#183/1850 CFM「空中分解」
★タイトル (ZTD ) 87/ 4/19 12:33 ( 65)
【野良理教授のバラード 第一話[鳴呼!カネダ町]後編】
★内容
以前〜と言っても、もう二十年以上も前になるが〜この地帯の区画整理があっ
たときの事である。町では新しい町名を付けることになったのであるが、「さて
どんな名がよいだろう?」と、町のおえらがたは頭を捻った。何しろ<おえらが
た>と云っても、戦中戦後の混乱の時代に生きてきた商店の親父さんみたいな人
ばかりで、およそ<教養>とは縁がない人達ばかりだったのである。
今日ならすぐに「一般公募」となるところであろうが、当時としては、まだそん
な手法には馴染みがなかったのである。
そこで彼らは〜止せばよいのに〜野良理教授のところにやってきたのであった。
(注:その頃、野良理氏はまだ「講師」であったが、当時の大学の教育担当者の
社会的地位は、今日ほど低くはなかったのである)
野良理教授、いや講師は若干もったいぶった表情で考えた(ふりをした)挙げ
句、一言・・・
「金田町がよい」
と、叫んだ。
「カ・ネ・ダ・町」
と、一同の者は声を合わせて唱えた。そして・・・
「いやあ、素晴らしい。さすがは大学の先生だけの事はある」
「本当によい名だ。<金>は経済の基本を表しているという訳ですね」
「そして<田>は我々が生きて行く基本の、食を意味するものですね」
「成程、正にこの名は日本の将来に向かって雄々しく前進をしようと云うわが
町の名前として、ぴったりですよ」
「本当に先生、有難うございます」
等と、一同は口々に最大限の賛美の辞句を連発させた。果ては、「これはきっと
先生のご専門の<古事記>の中から引用された、ありがたい名前に違いない」と
か「いや<万葉集>の中で聞いたことがある」などと、好き勝手な解釈を付け加
えて意気揚々と引き上げて行ったのである。
実はこの時、野良理講師が考えていたのはそんな高尚なものではなかったので
ある。
これは後日、彼が妻(当時まだ生きていたばあさん)に語ったところの、事の真
相であるが・・・・・。
野良理氏はそのころ、かなりの野球気違いであったのであるが、そのころの氏
は熱狂的な「国鉄スワローズ」のファンだったのである。(今の若い人は「そん
な球団は知らん。ヤクルトの間違いやろう」と云われるかも知れない。確かに現
在のあの、国鉄〜いや、もうすでにこの名もなくなってしまったが〜とプロ野球
とはどうしても結び付かないが、しかし国鉄がプロ野球の球団を持っていたこと
は歴史上の事実なのである)
そして当時の国鉄スワローズのエースピッチャーと云えば、金田正一投手だった
のである。(この名前は若い人でも知っているだろう。そう現在も「カネヤン」
と呼ばれている、態度の大きい、関西弁の、あの男である)
ここまで言えば読者はもう気づいたであろう。そうなのである。当時の野良理H
大講師が町名を命名するにあたり考えたことは、古事記でなければ万葉集でもな
く、ましてや日本の将来とか経済の事でもなかった。何と、自分がひいきにして
いるプロ野球のピッチャーの名前だったという訳である。
この事実が今日でも、野良理家最大の機密事項となっていることは、云うまでも
ない。
そんな隠された事実があったとしても、つい最近まで野良理教授は会う人毎に、
「この町の名を付けたのは、何を隠そうこのワシじゃ」
と、得意げに話しまくっていた。
ところがこのところ、教授は町名についての話を誰にもしなくなってしまった。
それどころか氏は、これに関する話題を一切避けるようになってしまっていたの
である。
その原因はどうも<この頃、簡単な漢字を読めるようになってきた>孫の秀太郎
君が語った一言にあるようである。
「ふうん、キンタマチって、おじいちゃんがつけたなまえなのぉ」
野良利教授のバラード 第一話:「鳴呼!カネダ町」(完)
(後記)あの国鉄も今や「JR」等というハイカラな名前になってしまった。
時代は常に流れている。