AWC ●連載



#1116/1125 ●連載    *** コメント #1115 ***
★タイトル (AZA     )  18/09/15  22:09  (465)
無事ドアを開けるまでが密室です <中>   永山
★内容                                         18/09/19 13:53 修正 第2版
「中を見てみるつもりだが、不慣れな人には刺激が強烈に過ぎると思う。俺が一人で見
るのもルールからはみ出すんで、今度こそ水地さんに付き合ってもらいましょうかね」
 不気味と表現したい笑みを向けられ、私は不承々々頷いた。
「私は飽くまで、山元さんの動作を監視するだけですよ。引き受けるからには厳しくや
りますけどね。先程の中井さんの言葉を借りれば、その袋の中に鍵が入っているかもし
れません。そう見せ掛けるために、山元さんが今まさに袋に鍵を入れようとしているの
かもしれない」
「頼もしい」
 山元は両手を広げて、私の方に見せた。指の間に何かが挟まっているということはな
い。袖については、とうにまくり上げてある。
「よろしいかな」
「はい、手は。失礼ですが、口の中も見せてください」
「ふむ、なるほどな。口に含んでおいた鍵を、隙を見て袋の中に落とすって方法か。あ
とで科学捜査に掛けたら、唾液だらけでばればれだが、悪くはない」
 私の考えを見事に読み取った山元は、素直に口を大きく開いた。中には鍵はもちろん
のこと、異物は何らなかった。
「それではやるぞ」
 吊り下げられた状態のまま、袋に手を掛けた山元。縛られた袋の口を緩め、上から覗
き込む。髪の毛を掴んで、中の物体を傾けた。瞬間、息を飲む様子が伝わってきた。
「――牧瀬次郎に間違いない。それに、これは……水地さん、とりあえず見てくれ。で
きれば廣見さんにも」
 私は山元に倣って、上から袋を覗いてみた。牧瀬次郎と思しき人の顔が分かる。山元
が今問題にしているのが何か、すぐに理解した。遺体の口元に鍵が押し込んであるの
だ。
 続いて覗き込んだ廣見は絶句した。取り乱しはしないが、ショックを受けているのが
傍目にも分かる。声がもし演技だとしたら、丘野といい勝負になるのではないか。
「残念ながら、密室殺人のようだ」
 山元の判断に、私は待ったを掛ける。
「え、あ、いや、念には念を入れて、あの鍵が本当にここの鍵か否か、確かめなければ
いけないのでは」
「おお、そうだ。廣見さん、見て分かるかな? 同じ鍵かどうか」
「……難しいですね。同じ物のように見えますが」
「試すのが早い」
 外野から声が飛んだ。丘野だった。振り返ると、彼女は廊下側から壁に手をついても
たれかかり、やや疲労気味のようだ。ポーカーフェイスも実際の死体を前にして、崩れ
かけていると言ったところかもしれない。
「確かに。俺がやるしかないか」
 山元は再度、両手を裏表ともしっかり私達に見せ、それから右手をゆっくりと袋の中
に入れた。人差し指と中指とで鍵を摘まみ取ると、それを皆から見えるように掲げる感
じで持つ。血餅を含んだ体液で汚れていたため、山元は廣見にちり紙を所望した。執事
のたしなみなのか、すぐにティッシュが渡された。それを受け取ると、山元は鍵を包む
ようにして汚れを吸い取らせた。完全にきれいになった訳ではないが、後々の指紋採取
を考えると、これが精一杯だろう。用済みになったティッシュは、廣見が引き受けた。
「では」
 みんなから見える状態のまま鍵を持って、ドアまで来た。山元が廊下側に回り、鍵穴
に鍵を差し込む。スムーズに入った。次いで回す。これまた滑らかな動きで、芯棒がス
ライドするのが分かった。
「この部屋の鍵だ。古びた感じは、コピーされた合鍵って風でもないが廣見さん、どう
だろうな?」
「……次郎様が身に付けていた鍵に相違ありません」
 廣見の証言により、密室殺人であることが確定した。

「いつ死んだのかとか、どうして死んだのかといったことは、分かりそうにないんです
か?」
 何人かから希望が出て、一時休憩に入っていた。全員揃って食道にいる。それでも犯
行現場のドアには、ガムテープを何本か渡して張り巡らせ、簡単には出入りできないよ
うにしておいた。
「残念だが、正確なところは無理です」
 安島の質問に、山元が答える。
「経験から推定するのであれば、死後……長く見積もって十時間、短くて二、三時間経
っている。死因は後頭部に二箇所、大きな傷を見付けたんだが、あれが死につながった
かどうかは分からない」
「発見したときから遡って十時間というと、昨夜の九時から十時にかけてですか。その
時分なら、まだ生きている牧瀬次郎氏を見た人がいるんじゃないでしょうか」
 私はお茶が冷めるのを待ちつつ、聞いてみた。
「だったら自分かな」
 反応したのは上神。だいぶ顔色がよくなり、声も快活だ。
「夜十一時ぐらいだったと思うけれど、あの部屋に牧瀬氏を訪ねたんよ」
「一人で?」
 山元が鋭い語調で聞いた。上神は慌てたように首を左右に振った。
「いやいや、怖いな。二人でしたよ。夜遅くに行っても相手にしてもらえんかもしれな
い。だから廣見さんにつないでもらって」
 上神の目線を受け、廣見が黙って頷いた。この場では執事も着席して、お茶を飲んで
いる。
「あらら。何か具体的に証言してちょうだいよ、廣見さん」
 おどけた調子で芸人から求められ、廣見はまた頷いた。
「あれは確かに午後十一時頃でございました。正確には三分ばかり過ぎていたと記憶し
ています。上神様と一緒に次郎様の部屋の前まで行き、私がお声がけをしました。上神
様の用件を伝えたところ、『今日はもう眠い。明日だ』と返事が。普段でしたら、日付
が変わるぐらいまでは起きておられるのですが」
「結局、断られたって訳か。用件てのは?」
 山元の尋問口調に、上神は身震いのポーズをしてみせた。
「取引を持ち掛けようと考えたんですよ。私はギャンブルは好きだが、下手の横好きっ
て奴で、今日予定されていたギャンブル勝負も勝てる気がしない。で、他の芸人のネタ
を教えるから、自分は金輪際見逃してくれとね」
「何て奴だ」
 軽蔑する風に吐き捨てた山元。これにはさすがにかちんと来たのか、上神が反駁す
る。
「昨日薪割りをやってごまをすってた人に言われたくないんですがね」
「あれは屋敷の内外を調べて回ってたんだよ」
 即座に言い返す山元。それにしても調べていたとは?
「どこかに恐喝以外の悪事の証拠がないかと思ってね。色々見て回ったが、何も出て来
なかった」
「そんなことをなさっていたんですか」
 廣見が驚きを露わにした。
「ちゃんと薪の山ができていたのに、信じられません」
 薪は非常時に備えての物で、ストックはいくらあってもいいとのことだった。薪小屋
は屋敷から少々離れたところにあるため、そこでの音はほとんど届かない。秘密の隠し
場所としてはうってつけと推測してもおかしくない。
「あれは短時間で急いでやった。無理をしたせいで、斧が壊れてしまったんだ。悪いこ
とをした」
 頭を下げる山元に、廣見は「それはかまわないのですが」と受けて、続けた。
「もしも――そんなことはないのですが、もしも次郎様の他の不法行為を掴めたとし
て、あなたはどうなさるつもりだったのです?」
「具体的には考えていなかった。交渉になったとき、有利に運べるかなと思ったまで
だ」
「そういえば、斧はどうなったんですか」
 ふと気になったという体で、中井が発言した。山元も把握していない様子で、廣見へ
と顔を向けた。
「柄が折れて使い物にならなくなったので、物置に仕舞いました」
「そう。だったら、牧瀬氏の遺体を傷付けたのは、斧ではないのね」
 ああ、なるほど。そこも攻め手の一つになるかもしれない。斧以外に使える道具――
凶器が屋敷内にはあるに違いないが、その在処を知らなければ遺体の頭部を切断するな
んて手間の掛かる行為はやるまいという考え方だ。道具を探すだけで時間を食ってしま
う。
 みんなの視線が再度、廣見に注がれた。
「残念ですが、特大サイズと言っていい肉切り包丁が、厨房にございます。刃物を求め
てキッチンというのは誰もが容易に連想するでしょう」
「そうか。ともかく、その肉切り包丁の状態を見ておきたい。犯行に使われたのなら、
痕跡が見付かるかもしれん」
 休憩を切り上げ、隣接する厨房に向かう。まだ全員、気力は萎えていないらしく、重
い足取りながらもぞろぞろと付き従った。
 調べた結果、肉切り包丁は廣見の言葉を借りれば特大サイズの物が二本、仕舞ってあ
った。血痕などは見当たらなかったものの、洗われたのか水で濡れており、使われた可
能性が高い。
「廣見さんが最後にこれを使ったのはいつ?」
「四日前に、次郎様への夕食で」
「そのとき洗ってから、こんなに濡れている訳はないわね」
 といったやり取りがなされるのを聞いて、私はまた新たな疑問が浮かんできた。タイ
ミングを計って、声に出してみる。
「犯人は何のために、被害者の頭部を切断したんでしょう?」
「そりゃあ、怨みじゃない?」
 間髪入れずに安島の答。私はまだ疑問の全てを言ってなかったので、補足した。
「怨みから必要以上に相手を損壊し、頭部をさらすというのは理解できなくもない。で
も、それと密室とがそぐわないんですよね」
「つまり、首の切断イコール明らかに他殺ってことになるのに、現場が密室状態なのは
おかしい、相反すると言いたい訳だ」
 上神が一気に捲し立てた。この男、血や死体に弱いだけで、本来は頭の回転が早いよ
うだ。
「恐らく」
 山元が考え考え、述べる。
「犯人は深い意図なしに密室殺人をやったか、もしくは当初は非他殺――自殺や事故死
に見せ掛けるつもりだったのが、相手の抵抗に遭ってそれが不可能になった。やむを得
ず、他殺になってしまったんじゃないか」
「前者は議論の余地がありませんが、後者はうーん、どうでしょう? 自殺や事故死に
見せ掛けるのが不可能になったとしても、頭部を切断することはないし、密室にする必
要もない」
「……あんたの言う通りだ。分からんな」
 あっさり認めた山元は、頭をがりがりと掻いた。

 食堂に戻り、お茶の残りを平らげてから、現場での検証を再開しようかという流れが
あった。が、動き出す前に丘野が切り出した。
「私、少々疲れてきました。次の検証には立ち会えそうには……」
「一向にかまいませんよ」
「ですが、一つ、思い浮かんがことがあるので、皆さん、聞いてもらえる?」
「え? ええ、いいでしょう」
 腰を浮かせていた山元が座り直し、丘野の話を聞く姿勢になる。もちろん、私達他の
者も同じようにする。
「凄く、怖いんですが……怖いというのは、事件のことではなく、他人を犯人扱いする
ことに対してなんですが、間違っていても許してもらえます?」
「ちょっと、何を言ってるんです、丘野さん? もしや、これから推理を話そうと言う
んじゃないでしょうな」
「そのまさかです。推理と呼べるほどのものじゃなく、証拠もない、思い付きですが、
皆さんで検討してもらえれば私も安心できる気がして」
 比較的険しい顔立ちの丘野が気怠そうに言う様は、病人の訴えに似ていて、誰もが大
人しく聞く他にない空気を作り出した。
「まあ、公的な場ではないし、的外れであっても不問にしますよ。名指しされた人だっ
て、簡単に認めるとは思えませんがね」
 その通り。いくら英雄的存在であったとしても、だ。
「当然、反論は聞きます。ただ、怒って腕力に出られるのだけはなしという保障が欲し
かったので」
 やけに慎重な丘野。彼女のそんな言動を目の当たりにしていると、過去に暴力沙汰の
被害者になった経験があるのかと勘繰りたくなる。
「それでは始めますけど……思い浮かんだのは、ある人の特技です。上神さん」
 いきなり名前を挙げた丘野。呼ばれた当人は、椅子の上で飛び跳ねたようなリアクシ
ョンをした。
「ほえ、私めですか?」
 自らを指差す上神に、丘野は首をゆっくりと縦に振った。二人の間は五メートルばか
り離れている。が、間に座る者――私だ――の身にもなって欲しい。
「テレビで見た上神さんの特技、お見事でした。男性の声ならコピーするのは簡単だと
も言ってましたよね」
「あ、あれは女の人と比べて簡単というだけで。それよりも、声帯模写のテクニック
が、この殺人事件と関係あるんで?」
「昨晩十一時頃に牧瀬次郎の部屋を訪れたが、ドアは開けられることなく、訪問を拒絶
する返事があったんですよね?」
「そうですよ。廣見さんが証人だ」
「もしかして、そのときすでに牧瀬は死んでいて、聞こえてきた声は、あなたが出した
ものまねだったのでは?」
「はあ? 何を馬鹿な」
「ドア越しに聞こえてきたような感じで声を出すこと、できますでしょ? 廣見さんに
それを聞かせて、そのときはまだ牧瀬が生存していたという証言をしてもらう狙いだっ
た。違いますか」
「違うも何も、何のメリットがあって、そんなことをしなくちゃならんのよ?」
 困惑が顕著な上神。だが、芸人の彼は演技もある程度はできるだろう。額面通りには
受け取れない。
「アリバイ作りです」
「は? アリバイって、死亡推定時刻が分からないのに、アリバイ作りをする意味がな
いですよ。分かってますか、丘野さん?」
「そこは目算が狂ったんだと。本当なら遺体が見つかったあと、すぐさま街まで下りて
いくはずだった。そうしていたらなら、警察が来て死亡推定時刻が出たでしょう。とこ
ろが現実はおかしな方向に話が進んで、今に至っている。アリバイ作りをしたのに効果
を発揮する状況が失われた。違いますでしょうか」
「ちょっと待った。警察に早く駆け込みたいのなら、犯人が電話のコードをいじる訳な
いじゃありませんかね」
「そこが巧妙なところです。あまり早く警察が来て検死されると、死亡推定時刻が正確
に、短い間隔で出されてしまう。昨日の午後十一時よりも前と出たらぶち壊し。それを
避けるために、電話を使えなくして、歩いて知らせに行くしかない状況を作り上げた。
こうすれば、警察への通報も遅れて、死亡推定時刻の誤差も広がるはず」
「想像力が豊かすぎるよ、あんた」
 かぶりを振った上神。突然のことに、有効な反論を思い付けないでいるように見え
た。
「なかなかユニークだが、その説には無理があるな、丘野さん」
 山元が潮時と見たのか、割って入った。
「どこがですか」
「通報を遅らすことで、死亡推定時刻がたとえば午後十時からの三時間と出たと仮定し
ますよ。そこへ廣見さんと上神さんが『午後十一時までは被害者は生きていた』と証言
することで、死亡推定時刻がまあ、午後十一時半から日付変わって午前一時までにしぼ
られたとしましょうか。ではこの時間帯に、上神さんに明確なアリバイが果たしてあっ
たかどうか」
「それは……男の人同士で何か話し込んでいたとか、あるんじゃ?」
「自分にはない。宛がわれた部屋に一人で籠もっていたからな。水地さんは?」
「私も部屋で一人でした」
 念には念を入れて、丘野以外の女性陣にも同じ質問がされたが、上神のアリバイを証
言する・できる者はいなかった。
「最後に上神さん自身にも聞こうか。アリバイを主張するかね?」
「言えるのは、部屋に一人でいたってことだけでさあ」
 主張すべき確実なアリバイのないことが、丘野の推理を否定する結果になった。
「どうだろう、丘野さん」
 山元に言われた丘野は、立ち上がって上神に頭を深く下げた。
「すみません。思い付きで物を言って、間違っていました」
「かまいやしません。ただ、一つだけ嫌味を言わせてもらいますと、こっちに向けてき
たさっきの推理、丘野さん自身にも当てはまるんじゃないかなと思うのですが、いかが
ですかね」
 鷹揚に許していた上神は、台詞の最後に来てにやっと笑った。彼の言葉の意味を丘野
が咀嚼するのは案外早かった。
「それは、私が俳優だから、声の真似もできるのでは?という意味ですか」
「ええ、ええ。ただ、さっきの説では私が廣見さんを証人にドアの外で牧瀬氏の声を出
したことになってましたが、あなたがやるとしたら室内にいたことになるかな。あなた
が牧瀬氏を彼の部屋で殺したちょうどそのタイミングで、この芸人と廣見さんとが連れ
立ってやって来た。呼び掛けられて焦ったあなたは、咄嗟にものまねで対応した。ドア
越しの声なんてはっきり聞き取れやしないし、低めて言えば女性だって男っぽい声にな
る。喋った量もたいしたことなかったし。とまあ、こう考えれば、あなたが犯人だとい
う可能性がクロースアップされる訳ですよ、わはは」
 当然ジョークで言っているのだろうが、なかなかきつい言い種ではある。現在の丘野
にとって、甘んじて受けるしかないだろう。が、真相とは関係なさそうなところで波風
を立てられるのは好ましくない。
「まあまあ、最初にも山元さんが言ったように、間違えても不問でしょ。丘野さんは素
人なんだから、仕方ないわよねえ。上神さんもさすが芸人よね。ブラックジョークまで
得意だとは知らなかったわ」
 安島が取りなす。明るい話しぶりが、重苦しくなった空気をやや回復させた。ところ
が。
「ついでだから、他に疑いを抱いてる人がいれば、今聞いておくというのはどうです
か」
 中井が言った。折角収まり掛けているというのに、燃料を投下することにつながりか
ねない。
「でしたら私が」
 意外にも、挙手したのは廣見だった。
「誰が犯人かなどと申すつもりはございません。密室についてあることが引っ掛かって
いたと言いますか閃いたので、聞いてもらいたいと思った次第です」
 他の者に容疑を掛けるというのでないなら、まあいいか。山元が無言で頷いたのを合
図に、廣見が話を始める。
「皆様ご承知と思います、次郎様が亡くなられているのを発見したとき、私も居合わせ
ました。その際の記憶を手繰りまするに、一つの光景が焼き付けられたみたいに印象に
残っています。それはドアが開けられた瞬間、ゆらゆらと小さくではありますが揺らめ
いている買い物袋の様子です。最初、私はドアを開けた勢いで風が起き、袋が揺れたの
だと思っていました。無意識に、疑いもなく受け入れていたと言えましょうか。でも、
少し考えてみて、違和感を覚えたのです。人の頭部は恐らくスイカの大玉くらいの重さ
は充分にあると思います。そのような重さの物を入れた袋が、ドアの起こした風くらい
で揺らめくでしょうか。とても信じられません」
 明快な疑問の提示に、ほとんどの者が言われてみればそうだという風に首肯してい
る。私は山元の反応に注目した。
「なるほどなあ。今言ったようなことを、俺も記憶している。確かに不自然だ。して、
それに対する結論は? 密室とどうつながるんだ?」
 早く知りたいとばかりに、身を乗り出していた。警察官は密室のようないかにもトリ
ックめいた謎が苦手だということだろうか。
「うまく説明できるかどうか分かりませんが、こう考えました。次郎様の部屋に限ら
ず、この屋敷の居室のドアは全て、外からは鍵によりロックされますが、内からはつま
みを倒すことでなります。次郎様を亡き者にした犯人は、外に居ながらにして内側のつ
まみを倒すことで施錠したのではないかと」
「もっと具体的に」
「犯人は次郎様の頭部を切断して、部屋の鍵と共に袋に入れて吊したあと、あの垂れ下
がったビニール紐を持って、廊下に出ます。続いて、ドアをなるべく閉めた状態にして
から、ノブ上のつまみにビニール紐を絡ませるのです。それからドアを思い切り強く閉
めれば、勢いでつまみは倒れるのではないでしょうか」
「……実験してみないと何とも言えないが……」
 どう評価しようか、迷っている様子の山元。
「俺がドアを開けたときも、まだ揺れが残っていたってことは、犯行から時間がほとん
ど経っていなかったってことになるのかな?」
「そうかもしれませんし、違うかもしれません」
「どっちなんだ」
「可能性について私見を述べるとしたら、犯行後間もなかったという可能性の方が低い
と推量します。よりあり得そうなのは、ビニール紐がつまみを倒したあとも完全にはほ
どけず、つまみに絡まったままだった可能性ではないかと」
「開けたときはほどけていたが……ああ、そうか。俺がドアを思い切り殴ったからか」
 山元が手のひらを叩いた。
「ドアを激しく殴った衝撃で、ビニール紐がつまみからほどけ、揺れ始めた。てことは
揺れも最初は強かったはずだが、死体に気を取られていたせいか、あるいは角度の問題
か、ドアにできた穴から見る分には気が付かなかったな」
 私もあの瞬間を思い出そうと努めてみた。買い物袋の揺れは……、判然としない。反
面、無理に思い起こしても、偽りの記憶に置き換わる恐れがある。やめておく。
「仮に密室トリックが当たりだとしても、犯人の特定や絞り込みにつながらない。とな
ると、やれるのは実際に試すことだが」
 席を立っていた山元は廣見に身体を向けた。
「本当の遺体を使う訳には行かない。できれば場所も違う部屋にして、同じ状況を再現
したいのだが」
「お任せください。どうとでなります。次郎様を殺めた犯人を突き止めるためなら、力
を尽くしましょう」
 胸を叩いて請け負うポーズをした廣見。これだけ見ると力強い男性そのものだ。それ
だけ意気込みもまた強いという証かもしれない。

 だが、そんな意気込みとは裏腹に、実験は失敗に終わった。
 同じサイズの部屋で、天井の同じ位置にフックを新たに取り付け、屋内の物置から虎
ロープとビニール紐を調達し、それらと石を詰めた買い物袋とで仕掛けを作り、実験に
臨んだのだが、ビニール紐はつまみから外れなかった。ドアとつまみの接合部に隙間が
あるため、そこに紐を絡めたら取れない。かといってつまみの部分のみに紐を絡めてや
ると、摩擦が足りないらしく、つまみを倒せないまま、紐が離れてしまう。
 万が一、山元の拳を超えるパワーが衝撃がドアに与えられ、何らかの偶然でつまみが
倒れた上で紐が外れたとしよう。すると今度は、振り子と化す買い物袋の動きが想像以
上に激しく揺れる。私や山元ら第一発見者全員がその動きに注意が向くに違いない。な
のに実際は、さほど気に留めていない。これらの実験結果から推して、廣見の考えたト
リックでは密室を作れないと言えよう。
「振り出しに戻る、ですか」
 落胆する廣見を山元が元気づける。
「振り出しよりは進展している。少なくとも、密室トリックはこの方法ではないと分か
った」
 実験とその準備に手間が掛かったおかげで、時間がだいぶ潰れた。遅い昼食を摂った
あと、また現場検証に取り掛かる算段になった。
 ただ、牧瀬殺しの犯人を特定する以上に、自身の脅迫の材料を見付けたいという方に
気持ちが傾く者も現れていた。中井、丘野、安島の女性達だ。
「早めに探し始めないと、警察が来るまでに見付けられないかもしれない。隠し場所と
して一番可能性が高いのは、あの部屋でしょう?」
「気持ちは分かるが、だからといって、殺しの現場を荒らすのは困る」
 山元が至極真っ当な主張をし、彼女らの希望を退ける。妥協案として、他の場所を探
すのは自由、ただし廣見の同行が義務づけられることになった。また、自分以外の恐喝
ネタを発見したときは、速やかに知らせることも決められた。
「という訳で、上神さん。苦手かもしれんが、一緒に動いてもらいましょうか」
「しょうがないなぁ」
 山元と私だけで捜査する訳にも行かず、上神が引っ張り出される格好になった。互い
に監視し合うぐらいの方が、不正を防ぐ意味でいいだろう。
「でも、何から手を着けるんです? 遺体と怖い演出と密室それぞれは一応、見たこと
になる訳で」
「家捜しだな。彼女らに申し訳ない気もするが、殺人に直接関係する何かが出て来るか
もしれん」
 山元は不器用なウィンクをした。
「無論、恐喝の材料らしき物が見付かったら、選り分けて保管しておく」
「脅迫のネタそのものが、殺しに直に関係していたら厄介ですね」
 何気なく言ったのだが、上神が食いついてきた。
「へ? 脅迫のネタが殺しに直にって、どういう状況よ?」
「たとえば、脅迫のネタが何らかの犯罪の凶器で、その凶器を使って牧瀬次郎氏が殺さ
れた、とか」
「あー、そういう。写真や手紙しか頭になかったわ〜。もしそれがあるとしたら、招待
客の中に、そもそも犯罪者がいる訳だ」
 上神はそう言うと、山元の方を振り向いた。
「殺人犯とは別に、元から犯罪者ってのがいたら、それでもかばいます?」
「最初の取り決めは守らねばならんだろう。脅迫の材料は各自で処分、あとは関知しな
い」
「脅迫の材料が見付からなかった場合は?」
「割としつこいな、あんたも。そのときそのときだ。警察に任せるしかない。見付から
なければ、どうしようもないだろう」
「ははあ、そりゃそうですね。ただ、ちょっと危惧してるんですよ。脅迫の材料を見付
け出せなかった人の暴走を」
「暴走というと?」
 山元がおうむ返しする間に、私には察しが付いた。というよりも、私自身も頭の片隅
で考えないでもなかったことだから分かった。
「屋敷ごと処分しよう、言い換えると燃やしてしまおうと考える人が出るかもしれな
い。そういうことですね」
「ご明察。物書きよりも探偵か刑事が向いているんじゃないかな、水地さん」
 形だけの拍手をする上神。山元の方は「そういう場合もあり得るか」と、苦々しい表
情になっていた。
「それにしてもおかしな。何にも出て来ないし、厳重に鍵を掛けた抽斗や金庫なんかも
見当たらない」
 上神はぬけぬけと言った。やはり、現場検証にかこつけて、脅迫のネタを見つけ出そ
うとしているようだ。
「他に考えられるとしたら、隠し扉かな。書棚の奥にもう一段、棚があるとか」
「もっと古典的に、分厚い本の中身をくりぬいた空間に隠してあるのかもしれない」
 私も調子を合わせて意見を交換する。山元だけは黙々と……探しているのは殺しの証
拠なのか、脅迫ネタなのか傍目からは判断のしようがない。
 私はまだほとんど手付かずの机回りを調べてみることにした。机で調べてあるのは四
段ある抽斗くらいだ。牧瀬は座ったまま首を斬られたのか、椅子とその前方は血に染ま
っており、ここを調べると確実に痕跡が残ってしまう。警察の捜査が入ったあとのこと
を思うと、迂闊に手出ししづらい。必然的に、血の飛んでいない部分に限られる。
 机の左前方に置かれた電気スタンドに手を伸ばした。ガラスのシェードは青と緑の色
が部分的に入ったアンティーク調で、品がよい。恐喝者のイメージにはそぐわない。そ
んなことを感じながら、スタンドをひっくり返して内側を覗く。すると、あった。
「山元さん、上神さん。来てください」
 すぐに二人を呼ぶ。シェードの裏に折り畳んだ深緑色の何かが貼り付けてある。色ガ
ラスのところなので、外からは見えなかった。
「おお、ようやく一つ発見かな?」
 手で鼻と口元を覆った上神がくぐもった声で言った。彼のためにという訳でもない
が、スタンドのコードをコンセントから外し、遺体から遠ざかると、改めて検分する。
「見付けた人の手柄だ。剥がしてみてくれるか」
 山元に促されて、私は手を伸ばした。セロテープで留めてあるだけなのだが、しっか
りと押さえつけてあるみたいで、手袋をした状態ではなかなか端を捉えなかった。素手
でやるのもまずいので、苦心してようやく剥がせた。
「これ、元は白い紙ですね。折り畳んだあと、濃い緑色をペンか何かで着けたんだ」
 観察すると共に、慎重に開いていく。誰の秘密が明かされるのか。興味はないが、恐
らくは恐喝のネタなんだろうと思っていた。
 しかし、予想は外れた。都合四回折られていたその紙には、ボールペンで書いたと思
しき直筆の文字が踊っていた。細かい字で、ぱっと見ただけでは内容は分からない。た
だ、文章の末尾にあるサインだけは大きな文字で、嫌でも読めた。そこには牧瀬次郎と
記されていた。
 牧瀬の筆跡を知らないが、これは牧瀬が書いた物? だったら、恐喝のネタではない
可能性が高い――そんな風に順序立てて思考を巡らせる暇もなく、私は目を凝らし、細
かい文字を追った。
<これを発見したのは誰かな。警察の人間か。私が死んでから何日が経過した? すで
に見抜かれているか、それともまだだませているか。お招きした方々は今、きびしい取
り調べにあっているか? 私に脅迫されていたという殺人の動機を背負わされて、さぞ
かし追い詰められているに違いない。
 だが、それもここまで。福音を記すとしよう。
 私は明言する。私は殺されたのではない。自ら死を選んだのである。調べればじきに
分かることだが、私は癌に冒されている。治ゆの見込みはない。今までの行いの報いが
来たと言えばそれまでだが、天罰を食らったまま旅立つのはいかにも悔しい。そこで私
は悪戯を思い付いた。私に怨みがあろう、殺意を抱いてもおかしくない面々を呼び集め
て、一夜明けると私が死体になっている。肉切り包丁で喉を掻ききられており、いかに
も殺されたように見えるはずだ。招待客らは慌てふためき、疑心暗鬼に陥りもしよう。
やがて警察の捜査が入り、犯人扱いされて震え上がるに違いない。私の理想では、誰か
が懲役刑を受けた頃合いでこのメッセージが見付かる流れが楽しくていいが、そこまで
は望むまい。何にしろ、滅多にできない経験を楽しんでくれたまえ。
 もう一つ、大事なことを書き忘れるところだった。君達招待客にとって最も心配なあ
れ、脅しのネタについてだが、既に処分を済ませた。君達を悩ませたブツは、この世か
ら消えた。処分した証拠はない。信じるかどうかは各人に任せるとする。
 そろそろ終わりが来た。警察諸氏が哀れな羊たちに健全な処遇をもたらさんことを!
                             牧 瀬 次 郎 >
 読み終えてしばらくの間、言葉が出なかった。他の二人も同様だった。
「……自殺だと? ふざけやがって」
 上神が最初に口を開いた。荒っぽい口ぶりそのままに、床を殴りつけた。
 山元はすっくと立ち上がると、机まで戻って、手紙を見付けてきた。その中身の便箋
と、最期のメッセージとを見比べる。
「間違いないな。牧瀬の字だ」
 忌々しげに呟き、額に手を当てた。私も頭が痛い気がした。
「牧瀬の死の真相が自殺であるなら、犯人探しは無意味になる。それに、脅迫の材料が
処分済みというのも事実であるなら、これで現状では最良の形で丸く収まるな」
 山元は気を取り直すように言った。
「まあ、悪いニュースじゃない。皆に知らせて喜んでもらうとするか」
 でも、私がそう簡単には喜べなかった。出て行こうとする山元と上神を呼び止める。
「待ってください。実際の事件現場との齟齬はどう解釈するんですか」
「齟齬?」
「全然おかしいじゃないですか。肉切り包丁で自殺したのなら、凶器はこの部屋に落ち
ていないといけない。首が切断されているのも変だ。まさか消えるギロチンが存在した
訳ないでしょう。袋に頭部を入れて吊すのだって、自殺したあとには無理。さらに、
我々に殺人の嫌疑を掛けさせたいのであれば、何で部屋を密室にしたんでしょう? 開
け放しておくべきだ」
 疑問の数々で溢れかえる。とてもじゃないが、牧瀬次郎のメッセージをそのまま信じ
ることはできない。
「分かった。水地さんの疑問は尤もだ」
 山元は私に正対した。
「恐らく、廣見郷が事後の細工をしたんだろうな。あいつが牧瀬の計画を事前に全て知
っていたかどうかは分からんが、死んだあとに色々手を加えたに違いない」
「牧瀬次郎に忠実な廣見さんが、勝手なことをしますかね」
「分からんぞ。案外、牧瀬の最後の願いを尊重しつつ、我々を助ける意味で現場を密室
にしたのかもしれない。密かにもう一本、合鍵があえば簡単なことだ」
「……いや、その解釈ではだめでしょう。やっぱり、頭部の切断だけはあり得ない。廣
見さんがやるとは考えられません」
 私が強く唱えても、山元はまだ頑張りそうだったが、上神がこちらの味方に回ってく
れた。
「廣見さんがやったとして、密室作りは招待客を助けるためという理由がある。けれど
も、首を切り落とすっていう行為には、意味が見出せない。こりゃあ、水地さんの勝ち
だ」
「……分かった。だがしかし、廣見でないのなら、誰が何のために、自殺を複雑な殺し
に見せ掛ける必要があるんだ」
「動機というか理由は分かりませんが」
 私は、少し前に廣見が言っていた密室トリックを思い起こしていた。あれをちょっと
変えてやれば、ただ一人、この部屋を密室にできたことになりはしないか。

――続く




#1117/1125 ●連載    *** コメント #1116 ***
★タイトル (AZA     )  18/09/16  20:59  (105)
無事ドアを開けるまでが密室です <下>   永山
★内容                                         18/09/19 13:54 修正 第2版
 私は脳裏に浮かんだ人物に目を向け、焦点を合わせた。
「山元さん、あなたがやったんじゃありませんか」

 〜 〜 〜

 相手が無言を保ったまま、およそ一分が過ぎたので、私は続けた。
「あなたは牧瀬次郎の自死を確認すると、部屋を出て、鍵を使って施錠した。そして
朝、ドアを破る際に鍵を室内に戻したんじゃないですか」
 山元はまだ何も言わない。上神が彼のそばから離れた。
「たった今思い付いたばかりなので、うまく説明できる自信はありませんが、基本は、
ドアに拵えた穴ですよね。あなたが拳でできた穴だ。そこから腕を突っ込んだとき、鍵
を戻すチャンスが生まれる。ああ、手に鍵を握ると怪しまれる恐れがあるので、ハンカ
チを巻いたんでしょう。ハンカチの下に鍵を隠していたんじゃないかと思う」
 私の推測語りに、上神が質問を挟んできた。
「鍵を戻すって言っても、フックから吊された買い物袋には届かないんと違うか」
「廣見さんが言っていたことを思い出してください。あの袋はビニール紐をノブの辺り
に結ぶことで、ドアのすぐ近くで固定されていたんでしょう。穴から腕を入れた山元さ
んは、内側のつまみを倒すのに手間取るふりをして、袋の中に鍵を落とし込み、ビニー
ル紐を解いて、徐々に緩めていき、できる限り穏やかに買い物袋をフックの下へと戻し
た。さすがに限度があって、私達が部屋に飛び込んだときも、袋は多少揺れていた」
「はあ、なるほど。理屈はつながってる」
 感心してくれた上神が、山元をまじまじと見返した。
「で、ほんとにやったんですか?」
「やった」
 意外なほど簡単に認めた山元。どことなく、表情がすっきりしたように見える。
「理由を聞かせてもらえますか」
 静かに尋ねると、静かな返事があった。
「あいつが、牧瀬が今さら改心して自殺で逃げるのが許せなかった」
「えっ、牧瀬の死が自殺とまで知っていたんですか?」
「ああ、偶然だがな。昨日の深夜、いや、日付は今日になっていたかもしれないが、と
にかく深夜だ。俺は脅迫されている人達をギャンブルで争わせようとするやり口がどう
にも我慢ならず、牧瀬にひとこと言ってやろうとこの部屋に向かった。その途中、台所
の方から肉切り包丁を片手に戻る牧瀬を目撃した。その鬼気迫る様子に思わず隠れた
よ。だが、俺達を皆殺しにするという雰囲気ではなかった。何かおかしいと感じ、あい
つをつけた。自分の部屋に戻った牧瀬は、ドアを半端に開け放した状態で、奥の椅子に
座ると、一度電気スタンドを灯し、笠の中を覗いてからまた消した。今思えばあれは隠
した紙片の具合を再確認していたんだな。そのあとすぐに、牧瀬は肉切り包丁で首を掻
ききろうとした」
「『とした』?」
 引っ掛かる物言いだ。山元は分かってるという風に頷いた。
「奴がざっくりやっちまう前に、俺は部屋に転がり込んで止めに入ったんだ。正義心と
か命を大切にってことじゃない。こんな形で死なれてたまたるかって気持ちだけだっ
た。それでもすこしおそかった。すでに刃が牧瀬の首に当たって、血が流れ出してい
た。暗がりの中、止めに入ったのが俺だと気付いたのか、牧瀬は言ったよ。『死ぬつも
りだったが、あんたに殺されるのも悪くないな。みんな苦しめばいい』と。その刹那、
俺は寒気でぞわっとして、つい、手の力が緩んだ。そのせいなのか、刃は牧瀬の首に深
く食い込み、一気に血が噴き出した」
 山元は一息つくと、己の両手を見た。そしてまた顔を起こし、話を再開する。
「奴は死んだ。俺は全員に事態を知らせようとした。だが、足が止まったんだ。このま
ま事実を伝えても、脅迫されていたことは明るみに出る可能性が大きい。諸悪の根源で
ある牧瀬は死んで逃げたが、秘密が暴露されることで招待客の中には針のむしろに座ら
される者がいるかもしれない。一方で、恐喝者が最後は行いを悔いて自殺しました、で
終わらせたくはなかった。こんな輩は無惨に殺されるのがふさわしい。死んだあとでも
その肉体を傷付けてやりたいほどだ。しかしそんな真似をすれば、状況は他殺に傾き、
俺達自身が危険な立場に立たされる。そんなとき、閃いたのさ、密室トリックを。昼
間、あちこちを嗅ぎ回って、使えそうな道具を色々と目にしていたせいかもしれない。
斧を壊れてしまったことも、俺がドアを力尽くで破る自然な理由付けになる。もうやる
しかないと思った。恐喝者の牧瀬次郎を、自殺ではなく明らかな他殺体に仕立てると同
時に、現場を密室にすることで簡単には我々が犯人と疑われぬようにする。その上、あ
いつの頭を切断して晒せるのだからな」
「……」
 私も上神も息を飲んで聞いていた。
「脅迫の材料に関しては、実はどうにでもなると踏んでいた。本当の最終手段だが、い
ざとなれば俺はかつての上司で、今やお偉いさんになった刑事の弱みを握っている。そ
いつをつつけば牧瀬次郎の持っている脅迫のネタ全てを内々に処理してくれるはずだ。
恐喝者に対抗する策が、脅しだなんて洒落にならんがな」
「もしかして山元さん、あなたが牧瀬次郎から脅されていたネタっていうのは、上司の
ミスか何かを被ったことなのでは……」
 私はふと聞いてしまった。聞いてから、詮無きことだとちょっと悔やんだ。
 相手は曖昧に笑って、「まあ、いいじゃないか」とだけ言った。
 このあと、山元はより詳細な犯行過程を語ったが、それらは第三者の想像し得る範囲
を大きく越えるものではなかった。強いて付け足すとすると、山元がその巨漢の割に迅
速に立ち回ったことぐらいか。
「鍵が……合鍵があったらどうしていたんです?」
「そのときはそのときだ。廣見さんに一時的に疑いが向くだろうが、動機の面で大丈夫
だと判断した。正直言って、牧瀬に従うような人間にはお灸を据えてやりたいと考えな
いでもなかったしな」
「もしも屋敷の中に電話が他にも設置されていたら、警察をすぐに呼ばれていたはずで
すが……」
「ああ、電話の数は確かに分からなかったからな。念のため、大元にちょっと細工をし
ておいた。断線程度だから専門家でなくても直せなくはないが、時間を稼げればよかっ
たんだ」
「返り血は?」
「牧瀬の首から血が噴き出したときは距離を取っていたせいもあって、ほとんど浴びて
なかったが、念のために着替えた。泊まりになることは分かっていたからな。それより
も、切断するときに手がぬるぬるになって、参った。台所から洗剤を拝借して、外で洗
い落としたよ。薪小屋の近くに水道があるんだ」
「買い物袋の口、縛ってあったはずですけど、手探りで鍵を押し込めたんですか」
「ちょいとしたごまかしがある。買い物袋の特定の箇所に小さな切れ目を作っておい
た。そこから入れたんだ。単純だろ」
「最後に……斧を壊したのは、わざとじゃありませんよね」
「もちろんだとも。どうしてそんなことを聞く?」
 私は対する答と共にもやもやを飲み込んだ。この元警察関係者は、最初から密室トリ
ックを駆使して牧瀬次郎を殺す計画を立てていたんじゃないだろうか。そんなことを思
ったのだ。斧の件だけじゃない。ドアの穴から片手を入れて、見えないまま細々とした
作業がスムーズに行えるものなのか。予め練習していたのではないのか……。
 今となってはどうでもよいことなのかもしれない。恐らく、牧瀬のメッセージは本物
だ。少なくとも牧瀬が癌を患っていたのが事実かどうかは、調べれば簡単に白黒はっき
りする。山元がすぐにばれる嘘をつくとは思えない。
 何はともあれ、残された当面の問題は二つだけになった。
 山元修の処遇をどうするか。そして、事の真相を廣見郷に伝えるべきかどうか。
 街に向かうと決めた時刻までまだ少しある。議論を尽くさねばならない。もちろん、
電話線を直せる可能性があることは伏せて。

――終わり




#1118/1125 ●連載
★タイトル (XVB     )  18/12/24  13:10  ( 32)
十億年のうたたね>1話目「初売り」 $フィン
★内容
2003年1月3日

一話目 「初売り」

 もとくんも知っているとおり、傲慢で自分勝手なS性格の女王様の私と奴隷犬と名乗っ
ているM性格のもとくんはまさに理想的な凸凹コンビです。Sの私のためにあらゆる手
段を使って喜ばすMのもとくんに私のごく平凡な日常の日記をご褒美として餌を与えて
いこうかなと考えています。

 今日も怠惰な私は昼までぐうぐう寝ていました。昼から大型スーパーのサティが初春イ
ベントでビンゴゲームをやっているのを知り原付バイクで制限速度を少しだけ超えて行
きました。サティに行く途中4台の自動車が玉突きおかま事故をやっていて原付バイク
をとめて眺めていました。警察官もおかま事故に検証するためにいたのでせいぜい5分ぐ
らいしかいられませんでした。自分が事故って不幸になるのは嫌だけど他人の不幸は非
常に楽しいのでもう少し長い間眺めていたかったです。 そんなわけでサティに行くが遅
くなり、着いたときはビンゴ券がもらえる整理券はもうなくなっていました。ビンゴ券
代の100円出して一等賞PS2が当たって一攫千金を狙っていた私は非常に残念でした。

 その後店内を散策していたら金色の卵の形をした中身が開けてみるまでわからない福袋
的なものが400円で売られていたので一等はゲームボーイだったので当たるように重さを
計ったり揺らしてみたりいろいろ調べたけど透視能力のない私はまったくわかりません
でした。一応それらしいものを選んで家で開けてみたら吃驚しました。

 中身はダイソーで売っているような紙でできたトランプでした。400円も出してダイ
ソー程度の品物って初春イベントを利用した悪徳商法の一つだと思います。私には物凄
くしょうもないゴミ同然のものだから姪っ子にプレゼントしてあげました。幸いなこと
に姪っ子はトランプをはさみでちょきちょきして切って喜んでいたのでよかったです。
糞っ。

 P.S 2018年11月現在、ネットで検索してみたら「金の貯金箱」(1個定価300円程度)で
売られているみたいです。外側の容器はわりと丈夫ないい品物だから300円払って貯金箱
として使ってみるのもいいかもいいかもしれません。




#1119/1125 ●連載
★タイトル (XVB     )  18/12/26  00:10  ( 15)
十億年のうたたね>2話目 「ボールペンが逝きました」 $
★内容                                         18/12/26 00:14 修正 第2版
2003年1月4日

「ボールペンが逝きました」

 ボールペンが逝ってしまいました。以前は適当な熱を使ったらインクがまた出てくる
と聞いたので100円ライターの火であぶったらレフィルがどろどろに溶けて逝ってしまい
ました。今度は同じ過ちを犯すまいとファンヒーターの前に立たせました。その結果イ
ンクがレフィルの中で別れて何か所ものセブラ模様になってまた逝ってしまいました。
可愛がっていただけに逝ってしまい哀しく思います。
 前にインクが出なくなったときは、ポールペンの先を立たせているかと思い寝かして
使っていました。今回もインクが出なくなったのは生まれつき持っている筆圧が高いせ
いかもしれません。事実何枚も紙を重ねているとすべてに凹凸模様が出てしまいます。
 どんなに努力しても最後までインクを使いきれたことがない今罪悪感に悩まされてい
ます。このまま永遠に不幸な業を背負って生きていかなければいけないのでしょうか。
ほんの少しでいいから普通の幸せが欲しかったです。




#1120/1125 ●連載    *** コメント #1110 ***
★タイトル (AZA     )  18/12/26  21:34  (257)
百の凶器 15   永山
★内容
 問い掛けられた側は、様々な反応――表情を覗かせた。
 柿原が真っ先に気になったのは、湯沢だった。彼女は、二択なんて生温いと言わんば
かりに、橋部と真瀬を交互に見据えている。僕の無実を信じててくれている、そう感じ
られて柿原は心穏やかになった。さっきまでざわざわと波立っていたのが、嘘みたいに
収まった。これほど心強いことはない。
 沼田もつい先程、真瀬に食って掛かったことから推測できるように、真瀬をより強く
疑っている。一方で、柿原に対して警戒を解いている訳ではなさそうだ。というのも、
彼女は柿原からも真瀬からも視線を避けるように、耳を覆うようにして頭を抱えていた
のだから。
 村上はというと、手書きのメモを読み返していた。本当に二択に決め付けていいの
か、再度の見直しをしているように思えた。責任者として安易に、年長者の考えに飛び
付かないように心掛けているとも受け取れる。
 戸井田は何やら犬養に耳打ちし、犬養はそれを聞いているのかいないのか、ほとんど
動くことなく、最終容疑者とされた二人に等分に目を配る。
「ようし、異論なしだな――とは断定しないが、現時点での心情的には、二人のどちら
かだと考えるのは当然の心理だと思うぞ」
 橋部が話を前に進める。
「もう一度聞く。柿原、おまえは真瀬を犯人だという説を支持するんだな?」
「え、ええ」
 支持も何も、僕自身が唱えたようなものだけれど。そんなことを思った。
「分かった。じゃあ、真瀬は? 柿原が犯人だという説を支持するんだよな」
「もちろんです」
 両者の返事を得て、橋部はまたもや満足げに首を縦に振った。
「様々なロジックによって、決め手こそないが、真瀬への容疑が濃くなった。それに対
し、真瀬の反論もそれなりに筋が通っている。各自の唱える説は、ほぼ同じ重みを持っ
ている。ここで何か決定的な、どちらかの説を放逐できる何かがあればいいんだが……
と思い悩む内に、気付いたことが一つある」
「何を言い出すかと思ったら、また新たに理屈をこねるだけですか」
 真瀬がいち早く反応した。勇み足気味だが、今現在の彼が取る立場からすれば、これ
は当然と言えよう。
「さっきから繰り返しているように、俺は認めませんよ。仮に、橋部先輩の言う『気付
いたこと』で、どちらか一人に絞られたとしたって、それが犯人の罠によるものではな
いと言い切れない限り」
「柿原が犯人という結論になってもか」
「ええ。結論によって態度を変えるなんて醜い真似、しませんよ」
「受け入れざるを得ないような理屈ならどうだ。罠である可能性が全くない……は言い
過ぎだとしても、限りなくゼロに近い理屈なら」
 笑みを抑え、持ち掛けた橋部。真瀬が答えようとするところへ、村上が割って入っ
た。
「ちょっと。数字で――確率で計測できるものじゃないんじゃありませんか。要は、当
人が納得するか否か。真瀬君の主張に対抗するには、それしかない」
「的確な指摘だ。ぐうの音も出ん」
 橋部は苦笑すると、真瀬に改めて聞いた。
「それでいいか?」
「……正直言って、そんなものがあるとは想像すらできない。あるんなら、見せてほし
いくらいだ。橋部先輩は、自信があるんですよね?」
「まあな。いい加減、この話し合い? 推理合戦?を切り上げないと、いつまでもここ
から動けんし、これを最後にしたい。それだけ自信があるってことさ」
「了解。さっさと言ってくれます?」
 真瀬は無関心を装うためか、橋部から顔を逸らした。横を向いたまま、頬杖をつく。
「慌てるな。準備もあるし、そもそも柿原の了解をまだ得ていない」
 そう言われて、柿原は急いで「了解です」と応じた。

「着目したのは、人形だ」
 現物を用意してから始めた橋部は、くだんの人形を机上に置き、上から指差した。頭
に当たる部位が、聞き手の方に向けられている。
「みんな知ってるかな? この頭部に使われている物は零余子だ」
 橋部のこの呼び掛けに対する皆の反応は――。
 戸井田及び犬養は、零余子そのものを知らなかったようだ。零余子が何なのかを一か
ら説明する余裕はないため、木の実みたいな物と思ってくれと橋部は言った。
「それが零余子だということは分かります」
 残る部員の反応は、村上のそれに集約される。
「何の零余子かまでは分かりませんけれども」
「山芋だ」
「山芋だろうと何だろうと、大した意味があるようには思えませんけど。というより、
わざわざ零余子を使う意味が分からなくて、奇妙な印象を受けますね。少々不気味で」
「なるほどな。俺も残念ながら、零余子を使った必然性なんてことには、考えは及んで
いない。飽くまで、犯人を絞り込むためのツールとして見ている。さあて、これから話
すのは部長の小津が言っていたことで、俺も見て回った限り、間違いないと感じた」
「あの、先輩、何の話でしょうか?」
 村上の疑問に応じる形で、橋部の説明は続けられた。
「このキャンプ場のある一帯で、零余子ができるのはただの一箇所なんだ。山の方へ続
く道があるだろ。あれが登りになる辺りに生えている。土質や水はけの関係で、山芋が
育ちやすいんだろうな」
「想像付いたけど、あそこって確か、崖みたいになってなかった?」
 湯沢に小声で問われた柿原は、うんとだけ言って頷いた。二人のやり取りを、橋部は
しっかり耳に留めていた。
「そうなんだ。崖の方に張り出した枝や幹に巻き付く格好で、山芋の蔓が伸びている。
その先にできる零余子は、簡単には採取できない。まず、木に登って採るのは無理」
「じゃあ、蔦を引っ張る?」
 戸井田が言った。橋部は彼の方を見てから、首を傾げた。
「蔦を引っ張っても採れる可能性はあるかもしれない。だが、実際にあの場所を見れば
分かるが、蔦を引っ張ったような形跡はない」
「零余子って、石か何かを投げて、当てて落とせるような物です?」
 今度は犬養の発言。零余子そのものを知らなかった彼女らしい質問と言える。
「試したことはないが、無理だと思う。それに、さっき話が出たように、崖に張り出し
ているからな。落とすようなやり方じゃ、零余子を手に入れられない」
「じゃあ、あれだ。物置小屋にある高枝切り鋏を使うしかない」
 再び戸井田。二年生とあって、すぐに思い至ったようだ。
「同意見だ。高枝切り鋏を使えば、零余子を手元に持って来られる。思い切り挟んだら
枝や蔦ごと実が落ちてしまうから、うまく挟めるよう、力の加減は必要だろうが、さし
て難しくない。ここで質問があるんだが、おまえ達は――」
 柿原と真瀬を等分に眺め、橋部は尋ねた。
「高枝切り鋏があることを知っていたか」
「その質問は、あまり意味がないのでは」
 答えさせる前に、村上が異議を唱えた。
「知っていたとしても、知らないと言えば済んでしまう……」
「それもそうか。だいたい、二人とも薪割り当番だから、部長にあの物置をざっと見せ
てもらったはずだよな。そのときに見付けた可能性は充分にある」
 物語の名探偵みたいにはなかなかいかないもんだなと独りごち、苦笑いを浮かべた橋
部。
「まあ、折角だから聞くとしよう。そうだな。二人は、高枝切り鋏を使ったり触ったり
していないか?」
「それなら」
 真瀬が肩の高さで短く挙手した。
「勝手に持ち出して、使わせてもらいました。黙っててすみません」
「へえ、それはいつ?」
「二日目の午前中だったかな。瞬間的に強い風が吹いて、肩に掛けてたタオルが飛ばさ
れてしまったんですよ。高いところに引っ掛かって、取れそうになかったんで、あの鋏
があったのを思い出して、使ったんです。だから、本来の切る動作はしていませんけど
ね」
「それは誰も見てないんだな?」
「多分。タオルを飛ばされたときは一人だったし、道具を持ち出すときや返すときも含
めて、誰とも会わなかったし」
「なるほど。――柿原は?」
「僕は、高枝切り鋏があること自体、昨日、橋部先輩に教えてもらって知りました。使
ってはいません」
 その際の橋部とのやり取りで既に高枝切り鋏や零余子について検討済みだった点は、
伏せておいた。
「だろうな」
 橋部は二人から視線を外すと、残るメンバーをざっと見渡した。
「念のために聞いておく。高枝切り鋏を使った奴、特に、零余子を切った奴、いるか
?」
 当然のように、誰もいない。数秒の間を置いて、真瀬が言った。
「まさか、高枝切り鋏の指紋を根拠に、俺を犯人に仕立てるんじゃあないでしょうね
?」
「そんなことせんよ。指紋が出るかどうか分からん。出たとしても、さっきの真瀬の答
と矛盾するものではないから、証拠とは呼べないだろう」
「じゃあ一体」
「犯人は柿原かおまえか、二人のどちらかだという地点に俺らは立っている。そして、
犯人が高枝切り鋏を使って零余子を手に入れたのも間違いない。実は、該当する場所の
近くで、切断された枝を見付けてある。山芋の蔦の絡んだ枝をな。犯人は高枝切り鋏を
使った、より正確には、使える人物でなければならない」
「それがどうかしましたか」
「あの鋏を持ち出したのなら、分かっているよな? 操作するには片手では無理だとい
うことくらい」
「――」
 真瀬の目が見開かれた。口元は何か言おうとしてひくついているが、声は出て来な
い。やがてその口を片手で覆うと、視線を橋部から外した。
「反論があれば聞く。できることなら、この推理を潰してもらいたいくらいだ」
「……いや、無理ですね」
 一転して弱々しい声で、真瀬が認めた。彼は柿原に目をくれると、一言、
「悪かった」
 と頭を垂れた。
「その言葉は、僕じゃなく、死んだ二人に言うべきなんじゃあ? どうしてこんなこと
になったのか、君がこんなことをした理由が分からないよ」
 話す内に声が細くなる柿原。実際、喉に痛みを感じていた。
「俺にも分からない」
 真瀬は顔を真上に向けた。

 いつの間にか空は雲が割れ、日差しが下りてきていた。移動開始を予定していた四時
を過ぎていた。けれども、まだ誰も動こうとしない。
 時間がまた少し経って、場の空気が落ち着いてきた。真瀬本人がぽつりと言った。
「最初は、ただの悪戯のつもりだった。なのに、こんなことになるなんて信じられな
い」
 その後も独り語りがしばらく続く。心の乱れのせいか、幾分感情的で行きつ戻りつす
る話し方だった。整理した上で客観的に記すと、次のようなニュアンスになる。
 元々、小津部長を驚かすだけで充分と考えていた。虫――ムカデに刺されることまで
期待していたのであれば、長靴に放り込むのは、踏み付けて死にかけのムカデではな
く、活きのいい奴にしていた。現実問題として、生きたムカデを捕まえて長靴に放り込
むには、真瀬自身にも危険が及びかねない。踏み付けて弱らせたのは危険を取り除くた
めだ。
 だが、ムカデの生命力を侮ってはいけなかった。踏み付けられて弱っていたとは言
え、その咬合力や毒がなくなる訳ではない。結果から推測するに、瀕死のムカデは最後
の力を振り絞ったのだろう。小津の右足を噛んでから息絶えた。噛まれた小津は当然気
付いて長靴を調べる。中にはムカデの死骸。これを捨ててから、長靴を履き直す。が、
程なくして身体に変調を来し、ふらふらと外をさまよい歩く。アナフィラキシーショッ
クを起こし、やがて死に至った。
「靴下が厚手の物だったのなら、こんなことは起きなかったはずなんだが」
 棚上げされていた疑問点を、橋部が改めて口にした。犯人なら事情を知っているかも
しれないと期待していた訳ではないだろう。小津部長の死が事故であることは、ほぼ確
実なのだから。
 実際、小津の右足の靴下が厚手の物でなかったのは、真瀬も関知するところではなか
った。
「恐らく、ですけど」
 発現したのは柿原。真瀬も何も知らないと分かり、考えを話す気になった。
「ムカデに刺されてアナフィラキシーショックを起こしたことから考えて、真瀬君の悪
戯よりも前に、部長は一度、ムカデに刺されていた可能性が極めて高いと言えます。そ
してそのことにより、右足がひどく腫れ上がったのだとしたら。つまり、厚手の靴下を
穿いたのでは、長靴に入らないほどに腫れたのだとしたら」
 小津にとっても、真瀬にとっても、全くもって不運としか言いようがない。
「右足を持ち去った上に、傷を付けたり、埋めたりしたのは、噛み痕をごまかすためな
のか?」
 橋部の問いに、真瀬は弱々しく頷いた。その反応に、村上が首を傾げる。
「待ってよ。仮に偽装工作をせずに、ムカデの噛み痕が見付かったとして、何がいけな
いの? 真瀬君の仕業だなんて誰も思わないでしょうが」
「見られてたんです」
 真瀬の声には力強さは残っていたが、苦しげでもあった。
「え?」
「部長の長靴にムカデを投じるところを、関さんに」
「それは……」
「彼女、ムカデとまでは気付いていませんでしたけどね。何かを入れるのを、後ろから
目撃していた。小津部長が死んで、ぴんと来たみたいです。みんなに言う前に、確かめ
たかったと。それで……夜、関さんのコテージに呼び出されて、尋ねられました。部長
が死んだのは俺のせいなんじゃないかって。悪戯のつもりだったのが予想外の大ごとに
なって、言い出せないのは分かる。でも言わなくちゃとかどうとか、説得されたと思い
ます……記憶がごちゃごちゃしていて曖昧だけど、多分」
 深い息を吐いて、真瀬は頭を振った。
「だが、いくら彼女から説得されても、こっちは認める訳にいかない。くだらないプラ
イドから悪戯を仕掛けた挙げ句、相手を死なせてしまったなんてことが公になったら、
人生終わりだ。だから、合宿が終わってから打ち明けると言って、有耶無耶にしようと
した。ところが、関さんはだったら今すぐにみんなに話すって言い出して……」
 己の手を見下ろす真瀬。
「彼女が行くのを止める、それだけのつもりだった。肩を掴んだとき、タオルに指先が
掛かって、いつの間にか……絞めてしまっていた。窒息死させてしまったのかどうか
は、分からなかった。でももう後戻りできないという気持ちから、包丁なんかを持ち出
して来て、刺した。首のためらい傷は、俺が自分で言ったそのまんま。絞めたときウル
シかぶれのことが頭の片隅にあったらしくて、片手だけに力が入ったような絞め痕にな
った。それを分からなくするために、刃物で傷付けようと思い立ったものの、できなか
った。それに、片手しか使えないのはもう一人いるじゃないかと思い直したのもある。
すまん」
 再度頭を下げた真瀬に、柿原はすぐには反応できなかった。
「……いいよ。それで関さんに余計な傷が付けられないで済んだのなら」
 折り合いを無理に付けて、こんな言葉を返していた。真瀬は吠えるような声を上げ
て、泣いた。いや、泣きそうなところを必死に堪えたようだった。説明する義務と責任
があるとばかり、踏ん張っていた。
「分からないことがまだある。呪いの人形みたいなやつの火あぶり、あれはやっぱり、
使えるマッチを密かに稼ぐためか」
 橋部が極力平淡な口調で尋ねた。「……はい」と返事があるまで、少し時間を要し
た。
「何で零余子を使った? あの人形に零余子が使われていなけりゃ、犯人の特定は無理
だったと思うぞ」
「零余子があそこにしか生えてないと知っていたら使わなかったですよ、多分ね」
「だが、それにしたってわざわざ零余子を使うなんて」
「あれは関さんが欲しがったから、渡した物なんです」
「ん? おまえが言っていた、木に引っ掛かった彼女のタオルを、高枝切り鋏でうまく
取ってやったときのことだな」
 黙って首肯した真瀬。横顔はそのときのことを思い起こしている風に見えた。
「一緒に付いてきた零余子を珍しがって、ポケットに入れたんだっけな。それが、彼女
に危害を加えたとき、こぼれ落ちた。最初は戻そうとしたけれども、人形のアイディア
は先に浮かんでいて、だったらこれを使おうと。せめて俺なりに関さんを送るつもりに
なっていた、かもしれません」
 弔いにも贖罪にも、恐らく真瀬の自己満足にすらならない行為。そんな余計な行為が
罪を暴くきっかけになった。
 皮肉めいているけれども。きっと、関さんの意思だ。彼女の気持ちが通じた。柿原は
そう信じることにした。
「他には? 何かありますか?」
 真瀬は場の皆を見渡して言った。村上が片手で頭を抱えるポーズを解き、おもむろに
聞く。
「トリック――という言葉を現実で使うのが嫌な気分なんだけど、仕方がないわね。小
津部長の件にしても関さんの件にしても、不幸な偶然だの突発的な行動だのという割
に、トリックを思い付くのが早すぎる、そんな印象があるのよ」
 女性言葉だが、怒気を含んだ声は迫力があった。
「本当に突発的だったのよね? 最初から殺めるつもりじゃかったのよね?」
「そんな。トリックは以前から考えていたのを使っただけ。犯人当てを――部内での犯
人当て小説の順番が回ってきたときに備えて、普段から思い付いたらメモをしていた。
そこから拾ったんです」
 真瀬の訴える口ぶりに、村上は案外あっさりと矛を収めた。その代わりに、今度は両
手で頭を抱えてしまった。下を向いたまま、ぽつりとこぼす。
「そういう訳なら、もう犯人当て小説は中止した方がいいのかもね」
 副部長の彼女は顔を起こし、時計を見てから再び口を開いた。
「せめてこれくらいは手遅れにならない内に、始めなくちゃ、移動を」

――終

※ムカデの毒でアナフィラキシーショックが起こることはありますが、日本国内で人が
死亡に至った事例は未確認とされています。




#1121/1125 ●連載
★タイトル (XVB     )  18/12/27  00:29  ( 13)
十億年のうたたね>3話目 「クレーマー」 $フィン
★内容                                         18/12/27 00:31 修正 第3版
2003年1月5日

「クレーマー」

  ボールペンの会社に文句を言うことにしました。以前買ったボールペンのレフィル
(芯)が三カ月で逝くのは異常だと思います。いつもボールペンたちが逝くたびに悲し
い思いをしています。何度も悲しい思いをするのには少しきついです。レフィルが三カ
月で逝ったのを不良品としてボールペンの会社に送りつけることにしました。抗議の文
章を打って封筒に入れて発送準備完了です。そのボールペンは太くて筆圧の高い私には
手になじみやすいものでした。一番好きだったボールペンでした。でも古くてどこの店
を探しても見つかりませんでした。もしかしたらボールペンの会社に愛用していたもの
が残っているかもしれません。それらしい文句を言って同じものを貰うことを計画して
います。




#1122/1125 ●連載
★タイトル (AZA     )  19/03/30  02:32  (387)
白の奇跡、黒の変事 1   永山
★内容                                         19/04/17 13:49 修正 第3版
 ホワイトデーの朝、街がきれいに雪化粧した。
 天が名称のホワイトに合わせた訳ではない。そうと分かっていても、特別に気を利か
せてくれたように感じる。ただでさえ滅多に雪が積もらない地域にいて、三月に一面の
銀世界を見られるなんて。
 だから結構期待してしまった。奇跡も起こるんじゃない?って、気持ちが高ぶる。気
温の割に身体は火照っていて。発売されたばかりのデオドラントの封を切り、スプレー
してみた。桜の香りを仄かに纏う。それでも興奮を抑えきれない。高校へと向かう途
中、足取りが軽くなるあまり、前のめりに転びそうになったくらい。そうか、桜の香り
のせいかもしれない。
 もちろん冷静になってみれば、雪は街のみんなに等しく降り注いだ。私だけの奇跡じ
ゃない。それでも望みを託したくなる。
 彼、桜井茂は私、田町由香莉の告白にきっと応えてくれる。
 信じて、約束していた場所に急ぐ。彼が入り浸っている第二理科準備室へと。
 時刻を見ると、まだ五分くらい早い。けれども桜井茂は多分いるだろう。まさかの雪
に、寒さで縮こまっているかもしれない。走ろう。校舎の中に入ったから、もう滑る心
配はないはず。
 上履きにきちんとかかとを入れる手間も惜しんで、私は急ぎに急いだ。短い数段のス
テップを駆け上がり、一階の廊下を走っていく。誰もいないその空間を突っ切るのは心
地よくもあり、若干の不安も感じたり。
 教室の札が見えた。第二理科準備室。鍵のことを忘れていたけれども、関係ない。さ
っき想像したように彼が返事のために来ているんだ。遅れてくるはずない。開いている
に違いない。
 扉の取っ手に手袋をしたままの指先を掛け、横に引く。するっと開いた。息を整える
のを後回しにし、私は呼び掛けた。
「桜井君」
 決して広くない準備室は、ドアを全開にすれば中の七割方は見通せる。
 次の瞬間には、私は黙り込み、空唾を飲んでいた。
 桜井茂は、床に倒れていた。仰向けのままぴくりともせず、頭から血を流している。
改めて返事をもらうのは、もう永遠に無理だとしれた。壁際にある長机の影に若干なっ
ていたけれども、身体全体に生気がないのはすぐに分かった。苦しさ故か歯を食いしば
りつつも、無理に開けて必死に呼吸しようとしたかのような、恐ろしくも滑稽さの滲ん
だ表情が、嫌でも印象に残る。
 奇跡は起きなかったが、私はするべきことをしなければならない。叫びたいのを堪
え、桜井の身体のそばまで寄る。跪いてから、ポケットをまさぐる。そうしながら脳細
胞をフル回転させ、ようく考えた。
 結論。第三者が入れぬよう部屋に鍵を掛けてから人を呼びに行く。

             *           *

「元々今は自習の多い時季だから、あんまり嬉しくないな」
 名和翔一は板書された文字を理解してから、ぽつりとこぼした。靴を履き替えたとき
に移ったのか、袖口の雪を払う。
「もっと嬉しくない事態になってるようだぜ」
 珍しく先に来ていた牛尾実彦が、自身の席に座ったまま言う。教室を入ってすぐの最
前列が、牛尾の机だ。
「今朝は早かったんだな。合流しないから寝坊したのかと思ったよ」
「俺には関係ないと分かっていても、ホワイトデーだとそわそわしちまって、早く目が
覚めたんだよ。学生鞄、忘れるくらいにな」
 見ると、牛尾の机にあるフックには、白い買い物袋が掛かっている。「まじで忘れた
のかよ」と呆れ口調になる名和。
「まともな授業はないし、これでいいだろって思ったんだ」
「だいたい、バレンタインならまだしも、ホワイトデーにそわそわって何だよ。まあい
いや。自習の理由は? 普通に考えれば、嬉しくないってことはないだろうに」
「それがまさに嬉しくない事態に関係している。まだ正式に発表された話じゃなく、噂
だけど、桜井が死んだらしい」
 急にひそひそ声になる牛尾。名和も声の音量を落とした。
「……死んだ?」
 桜井茂、クラスメートの一人。分類するなら、ちょい悪か。男から見れば“やな感じ
の二枚目タイプ”でよさが分かりづらいが、女子には結構人気がある。
 名和も牛尾も特別に親しいとは言えないまでも、普通に会話したり遊んだりはする仲
だった。
「ああ。昨日から家に帰ってなかったみたいだ。でも、あそこの両親は共働きで、割と
放任主義だったろ」
「そう聞いた。桜井もたまに外泊してたって。もしかして、どこかとんでもなく離れた
地方で見付かったとか?」
「真逆だよ。見付かったのはここ。学校の中。まだ分からないけど、恐らく第二理科準
備室だな。あいつがよく出入りしていたし、様子を見に行ってみたら、警察が来てテー
プ貼ってたし」
「警察、来てるんだ?」
 学年ごとの教室がある棟と、理科室などの特別教室のある棟は別々で、距離もあるた
めか、様子はほとんど伝わって来ない。
「学校側、騒ぎになるのをなるべく先送りしたいのかね、捜査員ていうの? 刑事や鑑
識の人なんかをこっそり入れたんじゃないか。これは完全に想像だけどな」
 校内は携帯端末の類は一切禁止なので、情報漏洩はないはず。校内にくまなくジャミ
ング装置を据え付けている訳でなし、飽くまでも建前としては、だが。
「で、牛尾。嬉しくない事態ってのは何さ?」
「お、そうだった。第一発見者として、田町さんが話を聞かれてる」
「田町さんが。何で?」
 クラスメートの顔を思い浮かべ、険しい表情をなす名和。女子の中では最も親しい同
級生だ。
「だから、第一発見者」
「じゃなくて、どうして田町さんが第一発見者なんかになるんだ? さっきの話から推
測して、見付けたのは今朝早くだろ? 田町さんが早朝、理科準備室に用があるとは考
えにくい」
 第二理科準備室は、超常現象解明サークルが活動する際に、学校及び生徒会側の厚意
により使わせてもらっている場所である。そしてそのサークルの主宰が桜井茂。だが、
メンバーに田町由香莉は含まれていない。
「馬鹿、忘れたか。ひと月前のこと」
「……馬鹿と言われるほどのことではないと思うが、忘れていたよ。田町さん、桜井に
バレンタインのチョコをやったんだっけ。本気の」
 正確には、忘れようとしていたから思い出さなかった。名和は田町とは幼馴染みのご
近所同士で、恋愛感情を持ったこともある。高校に入ってからはそうでもなかったのだ
が、彼女がバレンタインデーにかこつけて、桜井に本気の告白をしたのだと知ったとき
は、多少動揺した。桜井が同じクラスにいることが、名和にとって今後何かと憂鬱にさ
せられる種になるのではないかと。
 と、その時点で、田町がふられるなんてあり得ない、桜井も即座にOKを出したのだ
ろうと思い込んだ名和だったが、事実は違っていた。後日、田町が語ったところによれ
ば、ひと月後のホワイトデーに正式な返事をするからと言われたそうだ。
 これでもまだOKしたも同然に思えた名和だったが、当の田町が言うには、ライバル
が二、三人にて、桜井は迷っている節があると睨んでいた。自分が選んでもらえたなら
奇跡だとも。
「今日、返事をもらいに行ったってことね。なるほど。……桜井が殺されたんだとした
ら、ライバル達の中に犯人がいるって寸法か」
「警察の考えは知らんし、第一、殺されたかどうかもまだ不明。ただ、下手すると、田
町さんが疑われるかもしれないぞって話」
「――」
 名和は自分の机には向かわず、Uターンして教室を出て行こうとした。その制服のベ
ルトを、牛尾が後ろからぎりぎりのところで掴まえた。
「何をするつもりだ?」
 潜めた声で聞かれて、名和は「言うまでもないだろ」と答えるつもりだったが、ベル
トから伝わる力の強さに、ふいっと冷静に戻れた。
「……何もできない。少なくとも現時点じゃ、情報が足りないな」
 だいたい、彼女はどの部屋で事情を聴取されてるのだろう。校舎内にいるのかどうか
さえ、確証はなかった。
「行動するのは、もうちょっとあとでも大丈夫だと思うぜ。いきなり犯人扱いで連れて
行かれるようなことでもあれば、大いに慌てるしかないが」
「そうだな」
 そういうことにしておこう。でないと神経が保たない。

 田町は約一時間後、通常であれば一時間目の授業の最中に、教室に来た。ドラマによ
くある流れだと、半日から丸一日は警察に拘束されているイメージが漠然とあったが、
実際はそうとも限らないらしい。
 名和達は話をしたかったが、担任教師の中田がすぐあとに続いて入って来たため、そ
れはならず。ホームルームが始まり、中田先生からは大まかな状況説明と、もしもマス
コミから接触があっても一切応じないようにと注意があった。そして今日の残りのスケ
ジュールだが、授業はテストの答案返却のみで他は取り止めとし、生徒は一斉下校と決
められた。明日以降のことは各家々に今夜にも連絡が入るが、基本、通常通りに行う方
針という。
 そうして迎えたイレギュラーな放課後、そして下校。足元に気を付けないと、溶け始
めた雪が靴を濡らし、スリップも誘発しそうだ。
「一緒に帰れるってことは、疑いは晴れたのかな」
 牛尾が田町に、妙に明るい語調で聞いた。機械いじりが好きで没頭しがちな牛尾は、
普段興味のないことには自分から口を挟まない。今お喋りに興じようとするのは、事件
への関心と、田町を元気付けようという二つの気持ちが合わさってのことかもしれな
い。
「うーん、その辺りも含めて、あんまり言いふらさないでって注意されてるんだけど」
 手櫛で髪をすき上げる田町。肩を少し越えるぐらいの長い髪が、ふわっと広がる。何
か花のような香りが漂う。
「黙っておくから。僕らから先には漏らさないようにすればいい」
 名和は牛尾に調子を合わせた。告白相手が死んでしまい、さぞかし精神的ショックを
受け、落ち込んでいるだろうと心配して、情報の共有を図ったのだ。が、当の田町は案
外、平気なように見える。
「そういうことにしとこうかしら。正直な気持ちを言うと誰かに聞いて欲しいっていう
のはある、うん」
 両手の指先に息を吐きかけ、さらに擦り合わせてから田町は続けた。そこまで寒がる
ような気温ではないはずだが、もしかすると、事件を起因とする小刻みな震えが来てい
るのだろうか。
「色々と事情を聞かれて、何度も同じことを繰り返し答えていたのよね。それが、刑事
さんと話してる途中で男の人が入ってきて、メモを渡して耳打ちして出て行った。で、
新しい質問をされたわ。『昨日の夜十時頃、どこで何をしていましたか』って」
「昨日の夜のアリバイを聞かれたって?」
 名和は牛尾と顔を見合わせた。二人とも同じことを察知していた。
「死亡推定時刻が、三月十三日の午後十時前後と出たんだな。それで、田町さんはアリ
バイがあったんだ?」
 昨日は下校のときに一緒じゃなかったせいもあり、田町が途中で寄り道したのか、帰
って何か特別な予定があったのかといった話は、全くしていない。夜の十時という時間
帯に家族以外のアリバイ証人がいるとは、果たしてどんな場合か。
「新井先生、家庭教師の新井先生が九時過ぎに来られて、四月からの方針を決めていた
の。本当はもっと早めに来てもらうつもりだったのが、雪のせいで遅れたのよね。結構
時間を食っちゃって。先生が帰ったのが、十時を三十分は過ぎていたわ」
 女子大生の新井作美は、田町の家庭教師をするようになって半年ほど。田町家とはそ
れ以上でも以下でもない関係だから、アリバイ証言は認められるだろう。
「逆に疑問なのは、桜井はどうしてそんな時間に、学校に残っていたのか」
 次に来る当然のクエスチョン。名和の発言を受けて、牛尾は関連する疑問点を挙げ
た。
「そもそも、どうやって残れるんだ?」
 彼らの通う高校では、午後八時の最終下校時間を過ぎると、当番の職員が見回って九
時までには閉め切られる。通常なら夜間、その職員が残ることはなく、遅くとも十時に
は学校を出る。
「どこかに隠れていたとしか。トイレとか?」
「トイレは確か、横開きの金属製のドアがあって、夜八時を過ぎると、見回りのときに
トイレスペース全体が完全にロックしちゃうんだよ。隠れていたら閉じ込められて、朝
まで出られない」
 どうして牛尾がそんなことまで知ってるんだろうと、多少気になった名和。だが、今
はそれどころじゃない。
「隠れるとしたら、教室よね。見回りって言っても、一つ一つじっくり確認してるんじ
ゃないだし。閉じ込められていい覚悟があるなら、容易いんじゃない?」
「確かに。掃除道具入れの中や教卓の内側とか。そうそう、理科準備室だって狭いけ
ど、棚が立て込んでいる上に、物がごちゃごちゃ置いてあって見通し悪いよな」
「もし仮にだけど」
 名和はあることに思い当たった。
「殺人だとして、夜の十時に校舎内で殺されたのなら、犯人はどうやって逃げた?」
「それは、うーん」
 牛尾は田町に、細めたその目を向けた。
「田町さん、刑事から何か聞いてないか? 校舎の戸締まりがどうだったか。一階のど
こかの窓一つでも内側から開いていれば、犯人はそこから逃げたことになる」
「ううん、その辺りの話は何にも。考えてみれば、私が発見したとき、すでに学校は普
通に始まっていたんだから、どこそこの窓がいつの時点で開いていたなんてこと、分か
りっこないんじゃない?」
 なるほど、筋が通っている。名和は思った。
「極論するなら、犯人は犯行後も校舎内に止まり、学校が始まるのを待っていた可能性
だってある。窓の鍵を開ける必要がなくなるね。寒さに震えつつ、だけど」
「どうなんだろ。うーん、分かっていることをはっきりさせたいな」
 牛尾は切り口を少し変えた。
「田町さんは今朝、何時に返事をもらう予定だった? 香水までして気合いを入れてた
みたいだが」
「これ香水じゃないわよ。一応、制汗剤」
「この寒さで?」
「今朝は身体が熱い感じがしたのっ。ま、桜の香りだから、無意識の内に相手の名前と
結び付けてたのかもしれないけど」
「この匂い、桜か」
 関心が薄い男子二人はお互いに目を合わせ、首を縦に振った。
「話を戻しましょ。私が約束していたのは七時五十分。登校してきたのが七時四十五分
ぐらいで、五分早いけど行こうって思ったのを覚えてるわ」
 何事もないように答えた田町。一方、男子二人は「え?」となった。
「もしも先客がいたら、どうする気だったのさ」
「先客? ああ、ライバルが返事をもらっているところだったらってこと?」
「そうそう。何番目に返事をもらえるのか、事前に聞かされてはいなかったんだろ?」
「うーん、先客がいても気配で分かると思ったのかな。あんまりよく覚えてない。興奮
してたし、高揚してたし」
「他に来る予定だった女子って、誰だか分かる?」
「ええ、もちろん。三人いて、二人は渡部さんと児島さん」
 渡部千穂、児島聡美はともに名和達のクラスメートだ。タイプはだいぶ異なる。渡部
は髪が茶色がかった巻き毛で、身体は比較的大柄で発育がよい。そのせいで遊んでいる
と見られがちだが、実は文学少女の側面を持つ。児島は黒髪ショートの高身長で、見た
目通りのスポーツウーマン。ただ、幽霊やUFO等の超常現象好きでいわゆる“不思議
ちゃん”がちょっと入っている。児島はバレーボール部、渡部は文芸部所属で、桜井主
宰のサークルには掛け持ち禁止のため入っていない。入会せずに、勝手に集まる分には
止めようがないが。
「もう一人は、四組の大森隆子さん。知ってる?」
「いや――もしかして、成績上位の貼り出しでよく見る?」
「そう。頭いいのよ。しかも桜井君と同じ中学出身で、元から仲がよかったの。私が一
番の強敵だと思っていたのは大森さん」
「彼女達に、何時に会う予定になっていたのか、聞くべきかな?」
 名和が牛尾に意見を求める。
「何のために? 事件が起きたのは夜十時前後なんだから、関係ないだろ」
「たとえばさ、四人の順番を前もって知った誰かが、誰が断られて、誰がOKをもらえ
るかを想像して、独りよがりな結論に行き着いたとしたらどう? 断られるのを知っ
て、他人に取られるくらいならと」
「動機の方か」
 合点が行ったように、首を縦に小刻みに振った牛尾。一方、田町は急にふくれっ面に
なった。
「ちょっと。どうして私も容疑者に入ってるのよ」
「え? そんなこと言った?」
 急いで思い返す名和。記憶力には自信がある。うん、言っていない。
「誤解だ。四人の順番を知った誰かがってだけで、順番を知った四人の内の誰かとは言
ってないよ」
「え、そうだった?」
 これまた急に動揺を露わにし、田町は牛尾に救いを求めるような表情を向けた。
「ああ、こいつは田町さんを容疑から外しているよ、間違いなく。ていうか、端っから
疑ってないだろ」
「もちろん」
 名和が請け負うと、牛尾は苦笑を浮かべたが、田町は安心したように息をついた。
「ついでかつ念のために、順番も確認しておこう」
 名和は田町に対して口を開いた。
「先生に異変を知らせに行ったあと、準備室に戻ったんだよね? そのあと、さっき言
った三人が次々に来たはずだけど」
「そうね。私のあとが渡部さん、次に児島さん、最後が大森さんだったわ。おおよそ十
分間隔で」
「ふうん。桜井の奴、意外と配慮がなかったんだな」
 死んだ者を悪く言いたくはないが、つい口走ってしまった。そんな名和に、田町が僅
かに気色ばんだ様子で聞き返す。
「どういうこと、配慮がないって?」
「い、いや、それは言い過ぎたけど。誰にOKと答えるにしたって、田町さんを含めた
同じクラスの三人を続けざまに呼ぶなんて。せめて一人、間に大森さんを挟めば、クラ
スメート同士が顔を合わせる可能性が減るじゃないか」
「……分かったわ」
 口をつぐんだ田町に代わり、牛尾が「第一、桜井はもてるから」と切り出した。
「もてるから、その全員がバレンタインにチョコをプレゼントしたとは限らない。行動
に移せんかったって子も多いんだろうな。そういうのを想定したら、容疑者なんて絞れ
る訳がない」
「それもそうだ。動機だけじゃ無理か……」
「男子だって、好きな子が桜井君にばかり目を向けていたら、動機があるってことにな
るわよね」
 田町がさらりと言った。動機だけでは絞り込めないと結論を出したところなのに、そ
んなことを言われると、名和は少なからず動揺した。が、田町の言葉にそこまでのニュ
アンスはなかったらしい。
「桜井の所持品がなくなっている、なんてことはなかったのかな。財布とか電話とか」
 別の動機がないか、念のために聞いてみる名和。
「財布も電話もちゃんとあったって。財布はズボンのポケットで、電話は床に転がって
いたそうだけど、いじった形跡は特になしだって。衣服や学生鞄もね」
「金品目当てではないか」
「そりゃそうだ。金が目的なら、学校にいる人間をわざわざ狙うかよ。それも高校生
を」
 牛尾が一蹴したところで、会話が途切れた。そのまま三人それぞれの分岐点に差し掛
かり、少しばかり不穏なお喋りは切り上げられた。

 帰宅した名和が、母親に学校での出来事を伝えると、意外にも冷静に受け止めて聞い
てくれた。そもそも、明らかに早い下校に何も言ってこなかった。それもそのはず、前
もって学校から連絡が回って来たらしく、早ければ今晩にも保護者を集めての説明会が
開かれるかもしれないという。
「テレビでは何か言ってた?」
「いいえ」
 言いながら、親子二人してつけっぱなしのテレビに目をやる。ちょうどニュースが始
まった。先にローカル枠だったが、まだ記者発表が行われていないらしく、事件が報じ
られることはなかった。当然ながら全国枠も同様。正式かつ新たな情報が出たのは、結
局、午後三時のニュースまで待たねばならなかった。
 その報道によると、桜井の死因は頭部を強打したことによるもので、警察は事故と他
殺の両面で捜査に当たるらしい。死亡推定時刻は前日の夜九時半から十時半までの間
と、少し幅を持たせてあった。遺体となって見付かった場所は校内とだけ出て、学校名
はおろか区域名まで伏せている。インタビューを受けている生徒や保護者の映像もなか
った。
「高校のOBに警察の偉いさんがいるっていう話、聞いたことがあるわ。ひょっとした
らその人が手を回して、マスコミを押さえつけているのかもね」
「へえ。何て人?」
 母親の口コミに、名和は何気ないふりをして食いついた。万が一にも、田町への疑い
が強まるような事態になったら、その人に頼むことで事態の打開になるのではないかと
いう思惑があった。
「石動さんだったかしら。そうそう、あんたと同じ学年に、お孫さんだか甥っ子さんだ
かがいるとかいないとか」
「あやふやだなあ」
 口ではそう言いながらも、名和は“いするぎ”という名前を脳裏にしっかり刻んだ。
あとで調べてみよう。
 自室に入った名和は、まずニュースで言っていたアリバイのことを思い、改めて心配
した。「田町さん、アリバイ大丈夫なのかな」と。下校中の会話を思い起こす。
(あのときは十時前後のことしか頭になかったから、注意が向いていなかったけれど
も。確か、家庭教師の滞在が……九時過ぎから十時半頃だと言ったはず。犯人には学校
まで行き来する時間も必要だし、つまりアリバイ成立だ)
 改めて安堵する。無論、彼女は犯人じゃないと信じている。ただ彼女が疑われるのだ
としたら、それだけでもたまらなく嫌だ。その無実を信じる気持ちを強めるためには、
彼女に一瞬でも疑いの目を向けねばならない。矛盾が名和の心を苦しくさせる。
「犯人が早く捕まればいいのに」
 素直な気持ちを声に出してみて、犯人探しの衝動に駆られた。だが、どんな手順で進
めればいいのか。現実に、聞き込みをして、他の生徒を疑ってという行動が取れるかと
いうと、かなり高いハードルだ。
 ドラマや漫画みたいに探偵に依頼すれば……なんて空想したが、すぐに打ち消した。
刑事事件、それも殺人に携わるような探偵は現実にはほぼ皆無であると聞くし、仮に見
付けたとしても、依頼料を払えるとは思えない。霞や雲を食って生きる仙人のような探
偵がいれば、無料で受けてくれるかもしれないが。
 そこまで想像して、ふっと思い浮かんだのが最前母がした話。石動という同学年の生
徒が警察有力者の親族であるなら、今から近付いておいて損ではあるまい。
 名簿を調べると、四組に石動右手那という男子がいると分かった。他に石動姓は見当
たらない。名簿と言っても、クラス分けを知るための物なので、電話番号や住所は記載
がない。さて、四組には誰か知り合いがいたっけかと名和が新たにリストを目でサーチ
していると、電話が鳴った。
 当の石動からだった。

 五分後、石動右手那は名和の家の前までやって来た。溶け始めた雪だがまだ白く、そ
こに学生服姿の人物がいると、コントラストが際立つ。校則では私服OKにもかかわら
ず、学生服をきっちり着用した彼は、生真面目なタイプなのだろう。銀縁眼鏡と高校生
にしてはやや多めの白髪のせいか、どことなく老成した雰囲気があった。背は百八十セ
ンチほどあるが威圧感を欠いていて、でも押しには強そうな、しなやかな古木のイメー
ジ。
 その第一印象はさておき、突然の接触に訝る名和に対し、石動は実は学内探偵なのだ
と身分を明かした。
「学校に関係する揉め事・トラブルが起きたとき、速やかに解決することを求められて
いる。代わりに、そのために必要な力を行使する権限を付与されてもいる。たとえば全
生徒の住所や電話番号、メールアドレスといった基本的パーソナルデータや、もう少し
踏み込んだ誰と誰が同じ小中学校出身でどのくらい親しかったかというエピソードデー
タにアクセスする権限」
「待った。そのデータは、どこの誰が収集したものなのなんだ? そもそも、君に権限
を与えているのは学校なのか? だとしたら、何故、君が選ばれたのか」
「まとめて質問されても、答える時間は変わらないぞ。データ収集は主に学校が行って
いる。元は、いじめなどの兆候を事前に察知するために始められたとされるが、その頃
のことは大昔の話なので、詳しくは知らない。適切に運用され、特に問題がなければ、
卒業と同時に破棄される。無論、在校生と紐付けされているデータは残さざるを得ない
のだが。権限を僕に与えたのは、学校と警察だ。学内探偵のシステムは、ちょうど十年
前から試みられていて、基本的に警察関係者の子息から選ばれる。学校は一応、聖域の
一種だからね。何かトラブルが起きたからと言って、外部の力、特に警察を中に入れる
ことを毛嫌いする向きが少なくない。そこに僕のような学内探偵が必要とされ、活躍す
る余地が生まれる」
「……今朝、警察が来た割には、あんまり騒がしくなかったのもそのおかげか」
「そのようだけど、僕は表立って警察に協力する訳じゃない。直接立ち会ってもいない
から、よくは知らない」
「能力を疑う訳じゃないが、今までの実績は?」
「残念ながら実績はゼロだ」
「何だ」
 拍子抜けするとともに、がっかりもした。石動は心外そうに付け足す。
「飽くまでも、学内探偵としては、だ。学校関連の事件がこれまでに起きていないのだ
から、仕方がないだろう」
「じゃあ、学外なら、実績はあるっての?」
「ある」
 そうして石動は耳打ちレベルの小さな声で、ある有名な強盗殺人事件を挙げた。
「公表はされていないが、この事件を解き明かす重要なポイントを見付けたのは、僕
だ。僕の進言によって、警察は事件解決に至った」
「本当なら凄いけど」
 確かめようのないことを持ち出されて、少々困惑を覚えた。そんな名和のこぼした台
詞を、石動は気にした様子もなく、時刻を確かめる仕種をした。
「さて、自己紹介するには充分時間が経った。本題に入らせてもらおう」
「あ、ああ。ぜひ、彼女を守って欲しい」
 と、今度の名和の台詞には、眉間にしわを寄せた石動。
「何を言ってるんだ、君は。彼女とは田町由香莉を示している?」
「もちろ――」
「勘違いしているみたいだな。僕は君の依頼で来た訳ではないし、田町さんをピンチか
ら救うために来た訳でもない。君に呼ばれた覚えもないしね」
 それもそうか。名和は思い出した。こちらか接触を図るつもりだったのが、向こうか
ら来たのだ。自分の思い込みを恥じつつも、不満を込めて聞き返す。
「じゃあ何をしに来たんだよ」
「……本当に、何も分かっていないようだ。事態を客観視することを覚えなければいけ
ない」
「客観視? つまり、僕自身の……?」
「君は容疑者の一人なんだよ、名和君。そうでなければ、簡単に僕が身分を明かすはず
がないじゃないか」
「僕が?」
 名和は馬鹿みたいに自分を指差した。

――続く




#1123/1125 ●連載    *** コメント #1122 ***
★タイトル (AZA     )  19/03/31  01:46  (441)
白の奇跡、黒の変事 2   永山
★内容                                         19/04/17 14:02 修正 第2版
「そうだろう? 僕が掴んだ情報では、亡くなった桜井茂を巡って、四人の女子が争っ
ていた。内一人が、第一発見者でもある田町さん。その田町さんに恋心を抱いていたの
が君だ」
「そ、そんなこと、誰が言ったんだ」
 動揺を隠しきれず、名和は目元を赤くした。
「全ては小さな出来事の積み重ねだよ。僕はこの情報に信を置いているが、今の名和君
の反応を見ると、念のために確認しないといけないな。この情報が偽りであるのなら、
申し立てを聞こう」
「……嘘じゃない。合っている。過去のことだけど」
「過去だ昔だのは通用しない。客観的には、君が桜井茂を妬むあまり、手を出したとい
う見方が成り立つんだよ」
 口をきけなくなった名和。しかし、ショックが去るのは早かった。そして、石動の言
い方に最低限の配慮があったおかげか、怒りや焦りも不思議と感じないでいた。
「状況は理解したよ。ということは、君は……何をしに来たんだ」
「まずはアリバイだね。昨日午後九時半からの一時間。どこで何をしていたのか」
「昨日は学校が終わって、クラスの奴と一緒に少し寄り道したから、帰宅は夕方の五時
過ぎで……」
 記憶を手繰るが、肝心の時間帯には家族と一緒にいたとしか言えなかった。
 名和は、これでは容疑は拭えないなと、恐る恐る石動を見返す。学内探偵はどこか満
足げに頷いていた。
「なるほど。名和君がなかなか正直者らしいことは分かった」
「え? どういう意味?」
「すでに僕は、田町さんには一応のアリバイが成立していることを知っている。君も同
様だろう。それならば、自身のアリバイ作りに彼女を利用できたのに、しなかった。た
とえば、問題の時刻、彼女から自宅の固定電話に電話が掛かってきて、君が出たとか
ね。現段階では、電話の発信記録に照会する権限は僕にはないから、真偽を知りようが
ない」
 それは買い被り、もしくはうがち過ぎというもんだと名和は思った。単に、田町由香
莉を利用した偽のアリバイ作りを考え付かなかっただけのこと。仮に考え付いていて
も、実行はしなかったが。
「そんなあとでばれそうな真似はしないよ。正直に答えるしか、僕にはできない」
「ふむ。では一つ、朗報をあげよう。実は午後九時半以降、翌日の登校時間帯を迎える
まで学校を出入りした人物はいない。防犯カメラと学校の近所に住む人の目撃情報で確
かだ」
「防犯カメラは分かる。近所に住む人の目撃って?」
 普通、目撃者と言えば「学校を出た人物がいる」という場合であろう。いないものを
目撃したとは、どういう意味なのか。
「昨夜九時半というのは、雪が止み、一帯にうっすらと積もった頃合いなんだ。学校の
近所のとある家から、道路の雪を眺めていた人物がいた。いわく、学校の門の前に積も
った雪がきれいなままだったという。生徒が変死したとの噂を聞きつけて、わざわざ証
言を寄せてくれた第三者だから、信頼に足る。門を通らずに出入りするには、ブロック
塀を乗り越える必要がある。だが、見られていると知らない限り、そんな真似をする意
味がない」
「いや、門の鍵を開けられなかったとか、足跡を残したくなかったとか」
「門の鍵といってもかんぬきを下ろしただけの物で、簡単に開けられる。足跡にしたっ
て、いかなる足跡なのか分からなくなるよう、ぐちゃぐちゃに踏み潰して進めばいい」
「う、それもそうだ」
「唯一、病死や事故死に見せ掛けたかった場合は、足跡やそれに準ずる痕跡を雪に残し
たくないだろうが、人間の頭を殴打しておきながら、犯人は他に特段の偽装工作をして
いない。つまり、病死や事故死に見せ掛ける気はなかったと言える」
「……あのさ、今さらっと言ったけれども、桜井が頭を殴打されていたのは確実なの
か?」
「痕跡は二箇所あった。内一度は、現場にあった顕微鏡で殴りつけてできた傷らしい。
要修理として、別に分けておいた物だから、計画的な犯行ではなさそうと言える」
「そうか」
 他殺か、よくて過失致死。
 名和は、自分の置かれた立場を思い出した。
「僕はやっていないからな」
「分かっている。いや、やっているかいないかはまだ知らないが、さっき言った足跡の
件があるから。無闇矢鱈と犯人呼ばわりはできないよ」
「足跡のことを把握していたのなら、何で僕にアリバイを尋ねた?」
「反応が見たかった」
「それだけ?」
「まだ捜査中なんでね。それに名和君のアリバイは証明されたも同然じゃないか」
「ええ? 何でだよ」
 本人が言うのもおかしな話だが、名和は自身のアリバイが成立した実感がまるでな
い。
「下校したからさ。雪に足跡がなかった事実に対し、現時点で考えられる最もシンプル
な答は、犯人は下校せずに校内にとどまり、朝を迎えたというシナリオだろう。目撃者
の存在を知りようがないのに何でそんな行動を取ったのか、寒さを堪えられたのかって
いう疑問は残るけどね。とにかく君が下校したのは間違いない。その後九時半までに再
び学校に出向いた可能性は無論あるが、そんな怪しげな行動を取れば、防犯カメラに映
ったとき、弁明のしようがない」
 弁明できないからしなかったとは断定できまいが、恐らく警察は学校周辺の防犯カメ
ラ映像を、目を皿のようにしてチェックするのだろう。
「うん? ということは……」
 誰にも犯行が不可能なんじゃないか。脳裏にそんな命題が浮かんだ名和。足跡がない
ことを理由に犯行は誰にとっても不可能だったと結論づけられたとしたら、結局、アリ
バイがあっても容疑の圏外に出たとは言えなくなる。その旨を名和が訴えると、石動は
予期していた風に首肯した。
「もちろんそうなる。当初、戸締まり当番が怪しいと考えたんだが、昨日その役目だっ
た西谷先生は、八時五十分に学校を車で出ていた。電子記録及び街の防犯カメラ映像、
その後に立ち寄った飲食店での目撃証人と、アリバイは完璧だ。そしてまずいことに、
寒さと雪のせいで、意識的に早く帰ったと言っている。見回りを急いだせいだろう、校
内には誰もいないと思い込んだ訳だ。桜井茂がいると気付いていれば、あるいは彼が死
ぬことはなかったかもしれないのにね」
 名和は話を聞きながら、社会科の西谷先生の容貌を思い浮かべた。五十代半ばだがそ
れ以上に老けた外見。おじいさんと言って差し支えないくらいだ。髪が後退気味なのと
猫背が年寄りの印象を強くしている。犯行が可能かどうかとなると、体力的にどうかと
思うし、動機は不明。それでも一つ、思い付いたことがあったので口にしてみる。
「もし仮にだけど、西谷先生が犯人を手引きした可能性は?」
「ないと考えている」
 とっくに想定済みだったらしい。石動は即答した。
「西谷先生に限らず、教職員の誰かが手引きしたと仮定しよう。その人が出勤してきた
時点で、犯人はすでに車の中にでも潜んでいたことになる。それから長時間待機して、
夜になって行動開始。犯行をなした後に校内のどこかに隠れて、朝までやり過ごす。そ
れから出勤してきた協力者の車の中に、再度隠れる。そこまではいい。このあとが問
題。警察が来た時点で、簡単に下校できやしないよ。犯人は袋の鼠だ」
 一端話を区切ると、石動はしばらくの間、沈思黙考した。名和に値踏みする風な目線
を投げ掛け、かと思うと、己の手の中の何かを確認するような仕種を見せた。
 話が長引いているし、家に上げるべきかなと名和が考え始めた矢先、石動の口が再び
開く。
「どこまで話していいものか、迷ったんだけど。とりあえず、君自身は実行犯たり得な
いし、信用してみることにする。そこで質問なんだが、名和君は第一発見者の田町さん
から、現場の状況を聞いているかい?」
「う? うーん、ちょっとだけ」
 警察からあまり喋るなと田町は言われたらしいので、慎重に答える名和。
「鍵の状態については?」
「鍵? いや、それは全然」
 大きな動作で首を左右に振った。
「鍵は、田町さんが第二理科準備室に来たときには、開いていた。これって少々不可解
だよね。前夜、戸締まりを受け持った西谷先生は、見回りこそいい加減なところがあっ
たものの、マスターキーによる戸締まりは厳格にこなしたと明言している。当然、現場
である準備室も施錠された。知っての通り、各教室の鍵は職員室の一角で管理される。
特別な事情がない限り、その全てが返却されていなければならない。実際、昨日は全て
の鍵が午後六時過ぎには揃い、その後は使われていないと判明している。そしてどんな
に遅くとも午後八時五十分以降、全ての教室は施錠されていたと言える。ならば、九時
半から十時半の犯行を、犯人はいかにしてやり遂げたのか?」
「えっと、まさかこれって、密室とかいう……」
「そうなるね。雪の件を含めれば、二重密室と言えなくもない。ただし、犯人が被害者
とともに第二理科準備室に隠れ潜んでいたのなら、密室の謎は簡単になる。朝になるの
を待って犯人は内側から開錠し、現場を立ち去ればいい」
 口ではそんな説明をしつつも、あまり信じていない気配が、口調の節々ににじみ出て
いた。昨夜の寒さに加え、犯人にとってのリスクを考慮すると、遺体とともに現場にと
どまるというのは承服しがたい構図と言えよう。昨晩の内から桜井の家族が心配して息
子の居所を探し、校舎も調べようとなったらアウトだ。
「この説を採る場合、気になる点が一つある。田町さんの証言では、準備室の鍵は桜井
の制服のポケットに入っていたそうだ。おかしいだろ? くだんの鍵は午後八時五十分
以降、職員室にあった。当然、職員室そのものにも鍵がかかって出入り不能になるか
ら、犯人は持ち出せない」
「……いや、朝を迎えて準備室を抜け出た犯人が、早めに登校したふりをして、職員室
に鍵を取りに行き、現場に舞い戻って桜井のポケットに入れたと考えれば」
「辻褄合わせというやつだよ、それは。犯人は何のためにそんなことをする? 現場を
何度も出入りするなんて危ない橋を渡るだけで、メリットが皆無じゃないか? 鍵を取
ってきて外から施錠したならまだ分かるよ、発見を遅らせるためだとね」
 確かに。言われてみれば、頷かざるを得ない。名和はでも、田町が疑われているよう
に思えたので、他の合理的な解釈を探す。
「桜井が死んだのが、朝だと思わせたかった、とかじゃないか。昨晩施錠されていた準
備室の鍵が開けられて、中で桜井が見付かれば、普通、前の晩じゃなく、翌日の早朝に
死んだとみんな考える」
「みんなが考えるかどうかは異論があるところだし、捜査能力を舐めすぎ。死亡推定時
刻を調べれば、じきにばれる。いくら気温が下がろうとも、その事実を組み込んで時間
を算出するのだから」
「――犯人以外の誰かが朝、鍵を取ってきて準備室に入ってみたら桜井が死んでいた。
その誰かさんは驚いてしまって、とにかく鍵を持っているのはまずいと判断し、桜井の
ポケットに押し込んだ。これならどうだ」
「おお、さっきより随分ましだよ」
 石動はにやりと笑った。不謹慎だと思ったのかすぐにその表情を引っ込め、それもま
だどことなく愉快そうな色を残しつつ、論をぶつ。
「その人物は一体全体何の目的で、朝早くから第二理科準備室なんてところに向かった
のかな?」
「それは……想像するに……バレンタインの返事をもらいに。あれ? でも確か、返事
を待っているのは四人で、一番は田町さんのはず」
「鍵に関する田町さんの証言が真実なら、残りの三人が、告白の答をもらう順番に関し
て嘘を吐いた可能性が生じるね。ああ、五人目が存在しないことは、こちらの情報網か
らして事実認定できるから、安心していいよ」
 田町が容疑圏外なら何だっていい。名和は心中でそう吐き捨てた。それから応える。
「田町さんのあと、三人はほぼ十分おきに現れたというから、桜井が十分おきに会う約
束をしていたのも確定。となると、嘘を吐いたのは四番目しかいない。四番目以外が実
は一番でしたってふりをしたら、嘘がその場で簡単にばれてしまう。つまり、大森さん
だ」
「お見事。ただ、この説を採用すると、大森さんは現場に触れはしたが、犯人ではなく
なるけどね。残念かい?」
「……論理的に考えてそうなるんだったら、しょうがない。それにさ、話を巻き戻すよ
うで悪いけど、大森さんが嘘を吐いたっていう仮説を立証する術があるか?」
「警察では今朝方、第二理科準備室の鍵を職員室に取りに来た生徒がいたのか、いたの
なら誰なのかを特定すべく、聞き込みを行っているそうだよ。女子なのは間違いないよ
うだ」
 この学内探偵、情報を名和にちらちらと与えてくれつつも、大きなことを隠す傾向が
ある。多少の不信感を交えた視線をよこしてやると、石動は肩をすくめた。
「長居しすぎたようだね。このまま話し込むとお茶が欲しくなるから、ぼちぼち去ると
しよう。それと名和君。今の仮説は、飽くまで仮説だ」
「それが何か?」
「大きな前提に立っていることを忘れないように。はっきり言うなら、田町さんの証言
が偽りである可能性も検討しなければならないんだ」
「――」
「幸か不幸か、時間はたっぷりある。ちょっと考えてみてほしい。田町さんをよく知
る、君の立場からね」
 そう言うと、石動はくるっときびすを返し、ぐちょぐちょと足音を残しながら立ち去
った。

 意外に素直なところもある自分を発見して、名和は少し驚いていた。石動に言われた
通り、別の可能性を検討し始めたのだ。田町の無実を信じての行為であるのは、論じる
までもない。
 当初、一人で考え始めた名和だったが、三十分もしない内にこれはよくないのではな
いかという思いが、鎌首をもたげてきた。一人でこそこそ考えなくても、田町にずばり
聞けばいいのではないかと。
 その一方で、馬鹿正直に話せば、田町が機嫌を損ねることくらい、容易に想像でき
た。早とちりな面のある彼女のことだから、実態を上回る規模で名和を蔑むかもしれな
い。
 悩んだ名和が出した折衷案が、牛尾と二人で考えるという道。二人でならこそこそし
ているイメージはなくなり、田町にも隠し事をしていない証明になる。
「こんな用事なら、おまえの方が来いって言いたいぜ」
 牛尾は、名和の母親への挨拶を済ませて部屋に入るなり、荒っぽい口ぶりで言った。
「それは電話で説明しただろ。石動がまた現れるかもしれないから、こっちにいるのが
都合がいいんだ」
 牛尾の家には石動が来ていないことを電話口で確かめ、名和はそう判断した。
「まあいいよ。俺は何をどうすればいい?」
 促された名和だが、話はほんの少し先延ばしに。母が持って来たお茶と菓子を受け取
り、再びドアをきちっと閉めてからようやく本筋に入る。まず、石動から得た情報や推
理を、なるべく簡潔にまとめて、牛尾に聞かせる。
「学内探偵なんて怪しげな存在だと思ったが、能力はありそうだな。門の前の雪とか目
撃者がいたとか、俺達知らなかったもんな。おかげでアリバイ成立」
 冗談めかして言う牛尾。彼は自宅では離れに籠もって機械いじりをするのが日課で、
家族によるアリバイ証言すら難しいらしい。今日も離れから直に学校に向かったとい
う。
「朝飯どうしてんの? 飲み物はポットがあるからどうにかなるだろうけど」
 以前、離れに遊びに行ったときに見た情景を思い起こしながら、名和が尋ねる。牛尾
は「食べないか、適当に菓子パンをかじる」と応じた。
「よく保つな〜。こちとら、朝はあったかい白飯じゃないとだめだし、一人で食うのは
寂しい」
「夕飯は家族揃って食べるさ。飯の話は切り上げて、本題に移れ」
「そうそう。要するに……田町さんが桜井の遺体を見付けた際の、鍵に関する証言につ
いてなんだ。証言が偽りだった場合の検討をしてみたい」
「別にいいが、犯人特定につながるのか、これ?」
 首を捻る牛尾。考えるだけ無駄じゃないのかと言わんばかりだ。
「おまえと石動という奴の間で話した仮説だって、大森さんが嘘を吐いたってだけで、
犯人が誰なのかには直接つながりはしない」
「うん、そうだけど、状況の整理に役立ちはしたと思う。とにかく、僕自身がすっきり
したいんだよ。だから……牛尾は田町さんが嘘を吐いたという前提で、筋の通った流れ
を考えてくれないか。僕がそれを崩す」
「ふむ。まあ、ゲームのつもりでやってみるか。ええっと? 田町さんは桜井の遺体を
見付けてから、鍵をどうしたって?」
「鍵は桜井が身に付けていた。ポケットから取り出し、部屋に施錠した後、人を呼びに
走った。施錠したのは、他の人達が現場に入るのを防ぐため」
「なるほどね。好きな男子が死んでいるのを見付けたばかりの割に、冷静に過ぎるきら
いはあるが、理屈は合っている。さて、この証言が疑わしく見えたのは、鍵が桜井のポ
ッケに入っていたことだ。実際には前夜、職員室に戻されたはずの鍵が。ここに嘘があ
ると仮定する。換言すると、ポケットに鍵はなかったとしよう。田町さんにそんな嘘を
吐く動機が果たしてありやなしや?」
 一気に喋って口中が乾いたのか、牛尾は出されたお茶――紅茶を一度に半分がた飲ん
だ。
「おい、確かめたいことができたぞ」
「何?」
「仮に鍵がポケットになかったとしても、第二理科準備室のドアに施錠したのは、間違
いないんだろ。だったら、鍵は田町さんが最初から持っていたと仮定するに等しい。と
いうことは、彼女は準備室に来る前に職員室に立ち寄り、鍵を借りた。その事実を隠し
たいとしたらどうだ」
「今日、三月十四日に鍵を最初に持ち出したのは自分ではなく、他の者ってことにした
いって訳? それこそそんな行動を取る意味、あるかなあ?」
「分からん。死亡したのが今朝だったのなら、桜井と最初に会った人物が最有力容疑者
と見なされるだろうから、ごまかしたくなるかもしれないが、実際の死亡時刻は違うし
な」
「あ。田町さんが犯行と無関係なら、死亡時刻を今朝と思い込んでも不思議じゃない
ぞ」
「そうか。いや、でも、容疑者扱いされたくないなら、第一発見者になるのを避けたが
るんじゃないか」
「そこは、桜井を冷たい床にいつまでも横たわらせておくのが忍びなかったと」
「ううん、いまいち、ぴんと来ないな。なまくら刀で斬り合ってるみたいだぜ、俺達」
「自覚があるのなら、もっとしゃきっとした仮説を立ててくれ。僕が顔を真っ赤にし
て、必死で田町さんを弁護するような」
 名和が冗談半分でそう求めると、牛尾は足を組み直した。
「では……こういうのはどうかな。田町さんは昨日夕方、桜井と一緒に下校し、家に招
いた。そこで殺害し、遺体を車で学校まで運んだ。家族も共犯なんだ」
「馬鹿々々しい」
 一言で切って捨てる名和。それだけだと名和自身のいらいらが晴れない。わざわざ言
うまでもないのだが、「遺体をどうやって人に見られずに教室に運び込むんだよ、ばー
か」と悪し様に罵ることで、ちょっとは鬱憤晴らしになった。牛尾にしたって、端から
本気ではない。甘んじて受け入れる。
「だよな。他の可能性となると……嫉妬はどうだ」
「嫉妬? 話が見えないな、説明頼む」
「俺も思い付いたばかりでうまく言えないが、田町さんにとって鍵を職員室から持って
来たことが、犯人に対して負けを認めるような形になるとかだったら、鍵は最初から現
場にあったことにしたいんじゃないかなあ?」
「言いたいニュアンスは分かったけど、状況が特殊すぎやしない?」
「うーん、俺がぱっとイメージしたのは、複数の女性と付きっているもて男がいて、部
屋の合鍵を渡しているかいなかっていうあれなんだけど。ドラマなんかでもたまにあ
る」
 牛尾のその言葉を聞き、何かが閃いた気がした名和。
「……学校の鍵って、その気になれば複製できるのかねえ?」
「できるんじゃないか。実用第一、シンプルな造りだぜ」
「桜井は第二理科準備室をサークル活動に使うぐらい、入り浸っていた。こっそり、合
鍵をこしらえていてもおかしくはない、かな」
「うむ。可能性を論じるだけなら、充分にありだろ。金さえあれば、鍵のコピーはでき
る。そもそも、元鍵があればそんなに高くないと思うし。持ち出すのだって簡単だ」
「じゃあ、桜井が合鍵を勝手に作っていたとしよう。それは付き合っている女子に渡す
とかじゃないはず。決まった相手がいるのなら、今さらバレンタインで告白だの何だの
って騒げるとは思えないから。だから、合鍵は自分のためだ。桜井は職員室に出向く手
間を省くために、合鍵を作ったとする。もしこの仮定が当たっているなら、根本から考
え直さなきゃならないんじゃないか」
 第二理科準備室の鍵が職員室に仕舞われ、昨晩の八時五十分以降は使えなかったとの
前提が崩れるのだから。
「いや、待て待て。はっきりしない仮定をして、可能性を追っても枝分かれの数が爆発
的に増えるだけで、追い切れない」
 牛尾からストップが掛かった。
「なら、どうしろっていうんだ」
「合鍵を見たことないか、田町さんに直接聞け。彼女が知らなかったら、他の女子でも
いいし、桜井と特に親しい男子もありだ。合鍵が実在するのなら、誰かが目にしている
に違いない」

 一発目で当たりだった。
「ごめーん。騙すつもりじゃなかったの。ただ、桜井君が学校に内緒で合鍵を作ってい
たことが公になったら、色々と叩かれるんだろうなって想像したら、これは隠さなきゃ
いけないと思ったの」
 名和の電話による質問に、田町は名和の家まで駆け付けて弁明した。
「このこと、早く警察に言った方がいいよ」
 名和は怒らず、穏やかに促すにとどめる。牛尾の方は、もう一言二言、どやしつけた
いことがありそうだが、どうにか飲み込んだ模様。代わりに、基本的かつ重要な問いを
発した。
「頼むから、事実だけを話せって。桜井を見付けたとき、鍵はどうなってたのか」
「うん、だからね、部屋のドアは自由に開け閉めできる状態だった。桜井君が来ている
と思ってるから、こっちは当たり前に開けたわ。じきに倒れている彼を見付けて、息を
していない、冷たくなってる、もう助からないと感じた。次に考えたのが合鍵のこと。
隠し通すために、鍵が掛かっていたことにしようと一瞬思ったんだけど、あとでばれた
ら合鍵の存在を知っていた人が、私も含めて疑われる訳じゃない? 密室にしちゃうの
はだめだと判断して、職員室に鍵を借りに行ったの」
「え?」
「借りたあと、一端準備室に戻って、そこで初めて遺体を見付けた風を装ったのよ」
「ええ? それだと、桜井のポケットから鍵を取ったっていう証言がおかしいって、疑
われるだろ?」
「今のところ、何も言ってこない。朝の忙しいときだったし、鍵の貸し出しは厳密に記
録を付ける訳じゃないし、何よりも先生達、大事な生徒の一人が死んだということで動
転してるのかしら。警察に伝わってないみたいなのよ」
 そんな偶然が。論理的に考えようとしても、辿り着けるはずがない。
「あれ? でもおかしいな。田町さんはその証言がまずいと理解してたんだろ。その上
で、桜井のポケットに鍵があったと証言した理由は?」
 名和が率直に尋ねると、田町は思い出す風に斜め上を見つめた。
「鍵が開いていたのは事実なんだし、さっき言ったように密室にするとあとで疑われる
恐れがあるでしょ。それと、桜井君が今日、バレンタインの返事をあの教室でする予定
だったことも絶対にばれる。朝来た桜井君が、鍵を持って、中で死んでいたという状況
が一番自然に思えたのよ」
「……何か変だな。納得できない。まだ隠してること、あるでしょ?」
 幼馴染みとして勘が働いたのかもしれない。もちろん、田町の言い分にすっきりしな
い点があるのも、追及を重ねた理由だが。
 名和がじっと見つめると、田町は顔を逸らし、ため息を吐いた。
「かなわないな。そうね、隠してること、あるわ。合鍵を預かっていたの、私なの」
「……」
 もう驚かないぞと、唇を噛みしめる名和。
「変に受け取らないで。特別な関係なんかじゃなかったんだから。単に、前日、桜井君
から渡されたのよ。もしかしたら君の方が早く来るかもしれない、そのときはこの鍵で
開けて待っていてくれって」
「それは昨日の何時頃?」
 牛尾が横手から質問する。
「鍵を受け取った時刻? お昼休みだったわ」
「昼か。分かった。話を続けてくれ」
「――それで、桜井君が倒れているのを見て、合鍵をどうしようって思った。駆け寄っ
て、彼の服やズボンのポケット全てを探って、他に鍵がないことを確かめた。それから
自分のポケットから合鍵を取り出して、考えた。準備室の鍵はかかっていなかったと正
直に伝えたらどうなるか。前夜、戸締まりされた準備室が、遺体発見時点でまた開いて
いたということは、鍵を開けることができた人物が怪しまれる。正規の鍵がどうなって
いるのか知らないけれども、合鍵の存在がばれたらまずい。
 じゃあ、鍵が掛かっていたことにする? それもだめ。合鍵を持っている人物が怪し
くなる。どっちにしてもよくない状況よね。だったら、私も曖昧な証言にすればいいん
じゃないかって。あとで矛盾に気付かれても、多少のことなら、死体を目の当たりにし
たショックで混乱していたから、で許される。そう踏んだのよ。さっきも言った通り、
桜井君のために合鍵の存在を隠したい気持ちもあったし」
 田町の話が終わるや、名和と牛尾は同時に口を開いた。
「その合鍵は、今どこにあるの。いつまでも隠しておくのはよくない」
「アリバイ成立したんだろ。だったら正直に話した方がいい」
 声が重なり、分かりにくい。言い直すのを互いに譲り合ったが、結局、名和の言葉が
優先された。
「合鍵は学校にあるわ。手元に置いておくのが怖くて」
「学校のどこ?」
「職員室。入ってすぐのロッカーの裏に放り込んだ」
 何てとこに隠すんだ。警察からすれば確かに盲点かもしれないけど。名和は呆れると
同時に、感心もした。
「ま、まあ、ああいう場所なら、落としてしまったと言えば、どうにか言い繕えるか」
 次に、牛尾の言葉に移る。
「合鍵の件も含め、全部警察に伝えなって。それが田町さんのためだし、事件解決にも
つながるんじゃないか」
「うん。理屈では分かるんだけど、やっぱり怖い気持ちもあって」
 踏み切れない様子の田町。名和は、ある名前を思い浮かべた。
「だったら、警察に直接じゃなく、学内探偵に話してみればいいんじゃないかな」

 名和家は“千客万来”となった。
 名和の母は、事件が起きたせいでみんな不安になっているから集まりたがってるのね
と解釈したらしく、特別なこと――事件に関する重要な話し合いが行われるとは思って
いないようだ。
「ゆっくりしていってね」
 そんな優しげな言葉を残して、ドアを閉めると、ぱたぱたとスリッパの足音も高く、
去って行く。
「と言われたからって、ゆっくりしてもいられない」
 石動は単刀直入に始めた。田町に向けて問う。
「何か重大な証言があると聞いた。皆のいる前でも問題ないんだね? じゃあ話して欲
しい」
 促された田町は、最前、名和や牛尾に伝えた通りのことを改めて話した。
 石動は、そんな告白をどう受け止めたのか。いくつかの指示や依頼を電話でしたあ
と、しばらくは黙したままでいた。が、やがて手のひらを凝視する仕種をしたかと思う
と、田町に質問をした。
「念のための確認になるけど、合鍵は一本だけ? 新たにコピーしたとかはない?」
「そのはず、です。桜井君が言っていた。たくさん作っても、先生にばれやすくなるだ
けだって」
「その合鍵、昨日預かってから、誰かに又貸ししたり、一時的にでも紛失したりはなか
った?」
「も、もちろんです。大事な鍵なんだから」
「その大事な合鍵を、昨日の昼休みから今朝まで、ずっと持っていた」
「そうよ」
 どぎまぎしているのが手に取るように感じられた田町だったが、徐々に慣れてきたら
しい。石動の方もようやく穏やかな顔つきになった。
「それなら大勢に影響なしだね」
「え、そうなのかい」
 無意識の内に聞いたのは名和。嬉しいことなのに、予想外の反応だったため、つい確
認したくなったのだ。
「合鍵があっても、アリバイのある人物がずっと保持していたのなら、なかったのと同
等だよ」
「そう……なのかな」
「雪の件があるから、死亡推定時間帯の午後九時半から十時半の間、学校が一種の密室
状態だったことにも変わりがない。要するに、田町さんの行動に説明が付いたというだ
けのこと」
 それならばまあ喜ばしいことではあるが、どこか腑に落ちない名和。
「それとも何かい? もしかして名和君が彼女から合鍵を借りて、夜の学校に塀を乗り
越えて侵入し、犯行を成し遂げたとでも?」
 名和は頭を左右に激しく振った。
「ならば合鍵の話は決着だ。まあ、確認は今取ってもらっているけれども。それより
も、僕が再度、ここに足を運んだのはもう一つの目的があったからで」
 名和から田町に視線を移動した石動。
「田町さんが確実にここにいると分かったから、来たんだ。聞きたいことがあるんだけ
ど、答えてくれるかな」
「え、ええ」
 またどぎまぎが戻って来た様子の田町。名和は思わず、身を乗り出していた。
「そんな恐い顔をしないでよ、名和君。僕は粛々と探偵業に精を出すだけさ。疑いが晴
れたら速やかに立ち去るし、必要であれば謝罪もする」
「……何か新しい発見があったのか」
「鋭いね。できれば人払いしたかったんだけど、君の家に来ておいて君に出て行けでは
通らないだろうし、このまま進めるよ。――桜井茂の遺体を詳細に調べたところ、その
制服の表面、胸や腹、背中から女性の毛髪が見付かった。色調、長さから田町さんの髪
と非常に類似している。現在、より詳細に照合中だ。尤も、自然に抜け落ちた髪らし
く、それだと完璧なDNAの鑑定は困難が予想されてね。田町さんの母君にDNAを提
供してもらえるのが望ましいのだが、現状では強制できない」
 一息に喋られて理解に時間を要したが、つまるところ、現場に田町由香莉の物と推定
しておかしくない毛髪があった。完璧な鑑定は難しいので、本人に直接聞きたいという
経緯らしい。
 名和と牛尾は田町を振り返った。彼女はきょとんとして、それから小首を傾げた。
「それが何?」
「毛髪は極最近に抜けたものだ。仰向けの遺体の上半身に、上から落ちた感じだね。昼
休みに会ったときに、胸や背中はともかく腹に着くとはなかなか考えにくい。昨日も結
構寒かったから、制服の上を一時的に脱いだとも思えない。仰向けの桜井茂を見下ろす
姿勢が一番納得が行く。昨日から今朝にかけて、田町さんは桜井に対してそういう体勢
になった覚えがあるか、聞かせてもらいたい」
「何事かと思ったら。そりゃそうよ」
 緊張が解け、笑みを浮かべた田町。
「朝、私が桜井君を見付けたとき、すぐそばまで近寄ったと言ったでしょう? そのタ
イミングで髪が落ちたのよ、きっと」
「最初は僕もそう推測し、スルーしそうになった。だが引っ掛かるものがあって、ちょ
っと立ち止まってみたんだ。田町さん、君は今日の朝から、桜の香りをさせていたそう
だね。今もだけど」
「香り付きの制汗スプレーを使ったから……」
「なるほど。ところで、遺体に付着していた毛髪は、スプレーを浴びた形跡はないよう
なんだ」

――続く




#1124/1125 ●連載    *** コメント #1123 ***
★タイトル (AZA     )  19/04/01  09:40  (269)
白の奇跡、黒の変事 3   永山
★内容                                         19/04/17 13:34 修正 第2版
「――」
 田町の顔色が変わる。血の気が引いたよう。学内探偵は言葉で詰め寄った。
「ぜひとも合理的な説明を聞きたい。田町さんにはアリバイがあるのだから、犯人とは
思っていないよ。とにかく僕は、状況を正しく認識したいんだ」
「待てよ、石動探偵さん」
 見かねた名和が、挑発気味の言葉を投げる。
「何かな」
「女性を相手にするときは、もう少し優しく接したら? 君みたいな急襲は、怯えさせ
るだけ」
「しかし、僕の疑問も尤もだろ?」
「田町さんの髪の毛があったからって、本人がその場にいたとは限らない。何者かが抜
くなり拾うなりした田町さんの髪の毛を、現場に置いたのかもしれないじゃないか」
「その可能性も無論、考慮に入れてるさ。犯人はあんな時間帯に、田町さんにアリバイ
が成立するとは夢にも思わず、偽装工作に走ったのかもしれない。そういったことも含
めて、今は彼女自身の口から意見が聞きたいんだ」
「無意味だ。田町さんにはアリバイがある。偽装工作だとしても、彼女の知らないとこ
ろで行われた。事件究明には役立たない」
「それは違う。少なくとも、田町さん自身に、毛髪が付着する状況に心当たりがあるな
ら、偽装工作の線は消せる」
「――」
 さらに何らかの反論をしようとした名和の肩を、牛尾が掴んだ。
「冷静になれ。石動が正しい」
「しかし」
「答えるかどうか、田町さんの次第だ。沈黙も権利、だよな、探偵?」
 牛尾の急な問い掛けに、石動は少しも動じず、「イエス」と即答した。そうして改め
て、田町を見据える。
「お願いします、田町さん」
「多分だけど、思い出したことがあるわ。ボタンが取れ掛かったのを、直してあげたの
よ。桜井君の制服の金ボタン。どれだったか忘れたけれども、第二じゃないのは確か」
 そのときの手つきの再現だろうか、身振りを交える田町。
「いつ、どこで?」
「昨日の放課後。五時にはなっていなかったと思う」
「昼休みのあとにも、会ってたんだ? なるほど。話の腰を折って申し訳ない。場所は
どこで?」
「第二理科準備室よ。ついでに言えば、二人きりだった」
 黙って聞いていた名和だったが、この返答には多少狼狽えた。返事をもらわない内か
ら、ホワイトデーの前日にあの狭い教室で二人きり?
「ふむ。となると、どうして準備室で会うことになったのかが知りたいな。バレンタイ
ンの答は翌日なのに」
「それは……今日の返事によってはそれで縁が切れるかもしれないと思ったら、ちょっ
とでも会っておきたくて」
「なるほどなるほど。心理的には筋道が通っていると言えなくもない。そこまで不安な
ら、今朝返事を聞く勇気を出すのも大変だったんじゃない?」
「そんなことは。朝起きて、外の雪を見たら、奇跡が起きるかもって感じたから」
「あ、そういう」
 石動が納得の表情を続けている。そんな学内探偵を見て、名和はようやく落ち着いて
きた。この分なら問題ない。
「ちなみにだけど、田町さんがそういう心理状態になるってことは、他の三人も似たり
寄ったりだったんじゃないかな」
「さあ? 他人の心の中は見えないから」
「五時前に会った際、桜井にそういう素振りはなかったのかな。他にも女子と会う予定
があって、待たせている感じとか」
「だから分からないって」
 田町の声が少しいらいらを帯びる。石動の質問の狙いがどこにあるのか見えない。
「合鍵を事前に預かったこと、他の三人には言った?」
「言ってないわ。ただ、桜井君は隠す気はなかったみたいだけど。伏せておいてあとで
知られたら、変に勘繰られるからっていう。だから聞かれてたら教えてたかもね」
「答えてくれてありがとう。うん、ますますこんがらがってきた」
 発言とは裏腹に、嬉しそうな石動。
「何だよ、解決に向かってるんじゃないのか」
 牛尾が呆れ口調で問い質すと、石動は「向かってはいるよ」と事も無げに答えた。
「実を言うと他の三人――児島さん、渡部さん、大森さんの内、児島さんと渡部さんは
昨日の下校時刻が午後五時前後なんだよね。だからってあの二人が桜井と会っていたと
は言えないが、どうしても気になる」
「細かいことを気にしすぎだ。クラスが同じなんだ。下校時間なんて、だいたい似たよ
うなものさ」
 名和が意見するが、石動は芝居がかった様子で首を傾げた。
「通常の授業進行がされているなら、その理屈を採用してもいいが、三月のこの時期、
試験も終わって割とフレキシブルだ。終わったあと、学校に残るか早く帰るかは分かれ
がちじゃないかな。児島さんと渡部さんは、バレーボール部と文芸部それぞれの活動に
参加しているが、終わったのは四時頃。田町さんを含めて三人が五時頃に下校というの
は、果たして偶然だろうか」
 名和と牛尾には答えようのない質問。自然と、注目は田町に。石動は改めて聞いた。
「帰宅部の田町さんは、桜井と会うまでの間、どう過ごしていたんだろう? 授業は午
後三時で終わったはず」
「……他の人達は? 下校するまでの間、何をしていたのか」
「うん? それを聞いてどうしようっていうのか知らないけど、まあ教えてあげよう。
驚くべきことに、二人とも図書室で時間を潰していたと答えた。ところが、図書室は蔵
書整理――傷んで修繕に回す本をピックアップするため、昨日開いていたのは昼休みま
でで、午後四時から一時間を過ごすなんてできない。文芸部の渡部さんが図書室の休み
を知らなかったのはミスだね。よほど重要な事柄に気を取られたのかな」
「間違いを質して、追及しなかったのか?」
 名和が我慢できずに割り込む。
「今はね。あとで切り札になる可能性を秘めていると判断した。ただ、もしも彼女達二
人が怪しいとなったら、今度はアリバイがないのが不自然だ。二人いるのだから、お互
いのアリバイ証言ぐらいしてもよさそうなものなのに。雪のおかげで誰にも現場を出入
りできない状況が偶然できあがってなければ完全に容疑者だ」
 石動のその評価は田町にも当てはまるように、名和には聞こえた。
「僕にそこまでの権限はないが、警察ならその内、児島さんと渡部さんの間で連絡を取
り合った形跡がないか、調べるかもしれないな。さて、こちらからの質問には答えてく
れないのでしょうか、田町さん」
「……大森さんと会ってたわ。あっちの方から声を掛けてきたの」
 田町が絞り出すような口調で答えた。
 まただ。また、秘密にしていたことが出て来た。名和は驚くのに疲労感を覚えた。
「放課後、帰りかけていたら、廊下で呼び止められて。何事かと思ったし、わざわざ付
き合う必要ないと考えた。でも、合鍵を預かったことを知っていると言い出して。なら
話を聞こうじゃないと思い直したの。それで……北側の裏庭に出たんだったかな。日差
しがなくて、あんまり人が行かないところよ。寒かったわ。大森さんが言うには、『田
町さん、鍵を預けられたり、バレンタインの返事一番目だったりして、期待してるかも
しれないけれど、ほどほどにしておいた方がショックが少なくていいわよ』だって。正
確な言い回しじゃないけど、こんな感じだった」
「ホワイトデー目前に凄いな。あの勉強のできる大森さんがねえ。喧嘩になったんじゃ
ない?」
「そんな暇なかったわね。あっちは言うだけ言って、帰ってしまったし。こっちはショ
ックでしばらく呆然としてた」
「呆然となったってことは、つまり、実は大森さんがすでに桜井と付き合っているんだ
と思った?」
「当たり前でしょ。あんな風に言われて、察知できなかったら馬鹿じゃないの」
「ま、そうか。で、そのあとどうしたの? 三時過ぎに大森さんとやり取りしただけな
ら、二時間もいらない」
「三十分ぐらい考えて、あることを思い付いた。二人にも知らせようって。だから部活
動が終わるまで待っていた。学校の中をぶらぶらしていたわ」
「二人っていうのは、児島さんと渡部さんだね。それから?」
「渡部さん、児島さんの順に声を掛けた。文芸部の方が少し早く終わったから。同じク
ラスだからかしら、いきなりの話でもちゃんと聞いてくれたわ。話したあと、誰かが―
―児島さんが言い出したんだったかな。本人を問い詰めに行こうって。最初、大森さん
にと思ったら、桜井君にだって。考えてみれば、大森さんを問い詰めて水掛け論になる
よりは、桜井君に直に聞きに行く方が建設的よね。そこで三人で桜井君を探すことにし
て、とりあえず第二理科準備室に向かったの。そうしたら彼、まだ下校してなくて、そ
こにいた」
「佳境に入る前に確認だけど、さっきしたボタン云々のエピソードは?」
「嘘よ」
 あっさり認める田町。その様子に、名和は内心でまたまた衝撃を受けた。慣れない。
顔に出ないようにするのに必死で、喉が渇く。
「桜井君は部屋に一人でいて、便箋に何か書いていた。私達が入って行くとすぐに隠し
てしまったけれども」
「ノックせずに入ったのか」
 牛尾が言った。この場にふさわしいようなふさわしくないような、微妙なライン上の
質問だ。田町は彼の方を向くと、早口で答える。
「桜井君を探していたんだから、鍵が掛かっているかどうか確かめる意味で、強く引い
たのよ。そうしたら開いちゃったって訳」
 それから再び探偵へと向き直った。
「このあとも言いましょうか」
「ぜひ」
「桜井君、目を丸くしてびっくりしてたわね。私達が大森さんの話をぶつけて、とっく
の昔から付き合ってるんじゃないのって詰問したら、即座に否定した。私達もすぐには
信じられなくて、証拠を出してとか、スマホを見せてとか、無茶な要求をした」
 証拠を出せだのスマートフォン云々だのが無茶という認識はあるんだ、と名和は少し
安堵する。この分なら、まだ平和で冷静な話し合いができたに違いない。
 ところが。
「ただただ否定するばかりで要領を得ないし、合鍵を私に預けたことを大森さんが知っ
ていたいきさつも、何だかはっきりしない言い種だったから、児島さんと渡部さんが収
まらなくて。私? 私はこの二人に内緒で合鍵を預けられた立場でもあるから、一歩退
いて見ていたつもりよ」
「その辺はともかくとして、桜井の弁明はうまくなく、女子の不満は解消されなかった
と。それから?」
「……信じてもらえるかどうか」
 不意に声量が小さくなる田町。不安げな眼差しを名和に送る。前日のその修羅場に居
合わせなかった名和には、どうしようもない。「正直に話すしかないよ、多分」とこれ
また小さな声で呟くくらいしかできなかった。
「いきなり、児島さんが近くにあった顕微鏡を持って、高く振り上げたの。脅かすつも
りだったんだと思う。事実、素直に白状してとか、そんなこと口走ってたし。それを見
て、渡部さんが本気にしちゃったみたい。慌てて児島さんの腕にしがみついた。後ろか
らだったわ。まさか味方のいる方角から余計な力が加えられるとは想像してなかったん
でしょうね、児島さん、顕微鏡を取り落としてしまって。桜井君の頭に当たった」
 静寂が降りた。顕微鏡は不幸な偶然の連鎖で、桜井茂の頭に落ちたのか。
 だが、謎はまだ残っている。いち早く静寂を壊したのは、もちろん石動。
「桜井はどうなった?」
「短い呻き声を上げて……あんまり思い出したくないのだけれど、ここまで喋ったら、
もう言わなくてはだめなのよね」
「そう願いたい」
「……呻いて、静かになって、蹲ったわ。それから『痛え』とか言いながら、床に仰向
けに。血が少し出ていた。児島さんも渡部さんも狼狽えてた。どうしようどうしようっ
て繰り返したり、桜井君に謝ったりして。私はポケットティッシュを出して、血を拭っ
て上げようと思ったのだけれど、二人が邪魔ですぐにはできそうにない。そのときふと
転がったままの顕微鏡が目にとまって。拾ってテーブルに置いてから、丁寧に全体を拭
ったわ。そのあと、二人が多少落ち着いてきたから、桜井君のそばに駆け寄って、血を
拭いた。髪の毛が落ちたのはこのときかも。桜井君、“事故”のきっかけを作った児島
さんと渡部さんに対しては、邪険に腕で払う動作をしていたのに、私が近くに来たら大
人しくなったから。だから、二人の髪の毛は、彼の身体の上に落ちなかったのかもしれ
ないわね」
 思い出したくない出来事を語りつつも、冷静に分析してみせる田町。
「桜井君はずっと意識があって、命に別状があるなんてとても見えなかった。その上、
あんな目に遭って血まで出たのに、怒らずにいてくれた。きっぱりと、『まだ誰とも付
き合ったことないから。明日になれば分かるから』って言ったのよ。もう信じるしかな
いでしょう?」
「確かにね。しかも君達に希望を与える言葉に聞こえる」
 石動は口ぶりこそ軽めだったが、表情は厳しくなっていた。
「そのあと、どうなった?」
「病院か、せめて保健室へ行こうと言ったんだけど大丈夫だって、桜井君。一人にして
くれ、しばらく休んでから帰るって。椅子に座り直してまた筆記用具を出す様子だった
から、本当に大丈夫なんだと思えた。私達三人は部屋を出て、ばらばらに帰ったわ」
「準備室から去る間際、桜井の姿が見えていた?」
「ええ。扉を開けて、すぐ目に入る位置だった」
「当番の西谷先生が見回りに来たときは、見えにくい場所に移動していたことになりそ
うだな」
 考えるためか、口を閉ざして静かになる石動。
 名和はその間、田町に何か言葉を掛けようとした。しかし、感性を総動員しても何ら
よい言葉は浮かばない。
「田町さん、事実なら、関係している女子二人と早く会うか、少なくともいつでも連絡
が取れるようにしておくべきだ」
 牛尾が言った。
「連絡ならいつでもできるわ」
「だったらすぐ取ってみたら? 児島さんと渡部さん、二人ともに知らんぷりされた
ら、君だけが立場を悪くする」
「そんな」
「クラスメートといったって、元々、恋敵だったんだろう? 己かわいさに保身に走っ
てもおかしくない」
 牛尾の極論を、名和は今日何度目かの驚きを持って聞いていた。こんなにドライな計
算ができる奴だったんだ、と。
「名和もそう思わないか?」
「あ、ああ。僕は何とも言えないけど、最悪のケースに備えるのは大事だと思う」
「そう言うんだったら」
 携帯端末を手に取る田町を、やり取りを聞いていたのか石動が手で制した。
「しなくていい。現在、児島さんと渡部さんには、見張りが付いている。最低限、身を
隠されないようにするためだが」
「見張り? って、それ、警察の人?」
「違う。警察だって張り付いているかもしれないけど、僕が言ったのは、僕と同じ学内
探偵」
「なに、他にもいるのか」
「当然。考えれば推測可能だろ。少なくとも一人、女子の学内探偵がいるとね」
 言われてみれば確かにそうだ。
「石動を含めて、三人以上いるんだな?」
「イエスとだけ答えとくよ。あっ、今回は僕が主導しているんだ」
 一体全体いかなる組織系統になっているのか。尋ねても教えてくれまい。こうして石
動が正体を明かしていること自体、特例と言えよう。
「さて、こちらが掴んでいる情報でも、大森さんが以前から桜井茂と付き合っていたと
いう話は全く出て来ていない。恐らく、大森さんのブラフ、はったりだったのだろう」
 石動の見解に、田町が「あの女――」と舌打ちする。
「まあまあ、落ち着いて。大ごとになってしまったが、桜井が嘘を吐いていなかった点
だけは、よかったと言えるんじゃないかな」
「そんな悠長なこと言ってられないわよ。下手したら私達みんな捕まるでしょ? 傷害
か何かで」
「今さっきの話が正確なら、田町さんは関係ないみたいだけどね。事故ということで決
着したいのは山々なんだけど、当事者が命を落としたからな」
「桜井が死んだのって、さっきの怪我と関係あるのか? 確か、二度、殴打された痕跡
があったと聞いたから、二度目の殴打で亡くなったんだとばかり」
 名和が捲し立てる風に聞き返す。その勢いを押さえつけるかのように、石動は両手を
広げた。
「推測の域を出ないんだが、死亡推定時刻に人の出入りがなかったことが雪のおかげで
証明されている以上、状況を説明可能なのはこれしかないんじゃないかという仮説が浮
かんでいる。つまり――頭部に衝撃を受け、脳内出血が起きたとして、その量がごく僅
かずつになる場合がある。最初の内は本人がたいして重傷じゃないと判断し、自由に動
き回れることすらある。だが、きちんと診察・治療を受けないまま過ごしていると、
徐々に血が溜まって脳にダメージを与え、不調を来す。動作に支障が出て、たとえば前
のめりに倒れ、机の角で頭を打つなんてことも起こり得る。桜井茂は恐らく今言ったよ
うな過程を辿り、亡くなったんじゃないか、と」
「――いやいや」
 名和は反論の声を上げた。
「体調がおかしいと感じたなら、助けを呼ぶのが普通だ。桜井は携帯端末の類を所持し
てなかった? そんなこと絶対にない」
「端末の解析は警察がやっている最中で、僕はその内容を全く知らない。だからこれま
た推測しかできないが、多分、桜井は田町さん達を帰したあと、しばらくしてから意識
を失ったんだと考える」
「えっ?」
 短い叫びを漏らしたのは田町。両手のひらで口を覆っている。
「準備室の中、棚の向こう、奥に歩いて、出入り口から見えない位置に来たときだった
んだろう。床に崩れ落ちた。そのまま時間が経過して、西谷先生によって施錠される。
桜井が再び覚醒したのが午後九時半以降。すでに相当な体調悪化を自覚したに違いな
い。寒さもあるしね。病院へ行こうと考え、内側から扉を開けたまではよかったが、も
う自力では動けそうにない。次は当然、電話を使って助けを求める。ところが電話は倒
れた拍子にどこかに転がってしまっていた。探すために立ち上がり、床に目を凝らそう
として、再び倒れる。このとき頭を長机にぶつけた。この二度目の衝撃が即座に死をも
たらしたのか、あるいは単に意識不明に陥っただけで、死亡はその後の脳内出血の継続
によるものかは、専門家に判断を任せる」
「……」
 空気がひどく重くなった。沈黙が上から押さえつけてきている。
「絶対確実な証拠はない」
 石動が再び口を開く。
「ただ、これなら説明が付くんだ。雪の謎やアリバイは関係なくなるし、犯人が寒さを
我慢しつつ朝までやり過ごしたという心理的にあり得ない説を採らずに済む」
 学内探偵の示した最有力の結論。
 すすり泣くような声がした。田町からだった。短い間だけだったが、確かに彼女は泣
いていた。
 名和は田町のその姿を見て、少なからず安堵できた。

             *           *

 完結




#1125/1125 ●連載    *** コメント #1124 ***
★タイトル (AZA     )  19/04/16  01:53  (212)
白の奇跡、黒の変事 三   永山
★内容

注意!
『不具合が起きたのか、UPの途中で切れてしまったようです。一部重複を含め、続き
を上げておきます』

             *           *

 完結したかに見えたホワイトデーの出来事に、真の意味での終わりをもたらそう。
 学内探偵は、喉に刺さった魚の小骨を抜きに動いた。小骨ではなく、大きな骨と呼ぶ
べきかもしれない異物を。

「思い返してみれば、この事件の学校から外部、要はネットへの情報漏洩は極めて少な
かった。特に初期段階での噂レベルのやつはね」
 探偵は言った。
「それは十四日の朝休みから一時間目の時点で、ほぼ何も分かっていなかったからじゃ
ないかと思う。警察の到着を目撃した生徒が発生源になって、学校内で何事かの異常事
態が起きた、くらいのことは広がり得るが、誰かが死んだとかいう話になると難しい。
にもかかわらず、君は当日の朝、クラスメートの一人に桜井茂の死を噂として伝えたみ
たいだ」
「別にどうってことない。俺も噂を聞いて、広めただけさ。最初に言い出した奴の勘
が、たまたま当たったのかもな」
「ふむ。ところで、十四日の朝は、やけに早く学校に着いたみたいだね」
「そうだったかな」
「普段、たいていは男友達と一緒に通学していると聞いたよ?」
「目が早く覚めてしまって一緒にならないことも、たまにはある」
「だけどちょっと早すぎやしないかい? 十四日朝、学校周辺の防犯カメラ映像をくま
なく見ても、制服姿の君は見付からなかった。時間が早かったんじゃなくて、スピード
が速くてカメラにも映らなかったのかな」
「……」
「まさかとは思ったが念のため、前日夜の映像を調べた。すると、午後八時四十ないし
四十五分に掛けて、黒いコートを纏って黒い帽子を目深に被った人物が、君の家と学校
とを結ぶ道の二箇所で映っていた。一つは飲料用自販機で何かを買うところで、もう一
つは雪の降る中、猫背気味に急ぐところ。慎重にルートを選んでも今のご時世、それな
りに都会だと防犯カメラに全く映らずにいるのは難しい」
「そのコートと帽子の人物が俺?」
「コートなんかは今まさに君が着ている物とそっくりだが、確証はない。まあ、歩き方
で個人特定をするソフトが存在するから、そいつに掛ければ、あるいは人物の同定は可
能かもしれないね。証拠として認められるかは別として」
「黒尽くめの人物が、学校に入ったかどうかも分からないんじゃないのか」
「僕は黒尽くめとは一言も口にしてないが、まあいいさ。そう、君の言う通り、学校を
出入りするところは目撃されていないし、防犯カメラもプライバシーへの配慮からか、
出入りを見張るような位置にはない。タイミングから言って、そいつの学校到着は午後
八時五十分前後だろうな。雪はまだ降っていた頃だし、門の辺りに積もった分は、ちょ
うど出て行った西谷先生の車のタイヤ跡で多少乱れていたろうから、躊躇なく足跡を残
せる。門を開けて通るには何の問題もない。あるいは、先生が帰るのよりも先に、そい
つが学校に着く場合もあり得る。先生がいつ出て来るのか分からないから、運悪く鉢合
わせすることのないよう、門を避けて裏手の塀を乗り越えたかもしれない。
 問題があるとしたら、いかにして校舎内に入るかだ。計画的な行動なら、前もってど
こか目立たない窓を開けておくか、鍵を複製しておくかするのも手だけど、この事件は
突発的のようだからね。さて、この問題、少し見方を変えると、簡単になる。中にいる
人物に開けてもらえばいい。夜九時になろうかという学校に、誰が残っていたかって?
 桜井茂がいる。外から彼に頼んで、玄関を開けてもらったんだ」
「桜井は頭に顕微鏡を落とされて、意識を失っていたんじゃあ?」
「前に披露した僕の仮説ではそうだったけど、絶対とは言い切れない。西谷先生の見回
りを、桜井本人の意思で身を隠すことにより逃れた可能性もあるにはある」
「中にいる桜井に、どうやって伝える? 桜井の携帯端末に記録が残ってかまわないの
か?」
「いや、記録は残したくなかったはずだし、事実残っていなかった。ややこしく考える
必要はない。第二理科準備室は一階にある。窓をこんこんと叩けば、最初は驚かれるか
もしれないが、開けてくれるだろう」
「謎の人物と桜井はかなり親しかったことになるな。夜の学校で、そんな風にやり取り
したとするなら」
「ああ。そして君も桜井とは同じクラスで、一緒に遊ぶくらいには親しいんだろ。充分
じゃないか」
「俺なんて薄い付き合いだ」
「主観の問題だね。とりあえず、謎の人物は桜井のフォローによって、校舎内に入れた
とする。どんな会話を交わしたのかは想像するのも難しいが、田町さんか児島さん、渡
部さんの誰かから聞いたことにして、様子を見に来たとでも言ったのかな。温かい飲み
物を自販機で買ったようだし、家から調理パンや使い捨てカイロを持って来たかもしれ
ない。ともかく、表面上は穏やかだったはずだ。何せ、死亡推定時刻まで少なくとも三
十分ある。ところでここで一つ、浮かんで当然の疑問がある。謎の人物は桜井が夜の学
校にいることをどうやって知ったのか? それを君が言い出さなかったのはやや不思議
であるし、当事者だから自明で、疑問に感じなかったのかもしれない」
「――過大評価だな。単に思い付かなかっただけ」
「桜井が学校に残る原因となった女子三人の誰かから聞いたのか? 否。聞いたとした
って、桜井がずっと学校にいるとは考えまい。桜井自身が知らせることもあり得ない。
端末の記録があるからね。ではどうやって? 恐らく、盗聴だ。市販の盗聴器を使った
か、お手製か、それとも携帯電話を利した極シンプルな仕組みか。多分、謎の人物は自
宅で盗聴しただろうから、距離から言って盗聴器よりも携帯電話の利用がありそうだ。
二台購入して、家族間通話無料のプランでも使えば、つなぎっぱなしにしても料金を抑
えられるだろう」
「バッテリーが保たない」
「いや、充電器を通じてコンセントに差しておけば、ずっと保つ。詳しくないが、今の
バッテリーは、電源に差したままでも簡単には壊れないとも聞く」
「危険だ。簡単には壊れなくても、劣化は加速する。それ以上に発熱異常を起こす。温
度が上がると機能しなくなったり、最悪、火事の恐れもある」
「なるほど。でも――機械いじりが趣味で、得意な君には対策可能じゃないのかな。え
っと、調べたばかりで実際には試せていないが、ダミーのバッテリーをかませて、誤認
識させるとか何とか」
「……試すときは、もっとちゃんと調べた方がいい。まあ、やり方があるのは事実だ。
学内探偵というのは人が悪いな。何も知らない素振りで、鎌を掛けてくる」
「“学内”を外してくれていいよ。さあて、そういった盗聴器を仕掛ける機会は、いく
らでもあるだろう。目に付かない場所にコンセントがあればね。で、第二理科準備室内
の動向を把握した謎の人物は、あるとき桜井に対して殺意を抱いた」
「ちょっと待った。謎の人物は盗聴内容をいつ聞いた? 午後五時の田町さんら女子三
人が桜井に詰め寄ったときなら、俺は当てはまらないぜ。友達と一緒にいたからな」
「リアルタイムで聞く必要はない。多分、自宅で延々と録音できるシステムになってる
んじゃないかな。帰宅後、それを1.5倍速ぐらいでチェックするか、適当な時間帯に
当たりを付けて聞けば済む」
「……」
「いいかな? 十三日の何がきっかけになったのか。今、君が言ったくだりだとは思う
が具体的な動機となると分からない。想像を逞しくするに、桜井はやはり大森さんと密
かに付き合っていたのかな。だとしたら、あの日彼は大きな嘘を吐いたことになる」
「知らんよ。そちらの情報網に引っ掛からないことがあると認めるのか?」
「もちろんある。スパイ組織じゃないんだ。それまでの人間関係に重点を置いた口コミ
レベルがメインで――ま、そんな説明はいいか。とにかく、義憤に駆られたか、三人の
女子の誰かが好きなのか、謎の人物は桜井に対して制裁を加えねばと考えた。盗聴音を
チェックすると、桜井はまだ学校にいて、しかも怪我のせいで本調子からは程遠い。絶
好のチャンスだ。謎の人物は夕食後、家族には勉強があるから邪魔しないでとか言って
人払いしてから、密かに抜け出し学校に急行。先程述べたやり方で校舎に入った。食べ
物で油断させた相手の隙を見て、再び顕微鏡で殴打したのか、机の縁に叩き付ける。す
でに結構な重傷だった桜井は、呆気なく動かなくなったと思う。目的を果たした謎の人
物、犯人は急いで帰ろうとしただろう。しかし、やらねばならないことに気付いた。ま
ず、盗聴に用いた携帯端末の回収だ。これは簡単だったろう。次に考えたのは、このま
ま遺体を放置すると、田町さん達三人が疑われるか、少なくとも彼女達にプレッシャー
を与えることになるという事実。撲殺とは違うやり方で殺すべきだったと後悔したかも
しれないが、ときすでに遅し。今さら刃物傷を付けるか、紐で首を絞めた痕を残すかし
ようにも、道具がない。いっそ、顕微鏡で滅多打ちにしてやろうかとも考えたかな。そ
うこうする内に、犯人は異変に気付いた。家から持ってきた物の内、消えた物がある
と」
「学内探偵ってのは、『講釈師、見てきたような嘘を吐き』の口だな」
「かもしれない。まあ、今まで聞いてくれたなら、最後までお付き合い願うよ。桜井は
死の間際に、最後の力を振り絞ったのさ。犯人が持って来た、犯人の指紋が付いている
であろう品を身体のどこかに隠したんだ。最初、犯人はその意図にも気付かず、ただた
だ探したかもしれない。部屋の電灯をつける訳にもいかなかったろうから、明かりは自
らの端末のバックライト頼みで、探すのはひどく手間が掛かっただろうしね。かなり時
間が経過して、桜井が隠した可能性にやっと思い至る。が、その頃には死後硬直がぼち
ぼち進んでいたんじゃないか。犯人は死体のあちこちを調べて、桜井の口の中に何かあ
ることを発見したんだと思う。でも、顎の硬直は早い段階に起きるとされる。簡単には
開けられず、犯人は途方に暮れたろう。だからこそ、犯人は校舎内にとどまったんだ。
死後硬直がましになるまで、とどまらざるを得なかった」
「確か死後硬直は、死後十二時間で最高潮を迎えるんじゃなかったか? いくら待って
も硬くなるばかりで、朝を迎えてしまうだろう」
「それはあとから調べて得た知識かい?」
「……」
「はは。犯人も待つ内に、どんどん硬くなっている、まずいと実感したろうね。空が白
み始めた頃だろうか、猶予は最早ないと火事場の何とやらを発揮して強引に口を開け、
中から物を取り出した。遺体が口を開けたいのか閉じたいのか、奇妙な具合に捻れてい
たのはこのせいだ。朝が近くなると、犯人が学校を出るメリットはほとんどない。とど
まる方がましというレベルに過ぎないが、とにかく犯人はタイミングを見計らって、内
側から第二理科準備室の鍵を開錠し、廊下に出た。コートの下は学生服を着ていたんだ
ろう、だからこそこんな無茶をやってのけた。学生鞄がないのはよくないが、時期的に
どうにか乗り切れる。あとは……高校生としては歯磨きぐらいはしておきたいところだ
が、はて、どうしたんだろう。たまたまミント風味のガムでも持っていたなら、ちょう
どいいんだが」
「――その落ちで話は終わりか」
「終わりにしてもいいけど。このままだと、帰ってしまいそうだね」
「当たり前だ。証拠のない、単なる妄想に付き合ってやっただけ、感謝してもらいたい
ね」
「証拠ね。たとえば第二理科準備室に君のと思しき毛髪があったり、機械工作の際に出
たと考えられる銅粉が落ちていたりというのは?」
「犯行の立証にはならん。俺もあの教室には以前入ったことがある。銅粉なんて、そも
そも誰の物だか分からないだろうが」
「なるほど、確実性に欠けると。他に何かあったかな。ああ、そうそう」
 探偵は芝居がかった仕種で手のひらを見つめ、急に閃いたように手を打った。
「現場から消えている物があるんだけど、分かるかい?」
「俺は犯人じゃないから、分かる訳がない」
「いや、事件の概要を聞いた人なら、ぴんと来てもいい物なんだ。普通なら警察が調べ
るであろう物なのに、全然出て来ない。遺体が発見される前の時点ではあったはずなの
に、消えているんだ」
「……仄めかしはやめろ。試験されるいわれはない。答を知っているなら、もったい付
けずに言えっての」
「じゃあ教えるとしよう」
 探偵は一歩、いや二歩踏み出し、彼我の間の距離をぐいと詰めた。そして右手にして
いた毛糸の手袋を取る。
「な、何のつもりだ?」
「こうして袖をまくって、その黒のコートのポケットに手を突っ込みたいと思ってね。
手には手術用のラテックス手袋を填めているよ」
「よせ、やめろ」
「君は君自身が証拠は残さなかった自信はあるかもしれない。だけど、桜井の執念をど
こまで推し量れたかな……」
 探偵が右手をポケットからゆっくり引き抜く。その人差足指と中指とが、小さな物を
摘まんでいた。小指の先サイズの白い玉。しわくちゃに丸められた紙のようだ。探偵が
開いて、しわをのばす。
「これはこれは。思惑通りの代物が見付かったよ。桜井茂は自身の体調を鑑み、他人に
見られたら小っ恥ずかしいからと一旦破棄するつもりで丸めたな。それを咄嗟の閃き
で、犯人のコートのポケットに入れるなんて、なかなかのアイディアだ」
 探偵が広げた紙――便箋の表をこちらに向けた。
 そこには、桜井茂から田町由香莉へ宛てた返事が長々と綴られていた。

――終わり

※さらなる蛇足

「誰に春が来たのか知らないが、僕としては春が来るのが遅れて助かった」
 コートをクリーニングに出されていたら、証拠はぼろぼろになって消えていた恐れが
強い。そんな意味で探偵は言ったのだろう。
 それから項垂れる相手に対して、敢えて明るい調子で尋ねる。
「ところで、差し支えがなければ後学のためにも教えてもらいたいんだが、いいかな
?」
「……何」
「さっきは軽く触れただけでスルーしたが、実は動機が理解できていないんだ。最初
は、君が女子三人の内の誰かが好きで、その彼女に対して不誠実な桜井を罰したんだろ
う、ぐらいに考えていた。けれども、何だかおかしい。僕が田町さんを追い詰めたと
き、すなわち女子三人を追い詰めたとき、君は三人の誰もかばおうとはしなかった。田
町さんには多少の助け船を出した程度で、僕が示した説を早い段階であっさり受け入れ
た。君が真犯人なら、目的と行為とが齟齬を来している。好きな相手が大森さんかとも
想定したが、それだと十三日の盗聴を聞くよりも前に、決定的な会話を傍受し、動機が
生じているはずだ。わざわざホワイトデーを待つ必要はない。一体全体、君は何のため
にことを起こしたんだい?」
「ふふ。探偵にも分からないことがあるのは愉快だから、秘密にしておきたい」
「それならそれで仕方がない。動機について――大切なことに違いない動機について誤
認されたまま、残る人生を送ればいいさ」
「挑発がうまいな」
「武器の一つだからね」
「正直なところ、差し支えがあるんだ。そっちの胸の内に仕舞い込むと約束してくれる
のなら、話してもいい」
「……今の言い方で分かった気がするが、約束しよう。夜の学校にいきなり現れた君
を、桜井がすんなり入れたのは、そういうことか」
「ああ。愛は憎しみの始めなり、さ」

――蛇足、終わり




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