AWC 〔〔〔〔〔長篇散文詩 魔の満月3  直江屋緑字斎〕〕〕〕〕


        
#148/1850 CFM「空中分解」
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〔〔〔〔〔長篇散文詩 魔の満月3  直江屋緑字斎〕〕〕〕〕
★内容
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      長篇散文詩  魔の満月            直江屋緑字斎
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1      (*2)

セント・ピーターに在留を許されなかった博士は  目玉を狙う肉屋
から保護してやったカプリの幾万羽の小鳥たちによって天国に匿
(かく)されている動物どもの楽園に招かれる    この翼のある優
しい生き物は篭(かご)を開けると空へ向かって翔(と)び立とう
として  いつもその鋭い箭(や)を化粧台や窓枠に嵌(は)められ
た凝固(ぎょうこ)した泉にへし折られてしまうのだが  コレラの
流行したナポリで修道尼にキッスした医学博士ならばこの忌しいプ
リズムを小鬼に命じて取り払ってしまうだろう    エルドレは自分
自身の影を凝視(みつめ)ている    その影は  だが別の生き物の
ようにエルドレとは異なった険しいまなざしで彼を射竦(いすく)
める    おおこの世のものではないエルドレは影などではない
まぎれもなく愛しいエルドレ    塞き止められていた欲望が肉体を
再生し  二人のエルドレの唇を重ね合わせようとしている    何と
いう冷たい感触をもつ優しい接吻(せっぷん)だろう    おお彼ら
は水晶のうちに惹(ひ)き寄せられ吸い込まれてゆき  この鏡の内
部に封じられる    宝石商の裸体の娘が残した金剛石の赤い痕よ
彼らは交わる  あのテラコッタの性器のように    だが流され充溢
(じゅういつ)するのは聖地のコアの石炭袋の暗黒のおびただしい
液である    無患子(むくろじ)の硬い種子に封ぜられて船乗りど
もの皺(しわ)だらけの海図が展げられる    半透明のペルガメン
トの表面には粘菌類の長い旅と永久運動の鞦韆(しゅうせん)が揺
れ動く    庭園の水晶時計が美に関するアリストテレスとの夢問答
を噴射する    時狩りが鐘を鳴らし断食の一日を告げる    龕(が
ん)の上に並べられている多彩色の壁画は燧象(すいぞう)の法の
よい標的である    二人のエルドレが重なり合った轆轤(ろくろ)
の中では十三の約数を再び総合して第四の完全数を作ろうとしてい
る    船に設けられた仮面劇場では巨大な張型を振って王国の秘話
が再現されている    粗末な壁に括(くく)られた棚に差しかかる
茶褐色の日光    あの貪欲(どんよく)な繁殖力をもつ小動物に助
命された円形の大広間    風琴の物悲しい細工で世紀の恨みを晴ら
した老女    おお血の儀式は亡霊どもを呼び寄せる    吊り庭は石
炭袋に吸い取られるだろう    カタコンブの六つの実験室にはあら
ゆる塩が網羅(もうら)されている    恋する悪魔は何処にゆくの
だろう    マンドラゴラの谷間には丸木舟に括(くく)られた若者
が定めに沿って流されてゆく    開門    そこから恐ろしいまでに
爛(ただ)れた躯(からだ)を燃え上がらせて  魍魎(もうりょ
う)が若緑に包まれた清澄な水面を滑って出発する    大樹の精は
岩穴に棲む才走った小男に滅ぼされたのであろうか    青い魚が薔
薇(ばら)十字に辿りつき透明な花弁の下を泳いでゆくと黄金の彫
鐫(ちょうぜん)ができあがる    エルドレは胎内で夢をみる
エルドレの嚢中(のうちゅう)でも成長するものがいる    そして
開門    厚みのない世界から出生したばかりの男の周囲にはごつご
つとした岩壁がみられ    それはゆっくりと収縮している    長く
暗い洞窟(どうくつ)の至るところの窪(くぼ)みには苔(こけ)
や薇(ぜんまい)や蕨(わらび)などの陰性の植物が繁茂している
天井や壁面また地面のところどころに得体の知れない悪臭を発する
海綿状の柔らかな岩石がこびりついている    奇崛(きっくつ)な
岩肌は地下水の重い濛気(もうき)に被われ暗い穴の中で黒陶の光
を帯びる    壁に触れるとその重い輝きが粘液性のものであること
が了解できる    そして食肉性の根や茎に付着している鋭い棘(と
げ)が掌に喰いつく    強い酸性臭がたちこめ  獲物をからめとろ
うと獰猛(どうもう)な蔓(つる)が伸び  それらと軌を一にして
洞窟(どうくつ)の全体が急速に収縮する    エルドレはこの奇怪
な運動によって反対の壁に弾き飛ばされる    このように繰り返し
弄(もてあそ)ばれるうちに衣服のあちこちが裂け  背中にへばり
ついている吸血鬼どもはその破れ目から侵入し  エルドレの皮膚を
引き剥(は)いでゆく    その運動は  だが空洞を消失させてしま
うほどの激しさには至っていない    ひりだされながらエルドレは
いたぶりの地震の中を一目散に駈(か)け抜ける    だがその逃走
の行手には背中や脇腹や顔面からしたたっているものと同じ色の炎
が燃え上がっている    焦げる海    紅に蝕(むしば)む化石
熔(と)ける薔薇(ばら)    面会に来ない父たち    エルドレは
吸血植物の触手やその口腔(こうこう)いっぱいに湧き上がるどす
黝(ぐろ)い唾液に脅かされ  ただやみくもに炎の障壁めがけて身
を投げ出してゆくのである    だがそれは純正の炎ではない
あまりに鮮やかな炎の彩(いろ)を吐く一枚の布なのである
纐纈巾(こうけつきん)は血だるまのエルドレを迎え入れ大きく膨
らみひるがえる    同時におびただしくあふれる血液を拭(ぬぐ)
い取ってしまう    緋色(ひいろ)の扉はなおいっそう生き生きと
燃えさかり  しっかりと出口を遮断する    おお茫然(ぼうぜん)
自失のまま立ち尽くすエルドレ    大いなる幸運と安逸さにふーっ
と肺を萎(しぼ)ませ息をすっかり吐き出して完全な脱力状態に陥
ったその刹那(せつな)  横あいから高い気合とともに太い腕が伸
び  がっちりと両脇を拘束される    エルドレは眩暈(げんうん)
と脳天を貫く痺(しび)れと激しい呼吸困難に打ちのめされる
充血した楯(たて)が音をたてて倒れ  銀色に燦(きらめ)く穂尖
(ほさき)を天に突き赤銅色の逞(たくま)しい腕を重武装で被っ
た二人の衛士に両腕を掴(つかま)えられているのだ    息切れが
波頭のように押し寄せその頂点でほとんど窒息しかかり  足許に蝶
を咲かせた金雀枝(えにしだ)が熱風に煽(あお)られ優しく笑っ
ているのが目に灼(や)きつくと  頭の重い蓋(ふた)が抜け飛ん
だように軽やかな安息にのめってゆく    その暗いレトルトの細い
くねった管を伝って濛々(もうもう)とした荘重な低音がふつふつ
と昇ってくる    “聖なる一切を穢(けが)すものは自然の生理に
よって自然の汚濁へ還ることになる”    “悪霊は地底に転落し世
界は灼熱(しゃくねつ)の業火によって舐(な)め尽くされる”
これはアベスタの一節であろうか    甘酸っぱい味覚が夢の中を潤
すことによってエルドレは再び混濁した液の底から掬(すく)い上
げられる    純白の頭巾(ずきん)と顔を覆う布によって眼球だけ
を異様に目立たせた人物がエルドレを取り囲んでいる    それから
腕と脚とを頑丈な鉄枷(てつかせ)で四隅に引っぱられ固い寝台に
仰向けに括りつけられているのに気づく    柘榴(ざくろ)から抽
出した興奮剤と山羊の乳とで醸された呑(の)み物が口腔(こうこ
う)から喉(のど)へ快く拡がる    七人の司祭たちはとうにエル
ドレの皮膚を第三層まで剥(は)ぎ終えぴくぴく跳ねる筋繊維を露
わにしている    エルドレはだが皮剥(は)ぎの刑の恐ろしい激痛
を覚えるどころか爽(さわ)やかな解放感を味わい  ただ澄んだ眼
球だけが事のなりゆきを冷静に観察している    高い天井をもつ四
角い手術室の寝台のある壁の反対側には竃(かまど)のある龕(が
ん)が置かれ  その上でめらめらと揺らめく聖火を中心にして祭壇
が設けられている    アフラマズダとミトラの力強い立像がこの室
内を厳粛な中にも高揚感を絶やさないといった趣きで牛耳っている
神官の最長老と思われる瘠(や)せぎすの老爺がその前に平伏し熱
心に祭奠(さいてん)を唱い上げ  しばらくたつと永劫(えいご
う)の炎の中で清められている白い布を取り出し  それから銅製の
リュトンの中で沸騰している赤葡萄(ぶどう)酒を宮廷用に誂(あ
つら)えられた車の付いた銀の膳(ぜん)に載せて運んでくる
七人の禰宜(ねぎ)は“サラマンダー……”という文句を左回りに
十一回繰り返してから  すでに褐色に煮つまっている液体をエルド
レの全躯(ぜんく)に注ぎかける    それから別の小壜(こびん)
に詰められている山羊の白い乳汁を三十回に分けてふりかけ十四本
の手で一斉に筋肉と骨の細部にまで擦(す)り込むと  それらの灰
色の粘液が発光し  しだいに真っ赤な炎の舌をあげ始める    沈着
聡明な長老がその上で白い布をひるがえす    布がエルドレの躯
(からだ)を包み込むと  それはあわただしく吸い込まれるように
熔接(ようせつ)され  肉体の完璧(かんぺき)な曲線をなしてゆ
くのである    これは正真正銘のサドラである    聖なる肌着はエ
ルドレに与えられたのだ    七人の司祭は  龕(がん)の上に捧げ
られていた仔山羊の毛から取り出した七十二本の糸をより合わせた
紐(ひも)をエルドレの頭に巻きつけると  祭壇に頭を垂れて長い
長い祈りに就くのである    灼(や)け尽くすような光の大洪水
残酷で生命の源をことごとく呑(の)み乾してしまう火刑の大劇場
生物はあらゆる生物の種を狙い  己れ以外の生物を絶対的な敵とし
て  尽きることのない攻撃を陰湿に繰り展げている    ああ  あそ
こにもジャンピング・チョーヤの鋭い雨が降り注ぐ    メスキート
やオコティーヨなどの潅木(かんぼく)の密生するすぐ向うにはサ
ンド・ベルベナの紅潮した丘陵地帯が三日月状に散在している
自衛手段のために果肉を細らしている覇王樹(サボテン)の陰では
角蜥蜴(つのとかげ)や後足の異常に発達した鼠(ねずみ)や蟇蛙
(ひきがえる)などが飛び出た目玉をきょろきょろさせながら  コ
ヨーテや穴熊や狐の夜間に敢行される狡猾(こうかつ)な襲撃に備
えて防塞を造っている    雛菊(ひなぎく)やエリオフィラムまた
ナマの黄色や白や赤や紫の可憐(かれん)な花弁が蛾(が)や蝶
(ちょう)や蜂やハミングバードを誘っている一帯から遥(はる)
か離れた彼方では  肌を抉(えぐ)る棘々(とげとげ)しい風が数
十メートルも砂塵(さじん)を舞い上がらせ  摩訶(まか)不思議
な迷宮のシルエットを紫色の光の緞帳(どんちょう)に映し出し
またたくうちに古代史の彼方へと包み込んでゆく    十億年もの歴
史をもつ微粒子は不規則な風に運ばれ銀色の星型砂丘を形成し  地
底を支配する魔王の熱い息吹によってめらめらと赤く怒張している
幾何学的なこれら巨大結晶  巨大暗号  巨大建造物群  巨大人造湖
巨人像  巨大墳墓  巨大性器  巨大嬰児(えいじ)は燦(きらめ)
く御影石の屹立(きつりつ)する破片である    赤褐色のごつごつ
した断層を剥(む)き出して滝のような砂の細流が濛々(もうも
う)と飛沫(ひまつ)をあげているのをはじめにして  中途で括れ
ている大きな岩の塊や中空に浮かんでそれ自身で大架橋をなしてい
る巨岩  さらに誇らしく天の中心を突き上げる数十メートルの直立
する巌や  波のように無数に拡がる純白の石膏(せっこう)砂丘を
一望させて視界を凌駕(りょうが)する丘陵こそは  素晴しく神秘
に充ちた天然の大庭園である  ポリフノエ・ゼムレジェリエは永遠
の都から一千万セスタースの黄金を吸い上げ  その中枢である大オ
アシスには幾種類もの樹木が豊かな水に祝福されて世界のありとあ
る果物をたわわに実らせ  鮮血のように美事な夕焼けが棘(とげ)
と毒のある植物の華麗な花の乱舞を染め上げている    おお壮大な
無機物の塩辛い砂の海原に浮かぶ夢の苑    だが蜃気楼(しんきろ
う)は最も獰猛(どうもう)な囮(おとり)である    そのような
銀幕が干上がってゆくと  エルドレを囲む地面は枯れかかった金雀
枝(えにしだ)の絨毯(じゅうたん)になる    汗を感じる余裕も
なく急激に水分を奪われてゆく神殿址(あと)では  司祭たちのう
ねるような低い祈祷(きとう)が幻の中に新たなる幻を生み出して
いる    七人の司祭たちは自らの術によって巌のような整然とした
永劫(えいごう)の形に化身する    エルドレを制した屈強の衛士
は青銅の自動人形のように緋色(ひいろ)の帳の両側で槍を捧げた
まま硬直している    潅木(かんぼく)の茂みも一塵(いちじん)
の砂に帰している    不動の静寂を背景にして  ただ祭壇に赤々と
燃え上がる炎だけが一切の生命の収束点であるかのようだ  (つ
づく)







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