#232/1850 CFM「空中分解」
★タイトル (UCB ) 87/ 7/29 8:16 ( 60)
リレーB>第6回 旅立ち・再び えるえる
★内容
「ジャンさんッ! あなたと一緒に行くのはいいけれど、その前にもう一度、あの小屋
に行って、あなたの言う事を確かめます。」
「さよか。それがよろしゅおま。急ぐ旅でもないよって。」
そうでもないんだけどなあ。
うす暗くて粗末な部屋の隅でぼけっと座っていると、思い出すのは、金では買えない
学生時代の事ばかりだ。確かに優等生ではなかったが、不良という訳でもなかった。強
すぎる奴と戦うのはきらいだよ。でも、でも奴には、あいつだけには、負けたかぁなか
った。でも、負けたんだ。負けながら、でも啓子を追って、こんな所まで来てしまった
んだ。まったく僕は何をやっているんだ!
僕はベッドを立って、ほの明るい光の入ってくる窓際まで歩いていった。そこで僕は
奇声をあげてしまった。隣り部屋のジャン・モランボンさんがここにいれば、手を取っ
て下手なダンスの一つも踊ったかも知れない。
「三日月…三日月だ!明日にはこの村を出れる!」
翌朝、僕は僅かの装備と共に、もどかしく村を後にした。彼も一緒だ。まるで当然の
事の様に、僕と並んで歩いている。いい日和なのに、吹く風は冷たい。でも別に不快じ
ゃなかった。うーん、と伸びをして、
「何だかバイクに乗りたい心境ですよ。」 思わず日本語でしゃべっていた。4割がた
礼儀に決まってるけど、ジャンさんはにこりと笑ってくれた。
バイク…か。帰ったら、また乗り回したいなあ。帰れればの話だけど。
山小屋のある山はひときわ高く、周りは一段低い連山となってこの山を囲んでいる。
そしてそれらをさらに飲みこむ様に広がる、朝のヒマラヤ!
山小屋まではまだ遠い。僕達は、見晴らしのいい所で一休みした。村からの山景も風
情があった。でも、ここからの眺めはさらに格別だよ。視点が上昇するに従い、あの山
は表情を次々と変えてゆく。
ほうけた態で立っている僕を、ジャンさんが穏やかな眼差しで見つめている。言って
みれば、兄が弟を見る様な目で。でも僕は風景を見ていた訳じゃ無かった。僕の頭蓋骨の内側で、一つの仮定が泳ぎ回っていた。
ババさんはこの国では有名な人物で、知らぬ人とて無い占い師だという。それが、何
がうれしくてあんな科学万博まがいの曲芸をやったんだろう。いや、そうじゃない。多
分、あの曲芸のゆえに、ここチベットで占い師としての名声を得たのだ。スモークスク
リーンといい、プロジェクターの立体映像といい、現代の科学技術の地平線の、どうや
ら向こう側に位置するように思える。何かある。もしかして、占い師としてのババさん
は仮の姿で、本当は何か別の事をやっているのかも知れない。最初にババさんと会った
時は、超能力者かと思った。だけど、どうやらそんな心温まる話じゃあ終わりそうにな
いみたいだ!
僕の思考の流れは、そこで止まった。それ以上に仮定を展開していくには、僕の精神
的胃腸は弱過ぎた。
いつしか僕は、太陽の浮かぶのとは逆の方向を凝視していた。迷いを振りきり、ジャ
ンさんに向き直る。
「山小屋にいくのは、よしにします。あそこで会った人が、一体何者なのかは、今は考
えまいと思います。ただ、その人が言った事−−西へ、西へお行きなさい−−を信じて
西へ向かって進もうと思います。」
そこに、僕とある男にとって大切な人の行方を得る為の手がかりが、きっとある。
「芳岡さん、あなたがそう言うなら、私としては何も言う事はありません。私はいつも
あなたと行動を共にすると決めていますから。善は急げ、そうと決まったからには、早
速荷物を取りに、村に降りましょう。」
感動して手を握りあう趣味は二人とも持っていなかったらしいので、ひるがえって山を
下り始めた。だが今にして思えば、強引にでも握手すべきだった。それも左手で…。そ
うすれば、もっと早く楽が出来たものを。
太陽が天空の頂上に上りつめようとした時、僕達は村を出発した。長老に(ジャンさ
んを介して)宿の礼を言い、ジャンさんが貯金をはたいて買った食料をたっぷりと持って…。
こうして、僕等は西へ、西への旅を開始した。ここに至って、一つだけ気になる事が
ある。ババさんの言う、「影」の存在の事だ。僕は、遠からず「影」と戦うことになる
のだろうか。証拠こそ何一つとしてないが、そう思わずにはいられなかった。
<つづく>