#122/1850 CFM「空中分解」
★タイトル (TCC ) 87/ 2/16 16:39 (142)
「野良犬」 6.
★内容
(11)
その夜、良子のアパートから出てきた男が車でどこかへ走り去った。その後を
黒い車が尾行していったのを確かめると、吾郎はアパートのドアをノックした。
出てきた良子は、吾郎の顔を見ると息を飲んだ。
「あ、あなたは・・・」
「ちょっと、話しがあるんだけど」
「ど、どうぞ」
茶の間に作った祭壇の前に数人の客がいたので、良子は奥の部屋の方に吾郎を
導いた。
部屋の中は、祭壇を作るのに邪魔になった茶箪笥や座卓やテレビなどが放り込
んであるので、二人が座るのがやっとという狭さだった。
「あなたが助かってよかったわ。父も、お預かりしたお子さんが無事で、きっと
あの世で安心していると思うわ」
「・・・・」
「父はあの通り責任感が強いから、あなたを助けようとしてあんなことになって
しまったのね。でもあなたのせいじゃないんだから、負担に思うことはないのよ」
「・・・・」
吾郎が黙っているので、良子はしだいにいらついてきた。
「でも、どうして今まで出てこなかったの? 何か都合の悪い訳でもあるのかと
思って、警察にはあなたのことは話してないのよ」
と、恩きせがましくいった。
「へえ、それは礼をいわなきゃいけないのかな。だけど、都合の悪いのは俺じゃ
なくてあんたの方じゃないの?」
そういった時、良子の眉がピクッと反応した。
「どういう意味?」
「俺、見てたんだよ。あんたが火を付けるとこをね。恐ろしい世の中だよな。親
を焼き殺しちゃうんだから。おかげで、俺まで巻き添えをくうところだった」
「・・・・・」
「黙ってないで、何とか言えねえのかよ。あんないい親父さんを殺して悪かった
とか、とんでもないことをしてしまったとかよ」
吾郎は凄みをきかせ、押し殺したような低い声で言った。
「あんな人、父親じゃないわ。母の再婚相手だってだけよ」
「だけど、血がつながってなくてもお袋さんが選んだ人なんだから、親父さんだ
ろう」
「いつも朝から酒ばかり飲んで、母に暴力ばかりふるってたわ。腕のいい大工だ
ったんだけど、だんだん仕事をしなくなって、母が働いていたのよ」
良子の頬に一筋、涙が流れた。膝の上に重ねた両手が小刻みに震えている。し
かし、吾郎の目にはそんな良子の仕種が何となく芝居臭いようにも見えた。
「自分は仕事をしないくせに、母が勤めていたスーパーの店長と母の中を邪推し
て、また暴力をふるう。とうとう、母は蒸発してしまったわ。父は店長と駆け落
ちしたって大騒ぎしたけど、店長はちゃんとお店に出勤していたの。それが一年
前のことよ」
〈こんな女の言葉が信じられるか〉
吾郎には、良子の言い分は彼女の悪あがきにしか見えなかった。
「でも、私は父が母を殺したんじゃないかと思ってるの。これはただの感なんだ
けど・・・」
「もうそれくらいにしろよ。親父さんをアル中にしたかと思ったら、こんどは殺
人犯かよ。とにかく、あんたが火を付けて、親父さんを殺した、それが事実だろ」
吾郎はうんざりしたように言った。
(12)
良子は吾郎の方へ膝でにじり寄ってきて、低い声でいった。
「ねえ、はっきり金額を言ってくれない。あなただって警察に協力しても、何の
得にもならないのよ。保険が手に入ったら、できる限りのお礼をするから」
そう言ったときの良子の顔を、吾郎は醜いと思った。吾郎を捨てたときの母親
もこんな顔をしていたのかもしれない。
「残念だけど、その話しには乗れねえな。そんなことをしたら、おっさんが化け
て出る」
「じゃあ、何が目的なの。私にどうしろというの。あなたはここへ何しにきたの
よ。さっさと警察へ通報でもなんでもすればいいじゃないの」
良子は半ば開きなおり、ヒステリックにそう言って、吾郎をにらみつけた。
「したよ」
「えっ? したって・・・・」
吾郎があまり簡単にいうので、良子は一瞬、その意味がわからず、ポカンとし
ていた。
「あんたの亭主は今頃、連続放火事件の犯人として、現行犯で捕まっているよ。
さっきこのアパートからあんたの亭主が出て行ったあとを、覆面パトカーが尾行
していったからね。警察のお供を連れて放火しに行ったんだから、お目出度い男
だね」
「な、なんですって・・・・」
良子の顔色がみるみる蒼白になってきた。空中の一点を見つめ、その顔が奇妙
に歪んでいる。そして、目を閉じて天井を仰ぎ、低い泣き笑いをもらした。
「ウフフフ・・・・」
「そういうことだから、もうすぐここへも警察がくる。もう観念した方がいいな」
吾郎はそれだけいうと、立ち上った。警察が踏み込んでくる時までいる必要は
ないのだ。できることなら、警察とはなるべく関わりを持ちたくなかった。
その時、良子の手がテーブルの上の果物ナイフに伸びた。吾郎は危険を感じて
逃げようとしたが遅かった。良子はしっかりとナイフを握りしめたまま、彼の背
中に体当たりをしてきた。
「ウッ」とうめいて吾郎は膝を折った。良子はガクガクと震え、その場に座り込
んだ。吾郎は背中にナイフを突き立てたまま、良子の方へよろよろと歩み寄った。
「畜生! お前もお袋と同じだ。自分勝手で嘘付きのブタ野郎だ!」
吾郎は良子を押し倒し、馬乗りになった。そしてその血管の浮いた細い首を力
まかせに絞めあげた。ただならぬ様子に、通夜にきていた客が襖を開けたときに
は、もう手遅れだということは誰の目にも明かだった。良子のカッと見開いた目
は、すでに生命あるもののそれではなかったからだ。
それでもあわてて客の一人が、吾郎と良子を引き離した。吾郎の方もおびただ
しい出血で、もう虫の息だった。
吾郎は子供のように泣きじゃくった。
「おっさん・・・痛えよ・・・血が止らないんだよ・・・助けてくれよ・・・」
途切れ途切れに聞こえていたつぶやきも、やがて・・・消えた。