AWC ●連載



#1115/1117 ●連載
★タイトル (AZA     )  18/09/14  22:54  (487)
無事ドアを開けるまでが密室です <上>   永山
★内容                                         18/09/19 13:51 修正 第2版
「遅いですな」
 ごつごつした拳を所在なげに重ね直しながら、山元修(やまもとおさむ)が言った。
つぶやきと呼ぶには声が大きい。彼の目線は部屋奥の壁際に立つ柱時計を見ていたよう
だ。午前八時が近い。
「次郎様は朝寝するのが常でございますから」
 メイド兼執事の廣見郷(ひろみさと)が答える。ちょうど各人の前に飲み物を置き終
わったところで、空になったお盆を小脇に抱えている。館の主・牧瀬次郎(まきせじろ
う)の雇われ人であるのは間違いないが、年齢及び生物上の性別がよく分からない。昨
日はメイド服で出迎えてくれたが、今朝はスーツ姿(もちろん燕尾服ではない)。白い
肌のほっそりした足を見た限りでは女性っぽいのだが、肩幅が広くて背は高く、声は低
い。まあ、細かいことは気にしまい。
「それでも、客を招いておいてこれは、ちっと遅すぎじゃあないですかね」
 言外に、失礼だというニュアンスを匂わせる物言いの山元。同意を求める風に、朝食
の席をざっと眺めた。昨日の初対面時、元公務員と称したが、お役所勤めだったにして
は少々粗野な面が表立ってる。
「確かに遅い。先に食べてかまわないとか何とか、言ってくれていればともかく」
 上神楽太(かずわらくた)がお腹を片手でさすりながら呼応した。職業芸人で、この
名前は芸名である。たまにテレビ番組に出演しており、いわゆるお笑い芸人に疎い私で
も彼の顔は知っていた。年齢二十八にして声帯模写歴二十五年と謳っているが、あなが
ち嘘じゃないと思わせるレベルと言えそう。
「その点につきまして、特段の指示は受けておりませんが、通例に倣いますと、やはり
確認が必要かと」
「だったら確認取ってきてくれ。あ、いや。その上でだめだと言われたらますます腹が
立つな。一緒に行こうじゃないか。起こしてやる」
「それは――」
 廣見が答える前に、山元は蹴るように席を立った。空手の有段者と聞いているので、
本気で蹴ったら色々と壊れそうだ。歳は四十代後半といったところだろうが、まだまだ
エネルギーが有り余ってる雰囲気だ。
 山元の勢いに押されたか、先を行く彼に続いて、廣見も食堂を出て行く。ドアのとこ
ろでくるりとこちらを振り返り、頭を深く下げた。
「あの様子だと、たとえ起きてきても、一発ぐらいぶん殴りそう」
 ドアから視線を戻し、肩をすくめたのは丘野良香(おかのよしか)。舞台女優との自
己紹介だったが、私は顔も名前も見聞きしたことがなかった。見たところ歳は三十絡
み、険のある顔立ちだが整っている。
「万が一のときに止めるため、殿方がもう何名か行かれた方がいいのでは」
「空腹でしんぼうたまらんのが本音ですが、下手に騒いでつむじを曲げられても困るの
は皆一緒だし」
 丘野に応じた上神が、こちらに顔を向けてきた。
「水地さん、行きますか」
「かまいませんよ。そのいざというときに、私の腕力では、全然役に立たないでしょう
が」
 私は上神が立つのを待って、あとに続いた。
 館の主・牧瀬の自室は、食堂や客間からは少し離れた位置にある。直線距離を測るな
ら近いだろうが、細くて折れ曲がった廊下を行かねばならないため、時間を要する。一
本道とは言え、食堂から徒歩で五分はかかる。昨日、歩いたときの実感だ。
「念のため、急ぎますか」
 こちらから促すと、上神は「それもそうか」と呟いて、急に走り出した。足早にとは
思っていたが、走るつもりはなかったので面食らってしまう。それでもすぐに追い付い
た。
 最後の角を曲がったところで見通すと、先発した二人は牧瀬次郎の部屋の前に立って
いた。機嫌の悪い“主人”に追い出されたのかと思いきや、そうではないらしい。
「次郎様、次郎様」
 廣見が平板な調子ながらも声を張って呼び掛けていた。その右手は拳を作り、時折ド
アを静かにノックする。
「イヤホンかヘッドホンで音楽なんかを聴く趣味はあるのかい?」
 山元がじれったそうに足踏みをしながら、廣見に聞いた。その頃には私達もドア前に
到着していたが、黙って立ち尽くすしかない。
「ありません。ご自身のお屋敷で、ご近所様とははるかに距離があるのに、何に遠慮す
る必要がございましょう」
「理屈はいい。だったら、何で反応がないんだ?」
「さあ……」
 言い淀む廣見に代わり、私は口を挟んでみることにする。ドアノブに手をやって、確
かに施錠されていることを確認してから言った。
「呼び掛けても、起きてこないんですね? 在室は確かなんですか」
「朝早くに邸内を見回ったところ、玄関でスリッパを脱いだ痕はありませんでしたし、
靴を出した気配も同様で……」
「そもそも、今朝起きてからあなたは牧瀬氏と会ったのかな?」
「いえ、まだです。いつものことなので」
「うーん。部屋の出入り口はここだけ? 庭へ出られたり、別の部屋につながっていた
りとかは?」
 私の続けての質問に、廣見は首を横に振った。そして何か声に出して答えるつもりだ
ったようだが、私はかまわずに言葉を被せた。
「では、睡眠薬の類を服用した可能性はどうでしょう」
「それもないと思います。薬はお嫌いな方で、絶対に服まない訳ではございませんが、
眠れないからと睡眠薬を口にするようなことはないと断言できます。そもそも、この屋
敷には睡眠薬は置いてないのです。風邪薬ならございますが」
 いよいよ緊急事態か? 返事のないことを説明する状況を他に思い付かなかった私
は、何らかのアクシデント発生を想像した。が、後方から上神が些かのんきに意見を述
べた。
「もしかして、どっきりってことはないかいな?」
 上神は肥え始めた兆しのある身体をぬるりと動かし、私達の間を縫うようにして前に
出る。次いで、さっき私がやったのと同じようにドアノブをガチャガチャ言わせた。
「哀れな犠牲者が鍵を開けて入ってくるのを待ち構えているかもしれんね。どんな仕打
ちを用意してるのやら」
「どっきりだの仕打ちだの、我々が騒いでいるのを知りつつ、わざと出て来ないでいる
というのか」
 いち早く反応したのは山元。口調は荒っぽく、左の手のひらに右拳をばん、ばん、と
当て始めた。待たされている上に、そんないたずらで時間を取らされていたのだとした
ら、彼でなくとも怒りが増すだろう。
 私はなるべく穏便に事を進めようと、提案した。
「何にしても、鍵を開ければ分かることです。廣見さん、合鍵があるでしょう? 取っ
てきてくれますか」
「それが、次郎様が私用に使う部屋については、合鍵がございません。他人に開けられ
る可能性を残しておくのが嫌だと仰って、処分されてしまったのです」
「何、じゃあ、もしも急病で倒れる等していても、すぐには開けられないということで
すか」
 私の口ぶりは驚きと呆れを綯い交ぜにしたものになっていた。廣見は間髪入れずに答
えた。
「そのような場合が万が一にも起きれば、遠慮なくドアを壊して入れと言われておりま
す。出入りできるのはドアだけで、窓は高い位置に明かり取りの物が数箇所あるだけな
ので」
「それならそうしようじゃないか」
 山元が即座に主張した。有無を言わさぬ圧力がある。
「まあしょうがないんじゃない? 斧か何か持って来てよ、廣見さん」
 上神が相変わらずののんびりした声で言う。だが、廣見はこれにも首を横に振った。
「斧は昨日、山元様にお貸しした際に、持ち手が折れてしまい、使えなくなっておりま
す」
「あ、そうだった」
 額に片手を当てる山元。芝居がかった仕種は、斧を壊してしまったことの照れ隠しだ
ろうか。彼は昨日、牧瀬次郎のご機嫌取りのためか、斧を振るって薪作りに精を出して
いた。が、力が入りすぎたらしくて斧の柄を折ってしまったのだ。そのことで館の主は
怒ることはなく、薪作りについてちゃんと評価していた。
 この辺りで、我々が牧瀬次郎の館に集まった理由について、記しておこう。
 牧瀬次郎は表向き、芸術家を自称し、絵画や写真に凝っている。だが、実際の生業は
金貸しであり、ゆすり屋でもある。何らかの秘密を掴みうる立場にあり、かつ金に困っ
ている人間を見付けるところから、牧瀬の仕事はスタートする。そんな相手に金を貸し
てやり、返済が遅れたり新たに借金を申し込んできたりすると、返済を待つあるいは新
たに貸すことの交換条件として、秘密の情報を出させる。情報そのものが高く売れる場
合もあるが、それ以上にゆすりのネタとなる情報を牧瀬は好むようだ。ゆすりのネタを
掴むと、ターゲットを切り替え、金を脅し取る。相手が好みの異性であれば、金の代わ
りに絵や写真のモデルになるように要求する場合もある。
 この度、牧瀬の館に招かれたのは、この男の魔手に絡め取られた者ばかりであった。
無論、各人がどんなネタで脅されているか、牧瀬の口から具体的には言及されてはいな
い。君らは同じ立場の人間だとだけ言った。それで充分に伝わる。
 ただし、私個人に限って言えば、牧瀬と直接のつながりはない。私のある大切な人の
名誉を守るために、代理でやって来た。大切な人は既にこの世になく、彼女から代理を
頼まれた訳でもない。だが、何もせずにこまねいていると、彼女の秘密が公にされてし
まう。いきさつを知ってしまった私は、彼女の尊厳のために動くことを決意した。
 昨日、牧瀬は私達を前に宣言した。「明日以降、君らにはギャンブルで競ってもら
う。その勝負で勝ち残った者と敗者復活のゲームで勝ち残った者を除く全員の秘密を公
開するから、本気で臨んでもらいたい」と。
 何のギャンブルをするかなど詳細は今朝、発表予定。時刻の明示がなかったため、遅
れているとは言えないが、主が起きてこないのでは話が進まない。立場はこちらが弱く
ても、抗議の一つでもしてやろう……という気になっていたのだが、思わぬ事態が繰り
広げられつつあるようだ。
「他に適当な工具は?」
「大きな物はスコップぐらいです。あとは、極普通サイズの金槌やドライバー……」
 ドアの蝶番部分が廊下側に出ていれば、金槌やドライバーでそこを壊すことも可能か
もしれない。が、実際には生憎と逆向きだ。
「だったら、やむを得ん。力尽くでぶち壊してもかまわんですかな」
 指を鳴らした山元。空手の心得があるというから自信があるのだろう。その巨体でタ
ックルするだけでも、ドアを破れるかもしれない。
「先程申しました通り、次郎様の許可は出ています。山元様にお任せしますが、お怪我
をなさらないように」
「これは木材だな」
 山元は改めてノックし、言葉に出して確認を取る。
「金を持っていて、大きな屋敷に住んでる割に、意外と薄手のようだ。外見はプリント
されたシートでごまかしてあるのが分かるぞ」
 そんな風に見当を付けると、山元は我々に下がるように言った。それから彼自身の手
と足を見下ろすと、ジャケットを脱ぎに掛かった。すかさず、廣見が申し出る。
「お預かりします」
「あ、ああ。その前にハンカチを」
 ジャケットのポケットから濃いグリーンの大ぶりなハンカチを引っ張り出すと、右拳
に巻き付ける。バンテージ代わりということのようだ。ジャケットを持った廣見が再び
退いたところで、山元はドアを前に正対した。おもむろに呼吸を整え始め、長い息を吐
き、また少し戻した。かと思ったら、いきなり右拳を放っていた。
「うわっ」
 短く叫んだのは私だけじゃなかった。この場にいる山元以外の人間は、ドアをへしゃ
げさせて隙間を作るシーンを想像していたのかもしれない。だが山元は、ドアノブの近
くに突きによる打撃を一点集中させ、文字通り穴を開けた。
「これで鍵を……肝心なことを確かめ忘れていたが、内鍵は、客室と同じ位置、同じ構
造だよな?」
 右手を突っ込んだままの姿勢で、山元が肩越しに振り向く。そことは反対側に立って
いた廣見は、急ぎ足で山元の視界に入った。
「さようでございます。ノブの少し上にあるつまみを倒せば解錠されて開くはずです」
 二人のやり取りを聞きながら、私は室内の様子に注意を向けていた。できたばかりの
穴は山元の腕が差し込まれており、中は窺えない(そもそも山元の大きな背中が邪魔
だ)。しかし、これほど騒ぎ立てても、室内から牧瀬の動く気配は全く感じられなかっ
た。生きている気配、と言うべきだろうか。
「山元さん。念のため、注意してください」
「ん? 何だって?」
「これだけ音を立てて、牧瀬次郎氏は起き出すどころか、声一つ立てていません。もし
かすると……」
「急病と言いたいんだろう? だからこそこうやって開けたんじゃないか」
「いえ、そうではなく……死亡している、それも殺されている可能性があるのでは?」
「何を根拠にばかなことを言ってるんだ? ええっと、水地さん」
「強い理由はないですが、牧瀬氏に怨みを持っている人が昨日から、この屋敷に集合し
ています。誰かが思い余って殺したのかもしれないなと」
「……分かった。だが、安心してくれていい。昨晩、元公務員だと名乗ったが、実はそ
の公務員てのは警察官のことなんだよ」
「え?」
 驚く私達に、山元はにっと唇の端だけで笑って、それから鍵を開けた。錠の解かれる
乾いた音がかちゃり。
「よし、開いた。ま、念のため」
 山元は右腕を引き抜くと、半屈みになってドアの穴から中を覗く姿勢を取った。ドア
を全開にする前の安全確認という訳か。
「う?」
 山元がうめいた。警察関係者が呻き声を上げるとは、尋常ではない。
「どうしたんです? 誰かいるんですか? 牧瀬氏は?」
 矢継ぎ早の質問に直に応じる返答はなかった。代わりに、山元は急に乾いた声になっ
て言った。
「白いビニール袋が天井からぶら下がっている。サイズは大きなスイカ程度。中から人
の髪の毛みたいな物が覗いていて。半透明だから少し透けて見えるんだが、あれは人の
頭部に思える……」
 そこまで喋ると、山元は姿勢を戻し、ドアを押し開けた。山元がすぐには入らず、戸
口の前から退いた。おかげで私達にも部屋の中の様子が見えた。
 戸口のほぼ正面に、立派なデスクがあり、その椅子に腰掛けているのは男のようだ。
ようだと表現したのは、座る人間の頭部が見当たらなかったため。
 デスクとドアのちょうど中間ぐらいの地点。天井には照明器具を吊すためと思しきフ
ックがあり、片端を結わえられた虎ロープが垂れている。もう片端は白いビニール袋の
口を閉じると共に、袋自体をぶら下げる役割を果たしていた。長さは三メートル前後あ
ろうか。ビニール袋は、床から六十ないし八十センチメートルに位置している。数値が
曖昧なのは、ロープが少しばかり揺れていたから。揺れが収まると、だいたい七十セン
チだと見当付けられた。
 何よりも恐ろしいのは、買い物用と思われるその白いビニール袋越しに、目鼻が認識
できることだ。袋の口からは人毛らしき黒い髪が、トウモロコシの髭の如く飛び出てい
る。袋の中には赤っぽい液体がわずかだが溜まっているようだ。その液体がこぼれぬよ
うに用心のためか、袋の口はさらにもう一本、荷造り用のビニール紐らしき物で縛って
あり、その端が長く垂れ下がって床を掃いている。
「次郎様……?」
 不意に、自分と戸口との間に人影が。廣見郷だった。その肩をがっしり掴んだ山元
が、廣見を引き戻し、こちらを向かせる。
「主想いは感心だが、今はだめだ。あれはいたずらでも何でもなく、本物の遺体だろ
う。一見しただけでも犯罪の線が濃厚だってことは、子供にも分かる。よって警察に通
報する。君ができないのであれば代わりにやるが」
 結局、通報のための受話器は、廣見が取った。しかし、警察にはつながらなかった。
固定電話と壁のジャックをつなぐコードが、全て消えていたのだ。何者か――犯人によ
って処分されたに違いない。
「電話できないとは、まずいな」
 現場前に立って頑張っていた山元は、電話不通の知らせを受け、頭をかきむしった。
彼と一緒にいた上神は腹をさすりながら、「確かにまずい」と呟く。
「朝飯を入れないまま、街まで下るのはごめんでさあ」
 牧瀬次郎の館は、今では廃された村の奥の小高い丘に建っている。かつての地主の大
きな屋敷をそのまま購入し、改装したとのことだが、我々招待客は不便な立地に閉口さ
せられた。周囲に店はないし、公共の交通機関も通っていない。そもそも、まともな舗
装道は途中までで、野道山道を行かねばならなかった。
 恐喝者にとっては、我々にギャンブルを強制するため、逃げ出せない環境が好ましい
という訳らしい。ここまでは乗用車で連れて来られたのだが、現時点でその車は帰さ
れ、出て行くには歩くしかない。もしかすると、牧瀬が非常時に備えて、どこかに車を
隠している可能性はあるが……。そんな思いから、私は廣見を見やった。相手はコンマ
数秒で察した。
「生憎ですが、お車やバイクは用意されておりません。少なくとも、私は次郎様からこ
こにはその手の乗り物はないと聞かされておりました」
「あんたにも内緒で、車を用意しているってことはないか」
 山元が背後のドアをちらちら気にしながら、廣見に問うた。現場である部屋のドア
は、今は閉ざされている。もちろん、穴は開いたままだが。
「私は次郎様の言葉を信じております。ただ、次郎様が私に隠し事をなさらなかったと
は断言しかねます」
 どことなく悲しそうに廣見は答えた。
「じゃあ、隠せそうなとこはあるんだな?」
「いえ、皆目見当も付きません」
 山元は大きくため息を吐き出した。上神は俯きがちになり、かぶりを振った。人里ま
で歩くとなると、相当な距離がある。道中、アップダウンの激しい坂もあったのも悪い
材料になりそうだ。
「水地さん、あんたには他の連中に事態を知らせてくれって頼んだが、どうなってる」
 唐突に問われ、私は首を傾げた。
「どうと言われましても、伝えましたよ。そのあとすぐに、電話のところに行ったら、
不通だと言われて」
「そうじゃなくってだな。事態を聞いたはずの連中がここに来ないのは、何故なんだろ
うってことだ」
「そのことでしたら、私なりに判断して、待機していてくださいとお願いしたんです。
皆で押し掛けられると混乱しかねないし、山元さんが元警察の方だということでしたか
ら、お任せした方がよりよいと考えたんですが、いけませんでしたか」
「うむ。いや、ありがとう。確かにそうだ。水地さん、随分と落ち着いているように見
受けられるが、もしやそちらも警察関係か、あるいは死体に慣れた職業……医者や葬儀
屋かな?」
「いえいえ。しがない物書きってやつです。慣れているのは、事件の場に居合わせた経
験がこれまでにもあるからで」
 私が答えると、上神が恨めしげにこちらを見た。
「何だ、そうならそうと言ってくれればいいのに。山元さんと一緒に見張る役、代わっ
てもらいたかった。今ちょっと吐きそうになってるんで」
「現場周辺を汚されてはかなわんし、どうぞ行ってきてください」
 山元から促され、上神はドアの前から離れ、早足で去って行った。残った三人、私と
山元と廣見とで善後策を話し合う。
「警察に報せるために、街まで行くというのは動かしようがないとして」
 私は山元の顔色を窺いながら、一つの確認を行うことにした。
「敢えて聞きますけれども、本当にこのまま通報してもいいのでしょうか」
「どういう意味だい?」
 ついさっき、私を認めてくれるような柔和な表情を見せてくれた山元が、また険しい
顔つきに戻った。
「牧瀬氏が示唆していたのを素直に受け取ると、招待客の私達は全員、彼から脅迫され
ていた。この館には脅迫の材料が隠してあるはず。警察が来ると、それらが暴かれかね
ません。それでいいのかってことです」
「……俺は」
 間を取る山元。即答はしかねたようだ。
「俺が脅されてるネタは、元々一部の警察関係者なら知っている。それが表沙汰になら
ないようにするために、ここに足を運んだようなものだ。今さら捜査の過程で改めて警
察に知られても、大差はない」
 そう答えたものの、吹っ切れている訳ではなさそうなことは、当人の様子から伝わっ
てきた。視線が泳ぎがちで、落ち着きをなくしている。
「じゃあ、他の皆さんには犠牲になれと」
「動機に関わってくる。隠してはおけんだろうな、うん」
「――廣見さんはどうお考えですか」
 機先を制するではないが、話を三人目に振った。
「牧瀬氏の不名誉が白日の下にさらされる訳ですが」
「主従の関係にあっても、私は次郎様のしていたことを把握しておりませんでした。仮
に知っていたらどうしていたか、今となってはお答えのしようありません。ただ、死後
の主の不名誉は取り払いたいと存じます」
「不名誉って、脅迫行為に手を染めていたのは、厳然たる事実だぞ」
 呆れたように山元が指摘したが、廣見は決然と言い返した。
「どんな状況であろうとも、主をお守りするのが私の勤めです」
「ご立派な心掛けだが、それなら生前、正しい方向に導いて差し上げてほしかったね」
 皮肉を込めた言い回しをした山元。廣見は微笑らしきものを顔に浮かべ、「知らなか
ったのです。ご希望に添えられず、誠に残念です」と答えた。
「とにかくだ、名誉を守りたいってことは、今のまま警察を受け入れるつもりはないっ
てことだな?」
「先程までは、受け入れるつもりでいましたが、私、動揺していたようです」
 しれっとした返事に、山元は表情を歪めた。苦虫を噛み潰したようなを絵に描いたら
こうなるだろう。私は持ち掛けてみた。
「多数決と行きませんか?」
「屋敷にいる全員参加でか? 結果は見えてるな。尤も、俺だって多数派に回る気持ち
はゼロではない。隠し立てしても、じきに露見すると分かっているから、こうして真っ
当な意見を述べている」
「それなら、犯人を特定してから、警察に向かうというのはどうでしょう?」
「誰が犯人なのか、見当を付けたあとなら、警察も詳しく家捜ししないと思っているの
か。犯人の動機が脅迫されていたことなら、そこら中をひっくり返す可能性が大だぞ。
犯人以外の脅迫のネタも見付かるに決まってる」
「我々が自力で見つけ出し、処分すればいいんです。牧瀬氏を殺害した犯人の分のみ、
残すことにしましょう」
「そうするには、犯人特定が欠かせない、か」
 山元が急速に変節していくのが、手に取るように感じられた。気持ちが揺れているの
は明らか、と私は思った。
「執事はそれでも許せないんじゃないのか。牧瀬次郎の脅迫行為そのものは明るみに出
る」
 山元は自分で自分の決定を覆すのをよしとせず、廣見に下駄を預けた。
「皆様方が皆様方の都合で事実に手を加えるのでしたら、私も次郎様の名誉を守るため
に、事実に手を加えることを厭いません。たとえば……脅迫は不幸な思い違いであっ
た、と提案させていただきたい所存です」
 牧瀬の脅迫行為を暗に認めつつ、廣見は大胆なプランを口にした。今この場で詳しく
聞こうとは思わない。要は、牧瀬がある人物A(犯人)のプライベートな情報をたまた
ま得て、Aはその事実を知って、立場が弱くなるとの思い込みから牧瀬を殺した、とい
う風な筋書きであろう。
「しょうがねえな」
 山元は吐き捨てるように言った。些か芝居めいている。
「だったら、犯人を特定しようじゃないか。だが、期限は設けないとな。通報が遅れた
言い訳が立つのは、一日か二日か……」
 それ以上の遅れが難しいのは、容易に想像できた。警察へ知らせるために実際に行動
するのを三日以上も先延ばしにしては、そのこと自体が我々への疑いを招く火種になり
かねない。
「これから他の方達を説得するのに時間を要するかもしれません。だから、明後日の
昼、せめて朝までは猶予を」
 廣見の率直な意見。私は乗った。そして二人して、山元の顔を見る。
「ふん。どうせ最終的には多数決だろう。俺に決定権があるのなら、今の案に同意して
おこう。他言無用の約束を守り通すと誓ってもらうがな」
 何はともあれ、言質は取れた。この場にいない人達からも、了解を取らねばならない
が、さほど苦労はしまい。全員、脅迫のネタを警察にすら知られたくないはずだ。

 吐き気の治まった上神も加えて、全員が食堂に揃った。食事をしながらする話題では
ないし、かといって、聞いたあとでは食欲が著しく減じるかもしれない。迷うところだ
が、ここはすぐさま状況説明が始められた。
 牧瀬次郎の死について私が先に知らせておいた分、ショックは小さいだろうが、それ
が恐らく他殺であることや頭部が切断され、天井からビニール袋に入れられて吊されて
いたことなど、詳細が語られると、食堂内には重い静けさが下りた。
 その空気を破ったのは、電話のコードが始末され、警察への通報ができず、さらに犯
人特定のために警察へ知らせるのを遅らせるという提案がなされた段階だった。
 何のために?という当然の疑問が出され、脅迫の材料を独自に処分するためだという
答を示すと、大部分はとりあえずの納得を見せた。全員揃っての賛同を得られるのも間
近だと感じた矢先、一人の女性が手を挙げた。
「基本的には賛成してもよいかと思いましたが」
 中井江美香。昨日の自己紹介では、ありとあらゆるデザインを手掛けるデザイナーと
言っていた。実際、有名人らしい。他の女性招待客が反応を示していた。女性の年齢は
分かりにくいことが多いと実体験から思うのだが、中井は若作りをした五十前後だろ
う。今もきれいに着飾っているが、目元だけは自信がないのか、薄茶色のサングラスを
掛けたままだ。
「そこまで捜査妨害を厭わないのでしたら――元警察関係者の前で言うのはあれですけ
ど――」
 中井に一瞥された山元は、咎め立てせず、先を続けるように顎を振って促した。
「――いっそのこと、犯人の方を匿えばいいじゃありません? ここにいる全員で事件
を別の形にしてしまえば、架空の犯人をでっち上げるのは案外容易だと想像しますけれ
ど」
「それもそうだわ」
 素早い賛同を示したのは、安島春子。花に纏わる商品のメーカーで営業社員をやって
いると聞いた。外見からの印象は、三十代半ば、ドラマのキャスティングなら営業より
も事務が向いていそうな地味なイメージ。団子にしたヘアスタイルを飾る髪留めが、唯
一お洒落らしいお洒落。ただし、口を開けばかなりのお喋りで、人見知りしない性格だ
としれる。
「みんなあいつから脅されていたのでしょう? 裏を返せば、みんなあいつに死んで欲
しかった。殺してくれた人は、言ってしまえば……英雄?」
 さすがに最後の部分は言い淀んだが、主張できてすっきりしたような、晴れ晴れとし
た顔になっている。
 それはさておき、中井からの提案だ。私は予想しないでもなかったが、明確に口にす
ることは躊躇われるだろうと見なして、計算に入れていなかった。心情的には牧瀬殺害
犯を英雄だと認めてやりたいが、現実を思うと難しい。この殺人事件の周辺を多少ねじ
曲げるくらいならかまわずにやるが、殺人犯の片棒を担ぐような真似はしない。最後の
一線として守るべきラインじゃないだろうか。
 と、自分自身の考えは固まっていたが、おいそれと表明するのはやめておく。まずは
様子見だ。
 他の人達の反応は――。
 芸人の上神は、分かり易く「それもナイスかもしれんわな」と呟いた。本心か否かは
“当人のみぞ知る”だが、表情を見た限りでは真剣である。
 女優の丘野はいかにも女優らしいと評してよいのかどうか、普段の表情・態度を保っ
ている。特に何か言うでなし、迷ったり苛立ったりといった仕種も垣間見られない。私
のように様子見をしているのですらない風だ。
 彼女と似ているのが廣見郷。尤も、演技かどうかなどではなく、求められるまでは意
見を述べないと決め込んでいると見受けられた。言ってみれば職務に忠実で、今から朝
食を並べてくれと頼めばやってくれる気配を纏っている。
 最後に残る一人で、そして影響力が一番大きそうな山元はというと、腕を組み、片手
で顎を撫でていた。意外にも冷静に受け止め、頭の中で検討しているのだろうか。ある
種の、毒を食らわば皿までといった心境なのかもしれない。
「仮に、そちらの提案を入れて、偽装計画を練るとしてだ」
 山元は中井を短く指差した。
「何者を犯人に仕立てるんだ? こんな廃村の屋敷、我々以外に訪ねてくるような奴
は、まともじゃないだろうよ。泥棒か不法投棄者か、へんぴな土地に来たがる物好き
か」
「お待ちください、山元さん。私の提案には条件があるのです」
「ん?」
 中井が存外、強い調子で始めたので、山元は一瞬気圧された様子だった。
「皆で匿うと決まったとしたら、牧瀬次郎を亡き者にした犯人には、名乗り出ていただ
きたいのです」
 室内がざわめきで一気に満たされた。
「そりゃまた高いハードルの条件だ」
「承知の上です。それくらい信頼してもらわねば、匿えないと言いたいのですよ」
 当然の口ぶりの中井だが……これは受け入れられまい。
 牧瀬に恐喝されてきた者が、意を決して犯した殺人。それを認めて名乗り出ること
は、たとえ英雄視されていようが、第三者に新たな強請の材料を提供するに等しい。被
恐喝者として同じ立場であっても、信じ切れるはずがない。
 案の定、反対の声が上がった。一分ほどかしましい状態が続き、やや鎮まったところ
で、廣見が中井に尋ねた。
「私はどなたが次郎様の命を奪ったのか、是が非でも知りたい。理由は言わずもがなで
しょう。中井様は知りたい理由がございますか。信頼を築くという以外に」
「強いて言うなら、身を守るためになるかしら。皆で架空の犯人を仕立てて、真犯人を
知らないままでは、いつどんなきっかけで口封じされるか、分かったものじゃないでし
ょう」
 正体を知っていれば対処のしようもあるという理屈か。なるほど、分からなくはな
い。だが、そこまで言ってしまっては、殺人犯が最早名乗るはずがない気もする。
「どうやら中井さんの案を検討しても、膠着状態に陥るだけのようだ」
 山元が発言した。やはり元警察官というのは大きい。全員、静かに聞く。
「最初の案の通り、犯人を割り出すのがよさそうだ。首尾よく特定できたときは、その
あと処遇を決めればいいんじゃないか。犯人の事情というのも聞いた上で判断を下して
も、遅くはあるまい」
 彼の一声で方針は決定した。
 捜査をするとなると、山元を除く我々は素人だが、だからといって彼だけに任せる訳
にはいかない。山元自身が犯人である可能性も考慮せねばならない。
「殺人事件に遭遇したことがあると言っていたっけ。水地さん、あんたにサポートを頼
もうかな」
 とんだことで見込まれたけれども、一人では無理だと断った。荷が重い。結局、希望
者は全員、現場である牧瀬次郎の部屋を見ることができるとなった。ただし、単独では
だめで、現場に入るときは常に三人以上か、少なくとも山元が同行するとの決まりを作
った。
 といっても、最初の現場検証は誰もが気になるのは当たり前。全員が立ち会う。な
お、不用意に指紋を残さぬよう、全員が廣見郷の用意した手袋を装着済みである。さす
がに同じ物を七人分揃えるのは無理だったようで、ラテックス製の薄手のやつと軍手と
が入り混じっている。
「最初は、俺と水地さん、廣見さんの三人で調べるとしよう。他の人は廊下に」
 山元の方針に従う。彼が急いでいるのは、死体現象の変化を気にしてのことに違いな
い。それにもう一つ、気になっている物が恐らくある。
「廣見さんに聞きたいんだが、この部屋の鍵がどこにあるのか、見当はつくかね?」
「次郎様がどこに鍵を保管していたかということですね? 身に付けておかねば不便で
すから、衣服のポケット等に入れていましたが」
「やはりそうか。済まないが廣見さん、あんたに遺体の服を調べてもらいたい」
「かまいませんが……山元様が手ずからやるというのではいけないのですか」
「そうだな。ここいらで明確にしておくとするか。警察にいた頃、こんなことを言い出
したら噴飯ものだったが、牧瀬氏殺害の現場は密室だった可能性がある」
 山元の発言に驚く者はいなかった。皆、うっすらとではあるが想像していたようだ。
「部屋の唯一の出入り口であるドアは施錠され、鍵は一本しかない。その鍵が部屋の中
にまだあるのなら、遺憾ながら密室殺人だってことになる。確認のため、鍵を探す必要
があるが、その役は客の誰かがやるより、あんたが適役だろう。主従関係がうまく行っ
ていたかどうかは知らないが、一応、動機が見当たらないのはあんただけだし、鍵が一
本しかないというあんたの話を信じざるを得ない状況だからな。無論、最初にあんたを
身体検査させてもらうが」
 山元は、古典的な密室トリックを想定しているのだろう。犯行後、鍵を使って施錠
し、今こうして密室が破られて室内に入ってから密かに鍵を戻す――この方法を封じる
ため、鍵を探す役を一人に絞り、その一人の手元等をチェックする。
「――分かりました」
 ほんの少し不機嫌そうになりつつも、廣見は応じた。どうやら「主従関係がうまく行
っていたかどうかは知らない」云々と言われたことが、引っ掛かっているようだ。
 廣見の性別が分かっているのかどうか、山元は身体検査役に女性陣の中から安島を指
名した。思った以上に念入りなボディチェックの結果、OKが出た。さらに山元が改め
て廣見の手元や袖口を調べた上で、鍵探しがスタートする。その間も山元を始め、みん
なの目があるので、廣見が何らかの細工を施すのは不可能と断言できる。
 十数分後、牧瀬次郎の遺体は鍵を身に付けていないとの結論が出た。
「密室殺人ではないということですね」
 ほっとした響きの声を漏らしたのは、しばらく大人しかった上神。それでもまだ死体
に慣れないらしく、一番遠くから眺めているだけだ。
「密室殺人だったら、トリックを解かなければならないだろうから、面倒が一つ減った
ってところか。念のため、あとでお互いの身体検査をして、鍵を持っていないか調べる
必要も出て来たかもしれん」
 山元の呟きに、安島が過敏に反応する。
「どうして? 証拠になるような鍵を、いつまでも持ってる訳ないじゃない。どこかに
捨ててあるわ、きっと」
「その可能性が高いとは思うが、いざとなったら調べざるを得ない。今の内にその予告
をしてるんだよ、お嬢さん」
 山元は余裕の笑みを覗かせた。想像するに、彼の今の台詞には、犯人がもしもまだ鍵
を身に付けているのであれば、鍵を捨てる行動を取らせようという狙いがあるのではな
いか。できればそこを押さえて犯人特定につなげたい腹だろう。
 それはともかく、お嬢さんと呼ばれて喜んだのかどうか、安島は静かになった。代わ
って中井が異を唱える。
「問題の鍵を、被害者が身に付けているとは限らないのでは? 部屋のどこかに置いて
あるかもしれない」
「もちろんだ。これから調べていくが、先に済ませておきたいのは、この……物理的に
も心理的にも目障りなこれだ」
 山元は天井のフックからぶら下がる袋を指差した。頭部が入れられている買い物袋を
どう扱うのか、私も気になっていた。現場保存の鉄則から言うとそのままにしておくべ
きだが、殺されたのが間違いなく牧瀬次郎なのかの確認も含めて、中を調べる必要があ
るのも確かだ。

――続く




#1116/1117 ●連載    *** コメント #1115 ***
★タイトル (AZA     )  18/09/15  22:09  (465)
無事ドアを開けるまでが密室です <中>   永山
★内容                                         18/09/19 13:53 修正 第2版
「中を見てみるつもりだが、不慣れな人には刺激が強烈に過ぎると思う。俺が一人で見
るのもルールからはみ出すんで、今度こそ水地さんに付き合ってもらいましょうかね」
 不気味と表現したい笑みを向けられ、私は不承々々頷いた。
「私は飽くまで、山元さんの動作を監視するだけですよ。引き受けるからには厳しくや
りますけどね。先程の中井さんの言葉を借りれば、その袋の中に鍵が入っているかもし
れません。そう見せ掛けるために、山元さんが今まさに袋に鍵を入れようとしているの
かもしれない」
「頼もしい」
 山元は両手を広げて、私の方に見せた。指の間に何かが挟まっているということはな
い。袖については、とうにまくり上げてある。
「よろしいかな」
「はい、手は。失礼ですが、口の中も見せてください」
「ふむ、なるほどな。口に含んでおいた鍵を、隙を見て袋の中に落とすって方法か。あ
とで科学捜査に掛けたら、唾液だらけでばればれだが、悪くはない」
 私の考えを見事に読み取った山元は、素直に口を大きく開いた。中には鍵はもちろん
のこと、異物は何らなかった。
「それではやるぞ」
 吊り下げられた状態のまま、袋に手を掛けた山元。縛られた袋の口を緩め、上から覗
き込む。髪の毛を掴んで、中の物体を傾けた。瞬間、息を飲む様子が伝わってきた。
「――牧瀬次郎に間違いない。それに、これは……水地さん、とりあえず見てくれ。で
きれば廣見さんにも」
 私は山元に倣って、上から袋を覗いてみた。牧瀬次郎と思しき人の顔が分かる。山元
が今問題にしているのが何か、すぐに理解した。遺体の口元に鍵が押し込んであるの
だ。
 続いて覗き込んだ廣見は絶句した。取り乱しはしないが、ショックを受けているのが
傍目にも分かる。声がもし演技だとしたら、丘野といい勝負になるのではないか。
「残念ながら、密室殺人のようだ」
 山元の判断に、私は待ったを掛ける。
「え、あ、いや、念には念を入れて、あの鍵が本当にここの鍵か否か、確かめなければ
いけないのでは」
「おお、そうだ。廣見さん、見て分かるかな? 同じ鍵かどうか」
「……難しいですね。同じ物のように見えますが」
「試すのが早い」
 外野から声が飛んだ。丘野だった。振り返ると、彼女は廊下側から壁に手をついても
たれかかり、やや疲労気味のようだ。ポーカーフェイスも実際の死体を前にして、崩れ
かけていると言ったところかもしれない。
「確かに。俺がやるしかないか」
 山元は再度、両手を裏表ともしっかり私達に見せ、それから右手をゆっくりと袋の中
に入れた。人差し指と中指とで鍵を摘まみ取ると、それを皆から見えるように掲げる感
じで持つ。血餅を含んだ体液で汚れていたため、山元は廣見にちり紙を所望した。執事
のたしなみなのか、すぐにティッシュが渡された。それを受け取ると、山元は鍵を包む
ようにして汚れを吸い取らせた。完全にきれいになった訳ではないが、後々の指紋採取
を考えると、これが精一杯だろう。用済みになったティッシュは、廣見が引き受けた。
「では」
 みんなから見える状態のまま鍵を持って、ドアまで来た。山元が廊下側に回り、鍵穴
に鍵を差し込む。スムーズに入った。次いで回す。これまた滑らかな動きで、芯棒がス
ライドするのが分かった。
「この部屋の鍵だ。古びた感じは、コピーされた合鍵って風でもないが廣見さん、どう
だろうな?」
「……次郎様が身に付けていた鍵に相違ありません」
 廣見の証言により、密室殺人であることが確定した。

「いつ死んだのかとか、どうして死んだのかといったことは、分かりそうにないんです
か?」
 何人かから希望が出て、一時休憩に入っていた。全員揃って食道にいる。それでも犯
行現場のドアには、ガムテープを何本か渡して張り巡らせ、簡単には出入りできないよ
うにしておいた。
「残念だが、正確なところは無理です」
 安島の質問に、山元が答える。
「経験から推定するのであれば、死後……長く見積もって十時間、短くて二、三時間経
っている。死因は後頭部に二箇所、大きな傷を見付けたんだが、あれが死につながった
かどうかは分からない」
「発見したときから遡って十時間というと、昨夜の九時から十時にかけてですか。その
時分なら、まだ生きている牧瀬次郎氏を見た人がいるんじゃないでしょうか」
 私はお茶が冷めるのを待ちつつ、聞いてみた。
「だったら自分かな」
 反応したのは上神。だいぶ顔色がよくなり、声も快活だ。
「夜十一時ぐらいだったと思うけれど、あの部屋に牧瀬氏を訪ねたんよ」
「一人で?」
 山元が鋭い語調で聞いた。上神は慌てたように首を左右に振った。
「いやいや、怖いな。二人でしたよ。夜遅くに行っても相手にしてもらえんかもしれな
い。だから廣見さんにつないでもらって」
 上神の目線を受け、廣見が黙って頷いた。この場では執事も着席して、お茶を飲んで
いる。
「あらら。何か具体的に証言してちょうだいよ、廣見さん」
 おどけた調子で芸人から求められ、廣見はまた頷いた。
「あれは確かに午後十一時頃でございました。正確には三分ばかり過ぎていたと記憶し
ています。上神様と一緒に次郎様の部屋の前まで行き、私がお声がけをしました。上神
様の用件を伝えたところ、『今日はもう眠い。明日だ』と返事が。普段でしたら、日付
が変わるぐらいまでは起きておられるのですが」
「結局、断られたって訳か。用件てのは?」
 山元の尋問口調に、上神は身震いのポーズをしてみせた。
「取引を持ち掛けようと考えたんですよ。私はギャンブルは好きだが、下手の横好きっ
て奴で、今日予定されていたギャンブル勝負も勝てる気がしない。で、他の芸人のネタ
を教えるから、自分は金輪際見逃してくれとね」
「何て奴だ」
 軽蔑する風に吐き捨てた山元。これにはさすがにかちんと来たのか、上神が反駁す
る。
「昨日薪割りをやってごまをすってた人に言われたくないんですがね」
「あれは屋敷の内外を調べて回ってたんだよ」
 即座に言い返す山元。それにしても調べていたとは?
「どこかに恐喝以外の悪事の証拠がないかと思ってね。色々見て回ったが、何も出て来
なかった」
「そんなことをなさっていたんですか」
 廣見が驚きを露わにした。
「ちゃんと薪の山ができていたのに、信じられません」
 薪は非常時に備えての物で、ストックはいくらあってもいいとのことだった。薪小屋
は屋敷から少々離れたところにあるため、そこでの音はほとんど届かない。秘密の隠し
場所としてはうってつけと推測してもおかしくない。
「あれは短時間で急いでやった。無理をしたせいで、斧が壊れてしまったんだ。悪いこ
とをした」
 頭を下げる山元に、廣見は「それはかまわないのですが」と受けて、続けた。
「もしも――そんなことはないのですが、もしも次郎様の他の不法行為を掴めたとし
て、あなたはどうなさるつもりだったのです?」
「具体的には考えていなかった。交渉になったとき、有利に運べるかなと思ったまで
だ」
「そういえば、斧はどうなったんですか」
 ふと気になったという体で、中井が発言した。山元も把握していない様子で、廣見へ
と顔を向けた。
「柄が折れて使い物にならなくなったので、物置に仕舞いました」
「そう。だったら、牧瀬氏の遺体を傷付けたのは、斧ではないのね」
 ああ、なるほど。そこも攻め手の一つになるかもしれない。斧以外に使える道具――
凶器が屋敷内にはあるに違いないが、その在処を知らなければ遺体の頭部を切断するな
んて手間の掛かる行為はやるまいという考え方だ。道具を探すだけで時間を食ってしま
う。
 みんなの視線が再度、廣見に注がれた。
「残念ですが、特大サイズと言っていい肉切り包丁が、厨房にございます。刃物を求め
てキッチンというのは誰もが容易に連想するでしょう」
「そうか。ともかく、その肉切り包丁の状態を見ておきたい。犯行に使われたのなら、
痕跡が見付かるかもしれん」
 休憩を切り上げ、隣接する厨房に向かう。まだ全員、気力は萎えていないらしく、重
い足取りながらもぞろぞろと付き従った。
 調べた結果、肉切り包丁は廣見の言葉を借りれば特大サイズの物が二本、仕舞ってあ
った。血痕などは見当たらなかったものの、洗われたのか水で濡れており、使われた可
能性が高い。
「廣見さんが最後にこれを使ったのはいつ?」
「四日前に、次郎様への夕食で」
「そのとき洗ってから、こんなに濡れている訳はないわね」
 といったやり取りがなされるのを聞いて、私はまた新たな疑問が浮かんできた。タイ
ミングを計って、声に出してみる。
「犯人は何のために、被害者の頭部を切断したんでしょう?」
「そりゃあ、怨みじゃない?」
 間髪入れずに安島の答。私はまだ疑問の全てを言ってなかったので、補足した。
「怨みから必要以上に相手を損壊し、頭部をさらすというのは理解できなくもない。で
も、それと密室とがそぐわないんですよね」
「つまり、首の切断イコール明らかに他殺ってことになるのに、現場が密室状態なのは
おかしい、相反すると言いたい訳だ」
 上神が一気に捲し立てた。この男、血や死体に弱いだけで、本来は頭の回転が早いよ
うだ。
「恐らく」
 山元が考え考え、述べる。
「犯人は深い意図なしに密室殺人をやったか、もしくは当初は非他殺――自殺や事故死
に見せ掛けるつもりだったのが、相手の抵抗に遭ってそれが不可能になった。やむを得
ず、他殺になってしまったんじゃないか」
「前者は議論の余地がありませんが、後者はうーん、どうでしょう? 自殺や事故死に
見せ掛けるのが不可能になったとしても、頭部を切断することはないし、密室にする必
要もない」
「……あんたの言う通りだ。分からんな」
 あっさり認めた山元は、頭をがりがりと掻いた。

 食堂に戻り、お茶の残りを平らげてから、現場での検証を再開しようかという流れが
あった。が、動き出す前に丘野が切り出した。
「私、少々疲れてきました。次の検証には立ち会えそうには……」
「一向にかまいませんよ」
「ですが、一つ、思い浮かんがことがあるので、皆さん、聞いてもらえる?」
「え? ええ、いいでしょう」
 腰を浮かせていた山元が座り直し、丘野の話を聞く姿勢になる。もちろん、私達他の
者も同じようにする。
「凄く、怖いんですが……怖いというのは、事件のことではなく、他人を犯人扱いする
ことに対してなんですが、間違っていても許してもらえます?」
「ちょっと、何を言ってるんです、丘野さん? もしや、これから推理を話そうと言う
んじゃないでしょうな」
「そのまさかです。推理と呼べるほどのものじゃなく、証拠もない、思い付きですが、
皆さんで検討してもらえれば私も安心できる気がして」
 比較的険しい顔立ちの丘野が気怠そうに言う様は、病人の訴えに似ていて、誰もが大
人しく聞く他にない空気を作り出した。
「まあ、公的な場ではないし、的外れであっても不問にしますよ。名指しされた人だっ
て、簡単に認めるとは思えませんがね」
 その通り。いくら英雄的存在であったとしても、だ。
「当然、反論は聞きます。ただ、怒って腕力に出られるのだけはなしという保障が欲し
かったので」
 やけに慎重な丘野。彼女のそんな言動を目の当たりにしていると、過去に暴力沙汰の
被害者になった経験があるのかと勘繰りたくなる。
「それでは始めますけど……思い浮かんだのは、ある人の特技です。上神さん」
 いきなり名前を挙げた丘野。呼ばれた当人は、椅子の上で飛び跳ねたようなリアクシ
ョンをした。
「ほえ、私めですか?」
 自らを指差す上神に、丘野は首をゆっくりと縦に振った。二人の間は五メートルばか
り離れている。が、間に座る者――私だ――の身にもなって欲しい。
「テレビで見た上神さんの特技、お見事でした。男性の声ならコピーするのは簡単だと
も言ってましたよね」
「あ、あれは女の人と比べて簡単というだけで。それよりも、声帯模写のテクニック
が、この殺人事件と関係あるんで?」
「昨晩十一時頃に牧瀬次郎の部屋を訪れたが、ドアは開けられることなく、訪問を拒絶
する返事があったんですよね?」
「そうですよ。廣見さんが証人だ」
「もしかして、そのときすでに牧瀬は死んでいて、聞こえてきた声は、あなたが出した
ものまねだったのでは?」
「はあ? 何を馬鹿な」
「ドア越しに聞こえてきたような感じで声を出すこと、できますでしょ? 廣見さんに
それを聞かせて、そのときはまだ牧瀬が生存していたという証言をしてもらう狙いだっ
た。違いますか」
「違うも何も、何のメリットがあって、そんなことをしなくちゃならんのよ?」
 困惑が顕著な上神。だが、芸人の彼は演技もある程度はできるだろう。額面通りには
受け取れない。
「アリバイ作りです」
「は? アリバイって、死亡推定時刻が分からないのに、アリバイ作りをする意味がな
いですよ。分かってますか、丘野さん?」
「そこは目算が狂ったんだと。本当なら遺体が見つかったあと、すぐさま街まで下りて
いくはずだった。そうしていたらなら、警察が来て死亡推定時刻が出たでしょう。とこ
ろが現実はおかしな方向に話が進んで、今に至っている。アリバイ作りをしたのに効果
を発揮する状況が失われた。違いますでしょうか」
「ちょっと待った。警察に早く駆け込みたいのなら、犯人が電話のコードをいじる訳な
いじゃありませんかね」
「そこが巧妙なところです。あまり早く警察が来て検死されると、死亡推定時刻が正確
に、短い間隔で出されてしまう。昨日の午後十一時よりも前と出たらぶち壊し。それを
避けるために、電話を使えなくして、歩いて知らせに行くしかない状況を作り上げた。
こうすれば、警察への通報も遅れて、死亡推定時刻の誤差も広がるはず」
「想像力が豊かすぎるよ、あんた」
 かぶりを振った上神。突然のことに、有効な反論を思い付けないでいるように見え
た。
「なかなかユニークだが、その説には無理があるな、丘野さん」
 山元が潮時と見たのか、割って入った。
「どこがですか」
「通報を遅らすことで、死亡推定時刻がたとえば午後十時からの三時間と出たと仮定し
ますよ。そこへ廣見さんと上神さんが『午後十一時までは被害者は生きていた』と証言
することで、死亡推定時刻がまあ、午後十一時半から日付変わって午前一時までにしぼ
られたとしましょうか。ではこの時間帯に、上神さんに明確なアリバイが果たしてあっ
たかどうか」
「それは……男の人同士で何か話し込んでいたとか、あるんじゃ?」
「自分にはない。宛がわれた部屋に一人で籠もっていたからな。水地さんは?」
「私も部屋で一人でした」
 念には念を入れて、丘野以外の女性陣にも同じ質問がされたが、上神のアリバイを証
言する・できる者はいなかった。
「最後に上神さん自身にも聞こうか。アリバイを主張するかね?」
「言えるのは、部屋に一人でいたってことだけでさあ」
 主張すべき確実なアリバイのないことが、丘野の推理を否定する結果になった。
「どうだろう、丘野さん」
 山元に言われた丘野は、立ち上がって上神に頭を深く下げた。
「すみません。思い付きで物を言って、間違っていました」
「かまいやしません。ただ、一つだけ嫌味を言わせてもらいますと、こっちに向けてき
たさっきの推理、丘野さん自身にも当てはまるんじゃないかなと思うのですが、いかが
ですかね」
 鷹揚に許していた上神は、台詞の最後に来てにやっと笑った。彼の言葉の意味を丘野
が咀嚼するのは案外早かった。
「それは、私が俳優だから、声の真似もできるのでは?という意味ですか」
「ええ、ええ。ただ、さっきの説では私が廣見さんを証人にドアの外で牧瀬氏の声を出
したことになってましたが、あなたがやるとしたら室内にいたことになるかな。あなた
が牧瀬氏を彼の部屋で殺したちょうどそのタイミングで、この芸人と廣見さんとが連れ
立ってやって来た。呼び掛けられて焦ったあなたは、咄嗟にものまねで対応した。ドア
越しの声なんてはっきり聞き取れやしないし、低めて言えば女性だって男っぽい声にな
る。喋った量もたいしたことなかったし。とまあ、こう考えれば、あなたが犯人だとい
う可能性がクロースアップされる訳ですよ、わはは」
 当然ジョークで言っているのだろうが、なかなかきつい言い種ではある。現在の丘野
にとって、甘んじて受けるしかないだろう。が、真相とは関係なさそうなところで波風
を立てられるのは好ましくない。
「まあまあ、最初にも山元さんが言ったように、間違えても不問でしょ。丘野さんは素
人なんだから、仕方ないわよねえ。上神さんもさすが芸人よね。ブラックジョークまで
得意だとは知らなかったわ」
 安島が取りなす。明るい話しぶりが、重苦しくなった空気をやや回復させた。ところ
が。
「ついでだから、他に疑いを抱いてる人がいれば、今聞いておくというのはどうです
か」
 中井が言った。折角収まり掛けているというのに、燃料を投下することにつながりか
ねない。
「でしたら私が」
 意外にも、挙手したのは廣見だった。
「誰が犯人かなどと申すつもりはございません。密室についてあることが引っ掛かって
いたと言いますか閃いたので、聞いてもらいたいと思った次第です」
 他の者に容疑を掛けるというのでないなら、まあいいか。山元が無言で頷いたのを合
図に、廣見が話を始める。
「皆様ご承知と思います、次郎様が亡くなられているのを発見したとき、私も居合わせ
ました。その際の記憶を手繰りまするに、一つの光景が焼き付けられたみたいに印象に
残っています。それはドアが開けられた瞬間、ゆらゆらと小さくではありますが揺らめ
いている買い物袋の様子です。最初、私はドアを開けた勢いで風が起き、袋が揺れたの
だと思っていました。無意識に、疑いもなく受け入れていたと言えましょうか。でも、
少し考えてみて、違和感を覚えたのです。人の頭部は恐らくスイカの大玉くらいの重さ
は充分にあると思います。そのような重さの物を入れた袋が、ドアの起こした風くらい
で揺らめくでしょうか。とても信じられません」
 明快な疑問の提示に、ほとんどの者が言われてみればそうだという風に首肯してい
る。私は山元の反応に注目した。
「なるほどなあ。今言ったようなことを、俺も記憶している。確かに不自然だ。して、
それに対する結論は? 密室とどうつながるんだ?」
 早く知りたいとばかりに、身を乗り出していた。警察官は密室のようないかにもトリ
ックめいた謎が苦手だということだろうか。
「うまく説明できるかどうか分かりませんが、こう考えました。次郎様の部屋に限ら
ず、この屋敷の居室のドアは全て、外からは鍵によりロックされますが、内からはつま
みを倒すことでなります。次郎様を亡き者にした犯人は、外に居ながらにして内側のつ
まみを倒すことで施錠したのではないかと」
「もっと具体的に」
「犯人は次郎様の頭部を切断して、部屋の鍵と共に袋に入れて吊したあと、あの垂れ下
がったビニール紐を持って、廊下に出ます。続いて、ドアをなるべく閉めた状態にして
から、ノブ上のつまみにビニール紐を絡ませるのです。それからドアを思い切り強く閉
めれば、勢いでつまみは倒れるのではないでしょうか」
「……実験してみないと何とも言えないが……」
 どう評価しようか、迷っている様子の山元。
「俺がドアを開けたときも、まだ揺れが残っていたってことは、犯行から時間がほとん
ど経っていなかったってことになるのかな?」
「そうかもしれませんし、違うかもしれません」
「どっちなんだ」
「可能性について私見を述べるとしたら、犯行後間もなかったという可能性の方が低い
と推量します。よりあり得そうなのは、ビニール紐がつまみを倒したあとも完全にはほ
どけず、つまみに絡まったままだった可能性ではないかと」
「開けたときはほどけていたが……ああ、そうか。俺がドアを思い切り殴ったからか」
 山元が手のひらを叩いた。
「ドアを激しく殴った衝撃で、ビニール紐がつまみからほどけ、揺れ始めた。てことは
揺れも最初は強かったはずだが、死体に気を取られていたせいか、あるいは角度の問題
か、ドアにできた穴から見る分には気が付かなかったな」
 私もあの瞬間を思い出そうと努めてみた。買い物袋の揺れは……、判然としない。反
面、無理に思い起こしても、偽りの記憶に置き換わる恐れがある。やめておく。
「仮に密室トリックが当たりだとしても、犯人の特定や絞り込みにつながらない。とな
ると、やれるのは実際に試すことだが」
 席を立っていた山元は廣見に身体を向けた。
「本当の遺体を使う訳には行かない。できれば場所も違う部屋にして、同じ状況を再現
したいのだが」
「お任せください。どうとでなります。次郎様を殺めた犯人を突き止めるためなら、力
を尽くしましょう」
 胸を叩いて請け負うポーズをした廣見。これだけ見ると力強い男性そのものだ。それ
だけ意気込みもまた強いという証かもしれない。

 だが、そんな意気込みとは裏腹に、実験は失敗に終わった。
 同じサイズの部屋で、天井の同じ位置にフックを新たに取り付け、屋内の物置から虎
ロープとビニール紐を調達し、それらと石を詰めた買い物袋とで仕掛けを作り、実験に
臨んだのだが、ビニール紐はつまみから外れなかった。ドアとつまみの接合部に隙間が
あるため、そこに紐を絡めたら取れない。かといってつまみの部分のみに紐を絡めてや
ると、摩擦が足りないらしく、つまみを倒せないまま、紐が離れてしまう。
 万が一、山元の拳を超えるパワーが衝撃がドアに与えられ、何らかの偶然でつまみが
倒れた上で紐が外れたとしよう。すると今度は、振り子と化す買い物袋の動きが想像以
上に激しく揺れる。私や山元ら第一発見者全員がその動きに注意が向くに違いない。な
のに実際は、さほど気に留めていない。これらの実験結果から推して、廣見の考えたト
リックでは密室を作れないと言えよう。
「振り出しに戻る、ですか」
 落胆する廣見を山元が元気づける。
「振り出しよりは進展している。少なくとも、密室トリックはこの方法ではないと分か
った」
 実験とその準備に手間が掛かったおかげで、時間がだいぶ潰れた。遅い昼食を摂った
あと、また現場検証に取り掛かる算段になった。
 ただ、牧瀬殺しの犯人を特定する以上に、自身の脅迫の材料を見付けたいという方に
気持ちが傾く者も現れていた。中井、丘野、安島の女性達だ。
「早めに探し始めないと、警察が来るまでに見付けられないかもしれない。隠し場所と
して一番可能性が高いのは、あの部屋でしょう?」
「気持ちは分かるが、だからといって、殺しの現場を荒らすのは困る」
 山元が至極真っ当な主張をし、彼女らの希望を退ける。妥協案として、他の場所を探
すのは自由、ただし廣見の同行が義務づけられることになった。また、自分以外の恐喝
ネタを発見したときは、速やかに知らせることも決められた。
「という訳で、上神さん。苦手かもしれんが、一緒に動いてもらいましょうか」
「しょうがないなぁ」
 山元と私だけで捜査する訳にも行かず、上神が引っ張り出される格好になった。互い
に監視し合うぐらいの方が、不正を防ぐ意味でいいだろう。
「でも、何から手を着けるんです? 遺体と怖い演出と密室それぞれは一応、見たこと
になる訳で」
「家捜しだな。彼女らに申し訳ない気もするが、殺人に直接関係する何かが出て来るか
もしれん」
 山元は不器用なウィンクをした。
「無論、恐喝の材料らしき物が見付かったら、選り分けて保管しておく」
「脅迫のネタそのものが、殺しに直に関係していたら厄介ですね」
 何気なく言ったのだが、上神が食いついてきた。
「へ? 脅迫のネタが殺しに直にって、どういう状況よ?」
「たとえば、脅迫のネタが何らかの犯罪の凶器で、その凶器を使って牧瀬次郎氏が殺さ
れた、とか」
「あー、そういう。写真や手紙しか頭になかったわ〜。もしそれがあるとしたら、招待
客の中に、そもそも犯罪者がいる訳だ」
 上神はそう言うと、山元の方を振り向いた。
「殺人犯とは別に、元から犯罪者ってのがいたら、それでもかばいます?」
「最初の取り決めは守らねばならんだろう。脅迫の材料は各自で処分、あとは関知しな
い」
「脅迫の材料が見付からなかった場合は?」
「割としつこいな、あんたも。そのときそのときだ。警察に任せるしかない。見付から
なければ、どうしようもないだろう」
「ははあ、そりゃそうですね。ただ、ちょっと危惧してるんですよ。脅迫の材料を見付
け出せなかった人の暴走を」
「暴走というと?」
 山元がおうむ返しする間に、私には察しが付いた。というよりも、私自身も頭の片隅
で考えないでもなかったことだから分かった。
「屋敷ごと処分しよう、言い換えると燃やしてしまおうと考える人が出るかもしれな
い。そういうことですね」
「ご明察。物書きよりも探偵か刑事が向いているんじゃないかな、水地さん」
 形だけの拍手をする上神。山元の方は「そういう場合もあり得るか」と、苦々しい表
情になっていた。
「それにしてもおかしな。何にも出て来ないし、厳重に鍵を掛けた抽斗や金庫なんかも
見当たらない」
 上神はぬけぬけと言った。やはり、現場検証にかこつけて、脅迫のネタを見つけ出そ
うとしているようだ。
「他に考えられるとしたら、隠し扉かな。書棚の奥にもう一段、棚があるとか」
「もっと古典的に、分厚い本の中身をくりぬいた空間に隠してあるのかもしれない」
 私も調子を合わせて意見を交換する。山元だけは黙々と……探しているのは殺しの証
拠なのか、脅迫ネタなのか傍目からは判断のしようがない。
 私はまだほとんど手付かずの机回りを調べてみることにした。机で調べてあるのは四
段ある抽斗くらいだ。牧瀬は座ったまま首を斬られたのか、椅子とその前方は血に染ま
っており、ここを調べると確実に痕跡が残ってしまう。警察の捜査が入ったあとのこと
を思うと、迂闊に手出ししづらい。必然的に、血の飛んでいない部分に限られる。
 机の左前方に置かれた電気スタンドに手を伸ばした。ガラスのシェードは青と緑の色
が部分的に入ったアンティーク調で、品がよい。恐喝者のイメージにはそぐわない。そ
んなことを感じながら、スタンドをひっくり返して内側を覗く。すると、あった。
「山元さん、上神さん。来てください」
 すぐに二人を呼ぶ。シェードの裏に折り畳んだ深緑色の何かが貼り付けてある。色ガ
ラスのところなので、外からは見えなかった。
「おお、ようやく一つ発見かな?」
 手で鼻と口元を覆った上神がくぐもった声で言った。彼のためにという訳でもない
が、スタンドのコードをコンセントから外し、遺体から遠ざかると、改めて検分する。
「見付けた人の手柄だ。剥がしてみてくれるか」
 山元に促されて、私は手を伸ばした。セロテープで留めてあるだけなのだが、しっか
りと押さえつけてあるみたいで、手袋をした状態ではなかなか端を捉えなかった。素手
でやるのもまずいので、苦心してようやく剥がせた。
「これ、元は白い紙ですね。折り畳んだあと、濃い緑色をペンか何かで着けたんだ」
 観察すると共に、慎重に開いていく。誰の秘密が明かされるのか。興味はないが、恐
らくは恐喝のネタなんだろうと思っていた。
 しかし、予想は外れた。都合四回折られていたその紙には、ボールペンで書いたと思
しき直筆の文字が踊っていた。細かい字で、ぱっと見ただけでは内容は分からない。た
だ、文章の末尾にあるサインだけは大きな文字で、嫌でも読めた。そこには牧瀬次郎と
記されていた。
 牧瀬の筆跡を知らないが、これは牧瀬が書いた物? だったら、恐喝のネタではない
可能性が高い――そんな風に順序立てて思考を巡らせる暇もなく、私は目を凝らし、細
かい文字を追った。
<これを発見したのは誰かな。警察の人間か。私が死んでから何日が経過した? すで
に見抜かれているか、それともまだだませているか。お招きした方々は今、きびしい取
り調べにあっているか? 私に脅迫されていたという殺人の動機を背負わされて、さぞ
かし追い詰められているに違いない。
 だが、それもここまで。福音を記すとしよう。
 私は明言する。私は殺されたのではない。自ら死を選んだのである。調べればじきに
分かることだが、私は癌に冒されている。治ゆの見込みはない。今までの行いの報いが
来たと言えばそれまでだが、天罰を食らったまま旅立つのはいかにも悔しい。そこで私
は悪戯を思い付いた。私に怨みがあろう、殺意を抱いてもおかしくない面々を呼び集め
て、一夜明けると私が死体になっている。肉切り包丁で喉を掻ききられており、いかに
も殺されたように見えるはずだ。招待客らは慌てふためき、疑心暗鬼に陥りもしよう。
やがて警察の捜査が入り、犯人扱いされて震え上がるに違いない。私の理想では、誰か
が懲役刑を受けた頃合いでこのメッセージが見付かる流れが楽しくていいが、そこまで
は望むまい。何にしろ、滅多にできない経験を楽しんでくれたまえ。
 もう一つ、大事なことを書き忘れるところだった。君達招待客にとって最も心配なあ
れ、脅しのネタについてだが、既に処分を済ませた。君達を悩ませたブツは、この世か
ら消えた。処分した証拠はない。信じるかどうかは各人に任せるとする。
 そろそろ終わりが来た。警察諸氏が哀れな羊たちに健全な処遇をもたらさんことを!
                             牧 瀬 次 郎 >
 読み終えてしばらくの間、言葉が出なかった。他の二人も同様だった。
「……自殺だと? ふざけやがって」
 上神が最初に口を開いた。荒っぽい口ぶりそのままに、床を殴りつけた。
 山元はすっくと立ち上がると、机まで戻って、手紙を見付けてきた。その中身の便箋
と、最期のメッセージとを見比べる。
「間違いないな。牧瀬の字だ」
 忌々しげに呟き、額に手を当てた。私も頭が痛い気がした。
「牧瀬の死の真相が自殺であるなら、犯人探しは無意味になる。それに、脅迫の材料が
処分済みというのも事実であるなら、これで現状では最良の形で丸く収まるな」
 山元は気を取り直すように言った。
「まあ、悪いニュースじゃない。皆に知らせて喜んでもらうとするか」
 でも、私がそう簡単には喜べなかった。出て行こうとする山元と上神を呼び止める。
「待ってください。実際の事件現場との齟齬はどう解釈するんですか」
「齟齬?」
「全然おかしいじゃないですか。肉切り包丁で自殺したのなら、凶器はこの部屋に落ち
ていないといけない。首が切断されているのも変だ。まさか消えるギロチンが存在した
訳ないでしょう。袋に頭部を入れて吊すのだって、自殺したあとには無理。さらに、
我々に殺人の嫌疑を掛けさせたいのであれば、何で部屋を密室にしたんでしょう? 開
け放しておくべきだ」
 疑問の数々で溢れかえる。とてもじゃないが、牧瀬次郎のメッセージをそのまま信じ
ることはできない。
「分かった。水地さんの疑問は尤もだ」
 山元は私に正対した。
「恐らく、廣見郷が事後の細工をしたんだろうな。あいつが牧瀬の計画を事前に全て知
っていたかどうかは分からんが、死んだあとに色々手を加えたに違いない」
「牧瀬次郎に忠実な廣見さんが、勝手なことをしますかね」
「分からんぞ。案外、牧瀬の最後の願いを尊重しつつ、我々を助ける意味で現場を密室
にしたのかもしれない。密かにもう一本、合鍵があえば簡単なことだ」
「……いや、その解釈ではだめでしょう。やっぱり、頭部の切断だけはあり得ない。廣
見さんがやるとは考えられません」
 私が強く唱えても、山元はまだ頑張りそうだったが、上神がこちらの味方に回ってく
れた。
「廣見さんがやったとして、密室作りは招待客を助けるためという理由がある。けれど
も、首を切り落とすっていう行為には、意味が見出せない。こりゃあ、水地さんの勝ち
だ」
「……分かった。だがしかし、廣見でないのなら、誰が何のために、自殺を複雑な殺し
に見せ掛ける必要があるんだ」
「動機というか理由は分かりませんが」
 私は、少し前に廣見が言っていた密室トリックを思い起こしていた。あれをちょっと
変えてやれば、ただ一人、この部屋を密室にできたことになりはしないか。

――続く




#1117/1117 ●連載    *** コメント #1116 ***
★タイトル (AZA     )  18/09/16  20:59  (105)
無事ドアを開けるまでが密室です <下>   永山
★内容                                         18/09/19 13:54 修正 第2版
 私は脳裏に浮かんだ人物に目を向け、焦点を合わせた。
「山元さん、あなたがやったんじゃありませんか」

 〜 〜 〜

 相手が無言を保ったまま、およそ一分が過ぎたので、私は続けた。
「あなたは牧瀬次郎の自死を確認すると、部屋を出て、鍵を使って施錠した。そして
朝、ドアを破る際に鍵を室内に戻したんじゃないですか」
 山元はまだ何も言わない。上神が彼のそばから離れた。
「たった今思い付いたばかりなので、うまく説明できる自信はありませんが、基本は、
ドアに拵えた穴ですよね。あなたが拳でできた穴だ。そこから腕を突っ込んだとき、鍵
を戻すチャンスが生まれる。ああ、手に鍵を握ると怪しまれる恐れがあるので、ハンカ
チを巻いたんでしょう。ハンカチの下に鍵を隠していたんじゃないかと思う」
 私の推測語りに、上神が質問を挟んできた。
「鍵を戻すって言っても、フックから吊された買い物袋には届かないんと違うか」
「廣見さんが言っていたことを思い出してください。あの袋はビニール紐をノブの辺り
に結ぶことで、ドアのすぐ近くで固定されていたんでしょう。穴から腕を入れた山元さ
んは、内側のつまみを倒すのに手間取るふりをして、袋の中に鍵を落とし込み、ビニー
ル紐を解いて、徐々に緩めていき、できる限り穏やかに買い物袋をフックの下へと戻し
た。さすがに限度があって、私達が部屋に飛び込んだときも、袋は多少揺れていた」
「はあ、なるほど。理屈はつながってる」
 感心してくれた上神が、山元をまじまじと見返した。
「で、ほんとにやったんですか?」
「やった」
 意外なほど簡単に認めた山元。どことなく、表情がすっきりしたように見える。
「理由を聞かせてもらえますか」
 静かに尋ねると、静かな返事があった。
「あいつが、牧瀬が今さら改心して自殺で逃げるのが許せなかった」
「えっ、牧瀬の死が自殺とまで知っていたんですか?」
「ああ、偶然だがな。昨日の深夜、いや、日付は今日になっていたかもしれないが、と
にかく深夜だ。俺は脅迫されている人達をギャンブルで争わせようとするやり口がどう
にも我慢ならず、牧瀬にひとこと言ってやろうとこの部屋に向かった。その途中、台所
の方から肉切り包丁を片手に戻る牧瀬を目撃した。その鬼気迫る様子に思わず隠れた
よ。だが、俺達を皆殺しにするという雰囲気ではなかった。何かおかしいと感じ、あい
つをつけた。自分の部屋に戻った牧瀬は、ドアを半端に開け放した状態で、奥の椅子に
座ると、一度電気スタンドを灯し、笠の中を覗いてからまた消した。今思えばあれは隠
した紙片の具合を再確認していたんだな。そのあとすぐに、牧瀬は肉切り包丁で首を掻
ききろうとした」
「『とした』?」
 引っ掛かる物言いだ。山元は分かってるという風に頷いた。
「奴がざっくりやっちまう前に、俺は部屋に転がり込んで止めに入ったんだ。正義心と
か命を大切にってことじゃない。こんな形で死なれてたまたるかって気持ちだけだっ
た。それでもすこしおそかった。すでに刃が牧瀬の首に当たって、血が流れ出してい
た。暗がりの中、止めに入ったのが俺だと気付いたのか、牧瀬は言ったよ。『死ぬつも
りだったが、あんたに殺されるのも悪くないな。みんな苦しめばいい』と。その刹那、
俺は寒気でぞわっとして、つい、手の力が緩んだ。そのせいなのか、刃は牧瀬の首に深
く食い込み、一気に血が噴き出した」
 山元は一息つくと、己の両手を見た。そしてまた顔を起こし、話を再開する。
「奴は死んだ。俺は全員に事態を知らせようとした。だが、足が止まったんだ。このま
ま事実を伝えても、脅迫されていたことは明るみに出る可能性が大きい。諸悪の根源で
ある牧瀬は死んで逃げたが、秘密が暴露されることで招待客の中には針のむしろに座ら
される者がいるかもしれない。一方で、恐喝者が最後は行いを悔いて自殺しました、で
終わらせたくはなかった。こんな輩は無惨に殺されるのがふさわしい。死んだあとでも
その肉体を傷付けてやりたいほどだ。しかしそんな真似をすれば、状況は他殺に傾き、
俺達自身が危険な立場に立たされる。そんなとき、閃いたのさ、密室トリックを。昼
間、あちこちを嗅ぎ回って、使えそうな道具を色々と目にしていたせいかもしれない。
斧を壊れてしまったことも、俺がドアを力尽くで破る自然な理由付けになる。もうやる
しかないと思った。恐喝者の牧瀬次郎を、自殺ではなく明らかな他殺体に仕立てると同
時に、現場を密室にすることで簡単には我々が犯人と疑われぬようにする。その上、あ
いつの頭を切断して晒せるのだからな」
「……」
 私も上神も息を飲んで聞いていた。
「脅迫の材料に関しては、実はどうにでもなると踏んでいた。本当の最終手段だが、い
ざとなれば俺はかつての上司で、今やお偉いさんになった刑事の弱みを握っている。そ
いつをつつけば牧瀬次郎の持っている脅迫のネタ全てを内々に処理してくれるはずだ。
恐喝者に対抗する策が、脅しだなんて洒落にならんがな」
「もしかして山元さん、あなたが牧瀬次郎から脅されていたネタっていうのは、上司の
ミスか何かを被ったことなのでは……」
 私はふと聞いてしまった。聞いてから、詮無きことだとちょっと悔やんだ。
 相手は曖昧に笑って、「まあ、いいじゃないか」とだけ言った。
 このあと、山元はより詳細な犯行過程を語ったが、それらは第三者の想像し得る範囲
を大きく越えるものではなかった。強いて付け足すとすると、山元がその巨漢の割に迅
速に立ち回ったことぐらいか。
「鍵が……合鍵があったらどうしていたんです?」
「そのときはそのときだ。廣見さんに一時的に疑いが向くだろうが、動機の面で大丈夫
だと判断した。正直言って、牧瀬に従うような人間にはお灸を据えてやりたいと考えな
いでもなかったしな」
「もしも屋敷の中に電話が他にも設置されていたら、警察をすぐに呼ばれていたはずで
すが……」
「ああ、電話の数は確かに分からなかったからな。念のため、大元にちょっと細工をし
ておいた。断線程度だから専門家でなくても直せなくはないが、時間を稼げればよかっ
たんだ」
「返り血は?」
「牧瀬の首から血が噴き出したときは距離を取っていたせいもあって、ほとんど浴びて
なかったが、念のために着替えた。泊まりになることは分かっていたからな。それより
も、切断するときに手がぬるぬるになって、参った。台所から洗剤を拝借して、外で洗
い落としたよ。薪小屋の近くに水道があるんだ」
「買い物袋の口、縛ってあったはずですけど、手探りで鍵を押し込めたんですか」
「ちょいとしたごまかしがある。買い物袋の特定の箇所に小さな切れ目を作っておい
た。そこから入れたんだ。単純だろ」
「最後に……斧を壊したのは、わざとじゃありませんよね」
「もちろんだとも。どうしてそんなことを聞く?」
 私は対する答と共にもやもやを飲み込んだ。この元警察関係者は、最初から密室トリ
ックを駆使して牧瀬次郎を殺す計画を立てていたんじゃないだろうか。そんなことを思
ったのだ。斧の件だけじゃない。ドアの穴から片手を入れて、見えないまま細々とした
作業がスムーズに行えるものなのか。予め練習していたのではないのか……。
 今となってはどうでもよいことなのかもしれない。恐らく、牧瀬のメッセージは本物
だ。少なくとも牧瀬が癌を患っていたのが事実かどうかは、調べれば簡単に白黒はっき
りする。山元がすぐにばれる嘘をつくとは思えない。
 何はともあれ、残された当面の問題は二つだけになった。
 山元修の処遇をどうするか。そして、事の真相を廣見郷に伝えるべきかどうか。
 街に向かうと決めた時刻までまだ少しある。議論を尽くさねばならない。もちろん、
電話線を直せる可能性があることは伏せて。

――終わり




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