AWC あめ 米須 朝夫


        
#495/1850 CFM「空中分解」
★タイトル (CKJ     )  87/11/18  22:29  ( 67)
あめ            米須 朝夫
★内容
「雨」

  雨が降ると楽しくなる。黒い厚い雨雲がいかにも堂々として天をおおい、
これでもかこれでもかと雨を降らせるさまは心地良い。

  雨に打たれるのは緑に限る。黒いアスファルト道路が水に濡れて銀色に光り、雨つぶ
があまたのえくぼを作っては消える風景も悪くはないが、芝生や潅木の薄い、あるいは
濃い緑に白糸の雨が斜線を引いた様に落ちてくるさまにはかなわない。

  葉を茂らせた背たけの低い木の下から黒褐色の幹が、あたりの暗さにつれてなお
その不気味さを増すようになるのもいい。

  降った降ったと他人に気どられぬように喜んで、うっとりとして外を眺めていると
すぐ止む雨は商売女のようでいかにもあさましい。おあしをもらって、はいこれまでよ
と、降り止むに似ている。

  一枚の葉が雨つぶに打たれて上下するのもよい。そのために細い枝の全体がしなり、
雨の強弱でザワザワとその位置をたえまなく変えるのも好ましい。

  雨のつぶが降り止み、あたりが明るくなり、空のある方向が白み始めてくると、もう
いけない。なんだ、こんなものかとがっかりする。

  雨の降り始めはいつでも良いが、降り止むのは夜でなければならない。
そうでなければ恥ずかしい。

  昼ごろから降り始めた雨は一晩中降り続いて、やっと翌日の明け方に止んだ、
となるのが一番良く、その後快晴の一日となればもはや言うことはない。
朝のまだ早く、庭に出る足の下で、まだ濡れている土がふんわりとわずか沈むのが
こたえられない。

  雨の止み方は人目を忍んで逢った男女の別れようでなければならない。うしろ髪を
引かれる思いでなければならない。

  あるいは又、親しい友人が知らぬ間に疎遠になり、気がついたらもう何年も会って
いない、そんなふうな雨の止み方でもなければならない。

  さあ、皆さん、雨は降り止みますよ、と声高に空と雲とに光で宣伝をしてから止む、
というのでは雨に恋心を持つ者にとってやりきれない思いがする。

  雨で時間に遅れるのもいい。ふだんは滅多に使わないハンカチで顔や頭をぬぐい
ながら言い訳するのは、その責めを誰も負わなくてもすむことを知っているから
堂々としている。

  定刻どおりに来た者も、雨じゃしょうがないナ、といった顔でたいして腹も立てない
雨で遅れて来た者がうらやましいからである。オレも車をやめて歩いてくりゃよかった
と思っているのがよくわかる。

  遅れた者は、スミマセンを連発しながら、その実、どんなもんだい、と思っている。
白いワイシャツに点々と雨のあとがあるのがいかにも誇らしい。

  定刻に来た者の羨望と遅れて来た者の勝利感で、会場がざわめき始めたところで、
じゃ、始めます、という次第になる。雨のにおいを体中にしみ込ませた男はそれが
乾くまでの間、皆に一目置かれるのである。

  雨で隠れた軒先が喫茶店の入口であった、ということのは、ままある話である。
そんな時に飲むコーヒーはいつになくゆったりとして、うまい。

  窓ガラスを流れる雨粒が今度はどんな方向に流れるのだろうか、などと考えながら、
のどに落とすコーヒーはいかにも休息の味がする。雨なんだから、遅れて当然なの
だから、と、いつもの後ろめたさとあわただしさがないのが良い。

  そう思って外を見たら、雨はすでに止み、空は青くなり、雲はところどころで
芝生の上にはさんさんと日がさしている。

  こりゃいけない、今日の雨は商売女だったか。

  ..




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