこともなく黙々と納豆を食べています。
ところが異変がおこったのはその後でした。
敏夫が納豆を食べながら涙を流しはじめたのです。しばらくは誰も気がつきませんで
した。
「トシオ!」
気がついたのは正面に座っている山本さんではなくて、娘の敦子でした。
「と、としお。どうしたのっ」山本さんの嫁さん。実は名前があるのです。優子と云
います。その実体とのあまりのギャップにこの名はお知らせしたくなかったのですが、
これからもふんだんに出てくる都合上いたしかたありません。その優子が次ぎに驚き
ました。
涙と一緒に鼻水まで垂れているではありませんか。
山本さんはというと、あまりのことに言葉もありませんでした。
「ど、どうしたんだ敏夫。大丈夫か」と云いたかった山本さんではありましたが。出
遅れてしまったのです。鰺の断片を箸にはさんだまま硬直しています。
さて、沈黙の時がはじまりました。しかし、先程までの沈黙とは訳が違います。
皆、敏夫が何か云うのを今か今かと固唾を飲んで待っているのです。
敏夫にとっては辛い険しいひとときでした。とうとう納豆を食べる手を止めて、左手
のセ−タ−の袖で涙と鼻水をこすり落として云ったのです。
「何んなの!」優子が問い詰めるようなでかい声を出しました。
皆敏夫が云った台詞が聞こえなかったのです。無口な敏夫にはありがちなことでした。
しかし、次ぎにはハッキリと聞き取れました。
「きょうは」
今日はと云ったのです。
「ぼくの」
僕のです。
「たんじょう日なの・・」
「ああ」優子がホットしたように上げていた腰を落としました。
「そうだったの。わたしはまた何かあったんがじゃないかと」
「何だ。そうだったのか」今度は山本さんも出遅れませんでした。
再びの沈黙がありました。一件落着の空気の流れが漂いだしたと
その時です。
敦子が突然持っていた茶碗と箸を力一杯投げつけたのです。
それはテレビの上の洗面器に当たって砕け散りました。物凄い音がしました。
バカヤロウ! そして、発狂したように大声を出しました。
「おまえら。それでも親か!」
顔を真っ赤にして立ち上がり「おまえら、それでも親かあ」
ああああああ−大変な事態が起こりました。優子も山本さんも完全に硬直してしまい
ました。敏夫は小さく小さくなっています。
「てめえら。てめえら。敏夫の誕生日だったんだぞ。今日はトシオの」
ち、ちんもくです。さらなる沈黙。テレビではクイズをやっています。
こりゃあ、いかん。わたしもしばらく沈黙します。
「何か云えよ」「ええっ!」「トシオが泣いてんだろうが」「なんて親なんだ、なん
て」「だって敦子」「そうだ。敦子」「なんだよ。云えよ。云いたいことあったら、
云えよ」「忘れてたわけじゃないんだよ」「余計わるいだろうがあ」「でもねえ」
「なんだよ敏夫にあやまりなよ」「お父さんが今あれだろ」「なんだよ金がねえって
云うんじゃないだろうな。金の問題かよ。金の」「敦子まず座った方が」「なんだと
お」「あんたは黙ってなさいよ」「そんなことしか云えないのかよ」「だから、先ず
座って」「あんたは黙ってと云ってるでしょ!」「・・・」「敏夫ごめんなさいね。
お母さんあんたの誕生日忘れたのとちがうんよ。でもね」「でも、何だよ」「あんた
には云ってないでしょ!」「トシオはないてるじゃねえか」「だから謝ってるんじゃ
ないかい」「あやまって済むことかよお」「じゃあ、どうしろって云うの敦子!」
「ど、とおって。だから誕生日だろうが」「あんただって知らなかったんでしょ」
「な、なんだよ。親の責任だろ」「あんたねえ。そんな口のきき方してたら今に」
「もう、やめないか。やめろ!」「!・・」「?!!!」「お父さんが悪かった。
敏夫。な、敦子」「・・・・・・・・」「・・・・」「すわって。な。すわってくれ」
「・・・」「あんた」 山本さんの突然の大声でした。
敦子がまだ云い足りなさそうにしながらもしぶしぶテ−ブルについたので、また、
わたしも出てきました。一時はどうなることかと思った。山本さんはやはり偉かった。
「敏夫。お父さんが悪かった。な。何か好きなものでもあるか」
山本さんはうなだれている敏夫の頭のとっぺんをじっと見ながら云いました。
「ファミコンのゲ−ムでも買ってやろうか。どうだ」
「あんた」
「お前は黙ってろ」
「そうだよ」
「敦子もだ」
さて、また沈黙の時がやってきました。テレビではクイズの当選発表をやっています。
「何が欲しい。云っていいぞ敏夫」山本さんはさらに優しく語りかけます。
すると、敏夫が首を黙って横にふりました。何もいらないという意味です。
なんと健気なんでしょう。相変わらず無口ですけど。
「お誕生パーティがしたいんだろ、トシオ」敦子が多少イラついたようにせきたてま
す。
「そんなこと云ったってねえ」これは優子です。
「何でもいいぞ。お前の好きなことを云いなさい」もう出遅れることもない山本さん
です。一家の主の貫祿を見せています。痩せてますけど。
「げ−む」敏夫がやっと発言しました。ゲームと云ったのです。
一瞬、口をポカンと開けたのが、敦子と優子。山本さんはというと、
「ああ、ファミコンだな」と自信をもって応じたのです。さすが、一家の主。
ところがこれが外れでした。
「しりとり」
今度は三人揃って口を開けました。なんと、しりとりと云ったのです。
また再びの沈黙がおとずれました。
「ばっかじゃないの」敦子です。あまりの展開に白けてしまいました。
「そんなこと云うもんじゃないよ敦子。いいじゃないの。しりとり」
お金がかからない提案に救われた思いの優子はここぞと押します。
「しりとりかあ、随分やってないなあ」山本さんは少し照れています。
この敏夫の願いは結局かなえられることになりました。最後までしぶっていた敦子も
元はといえば身からでたサビ。藪のヘビ。やらざるを得なくなったのですから哀れで
す。さて、ではその成り行きをみてみましょう。
「今度は敏夫だよ」と優子。
「すずめ」敏夫が答える。
「まあ、うまいじゃないかい。さあ、敦子」
「わかってるよ。いちいち・・めだか!」
「おお、メダカかあ。むつかしいなあ。よっしゃ、じゃあな。お父さんはカだ。あの
虫の蚊だぞ。こういうのもいいんだ。な、敏夫よく覚えとくんだぞ」
「あんたったら。じゃあね。わたしはカリント。ほらお菓子の。トだよ敏夫」
「ああ、懐かしいなあ。そういえば」山本さん。
「お母さん、あれはカリントウだよ。ばっかみたい」と訂正を促す敦子。
「いや、敦子。あれはお父さん達の時代にはカリントと云ってたんだ」山本さん。
「さあ、敏夫。トだよ。敏夫のト」やけにはしゃぐ優子。
敏夫は頭をひねっています。なかなか、決まらない。そして云ったのが、
「父さん!」
「ああ、んて云ったあ。馬鹿だよ、こいつ。ははは、トシオの負け−」
敦子が馬鹿笑いして、ほかの三人も笑います。
山本さん一家全員がそろって笑っています。
ああ、これぞ、家族の姿です。うるわしき家庭団欒のひとこまでありました。
それでは皆様、この辺でこのお話を終わらせて頂きますが、最後に一言。
わたくし、秋本よりのプレゼント。
「ん」のあとは「んこ!」−おそまつでした。