AWC 〔〔〔〔〔長篇散文詩 魔の満月4 直江屋緑字斎〕〕〕〕〕


        
#153/1850 CFM「空中分解」
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〔〔〔〔〔長篇散文詩 魔の満月4 直江屋緑字斎〕〕〕〕〕
★内容
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      長篇散文詩  魔の満月          直江屋緑字斎

                  昭和52年9月13日  書肆(しょし)山田刊
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1      (*3)

中空でふんぞり返っている邪悪なるものの舌に白い裸身を翻弄させ
ながら  エルドレはあの美しき囮(おとり)の彼方から不吉な砂煙
が攻め込んでこようとしているのに気がつく    すでに死の呪いの
うちに還りついているがらんどうの建造物は腐蝕(ふしょく)と退
廃に供され  まさにあたりの砂とともに崩れ落ち同化しようとして
いる    エルドレに施された夢はいったいどのような材質なのであ
ろう    エルドレは勇士の彫像から錆(さ)びついた鎧(よろい)
を剥(は)ぎ取ると  徐々に紅を帯びているしなやかな肌に素早く
装着する    身にまとうこの二重の衣はあってはならぬものへの断
乎(だんこ)たる拒絶の姿勢である    生命の轆轤(ろくろ)のよ
うに無機物の塩の累積物を焦がしつづけている永劫(えいごう)の
火がその焔(ほのお)の中に澄み透った玲瓏(れいろう)な鏡を現
し  武装したエルドレの全身をことごとく明瞭に映じている    こ
の眼が映し出しているのは己れなのであろうかと嘆じると  炎がひ
と揺れするたびに二人さらにひと揺れすると四人というように鼠算
(ねずみざん)式にエルドレの影が増えつづけ  その数が四千九十
六人に達すると次の十一回目の揺らめきで三百二十四人が加わり
十二回目の揺れでは四百六十八人が独自に炎の尖端(せんたん)か
ら現れ  総勢四千八百八十八人の武士が十三回目の最も大きな揺ら
めきでエルドレの前に武装して登場する    精根を使い尽くして神
の火は千数百年の寿命を全うする    第十回目までに登場した軍勢
に十一回目の軍が加わり  それらは二千二十四人と二千三百六十九
人の軍団とに再編され  十二回目に生まれた残りの兵は二百二十人
と二百四十八人の部隊とに分かれる    最も大規模な二つの軍団は
槍と弩(いしゆみ)で武装した歩兵たちであり  後の二つの少数精
鋭部隊は赤毛の駿馬に跨(またが)り緑の総のついた純血同盟の旗
幟(きし)を靡(なび)かせ  象の皮を幾枚も重ねた金糸の縫い取
りのある楯を掲げ  鋭い剣を輝かせて  先頭に立ってエルドレの前
に進み寄る    ああ絶体絶命のこの窮地    混乱と激しい恐怖とい
う明白な予見    ひらき直りとやけくその専制支配    強いられる
ことから生まれる力よ    おお危機の深いクレヴァスの底から得体
の知れぬ自信が湧いてくる    余裕をもった眼で屈強の軍勢を観察
すると  兵士のどの顔も同じ眼つき一様の表情をしていて  彼らの
造作がまったく単一の法則によってなされているのを知ると親しみ
さえも感じるのだ    だがエルドレの貌と躯(からだ)をもつゆえ
に最も危険な幻の軍団は  目前に迫ってくると  天地に轟(とど
ろ)く雷のように一斉に鬨(とき)の声を上げる    まさに風前の
灯    はたして断乎(だんこ)たる無援の逆襲を敢行すべきなのか
だが手繰り寄せるべき糸口は兵どもの懐にある    エルドレはだし
ぬけに先頭の騎馬兵の騎っている馬の横腹に飛び込むと  その兵士
を叩き落とし  手綱を奪い取って馬をまわれ右させ  力いっぱい馬
の尻に蹴りを入れて馬群の中に突入する    前進していた騎馬隊の
中に動揺と混乱が惹き起こされ  馬と馬とがぶつかり合い  いなな
く馬上から何人もの兵が転がり落ちる    エルドレも馬の横腹から
振り落とされ地面を転がってしまう    混乱は最大の母だと呟くと
すぐさま手近の馬をつかまえてひらりと騎乗する    それからゆっ
くりと騎馬隊の殿(しんがり)の方に潜り込んでゆく    まだ興奮
から覚めやらぬ馬が前脚を小刻みに地面に叩きつけるのを眺めなが
ら  何喰わぬ顔を装って隣の兵士に何が起こっているのかを問うて
みる    だがエルドレのとっさの思いつきもここまできて完全に覆
されてしまうのである    エルドレが声を出すと同時に馬の脚を注
目していた両隣の兵士はさっと顔を引き締め  馬体を寄せてエルド
レの両腕と手綱を奪い  彼を拉致(らち)してしまう    迷うべき
何ものもなく見抜いてしまったのだ    すると何の合図もなしに混
乱はさあっと引いてしまい  エルドレの前に道が開け  最前いたと
同じ場所に連れ戻されるのである    呪縛に充ちた六芒星章(ろく
ぼうせいしょう)の南西に位置する地下の帝国    枯槁(ここう)
した生命の綴(つづ)る幻想の織物に腐爛(ふらん)した酸漿(ほ
おずき)が唯一の輝きを与えようとしている    “はじめに聖言あ
りき”    以前にも以後にも何ものもなく  ことばはまず偽りの姿
をとって誕生する    不意に訪れる深夜のセールスマンは作り笑い
をして  鞄(かばん)に隠し持っている怪し気な物体に能書を喋
(しゃべ)らせる    また場末の呑屋(のみや)で三人の陰険な目
つきをした極悪非道の道楽者たちが男色を餌(えさ)に若造にいい
ようにからかわれるという一幕ものの喜劇を開陳するのも  装いの
ことばがその主調音である    不吉な怪物どもの巻き起こす暗い沙
塵(さじん)が迫ってくる中で  風籟(ふうらい)に惑わされたに
しても  兵士たちの間に一言も交わされていないことにエルドレは
気がつかねばならなかったはずだ    とはいえその失策がどのよう
に重大な局面に彼を導いてゆくのかをみるならば  偽装工作はもっ
と遵奉されてしかるべきである    逆転した画面の結果元の映像に
たち返るという見かけ上の出来事とは裏腹に  エルドレの身に逼迫
(ひっぱく)した危機は実にここで改めて解消されたからである
途方に暮れて茫然(ぼうぜん)としているエルドレの前に四千八百
八十八人の軍隊は整然と列をなし最大の敬意を示している    声を
あげる者もなく不信のまなざしを向ける者もなく  最も勇敢で忠実
なる奴隷として最敬礼しているのである    エルドレはこの現象を
解析しようと試みる    王家の血のゆえか    運命の好意なのであ
ろうか    いや  そのような思いよりも早く  己れの不動の地位と
支配力とを熱い血流のうちに覚えている    二組の友愛数によって
組織され統制された極めて専制的な純血同盟の軍団は  まさしくエ
ルドレが造物した狂暴かつ従順なる歴史の影である    風化して半
ば砂に埋もれた古代の王たちのモニュメントであるスフィンクスが
散在している墓の谷と称ばれる荒涼とした蟻地獄の彼方から  天空
を覆う砂烟(さえん)が押し寄せている    中空に吊られた鏡ある
いは火球が邪悪な色彩に染まり  その縁辺は次第に暗黒の侵蝕(し
んしょく)に屈しようとしている    エルドレは配下の者が深淵
(しんえん)の王国から掠奪(りゃくだつ)してきた巨大な悍馬
(かんば)に跨(またが)ると  あの隊商の列が富と欲望によって
鍛えた広大な道を朋友たちとともにまっしぐらに駈(か)け抜けて
ゆく    その向うには墓の谷とそこに棲む怪物どもがぱっくりと獰
猛(どうもう)な口腔(こうこう)をあけて待ち構えているであろ
う    墓の谷の中央を横切っている乾上がった河床の左側には  無
数の矢狭間をもつ五十ほどの矩形(くけい)の塔を連ねたほぼ長方
形の防壁に囲繞(いにょう)された城廓(じょうかく)がある
この廃墟(はいきょ)の真ん中を二十歩の幅をもつ大通りが貫き
いくつかの横道がそれを分断して住民の居住区をつくっている
北部には広場と壮大な神殿が備えられ  その隣の一角に四十メート
ルの高さの三つの堂々たる長方形の塔をもつ矩形(くけい)の宮殿
が聳(そび)えている    その反対側の岸辺には完全なる円形の壁
に包囲された城址(じょうし)がある    これらの文明の夢を潰滅
させその死の容姿を守護しているのは世にも恐ろしい怪物どもの群
である    粘菌類を巨大化した白色透明の醜悪なる生き物というべ
きであろうか    あの忌しい食人鬼やヨグ・ソトホートの呪文によ
って現れる謎の物の怪にとってさえも辟易(へきえき)するような
獣    腐った魚の眼や臓物や鱗の間から湧き出してくる異臭の柔ら
かな羽根布団    息を封じてしまうような脂の強烈なやすらぎ
おお汚辱にまみれぬるぬるとへばりつき  納豆の糸が泡を吐きなが
ら彼らの茵(しとね)をつくっている    のっぺらぼうで得体の知
れない交接現場の貌と尻    繊毛もなく棘(とげ)もなく地獄の濛
気(もうき)が凝縮し  さながら状態の魔物となっているのであろ
うか    彼らはその微細な部分においてまず単一の個体でありなが
ら  その個々の悪夢の厖大(ぼうだい)な集積という全体で唯一一
匹の生き物なのである    動物磁気は彼らの生活を支配するおびた
だしいエネルギーであろうか    また穢(けが)された体液の混淆
物(こんこうぶつ)こそ彼らのメスメリスムであろうか    互いに
喰い合いながらもますます増殖してゆく原生動物の処世原理で何を
生み出そうというのか    ありとある神々と自然とその被造物に敵
意を抱き殺戮(さつりく)に明け暮れる哲学の大魔王たちに  祝福
は常についてまわるものなのであろうか    エルドレは騎兵たちを
怪物どもの左右に陣取らせ  歩兵のうち槍で武装した部隊を横十列
に編成し前面に布陣させ  最後に弩(いしゆみ)部隊をその本隊の
左右に位置させる    まず二つの弩手(どしゅ)の部隊が雨霰(あ
めあられ)のように宣戦布告の攻撃を始める    と同時に本隊が前
進し  鋭い得物を振りかざし怪物どもの前部側面を剥ぐように襲撃
してから  二手に分かれ  敵の左右でそれぞれ隊列を立て直す
騎馬隊はそれより少しく時をずらして後方を攻撃し  後方の左右に
改めて陣取る    執拗(しつよう)な剥離戦法と前後左右を常時固
める完璧(かんぺき)な布陣によって  怪物どもはその数を減少さ
せられ中央に封ぜられ  為す術のないまま巌(いわお)のように硬
い一箇の円錐になってしまう    エルドレの軍隊は怪物どもを完全
包囲し  勝利を目前にしていっそう血気にはやってゆく    しかし
この勇敢な攻撃はそれ相応の輝かしい武勲とおびただしい犠牲によ
って成し遂げられているために  騎馬兵と歩兵の約半数が怪物ども
の触手に捉われ  半透明の袋の中で液という液をことごとく吸い取
られ  無数の塵(ちり)と化して砂漠の歴史に回帰しているのであ
る    とはいえ造物主であり策謀に長けた軍帥(ぐんすい)である
エルドレの足許からむくりと影が起き上がり  犠牲者と同数の勇者
を生み出している    だが影が簒奪(さんだつ)されるにしたがい
エルドレは疲労困憊(こんぱい)し  また兵自身の影も薄くなって
ゆき  軍勢は弱体化している    最後の攻撃によって決着は早急に
つけられねばならないだろう    まさしく今こそが圧倒的な布陣の
下に優勢なのだから    一斉攻撃の号令が発せられようというとき
に  だが半数の兵をくわえ込んでいた怪物どもは凝縮をつづけ  円
錐の尖端(せんたん)に雷光を帯び  それから細密な罅(ひび)を
生じ  いきなり以前の三倍の大きさに膨れ上がり  その数は増殖す
ることによって一挙に十倍になってしまうのだ    おお  この巨大
化現象は攻防を逆転させてしまうに足りるであろう    エルドレは
全軍に退却命令を下すが  その伝令が駈(か)け出している最中に
も怪物どもの逆襲は獰猛(どうもう)を極めエルドレの影はますま
す薄くなってゆくのである    猛威を振るう邪悪な粘菌類は容赦な
く体液を求めて絡みつく    軍隊は蜃気楼(しんきろう)だ    エ
ルドレはもはや立ち上がることも能わずにじりじりと地を這(は)
って逃げ回る    今にも光と同化せんとする幻の純血同盟もただエ
ルドレの写し絵である    灼(や)けつく光の大攻勢に乾ききった
熱い岩肌を露わにした道の際を越えその蔭(かげ)に躍り込むと
エルドレは岩の間に不思議な植物が匿(かく)されているのを発見
する    掬(つま)み上げるとちくりと指を刺すのである    褐色
に萎(しな)びて今にも崩れそうな屈曲した茎がさっと青みを帯び
るのを見て  エルドレの記憶簿の頁に艶やかに朱で記された毬華葛
(まりげかずら)ということばが浮かぶ    毒には毒と呟くと  最
後の力を振り絞って毬華葛(まりげかずら)の干茎を吸血鬼どもに
投げつける    エルドレの消え入りそうな影たちもてんでに投擲
(とうてき)する    おお  海綿様繊肉質の内部をもつ茎は液体の
獣に突き刺さり  その汁をまたたくうちに吸い込んでしまうのであ
る    ぐえーっという低い呻(うめ)きが谷を揺動すると  みるみ
る成長している植物に絡みつかれて怪物どもはどんどん小さくなっ
てゆく    今や塵(ちり)と化した怪物どもは  彼らと入れ替わっ
た蔓草(つるくさ)の茂みのうちに密封されているのだ    何とい
う対症療法の見事なる勝利であろう    怪物の呪縛で実に数千年の
荒廃を余儀なくされていた城は  栄光も艶やかな祝福に充ちて  蜃
気楼(しんきろう)のように荒涼とした砂漠の真ん中にその華麗な
る姿を浮かび上がらせる    神々と呪わしきものたちとの諍(いさ
か)いはここに終結をみるかのようだ    だがその邪悪なる物語は
姿の定かならぬ主人公と同様の姿態を取るに過ぎないだろう    滅
びるものはあらゆる滅びの予見である    蟻地獄の逆円錐の壁に囲
まれた底では  鬱蒼(うっそう)たる悪魔の潅木(かんぼく)がす
でに赤褐色に萎(な)えた不吉な陽光に映えて妖しい気配を漲(み
なぎ)らせている    聖らかな至福に充ちたボウの叢(くさむら)
とのなんという対照    母と妹の三位一体であるエレアとの恋はい
ずれに属するのだろう    (つづく)




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