AWC ●連載



#1105/1117 ●連載    *** コメント #1103 ***
★タイトル (AZA     )  18/02/28  21:49  (499)
百の凶器 9   永山
★内容                                         18/03/14 10:38 修正 第3版

「関さんを最後に見たのは、午後十時になるからならないかのタイミングで、私と犬養
さんとで彼女のコテージを出たんです」
 食事の席は、お世辞にも明るいとは言えないが、重苦しいものでもなかった。ミステ
リ研部員としてこうしていることが一番集中していられるとばかりに、起こってしまっ
た二つ目の殺人について、活発な話し合いが行われていた。
「私もそのように記憶しています」
 湯沢の言葉に、犬養がお墨付きを与える。前日の夜十時以降、関の姿を見た者はいな
かった。そのことから、死亡推定時刻は十時以降。推測される犯人の行動や遺体の体温
低下の具合も考慮して、午後十一時から午前三時の間に収まるだろうと推測された。
「この時間帯にアリバイのある人は?」
 全員に対する橋部の問い掛けに、肯定の返事を寄越す者は皆無だった。四時間と幅が
ある上に、深夜帯となれば、それも道理だろう。
 “捜査会議”は一山超えた感があった。だが、場の空気が落ち着く方向に行きかけた
のを、柿原と真瀬が積極的に事件を解こうと話題を振ったせいで、再び熱を帯び始め
た。口火を切ったのは、その二人、真瀬から柿原への質問だった。
「柿原、手の怪我はどうなってるんだ?」
「え? ご覧の通り。治りかけてはまた傷が開くの繰り返しだよ、ほら」
 柿原が相手に見えるよう、右手の平を開いてみせる。今朝も動き回ったせいなのか、
血が若干、しみ出してきていた。
「なるほどな。そうなると、柿原にも可能な訳だ」
「何が?」
「タイヤをパンクさせる行為がさ」
「……まあ、確かに。傷が開いたことを考えると、他の人に比べて、やったんじゃない
かという疑いが強くなるかもね」
 あっさり認める柿原に、真瀬は拍子抜けしたのか、毒気を抜かれたかのように一瞬、
ぽかんとなった。だが、すぐに気持ちを奮い立たせるように、肩を怒らせると、今度は
村上に視線を向けた。
「村上先輩。スペアの鍵を自由に使えるのは、あなただけですよね」
「ええ。金庫の番号をセットしたのは私だから」
「さっき、たき火のところから見付かった2番コテージの鍵はカムフラージュなんじゃ
ないかと考えてみたんですが、どうですか」
「それだけじゃ分からない。詳しく話して」
 緊張感が高まるやり取りに、周囲の者は、少なくとも柿原ははらはらした。
「元の鍵を燃やすことによって、いかにも犯人は鍵を事前に用いることができずに、関
さんに招き入れられたように見せ掛けるんですよ。実際は、関さんが寝入ったあと、合
鍵を使って忍び込み、犯行に及ぶ」
「――そんなことをしても、犯人にとってメリットはないわ。招き入れられたんじゃな
いのを知られたくなかったとでも言う? だったら、私は違うわね。私が訪ねていけ
ば、彼女は開けてくれる」
「さあて、どうでしょう」
「無闇に疑うのもいい加減にしなさい。私には小津君が死亡したときのアリバイがあ
る。関さんが警戒を解く一人なのよ。だからね、私を疑うのであれば、そちらの方から
攻めなさいよ。合鍵がどうのこうのなんて言わなくても、私は関さんに招き入れてもら
える」
「……確かに、その通りです。部長が亡くなったときのアリバイも、ちゃんと理解して
いましたよ」
 一転して穏やかな口ぶりになった真瀬。左手の平を掻かきながら、にやっと笑う。計
算なのか、臨機応変に対処しているのか、端からでは掴めない。
「本気で疑ってなんかいない。試させてもらいました」
「おいおい、年長者をからかうもんじゃない。それも食事の席で」
 橋部が忠告めかして割って入ったのは、真瀬が自分にも疑いを掛けてくるのか、それ
こそ試す気持ちが働いたようだった。
「疑いを掛けるなら、真っ当な形でやれ。試すなんて気分が悪いだけだ」
「そうですね。言う通りにしたいんですが、橋部先輩がもし犯人だったら、あまりにも
無策で、ミステリマニア失格じゃないですか」
「というと? トリックを弄して、アリバイや密室を作れとでも言うのか」
「そうじゃなくて、仮にもミステリ研の部員が犯人なら、何らかのトリックを使って、
自らが容疑圏外に逃れるようにするもんでしょう。そういう立場から見れば、先輩は犯
人じゃない。だから、疑ってもしょうがない」
 無茶苦茶な理屈だなあ、真瀬君わざとやってるな……と、柿原は感じた。
(このタイミングで、橋部さんと小津部長の会話に出て来た『あれ』の話を持ち出した
ら、真瀬君も橋部さんを疑うようになるのかな。まあ、そんな真似をしても混乱を生じ
させるだけだろうから、しないけど)
 柿原は暴走気味の真瀬を止めるために、別の話を持ち出すことにした。
「真瀬君、僕も言わせてもらうよ。いいだろ?」
「独演会をさせてもらってる訳じゃあないしな、ご自由にどうぞってやつだ」
 真瀬は椅子に座り直すと、ほとんど進んでいない食事に、少し手を着けた。皿を引き
寄せる際に、また左の手の内側を掻いた。
「じゃあ、僕からは、さっき関さんのコテージにあったマッチ箱をテーマに。2番コ
テージに入った全員で見ましたけど、中に九本のマッチ棒が残っていました。再分配し
たのが、昨日の昼過ぎ。その時点で十本ですから、夜を迎えて一本だけ使ったことにな
る。事実、缶に立てたロウソクは少し短くなっていましたし、軸の半分ほどまで炭化し
たマッチ棒一本が、その缶の中にありました。計算は合います。でも、犯人は何故、マ
ッチ棒を持って行かなかったんでしょう? 夜の闇で行う作業が、犯人には残されてい
たはずです。9番コテージ前の、小津部長が倒れていた辺りまで行き、小サイズながら
たき火を起こし、2番コテージの鍵や凶器を燃やし、人形を炙る。まあ、人形作りまで
は、さすがに明るい内にやったでしょうけどやることは結構あります。マッチ棒は少し
でも多い方が心強いはず」
「そりゃあ、十本で充分だったんじゃないか」
 戸井田は当たり前のように言うと、口元を手の甲で拭った。
「下手にマッチ棒の所有数を増やして、調べられたら、証拠になりかねない」
「理屈は分かります。でも、逆に言えば、手持ちのマッチ棒が極端に少なかったら、も
しくは、ロウソクの消費が異様に早かったら、最有力容疑者扱いです。念のため、奪っ
ておいても損はない。多い分は、燃やせばあっという間に始末できるのだから」
「……焦っていたから失念してた、ぐらいしか思い付かん」
「僕も分かりません。不思議でしょうがありません。そこで提案です。今すぐに、各自
のマッチ棒の数を調べましょう」
 テーブルに着く全員を見回した柿原。この雰囲気の中、反対を唱える者はいない。橋
部から、「ロウソクは調べなくていいのか」との問い掛けがなされた。
「ロウソクはこの場に持って来ていない人がほとんどでしょうから、後回しでいいで
す。では、言い出しっぺの僕から。まず、火起こし用に余分にいただいた五本は、とう
に使いました。真瀬君とお互いに証言できます」
 唐突に名前を呼ばれたせいか、真瀬は暫時、目を見開いたが、じきに戻った。そして
「その通り」とだけ言った。
「五本では足りなくて、僕が一本、真瀬君が二本、竈や風呂のために使っています。こ
れで僕は残り九本。夜になってから二本使ったので、手元にあるのは七本」
 こう話してから、マッチ箱の抽斗を開けてみせた。間違いなく、七本のマッチ棒があ
る。
「じゃ、流れで次は俺ですね」
 真瀬が言い、席から立った。柿原とは逆に、語る前にマッチ箱をぽんと投げ出す。
テーブルの上で開けられたそれには、マッチ棒が八本あった。
「火起こし以外に全然使わなかったのか」
「夜、外灯が消える前にコテージに戻りましたから。前に言ったように、自分のコテー
ジまでなら外灯が点いている間であれば、マッチやロウソクの明かりなしに行けるもん
で」
「……待てよ。2番コテージまでも明かりなしで行けるんだったよな」
「二番目の殺人が起きたのは、どう考えても夜中ですよねえ? 外灯が消えたあと、明
かりなしで行くのは無理。無理だっていう証明は難しいかもしれないが、それを言い出
したら、皆さん方だって、本当は暗闇でも自由に行き来できるのに隠しているだけとい
う可能性は否定しきれない、ですよねっ?」
「いや、細かいことはいい。消灯後に行き来できたとしても、犯人なら、メインハウス
で包丁を探したり、9番コテージの前でたき火の準備をしたりせねばならない。マッチ
が絶対に必要だ。全く減っていないのなら、おまえをシロ認定するのは当然だ」
「どうも。そもそも、俺には動機がないですし」
 当たり前のことを認められても別に嬉しくない、と言わんばかりに肩をすくめた真
瀬。今度は左手で右手の甲をさする仕種をした後、マッチ箱を仕舞う。場の空気に刺々
しさを残したまま、他の部員達のマッチ棒の残りも確認がなされた。一覧にすると、次
のようになる。
      橋部5 戸井田8 真瀬8 柿原7
   村上8 沼田9  湯沢9 犬養6
 全員が十本でリスタートし、橋部の消費本数が多いのは昨夜、小津の右足が見付かっ
た件で、率先してマッチを使ったのが大きい。ただし、橋部以外がカウントしていた訳
ではない。五本の具体的な使い道となると、客観性はなかった。
 彼に次ぐのが犬養だが、相変わらず、マッチを擦る行為が苦手と言われるとそうかも
しれないし、着火に失敗せず、他のことに使ったかもしれない。
「折れて火が着かなかったマッチ棒、どこかに置いてない?」
 柿原が聞くと、犬養はそれを非難と受け取ったのか、ふくれ面になった。
「置いてません。そのままだと危ないと思って、燃してから捨てていましたの。いけま
せんか?」
「いけなくはないけど、前にも同じようなことがあったんだから、今度は置いておいて
くれたら、無実の完全な証明になったかもしれないのに、と思って」
「殺人事件が続けて起こるなんて、想像もしていませんでしたから」
 分かり易く機嫌を損ねた犬養だったが、戸井田が隣にやって来て、何やら声を掛ける
と、収まったらしい。すまし顔に戻った。
「皆、食べ終わったようだし、このままロウソクも再チェックと行くか」
 橋部が言った。マッチの本数で言えば、彼が一番怪しくなるが、ロウソクを上手く使
いこなせば、昨夜から今朝に掛けて行われたであろう犯行の数々に必要なマッチの本数
は、一本だけで済むかもしれない。その代わり、ロウソクは短くなるが。
「ロウソクの長さも大事でしょうが、外部との連絡についても、方針を決めないと」
 村上から釘を刺されたこともあり、ロウソクのチェックは手短に行われた。その結
果、仕舞われていた柿原の分一本を含め、極端に短くなっていた物はなかった。
「ついでにと言っては変ですが、割り箸も調べましょう」
 柿原が提案した。
「空き缶に小さな空気穴をいくつか開けて、その中で割り箸を燃せば、明かり代わりに
なるのを思い出したので。それに明かりとは別に、例の人形も使われていましたし」
 この合宿では、食事には各人が用意したいわゆるマイ箸を使っているが、調理には割
り箸を用いている。一日を通じて三膳ほどが使われるが、夕方には竈もしくは風呂焚き
に回されるため、残らない。よって調査対象は未使用の物に限られる。
「私達の把握している限りでは、新品の割り箸が二膳分、計算が合いません。少ない」
 料理を主に受け持つ女性陣を代表して、沼田が調べた結果を報告した。
「たったの? 四本だけではどうしようもない」
 戸井田が首を横方向に何度か振った。
「確か二本が人形に使われて、たき火にも残り二本を使ったとずれば、それで終わり」
「そこら辺の枝では、湿っていて燃えない、か」
 橋部が言ったように、問題のたき火跡でも、実際に燃えたのは割り箸と紙ゴミだった
らしく、枝はほぼ焼け残っていた。
 これらの経緯を受け、疑惑が橋部に向いてしまった。急先鋒は、やはりとすべきか、
真瀬である。
「橋部先輩、マッチとロウソクを調べて、最も容疑が濃いのはあなただと言うことにな
りそうだ。それ自体は認める?」
「証拠と常識的な理屈からすれば、そうだろうな。犯行を認めはしないが、疑われるの
はやむを得まい」
 当人は否定しなかったが、外野から意見が飛んだ。柿原だった。
「待って、真瀬君。最初の事件と違って、昨晩から今朝未明までの犯行に必要なマッチ
棒の推定は難しいと思う」
「どうして? 最低でも二、三本。闇の中で物を探すから、もっと必要だろう」
「はっきり説明してなかったけれども、切断された足を見付けて調べる過程で、懐中電
灯を使ったんだ。だからまず、犯行に懐中電灯が使われていないことを確かめたいな。
ねえ、村上さん?」
「あのあと、金庫に仕舞ったわよ」
 話のいきさつから、自らにお鉢が回ってることを予想していたようだ。村上は即答す
る。
「さっき、君のロウソクを取り出したときに見たから、いちいち調べに行かなくても答
えられる。間違いなく、懐中電灯はあった。動かされた形跡もなしよ」
「分かりました。ありがとうございます」
 柿原の言葉に被せるようにして、真瀬が「ほうら見ろ」と短く口走った。
「慌てないでよ、真瀬君。まだなんだ」
「まだ? そういえばさっき、『まず』とか言ってたな」
「うん。もう一つの可能性、携帯端末の明かりを利用した可能性を検討しないとね」
「携帯のって、そんなことすれば、あからさまな疑惑の材料を残してしまう。だから使
わないというのが読みだろ。それともあれか。裏を掻いたっていうのか」
「いや、自分の携帯を使う可能性はないと思ってるよ。まあ、調べてみてもいいだろう
けど、今僕が言いたいのは、亡くなった二人の携帯端末」
「あっ」
 真瀬以外にも、虚を突かれたような反応の声が複数あった。
「尤も、小津部長のコテージはしっかり閉ざされているし、再度、格子を外す面倒を犯
人がやるとも思えないから、無視していいかもしれない。最優先で調べるべきは、関さ
んの携帯」
 柿原は力強く言い切った。

 有志三名――柿原と村上と湯沢とで、関のコテージ内を改めて探すことになった。犯
人が関の携帯電話を持ち去った恐れが懸念されたが、幸い、すぐに見付かった。荷物の
一番上に置かれていた。代表して、村上が手に取る。念のため、軍手を填めている。
「彼女、ロックを掛けてないのね。――減ってはいるけれども」
 村上は首を捻りながら、液晶画面を二人に向けた。とりあえず、現時点での表示をカ
メラに収めておく。それからじっくり見ると、バッテリー残量は半分を少し下回ってい
た。
「ほとんど使わずない環境で、充電せずに四日目なのだから、自然に減った分がこんな
ものよ。単純に比較していいものか怪しいけれども、私のも確か同じぐらいの残量」
 喋りながら、村上は自身の携帯で確認をした。同様の減り具合だった。柿原と湯沢も
それぞれチェックし、「僕も同じくらいです」「私もおおよそ半分ですね」と知らせ
た。
「当然、何かを照らすのに使ってはいないと。残念だけど、橋部さんへの真瀬君の疑い
は、消せそうにない」
 携帯の電源を切ろうとした村上を、柿原が止めた。
「あ、待ってください。ついでに、少し調べましょう」
「調べるって、これを? プライバシーの侵害よ」
「そんなつもりはありません。村上さんも承知の上で、敢えて忠告してくれているんで
すよね?」
「……何を調べたいの」
「関さんはハチを気にしていました。ハチが苦手だとしても、あんなに気にするのはち
ょっと変だった。もしかしたら、事件に関連する何かに気付いて、ハチが気になったの
かも」
「ないとは言い切れないでしょうけど、今の時季、ハチは実際にはいないんでしょう
?」
「はい。だからこそ気になりませんか。関さんは多分、ハナアブをハチと見間違えたん
でしょうけど、怖がっている素振りは感じられませんでした」
 柿原が言うと、湯沢が同意を示した。
「私も関さんが言ってるのを聞きましたけれど、怖がっているという風ではなくって、
気にしてる感じ? もしかしたらハチがいるんじゃ……っていうニュアンスに聞こえた
かな」
「関さんは蜂蜜にアレルギーがあったとか、ないですよね」
 柿原が女性二人に尋ねた。村上と湯沢は顔を見合わせ、首を傾げた。
「聞いたことないわ。もしアレルギー持ちだったなら、日常生活で周囲の人達にも知っ
てもらわないと危険だから、黙っていることはないと思うけれど」
「あっ、私、関さんが蜂蜜の掛かったクレープを食べるのを、見た覚えがある」
 湯沢の証言ではっきりした。
「ハチの刺す行為を怖がっていたのではなく、アレルギーでもないとしたら、何が残る
のかしら」
 村上の疑問に対し、柿原はあることを思い付き、「携帯の検索履歴、見てみません
か」と言った。
「何故? キャンプ場を含むこの辺りでは、全然つながらないはずよ」
「だめと分かっていても、試してみたくなることってありませんか」
「もちろんあるわ。実を言えば、小津君が亡くなって、土砂崩れで閉じ込められたと分
かったあと、つながらないか、一度だけやってみた。だめだったから、すぐにあきらめ
たけれども」
「それです。村上先輩と同じ心理で、関さんはアクセスを試みたかもしれません」
「いや、だから、どうして検索履歴なの?」
「根拠はあってないようなものですが……ネットにつなぐか電話を掛けるかしようとし
た記録があったとしても、見たってしょうがない。意味があるのは検索履歴だと思っ
た、それだけのことです。つながらなかったはずですから、実際には変換履歴になるの
かな」
「ハチについて、関さんが何か調べようとしていたかもしれない、と言うのね。日本語
入力の変換履歴は――」
 柿原の意図を解した村上は、関の携帯を手早く操作した。
「あ。昨日、アブとアナフィラキシーショックを変換していた記録があるわ」
「アナフィラキシーショック!」
 疑問が解けた気がした柿原。だが、それはほんの短い間のことで、根本的解決にはつ
ながらないと思えた。
「アナフィラキシーショックって、ハチに二度目に刺されたとき、起こす恐れのある症
状でしょ? それをどうして関さんが調べてたのかな」
 湯沢が口にした疑問に対する解答は、推測が可能だった。
「多分だけど関さんは、小津部長の死はアナフィラキシーショックが原因ではないかと
考えた。でもハチはいない。アブでも同じことが起きるのかどうかを知りたかったんだ
と思う」
「アナフィラキシーを思い付いたのはいいとして、誰にも言わなかったみたいだが、そ
れは何でなんだろう。殺人じゃなく、事故だった可能性が高くなるのは、いいことじゃ
ないの」
 村上の眉間には深い皺ができていた。関の行動が理解しがたいものに映ったのだろ
う。
「……分かりません。小津部長の遺体の様子は、アナフィラキシーショックが起きたと
きの症状に似ている気がします。でも、関さんは明らかに殺されている。部長の死も、
アナフィラキシーショック等の事故じゃなく、他殺と見なすのが妥当……」
「わざとアナフィラキシーショックを起こさせたとしたら?」
 湯沢の放った意見に、村上も柿原もしばし言葉を失った。
「あの……?」
「故意にアナフィラキシーショックを起こさせたとしたら、れっきとした殺人。そし
て、犯人はそのことに気付いた関さんを口封じした――あれ?」
 村上は一気に喋ったが、不意に止まった。
「事故死を装うつもりだったなら、足を切断するのは真逆の行為だわ」
「そう、ですね」
 理屈が通らない。見通す先に光が差し込んだかと思ったのに、かえって混乱してき
た。
「右足に傷をたくさん付けたのは、ハチの刺し傷を隠すために思えます」
「そもそもの話、ハチはいないんでしょ? どうやってアナフィラキシーショックに見
せ掛けるの?」
 柿原は黙った。これ以上考えても、泥沼にはまり込むだけのようだ。
「村上さん、湯沢さん。この検索のことは、他の皆さんには打ち明けないでおきません
か。知ったら、今の僕らと同じように、迷宮に入って出られなくなりそうな気がしま
す」
「――なるほどね」
 村上は少し考え、分かったように頷いた。
「ここにいる三人の中に犯人がいないなら、犯人に対する情報隠しにもなる、というこ
とかしら」
「好きに解釈してくださって結構です、はい」
「基本的に賛成。でも、誰か一人だけ、他の意見を聞いてみたいわね。橋部さんとか」
「橋部さんはアリバイがないので、できれば避けたいですが」
 他にアリバイがあると言えそうなのは、戸井田、犬養、真瀬の三人だが、戸井田と犬
養はそれぞれどちらかに話せば、他方に喋ってしまう可能性が高い。真瀬は些か興奮気
味なのが気になる。アリバイのない沼田は、小津の死にショックを受けてから依然とし
て落ち着いていないように見える。
 こうして適任者がいないことを、柿原自ら認めた。
「結局、橋部さんが一番いいみたいですね。真瀬君に言わせれば、橋部さんへの容疑は
濃くなる一方なんだろうけど」
 湯沢からも反対意見は出なかったため、検索履歴の件は柿原が折を見て橋部に伝える
ことになった。
 小津の携帯端末のバッテリーも異常なしであることを確かめたあと、メインハウスに
戻った。と、真瀬が「時間が掛かったようだけど」と、柿原らにまで疑うような目を向
けてきた。
「携帯を見付けるのに、少し手間取ってしまってさ」
 予め考えていた釈明をしてから、柿原は関の携帯端末のバッテリーが、放置しておい
て自然に減る割合を逸脱していなかったことを告げた。
「そうか。こっちも待っている間、念のために、互いの携帯を調べていたんだ。誰もお
かしな減り方はしていない」
 真瀬はそれから、村上に顔を向けた。
「公平を期して、そちらの三人の分も調べたいんですけどね」
 拒む理由はない。調べた結果、村上、湯沢、柿原の携帯も通常の減り具合だった。
「残るは柿原、君のノートパソコンだ。前に何度か大学へ持って来たとき、バッテリー
がへたっているのか、減るのが早いと嘆いていたよな。満タンで八時間持つはずが、使
い始めて直に七時間ぐらいになるって。あれ以来、バッテリーは交換して――?」
「いない。勿体ないから、使える内は使うよ」
「その分じゃあ調べても意味がなさそうだが、持って来てくれるか。あ、いや、こっち
から足を運べばいい。今度は俺と村上先輩が着いて行くということで」
 イニシアチブを取る形の真瀬には、何かに取り憑かれたようなものを感じなくもな
い。今は大人しく従っておくとしよう。
 その後、7番コテージにて行われたチェックで、柿原のパソコンのバッテリー残量は
36パーセントと表示された。判断の難しい値に、村上だけでなく、真瀬も黙ってい
る。柿原はとりあえず、使用状況を話すことにした。
「夜になって色々メモを書いて、そのあと、このバックライトで本を読んでみたんだ」
「あれか。ロウソクを使うのかと思っていたら、こっちとはな」
 二人のやり取りのあと、古本を借りていたことを柿原が村上に伝えた。
「それで、六時前ぐらいに起動したときが残り六時間目安で。九時前にスイッチを切っ
たから、三時間使ったことに」
「計算上、おかしくないわね。昨日よりも前にも、こっちに来て使ったんでしょう? 
その分を含めると、昨日の夕方に起動した段階で残り六時間。三時間経って残り36
パーセント。満タン八時間の36パーセントは、大体三時間」
「疑うとすれば、夜六時前から九時前まで、ずっと点けていたかのかってことになる
が」
 真瀬の言葉には遠慮がなかった。
「ソフトを起ち上げ、文章も書いていたから、自動保存機能が働いていると思うよ。そ
の記録を見てくれたら、一定間隔で文書が保存されたと分かるはず」
「なるほど、理屈だな」
 真瀬と村上が柿原のパソコンを触って、タイムスタンプに当たったところ、六時から
九時までの間に、十分おきに文書保存がなされていると分かった。
「犯行にパソコンのバックライトを使ったという線も、これで潰せた訳ね」
 村上の言葉に真瀬は首を縦に一度振ってから、ただしと言い添えた。
「厳密には、十分おきに起動させることで、バッテリーの節約は可能だけれども、その
電源の入り切りの記録も残る。犯行に使ったとすれば、真夜中に使った記録だって残
る。あとで調べてすぐにばれるような嘘を、こいつがつくとは思えないので、認めるこ
とにしますよ」
「嬉しいよ。皮肉でも何でもなく」
 柿原が微笑を浮かべてみせると、真瀬は少々気まずそうに、ぷいと背を向けた。
 そうしてメインハウスに戻って来るなり、真瀬は言った。
「今度こそこれで決まり。現時点での最有力容疑者は、橋部先輩、あなたになります
よ」
 彼の声には、どこか勝ち誇った響きがあった。ぎすぎすした雰囲気の中、パソコンが
使われた可能性がなくなったことが知らされる。橋部は年長者として冷静に受け止め
た。
「そうだな。客観的には俺が第一容疑者になる。さっきも言ったように、犯行を認める
訳じゃないが」
 答えると、村上の方に顔を向けた橋部。
「すまないが村上さん、俺が主導権を握ってあれこれ決定を下すのは、ここまでのよう
だ。これからは君が決めてくれ。しっかりしたアリバイもあるし、村上さんなら皆、文
句あるまい」
「……やむを得ない状況ですから引き受けます。責任を問われる立場であるのは元から
変わりませんし」
 あきらめを含みつつも、改めて覚悟を決めたように、村上は応じた。そして混乱の口
火を切った真瀬に聞く。
「それで? 真瀬君はこのまま犯人探しを続けたいのか、歩いてでも早く下りていって
外部に知らせたいのか。どっちがしたいの」
「全員揃っての移動が原則なら、従いますよ。歩きながら、色々と言うだろうけど」
「結構。他の人も賛成――ああ、犬養さんは? 体調は戻った?」
「完全にじゃありませんけれど、だいぶ。ゆっくりしたペースなら、ついて行けると思
います」
 犬養がやる気を見せたちょうどそのとき、横に立つ戸井田が「あれ?」という声をこ
ぼし、斜め上方の天を見た。
「どうにか聞こえた予報じゃあ、降らないはずなんだけどな」
 そこには黒い雲がじわりと広がっているようだった。すでに雫が地を叩く音が、遠く
から届いている。十分と経たない内に、この辺りも雨に降られると容易に推測できた。
「出発は延期しなければいけないみたいね」
 村上が呟くのへ、真瀬が言った。
「本意じゃないが、再び土砂崩れが起きるってこともあり得るんじゃ?」
「そうね。雨が上がっても、出発は安全確認ができてからにしたい……戸井田君、ラジ
オの電池はまだ保ちそう?」
「新品を入れて来た訳じゃないから分からない。でも、多分、大丈夫」
 ラジオの乾電池は懐中電灯のそれとはサイズが違うため、代用は利かない。
(外部への通報が、どんどん遅れる……嫌な感じだ)
 出入り口まで来た柿原は、軒先の外へ右手を出してみた。雨粒が包帯に滲んだ。

 出発の準備という名目で、皆が各自のコテージに籠もり、しと降る雨がかえって静か
さを強調する。そんな中、柿原のコテージに橋部がやって来た。
「何か手伝うことないか」
「特には……」
 とりあえず、先輩の言葉を真に受けた返事をした柿原。そのあとに話が続かないのを
見極めると、逆に聞いた。
「事件のことで話があって、来たんじゃありませんか?」
「ご名答。手伝う用事があるってことにして、中に入れてくれ」
 応じると、橋部は上がり込んで、ドアをロックした。傘は外から壁に立て掛けたよう
だった。
「手短に言うと、零余子のことを見ておこうと思ってな」
「僕もそうしたいと思ってました。あと、高枝切り鋏も」
 柿原の返答に、橋部は我が意を得たりとばかりの笑みを浮かべた。
「天気はよくないが、見る分には問題ないだろう。何らかの発見があった場合、他の連
中に言うかどうかが、悩みどころ」
「何を発見したかによるでしょう。どちらかと言えば、何も発見できなかった場合、人
形に零余子が使われた事実を皆さんに知らせるかどうかの方が、重要な気がします」
「かもしれんなあ。うーん」
「橋部さんの他に、零余子の生える場所が限定的だという話を、どなたが知ってるんで
しょう?」
「うん? おまえを除くと、小津だけだ。というか、小津が最初なんだ。小津の親族が
このキャンプ場を所有してるって話は、したっけか?」
「噂で聞いたぐらいですが」
「充分だ。小津なら合宿時に限らず、このキャンプ場に何度か来てるだろうから、零余
子の生える特定の場所を把握できたんだな。それを春の合宿で、俺にこっそり教えてく
れたんだよ。いつかトリックに使うつもりだけど橋部先輩なら使ってもOKですよって
な。俺がその前の夏頃に、トリック作りのヒントをやったんで、そのお返しってことだ
った」
「ははあ。じゃあ、小津部長が亡くなるまでは、誰にも言っていなかったと」
「もちろんだが、俺も後輩のネタをそのまま使うのも何だかなぁ、と思って、お蔵入り
させていた。今回、小津が山の案内をしたと聞いたから、てっきりおまえ達に話したん
だと思ってたが、違っていたようだし、小津も誰にも言わなかった訳だ。他の部員が自
力で気付いた可能性を排除するものじゃないが、今頃の時季にここに何度も来たことが
なければ、気付けるはずがない」
「なるほど」
「それじゃ、行くか。雨、ましになったようだから、ちょうどいい」
 腰を浮かした橋部。が、柿原にはまだ話があった。自らも立ち上がって引き留める。
「朝食後、2番コテージに村上先輩達と行ったとき、ちょっとした発見があって、でも
内密にしていたんです」
 それから関の携帯端末にあった検索履歴(変換履歴)について、過不足なく説明す
る。
「と、そんな訳で、他の四人には今は内緒で。その上で、橋部さんのご意見を」
「聞いたばかりでは難しいな。考える時間をくれ。今は、零余子を先にしよう」
「はい。それと、あとでもいいんですけど、高枝切り鋏も見ておきたいんですが」
「分かった。先に鋏だな。みんなに見られても、他に凶器になり得る物がないか、調べ
ていたと答える。いいな?」
 黙って首肯した柿原だったが、また別のことを思い起こし、声を上げた。
「あ、僕、傘を持ってきてないんでした」
「……山を甘く見てるな。しょうがない。俺のはでかいこうもり傘だから、入れてや
る」
 男同士で相合い傘となった上に、橋部の方が背が高いこともあって、先輩に傘を持た
せる格好に。柿原が肩をすぼめているのは、雨を避けるためだけではなかった。
「よし。あった。あれが鋏だ」
 物置小屋に来ると、奥まで入って行き、橋部が指差す。高枝切り鋏は、左隅の棚に寝
かされていた。摘果用ではなく、剪定鋏の柄を長くしたタイプで、全長で約二メート
ル。全体は金属の銀色、所々に青や黒のラインが横に入っている。持ち手部分も黒色。
刃の部分にはオレンジ色のカバーが被せてある。
「最近、使用されたかどうかまでは分からないが、自由に持ち出せる環境にあったのは
確かだな」
「持ち手を捻って縮めれば、一メートルもないですね。これなら持ち出しても、さほど
目立たない」
 無論、目撃されれば何事かと聞かれるかもしれないが、言い訳はいくらでもできよ
う。
「次、行くか」
 物置小屋を出る前に長靴に履き替えておく。柿原は右手の怪我がちょっぴり気になっ
たが、紐を結ぶときはしっかりと力を入れた。
「器用なもんだ」
 感心した風な口ぶりの橋部。柿原は首を横に小さく振った。
「いやいや。あのときも感心したんだぜ」
「あのときって?」
「『他履くの紐』実験の第二弾だよ」
 『他履くの紐』:“人は他人の靴紐を結んでやるとき、自分の靴紐を結ぶときとは逆
の結び方になるのかどうか”を調べるミステリ研内の実験は、第一弾が現二年生と三年
生を対象にしたが、第二弾は新入会の一年生を対象に、散発的に行われた。
(あのとき居合わせた人で、今回来ている人は、小津部長を含む先輩方全員と、一年生
では犬養さんと湯沢さんか)
「あのときは意に沿わないやり方をしちゃったみたいで」
「あれはあれでよかったさ。そうそう、柿原は最後だったから直接は見てないだろうけ
ど、犬養さんの結び方がおかしかったんだ。変と面白いの中間みたいな」
「へえ、初耳です」
「結ばれる役は戸井田がやったんだが、犬養さんは何と、戸井田のいる側に回って、後
ろから手を回して結ぼうとしたのさ。あれには唖然としたよ」
「ははあ。なるほど、それでかな?」
「うん、何が?」
「えっと、あとで時間があるときに話します。お喋りで時間を取られてる場合じゃない
ですよ」
 準備万端整い、山の方を目指して歩き出した。と言っても、山の登るのではなく、そ
の入口とでもすべき地点だから、楽だ。初日と前夜に訪れているので、柿原にも勝手は
分かっている。
「あれだ」
 左手を伸ばして示した先には、びわの木が崖の方へと幹を伸ばしていた。その枝のい
くつかに、蔦のような物が巻き付き、螺旋を描くような感じで先端へ向かっている。
「――あ、切った跡みたいなものが」
 柿原は念のため、小さな声でその発見を伝えた。一本の比較的細い枝が、他と比べて
不自然に短い。よく見ると、その先端では白い木肌が覗いている。
「自然に折れた感じじゃない。高枝切り鋏を用いて、あの枝を切ったのは確かだ。零余
子の蔦も同時に切ったと思うが、さすがにはっきり断言できるもんじゃないな」
「さっき見た鋏で切った場合、落ちちゃいませんか」
 不安に駆られ、尋ねた柿原。返って来た答は、すぐに安心させてくれるものだった。
「うまくやれば、刃に挟んだ状態で、手元に持って来られる。いや、どちらかと言え
ば、きれいに切り落とす方が難しい。丁寧に手入れしてる訳じゃないからな」
「よかった。切られた枝、探してみます?」
「見付けたとしたって、あの枝の先端だったと決め付けられないと思うが……それらし
き物は落ちてるな」
 顎を振った橋部。その先を見やると、三つほどに細く分かれた、長さ七、八センチく
らいの枝が落ちていた。びわの木に間違いない。雨に濡れてはいるが、金属の刃で切断
されて、まださして時間が経ってないと分かる。
「あっ、蔦も絡んでます。零余子?」
「すまん。そこまでの知識はない。あの木を切った物がこれなら、蔦は山芋、つまり零
余子だってことは言える。何にせよ、物証になり得るから、保管しておくか」
「……目立たない方が賢明かもしれません。持ち帰ったところを犯人に見られたら、対
策を講じられる恐れがありそう」
「ふむ。人形だけでもかなり有力だが、枝を持ち帰ったことで逆に勘付かれては元も子
もない……理屈に叶ってる。ならば――」
 橋部は携帯電話を取り出すと、地面にレンズを向け、カメラ機能で問題の枝を写真に
撮った。さらに立ち木の方に焦点を合わせながら、「柿原も撮っておいてくれ」と言っ
た。

――続く




#1106/1117 ●連載    *** コメント #1105 ***
★タイトル (AZA     )  18/03/04  22:52  (467)
百の凶器 10   永山   (追記あり)
★内容                                         18/03/14 10:39 修正 第3版
 柿原は、一つの傘の下にいるのだから今すぐ撮影してもほぼ同じ角度の物ばかりにな
るだろうと思い、しばし待った。橋部が撮り終えた段階で、立つ位置を多少変えて、何
枚か写真に収めた。
「戻るぞ。また雨が強くなった気がする。すぐにやむと思ったのに」
「はい」
 急ぎ足で戻りながら、人形はどこに保管したんですかと聞いた柿原。
「村上さんに頼んで、例の金庫の中に。小さな金庫だから、これ以上、証拠品が出て来
たら、入りきらなくなるかもな」
「村上さんを信用できる人だと、橋部先輩も考えているんですよね?」
「まあ、事件に関してはな。小津が死んだ時間帯にアリバイがあるのが大きい。同じ理
由で、湯沢さんも」
「アリバイと言えば、犬養さんにもありますし、足の切断に関してなら真瀬君にも」
「柿原、おまえ、分かっていて言ってるんだろう?」
「何がでしょう」
「とぼけやがって。スイリストのおまえが見落とすとは思えん。ま、俺の私感を述べる
とだな、犬養さんのアリバイは、音だけで成り立っている点が気にならなくもない。真
瀬の方は、アリバイと言っても時間的な物じゃなく、マッチ棒の数だからな。たいまつ
でも拵えることができて、なおかつ、飛び散った灰や燃え残ったたいまつをうまく処分
できれば、可能性は残る。割り箸は否定されたが、紙を捻るなり何なりすれば、あるい
は」
「確かにそうですが、僕は犬養さんのアリバイ証人として、あのときの声は、コテージ
内から間違いなく聞こえたと言えます。たいまつ説については、燃え残りはともかく、
灰をきれいに消し去るのは無理だと思うんです。
 足の切断に関して、必要なマッチ棒の数を、落ち着いて考えてみたんですよ。9番コ
テージの格子は、八つのネジで固定されていました。暗がりであれを外すときは、ネジ
の頭を手探りで探せば何とかなるかもしれませんが、付けるのには、そうも行きませ
ん。ネジを落としたら元も子もないからです。ネジ穴を照らして見付け、ネジを穴に入
れ、ドライバーを宛がって回す。一箇所につきマッチ一本、少なくとも八本のマッチ棒
が余分にいる。他にも、犯人自身のコテージと9番コテージとを往復する際には、ロウ
ソクを使ったはずですが、点けっ放しだとロウソクが短くなり過ぎて怪しまれるので、
9番到着後、不要時には消したはずです。何せ、足を埋めるときは絶対にロウソクの火
に頼ることになるんですから、コテージでは節約しなければいけない。コテージの行き
来で二本。加えて、コテージ内で足を切断するときも、どうしてもロウソクで照らす必
要があったでしょう。合計すれば十一本になりますが、最後のネジを締めるときに使う
マッチで、帰りのロウソクにも火を着けたとしたら、十本で済みますね。結局、十本の
マッチ棒を余分に持ってないと、犯行は不可能になる。ロウソクが余分に手に入ったな
ら、マッチは一本あれが足りるかもしれないのですが、ロウソクの数は亡くなった人の
分も含めて、合っているみたいですし」
「分かった上で、一応、否定の理由を持っているという訳か」
「先輩はどう思われます?」
「柿原の分析に一票入れてもいい。だが、それだと容疑者がゼロになるんじゃ?」
「いきなりゼロにはなりません。単純計算で、十本以上使っていたのは、犬養さんと真
瀬君。十本使ったのが僕と関さんになります」
「関さんは被害者になったから除外。おまえは火起こし係だから、実際には十本を丸
々、犯行に費やせる訳じゃない。除外。真瀬にしても、関の証言で余分には持っていな
かったと分かった。除外。犬養さんだけが残った」
「犬養さんにもアリバイがあります」
 柿原は頑なに主張した。
「それを認めるとなると、結局、容疑者がいなくなるじゃないか」
「そうなんですよ。どこかで間違ったんです。どこだか分かりませんけれど」
 とぼとぼ歩いて、メインハウスまで引き返して来た。ようやく小雨になったので、柿
原はここからは自分一人で戻れますと言った。
「長靴はそのままでいいんだな? 気を付けて行けよ。履歴の件は、もう少し考えと
く」
 そう言う橋部に礼を述べ、柿原は7番コテージまで急いで走ろうとした。が、このタ
イミングでこそ聞けることがあったんだと遅ればせながら思い当たった。かかとで急ブ
レーキを掛けると、泥水が散った。長靴だから気にせず、きびすを返して橋部のあとを
追う。じきに追い付いた。
「うん? やっぱり傘に入れてくれってか」
 振り返った橋部に、柿原は「あと一つだけ」と言った。傘の下に再び入ってから、深
呼吸をし、改まった調子で始める。
「橋部さん、もう遠慮している場合じゃないので、率直に伺います」
「お、何だ?」
「最初の日の夜、食事中に部長と話していた『あれ』って何なんですか」
「『あれ』? そんな話してたか」
「ええ。秘密めかして話しているのが、偶然聞こえただけですけど、この耳でしっかり
と」
「『あれ』ねえ……」
 記憶の掘り起こしに努める風の橋部。顎に片手を当て、斜め上を睨む様は、ポーズの
ようにも受け取れる。が、やがてぽんと手を打った。
「分かった、思い出した。『あれ』」ってのは、DVDソフトのことだ」
「やっぱり」
「何だよ、おい。質問しといて、分かってたのか?」
「い、いえ。何らかの映像であることだけは想像が付いていたという意味です」
「中身までは不明か。そりゃそうだな。秘密めかしたのは、みんなに見せるまでは文字
通り秘密にしておきたかったのと、もう一つ、結構恥ずかしいネタだからだ」
「恥ずかしい物だというのも、何となく想像していましたけど……橋部さんが、です
か」
 部員の誰かにとって恥ずかしい物だと推理していたのに、まさか、用意した当人にと
って恥ずかしいとは一体……もしや、小津が橋部を脅そうとしていたのかとまで考えた
柿原。しかしその推理は外れていた。
「勿体ぶるつもりはさらさらないんだが、その手の恥ずかしい物だから、言い出しにく
いというだけで。仕方がない。見せてやるから、コテージまで来るか」
「ぜひ」
 10番コテージまで、気持ち急ぎ足で辿り着くと、橋部は鍵を開けて中に入り、バッ
グを持って戸口に戻って来た。
「――これだよ」
 バッグの中から、無造作に取り出されたそれは、DVDのケースだった。もちろん、
中身も入っているのだろう。ジャケットにある文字は、こう読めた。
「『聖子のお尻』?」
「『痴漢電車 聖子のお尻』な」
「アダルト、ですか」
「ああ、見たまんま」
「市販品、ですよね」
「うむ。かなり旧い。昔はビデオソフトで出ていたらしい。検索したら、多分ヒットす
るはず」
「あの……市販品に、誰か関係しているんですか」
「誰かって?」
「ミス研の誰かが、ですよ」
「何を勘違いしてるか知らないが、そういうことは一切ない。恥ずかしいってのは、シ
ンプルかつストレートに受け止めろ。女性部員もいる部活に、アダルト物を持って来る
のはどうかという」
「じゃ、じゃあ、何でわざわざ持って来るんですか。他の機会を作れるでしょう」
「それでもいいんだが……知らないみたいだから、この際、教えておこう。アダルトビ
デオながら密室トリックのあるミステリ作品でもあるんだよ、これは」
「へ?」
「今は視聴するような雰囲気じゃないし、この先もいつ見られるか不透明だが、とにか
くあとで確認するといい。ハードルを上げたくないんで、詳しい内容は言わんよ」
「はあ……つまり、このDVDは、事件とは無関係……」
「そうだな。俺は犯人じゃないから、断言はできないが」
 橋部の言葉を、柿原は肩を落として聞いた。
「事件のポイントかもしれないと思って、ずっと気になっていたんです」
「がっかりする必要はない。関係ないということが分かったんだから、収穫ありだ」
「ええ……事件の全体像が、これでだいぶすっきりしました」
 気疲れを覚えつつも、柿原は頑張って笑みを作った。

 いつまで経っても、雨が上がることはなく、どちらかといえば天気自体が下り坂に入
ったようだった。
「お昼が来ちゃったか」
 時計と空とを交互に見やっていた村上が、困った風な声を漏らした。方針を決めるべ
く、メインハウスに集まったところだが、文字通り雲行きが怪しい。
「決断のタイムリミットは……四時といったところかしら? それ以降だと、橋のとこ
ろまで辿り着いた頃には、誰もいないなんてこともあるかもしれない。見張りの人が交
代で立つとは思うのだけれど、確証がないし」
「雨の勢いが強くなるようだと、監視カメラを置いて完全撤収ということもあり得そう
だからなあ」
 戸井田も先行きを見通せない現状に、不安を隠せない様子。ため息が増えている。
(事件が起きてなけりゃあ、一人か二人、体力のある人が行けば済む話なんだよね。ま
あ、事件がなかったら、車をパンクさせられてないだろうけど)
「俺としちゃあ、証拠が流れてしまう方が気になりますね」
 真瀬がやや唐突な物言いをした。挑発ではないにしても、何もできない今の状況にい
らいらしているのかもしれない。
 実際のところ、できる限りの応急処置はしておいた。雨の影響をもろに受けるのは、
たき火跡だが、大型のバケツを被せて保存に努めている。
「俺が言いたいのはそこではなくて、小津部長の右足が埋められていた場所。雨で分か
らなくなるんじゃないかって」
 真瀬の懸念も尤もであるが、完全に消えてなくなることはあり得ないだろう。キャン
プ場全体が土砂崩れを起こしでもしない限り。
「体力の温存を考慮して、そちらの捜索はしないでいたんだけれども、体力に自信があ
るのなら、やってみる?」
「どっちでもいいです。正直言って、疑心暗鬼に陥ってますから、俺」
 意外な台詞に、他の者の目が一斉に真瀬へと注がれる。
「捜索して埋めた場所が見付かったとしたって、俺自身が見付けたのでなければ、発見
者に疑いを掛けそうです。分かってるんだ。何かもう、信じられるものがなくて、耐え
るのがしんどくなってる」
 真瀬は机に投げ出していた手を組むと、右の親指で左の手の内を掻くような仕種をし
た。
「あの、真瀬君。気になってたんだけど」
 どう対処していのか戸惑う空気が漂う中、柿原が声を掛けた。
「左の手の平を掻く回数が増えてるみたいだ。ウルシのかぶれが今頃になって酷くなっ
たんじゃあ?」
「あ? ああ、こいつか」
 自身の左手を見下ろす真瀬。自嘲の笑みを浮かべながら続けて言った。
「ウルシに触ったのは一日目か。凄く前みたいな気がする。しばらくしてから症状が出
て、ちょっと鬱陶しいなと思っていたら、関さんがかゆみ止めの塗り薬をくれた。何回
かもらってた間は収まってたんだが、今日は薬、もらってないから、かゆみがぶり返し
てきやがった」
「そういうことなら、早く言えばいいのよ」
 村上が反応し、動こうとする。2番コテージに行って、関の持ち物から塗り薬を探し
て持って来ようというのだろう。
 そんな村上を橋部が止めた。「行くのなら少なくとも二人一組で頼む」と言われ、村
上は湯沢を誘って、出発した。
 橋部はそれから真瀬に向き直り、「俺に言われるのは気に食わないかもしれないが、
手を見せてくれ」と求めた。
「別に今は、気に食わなくはないですよ。疲労困憊って感じで」
「いいから、早く」
 中途半端な開き方だった真瀬の左手を、多少強引に、きっちり見えるようにする橋
部。真瀬の左手のひらには、手相の一本が腫れ上がったような痕跡が認められた。細長
い形が、ウルシの形を想像させる。所々に、赤く小さな点がポツポツと見受けられた。
「俺の朧気な記憶だが、ウルシの症状が出るのは、触ってから八時間後ぐらいから、二
日後っていう場合もあるそうだ。薬を塗ってたとしても、よく我慢したなあ」
「関さんの薬だから、より効果があった気になったんですよ、多分。薬の効能じゃな
く、プラシーボかもしれませんね。――柿原だって、湯沢さんに手当てしてもらった方
が、治りが早い気がしたんじゃないか?」
「僕を巻き込まないでよ」
 抗議する柿原だが、刺々しかった空気が和らいできたことには安堵していた。ふと気
付くと、戸井田と犬養の二人も緊張が少し薄らいだ表情で、言葉を交わしている。沼田
はまだ浮かない顔だが、それでも最悪は脱したように思えた。
 しばらくすると村上達が戻って来た。彼女からチューブタイプの塗り薬を渡された真
瀬は、自分で左手に塗った。
「もらっておいていいと思います?」
 誰とはなしに問う口調の真瀬。まだ中身のある塗り薬を、ペンの如く右手親指の上で
回していた。村上が答えた。
「借りておくのなら、いいんじゃないの」
「なら、遠慮なく」
 胸ポケットに薬を仕舞うと、真瀬は俯いた。たまたま、左胸に右手を当てるポーズに
なったが、そのことが新たに感情を揺さぶったのかもしれない。
 そこへ、ぱんという乾いた音が立てられた。村上が手を打ち、皆を注目させる。
「どうするかだけど、四時までに雨が上がれば、そのあとの雲行きとは関わりなく、四
の五の言わずに出発しましょう。上がらなかったら、そのときの雨の勢いを見てから決
める」
「それでいいと思います」
 いち早く賛同したのは湯沢。話ができあがっていたようだ。柿原も続く。流れが作ら
れ、村上の方針がそのまま通った。
「それまでの間は、自由行動という訳にはいかない。なるべく、ここにとどまって欲し
いのだけれど、強制はできない。だから」
 村上は橋部の方を一瞥した。
「さっき、橋部さんが言ったように、動くときは少なくとも二人一組で。お願いできる
かしら」
 異議は出なかった。
(二人一組の行動を認めるということは、犯人と二人きりになるケースもある。でも、
その状況で相手を襲って殺したら、自分が犯人ですと言うようなもの。だから犯人は凶
行に走れない、という理屈なんだろうな。犯人が自棄になるとか、最後のターゲットだ
からばれてもいいとかだったら、組んだ相手はやられちゃうけど。現状、仕方がない)
 柿原は自分を納得させると、早速席を立った。
「あのー、僕、借りていたDVDのことで橋部先輩と話したいんで、ちょっといいです
か」
「内容まで断らなくていいのよ」
 村上は平板な調子で応じた。多分、柿原が橋部と何を話したいのか、本当のところは
察しているはずだ。
「橋部さんは?」
「問題ない。どこで話す?」
「物が手元にないので、僕のコテージの方にしましょう」
「分かった」
 7番コテージに向かって歩き出し、メインハウスから見えなくなる位置まで離れる
と、橋部の方から口を開いた。傘は二人で一本なので、殊更に耳打ちしなくても、小声
で充分聞こえる。
「まさかまじにDVDの話じゃないよな。携帯の履歴のことか」
「ええ。ご意見を聞かないと、村上先輩に怒られるかもしれません」
「何だそりゃ。まあいい。意見は着いてから述べるとしてだ。ぶっちゃけて聞くが、柿
原は俺を犯人だとは思ってないのか? DVDのことは解決済みとは言え」
「断定はしていませんが、フラットな状態よりは、犯人ではない方に傾いています」
「何を根拠に?」
「必要と思われるマッチ棒の数、ですかね。小津部長の右足切断は、僕の計算では誰も
当てはまらないことになってしまいますし、関さんが殺された事件で橋部さんは、10
−5で五本使える計算になりますが、僕は右足が見付かったあとの経緯を見ていました
から。懐中電灯を併用したとは言え、あのときの橋部さんは、マッチを五本近く使って
いた気がします。仮に四本しか使っていなかったとしても、一本ぐらいでは関さん殺害
とたき火の細工は無理です」
「完全客観という訳ではなく、主観混じりってことか」
「現実にはそういうものでしょう」
 7番コテージに着いた。泥跳ねを気にしながらのせいで、いつもよりは時間が掛かっ
た。ドアの施錠をしてから、早速本題に入る。
「さて、俺の意見だが。小津の死因が何であるかとは関係なく、関さんはアナフィラキ
シーショックによるものだと考えたんだと思う」
「……でしょうね」
「アナフィラキシーを思い付くには、何らかのきっかけがあったんじゃないか。たとえ
ば、アナフィラキシーショックを起こした人を見た経験があるとか。だが、それなら思
い付いてすぐにでも周囲の者に言えばいい。現実には、関さんは誰にも話していないよ
うだ。何故か」
「待って、ちょっと考えさせてください。……アナフィラキシーによる死であっても、
事故じゃなく、他殺だと考えたんじゃないですか?」
「同感だ。彼女は部員の誰かが、故意にアナフィラキシーショックを起こす狙いで、小
津の長靴にハチらしき虫を入れるのを目撃したんじゃなかろうか」
「でも部員の誰かを疑うには確証がなかったでしょうから、とりあえず調べようとし
た。ハチが飛んでいないか、アブでも同じようにショックが起きないかを」
「うむ。ここからが難関だ。ハチがいないのに、アナフィラキシーショックは起きるの
か? 蕎麦などの食べ物によるアレルギーでも起きるが、状況にそぐわないだろう」
「現状の僕らでは、知識や情報が足りないのかもしれません」
「……思い出した。仮にアブでアナフィラキシーショックが起き得るとしてもだ、小津
部長はそういう体質じゃあないはずなんだ」
「え、どうして言えるんです?」
 怪訝がる柿原に対し、橋部は明快に答えた。
「あいつがアブに刺されたのを、複数回目撃しているから。春の合宿や大学で」
「そうだったんですか。だったら、アブじゃなかったことになる……」
 二人とも黙ってしまった。別角度からの意見を聞くために橋部に話したが、彼もまた
迷宮に入り込んでしまったかもしれない。しかし、柿原は刺激も受け取っていた。
「そもそも、関さんはハチを気にしていましたが、目撃したのがハチに似た何かを長靴
に入れるところとは限らないんじゃないでしょうか」
「というと?」
「関さんが目撃したのは、誰か犯人が小津さんの長靴に虫のような物を入れる場面だっ
た。その後、小津さんが亡くなり、関さんはひょっとしたらアナフィラキシーのせいで
は?と考えた。アナフィラキシーと言えばハチ毒が真っ先に思い浮かびます。だからハ
チを気にしたのかも」
「ふむ……そういう考え方もできるな。彼女の行動はどうにか説明がつきそうだが、犯
人の方の行動は理解しがたい部分が残るぞ」
「右足切断ですね。事故に見せ掛けたいなら、そのままにしておくべきなのに、切断し
た上に刃物で傷つけるなんて」
「俺が考えたのは、犯人は小津部長の右足に、何らかの決定的な証拠を残した場合なん
だが。証拠を処分するために、切断して持ち去った。刃物で傷を付けたのは、証拠隠し
の目的を隠すため」
「おかしいです。橋部さんの言う通りだったなら、長靴ごと右足を埋めた理由が分かり
ません。埋めたことは未確認ですが、ほぼ間違いないでしょう」
「そうなんだよ。それに、犯人によって長靴に入れられた虫が死因なら、その虫は長靴
の中にいると思うんだが。犯人は虫を取り除きたくて、足を切断した、なんてこともあ
るまい。9番コテージに忍び込んだとき、長靴を脱がせるだけでいいんだから」
「虫がいなかったのは、シンプルに捉えていいと思います。刺された瞬間に察した小津
さんが、急いで長靴を脱いで虫を追い出し、また履き直したところで身体に異常を来し
たと」
「うむ、筋は通る。考えてみれば、部長は不運過ぎる。いつものように厚手の靴下を穿
いていれば、刺される可能性はずっと低かった。右足は通常の靴下でも、もし犯人が左
の長靴に虫を入れていたなら、左足は厚手の靴下だったから、やはり刺される恐れはぐ
っと減るだろうに」
「いけない、すっかり失念していました。靴下のことがあったんだ」
 顔の下半分に片手を当て、考え込む柿原。その間に、橋部が口を開く。
「小津が普通の靴下を右足だけに穿くよう、犯人が仕向けるなんてできそうにない。靴
下は、小津自身の選択だと考えるべきだろう。一方で、長靴を履いた状態では、他人が
見ても靴下が厚手の物か普通の物か、判別できない。となると、犯人が虫を右の長靴に
入れたのは多分、偶然だろう」
「……でしょうね」
 相槌を打つと同時に、柿原は小津の様子を思い起こそうと努めていた。二日目の午前
中、小津はどうしていたか。
「橋部さん。アナフィラキシーショックって、二度刺されることが必要なんでしたっ
け?」
「うん? いや、一度でも起きることがあると聞いた覚えがある。稀だとは思うが」
「そうなんですか。じゃあ、厳密さを求めるなら、だめかぁ」
「何だ、言ってみろよ」
「いえ、時間差で複数回刺されたパターンを想定していたんですけれど、考えてみれ
ば、長靴の中の虫に続けざまに二度刺された可能性だってありますし、これでは推理を
うまく展開できません」
「――柿原の言いたいことが、想像できた気がする。犯人が、アナフィラキシーショッ
クは二度以上刺されない限り起こらない、と思い込んでいたとしたら? 換言すると、
犯人は小津を殺害するつもりなんてさらさらなかった、ただ虫に刺されてちょっと痛い
目に遭えばよかった。なのに死んでしまったとすれば……」
 橋部の台詞を柿原は受け取り、継ぎ足した。
「犯人は大慌てでしょうね。事故死に見せ掛ける意図もなかったのだから、パニックに
なって、本当に死因が虫に刺されたことなのか知ろうとする。右足を切断して持ち去っ
たのは、その恐慌状態故の行動。そして確認の結果、虫に刺された痕を見付けてしまっ
た。ごまかしたい一心で、刃物を使って右足に多数の傷を付けた」
「おお、筋道は通るじゃないか」
 感嘆の響きを含む橋部の声。しかし柿原は首を左右に振った。
「確証がありません。加えて、関さんが殺されているという事実は大きいです。小津さ
んが実は過失致死で、関さんが他殺というのはバランスが変ですよ」
「いや、それだけを理由に捨てるには惜しい仮説だ。そうだな……関さんが殺されたの
も、パニックの延長と考えるのはどうだ」
「……考える値打ち、ありそうですね」
 他にも、左右で異なる靴下を穿く状況、火あぶり人形という過剰演出等、気に掛かる
点はまだ残っているものの、基本的にこの線で進めるのは悪くないと思えた。少なくと
も、小津の死に関して、犯人が事故に見せ掛けたかったのか否か、矛盾する行動を取っ
たことの説明になっている。
「ぼちぼち戻らんか? 二人だけで長々と話していると、他の連中からよからぬ相談を
していると誤解される恐れ、なきにしもあらずだろう」
 冗談とも本気ともつかない口ぶりで、橋部が言った。

 メインハウスに戻ってみると、六人の間でも議論が起きてた。口論と呼ぶ方が近いの
かもしれない。中心となっているのは、真瀬と湯沢らしい。ぱっと見たところでは、腰
を浮かせた真瀬が一方的に湯沢を責めているようだが、詳細は分からない。とにかく真
瀬が憤慨し、湯沢は項垂れ気味で、涙目になっている。
 橋部が村上に聞いた。
「何があった?」
 村上は湯沢を支えるかのように背に手を当てていたが、その役目を沼田に任せた。そ
れから真瀬に向かって、「今、二人に説明するから、その間は黙って聞いていてよ」と
鋭い調子で言い付けた。
 真瀬は不承々々といった体で頷くと、元いた椅子に座った。
 その様にため息を吐いた村上だが、気を取り直したように面を上げ、橋部と柿原にこ
との経緯を話し始めた。
「最初、湯沢さんがね、『私の言った防御方法を関さんがやっていたら、助かったかも
しれないのに』と呟いたの。あ、独り言って意味じゃなく、私が聞き手。ぽつりって感
じで話したのよ。詳しい説明を求めると、コテージの外側のノブにウルシの蔦を巻き付
けておけば、何かあっても犯人の手はかぶれるだろうから、防御になるかなって考えた
と。そしてそのことを冗談半分に、関さんにも言っていたらしいわ」
 柿原は内心、ああ、あのことかと得心していた。
(実行していたからと言って、関さんが助かったかどうかは分からない。彼女は犯人を
招き入れた節があるのだから。でも、湯沢さんが気にするのも理解できる。理解できな
いのは、これを何故、真瀬君が激怒してるんだろう?)
 柿原は不思議に感じつつ、真瀬をちらっと見た。そしてすぐに思い当たった。真瀬の
左手のことに。
(そうか。真瀬君は左手にかぶれの症状が出ている。そのことを言われたと早合点し
て、つまり犯人扱いされたと解釈して、あんなに怒っているのか)
 柿原が瞬時に想像したのと同じことが、村上の口から話された。
「本当にごめんなさい。誰かを疑うという気持ちなんて全然なくて、ただ、あのときこ
うしていればって、後悔した。それだけ」
 消え入りそうな声で、どうにか言葉を紡いだ湯沢。真瀬の方は無反応を決め込んだ様
子だ。既に落ち着きはだいぶ取り戻しているようにも見える。怒りの持って行き場がな
のと、振り上げた拳の下ろしどころを測っている。そんな風に見受けられた。
「真瀬君、気持ちは分かるけれど、僕から言わせてもらう」
 柿原は頃合いと見て、声を掛けた。もちろん、湯沢をこの状況から脱出させたい気持
ちも強くある。
「現実にウルシがノブに巻き付けてあったならまだしも、何にもなかったのにそんなに
怒るなんて、行き過ぎだよ」
「……そんなもの、犯人があとでウルシを取り去ったとしたら、関係なくなるじゃない
か」
「そもそも、関さんがわざわざ山まで入って行って、ウルシを採ってきたと思う? そ
んな手間を掛けるかどうか疑問だし、もし採取したなら、関さんの手か腕にも、かぶれ
た痕ができるんじゃないかなあ」
 軍手を填めて実行した可能性があるのは百も承知。ここは敢えて単純化し、議論のス
ピードアップに努め、畳み掛ける。
「まして、湯沢さんを責めるのはお門違いだ。彼女は関さんのためを思って言ったこと
なのだから」
「……」
「これ以上、湯沢さんを責めるのなら、代わりに僕が話の相手になる」
 決めに行くつもりで放った台詞。これで決められなかったらどうしようと、冷や汗も
のの柿原だったが、幸い、真瀬は退いてくれた。
「いや、相手にならなくていい。俺も悪かった。感情的になった。すまん、湯沢さん」
 両手を拝み合わせ、頭を下げる真瀬。左手の痛がゆさは、薬の効果が出てるらしく、
気にする仕種は見当たらなかった。
 湯沢の方も誤解を招きやすい発言を改めて謝罪したことで、この一件は収束した。

「橋のところまで歩いて行く前に、全部吐き出しておいた方が、お互いのためになるん
じゃないか」
 真瀬の興奮が静まった直後、橋部がそんなことを言い出した。村上がびっくりしたよ
うな見開いた目付きで橋部を見返し、遅れて聞き返した。
「何故です」
「現状、俺達は豪雨の被災者だということを念頭に置いて、考えてほしい。わだかまり
を抱えたまま集団で避難を始めても、些細なことで亀裂が入りかねない。出発前に、事
件に関連する気になっていることや疑いなんかがあるのなら、全て話して、すっきりさ
せた方が、集団行動によいと思うんだが、どうだろう」
「理屈は分かりました。けれども、わだかまりを言い合った挙げ句に、疑心をお互いに
持ったままスタートするのも御免です」
「だからさ、互いに言い合った結果、どうしても解消できないような物事があれば、そ
のときは全員一致の行動を見直さないか?」
 ここに来て、時計の針を戻すような提案。村上を含む何人かが、ええ?と拒絶の色を
示した。
「全員で行動しない方針を採るんでしたら、今ぐずぐずしてないで、体力のある数名で
行けばいいことになってしまいます」
「あー、違う違う。ばらばらに動くってんじゃない、二班ぐらいに分けようっていう案
さ。二つのグループとも、下を目指して移動する。時間差を付けるだけだよ」
「……そういうことでしたら」
 検討の価値ありと見たか、村上は静かになって考え始めた。しばらくして、村上は柿
原を見、また橋部を見た。その視線のまま、新たに問う。
「橋部さん。そう言われるからには、何か目算がおありなんですね?」
「どうかな。まあ、ゼロってことはないと思ってくれていい」
 村上はまた一つ、深く息を吐くと、「仕方ありません」と呟いた。
「司会進行は、橋部さんにお任せした方がよろしいのかしら」
「うーん、主導権は村上さん、君にある。進行役を誰にするかも、君が決めてくれりゃ
いい」
「その言い方だと、時間も限られていることですし、私がするしかないみたいですけれ
ど、いいんですね」
 現実的に考えて、一年生では荷が重い。三年生の橋部は辞退したも同然。二年の中か
ら選ぶことになるが、沼田は依然として調子が万全とは言い難く、残る村上と戸井田を
比べれば、より明確なアリバイのある村上が適任となろう。
「それじゃあ早速ですが、橋部さんから」
 と言い掛けた村上を、戸井田が制した。
「悪い。先に明らかにしておいた方がよさそうなこと、あるんだけど」
「何よ」
 出鼻をくじかれた村上は、少々不機嫌な口調で戸井田を促した。
「実は少し前に、真瀬から疑問が出されてたんだ。充電器を持ってきた奴がいるんじゃ
ないかって」
 戸井田の発言で、真瀬に注目が行く。村上は「充電器……」と呟く口の動きを見せて
から、「災害時用の手回し充電器?」と聞き返した。応じたのは真瀬。
「手回しタイプとは限らないけど、そういうことです。犯人が当初から犯行の計画を立
てていたなら、いや、計画を立てていなくても、携帯の充電をしたいから持って来たと
いうことは充分に考えられる。ですよね?」
「携帯端末を充電して、明かり代わりにした人がいるんじゃないかと疑っている訳ね」
 村上が合点してそう言うと、今度は再び戸井田が口を開いた。
「機械に詳しいってことで、俺が真っ先に疑われたみたい。その潔白を証明すると共
に、みんなについても調べようって訳」
「持ち物検査をするとでも? 時間を取りそうなのは、あまり好ましくないのだけれ
ど」
「かまわないだろ」
 渋る村上に対し、橋部が反対意見を述べる。
「時間がない訳じゃないし、時間が余ったらあとで調べようってほど軽く見なしていい
事柄でもあるまい。俺も充電器は気になる」
「それでは……男女別にコテージの近い者同士で二人一組になり、互いの持ち物とコ
テージをチェックするものとします」
 村上と沼田、犬養と湯沢、橋部と真瀬、戸井田と柿原という組み合わせで、すぐさま
調べが行われた。探すべき物のサイズが分からないだけに、簡単ではなかったが、三十
分強で終了した。そうして、充電器が使い物にならなくなるような隠し方(ばらばらに
壊して隠す、水没させる、埋める等)を除けば、誰もそんな器具を所持していないと言
えそうだった。
「充電器を持ってきた奴がいたなら、初日の時点で皆に言うだろう。誰も持って来てい
ないと見なしてかまわないと思う」
「しかし橋部さん、計画的犯行だとしたら、隠しておくはずですよ」
 戸井田が言った。真瀬からの疑いを完全に晴らしたいという気持ちが、表情に出てい
る。
「いや、ある理由から突発的な犯行である可能性が、非常に高いと考えてる。さっき、
柿原とそんな話になってな。ちょうどいい、柿原から説明してやってくれ」
 話を振られた柿原は、まとめる時間をちょっとだけもらって、小津の死が計画的な犯
行ではないとする推理を披露した。まずアナフィラキシーショックから始まって、犯人
が小津の右長靴に何らかの刺す虫を入れたこと、犯人に殺意がなかったと思しきことな
どをつなげ、過不足なく説明した。柿原が反応を窺うと、犯人の一見矛盾する行動をき
ちんと解釈できるせいもあってか、全員にすんなりと受け入れられたようだ。
「同じ理由で、懐中電灯などの明かりを持参しておきながら隠しているというケース
も、想定から除外できる」
 橋部はそう付け足すと、真瀬に目を向けた。
「納得行ったか?」
「あ、ええ、まあ」
 どこか上の空になっていた真瀬は、慌てたような返事をした。柿原の話の途中で充電
器や懐中電灯の可能性はとっくに捨てて、別のことを考え付いた風に見受けられた。
が、今ここで何か言い出す気配はない。
「じゃあ、次。戸井田君みたいに、どうしても先に言っておきたいことがある人、い
る? いたら優先して話してもらうわ」
 時計を見ながら言った村上としては、形式的な文句のつもりだったかもしれない。だ
が、すっと手が挙がった。
「沼田さん、何?」

――続く(問題篇.終わり)




#1107/1117 ●連載    *** コメント #1106 ***
★タイトル (AZA     )  18/03/23  22:27  (262)
百の凶器 11   永山
★内容                                         18/04/10 19:48 修正 第2版
 村上に言われてからも、沼田はしばらく口を開かないでいた。改めて、「言いにくい
ことでも、かまわないのよ。今は吐き出すための時間だから」と村上がフォローしたと
ころ、沼田は面を意識的に起こした。意を決した風に見えた。
「昨日辺りから気になっていた。戸井田君と犬養さんて、意外なくらいに親しいんだな
って」
 彼女の視線の先では、戸井田と犬養が並んで座っていた。
 急に名指しで話題に上げられた二人は、傍目にも分かるくらいきょとんとしている。
演技だとしたら、やり過ぎなほど。次の瞬間には、言われたことを理解したのか、椅子
を動かして少し距離を取る。
「それが何か」
 戸井田が固い声で聞き返す。沼田はすぐに答えなかった。決意の表情とは裏腹に、ま
だ言い淀んでいるようだ。その合間を埋めるように、真瀬が口を挟んだ。
「そう言や、蝋の痕が点々と続いていたっけ。1番と6番コテージ」
「どういうこと?」
 聞き咎めたのは村上。返答の前に続ける。
「夜、どちらかがどちらかを訪ねたのね」
「――はあ。自分の方が」
 真瀬の方をじろっと見てから、戸井田は認めた。
「いつからなの」
「は?」
「いつから親しい関係になったのかと聞いているの」
「そ、それ、今、言わなきゃいけないこと?」
 質問攻勢に、戸井田は必死に防御する。犬養は好対照なまでに静かなままだ。身体の
向きを斜めにし、話題を避けようとしているのは明白だが、澄ました顔つきが度胸の据
わり具合を示していた。
「普通なら聞かないわ。今だからこそよ。あなた達が付き合っているのなら、ちょっと
考え直さなきゃいけないことが出て来そうだから」
 村上のこの言葉で、沼田も最後の踏ん切りが付いたようだった。犬養に向けて、やや
刺々しい口吻で尋ねる。
「この合宿に来て、事件が起きたあとに仲がよくなったんじゃないよね? 前からじゃ
ないの?」
「――だったら何だと言うんですか」
 犬養は案外、落ち着いた返事をした。ただそれは冷静であると言うよりも、疲労から
来るもののように映った。
「あなたと戸井田君が以前からそういう仲だったのなら、アリバイを崩せる余地が出て
来るわ」
 言いたいことのポイントが明らかになった。橋部がすかさず口を挟む。
「アリバイって、二日目午後のか。共犯だとしたら、何ができる?」
 その問い掛けに被せるようにして、戸井田が「共犯なんて冗談じゃない!」と叫ぶ。
犬養の方も、短く歯軋りの音がしたようだが、喚くのはみっともないと心得ているの
か、まだ反論や否定の狼煙は上げない。
「まあまあ、戸井田君も落ち着いて。今は思っていることを吐き出して、言い合う場
よ。言ってみれば、仮説なんだから。沼田さんの話を最後まで聞いて、それから。ね
?」
 村上が宥め役に回ると戸井田は一応、矛を収めた。発言者の沼田は、戸井田から柿原
へと視線を移動させた。その目付きに冷たいものを感じた気がして、柿原はわずかに身
震いした。
「犬養さんのアリバイを証言しているのは、君」
「ええ。村上さんに言われて呼びに行って、コテージの外から声を掛けたら、返事があ
りました」
「姿は見ていない?」
「もちろんです。ドアは開けてないし、窓の側にも回りませんでしたし」
 明朗に答える柿原を前に、沼田は得心した風に首を縦に振った。
「そうよね。姿を見ていないのがポイントだと思う」
「もしかして」
 橋部が口を挟む。皆まで言わぬ内に、沼田はまた首を縦に振る。
「そうです、声だけ出せればいいんです。スピーカーになる物を用意して、1番コテー
ジのドアに向けて設置。離れた場所から、例えば9番コテージから本人が喋って音声を
飛ばす。もちろん、訪ねてきた相手の声を拾わねばならないので、マイクも必要」
「そんな仕掛けというか機械なんて、私には知識がないし、物理的にも持ち運べません
でしたわ。とても用意できませんけれども?」
 犬養が初めて反論した。だが、彼女自身、沼田の言いたいことは分かっている様子
だ。戸井田の方を一瞥し、また沼田を見た。
「代わりに戸井田さんが仕掛けを用意してくれた、と先輩は言うんですわね?」
「そうよ。戸井田君なら機械に強いし、車で来たから、機械類を運び込むことも可能」
 戸井田が口を開き掛けたが、橋部が手で制した。
「言いたいことは分かった。客観的な疑問だが、実際にそんな細工をしたなら、機械が
どこかに残っているはずだが、見当たらないな。そんな機械が持ち込まれたんなら、つ
いさっき、コテージを調べたときに、何か見付かっていていいはずだ」
「大きさは分かりません。紙みたいに薄いスピーカーもあるくらいだから、どうとでも
なるのでは」
 沼田の受け答えを聞く限り、冷静さを失ってはいないらしい。
「なるほど。では、別の角度から聞くとしよう。仮に沼田さんの言うようなトリックを
用意していたとして、犯人はどんなタイミングで使うんだろう?」
「使うタイミング、ですか?」
 質問の意図が飲み込めない。そんな風に首を傾げ、口元を歪めた沼田。
「柿原が呼びに行くことを、犬養さんが前もって想定できていたかって意味さ」
「それは、誰が来るかは分からないでしょうけど、誰かが呼びに来るのを待ち構えて…
…」
「呼びに来るかどうかすら、確定事項じゃあない」
 鋭い口調の否定に沼田は明らかに怯んだ。だが、自説を簡単には引っ込めない。
「いえ、100パーセントでなくてもいいんです。可能性はそれなりに高いはず」
「呼びに来た奴が、コテージの中を覗いたら? 無人だとばれてしまわないか」
「覗けないように窓を閉めて、カーテンを引いておけばいいんです。実際、どうなって
いたかの確認はもう無理でしょうけど」
「じゃあ、呼びに来た奴がドアの前にずっと張り付いていたら? 一緒に行きましょう
って」
「そんなことはあり得ません。小津君も呼びに行かなきゃいけないんだから」
 この応答に対し、橋部は頬を緩めて首を振った。
「いやいや。そいつは結果論だ。あのとき、もしも村上さんが、柿原に犬養さんを呼び
に行かせ、別のもう一人に小津を呼びに行かせたとしたら?」
「っ……」
 言葉に詰まった沼田。確かに、1番と9番別々に人が呼びに行き、なおかつ、その人
物がずっと待ったとしたら、彼女の推理は成り立たない。犬養が1番コテージ内にいな
いことがばれてしまうだろう。
「他にも欠点はある。君の説だと、犯人は9番コテージからメインハウスに向かう訳だ
が、呼びに来るタイミングによっては、そいつと犯人とが鉢合わせだ。そうなっちまっ
たら、犯人に言い逃れはできない」
「……分かりました。納得しました」
 いつの間にか俯いていた沼田は面を起こし、絞り出すような声で言った。それから戸
井田と犬養のそばまで行き、「ごめんなさい。私が間違っていた」と頭を下げた。その
まま膝を折って、土下座までしようとすると、犬養が急いで手を差し伸べた。
「もういいですわ。先輩が躍起になっていたのは、端から見ていても分かりましたか
ら。小津部長が亡くなって、一番悲しんでる」
 犬養は戸井田へと振り向き、「かまいませんわね、戸井田さん?」と、この場にはふ
さわしくない、でも犬養のようなキャラクターでこそ許されるであろう笑顔で聞いた。
「あ、ああ。自分は実行犯と言われた訳じゃなし」
 戸井田は妙な空気に耐えられないとばかり、妙な理屈を付加しつつ、沼田の謝罪を受
け入れた。

「こう重苦しいと、次の奴が声を上げにくいだろうから」
 前置きをしつつ、肩の高さで挙手したのは橋部。
「村上さん、次は俺で」
「目算ありと先程言われた話ですか? それはそれで重苦しくなるのでは」
 警戒する村上に対し、橋部は首を左右に振った。
「いや、それじゃない。関係ないかもしれないが、とにかく軽めの疑問。だから、安心
してくれ」
「……分かりました。どうぞ」
 進行役に承知させると、橋部は真瀬をちょんと指差し、「左の手のひらをよく見せて
くれないか」と求めた。
「またウルシかぶれですか。もう無関係だと分かったでしょう」
 嫌がる口ぶりの真瀬ではあったが、席を立つと、左手を前に出してきた。テーブルに
手の甲を着ける形で腕を寝かせ、手を開く。そこにはまだ例の腫れが残っていた。
「参考になる資料がないので断定はしないが、これはウルシじゃなくて、虫刺されじゃ
ないか?」
 橋部の問い掛けに、真瀬は若干、顔を前に突き出した。
「え? 虫に刺されたなんて、記憶にない。というか、こんなに細長い痕になる虫刺さ
れって、その昆虫はどんな口をしてるんですか?」
「虫刺されってのは言葉の綾で、これ、ムカデの類と思うぞ。前に見たとき、気になっ
たことがあってな――ほら、二つの赤い点になっているとこがあるだろ、これ、噛まれ
た痕じゃないかな」
 橋部が爪先で示した先には、小さな赤い点が二つ、並んでいた。あれがムカデの口だ
としたら、そこそこ大きなサイズだろう。
「ええ? それこそ全く覚えがない。手にムカデだなんて、絶対に気付くって」
「確かに、ムカデに刺されると激痛が走るから普通は気付くとされる。が、寝ていたな
ら分からんぞ。特に、手や足がしばくら身体の下になって痺れた状態のときなら」
 橋部の強い口調に、真瀬は「まあ、それならそうだったんでしょう」と認めた。
「でも、だからって何だと言うんです?」
「大した意味はない。関さんのコテージに、ウルシによるトラップが仕掛けられていた
なら、逆に無実の証明になったのに、惜しいことをしたなと思っただけだ」
 橋部のその話を聞いて、柿原は黙っていられなくなり、つい口を挟んだ。
「その理屈はおかしいですよ。ウルシに触れても、かぶれない体質っていうだけで、無
実の証明にはなりません」
「――そうだな。間違えた」
 柿原と橋部のやり取りを聞いていた真瀬は、気疲れを起こしたか、背もたれに思い切
り体重を預けるような座り方をした。どす、と重たい音がした。
「他には?」
 村上の声にも、どことなく脱力したものがある。このまま終わってもおかしくない雰
囲気だが、橋部に本命の仮説が残っているようだから、そうも行かない。
 空気を打破するように手を挙げたのは、犬養だった。
「真っ先にお断りしておきますと、意趣返しをするつもりはありません」
 沼田を一瞥してから、彼女は気怠そうに続けた。実際、疲れているのは傍目にも明ら
かである。いつも入念に行う肌の手入れが今日は不充分なのか、角度によっては目の下
に黒っぽい影が認められた。
「これまでの事件でアリバイがある人を数えてみました。細かな再検証は煩雑になるの
でよしておきますが、時間的なアリバイは村上先輩に湯沢さん。空間的なアリバイは
私。使ったマッチ棒の数という、いわば物理的なアリバイは真瀬君。他に、戸井田先輩
も写真を撮っていたアリバイが認められる余地があると信じますが、私が言うのも何で
すし、機械に細工をすればごまかせるのかもしれませんので、ここでは認定しないもの
とします」
 そう言われた戸井田は、複雑な表情をなした。素直に喜んでいないことだけは確か
だ。
 犬養はそんな戸井田の様子に気付いているのかいないのか、先を続ける。やや芝居っ
気のある動作で、左手を開いて五本指を立てると、順に折り曲げていった。
「亡くなったのが二人で、アリバイ成立が四人。残りは四人――橋部さん、沼田さん、
戸井田さん、柿原君。この中のどなたかが犯人である可能性が高いと思われます」
「犯人がいる、と断定しないのかい?」
 橋部が興味深げに聞いた。犬養は充分意識的に言葉を選んでいたと見え、すぐに答を
返した。
「しませんわ。容疑者を取り除く条件がほんとに正しいのか、絶対の自信はありません
もの。思いも寄らないアリバイトリックや殺害方法があるのかもしれません。それに、
ここからさらに絞り込もうとしても、私には無理でした。関さんが亡くなったあとの、
皆さんのマッチ棒の数を頼りに考えるなら、一、二本しか使っていない沼田・戸井田の
両先輩には難しく、五本減っている橋部先輩が一番怪しい。でも、部長の右足を見付け
た過程を聞くと、五本くらい使うのも当然のように思えてきます。一応の注釈付きです
けれど一緒にいた方々の証言もありますし。それならば、残る一人、三本使用の柿原君
を俎上に載せてみましたが……真瀬君と一緒に火を起こしているのですから、火起こし
に使った分は誤魔化しが利かないでしょう。実質、私的に使えたのは二本。これでは二
本減っていた戸井田先輩と同じ条件です。犯行は難しいとせざるを得ません」
「――要するに?」
 言葉が途切れるのを待って、村上が確認する風に聞いた。
「要するに……マッチ棒の数からの犯人特定は無理です」
 犬養は、今度は言い切った。長口上に疲れたのか、ふーっと強めに息を吐いて、締め
括りに掛かる。
「別にぐだぐだな推理を披露したかったのではありません。マッチ棒を根拠にした絞り
込みは無駄だということを、共通認識として皆さん持っていらっしゃるのか、明白にし
ておきたいと思ったまでですの」
「まあ、はっきりとは認識していなかったとしても、ぼんやりと勘付いていたと思う
ぞ」
 橋部が言った。どことなく、苦笑いを浮かべているようだ。
「俺達は推理研だ。推理物が好きな人種のさがとして、程度の差はあっても、犯人を特
定しようと考えを巡らせたはず。で、当然、マッチの数に着目しただろう。そして、ど
うやっても特定できないと感じたんじゃないか」
 その言葉に、柿原は内心で何度も頷いていた。恐らく他の人も同じ気持ちに違いな
い、犯人を除いて――と思った。

「私も、一つ気になっていることがあります」
 湯沢から声が上がったことに、柿原は驚いた。思わず、椅子から腰を浮かせたくらい
だ。不用意な呟きで真瀬を怒らせてしまってまだ間がないのに、ここで新たに意見を述
べる勇気?を彼女が持っているとは、想像していなかった。
「事件に関係あるかどうか分かりませんが、いいですか」
「あなたが関係あるかもしれないと考えるなら、全くかまわない」
 村上に促され、湯沢は一層、意を強くしたようだ。
「ずっと不思議に感じていたんです。先輩方は皆さん、このキャンプ場は初めてじゃな
いんですよね?」
「まあ、そうなるな」
 橋部が言った。
「二年生全員を対象とするなら、前の春、参加できなかった奴もいるが、そういった二
年の部員で、今回初参加って奴はいない。俺も無論、複数回来ている」
「でしたら、明かりの不便さは充分に承知していたはずです。全く対策を立てずに、ま
たここに来られたんでしょうか?」
「なるほどな。尤もな疑問だ」
 橋部はそう言うと、二年生をざっと見渡してから、また口を開いた。
「湯沢さんが言いたいのは、明かりがなくて不便だと経験済みなら、二回目からは、何
らかの明かりを持参するものじゃないかってことだよな」
「はい、そうなります」
「俺に限って言えば、何にも準備してこなかった。基本、こういう場所に来るときは、
不便さを楽しむもんだと思ってる」
 彼の返事のあとを次ぎ、今度は村上が答える。
「私もほぼ同じ考えだけれど、加えて、懐中電灯用に乾電池を買ってくると聞いていた
ので、いざというときもそれがあるなら大丈夫と思っていたわ。それよりも湯沢さん。
あなたは、二年生以上が怪しいと言いたいの?」
「いえっ、違います」
 そう受け取られるとは想像していなかったとでも言いたげに、右の手のひらと首を左
右に強く振る。
「どなたか一人くらい、明かりを自前で用意されたのなら、早い時点で話してると思う
んです。それを言わないのは、どなたも用意していないか、最初から犯行を計画してい
たか。発端となった小津さんの件は、偶発的な色彩がとても濃いと感じます。ですか
ら、前もって計画して密かに明かりを持って来るというのはないはずです」
「そうね。充電器のときの理屈と同じになる。なのに、敢えて今、こんなことを言い出
した理由は何かしら」
「村上先輩の考え方に、私も同じだったんですが、少し前に、柿原君がDVDを借りて
いたと言ったのを聞いて、本当にこの理屈を信じていいのだろうかとちょっと確かめた
くなったんです」
「え?」
 全く予想していないところで名前を出され、焦りの声をこぼした柿原。
「僕が橋部先輩からDVDを借りてたことが、何かおかしいかな」
「おかしいっていうほどじゃないかもしれない。でも、気になったから。どうしてこの
場で返すんだろうって」
「観終わったのを返すのは、早い方がいいと思って」
「いつ観たの?」
 その質問を受けた瞬間、柿原は湯沢の疑問の根っこが何なのか、理解した。恐らく―
―今、キャンプ場でDVDソフトを再生できる機械を持っているのは、柿原だけ。で
も、バッテリーの残量から考えて、DVDをここで視聴したとは考えにくい。そうなる
と、合宿前から視聴済みだったことになる。ならばわざわざ持って来なくても、もっと
前の段階で返却できるはず。実際はそうなっていないのだから、何らかの裏事情がある
のでは。たとえば、密かに電源を確保できるような何かが――湯沢はそこまで考えたに
違いない。
「凄いよ、湯沢さん。まさかそういう推理をされるとは全然、想像すらできなかった」
「じゃあ、やっぱり、橋部さんが持って来た明かりの電源を借りて、DVDを観た?」
 少し悲しそうな目で問われ、柿原は急いで否定に走る。深刻にならないよう、努めて
軽い調子で。
「違う違う。推理の着眼点は凄くても、残念ながら外れ。橋部さん、DVDのことを言
ってもいいですよね?」
「しょうがない。DVDのことだけじゃなく、俺と柿原が二人で何を話していたかも全
部言わないと、説明が付かんな、これは」
 年長者の橋部は、威厳がなくなることを心配してか、情けない微苦笑と大げさなため
息をダブルでやってから、事の次第を話し始めた。

――続く

※行数の上限にまだ余裕があることもあり、追記するかもしれません。あしからず。




#1108/1117 ●連載    *** コメント #1107 ***
★タイトル (AZA     )  18/04/15  20:53  (189)
百の凶器 12   永山
★内容                                         18/06/05 12:46 修正 第2版
 柿原が所々で補足しつつ、橋部が説明をし終えると、真っ先に反応をしたのは湯沢だ
った。
「あ、あのことで橋部さんの意見を聞いていたのね。私ったら、知っていたのに、全然
忘れてしまってた」
 肩を小さく狭め、申し訳なさげに項垂れる。髪で表情が隠れる彼女へ、柿原が「大丈
夫、紛らわしいことを言った僕が悪いんだから」と慰めた。
「DVDのことはともかく、アナフィラキシーショックの話は、早く言ってほしかった
です」
 唇を尖らせたのは真瀬。村上がすかさずフォローに回る。
「あくまでも推測だからね。関さんが検索しようとしていたらしいってだけよ」
「しかし……確度は高いんじゃないですか、これって」
「ええ。関さんが何かを目撃して、そのことに気付いた犯人に口封じされたというの
は、ほぼ決まりじゃないかしら。小津君の死亡が、犯人にとって意図的な犯行だったの
か、不幸な偶然だったのかは、意見が分かれるでしょうけれど。私は、後者だと思う」
 村上の見解を聞きながら、湯沢の様子を窺う柿原。彼女は他殺説を採っていると思わ
れるけれども、現状はそれを言い出す雰囲気でないと推し量ったのだろうか、特に発言
はしないようだ。
 発言を続けたのは、真瀬だった。
「まあ、部長の死亡状況が想定できたことで、ようやく見えてきた気がしましたよ。ま
だまとまってないが、俺が考えた推理、聞いてもらえます?」
「拒む理由はないわね。でも、ちゃんとまとめてからの方がいいんじゃないかしら」
 村上が半ば諭す風に言った。それは、真瀬が些か暴走気味であることを鑑み、冷却期
間を取らせようという配慮だったのかもしれない。
 真瀬は改めて他の者を見渡した。村上の忠告を受け入れるかどうか、迷っている様子
がありありと窺える。
 そこへ、橋部が口を開く。
「時間の空白ができることを懸念してるんなら、無用だぞ。おまえが考えている間、俺
が推理を話すとしよう。もし万が一にも、それぞれの推理が被っていたら、笑い話にも
ならないが」
「そう……ですね。橋部先輩、お先にどうぞ。俺は考えてるんで、あんまり熱心に聞け
ないかもしれませんが」
「かまわん。――それでいいか?」
 村上に最終確認を取る橋部。
 二度目の意見開陳を求められた村上は、「今度こそ、本命の推理ですか?」と聞き返
した。時間の消費は予定していたよりもオーバーペースである。
「ああ」
「それじゃ、なるべく手短に、ポイントを絞ってお願いしますね」
 念押しした村上だが、彼女自身、効果を期待していない言い種だった。
 そんな副部長の気持ちを知ってか知らずか、橋部はわざとらしい咳払いをし、「さ
て」と言った。有名な言い回し――名探偵みなを集めて「さて」と言い――に倣った訳
でもあるまいが、どうも芝居がかっている。
「他のみんなはどうだか知らないが、正直言って、俺は暗中模索の五里霧中がずっと続
いていて、手掛かりはたくさんありそうなのに、ほとんど前進していない焦燥感ばかり
あった」
 語り掛けるような口ぶりにつられて、何人かがうんうんと頷く。話し手の橋部もま
た、その反応に満足げに首肯した。
「が、今朝だったか寝てる間だったが、ふと閃いた。ぴかっと光ったというよりも、そ
もそも論だな。問題のタイプが違うんじゃないかって」
「勿体ぶらずにお願いします」
 村上が嘆息混じりにスピードアップを求めた。橋部は、「真瀬に推理をまとめる時間
をどのぐらいやればいいのかと思ってな」と、言い訳がましく答えた。
「ま、ずばり言うと、犯人は何故、便利な明かりを作ろうとしなかったのか?ってこと
さ」
「便利な明かり?」
 一年生女子らの反応は、揃って怪訝がっている。
「下手な表現ですまん。そうだな、犯行に当たって使い勝手のよい明かりって意味だ。
作ろうと思えば、できたはずなんだ。そりゃあ、ロウソクを使う方法だとばればれだ
が、柿原が言ってたように割り箸ならどうだ。割り箸を大量に持ち出し、適当に折った
物を空き缶に入れて、火を着ける。紙を先に燃やし始めれば、箸にも簡単に火が回るだ
ろう」
「確かに。でも、実際にはそんなことをした証拠は出て来ていません。割り箸だって、
二膳しか減っていない」
 村上が指摘するが、橋部は力強く首を横に振った。
「悪いが、ピントがずれてる。俺が言いたいのは、どうして犯人はたくさんの割り箸で
安定的な明かりを作らなかったのか、という疑問さ。マッチをいちいち擦るよりずっと
効率的だろ。遠慮する必要はない。仮に割り箸を使い切ったって、マイ箸があるんだか
ら、食事には困らん。方法を思い付かなかったとも考えにくい。空き缶を燭台代わりに
する方法は、皆が真似した。そこから割り箸を燃やすことを発想するのに、ハードルは
高くないだろ」
「確かに……」
 戸井田が呟く。他の面々――犯人はどうだか知らないが――も、多分、同じ気持ちだ
ろう。
「便利な手段を採用しない理由は何だ? 頑なにマッチ棒を使ったのは、マッチ棒の数
で容疑者を絞り込めるようにという、俺達ミステリマニアへのサービスか? 普通に考
えて、そんな馬鹿な訳ないよな」
 指摘されてみれば、なるほどおかしい。盲点だった。長年の慣習のようなもので、こ
れこそミステリという底なし沼にどっぷり浸かりすぎたマニア故と言えるかもしれな
い。
「……作りたくても作れないとか? たとえば、手が不自由で」
 またも戸井田の呟き。疑惑を向けられたと意識した柿原は、間髪入れずに反論した。
「僕のことを言ってるんでしたら、的外れです。作れますよ。仮に血が付着したって、
燃やすんだから関係ない。気にせずに作れます」
「俺もそう思う」
 橋部からの応援に、内心ほっとする柿原。
「片手が使えれば充分だ。さあ、いい加減、俺の推理を話すとするかな。前提として、
犯人は他人に濡れ衣を着せようと計画したんじゃないかと考えた。まずは、柿原が外に
干していたハンカチに血が着いていた件。あれは柿原の思い違いではなく、犯人が小津
の右足を切断したあと、自分のコテージに戻る途中で、手に少し血が着いてしまってい
るのを見て、ふと閃いたんだと思う。この血を、干しているハンカチに擦り付けてやれ
ば、柿原に疑いを向けられるぞ、と」
 柿原にとって気分のよい話ではないが、一方でうなずけるものがあった。湯沢から借
りたハンカチに改めて血が付着した経緯を説明するのに、今の仮説は充分ありそうだ。
「この一連の事件に、計画性はあまりないだろう。ハプニングに対処するために、その
場で急いで組み立てた計画だから、多少の穴や矛盾がある。だからといって、さっき俺
が述べたマッチ棒のみに拘った明かりは、どう考えても不自然だ。犯人はマッチの明か
りに拘泥することで、己にとって有利な状況を作り出す狙いがあったんじゃないか? 
俺はその考えの下、メンバー各人に当てはめて検討してみた。すると、マッチの数によ
ってアリバイを確保できた者が一人いると気付いた」
 橋部は一気に喋って、容疑者の名を挙げた。
「真瀬、おまえだよ」
 挙げられた方の真瀬は、一瞬遅れて面を起こした。元々、橋部が話し始めた時点で、
俯きがちになって考えをまとめに掛かっていた様子だった。
 そこへ突然名前を呼ばれたのだ。暫時、意味が分からないとばかりに表情を歪めてい
る。そもそも、橋部の推理をちゃんと聞いていたのかどうか。
 その確認はせず、とにかく村上と柿原が、橋部の推理のポイントを伝える。すると、
真瀬はますますしかめ面になり、どういうことですかと地の底から絞り出したような声
で聞き返す。
「関さんが死亡した件で、真瀬にはアリバイありと認められた。犯行に必要とされる分
量のマッチ棒を都合のしようがないという理由だったよな」
「事実、足りなかった。仮に関さんのコテージまで、往復できたとしても、メインハウ
スでの家捜しや9番コテージ近くでのたき火の用意が無理だって、橋部さん、あなたが
言ったんじゃないですか?」
 目の色を変えての反論とは、このことを言うに違いない。食って掛かる真瀬に対し、
橋部は暖簾に腕押し、あっさりと前言を翻しに来た。
「あのときは言った。でも、考え直したってことだ。探偵が間違える場合もある」
「いやいや、あなたは探偵じゃない。だいたい、そんな屁理屈で俺を追い詰めたって、
すぐに行き止まりでしょうが! 何故なら、マッチ棒を使わないでどうやって明かりを
用意できたんだっていう疑問が解消されていない!」
「確かに。未使用の割り箸は減っていないし、使用済みの割り箸をちょろまかすのも難
しい。他に燃やす物と言ったって、密かに薪割りをして薪を増やしてもすぐにばれるだ
ろうし、湿気った木の枝や草じゃ無理だし、紙や布なんかがこのキャンプ場に充分な量
があるとは思えない。計画的犯行ではないのだから、身の回りにある処分可能な紙や布
の量だってたかがしれているだろう」
「ほら見ろ」
 言い負かせたという思いからか、言葉遣いが一層荒くなる真瀬。鼻息も荒い。
「どうしたって明かりは確保できないんだ。あとは何かあります? 俺が村上先輩と密
かに通じていて、懐中電灯を使わせてもらったとか言うんじゃないでしょうね?」
「私を巻き込まないで」
 呆れた口ぶりながら、努めて冷静に釘を刺す村上。橋部は苦笑いを浮かべて、「そん
なことは微塵も思ってない」と確言した。それから真瀬に改めて言う。
「明かりを用意する手段について、今はまだ確証がない。それよりも、真瀬も推理を話
してみるってのはどうだ? 俺が話したのとは違うかもしれないしな」
「あ、当たり前だ、自分自身が犯人だなんて推理、どこの誰がするか」
 真瀬は馬鹿負けしたように首を横に振った。
(これは……推理の出来はともかく、橋部先輩の誘導がうまい?)
 二人のやり取りを聞いていた柿原は、ふとそんな感想を抱いた。
(さっきまでの流れなら、真瀬君は当然、明かりを用意する方法を示せと、橋部さんに
続けて詰め寄るところだ。示せないのなら推理は間違いだと結論づけられる。なのに、
そうならなかったのは、橋部さんの推理がポイントポイントではいい線を行ってるのも
あるけれど、真瀬君にも推理を話せと水を向けたのが大きい。しかも、『俺が話したの
とは違うかもしれない』と付け足したせいで、真瀬君の方は勢いを削がれた感じだ)
 柿原の気取った通り、場は真瀬の推理を待つ雰囲気になった。
「じゃあ、誰が犯人だと考えた? 今の俺の推理を聞いて結論を変えるのに時間がいる
か? 犯人は橋部秀一郎だという推理に組み立て直すのに、どれくらい掛かる?」
「犯人だと疑われたから、やり返すために推理を変えるなんて、馬鹿げてる」
 真瀬は真っ当に反論し、橋部からの挑発的な言葉を封じた。橋部が何を意図して真瀬
を煽るのか、柿原には想像も付かなかった。多分、他のみんなも同じだと思う。
 ここで村上が二度手を打ち、注意を向けさせた。
「橋部さん、先輩らしくもうちょっと大人の振る舞いをしてください。収拾が付かなく
なりかねませんよ、まったく」
「自重するよ。今言いたいことは言ったしな」
 この受け答えに村上はまた一つため息を吐いて、そして真瀬に向き直った。
「それで真瀬君。たいして時間は取れなかったと思うけれど、推理を話せる?」
「話しますよ。こうまで言われたら、俺は俺の推理を話して、疑惑を払拭するのが一番
でしょう」
 真瀬も深呼吸をした。ため息ではなく、頭を冷やすための行為のようだ。
「なるべく冷静に話す努力はしますが、つい感情的になるかもしれないと、予め言って
おきます。もしそうなったら、ブレーキを掛けてくださって結構ですから」
 彼の前置きは、些か大げさだと思われたかもしれない。が、一方で、真瀬がこれから
犯人を名指しするつもりなんだという“本気度”を感じ取った者もいよう。一瞬、静寂
に包まれた場の空気は、真瀬が喋り出してからも変わらなかった。
「俺が着目したのは、例の呪いの人形でした」
 真瀬は、火あぶりに処されたような演出を施された人形のことを持ち出した。呪いの
人形という表現で、全員に通じる。
「あれを見て、何となくもやっとしたんだ。隔靴掻痒っていうか、中途半端っていう
か。あの人形、割り箸や枝、手ぬぐいと材料集めにはそれなりに手間を掛けた様子なの
に、作り自体は荒い、雑だなって」
「そう言われると……奇妙な印象受けるわね」
 村上が呼応した。真瀬の固かった口調は、この合いの手で若干、滑らかになった。
「でしょう? 特に、割り箸と枝を組んで大の字を作りたいのなら、何故、結ばなかっ
たんだろう?って思います。あれは布を巻き付けただけでしたから、ちょっと乱暴に扱
えば、崩れかねない」
「結びたくても、結べなかったのではありませんか。紐状の物が手近には見当たらなく
て。結ぶ物がなければ、結びようがありません」
 犬養が反論を述べたが、その見方は真瀬にとって織り込み済みだったようだ。間を置
かずに否定に掛かる。
「辺りには蔓草が生えているし、手ぬぐいの端をほぐせば、糸ぐらいできる。あるい
は、番線の切れ端だって落ちてる」
「ああ、そうか。だったら、犯人がそうしなかった理由は……」
 戸井田の呟きに頷いた真瀬が、言葉を継ぐ。
「ある意味、犬養さんの反論は当たっている。犯人は結びたくても結べなかった。紐状
の物はあっても、結べない。だから紐状の物を最初から用意しなかった」
「えっ、それってまさか」
 聞き手の何人かが、柿原を見やった。真瀬が仕上げとばかりに言い足した。
「その通り。犯人は柿原、おまえなんじゃないか」
 そして柿原の片手を差し示した。怪我を負った右手ではなく、左手の方を。
「おまえの左手は、今も動かないんだろう?」

――続く




#1109/1117 ●連載    *** コメント #1108 ***
★タイトル (AZA     )  18/04/27  21:52  (256)
百の凶器 13   永山
★内容                                         18/06/05 12:55 修正 第2版
「ああ」
 元々隠していないし、部内では周知の事実。特に力むこともなく、淡々と肯定する柿
原。彼の左手には神経の障害があり、自由に動かせないし、力もまともには入らない。
そのため、右手のひらに怪我を負っても右手を使い続けなければならない。バーベキ
ューのような立食の席では、補助具があると非常に便利だ。マッチを擦るぐらいなら右
手だけで充分だし、パソコンのキーボード入力は右手一本でも達者だが、手のひらサイ
ズを超えて複数の箇所を同時に押さねば作動しないような道具は、さすがに使えない。
「僕の手の状態が、犯人である証拠? どうして?」
 友人からの疑惑を受け止めた柿原は、まず当然の質問を返した。
「そりゃあ、決まってる。皆まで言わせるのか」
「遠慮なく、はっきり言ってもらいたいよ」
「……人形についての考察から、明白だろ。片手しか使えないからこそ、雑な造りにな
った」
「それだけ?」
「怪しむ根拠なら、他にもあるさ。まず、斧の柄に着いていた血。あれはやっぱり、お
まえの右手の傷から染み出たものじゃないのか。外に干していた借り物のハンカチに血
が付着していたというのだって、怪しいもんだぜ。血塗れになった手でついうっかり触
ってしまったのを言い繕って、いつの間にか血が着いたことにしただけなんじゃない
か、と思うね」
「……」
「まだある。小津部長の右足があとになって出て来たが、そのとき履いていた長靴の紐
はほどけたままだったんだろう? 犯人が一旦脱がせてから、また履かせるに当たっ
て、紐は元のように縛った方が本来の目的をカムフラージュできたはず。だが、実際に
は違った。犯人は結びたくても結べなかったんだ。それから、俺としては次の条件が一
番の決定打と考えている。関さんの遺体に見られる痕跡だ」
 真瀬の語調はいよいよ熱を帯びる。
「彼女の首には絞められた痕があったが、完全ではなかった。犯人が絞殺にしなかった
のは、片手しか利かないからじゃないか? 首に掛かったタオルをいくら引っ張って
も、片手では絞め殺すのは無理だろう。そして、その中途半端な絞めた痕跡を残したま
まだと、有力な手掛かりになってしまう。それを防ぐため、犯人はわざわざメインハウ
スに行き、持ち出した刃物によって関さんの首に傷を付けた。あれは切断を躊躇したの
ではなく、絞めた痕をごまかすためだったんだろう。片側だけに強く痕が残っていた
ら、犯人は片手にしか力が入らないことがばれてしまうからな」
「明かりの問題はどうなるの」
 ブレーキを掛ける意図があったのかどうか、村上が質問を差し挟んだ。真瀬の勢いは
衰えない。
「柿原、予備のバッテリーを持って来てたよな、パソコンの方」
「うん」
「パソコンのバッテリーをチェックするとき、予備のことをすっかり失念していた。予
備の方を使って、パソコンのバックライトを頼りにすれば、マッチやロウソクの数とは
関係なく、夜の犯行は可能になる」
「予備も調べてくれれば、使われていないと分かるよ、多分」
 柿原の受け答えに自信がなかったのには、理由がある。使い始めてかなりの年月を経
ているバッテリーなので、本体から外していてもそこそこ放電する。その減り具合によ
っては、使ったと疑われても仕方がない恐れがある。
「多分とは?」
 橋部から問われ、柿原は正直に答えた。話し終えるや、真瀬が怒気を含んだ声で言っ
た。
「何だよ、その言い分は。使っていなくても減ってるかもしれない? 証拠から排除し
てくれと言いたいのか。汚いぞ」
「何と言われようとも、事実を伝えたまでだよ」
「話にならねえ」
 声を荒げた真瀬だが、柿原に詰め寄るような真似はせず、何か堪えるかのように両拳
を強く握りしめた。彼が口を閉じた隙を狙う形で、橋部が村上に聞く。
「どう思う?」
「真瀬君の推理ですか。説明の付いていない点は残っていますし――」
「どこがですかっ? 言ってくれたら説明しますよ」
 村上の台詞に被せて来た真瀬。その興奮ぶりに、村上は「じゃあ、言うけれど」と応
じた。
「とりあえず、動機の有無を言及するのはありかしら」
 これには真瀬の機先を制する効果があったようだ。やや口ごもってから、答える。
「それは……説明つきませんけど、アナフィラキシーショックが小津さんの死因なら、
単なるいたずらのつもりだったのが、思いがけず大ごとになってしまった可能性が大き
いんじゃないですか。関さんは、その巻き添えを食らってしまった」
「柿原君が部長にいたずらを仕掛ける動機は」
「は? そんなことまで分かりっこないじゃないですか。いたずらに理由なんて」
「じゃ、いいわ。動機以外で言うと……柿原君には窓の格子を外したり取り付けたりす
るのって、結構大変だと思うんだけど」
「不可能じゃないでしょ。そうすることが絶対に必要となれば、できると思いますが。
それに、最悪、9番コテージの中に入れさえすればいいんであって、格子を外す行為は
絶対に必要。格子を填め直したのは発覚を遅らせるために、余裕があったから――」
「そこなんだけど、斧の柄に血が付着していた事実から、一足飛びに、安置している小
津君の遺体を調べましょうと言い出したのは誰?」
「……柿原、です」
 目を大きく開き、空唾を飲み、継いで俯く。虚を突かれた、想像していなかったのが
ありありと分かる反応を示した真瀬。村上はかまわずに疑問をぶつけた。
「柿原君が犯人で、発覚を遅らせる目的で格子を取り付け直したのなら、矛盾している
んじゃない?」
「確かに矛盾です。だが、疑われることを見越して、敢えて相反する行動を取ったのか
も」
「そんなことを言い出したら、理屈や蓋然性に因った推理はできなくなるわよね」
「……今のはなし、取り消す。でも、柿原を怪しむだけの理由はあるでしょうが」
「君が言っているのは、人形の造りのことね。そこなんだけど」
 村上はここで柿原に視線を当て、「言ってないの?」と尋ねた。
「え、あ、はい。わざわざ言ってませんでしたし、目の前でやる機会も、確かなかった
かもしれません」
 話しながら、キャンプ場に着いたその日も、長靴の紐は結ばずにただ履いただけだっ
たことを思い出した柿原。
「何の話をしてる?」
 真瀬が気短に割って入った。柿原は村上の様子を見て取り、自ら答えることにした。
「真瀬君は知らなかったみたいだけれども、僕は紐を結ぶことができるんだ。だから、
人形の作り方を根拠に、犯人は僕という説は成り立たない」
「何?」
 信じられない話を耳にした。そう言わんばかりに、口をぽかんと半開きにする真瀬。
「実際にやるのが早いだろ」
 橋部が言い、辺りを見渡す。察した湯沢がポケットから赤と白からなるカラフルなリ
ボン状の物を一本取り出し、柿原へ手渡す。長さは三十センチ余り、髪を結ぶのに使っ
ているようだ。
「ちょっと平べったいかもしれないけれど」
「ありがとう。問題ない、これくらいが一番やりやすいな」
 右手で紐の位置を整えてから握ると、柿原は片手で器用に結んだ。そして黙って真瀬
に示す。
 真瀬にとって想定外だったのだろう、しばらく言葉が出て来ないでいた。
「……木の棒と棒を結んで、固定することもできるのか?」
「できると思うよ。きつく結ぶために、足で踏んづけるかもしれないけれど。やってみ
ようか?」
「いや、いい」
 黙りこくって、また考える様子の真瀬。橋部が聞いた。
「結べない者がいないのなら、推理を根本的に見直す必要があるよな?」
「……いえ。柿原が実は結べたからって、あいつが犯人ではないことを証明するもので
はない。ですよね?」
「そりゃ、理屈の上ではそうなるが」
「だったら、最有力容疑者はまだ柿原だ。明かりの一点だけでも怪しいし、血痕のこと
も作為的に見える」
 頑なに唱える後輩に対し、橋部は次のことを聞いた。
「人形が紐状の物で結ばれていなかったことは?」
「それは……俺を含めたみんなが推理を間違えるよう、誤誘導するために敢えて結ばな
かった」
「その仮説はいくら何でも無茶だ」
 即座に否定され、真瀬は目を剥いた。
「どうして? 自分なら引っ掛からないとでも言いたいんですか?」
「そうだな……ある意味、そうとも言えるが、引っ掛からないんじゃなく、引っ掛かり
ようがない」
「え? ああ、橋部先輩は知ってたという訳だ。柿原が紐を結べることを」
 察しが付いたぞとばかり、ほくそ笑む真瀬。対する橋部は二、三度小さく頷いて、
「うむ、俺は知っていた。戸井田もだ。そして、村上さんも犬養さんも湯沢さんも知っ
ていた」
 と、事実を伝えた。
「……知らなかったのは俺だけってことですか?」
「ここに来ているメンバーの中ではな。あ、関さんも知らなかったはず」
 しばし唖然とする真瀬に、何故知っている者と知らない者とができたのか、事情を説
明してやる。
「――つまりだ、真瀬一人をターゲットにした偽装工作なんて、現実味に乏しいって思
うんだが。それとも何か? 真瀬は柿原から要注意人物と目されるほど、突出した探偵
能力を自負しているとでも言うか」
「そんな自負、あったとしても、自分から言いやしませんよ」
 苦笑と失笑と自嘲とが入り交じったような表情をなす真瀬。それは、動揺を覆い隠そ
うとするかの如く、徐々に広がる。
「柿原が怪しいとする理由は、まだ残ってる。関さんの首を絞めた痕に関する考察は、
充分に説得力があると信じる」
 改めてそう言われた柿原は、頭の中で、場にふさわしくないことをふと思い付いてい
た。
(首を絞めて殺す――絞殺――絞殺に関する考察。あ、おまけに『“関”さんに“関”
する』と来た)
 柿原はかぶりを強く振ってから、真瀬を見つめ返した。
「その理屈が通るなら、真瀬君だって怪しくなるよ」
「何?」
「左手の腫れだよ。それをウルシかぶれだと思っていたなら、そして凶器のタオルにウ
ルシが移ることを警戒したのなら、君だって片手で絞めようとするはずじゃないかな」
「馬鹿を言うな! ウルシを触ってからどれだけ時間が経ってるんだ!」
 真瀬が大声で否定したが、柿原にも言いたいことは残っている。
「もしくは、単にかぶれが気になり、力が入らない、入れづらかったということも想定
できるよね。かぶれは今も残ってるくらいだし」
 柿原の仮説に、真瀬はやや怯んだように見えた。自分の武器だと信じていた理屈を逆
手に取られたのだから、それも道理だろう。だが、真瀬は武器に固執する道を選んだ。
「俺が言い分を認めたとする。その場合、犯人はおまえか俺に絞られたと見ていいの
か?」
「僕はそんなつもりは……。素直な気持ちを言うと、親しい仲間を犯人だと指摘する覚
悟は、今の僕にはない」
「スイリストではあっても、名探偵にはなれないってか」
「いや、推理でも、まともな筋道は付けられていない。途切れ途切れのルートが散在し
ている状態とでも言えばいいかな」
「そのルートの一つでも、俺を犯人と示していないのか? 無論、絞めた痕跡以外で、
だ」
 真瀬と柿原のやり取りに、他の者は静かになっていた。二人の対決姿勢が、短い間に
作り上げられた感があった。
「ルートというか、まだ不可解な疑問点の段階だけど、一つある」
 柿原は考えながら答えた。
 真瀬は「言ってみろ」と荒い語勢で促した。
「じゃあ……真瀬君、借りた本にレシートが挟まっていたんだけど、覚えある?」
「ん? ある。というか、不思議でも何でもないだろう。買ったときのレシートを、し
おり代わりに挟むとか」
「うん。買った日付からして、レシートはその本の分と言えた。問題は、そのレシート
に、黒い痕があったこと。楕円形のね」
「何だって、黒い楕円? そっちは記憶にないな」
「これなんだけど」
 現物のレシートを取り出し、指先で摘まんで、見せる。微かな空気の動きで揺らめい
て、印刷された字は読み取りづらいだろうが、黒い楕円ははっきり見える。
「見せられても、変わらないな。記憶にない」
 真瀬は思案下に首を傾げ、慎重に言葉を選んだようだった。
「だいたい、挟んでいたことさえ当たり前すぎて、言われるまで忘れていた」
「じゃあ、無意識の内に下敷きにしたんだろうね。このレシート、よくある感熱紙だ
よ」
 柿原の指摘に、真瀬よりも早く、外野から声が上がる。
「あ、その楕円は、何か熱い物が当たった痕跡か」
「恐らくそうです。初めて気付いたときは薄暗い部屋だったのでぴんと来なかったんで
すが、明るいところで見直してやっと分かりました。そして、この楕円……形、大きさ
とも、缶詰とぴったり一致するんじゃないかな」
「――どういう意味だ? 何が言いたい?」
 真瀬が聞く。声の響きには、警戒が露わだ。
「レシートの挟まった本を借りたのは、三日目の夕食後だったよね」
「ああ」
「一方、僕ら推理研の面々が共通して、空き缶にロウソクを立てて使い始めたのは、同
じ三日目でも夕食よりもあと、だいぶ暗くなってから。それまでは使っていなかった。
これっておかしくない?」
「……」
 口元をいくらか動かしたが、最終的には固く唇を結んだ真瀬。代わるかのように、橋
部がずばり言う。
「俺達がロウソク立てとして空き缶の利用を始めるよりも早く、真瀬はそうしていたと
考えられるな。レシートは分かっていてか、たまたまかは知らんが、熱を持った缶の下
敷きになっていた。だから黒い楕円の痕跡が残った訳だ」
「それが何か?」
 口の中が乾いたのか、真瀬の声はかすれて聞こえた。咳払いをして、言い直す。
「それが何か問題ありますか?」
「問題あるわ」
 村上が言った。場の空気の調整役を担っていた彼女も、ここは疑惑の追及に出る。
「今、大変な状況になっているわよね。一人だけ蝋を地面に落とすことなく、ロウソク
を安定して持ち運べる方法を早々に思い付いて使っていたなら、どうして他のみんなに
教えてくれなかったの? 疑われるとでも考えたのかしら。そんなはずないわよね。み
んな異常事態に多少パニックになっていたから思い付かなかっただけで、普段なら簡単
に思い付く類の方法だもの」
「……蝋が落ちない方法をみんなに知らせたら、蝋を手掛かりにできなくなるから…
…」
「その言い分もおかしい。犯人は9番コテージ侵入事件の時点で、すでにロウソク立て
に空き缶を使っていたことは、ほぼ間違いないでしょ。今さら蝋が落ちる落ちないを気
にしたって、犯人特定にはつながらないと思うけど?」
 村上の舌鋒に、真瀬が一瞬、口ごもった。しかし、十秒足らずの思考時間を経て、再
度反論する。
「そ――そんなことが言いたいんじゃあないっ。俺は認めていないですから」
「?」
 主旨が飲み込めないと疑問符を浮かべたのは、村上一人ではなく、他の全員がそうだ
った。
「俺が柿原に本を貸す前は、レシートは真っ白だった。空き缶の痕がレシートに付いた
のは、柿原に本を貸したあとなんだ」
「ええ?」
 柿原は真瀬の台詞を思い返した。なるほど、追い込まれた感はあったものの、空き缶
を早くからロウソク立てとして使用したかどうかは、明言しなかったように思う。
「じゃあ、僕がわざと付けたと言うんだね?」
「ああ、俺を陥れるためにな。本を貸す前の時点で、犯人が空き缶をロウソク立てに使
っていたのは確定事項と見なしていたよな。濡れ衣を着せる策として、うってつけって
訳だ」
「……」
 これも決め手にはならないか、と内心で嘆息する柿原。尤も、落胆してはいない。決
定打になると考えていたのなら、自信を持って言い切る。最初から、疑問点を挙げるだ
けのつもりだったのが、真瀬の反論が過剰だったせいで、おかしな方向に行ってしまっ
た。
(でも、今の真瀬君の興奮ぶりや言い訳を素直に受け取るなら、犯人は彼ということ
に)
 柿原の感想は、真瀬以外のメンバーも同じ考えらしい。不意に降りた静寂の中、あか
らさまな疑惑の目が、真瀬に集中していた。当然、本人も察している。
「俺が犯人だと疑うのなら、さっきの問題を解決してからにしてもらいましょうか」
「さっきのって」
 村上が困惑げに言葉を途切れさせた。様々な証拠らしき物、ロジックらしきことが扱
われてきたおかげで、真瀬の言葉が何を指し示しているのか即座には理解できない。
「俺には明かりがなかったってやつですよ。関さんが亡くなった事件で、犯人はメイン
ハウスの家捜しをしたり、人形の火あぶりの儀式を用意した。いずれも明かりがないと
こなせない」
 確かに、この点に関して言えば、真瀬は犯人ではあり得ない。柿原の方が、パソコン
の予備バッテリーの件がある分、不利と言える。
 勝ち誇った真瀬に対し、その理屈を壊す声は上がらなかった――しばらくの間だけ
は。
「あの」
 湯沢の声は遠慮がちで大きくはなかったが、静かな場には充分に浸透した。
「そのことで、私、考えがあります」

――続く




#1110/1117 ●連載    *** コメント #1109 ***
★タイトル (AZA     )  18/05/05  23:31  (208)
百の凶器 14   永山
★内容
「やれやれ。こんなにも君と相性が悪いとは、ここに来るまで思いもしなかったよ、湯
沢さん」
 真瀬が肩をすくめ、音を立てて椅子に座り直した。
「聞いてやる。言ってみろ」
 が、すぐには始まらない。始められないようだ。そこで柿原は湯沢の隣まで移動し
た。彼女が多少怖がっていると見て取ったから。
「大丈夫?」
「う、うん。どうにか」
「本当に何か考えがあって? まさかと思うけど、僕を助けようとして無理に……」
「そんなことない。さっき、閃いたの」
 湯沢が微笑むのを見て、柿原は驚くと同時に心配にもなった。そんな都合よく閃くも
のか? 柿原の不安をよそに、湯沢は背筋を伸ばして立った。勇気を振り絞った証のよ
う。
「きっかけは、橋部さんと沼田さんのやり取りと、犬養さんと柿原君のやり取りを思い
出したことです」
 名前を挙げられた内の一人、柿原はすぐ前で発言する湯沢を見上げた。何のことを言
っているのか、咄嗟には掴めない。他の三人も、思い当たる節がないと見える。互いに
ちらと顔を見合わせた程度で、特に発言は出ない。
「正確な言葉ではなく、ニュアンスになりますけど……沼田さんが濡らしたマッチ棒を
処分したと言って、橋部先輩は乾かせば使えたかもしれないのにと応じていました。そ
れから、犬養さんが折れたマッチ棒を処分したことを、柿原君が処分せずに残していた
ら無実の証明になったかもしれないのにと応じた」
「あれか。思い出した」
 いの一番に橋部が言った。柿原も記憶が甦った。
(だけど、この二つのやり取りで、何が……あ)
 脳の奥で、光が瞬いた気がした。湯沢の話の続きに耳を傾ける。
「もう一つ、ずっと引っ掛かっていたことがあります。犯人は何故、9番コテージの近
く、小津部長が亡くなっていた辺りで、人形の火あぶりの細工をしたのか。人形の火あ
ぶりから余計な事柄を削ぎ落とせば、何故、小さなたき火をしたのかという設問になり
ますよね」
「そうなるな。呪術めいた儀式だなんて、誰も信じない」
 橋部の相槌代わりの台詞を受け、湯沢も勇気の波に乗れたらしい。
「シンプルに考えてみたんです。犯人は何かを燃やして処分したかった。そうする意図
を知られたくない何かを」
 本当に燃やしたかった物をカムフラージュするため、呪いの儀式めいた工作をする。
ミステリマニアらしい発想で、いかにもありそうだ。柿原はそこを認めた上で、ではあ
そこには何があったのかを思い返してみた。
(部長が亡くなった辺り……。犯人が自らの血や汗なんかの証拠を落としてしまったと
は考えられない。部長の死因は、恐らくアナフィラキシーショックで決まりだ。犯人が
犯行現場に立ち会う必要はない。その他の物品を落としたとしても、いくらでも理由付
けができる。遺体発見の時点で、みんなで集まったんだから。そうなると、証拠隠滅な
どではなく、他の理由……たき火の前後で消えている物……あ)
 分かった気がした。柿原は黙って、湯沢の話の続きに集中した。
「亡くなっている小津さんを見付けたときのことを思い浮かべてみてください。あの辺
りにはマッチ棒が散らばっていましたよね」
「そうだ。確かに、小津部長自身のマッチ棒が散乱していた」
 戸井田が強い確信ありげに言った。他の者が信じないなら、写真で見せてやろうとい
う気概が感じられる。無論、実際にはそんな必要はなかった。皆が覚えていた。
「現場をなるべくいじらないでおこうってことで、マッチ棒もそのままにしていた。他
にマッチ箱もあったっけな。それら全て、犯人のたき火のせいで燃えてしまったようだ
が」
 橋部が記憶を手繰りつつ言った。
「はい。犯人の狙いはそこにあったんじゃないか。そんな気がするんです」
「分からんな。マッチ棒を無駄に燃やして、何になる?」
「無駄にしていないと思います」
「え?」
「犯人は、使えるマッチを密かに確保するため、マッチ棒を燃やしたかのように装った
んじゃないでしょうか」
「ん? ――あ」
 首を捻った橋部だが、すぐに何やら察した顔つきになった。湯沢が前振りとして挙げ
た話が、ここに来て生きてくるんだ――と、柿原は内心で理解した。
(遺体の周りに散乱していたマッチ棒が、まじないめかしたたき火のせいで全て燃えて
しまったと思わせて、実は犯人が回収していた。燃えかすなんて、誰も調べない……あ
れ? でも、時間の前後関係が合わないぞ)
 柿原は気付いた。湯沢の顔を見つめつつ、大丈夫かなと心配が膨らむ。
「マッチを拾って再利用したという発想は分かった。それをごまかすためのたき火だと
いう理屈も。しかし、たき火の直前にマッチ棒を回収したのなら、おかしくないか? 
たき火や人形の準備をしたり、刃物を手に入れたりするために、犯人はメインハウスを
家捜ししたはず。だったら、家捜しの前の時点で、マッチを余分に入手しておかなけれ
ばならない」
「もちろん、回収そのものはずっと早めにしていたんだと思います。小津部長の足を見
て確認しようと考えた段階で、火種はなるべくたくさんあった方がいいと判断するのは
自然ですよね」
 湯沢の語りっぷりに、揺らぎは見られない。指摘も織り込み済みということらしい。
質問者が橋部から戸井田に移っても、その自信に変化はなかった。
「確かにそうだけれども、あんまり早くマッチを拾ってしまうと、気付かれる恐れが出
て来るんじゃないかな」
「それもカムフラージュできます」
「どうやって」
「マッチの燃えさしを、代わりに置くんです。ただし、頭の部分はちょっと土に埋める
具合に」
 シンプルな解答に、戸井田は「あ、そうか」と応じたきり、口を半開きにしていた。
 そこへ、村上が確認する口ぶりで聞く。
「燃えさしのマッチ棒を集め、カムフラージュ用に回したって訳ね。数は足りるのかし
ら。通常、火を着けるのに使ったマッチは、そのままくべてしまうけれど」
「問題ないと思います。自分自身が私的に使ったマッチを、捨てずにそのままストック
しておけば」
「なるほどね。燃えさしのマッチをたき火で燃やすことで、マッチの軸が部分的に消し
炭みたいに燃え残れば、まさかマッチ棒のすり替えが行われていたなんて、思い付かな
い。実際、そんな風になってたみたいだし」
「拾い集めたマッチは、しばらく乾かすだけで使えるようになったでしょう。そして―
―真瀬君が早い内から缶詰の空き缶をロウソク立て代わりにすることを実行していたの
と考え合わせれば、真瀬君のアリバイはなくなったと見なすのが妥当だと思う」
 最後は、真瀬を見てきっぱりと言った湯沢。もしも真瀬が顔を起こして、彼女をにら
みつけでもしていたなら、こうは行かなかったかもしれない。しかし今の彼は、最前ま
での威勢のよさや威圧的な態度は影を潜めていた。机に左右の腕をぺたりと付け、やや
俯いた姿勢で聞き続けていた。
  と、そんな真瀬が面を上げた。
「終わったか?」
「え、ええ」
「やっとか。話しやすいように気を遣ったつもりだが、首が痛くなった。筋を違える前
に終わってくれて、助かった」
 真瀬の態度は落ち着いていた。柿原が右手だけで紐を結べることを知らされたとき
や、先んじて空き缶をロウソク立て代わりにしていた疑いを掛けられたときは、明らか
に動揺していたのに、もう収まっている。真瀬にとって、湯沢の推理披露は、彼自身が
落ち着くための貴重な時間稼ぎになった恐れがあった。
「アリバイが崩れたのは認めてもいい。論理的、客観的に考えて、それが当然。しか
し、アリバイのない人間が即犯人とはならないのも、また当然の理屈、ですよね皆さ
ん?」
「答えるまでもない」
 橋部が代表して応じた。
「だが、おまえの場合、アリバイが崩れると同時に、犯行が可能であることも示されて
しまったんだぞ。加えて、犯人の細工によって成り立っていたアリバイは、おまえだけ
だ。犯人は柿原に濡れ衣を着せようとした形跡があるが、それは柿原が右手だけでは紐
を結べないという間違った理屈に立脚していた。ここにいるメンバーの中で、そんな誤
解をしていたのは、おまえ唯一人だ」
 橋部は一気に喋った。言いにくいこと全て引き受けた、そんな覚悟が感じられる。
 対する真瀬は、橋部をじっと見返し、また一つ、長い息を静かに吐いた。それから一
転して、大きな声で捲し立てる。
「だから! ロジックだけで殺人犯を決め付けるなんて、できやしませんよ! いくら
理屈を積み上げても、俺は認めない。何故なら、今列挙した理屈やその元となった事実
が、真犯人の罠である可能性は否定できない。でしょう? クイーン問題ですよ」
 推理小説好きの間で通じる語句を持ち出し、唇の端で笑う真瀬。橋部ら他の部員から
の反論がないのを見て取ったか、さらに語る。
「小説に関しては、あれやこれやと解釈をこねくり回して、クイーン問題は回避できる
的な評論があるのは知っている。だがしかし、現実の事件の前では無意味なんだ。物的
証拠が出ない限り、いや、そんな証拠が出たとしても、それすら真犯人の仕掛けた罠で
あるかもしれないんだ」
「……そう言う真瀬君は、誰を犯人だと思ってるのかしら?」
 犬養が些か唐突なタイミングで聞いた。場の流れを変えよう、そんな意図があったか
どうかは分からない。ただ、彼女が時折見せる、空気を読まない言動が、ここではプラ
スに働いた。少なくとも、柿原らにとって。
「さあ? これだけ疑われたら、どうでもよくなってきた。俺以外なら、誰だっていい
さ」
「誰だっていい? そんなことあるはずないわ」
「何? 分かった風な口を」
「分かっていないのは、そちらでしょう。あなた、誰が殺されたの、お忘れ?」
「それは……」
 勢いが止まった。絶句した真瀬に、今度は沼田が言葉で詰め寄る。
「関さんのこと、好きだったのよね? なのに、どうでもいいだなんて、言える訳がな
いわ!」
「ち、違う」
 目を赤くした沼田の迫力に押された風に、真瀬は首をぶるぶると横に振った。
「俺が言ったのは、そういう意味の『どうでもいい』じゃあない。俺は、君らみたいに
仲間を疑うのが嫌になったんだ。だから、思うことはあっても、もう言わないと決め
た。そういうつもりで、どうでもいいと言ったんだよ」
 この答に、真瀬自身は満足したらしく、自信ありげに頷いた。
 不意に静寂が降りてきた。誰も発言しない、物音すらほぼしない時間が一分ほど続い
た。その時間を使い、橋部は柿原を一度見た。アイコンタクトのようにも感じられた
が、柿原には何のことだか分からなかった。
「真瀬。俺達は気にしないから、言ってみてくれ」
 静寂を破って、橋部が問う。真瀬は被せ気味に答えた。
「何をですか」
「犯人、誰だと思ってるんだ?」
「今さら……」
 横を向く真瀬に、橋部は辛抱強く語り掛けた。
「まあ、改めて言わなくても、だいたい想像は付く。少し前まで、おまえは柿原犯人説
を唱えていた。それは変わっていないんじゃないか?」
「……」
「俺もおまえのさっきの考えを聞いて、検討し直してみたよ。ほら、真犯人の罠じゃな
いかっていう」
「……それで?」
 改めて振り向いた真瀬。細められた目で見つめる様は、相手の真意を測ろうとしてい
るかのようだ。
「こう考えてみた。真瀬に掛けられた疑いが罠だとしたら、それができるのは誰か、っ
てな。まず……柿原の手について真瀬だけが誤解していることを確実に知っているのは
誰か」
 場に問い掛けてから、橋部は柿原へ向き直った。
「それは柿原本人だ」
 その台詞の効果を試すかのように、しばし口をつぐむ橋部。
 一方、柿原は心穏やかならず。
(橋部さん、一体どういう……?)
 疑問が頭を埋め尽くしたが、声にはならない。強いて出さなかったのかもしれない
が、本人にもそれは分からない。
「柿原以外は、たとえ日頃の態度で真瀬が誤解していることを把握できても、柿原が真
瀬に直接訂正した可能性を排除できないからな。無論、柿原の立場からすれば、部員の
誰かが真瀬に誤解を教えてやる可能性を考慮しなければいけないが、誤解が解かれたか
否かを確認できるのも柿原だけだろ」
「……そうなりますね」
 柿原は素直に認めた。理由は二つある。第一に、橋部の話の論理展開そのものは、さ
ほどおかしなものではない。強行に反発するのは、スイリストとしての名折れになる。
そして第二に、橋部は何らかの思惑があって、こんな方向に話を持って行ったのだと直
感したからだった。
(多分、橋部さんは二択に持ち込もうとしている……)
 そう信じて、敢えて乗る。
(そこからの決め手は、きっとアレだ)
「要するに、僕に濡れ衣を着せる筋書きの犯行が、真犯人の罠だとしたら、そんなこと
ができるのは、僕一人だってことですね?」
 時間を省くつもりで、柿原は論をまとめてみせた。果たして橋部はいかにも満足そう
に、大きく首肯した。
「話が早くていい。ハンカチの血だって、自分でやるなら目撃される危険はゼロに等し
い。レシートの黒い楕円にしても、柿原が第一発見者であるということは、裏を返す
と、柿原自身がきれいなレシートに故意に付けた可能性が残る。9番コテージの格子を
外したあと、戻したのは、片手の自分には大変な作業ですよというアピール。ああ、斧
の柄に血痕があっただけで、いきなり部長の遺体を調べようと言い出したのは、やり過
ぎ感があるな」
 橋部は目線を柿原から真瀬に移動させた。
「こんなところじゃないか、おまえの気持ちは」
「まあ……そうですね」
 真瀬は口元から顎にかけてひとなでし、考え考え、言葉をつないだ。
「他にも、たき火のトリックを使わなかったとしても、柿原には明かりを用意できた可
能性がありますし」
 予備のバッテリーの件を蒸し返す真瀬。橋部は「分かった分かった」と、首を何度も
振った。それから今度は、真瀬と柿原を除く、他の面々に向けて話し掛けた。
「どうだろう? 犯人が誰かっていう謎は、彼ら二人に絞られたんじゃないかと思うん
だが。機会や手段、それに今まで散々述べてきたロジックから、総合的に判断してな」

――続く




#1111/1117 ●連載
★タイトル (AZA     )  18/07/13  22:55  (496)
魔法医ウィングル:密室が多すぎる 1   永山
★内容                                         18/07/18 02:46 修正 第4版
 僕は、そのときばかりは店主がうらやましかった。
 採用面接の折、コールさんは僕の魔法を高く評価してくれて、それが採用の決め手に
なったと僕自身感じている。今や、ダビド・コール古物商の社員寮に入っているのは、
僕一人だけ。つまり、大勢の働きを一人でこなせると認めてもらえたことになる。
 魔法ならコールさんも別のを使えるが、あまり役立たないものだと本人が自嘲してい
た。僕だって口には出さないが、僕の魔法の方が使えると自負してる。少なくとも、
コールさんのやっている骨董店では。
 それでもなお、僕がコールさんの魔法をうらやましいと感じた。今日みたいに、厳し
い暑さの日に限っては。
 コールさんの魔法は、氷を作り出せる。大人の男の親指くらいのサイズが一つだけだ
が、溶けきることはない。空気中の水分を固めて氷にしているからだそうだ。その氷を
身に付けて作業をすれば、かなりの暑さをしのげるに違いない。
 いい歳した大人が小さな氷一つ出せるだけなんて自慢にならないとか言って、コール
さんは他人に積極的には見せたがらない。髭を生やした六十絡みの強面男性が、ちっぽ
けな氷をちまちまと操る様は確かに格好よくないかもしれない。そんなコールさんで
も、酔うと希に披露してくれる。あれは確か、女性従業員の退職が決まって、送別会を
開いたときだ。些か酔っ払ったコールさんは、空中、目の高さ辺りに細長い氷を作る
と、ゆっくり回転させ始めた。氷が時計の針みたいに、ぐるりと円を描く。作った氷を
自在に操れるのではなく、空中にある水分を巧みに入れ替えることで、凝結と気化を繰
り返すとかどうとか。氷結だったかもしれない。自分も多少酔っていたため、しかとは
記憶していないが、とにかく見事な魔法さばきだった。
 そんな店主を、僕も嫌いではない。経歴に傷のある僕を雇ってくれて、感謝している
し、何より差別しない。時々、「おい、フィンシャー君。刑務所で知り合った中に泥棒
はいないか? 盗品でも値打ち物なら考えるぞ。わはは」なんていう風な直球の冗談を
投げてくるが、それこそ僕を特別扱いしていないことの証拠だと分かるのに、時間は掛
からなかった。
 短気な質だと自覚のある僕も、この店では迷惑を掛けないよう、精一杯努力してみよ
うと心に誓っている。それだけ、長くいたいと思わせる場所なのだから。

            *            *

 夏も佳境に入り、きつい日差しが当たり前のように続いていた。たまに雨が降って
も、地面はじきに乾いて白くなるほどだった。場所によって、土埃が激しく舞う。だか
らといって目医者が儲かることにはつながるまいが。
「先生、約束よりちょいと早いですが、よろしいかな?」
 診察時間が終わるや否や、刑事のセオドア・スペンサーが診療室に駆け込んできたの
で、ウォーレン・ウィングルは些か面食らった。
「かまいませんが、どうしたんです? 飲みに行くには早いでしょう」
 本日夜、居酒屋に繰り出す約束をしたのが三日前。言い出したのはスペンサー刑事だ
った。ウォーレン・ウィングルは一介の町医者であるが、時折スペンサーに助言する形
で、事件の捜査に関与した経験がある。
 本業は飽くまで医者、魔法医だ。病巣の位置さえ正確に把握できれば、その病巣を滅
することができる。ある程度の制限があるのだが、他の医師にとって商売あがったりに
なるほどの強力な魔法が使えるとあって、業界内での人間関係はあまりよくない。親交
のある医者仲間は大勢いるが、反主流派が大半を占める。現在、ウィングルがその能力
の割に田舎町の小さな医院に収まっているのは、主流派とのつまらぬ衝突に端を発して
いた。
「自分の担当じゃあないんですが、ある事件が拡大の一途を辿っておりましてな。応援
に駆り出される公算が強まってきた。そこで、前もって先生の意見を聞いておくのも悪
くないと考え、早めに来たんでさ」
 それでもウィングルは町を気に入っていたし、こうして刑事に頼られるのも悪くはな
いと感じていた。何より、自分は謎解きが好きらしいと気付かされたのは、ここに来て
からだ。
「店で飲み食いしながらできるような話ではないんですね?」
 すぐに察したウィングルは切り替えも早かった。刑事の肩越しに、看護婦のニッキ
ー・フェイドへと視線を寄越す。
「彼女にも聞かせない方がよい?」
「ご遠慮願いたい。公にされていない事柄が多くてね。先生は別ですよ」
「この手の特別扱いは居心地がよくありませんが……フェイド君、都合が悪ければ言っ
てくれたまえ」
「いいえ。早く帰れるのでしたら、むしろ大歓迎ですわ」
 暇なときは事件の話に首を突っ込んでくることもままある彼女だが、今日は予定があ
るようだ。
「何でしたら、今すぐにでも消えましょう。お茶をお出しできませんし、今日の片付け
を先生にお願いしますけれど」
「それでは――」
 ウィングルは刑事の顔色を見た。目で頷くスペンサー。事件についてとにかく早く話
したい様子が見て取れた。

 念のため医院の戸締まりを全て済ませ、不意の来訪者があっても問題ないようにし
た。スペンサー刑事はメモの類はしてもかまわないが、すぐに処分するか、他人の目に
付かないように厳重に仕舞い込んでほしいと前置きし、事件の話に入った。
「先生にお話しするのは、何度か検死の手伝いを頼んだからというのもある。ここ最
近、その頻度が高かったと感じませんでしたかね?」
「言われてみれば、女性二人が立て続けにありましたね。紐のような物で首を絞められ
た痕がある以外、外傷はほぼなくて、同じような亡くなり方でした。互いに関連がある
かどうかは、何も聞いていませんが」
 医者と患者のように、診察にて向き合って話す二人。フェイドがいれば飲み物がテー
ブルに並ぶところだが、今はない。無論、このあと予定通りに居酒屋に行くつもりとい
うのもあるが。
「実を言うと、他に五人、同じ死に方をした被害者がいましてね。いや、全員がこの町
で死んだんじゃなく、近隣周辺の三つの自治体で起きた合計が七人なんですが。それで
も、広大とまでは言えない範囲内で七人が短い期間に死んだとなると、ちょっと異常
だ」
「確かに。騒ぎになるかもしれないので、関連性についての言及を控えていると?」
「ええ。警察としての方針が決まれば、一連の事件であるとの見解を発表するのはかま
わんのでしょうが、現段階では時期尚早ってやつです。七人の被害者の内、一部は事故
の可能性も匂わせたから、どうにかこうにか連続殺人の噂が立つのを押さえられている
ようですな」
「事故? 私が検死した中には、そのような症状は見られなかったと思いますが」
「遺体の状況ではなく、発見された状況にちょっとした関門があるんですよ。実は、あ
あ、また『実は』だ」
 苦笑を浮かべ、刑事は唇をひとなめした。
「実は、七件の女性絞殺事件は、全て密室状況下で起きた。その作り方が不明であるが
故に、事故死という見方をしても一応、通っちまう」
「密室について詳しく教えてください。どれも同じような状況だったんですか」
 時計を一瞥してから質問したウィングル。長引きそうな予感があった。
「同じと言っていいでしょう。ついでに言えば、被害者が独り暮らしの女性というのも
共通している。一軒家か下宿等の一室かの違いはある。被害者は全員、紐状の物で絞め
殺されており、首には凶器が巻き付いたままだった。凶器は荷造り用の細めのロープ
で、長さは一定ではなく、およそ六〇〜八〇センチ。同じメーカーの物かどうかは未確
定で、鋭意調査中。こんなところです」
「現場の状況は? 鍵のこととか」
「一軒家に関しては、玄関と勝手口と窓があって、そのいずれにも魔法錠がしつらえて
ありました」
 魔法が一種の特殊能力として一般的に認知されているこの社会において、魔法錠は家
屋における必須アイテムと言える。そうでない鍵だと、たとえば遠隔操作の魔法を使え
る者によって、易々と開錠されてしまうからだ。魔法錠ならそれを防げる。ただ、魔法
錠という特別な錠前が存在するのではなく、通常の錠に政府による公的な魔法を施すこ
とで、他の魔法による外部からの開錠を不可能にした物、それが魔法錠である。
「ドアは鍵を差し込んで回す単純なタイプ、いわゆるシリンダー錠でした。窓の方は、
やはりよくある三日月型の金属を動かすことでロックするクレセント錠ってやつです。
これが五件。残り二件がアパート及びマンションの一室で、出入り口は玄関と庭に面し
た窓」
「すみません、その部屋は一階?」
 念のためにと発したウィングルの質問に、刑事は肯定の返事をした。そのまま続け
る。
「アパートとマンションの区別する基準を知らないが、アパートの方の玄関はシリン
ダー錠で、マンションの方の玄関は単純な回転錠に加えて、暗証番号が必要な閂が付い
ていました。四角い箱型にボタンが八つあって、定められたボタンを押し込んでからで
ないと、閂を動かせない仕組みになっている。もちろん、室内側からは簡単に閂を動か
せる。そして窓は、同じ型のクレッセント錠でした。そこにあるような」
 スペンサーの指差した方をちらと見やるウィングル。この小さな医院の窓には二種類
の錠があって、一部はクレッセント錠、一部はねじ込み式錠が設置されている。
「ここの窓の錠は固くてきついんですが、現場の物はどうなんでしょう?」
「さて、そこまでは聞き及んでませんな。先生は何ですか、他の魔法ではなく、物理的
な、いわゆる糸や針なんかを使ったようなトリックが用いられたと?」
「決め付けているんじゃありません。基本的なことを押さえておきたいだけで。警察が
魔法による密室殺人だと考えるからには、何らかの魔法痕が見付かっていると?」
「ええ。ずばり、凶器の紐から検出されてまして」
 魔法を行使された対象物を、警察が開発・導入した特殊機器で検査すると、魔法を使
った痕跡が検出される。それは波紋のようなもので、魔法痕と呼ぶ。魔法が使われてか
ら検査までの時間経過が短ければ短いほど詳細に分かり、一般的に、三ヶ月以内であれ
ば魔法の種類は特定可能とされる。行使から間もなくなら、誰がどんな魔法を使ったか
さえ判明する場合がある。
「凶器から検出されたのは、遠隔操作の魔法痕でした。言い換えるなら念動力」
「犯人は、被害者が自宅内で施錠したのを見計らって、紐を遠隔操作し、首を絞めて殺
した?」
「恐らくそうでしょうな」
「……殺害された現場は、家の外からも見通せる状況でした?」
 首を傾げつつ、ウィングルは聞いた。
「いやあ、そこまでは把握しとらんですわ。何か問題でも?」
「一人につき一つの魔法しか使えない原則がある。遠隔操作魔法を使う犯人は、部屋の
中の様子や被害者の位置、動きなどが分からないと、正確に首を絞めるのは無理なんじ
ゃないかと思いましてね」
「なるほど。機会があれば、確認しときます。でももし、現場が外から見通せないとし
たら、犯人は複数かもしれませんな」
「何故そう思うんです?」
「透視能力のある奴が共犯で、そいつから室内の様子を伝えてもらうことで、念動力の
ある奴が正確に首を絞めた――」
「確か、透視魔法を使うと、透視された物体に魔法痕が残るんじゃあ……」
「ああ、そうか。そういう記録はありませんな。殺害現場の魔法痕の有無は念入りに調
査済みで、まだ調べてないとは考えられないから、この推理は破棄ということで」
 些か考えなしに先走ったのを恥じたのか、スペンサー刑事は表情を隠すかのように顔
を手のひらで何度か擦った。
「遠隔操作の魔法のみで、紐を見えない位置から操り、中にいる人を絞殺するなんて芸
当、できるものでしょうか」
 しきりに首を捻るウィングル。その動作をやめ、思い付きを口にした。
「紐に、二重に魔法を掛けた痕跡はないんでしょうね?」
「ないですな。ああ、分かりましたよ、ウィングル先生の考え。魔法によって紐を他の
物体に見せ掛けるとかでしょう?」
「え、ええ、まあ。首飾りや襟巻きに擬することができれば、首に掛けるでしょうか
ら。尤も、帰宅すればすぐに外しそうな気もします。まあ、そのような魔法痕はなかっ
たという事実の前に、この推理も的外れ」
 両手の平を上向きにし、肩をすくめたウィングル。
「寄り道をしないで済むよう、はっきりさせておきましょう、スペンサー刑事。各現場
では、凶器と見られる紐に遠隔操作の魔法痕があった以外、何の魔法痕もなかったとい
う認識でいいですか?」
「ええっと、単純に断言はできませんが、犯行に関連している魔法は他にはなさそうで
すな」
 奥歯に物が挟まったような言い種をする刑事。ウィングルは続きを待った。
「というのも、被害者の内二人がそれぞれ魔法を使えたようなので。手のひらで布や紙
なんかをさすると、皺がきれいになくなり新品のようになる能力と、利き手で持った物
の重さを正確に感じ取れる能力。日常的に使っていたみたいです」
 前者は洗濯物を畳むとき、後者は料理のときに便利と言えるかな。ウィングルは漠然
と想像した。
「何にしても、この二つの魔法は、全ての犯行現場に共通する要素にはなり得ない。つ
まり、密室殺人とは無関係と見なしてかまわんでしょう」
「同意です。が、その条件下で、警察は犯人がいかにして正確に首を絞めることができ
たのか、見当は付いているのでしょうか」
「付いていないと思う。いや、捜査に関わっていない部外者の立場では、何とも断言は
できないが、そういった言及があったら確実に耳に入ってくるものだから」
「勘に頼って、手当たり次第に絞める動作をした、ということは考えられます? もし
当たっているとしたら、絞殺未遂事件が山ほど起きていそうなもんですが」
「絞殺未遂事件が頻発してるなんて話は、聞き及んでませんな。犯人は正確に凶器を操
作して、殺害を成し遂げていることになりそうだ」
 スペンサー刑事は頭をかきむしった。こんなことが問題になるとは、想像していなか
ったのだろう。無論、現時点で捜査に関わっていない彼を責めるのはお門違いと言うべ
きで、捜査班は現状を把握して動いているに違いない。
「スペンサー刑事。密室殺人の方法に疑問を持っていなかったのなら、何を相談しよう
と思って来たんです?」
「ああ、そりゃ決まってます。理由ですよ、理由。密室を作って殺す理由がぴんと来な
い」
 そこまで一気呵成に答えたスペンサーに対し、ウィングルが応じるために口を開こう
とした。が、刑事が言葉を継ぐ方が早かった。
「言っときますが、自殺に見せ掛けるためとか、鍵を所有する人物に濡れ衣を着せるた
めとかいうありきたりなものは承知してますんで、説明は結構。今回の事件の犯人は、
明らかに他殺と分かる手口で殺しておいて、密室を演出している。そこが不可解なんで
す。無差別殺人だろうが何だろうが、殺したいだけなら、わざわざ現場を密室にする必
要はない、でしょ? むしろ、密室に拘るのは、無差別殺人らしくない気さえする」
「他のよくある理由はどうでしょう? 殺害のためには密室にする必要がある、偶然密
室になった、といった」
「そうですなあ。偶然密室になったという考え方は、理屈の上ではあるでしょうが、実
際問題、七件も偶然が働いたとは思えんですよ。一方、密室にしなければ殺害できな
い、もしくは密室の方が殺し易いというのはなさそうだ。さっき検討したように、魔法
で絞め殺すには密室は障害にこそなれ、プラスに作用するとは考えづらいでしょう」
 刑事の意見に、ウィングルは満足げに頷いた。蛇足になるが、この世界では、超常現
象に見せ掛けるために密室殺人を行うという説は、議論に与せられる余地はほぼない。
魔法が当たり前に存在するのだから。しかしながら、皆無という訳でもなく、魔法を超
えた超魔法(に擬せられた不可思議犯罪)であれば、あるいは人々を驚かせ、恐怖せし
めるかもしれない。
「もう一つだけ。遺体の発見を遅らせたかったという理由は考えられない?」
「うーん、そこまで詳しい情報は得ちゃいませんが……被害者達は学生や社会人のよう
だから、姿を現さないことに周りの者はすぐに気が付くでしょう。その上、被害者宅に
遺体を放置と来た。事件発覚を遅らせる意図が感じられないような」
「なるほど、納得しました」
「先生、聞いているのはこちらなんですよ。あなたが納得していてどうするんですか」
 笑顔の医師とは対照的に、刑事は渋面をこしらえ、距離を椅子ごと若干詰めた。
 真顔に戻ったウィングルは、書き損じの問診票の裏にいくつかメモ書きをしつつ、
「今すぐの結論は無理ですよ。新しい仮説すら、簡単には捻り出せそうにありません」
とやんわりと言った。
「それならせめて、どうやって正確に絞殺できたかについて、お知恵拝借といきません
かね」
「そっちの方は、思い付きがないでもありませんが、多分、現捜査陣の方々も想定して
いるに違いないので……」
「何と。思い付かない自分は鈍いことになりますか」
「決してそういう意味で言ったのではないです。実際にうまく行くかどうか不確実なこ
とから、最初から排除すべき仮説かもしれませんし」
 ウィングルがメモを書く手を止めると、刑事は「とにかくその思い付き、聞かせてく
ださいよ」と求めた。別段、伏せておく理由なんてないので、話そうとしたウィングル
だったが、ちょうど電話が鳴った。スペンサー刑事に断って電話に出ると、ウィングル
宛てではなかった。
「――スペンサー刑事、あなたに」
「あ、ああ。すみません、ここに足を運ぶと同僚に伝えていたもんで」
 送受器を受け取りながら、頭を下げるスペンサー。ウィングルは全然かまわないと、
手振りで応じた。ウィングルが心配するとしたら、自分のような素人が捜査へ口出しす
る行為が、他の刑事達にはどう思われているのかであり、その橋渡し役になっているス
ペンサーの立場は大丈夫なのかということだった。
 スペンサー刑事の電話は、意外と長い時間を要した。スペンサーは刑事として訓練を
受けているのかどうか分からないが、会話の内容が推測できるような言葉は漏れ聞こえ
てこなかった。五分近く経って、ようやく通話が済んだ。
「何でした?」
 送受器を返してもらい、電話機に戻しながら聞く。
「安心して飯に行きましょう。応援に呼ばれることはなくなったようだから」
「へえ? 一体何が」
 内心、捜査への応援に駆り出されることが決まり、その件をいち早く知らせる電話で
はないかと想像していただけに、ウィングルの声には訝る響きが混じった。
「会見はまだだが、一部の記者連中に漏れ伝わっているだろうから言っちまいます。容
疑者が特定されたという情報でした」
「それはよかった。でも、何が決め手になったんだろう……。聞いた限りでは、まだ先
は長そうに思えましたが」
「好ましからざる展開だが、新たに八人目の犠牲者が出たらしいです。その発見が早か
ったので、魔法痕を調べることにより容疑者個人を特定できたというのが、まあ、せめ
てもの慰めで」
「そうでしたか。犯人、慎重に振る舞っていたように感じましたが、そうでもなかった
のかな。まだ日も落ちない時刻に事件を起こし、しかも発覚するなんて」
「殺人を重ねる内に感覚が麻痺して、慣れてくる。それが油断につながるというのは、
よくあることでさあ。ま、今回は、その容疑者が過去にも犯歴があって、警察で保管し
ている資料とすぐに照合できたのが大きいようでしたがね」
「そういえば、容疑者の名前までは教えてもらえませんか」
「ん、ま、かまわんでしょう。ポップ・フィンシャーという男です。詳しいことは知ら
されてないが、今し方聞いた話では、若い頃は大道芸をしていたと。ナイフを遠隔操作
して、ジャグリングをしていたんですな」
「魔法でジャグリングですか」
 ウィングルは若干、理解に苦しんだ。
 ジャグリングは人間が素の技術を使って行うからこそ見事な技になるのであって、魔
法を使って見せられても大して感心しない気がするが、よほど複雑な動きをやってのけ
たのだろうか。もしくは、大量のナイフ、それこそ百本くらいのナイフをお手玉したの
なら、魔法であっても見ものなのかもしれない。
「で、約五年前、客とトラブルになって、ナイフで斬り付け、軽くではあるが傷を負わ
せた。執行猶予なしの懲役を食らっています」
 魔法の悪用に関して、きつめの判決が下ることが圧倒的に多い。ポップ・フィンシ
ャーなる男の傷害罪も、高く付いたようだ。
「それでも魔法縛の罰は解かれていたんですね?」
 魔法の悪用により懲役刑を下された場合、その犯罪者は魔法を使えない環境下で収監
される。その手段は地方によって様々だが、基本的には期間限定で魔法を使えなくする
魔法を掛けるか、刑務所全体に魔法を掛けてそのテリトリーでは他の魔法が働かなくす
るかのいずれかだ。どちらの方法も、強力な魔法を使える者が定期的に管理の手を入れ
る必要があるため、僻地では採用できないことも起こり得る。
 そういった収監中のこととは別に、出所後にも一定期間魔法を使えなくする罰が付加
される場合が多い。
「ええ。きっちり務め上げて出所してから二年間、何事もなく過ごしたので、魔法縛は
解かれたとのことでした。それがまた悪用され、殺人に使われるとは、法曹界も頭が痛
い話でしょうな」
 苦い表情をなしたスペンサーだったが、再び鳴った電話にウィングルと目を合わせ
る。
「またかも。端からスペンサー刑事が出ます?」
「いや、そりゃまずいでしょう」
 ウィングルが送受器を持ち上げて出てみると、想像した通り、警察からスペンサーへ
の電話だった。「やっぱり、またですよ」と言いつつ、送受器を渡した。
「代わった。スペンサーだ。何か言い忘れたことでも?」
 それだけはっきり言って、あとは再びもごもごぼそぼそした物言いになったスペン
サーだったが、不意に明瞭に言い切った。
「何だって? 嘘だろ、フィンシャーが死んでいたなんて!」
 意外な成り行きに、さすがの刑事も思わず口走ってしまったようだ。

 居酒屋に行くという話がだめになってからちょうど一週間後。ウィングルは、スペン
サー刑事と再び会った。今度は最初から居酒屋を待ち合わせ場所にして。
「個室を予約していたということは、事件の話もあるんですか」
 注文を済ませ、手を拭きながらウィングルが尋ねる。テーブル越しに飲み物を注そう
とする手つきのまま、スペンサーは答えた。
「もちろん。例の事件ですよ、八連続密室殺人」
 有力容疑者フィンシャーの死を機に、密室絞殺事件は止まったようだった。よってス
ペンサーが応援に加わる必要はなくなり、しばらく暇である……というものではない。
被疑者死亡を受けて、警察は別の捜査班を起ち上げねばならない。それは、ポップ・フ
ィンシャーの死亡案件を色眼鏡なしに調べる名目がある故、密室での連続絞殺事件に携
わっていた捜査官以外の者によって構成される。スペンサーはその筆頭格に据えられ
た。
「こうしてお誘いが来るからには、フィンシャーの件は一週間で目処が付いたんです
か」
「うーん、まあ、建前もありましてね。現在進行形の事件ではないし、密室絞殺事件を
捜査していた連中の顔を立てねばならん。勢い、フィンシャーが犯人で自殺したという
線で進めざるを得ない。それをひっくり返すには、それなりの証拠や理屈がないとだ
め」
 互いのグラスを酒で満たし、軽めの乾杯。アルコール度数もごく低いやつだ。
「何かはっきりしないなあ。既定路線で片を付け、こうして飲みに来たんじゃないみた
いですねえ」
「ええ、当たりです」
 そう言うとスペンサーは半分ほどグラスを空け、一気に喋った。
「今日はこの間の埋め合わせではなく、ウィングル先生の意見が聞きたくて、来てもら
ったんです。具体的にどこがどうおかしいってのはないんですがね。どうも釈然としな
いっていうか、もやもやの正体を突き止めてくれるんじゃないかなと、期待しておる次
第です」
 料理が運ばれて来た。魚を中心とした皿がいくつか並ぶ。店員が下がったあと、ウィ
ングルは聞いた。
「じゃあ、私が何ら有効な反証を挙げられなかったら、あなたは納得して調査を終える
と」
「うむ。そのつもりですが、その場合でもできることなら納得できるだけの理屈を示し
てもらいたいもんです」
 スペンサーの言葉に同じ言い回しが重なる。早くも酔いが回ったのかと心配になる。
あるいは、彼の迷いの発露かもしれない。
 ウィングルはグラスを置き、メモ書きを用意した。
「分かりました。フィンシャーの死んだ件について、判明していることを教えてくださ
い」
「よし来た。ご存知の通り一週間前のこと、フィンシャーは住居である中古の一軒家で
死亡しているところを、訪ねてきた捜査員によって発見された。この一軒家というのは
フィンシャーの今の勤め先である古物商が、社員寮として所有・提供する二階建ての物
件で、多いときは五、六人が共同生活を送っていたが、現在はフィンシャー一人だっ
た。発見時、一軒家は密室状態で、フィンシャーは台所にて、首を絞められたことによ
る窒息死を遂げていた。凶器は荷造り用の紐で、フィンシャーの首に絡んだまま。魔法
痕も本人のものだけがばっちり残っていましたよ、死後三時間といったところだったん
で。家の構造は、それまでの連続絞殺事件と似たり寄ったりで、玄関と勝手口はシリン
ダー錠でそれぞれの鍵は、家の内部から見付かった。窓はどれもクレッセント錠で、全
てロックされた状態だった。あと、何がありますかね」
「遺書の類は?」
「ああ、なかったです。見付かっていないと表現すべきかもしれんが。その代わりって
訳でもなかろうに、密室殺人の方法を示唆したような絵が描き残されていたんだった。
そういや、前に先生は密室殺人の方法なら仮説があると言ってましたな。話してみてく
れます? 答合わせといきましょうや」
「ああ、あれね。自信のある答ではないが……。犯人は狙った相手をその家の近くで待
ち伏せし、家に入る直前に、被害者の肩に凶器とする紐をそっと掛ける。あ、いや、背
中にぴたりと貼り付ける形の方が、より気付かれにくいか。どちらにせよ、遠隔操作の
魔法が使える者であれば、気付かれずにやりおおせる。まあ、紐の端がうなじのすぐ近
くにあるのが、犯行にとって理想的です。その後、被害者は玄関の鍵を始め、戸締まり
をしてから床に就く。寝入った頃合いを見計らって、フィンシャーは紐を操作し、被害
者の首に回したところで一気に締め上げる……いかがです? 紐と首との位置関係を把
握できているのだから、容易に絞められるでしょう」
「こりゃ驚いた。見事に一致しております」
 殺人方法の発想が犯人と同じだったと言われても、大して嬉しくない。ウィングルは
次の質問に移った。
「社員寮というからには、合鍵が存在し、会社――古物商の方で保管しているのでしょ
うか」
「ああ、合鍵はある。けれども、保管が厳重で、勝手にというか個人が密かに使用する
ことは不可能なんですよ。古物商らしく古い金庫を使っているんですが、出し入れが記
録される仕組みになっており、フィンシャーの死の前後に使われた記録はないと確認済
みです。無論、魔法によって記録が改竄されてもいない」
「そうですか。なら、信用してよさそうです」
「先生は、他の方法で密室が作れないかと考えている?」
「ええ。だって、フィンシャーの犯行じゃないと仮定すると、密室の作り方が不明にな
る。そこから考えるべきでは」
「理屈は分からんでもないですが、魔法による密室作りを検討しなくていいのか、疑問
に思いまして」
「え? だって、他に魔法痕は検出されていないのでしょう? 検出されていれば、ス
ペンサー刑事、あなたが言ってくれるはず」
「確かにその通りで、現場の中古住宅から、事件と関係ありそうな魔法痕は、フィンシ
ャー自身の物しか見つかっていませんが」
「ということは、関係なさそうな魔法痕も検出されてるんですか」
「古くて話にならないようなものばかりですよ。フィンシャーの死亡は一週間前だとい
うのをお忘れなく」
 稀にではあるが、いわゆるタイマー式の魔法を使える者もいるにはいる。たとえば翌
日の朝六時になると枕が膨らむようにする魔法とか(目覚まし代わりである)。ただし、
この手の時間指定魔法にしても、発動したときを基準に魔法痕は検出できるので、古い
魔法痕は、発動したのも古いと見なせる。
「じゃあ、やっぱり魔法なしでの密室トリックを解き明かす必要が」
「いや、自分は、密室自体はフィンシャーの魔法によるものと考えておるんです。これ
までの八つの密室絞殺事件も、フィンシャーが死んだ密室も奴自身の力のせいだと」
「つまり、一連の事件は複数名による犯行で、フィンシャーが死んだのは仲間割れか、
あるいは全く別の殺しかもしれないといった感じですか」
「仲間割れ説を取りたいな。全く別というのは考えにくい」
「被害者遺族が犯人を自力で見つけ出して、復讐を果たしたという線は、警察としては
考えたくないでしょうね」
「もちろんですとも。遠隔操作魔法を使えるフィンシャーが、面識がないであろう遺族
に易々とやられるのも変だし。フィンシャーを殺した奴とフィンシャーは、何らかの交
友関係があったんだと思いますよ。フィンシャーを言いくるめ、奴自身の能力で密室内
で死に至らしめたんではと睨んでるんですが」
 自説を披露するも、明らかに自信なさげな刑事。目線は斜め下に向かい、手の甲で口
元を拭う仕種を何度かした。
「なるほど、一つの考え方ではありますね。では、違和感というのは、フィンシャーの
死が自殺らしくない、という直感ですか」
 ウィングルが肯定的に評価した上で、先を促す。スペンサーは腕組みをし、首を傾げ
た。
「うーん、直感とも言えるんですが、もうちょっと理屈があるようなないような。長年
の経験に裏打ちされた刑事の勘と呼ぶのが一番近くて」
「ひょっとすると、私の抱いた疑問と同じかもしれない」
「え? 何かあるんですか。なら、早く言ってくださいよ」
 分かり易く、表情を明るくしたスペンサー刑事。
「基本中の基本と言えそうな事柄なので、そちらから言い出すのを待っていたいんです
が、なかなかそうならないものだから……。それに、私はフィンシャーの犯行であるこ
とも疑ってるんですよ」
「自分も、全ての密室絞殺事件をフィンシャーの仕業と考えるには、ちょっと変な印象
を受けてはいますが」
「それは、殺し方ではありませんか? 何故絞殺なんだろう?という疑問」
「……そうですな。絞殺に違和感がないと言えば嘘になる。何ででしょう?」
「決まってます。フィンシャーがナイフ使いだからですよ。大道芸でナイフのジャグリ
ングをやっていた人物が、殺害方法に紐による絞殺を選ぶのは、不自然で違和感が大き
い」「ああ、そうか」
 スペンサーが左の手のひらを右の拳でぽんと叩く。最早彼も飲み食いを忘れているよ
うだ。
「大道芸で慣れているはずなのに、刃物を使わず、紐を凶器にしたのは変だ。刃物な
ら、わざわざ犯人が用意しなくても、各家庭にまずあるだろうし置き場所も大体予測で
きる。遠隔操作魔法で刃物を使っての殺害は、紐で絞殺するよりもずっと楽なはず。寝
室で被害者が寝ているところを、刃物で何度も突き刺せばまず助からない」
「まあ、言うほど簡単ではないでしょうが、紐を遠隔操作して首を絞めるよりは、ずっ
と容易にできると思います。にもかかわらず、絞殺を選んだのは何故か。そこを解き明
かさない限り、フィンシャー犯人説の一択というのは視野狭窄な気がします」
「ですな。いや、お恥ずかしい限り。あまりにも密室絞殺事件が続いたものだから、感
覚が麻痺していたのかな。こうなってくると、さっき言った複数犯説も怪しくなる。共
犯がいたとして、フィンシャーに不慣れで面倒な絞殺をさせるのは、理に合わない」
 ちなみに、この世界での魔法は生物に対して何かを強制することはできないのが大原
則である。たとえば、人間相手に○○しろ!と命じて従わせる魔法は、存在しない。例
外的に、当人が望んでいる場合、それを後押しする魔法がいくつか確認されているだけ
である。
「それでも、フィンシャーが魔法を使ったのは間違いのない事実です」
「ということは、我々が考えるべきは、共犯者がいるのならどうやって絞殺を選ばせた
か……いや、共犯の有無に関係なく、絞殺を選ぶメリットは何だったのかを突き止める
必要がある訳だ」
「そうなりますね」
 方向性をうちだせたところで、ようやく食事にありつく。多少冷めてしまったが、暑
い季節だからか、さほどマイナスにはならない。
「こういうのはどうでしょう。フィンシャーは、自殺請負業を始めるつもりだった」
「自殺請負業? あ、自殺に見せ掛けて殺すという意味ですか」
「そうですそうです。自殺請負業って表現だと、伝わらんですな。自殺を手助けする仕
事になっちまう」
 自嘲の苦笑いを浮かべたスペンサーは、揚げ物をよく噛んで飲み込んだ。
「自殺に見せ掛けて殺してくれる殺し屋なら、依頼者にとって大助かり。我ら警察にと
っては厄介な相手になる」
「うーん。実際は、自殺とするにはちょっと厳しい死に方でしたが」
「それは……もしかすると、デモンストレーションだったのかもしれない。俺は密室内
での絞殺を行えるぞ、お望みなら自殺に見せ掛けて殺すこともできるぞという宣伝」
「殺し屋が顧客を見付けるためにアピールするのはあり得るとして、七件も八件もやる
というのは、多すぎませんか」
「確かに。じゃあ、やっぱり無差別の快楽殺人か……」
「そう言えば、被害者達に関して詳しいことを聞いていませんが、共通点は女性という
以外にないんですか」
「フィンシャーがやったとされる事件に関して、自分はオブザーバー的な立場でしか関
与してないんですよ。だから大まかなことしか分かりませんが、六名はフィンシャーと
接点があったと突き止められています」
「どのような?」
「最初の被害者、デリーヌ・シオンはフィンシャーと同じ時期に同じ大学に通っていま
した。面識があったか否かは不明、というか恐らくちゃんとした顔見知りではなく、フ
ィンシャーが一方的に知っていたのではないかというのが捜査本部の見解。二番目から
五番目及び七番目の被害者達は――名前はいちいち挙げませんが――、全員がフィンシ
ャーの勤めていた店を利用した経験あり」
「店というと、古物商?」
「はい。出所後、店員として働いていた。実は、凶器の荷造り用の紐ってのも、そこの
店の物を拝借したようです。量産されている紐なので、完全な同定は無理ですが、同じ
代物なのは間違いない」
「裏方ではなく、接客をしていたんですね、フィンシャーは?」
「店の主によれば、どちらもこなしていたとのことです。外見はハンサム、言葉遣いは
丁寧で、とても殺人を起こすような人間には見えなかったとの証言が上がってました
ね」
「その証言は店の主のもの?」
「ええ。ダビド・コール、六十前後の髭面で強面ですが、話してみると気さくで感じの
いいじいさんでしたよ」
「その人物は、フィンシャーを前科ありと承知で採用したのかな」
「百も承知。一定数以上受け入れれば出る補助金が目当てなんでしょうが、前から積極
的に雇っていた記録があった。魔法を使える者を相場より安く雇えますし」
「なるほど……」
 ウィングルは幾ばくか思考の時間を持ち、それから飲み物を呷った。空いたグラスに
スペンサーからおかわりが注がれる。さし返そうとすると、意外にも待ったをされた。
「まだ下手に酔う訳にいかん。話の内容が内容だし、曲がりなりにも調査中、決着して
いないのだから」
 スペンサーはアルコールの入っていない飲み物を店員に頼んでから、改めてウィング
ルに聞いてきた。
「残る二人について、お話しします。フィンシャーと接点がないのに犠牲になった二人
の。案外、そっちの方が重要かもしれない」
 フィンシャーとのつながりが見られない一人目、全体で言うと六番目の被害者はケイ
トリン・カダマス。隣町の理髪店の古株店員。魔法の類は使えないが、腕は確か。理髪
店主の内妻のような立場で、二人暮らし。評判はよかった。殺害された日、店主は商店
組合の旅行に出て留守だった。
 もう一人、ロッシー・ドロールは八番目、最後の被害者。彼女もまた使える魔法はな
い、ごく普通の主婦。結婚して五年目だが子供はなく、会社勤めの夫と二人暮らし。住
居は町内にあるが、フィンシャーとのつながりは見られない。彼女も殺害された日は旦
那が出張中で、一人きりだった。

――続く




#1112/1117 ●連載    *** コメント #1111 ***
★タイトル (AZA     )  18/07/14  23:07  (284)
魔法医ウィングル:密室が多すぎる 2   永山
★内容                                         18/07/18 02:48 修正 第2版
「――こんなところですな。一部には、他の六人はフィンシャーのデモンストレーショ
ンもしくは趣味の快楽殺人で、この二人は殺し屋として請け負って殺害したのではない
かという見方も出たんですが、金の動きは見られないし、夫婦仲は順風満帆だったとの
ことで動機もなし。あり得ない説として捨てられた次第です」
 スペンサーの説明を聞いている間も、ウィングルはあれこれ想像を巡らせてみたが、
特段浮かぶものはなかった。ただ一点を除いて。
「殺害された当日、彼女らがそれぞれ家で一人になるという話は、どこまで知られてい
たんでしょうね」
「さあ……。わざわざ吹聴するようなことではないから、言うとしても近しい者だけじ
ゃないかな?」
「何にしても、フィンシャーが知っているというのはおかしい。最後の事件は“自殺”
直前だから自棄になっての犯行、適当に選んだ被害者がたまたま一人だったという可能
性が残りますが、ケイトリン・カダマスの方は偶然性が強過ぎる。これはやはり、八件
の絞殺もそれぞれを精査すべきかもしれませんよ」
「うーん、そこに異存はないが、捜査班の面々とぶつかると思うと頭が痛い」
 自裁に頭を抱える格好をした刑事に対し、ウィングルは問いを発す。
「そもそも、古物商の利用経験という共通項は、当初は分からなかったんですか。分か
っていたら、その時点で店を訪れ、フィンシャーの身元や経歴を調べて、遠隔操作魔法
の使えるこいつは怪しいぞと事情聴取に引っ張るのが、基本的な流れだという気がする
のですが、そういう経緯はなかったんですよね?」
「はい、そのようで。まあ、被害者全員の共通点ではなかったというのが大きいんでし
ょうな。加えて、被害者側をいくら調べても、コールの古物商を利用していたかどうか
なんて、簡単には判明せんでしょう。家計簿を付けていたとしても、そこそこ昔の話で
すよ」
「フィンシャーが殺害したとして、その動機がデモンストレーションだろうと快楽殺人
だろうと、古物商の客を選ぶという積極的な理由にはならないように思いますね」
「確かに。でも、フィンシャー犯人説がぐらついている今、改めてそんな指摘をされて
も、現状は変わらないというか」
「いえ、そうではなく。真犯人がいるとしたら、何で古物商の客を被害者として選んだ
んでしょう?」
「――つまり」
 酔いが覚めたとばかりに目を見開くスペンサー。元々ほとんど酔っていなかったかも
しれないが。
「ダビド・コールを調べろと」
 ウィングルはこくりと頷いた。
「そうすべきだと思います。被害者の内の五人と関わりがあって、フィンシャーともつ
ながっている」

 四日が過ぎて、スペンサー刑事がまた医院にやって来た。ウィングルはその表情を一
目見るや、目処が立ったからではなく、依然として解決に至っていないからだと理解し
た。だいたい、解決が見通せているのなら、病院の昼休みに押し掛けてきたりはしない
だろう。
「あまり時間がないと思いますが、聞いてもらいたく」
「かまいません。基本的に今日は半ドンですから、午後からは急患のみですし。でもま
あ、前置き抜きで、話してください」
 昼食を摂りながら、相手を促した。なお、ニッキー・フェイドはとうに外食に出掛け
ている。
「遅々として進まず、とまでは行かないまでも、なかなか頑固でして」
「うん? 古物商のコールを調べに行ったのでは? それはまあ、いきなり真正面から
切り込むのは難しいでしょうが、そこはスペンサー刑事の長年の――」
「そうではなくてですね。フィンシャーの犯行と自殺で片を付けたがっている連中が、
思った以上に頑ななんで、難儀しとるんです」
 スペンサーは大きなため息をついた。時間がない割に、愚痴から入ったようだ。
「どうやら隣町の一つで捜査を指揮したのが、上級官僚の次男だか三男だかで、失敗は
しないということになってるみたいでね。官僚の名前が特定されないよう、一応、町名
は伏せますがね。あんまりにも頑固で馬鹿げているから、最初はうちの捜査陣もフィン
シャー単独犯及び自殺説が優勢だったのが、今や自分に味方してくれる連中が増えまし
たよ」
「じゃあ、いいじゃないですか。皆さんで力を合わせて」
「それがそうもいかんのです。上からちょっとした圧力が来た。表立って面倒を起こし
てくれるなと。だから、動くとしたら検証捜査班のみでやらねばならない」
「おかしいな。今度の事件の成り行きから言って、二つの隣町それぞれの警察署でも検
証の捜査班が設けられるはずでは」
「形ばかりのね。お膝元は無論のこと、もう一つも追随したようですな。それで……最
初に思い付いたのが、フィンシャーには密室内での絞殺が不可能だったことを示そうと
したんですが、うまく行かない」
 スペンサーは椅子を動かし、膝を詰めた。
「トリックを思い付いた当人にこう言うのも何なんですが、その方法に無理はありませ
んかね? フィンシャー単独犯説を覆せるように」
「うーん。ないと言えばないし、あると言えばある、かなあ」
「何ですそりゃ?」
「この方法なら、フィンシャーに密室絞殺事件ができるのは確かでしょう。でも、成功
率100パーセントじゃないと思うんです。手当たり次第に絞めるよりはずっと可能性
が高いが、それでも少しの失敗はあっておかしくない。けれども、絞殺未遂事件は起き
てないんでしょう?」
「そのような事件は一件も起きちゃいません。しかし、ということはですよ、フィンシ
ャーの犯行にしてはうまく行きすぎている、だからおかしいという理屈になりゃしませ
んか?」
「そこが苦しいんですよ。絶対にミスが起きるかと問われると、八回程度なら全て成功
しても不思議じゃない」
「うむむ。それもそうか」
「もう一つ、状況証拠にもならない違和感になりますけど。事件が起きたのは今の季節
でしょ?」
「はあ」
「夏の盛りだ、寝苦しい晩もあったに違いない。なのに、八人の被害者が揃って、完全
に戸締まりをしてから就寝するのは、全員が一軒家か、マンションの一階に暮らしてい
たからでしょう。一軒家はともかく、マンションの被害者に二階以上の者がいないの
は、ちょっと変な気がしますよ」
「面白い見方だとは思いますが、今し方言われた密室殺害方法だと、室内の被害者の動
向を見ている必要があるから、一階の住人を選んだとも言えるのでは」
「一階に拘泥しなくても、フィンシャーは己自身を浮かせることだってできるんじゃあ
りませんか?」
「ああ、なるほどね。やろうと思えば、二階以上だって覗けるかもしれませんな。フィ
ンシャーが古物商に採用されたのは、かなり重たい物でも自在に運べる点を評価された
みたいだし、仮に魔法を使える時間に制限があるにしても、自分自身をマンションのベ
ランダに持っていくことくらいはできるはず」
 と、ここまで評価しつつも、スペンサー刑事は首を左右に振った。
「繰り返しになりますが、面白い発見だとは思います。しかし、フィンシャー単独犯説
を覆すだけの論拠にはならない」
「ええ、残念ながら」
 弱いことを承知の上で意見を述べたのだから、素直に認める。
「結局、鍵になるのはコール氏です。あれから会いに行きました?」
「無論ですとも。フィンシャーの人となりをより詳しく聞きたいという名目で、店を訪
れましたよ。ああ、前は向こうから足を運んでもらったんで、店に行ったのはこのとき
が初めてでしたが、ちょっと想像と違っていたな。古物商と聞いていたから、骨董店み
たいな古めかしくも威厳のある店構えを思い描いていたのに、実際はリサイクルショッ
プでした。無論、骨董品もあったけれども、主力は中古品でしたな、あれは。あとで近
所の家々にも聞き込んでみたら、バーゲンセールやくじ引きなんかもやっていて、敷居
は低くて、割と人気のある店のようでした」
「買い取りもしてるんでしょうね」
 メモを取りながら、合いの手のように質問を挟むウィングル。スペンサーは首を縦に
大きく振った。
「そりゃそうです。自分がいる間にも売りに来た客がいて、ちょっと待たされたぐら
い」
「高額査定でしたか?」
 今度の質問には、さすがの刑事も虚を突かれたらしく、ぽかんとなった。
「えっ? いや〜、全く把握してないな。何でそんなことを気にするんで?」
「近所で人気なら、買い取りの査定額も高いのかと思いまして」
「遠方からも客が来る程だから、高値で買い取ってるんじゃないですかね」
 推測込みのスペンサーの見解に、ウィングルは一応、納得した。
「だったら、お客との間にトラブルはなさそうということになりますか……」
「あぁ、そういう狙いの質問でしたか。先程述べた通り、近所の評判はすこぶるいい。
一回、くじ引きか何かの客寄せイベントで、大きな損失を出したことがあるらしいんだ
が、それに懲りずに今でもイベントをやってくれるとか」
「損失? 少し引っ掛かりますね」
 動機につながるかもしれない。そんな思いから呟いた。スペンサーも掴んでいる限り
のことを、すらすらと答える。
「何て言ってたかな。まず出ないような確率設定だったのに、高額の景品があっさり出
ちゃったとか何とか。気になるのであれば、コールをまた訪ねて直接聞いておきましょ
うか」
「そうですね……直に尋ねるのが正解かどうか分からないな……」
「何をどう考えておられるんで?」
「考えたって程熟慮はしていません。思い付きですが、その景品が出たのって、魔法に
よる不正が行われたからではないかと想像してみたんです。でも、被害者の中で魔法を
使える人は二人で、皺を伸ばすのと、手に持った物の重さが分かるという能力。くじ引
きの不正に使えるのかどうか」
 意図を伝えられたスペンサーは、幾度か小刻みに頷いた。
「どんなくじだったか、詳しく分かればはっきりするということですな。了解しまし
た。ついでに小さなトラブルでもなかったかも、探りを入れるとします。可能であれば
近所から。難しければ当人に聞くしかないが、飽くまでフィンシャーに纏わることのよ
うに聞いてみる。この線で」
「スペンサー刑事の手練手管なら、安心してお任せできます」
 にこりとするウィングル。
「動機についての調査はこれでいいとして、方法が問題です。コール氏は何か魔法を使
えるんでしょうか」
「え、いや、その前に。忘れてませんよね? 現場に魔法痕は他になかったんですが」
「覚えています。しかし、念のため。たとえばですが、真犯人がフィンシャーと同じよ
うに遠隔操作の魔法が使えたとしたら、同じ方法で密室殺人ができる。そして、密室が
開けられて発見者達が大騒ぎをしている隙に、凶器を現場の外へとそっと移動させ、回
収する。これなら真犯人自身の魔法を行使した痕跡は、現場には残らない」
「ははあ……確かにその通りかもしれんが、それだと現場の近くでずっと見張ってる必
要がありますな。コールに関してなら、少なくともフィンシャーの遺体発見時に、別の
刑事が話を聞きに行っていた。よって、今言われた方法は不可能」
 今度の否定には、ウィングルも反論する。
「今のは飽くまでも一例。真犯人が遠隔操作魔法を使えたとしたらの話です。焦らさな
いで教えてくれますか、コール氏が魔法を使えるのか否か、使えるのならどんな魔法か
を」
 スペンサーが議論に乗ってきたということは、ダビド・コールが何らかの魔法を使え
るのは間違いない。ウィングルは確信した。
「使えます。空気中の水分をぎゅっと固めて親指大の氷を作れるんです。無限に作れる
訳ではなく、一度に一つだけ。形状もまさしく大人の男の親指みたいな形にしかならな
い。使い道の狭い、不便な魔法ですよ。まあ、夏の夜にはいいかもしれませんがね」
「……」
 答を聞いたウィングルは、脳裏に絵を描いていた。氷の指が人間を絞め殺す絵……で
はなく、密室を作る絵を。
「スペンサー刑事。先に聞いておきますが、今回の殺人事件のどれか一つでも、コール
氏のアリバイは成立していますか?」
「いや、していません。死亡推定時刻が比較的幅が広いせいもあって、アリバイの判定
に有効に使えそうなのは、八件目とフィンシャーの件ぐらいですが、いずれもコールに
アリバイはない。だからこそ、彼を調べるべきだというあなたの意見に乗っかって動い
てるんですよ」
「よかった。無駄にならなくて済んだかもしれない」
 ほっと息を吐いたウィングル。その魔法医の言葉に、スペンサーは色めきだった。
「と、ということは?」
「ダビド・コールにも密室殺人は可能ですよ。その魔法――水分凝結魔法とでも言うの
かな?――が使えるのなら」
「そうでしょうか? 親指大の氷一つでは、絞殺には適さないし、そもそも氷の指を遠
隔操作できる訳でもない」
「そこに思い込みがあるのでは? 凍らせる水分を少しずつ変えることで、氷の指は空
間を移動できると私は思う」
「……理屈の上では、そうなるか」
 頭の中で想像したらしいスペンサーは、またも何度か頷いた。
「だが、それができたからと言って、絞殺には役立たない。まさか、紐の一端だけを一
緒に凍らせて、徐々に引っ張ったとか言わんでくださいよ」
 一転して不安げな顔になる刑事に対し、ウィングルは声を立てて短く笑った。
「ははは。いや、これは失礼。そんなやり方は、遠隔操作魔法による絞殺以上に、超絶
に難しいでしょうね。私が考えていたのは、絞殺の方法ではなく、密室の作り方です」
「え? ――あ、親指一つあれば、窓のクレセント錠を押せるのか!」
「と思います。実際に氷の指を作って窓の錠を押しても、強度が足りるかどうかきわど
い線かもしれないが、空気中の水分を凝固できる魔法なら事情は違ってくる。水分を固
める過程で方向性を持たせ、じんわりとクレセント錠を押してやればいい。氷河が何も
かも押し出すような力――というのは大げさでしょうが、確実に力を伝えられるはず。
ダビド・コールが、被害者を直接絞殺した後に、魔法を使ったこの方法で密室を作った
と考えても、筋は通ります」
 密室トリックが解けた、一段落したという気持ちから、長く留守になっていた昼食に
取り掛かろうとしたウィングル。だが、刑事の疑問が引き留める。
「ですが、ウィングル先生。そのやり方だと、魔法痕が残る。氷が溶けたにせよ、元の
ように空気の中に戻したにせよ、何らかの反応が出るもんです」
「空気も調べられるんですか?」
 軽く驚きつつ、聞き返すウィングル。対するスペンサーは、曖昧ながらも首を左右に
振った。
「いや、空気を調べるのは、端からそのつもりで空気を集めて、大掛かりな装置に掛け
ないとできませんから、通常の捜査では項目にありません。だが、空気中の水分はどこ
かに染み込むものでしょう。クレセント錠を押したあと、氷の指を元の空気に戻して
も、その水分は近くの木枠や壁に多かれ少なかれ染み込むと思う。密室に関連がありそ
うなクレセント錠とその周辺は念入りに魔法痕を調べる段取りになってるから、見落と
しは考えられない」
「コールが万全を期して、氷の指を現場から脱出させたとしたら?」
「脱出とは?」
「先程、氷の指の遠隔操作は無理という話でしたが、一度形作った氷を少しずつ戻しつ
つ、新たに氷にしていくことは多分、可能でしょう。つまり、氷の指は空中を移動でき
る。直線で行けるのか放物線を描く必要があるかは分からないけれども、空中を移動し
て、洗面台に辿り着ければいい。あとは指の形をした氷を排水溝へと落とし込めば、魔
法痕を残すことなく、現場の外へ持ち出せたとなるのでは」
「……そこまでは調べていない、と思います。染み込みにくい材質だろうし」
「ただし、犯人がそこから氷を回収できたとは思えません。長く対流していたとした
ら、魔法痕が比較的強めに残るんじゃないでしょうか」
 ウィングルが示唆すると、スペンサーもすぐさまそれを感じ取ったようだ。派手な音
を立てて椅子から腰を上げる。
「フィンシャーの死んだ社員寮に行って、排水溝を奥の奥まで検査させなければ。何を
置いても、真っ先に」

「それで、結局のところ、動機は何でしたの?」
 後日、捜査決着の報告に来たスペンサー刑事に、フェイドが率直に尋ねた。刑事の手
には、彼女の入れた紅茶がある。
「全員に対する動機はまだ白状していないが、一部は喋った。ダビド・コールとして
は、不正な連中を成敗したつもりだったようです」
「不正? 殺された女性達は、みんな不正を働いていたの?」
「ですから、全員かどうかはまだ不明ですがね。はっきりしているのは二人。まず、三
番目の被害者であるラニエ・デネブ。紙などの皺をきれいに取る魔法を使えたんだが、
これを悪用して、古い紙幣や雑誌なんかを新品同様にした上で、コールの店に持ち込ん
でいた」
「きれいにした方が、高く買い取られる……?」
「単にきれいにしただけなら、不正とまでは言えない。だが、保存状態によって価値が
大きく変わってくる、古いお札や雑誌にそんな魔法を掛けたとなると、だめだ。あとで
ばれたら、価値は下がる。そんな物を店頭に並べたとあっては、コールも恥を掻くだけ
じゃ済まない」
「それにしても、殺し殺されするようなことなのかしら」
「まあまあ、それは人それぞれの価値観や倫理観があるということでね」
 ウィングルはフェイドの疑問を緩やかに宥めると、スペンサーに先を促した。
「もう一人は、五番目に殺されたキャット・ゴールドマン。片手で持った物の重さが分
かる魔法が使える。で、この女性がやったのは、ダビド・コールの店で行われたイベン
トの一つで、高価な景品を不正に獲得した。というのも、コールが企画したのが珍しい
石を箱一杯に詰めて、その重さを正確に言い当てれば全て差し上げますっていうものだ
ったんだ。正解に一番近い人に手頃な宝石一つを進呈する予定でいたのが、キャット・
ゴールドマンがやって来て、ピタリと当ててしまったという訳」
「何という……それは殺されても仕方がないかもしれませんわ」
 フェイドが呟くように言った。彼女の基準がどこにあるのかよく分からない。ウィン
グルは口元を隠しつつ、苦笑を浮かべる。
「そんな具合に、客の不正を嗅ぎつけたコールは、復讐を果たすために着々と準備を重
ねていたんですな。デネブやゴールドマンら不正をした客に対して、気付いていること
はおくびにも出さず、またのご利用をとか何とか名目を付けて、彼女らの住まいに上が
り込みやすい環境を作っておいた。一方で、フィンシャーを雇い、他の従業員に辞めて
もらったのも同様。フィンシャーに全てを擦り付け、自殺という形でけりを付ける計画
だったんですよ。考えてみりゃあ、補助金が出なくなるのに、前科のある他の従業員を
退職させていた時点で、何か変だなと察するのは……無理ですかね」
 スペンサーはウィングルに向き直り、そんなことを聞いた。
「そりゃ難しいでしょう。ダビド・コールに金の亡者という評判でも立っていればまだ
しも、そうではなかったみたいですし。不正が許せない性格だったからこそ、こんな極
端な犯行に走ったんでしょうが、その計画性ややり口だけを取り上げると、相当悪質で
巧妙だと思いますよ。前もって気付くのは無理と言っていいかもしれない」
「フィンシャーに濡れ衣を着せたまま終わらせ掛けていた警察としては、どこう言える
立場じゃないのだけは確かだ」
 自棄になったような口ぶりで笑ったスペンサーは、不意にウィングルへ非難がましい
言葉をぶつけてきた。
「あっ、そう言えば、ウィングル先生。あれは酷いですなあ」
 えっ何がどうしました?と身構えるウィングルに、刑事は微苦笑をなして冗談である
ことを示すと、言葉を重ねる。
「全てを解き明かしてもらってない段階で、自分、飛び出しちまったでしょ。あとでち
ょっと焦りましたよ」
「全て、とは何です?」
「とぼけんでください。密室内にあった凶器についてですよ」
 憤慨したふりを続け、足で床を踏みならすスペンサー。ウィングルも、たった今気付
いたふりをした。
「あ、そうでしたね。フィンシャーの魔法痕の残った紐が、どうして密室内にあったの
か、説明していませんでした」
「もう解決済みですから、かまいやしませんけどね」
 スペンサーはそれ以上は言わなかった。
 もちろん、ウィングルにはとうに推測できている。
 ダビド・コールはフィンシャーに、普段の仕事で荷造りをさせていたのだ。魔法を使
って、適当な長さに切っておいてくれとでも命じておけば、余分な紐が凶器として残る
のは確実だった。

――終わり




#1113/1117 ●連載
★タイトル (AZA     )  18/08/31  23:01  (477)
ふるぬまや河童しみいる死体かな 1   永山
★内容                                         18/09/05 01:46 修正 第2版
 クルーザーが離れていくと、船着き場は空っぽになった。四日後の昼過ぎに迎えに来
るまで、僕らは島に閉じ込められる形になる。実際はそんな仰々しい事態ではなく、学
生仲間で集まって、他から邪魔されることなく夏休みを楽しく過ごそうという、よくあ
る話だ。ただし、ロケーションは希有と言えるかもしれない。孤島に八人だけ。島も施
設も貸し切り状態。
「あれが旧保養所」
 緩い上り坂に差し掛かったところで、僕らがこれから進むべき方角を示したのは、う
っすら日焼けしたしなやかな手。彼女は鈴木園美さん、この島を所有する会社(土地建
物を扱う大手企業)の社長さんの娘だ。僕らを乗せてきたクルーザー(乗員付き)も、
彼女の家の持ち物。要するにお金持ちで、彼女もまあお嬢様と呼んで差し支えないだろ
う、うん。さらさらのロングヘアを手ですく仕種の優雅なこと。
 彼女が指差した旧保養所は、一部が二階建てになった瀟洒な宿泊施設で、船着き場か
ら見るとそのシルエットは巨大な教会を想起させた。
 何でもその昔、映画及び事業で大きな成功を収めた女優が出身母体の劇団のために、
稽古場と保養所を兼ねた施設を建てた上で、島をまるごとプレゼントしたらしい。大女
優が健在で、劇団自体もヒット作を続けざまに出していた間は、頻繁に来島しては施設
を利用していたが、女優が亡くなって資金面のサポートが途絶え、劇団の人気まで落ち
込み始めると、一気に情勢は変わった。維持管理費を用立てられず、手放さざるを得な
くなった。そこを買い取ったのが、園美さんの父親という成り行きだそう。元々、大女
優のファンだったとかで、採算度外視で購入したというが、さすがに放ったらかしとい
う訳にもいかない。結局、自社での保養所として再利用するため、手を入れる計画が持
ち上がった。手始めに、現存施設がどれくらい使い物になるのかをテストする意味で、
娘とその学友(僕らのこと)が招かれた次第。
「テストと言っても、ちゃんと下調べはしてもらっているから、問題はないわ。これが
あればもっと便利なのにとか、あれは流行遅れだから外した方がいいとか、改善意見が
あれば受け付けるってことね」
「とりあえずだが、たとえ歩いて五分の距離でも、車があればありがたいな」
 すかさず言ったのは、集団の中程にいる海田善一郎先輩。筋肉質、というかはっきり
言ってマッチョな体型で大柄だが、かなりの汗かきだ。腕力を見込まれて荷物を多めに
持たされているせいもあり、前髪から早くも汗が滴り落ちている。その割に、上に着て
いるTシャツが黒なのは解せない。
「車そのものは、軽トラックが残されているそうよ。私は見てないんだけれども、潮に
やられている上に、ガソリン切れだって。他に、トラクターが一台で、軽トラック以上
に古くてこれも動くのか怪しい」
 荷物を持たない鈴木さんは振り返ると、文字通り涼しい顔をして答えた。
「保養所と聞きましたけど、ビーチはあるんですか?」
 最後尾から声を張り上げたのは、波崎愛理。僕と同じ一年生で、僕の幼馴染みでもあ
る。
「あるわ。船着き場とは反対側。保養所からも少し歩くけれど、白くて広くていい感じ
よ」
 さっきから聞いていると、鈴木さんは前もって下見に来たことがあるらしかった。お
金持ち故のちょっとピント外れなところや自慢体質なところ、大掛かりないたずら好き
なところ等が見受けられる人だが、知り合いを招くからには事前にしっかり見ておきた
いという考えなのだろう。何か手落ちがあれば自慢できないどころか恥になる、それは
あってはならないという意味合いもあるかもしれないけど。
「ビーチで思い出した。水上バイクは、もう運び込まれている?」
 海田先輩が言った。鈴木さんほどではないが、海田先輩の家も父親がマリンスポーツ
メーカーの重役クラスとかで裕福らしい。この度、保養所用にと注文を受け、水上バイ
ク二台を納入したと聞いた。
「とっくに。あとで試運転してみるでしょう?」
「もちろん。えっと、俺以外で免許(※当時は5級小型船舶)を持っているのは……
?」
 見回す海田先輩だが、大体は把握しているはず。その視線の先にいた池尻良太先輩が
軽く手を挙げた。海田先輩とは対照的に細身でなで肩、肩幅も狭い。背は一年生の僕よ
りも僅かに低いくらいだが、顔はイケメンてやつで、もてすぎないようにあえてロン毛
の鬱陶しい感じにしてるんだとうそぶいておられる(一応、敬語ね)。
 この二人の先輩が5級小型船舶を取得していた。当然ながら、水上バイクを操りたい
がために取得した免許であり、他の船を持っている訳じゃない。
「他はいないんじゃなかったかな。まあ、三人乗りだろ? 試運転のあと、みんなで乗
ればみんな楽しめる」
 舌足らずな言いように聞こえたが、要するに、乗りたければ俺(達)に頼めってこと
かしらん。
「私も多少は操縦できる。けれど無免許」
 鈴木さんが言った。お金持ち故……かどうかは知らないが、プライベートビーチみた
いなところで熟練者から遊びついでに教わったらしい。そこまでするなら、正式に免許
取ればいいのに。
 話している内に、旧保養所(かつ新保養所予定施設)に辿り着いた。門扉を横に押し
て開けて、少し行くと正面玄関に到着。近くまで来て、外壁は元々は真っ白だったの
が、日差しや波風の影響なのだろう、若干灰色がかっていると気付く。
 ホテルではないので、出迎えはなし。鈴木さんが預かっていたキーの束を取り出し、
玄関のドアを開ける。そういえば、このドアも平均的な住宅の玄関程度の幅で、一般の
ホテルのような広さはない。おかげで、海田先輩が入るのにちょっと苦労していた。両
手の荷物のどちらかを手放すか、リュックを下ろせば早いんだろうけど。
「とりあえず、各部屋に入るのが先ね。鍵はこのケースにあるんだけど、部屋割りはど
うしましょう?」
 受付窓口が左側に設けられていたが、当然、無人。そこの手前がちょっとしたカウン
ターになっており、部屋のキーは、カウンターの上の箱にまとめて置いてある。
「それは僕に聞いてる?」
 鈴木さんの言葉遣いから察したらしい、グループ内で最年長の増川信治先輩が口を開
いた。鈴木さんは「はい」と快活に応じた。増川先輩は辺りを見渡し、壁の一角を指差
した。細長くていかにも器用そうな手先をしている。
「見取り図によると……宿泊用の部屋は一階に十二、二階に四か。一部屋に二人までは
入れるみたいだけど、数は充分足りてるから一人一部屋は当然として、ここはやっぱ
り、性別でフロアを分けるべきかな」
 八人の内訳は男女それぞれ四人ずつ。二階を女性陣に使ってもらおうという意見だ。
特に異論は出ない。
「じゃあ、各階で誰がどの部屋にするかはそれぞれで決めてもらって。男の方は選択肢
が多いけど、ばらけると何かと面倒だから、なるべく固まるとするか」
「それでいいですね。決まったら、分かり易いよう、紙に書き出しておく」
 言いながら、視線を巡らせた鈴木さん。山本姉妹の前で止まった。
「樹ちゃん、字がきれいよね。お願い」
「お安い御用です」
 妹の方、山本樹さんがすんなり引き受けた。姉の山本緑さんは、端から自分が書かさ
れる訳ないと思ったのか、無反応。
「あとは……厨房の使い方を見ておかないといけないから、十五分後に厨房に集合。ど
こにあるかは見取り図で」
 皆、最前の見取り図に再び目を向ける。凝った料理を作る訳ではないが、今夜からの
食事は二交代制の当番で、四人ずつに分かれて臨むことが予め決められていた。男女二
人ずつになるよう、増川、池尻、山本姉妹と鈴木、海田、波崎、僕という組み分けだ。
先にやるのは僕らの組で、鈴木さんが入っているのがその理由。と言っても、天候が崩
れない限り、初日の夜は中庭でバーベキューと決まっているので、気楽だ。
 そういえば、食材費は皆で出し合ったものの、鈴木さんが大幅に追加した上で、全て
買って選んで購入したと聞いている。期待が高まろうというもの。
「それじゃ、二時五分に集合ってことで」
 増川先輩の声を機に、女性四人は階段へと向かった。

 部屋は二人で使ったとしても充分に広く、快適に過ごせそうだった。テレビや電話機
の類は置かれていないが、まあしょうがない。劇団の合宿にテレビがあっても邪魔にな
る、という考えだったんだろう。クローゼットのためのスペースが心持ち広く取ってあ
る気がする。ウォークインできるタイプで、真ん中で仕切られていた。選ぶ段階で全室
見て回ったんだけれども、玄関から一番奥に当たる部屋のクローゼットには前所有者関
連と思われる私物がいくらか残っていた。具体的には、よれよれになった衣装や膨大な
ウィッグ、書き割り等。もちろん、誰もその部屋は選ばなかった。
 壁には、さっき見た見取り図と同じ物の他にもう一枚、島を上空から見たと思しきイ
ラストが額に入れて掲示されていた。やや漫画っぽい絵地図が正しいとして、島のほぼ
中央には沼があるようだ。まさか火山湖ではあるまい。五百田沼と名前が記してある
し。木々が生い茂っているけれども、道はちゃんとあるみたいだから、暇なときに行っ
てみてもいいかもしれない。
 少し早かったが、部屋を出て鍵を掛けてから、厨房に行く。増川先輩や池尻先輩は既
に来ていた。と思う間もなく、海田先輩も登場。海田先輩だけ上を着替えていた。今度
は白地が多めの柄Tシャツだ。
「このあと、どうするんです?」
 池尻先輩が増川先輩に聞く。この夏合宿?は特にスケジュールを立ててはいない。せ
いぜい、食事や就寝及び起床時刻を大まかに決めてある程度。食事は準備が当番制だか
ら時間を決める必要があるし、寝たり起きたりする時間ぐらい決めておかないとだらだ
ら過ごしてしまう恐れがあるとの理由だ。
「試運転前に、何か飲みたいなあ」
 増川先輩の返事を待たず、海田先輩が主張した。
「もちろん酒じゃなく、午後ティー的なやつ」
「三時のおやつには早いが、まあ、船で揺られて疲れてるのもいるかもしれないし、そ
れでいいだろ。幸い、食料は持ち帰らなければならないほどありそうだ」
 顎を振った先を見ると、大きな冷蔵庫の手前に、ぱんぱんに膨らんだ手提げ袋が五つ
六つあった。袋の口から覗いている物は、根菜類とレトルト、それにお菓子が確認でき
た。冷蔵庫に仕舞いきれなかったのか、仕舞う必要なしと判断したのか知らないが、結
構な量だ。
 そうこうする内に鈴木さんを始めとする女性陣も相次いでやって来た。みんな多少な
りとも身だしなみを整え直したように見える。
 厨房の使い方をざっと見て回り、水やガスが通じているのを確認し、食材が不足なく
届いていることのチェックも済み、食器や調理器具の場所も大体把握できたところで、
海田先輩の意見が入れられた。ティータイムである。
 コンロがあるが、今は暑さ対策が優先。誰もがペットボトル飲料を選んだ。お菓子の
方は適当に選んで開封し、器に出さずにそのまま手を伸ばす。
「このあと、水上バイクはチェックを二人に任せるとして、他は?」
 改めて話を振る増川先輩。鈴木さんがすぐに答える。
「私は水上バイクの置き場所を教えないといけないから、とりあえずそこまで行くけれ
ど、そのあとは泳ぐつもり」
「あ、そう言えば、水上バイクの保管場所ってどんな具合? 専用のスペースを作って
くれたらしいけど」
「ガレージみたいな感じ。すぐそこが海で、水面までスロープ状の浮桟橋みたいになっ
ているから、楽に出し入れできるはずよ。あと、台車って言うの? あれやウィンチが
備わっているから、搬入搬出も比較的簡単。燃料補給のスペースも確保されてる」
「そりゃあ凄くありがたい」
 と、こんな風に逸れた話を戻したのは、波崎愛理。
「私はがっつり泳ぐかどうかは別として、ビーチに行ってみたい」
「それじゃ、私達も」
 と、姉妹も言い出した。姉・緑が言葉を続ける。
「もし、ビーチバレーする元気のある人がいれば、相手するわよ」
「めちゃ強いから無理。やるにしても、明日以降だよな」
 海田先輩が間髪入れず、対戦拒否声明。僕は知らないけれど、以前山本姉妹とビーチ
バレーをやって、こっぴどく負けたに違いない。
「あの、部屋にあった絵地図を見たんですが」
 僕は島の俯瞰図を思い描きながら、鈴木さんに質問することにした。
「島の真ん中ら辺に、沼がありますよね? 五百田沼。あの辺り、ちょっと興味あるん
で、散歩がてら行ってみてもいいなと考えてるんですが」
「行くのは自由だけど、実はあの沼には怖い伝説があるのよ。人呼んで、“切り裂き魚
人の呪い”だったかしら」
「え? まじですか?」
 一瞬驚き、次に笑ってしまいそうになった。だけど、相手は真剣な顔をしている。声
を立てて笑うのはどうにか避けた。
「全身うろこで覆われた半魚人で、両手はカマキリみたいに鎌状、足の指の間には水か
きがあって、でも尾っぽを失っているから、うまく泳げない。歩くのも元々苦手な上
に、バランスが取れなくなってままならない」
「尾っぽがないって、どうしてです?」
「人間に捕らえられたときに、逃げられないように切断されたの。大昔、そこの海で定
置網に絡まってしまって。漁民の何人かが、これは見世物にして金儲けができると考
え、捕まえて生かしておくことにしたのね。ただ、どこに囲っておくかが問題になっ
た。海辺の一角に囲うと、海が荒れたとき流される恐れがあるし、仲間が助けに来るか
もしれない。第一、そんな魚人のすぐ近くで水揚げした魚なんて、気味悪がられて売れ
なくなる。そこで島の真ん中にある五百田沼に、放り込んでおくことにした。人間にと
って水源は井戸があったし、幸か不幸か魚人は淡水でも生きられる体質だった。こうし
て、次に本土から来る定期船で魚人を運ぼうという話がまとまったのだけれど」
 一旦、言葉を句切る鈴木さん。華やかなタイプの人だけに、しゃべり口調をどんなに
重々しくしたって、聞き手を怖がらせるには限度がある。でもまあ、がんばってる方だ
よ、多分。
「魚人が突然、凶暴化した。ううん、元来凶暴だったのが、尾っぽを切られてやむなく
大人しくなっていたのかもしれない。それが、淡水に長く棲んだせいで体質に異変が生
じたのか、ある程度歩けるようになった。最初は、沼に様子を見に来る者を襲い、引き
ずり込むと、水中で鎌をふるって惨殺していた。島民にじきに気付かれて、手に銛や鍬
や鎌を持った有志達が沼を取り囲んだ。けれども魚人は前とは比べものにならないほど
素早くなっていて、岸辺に近付いた者をあっという間に沼に引っ張り込み、餌食にし続
けた。島民は網を使って捕獲を試みたものの、あっさり切られる始末。策に窮した島民
達だったけれども、小さな子供の『海に帰してあげられないの?』という言葉がヒント
になった」
 昔々の怖い話(という設定だろう、うん)をしているのに、ヒントなんて単語を選ぶ
辺り、詰めが甘い。
「塩を大量に集めて、こっそり、沼に流し込んだの。塩水に浸かることで、魚人が元の
ように大人しくなるのではないかと。実際にやってみると、効果はあった。あり過ぎ
た。魚人は大人しくなるどころか、苦しみ悶え始めたの。苦しみのあまり沼から上がれ
ないのか、水しぶきを上げてばしゃばしゃと音を立て続け、のたうち回った挙げ句――
不意に静かになった。魚人は沼底に沈んでしまった。いや、姿形が見えなくなった。死
んだという者もいれば、沼のそこには穴があって海とつながっていて戻ったのだいう者
もいた。ただ、これで恐怖が完全に去った訳ではなかったの。このあとも年に一人か二
人くらい、沼の近くを通ったものが行方不明になったり、酷く斬り付けられた遺体で見
付かったりすることが続いたという……どう?」
「ど、どう?と言われましても」
 反応に困る僕に助け船が出された。増川先輩が手を挙げ、申し訳なさそうな調子で切
り出す。
「鈴木さん、言っちゃっていい? この島に来ると決まった時点で、ちょっと調べてみ
たんだけど」
「あら、知ってるんですか? 仕方ないですわね。どうぞお好きに」
 諦めたように肩をすくめた鈴木さん。増川先輩は、ちょっと気まずそうな苦笑を浮か
べつつも話を始めた。
「今の話、ここを所有していた劇団の一部が撮った、ホラー映画のストーリーだね」
 僕も含めた六人が、短い間、ざわつく。作り話であることは想像できていても、映画
の筋書きだったとは。
「誰も知らないことから明らかなように、有名俳優を起用したり特殊メイクに力を入れ
たりした割には好評価を得られず、興行的には失敗。魚人のデザインがマニアの間で話
題になるくらいだった。半魚人と河童と鎌首男を掛け合わせたようなフォルムだったか
ら」
 鎌首男というのを知らなかったけれども、想像は大体つくので、尋ね返さなかった。
「よくご存知ですこと。当時の資料、ほとんど残っていないと思っていましたのに」
「どこにでもマニアはいるもんだよ。この保養所内を探せば、着ぐるみの一つでも出て
来るんじゃないかな。高く売れるかもしれない、ははは」
 衣装やかつらなんかが残ってるくらいだから、着ぐるみがあっても不思議ではないか
も。
 話の脱線が続いたが、最終的にこのお茶の時間のあとは、僕と増川先輩が沼に向かう
ことになり、他の六人がビーチに行くことになった。
「何か済みません。付き合わせる形になってしまって……」
 土の階段を前にして、僕は先輩に頭を下げた。実際、増川先輩が沼に行くのは、僕を
一人で行かせるのは不安だからという理由が大きい。
「気にする必要はない。年長者としては、どんなところか見ておかないとな。一人で行
って万が一にも沼にはまったとして、自力で戻れるのか、叫び声は下まで聞こえるの
か。それに、沼そのものにも興味がある」
 雑草が生い茂ることで補強されたような土階段を登りながら、僕らは時々保養所の方
やビーチの方を振り返った。始めこそ見通せていたが、程なくして枝葉に遮られ、見え
なくなった。それどころか、陽の光さえ弱まった気がする。昼なお暗い森の奥にある
沼。ホラー映画のロケ地としては、確かに合格点だろう。
「こりゃあ、距離から言って、叫んでも聞こえそうにないな」
 沼と同じ高さまで来て、改めて先輩が下を見渡してから感想を述べた。時計を見る
と、午後三時ちょうど。ゆっくりめに歩いて二十分ほど掛かったと分かる。階段は途中
でなくなり、獣道よりもちょっぴりましな野道を進んで来たのだが、息は意外と上がっ
ていない。
「お、人為的な石畳かな」
 直線距離で、沼まで残り十メートルあまり。平らで丸い荒削りな石が、ぽつんぽつん
と埋めてあった。その上を歩いて、沼の畔に立つ。
 沼は想像していたよりも大きく、直径五十メートルといったところだが、円形と言う
よりは長方形に見えた。元は円だが、縁に草が多く生えているせいで、四角に見えるよ
うだ。水の透明度は低く、濁っている。生き物が棲息しているのか否かは分からない。
無論、小さな虫は辺りを飛んでいるが。蓮や葦などの植物も、沼から頭を出しているこ
とはなかった。死の沼。そんな連想をしたのは、先程、鈴木さんから作り物の呪いを聞
かされたのが原因なのか。
「危なくないか、周囲を歩いてみるか」
 増川先輩が右回り、僕が左回りで、同じ地点から歩き出す。二人並んで歩いて、二人
同時に沼にはまりでもしたら洒落にならない。
 長めの木の枝を持ち、足元に注意を向けながら半周。およそ二分を要した。
「沼云々を抜きにして、蛇でも出そうな気がして怖かったですよ」
「魚人の流した血が、蛇を呼び寄せるとでも?」
「そういうんじゃなくてですね」
「分かってる、分かってるよ。絶対に蛇がいないとは言い切れないだろうが、注意して
いればまあ大丈夫そうだ」
 沼の風景は、色の暗さや植物の少なさを除くと、取り立てて薄気味悪いものではなか
った。鈴木さんの語った呪い話が本当なら、ほこらや地蔵があってしかるべきだが、当
然ない。
 そのことを声に出して言うと、先輩からこんな返しがあった。
「何なら、水、舐めてみるか。ひょっとしたら、映画撮影で本当に塩を入れたかもしれ
ないぞ」
「まさか。第一、何年前なんですか、撮影って」
「覚えちゃいないが、五年や十年じゃ利かないぐらい、昔だったかな」
 だったら、仮に撮影で塩を沼に大量投入していても、今では元通りに違いない。い
や、そもそも、このサイズの沼の水の味が変わるほどの塩って、どのくらいの量が必要
になるんだろ。
「ありがたいことに、蚊は少ない。ほとんどいないな。水があるのに蚊が少ないのは、
ボウフラが発生しにくい何かが水に含まれているのかもなあ」
 まだ言ってる。僕は先輩を置いて、先に下りるポーズを取った。
「虫刺されは嫌なんで、さっさと戻りましょう」

 ビーチに出たのが午後四時前。服のままだから、海に入るつもりはない。本来、僕は
インドア派なのだ。今回の遊び合宿だってパスする予定だったのが、波崎に行こうと誘
われて、翻意したのがきっかけ。
「お、戻ったんだ?」
 波崎愛理が僕を見付けると、小走りに駆け寄って来た。ウインドブレーカーを羽織
り、前ファスナーをきっちり上げている。目のやり場に困らずに済むので、非常に助か
る。
「どうだった、沼?」
 そのくらい関心があったのなら、一緒に来ればよかっただろうに。
「多少濁っていて、暗い雰囲気はあったけれど、ごく普通のありふれた沼だったよ」
 僕がざっと説明するのへ、彼女は続けて聞いてきた。
「水の味見はした?」
 おー、おまえもか。黙って首を横に振った。それをどう受け取ったのか、波崎は「
なーんだ。やっぱり、映画の話だったんだ」と答えた。その事実自体は揺るがないの
で、彼女の勘違いは訂正しないでおく。
 ビーチでは、山本姉妹が敵味方に分かれ、それぞれ増川先輩と池尻先輩をパートナー
に、ビーチバレーを……違った、ビーチボールバレーをやっていた。ビーチバレーに比
べると、ビーチボールバレー――ビーチボールを使って行うバレーボールはハードでは
ないだろう。
 海に目を転じると、沖で青いボディの水上バイクが疾走するのが見えた。遠目にも、
海田先輩が鈴木さんを乗せているのが分かる。
「水上バイク、動いたんだね」
「あ、うん。まだ乗せてもらってないけど」
「何で?」
「水着、セパレートだから、もしかしたら落水したときにずれちゃうかなって」
 ファスナーを少しだけ下ろした波崎。赤い布が少し見えた。
「なるほど。そう言われてみると、あちらはきっちりとしたワンピースタイプのよう
で」
 片手で額に庇を作って、水上バイクの方を見通す仕種をする。鈴木さんは、黒地にピ
ンク?の縦線が入った水着を着ているようだ。ちなみに、山本さん達姉妹は、いかにも
ビーチバレー選手が身につけそうながっちりしたトップスのセパレートではなく、明る
い色のワンピースだった。あとで聞いたところによると、ビーチバレーの大会では出場
選手に水着の上から主催者支給のトップスを着けることが義務づけられているとかどう
とか。道理で、テレビで見るとき女子は誰も彼も似た感じのユニフォームだなと思った
よ。
「他に遊び道具あるのかな?」
「水に関係あるので言えば、バナナボートとか水上スキーとかパラセーリングとか、道
具はあるそうよ。今回、実際にやれそうなのはバナナボートぐらいでしょうけど。あ、
あと、普通のゴムボートがあるって聞いた。オールが付いてて、自力で漕ぐやつ」
「いざというときには、それに乗って近くの島に救援を求めるのかな」
「何よ、いざって」
「分からないけど、たとえば魚人が現れて――」
 お腹にパンチを食らって、最後まで言えなかった。いくら格闘技経験のない女子の拳
とは言え、不意打ちだったので効いた。波崎は、普段は大人しい方だけど、怒るとその
程度の大小とは無関係に、手が出ることがある。
「もう、そのネタは禁止! つまんない」
「ま、増川先輩も、さっき、使ってたよ。次に使っても、叩いたり殴ったりしないよう
にな」
「あの人は自力で元ネタを見付けたのだから、しばらく使っても許されるわ、ええ」
「よく分からん理屈……」
 要するに、殴られ役は僕に回ってくることが多いってか。
「これ以上害を被らない内に、引っ込むとしようかな。本、何冊か持って来たし」
「椅子ならあるから、本を持って来て、寝そべって読めば?」
「遠慮する。日差しがきつい。日焼けはかまわないけど、眩しいのはあんまり好きじゃ
ないんだよ」
 手を振りながら、保養所への道を引き返した。

 夕食は五時から下準備を始め、火起こしもまずまず順調にいって、予定通り、六時か
らバーベキューをスタートできた。
 アルコール類は、年齢的に飲めない人が多いし、好んで飲む人がグループ内にはいな
いため、数は用意されていなかったが、それでもビール系飲料の空き缶がいくつかでき
た。多少酔った面々と、しらふの面々とでは温度差ができたが、それでも楽しい食事だ
ったと間違いなく言える。
 こんな風にして、特段の目標や目的もなく、ゆったりと三泊四日が過ごせるものと信
じていた。いや、そんなことを意識する理由自体なかった。何事もなく終わるのが当然
の日常だったから。
 だが、二日目に入って、事態は急変を見せる。
 事件が起こったのは、昼食の準備にぼちぼち取り掛からねばという頃合いだった。
 それまで僕は部屋に籠もって本を読んでいた。増川先輩は波崎にせがまれ、食堂で得
意のマジックを見せていたという。山本姉妹はビーチに出て、相手がいないので二人で
軽くボール遊びをしていたが飽きが来て、散策に切り替えたとのこと。海田、池尻両先
輩と鈴木さんは相変わらずの水上バイク。
 ちょうど一冊読み終えたタイミングで、ドアがノックされた。返事せずに出てみる
と、波崎が少し息を弾ませ、「何かあったみたいだから、外に来て」と言う。僕が聞き
返しても今ひとつ要領を得ない。食堂にいたところへ山本緑さんが駆け込んできて、水
上バイクがトラブった模様だという意味のことを、増川先輩に告げたという。先輩は波
崎に僕を呼んでくるように言い付けると、先に外へ出たらしい。
 二人してビーチに向かうが、人影はない。
「あれ、こっちじゃないのか」
「もしかして、船着き場の方?」
 水上バイクで船着き場のある側まで行って、トラブルが起きたということかもしれな
い。僕らはきびすを返して急いだ。
 走ったおかげで三分と掛かっていないだろう、船着き場に着く。既に他の人達の姿を
視界に捉えていた。いるのは……山本姉妹に増川先輩、海田先輩の四名。全員、僕らが
来たことに気付いていないか、気付いていてもかまってる暇がない雰囲気だ。
「もう一台はどこ? 池尻君が乗ってるんだよな?」
 増川先輩に問われた海田先輩は、「そうですよ、でもどっかで振り切られたのかも」
とどこか怒ったような声で言い返した。
 沖の方を見やって緊迫感漂う二人には話し掛けづらいので、山本さんの妹の方に聞
く。
「何があったの?」
「私も全部見ていた訳じゃないのだけれど、海田さんの話だと、海田さんに水上バイク
の操縦を教わっていた鈴木さんが、一人で乗って行ってしまったみたい。悪ふざけなの
かハプニングなのかは分からない。もう一台に乗っていた池尻さんが追ったけど、追い
付かないでいるのかな。それで、ついさっき沖の遠くの方で、鈴木さんが一人で水上バ
イクを操縦して、左の方に向かうのが見えて」
 と、言葉の通り、向かって左側を腕で示す樹さん。ここからは実際に目撃したという
ことなのか、身振り手振りが混じる。
「あっちの岩の向こうに進んで、見えなくなったわ」
 船着き場は入り江状になっているが、あまり大きくはえぐれていない。左右からそれ
ぞれ突き出た細い岩山の群れが、入り江の両サイドを示すのだが、水上バイクを操る鈴
木さんはその左手の岩の影に隠れて、姿が見えなくなったということのようだ。あそこ
まで何百メートルあるのか目測しづらいが、仮に近くても波で白くなる海を泳いで行く
には難儀するに違いない。ゴムボートも溺れる心配が軽減するだけで、似たようなもの
だろう。
「私も見ていたわ」
 姉の緑さんが追随する返事をくれた。
「波しぶきが上がって分かりにくかったんだけど、海田さんが声を上げて指差してくれ
たから見付けられた。鈴木さんの着てる水着、黄色で目立つし。池尻さんの姿はまだ見
てないから、心配するなら池尻さんの方もしないといけないと思う」
「池尻先輩は水着、紺色の地味目の海パン? だとしたら、水に落ちた場合、確かに見
付けづらいかもしれない」
 前日の姿を思い浮かべつつ、僕は考えを述べた。
「海田君、鈴木さんの腕前は? うまい方かい?」
 波音に混じり、増川先輩が海田先輩に問う声がよく聞こえる。
「下手じゃないが、調子に乗ると飛ばす癖があるみたいで、危なっかしい感じ……だっ
たかなあ」
 陸ではオートバイで結構飛ばしていると噂の海田先輩だが、水でのことになると慎重
になるらしい。父親の職業を考えれば、慎重を期すのも当然か。
「落水すれば、自動的に停まる仕組みだから、馬鹿みたいにどんどん沖合に行っちまう
ってことはないと思いますよ」
 海田先輩のその説明は、楽観視する材料になるのか微妙だった。
「何にせよ、岩の向こうを見通せる場所に出たいんだが、道が分からん。詳しい鈴木さ
ん本人がいないんだから、困った」
 増川先輩は極短時間考えて、方針を示した。
「ここに一人、ビーチの方に一人を残して、あとの四人を二手に分けよう。鈴木さんと
池尻君を探すんだ」
 異論は出なかった。体力スタミナ面を考慮して、ここには僕が、ビーチには波崎が残
ることになり、増川先輩と山本妹、海田先輩と山本姉が組んで、おのおの鈴木さんと池
尻先輩を探す。探すと言っても海上に安全に出る手段がないため、増川先輩達は左側の
岩山へのルートを探り、海田先輩らは池尻先輩が鈴木さんを水上バイクで追っていたと
仮定して、右手の方の陸地を重点的に見て回る。
 僕は保養所から救急箱を持ち出して来て、波崎と適当に分け合ってから、所定の位置
に付いた。待つだけの時間は随分とゆっくり進むように感じられた。

 約三十分後に見付かったのは、池尻先輩だった。僕が気付いたときには船着き場のち
ょうど真ん中辺りを、ゆらーっと泳いでいて、頼りない感じはしたが、それでも無事に
岸まで辿り着いてくれた。海から上がった先輩は一見しただけでも疲労が甚だしく、す
ぐには発声できないほど。そんな状態で、途切れ途切れに語った状況は次のようなもの
だった。
「島の周囲を徐々に移動する感じで、二台の水上バイクを三人で乗り回していたが、あ
るとき鈴木さんが海田を振り切る勢いで発進させ、そのまま行ってしまった。びっくり
してすぐには次の行動に移せなかったが、じきに海田が『追え、追い掛けろ!』と鈴木
さんを指し示すから、逆に冷静になれた。海田をそのままにしておくと危ないので、後
ろに乗せて一旦ビーチまで戻って下ろし、そこから改めて鈴木さんを自分が追うことに
なった。彼女が一所をぐるぐる回っていたせいもあって、一時的にある程度距離を縮め
られたが、運悪く自分の方のマシンが不調を起こして、停まった」
 再駆動を何度も試みるがならず、やむを得ず、一番近い岸壁まで機体を押してイレギ
ュラーな形ながら岩に係留。そこから徒歩では陸――保養所に戻れないため、また海に
泳ぎ出て、船着き場を目指してきたとのこと。
「鈴木さんが一人で行ったのは、彼女の故意ということになるな」
 保養所に戻ったあと、改めて話を聞いた増川先輩が言った。捜索は空振りに終わって
いた。
「いたずらなら、ある程度自信があって行動してるんだろう。もう一台の水上バイクを
直して島の周囲を探すか、それとも戻って来るのを待つか」
「待ちでいいんじゃないすかあ」
 海田先輩が主張した。顔色がよくないようだが、短時間海に置いて行かれたせいでは
なく、鈴木さんの行動に憤懣やるかたないといったところか。
「はっきり言って、直す気になれませんね。いくら今回の合宿の大スポンサーでも、や
っていいことと悪いことがある」
「自分も同意見です」
 池尻先輩もこちらから探しに行く気はないようだ。水上バイクを直せそうな二人がこ
れでは、残る面々に選択肢はない。
「しかし、単独行動になってから小一時間……ちょっと長くないかな。それに、昼食当
番の一人なのに、それを放り出していたずらに精を出すのも彼女らしくない」
 疑問を呈する増川先輩。責任を問われかねない年長者としては、最悪の場合を念頭に
行動したいはず。
「分かりませんよ、気まぐれな性格だから。突拍子もないいたずらを仕掛けることは、
充分に考えられる」
「そうですよ。昨日言っていた魚人の呪いだって、誰も本当のことを知らなかったら、
そのまま押し通すつもりだったのかもしれない」
 海田・池尻の両先輩を翻意させるのは難しそうだった。
「じゃあ、残りの燃料で、最大何時間動けるのか分かる?」
「ええっと、どうだったっけ」
 顔を見合わせ、考え込む。池尻先輩の方が口を開いた。
「乗る人数や出力の度合い、海の状態なんかで違うし」
「燃料がどのくらい残っていたのかもしかとは覚えちゃいませんが……二時間てところ
か?」
 海田先輩が自信なさげに続けた。増川先輩が厳しい顔つきで首を振る。
「よく使う君らがその程度なんだから、鈴木さんは多分、把握できてないよな」
「いや、でも、二時間も海に出てるとは思えませんね。特に、お嬢様体質のあの鈴木さ
んが」
 その主張には何となく頷けるものがある。いたずらのためだけに、独りで二時間も海
で過ごすのは、鈴木さんの性格的に無理じゃないか。そこから僕は思い付きを口にして
みた。
「ひょっとしたら、陸に上がって、どこかに隠れているのかも」
「なるほどね。島に詳しい鈴木さんなら、隠れるのに適した場所を、前もって見付けて
いたのかもしれないです」
 山本樹さんがいいタイミングで呼応してくれた。陸地部分の捜索なら、僕らでもある
程度はできるだろう。
 しかし、免許所持組の先輩二人は頑なだった。
「捜索は御免ですよ。いい設備を整えてもらったり、昨日の晩飯にごちそうを食わせて
もらったりしても、代償がこれでは馬鹿にされてる。向こうにそんなつもりはないのか
もしれませんがね」
「しょうがないな」
 増川先輩は嘆息すると、腕時計を一瞥した。
「じきに正午か。昼飯にしよう。そのあとも姿を見せないようなら、僕が探すとしよ
う」
 予定が狂ったため、昼ご飯はレトルトを中心としたメニューになった。

――続く




#1114/1117 ●連載    *** コメント #1113 ***
★タイトル (AZA     )  18/09/01  20:08  (197)
ふるぬまや河童しみいる死体かな 2   永山
★内容                                         18/09/05 01:48 修正 第3版
 そうして――増川先輩はとりあえず、午後一時まで待った。それでも鈴木さんは姿を
現さない。
「探してくれるのを待っているのかもしれないな。必死になってる僕らを見て、笑おう
っていう魂胆」
 増川先輩はそんなことを呟き、椅子から腰を上げた。この時点で食堂に残っていたの
は、他に僕と波崎と山本姉妹。海田先輩及び池尻先輩は、食べ終わると間をおかずに席
を立った。係留してる水上バイクが気になるという。どうにかして回収して、直す手段
を考えるとのことだった。
「探すの、手伝います」
 波崎が言い出し、山本姉妹も同調した。もちろん、僕もそうするつもりでいる。
「いや、ありがたいけど、ここにいる全員で行くことはない。待機する人間が必要だ。
それに、全員で行って誰か怪我でもしようものなら、事態は悪くなるばかりだ。ここは
少数で行きたい」
「じゃあ、せめてあと一人。増川さん一人だと、それこそ怪我をしたときに誰にも伝え
られないじゃないですか」
 山本緑さんが強く言った。先輩は合点が行ったように大きく首肯し、僕の方を見た。
「それじゃ、ここは男手を増やすとしよう」
 腕力面を期待されても困るのだが、それでも他の女子よりはある、かもしれない。僕
は引き受けた。
「あとは頼むよ。時間の見当が付かないが、一応、午後三時に戻るつもりで動く。お茶
と菓子を用意して待っていてくれ。あ、鈴木さんの分の食事も必要かもな」
「お安い御用です」
「もしも四時になっても僕らが戻らなかったら、迷子になってる可能性があるから、
ビーチでたき火をして欲しい」
「え、あ、方向を定めるためにですね。分かりました。でも、そんなことのないよう願
ってますから」
 増川先輩がなかなか剣呑なことを言った。僕は思わず苦笑いを作った。
「まずは自分の身が第一だよ」
 波崎が励ましてくれたのがうれしいが、増川先輩のサポートで着いて行く僕にそれを
今言うかね。

 心配は杞憂に終わった。
 ここでいう心配とは、捜索で僕らが迷子になったり怪我をしたりすることであり、鈴
木さんを無事発見したという意味ではないのが残念だが。
 とにかく、軽装で行ける道が少ない。各部屋に飾ってある絵地図は大雑把ながらも、
かなり正確だということが分かった。絵地図にある位置を全て調べるのに一時間半ほど
で充分だった。残るは、本格的に山歩きや磯歩き、あるいは岩登りの格好をしないとと
ても行けそうにない。まさかお嬢様の鈴木さんが、そんな装備をしてまで隠れていると
は考えにくい。いやいや、突拍子もない考え方をすることもあるから、絶対にないとは
言い切れないけれど、いたずらの目的に適ってない。僕らが行けないところに隠れたっ
て、意味がない。それともまさか、最終日まで隠れて、死んだと思わせたいのだろう
か。でも、ここに遊びに来られたのは、鈴木さんの親父さんの仕事絡みでもある訳で、
そんな状況下で娘が父の仕事に害を及ぼすような真似をするか? さすがにあり得ない
んじゃないか。
 などと脳内で思考検討していた僕の耳に、増川先輩の声が不意に届いた。よく聞いて
なかったので、聞き返す。
「戻る前に、沼に行ってみないかと」
「え、あ、沼ですか。沼って隠れる場所ありましたっけ?」
「身を隠す場所はなかったように思う。ただ、海でいなくなった人間が島の中央にいる
ってのは盲点ではある。僕らが探しに行った途端、彼女が『ばぁ!』と現れたなら、身
を隠す場所はいらないしね」
「なるほど、理屈ですね。他に探す場所はないですし、急げば三時少し過ぎたぐらいで
往復できそうですから、行ってみましょう」
 実際にはこの時点で僕は疲れていた。けれども、最後の気力を出して、足を前に進め
た。最早、探すという行為そのものが目的化しており、鈴木さんが沼の付近にいるとは
全然期待していなかった。
 だから、最初、沼を見渡せる位置に立ったとき、ろくに見ずに、すぐさま元来た方角
へ足を向けようとした。
 が、視界の端っこに捉えてしまった。増川先輩も同じだったらしく、僕と先輩は二人
で同じような動きをした。つまり、一度目線を外して背中を向け、慌てて見直すという
あれだ。
「先輩……」
「……うむ」
 何とも重苦し返事をすると、増川先輩は沼に近付いていった。僕はそのあとを身を隠
すようにしてついていく。
 沼の縁にいた。姿勢は俯せで、黄色のブラを着けた上半身を岸辺に投げ出し、下半身
は沼の水面下。先輩が膝を曲げ、横たわる鈴木さんの顔を覗き込む。やけに青く見える
顔を。
「脈がない」
 いつの間に増川先輩は鈴木さんの手首を取っていた。脈が感じられないとはつまり、
死んでいる……。
「水が赤い。何故だ」
 先輩の言葉の通り、沼の水が一部赤くなっている。鈴木さんの下半身の周りだけがう
っすらと赤い。
「こういうとき、現場をいじるのは御法度だろうけれども」
 呟きつつ、腕を伸ばして鈴木さんの腰の辺りを抱きかかえる先輩。持ち上げて、下半
身、足の状態を見ようということらしい。その行為は途中でストップした。下の水着が
見当たらなかったことと、傷だらけの下半身とが目に入ったためだ。
「覆う物がいる。どうせ船は呼べないんだから、彼女をこのままにはしておけないだろ
う。ただし、引き揚げる前に、この状態で写真を撮っておきたいんだが」
 合宿にカメラを持って来た者は大勢いる。僕もだ。でも、捜索には不要と思って持ち
歩いてはいない。
「どちらか一人が残って、もう一人が皆に事情を伝えに行き、カメラを持って戻って来
る。こうするのが理想だが」
 増川先輩が僕を見た。どちらも嬉しくない役だったが、どちらか選ばせてもらえるな
ら、伝える役がいい。
 そんな答を準備していた僕に、先輩は緊張度を増した声で言った。
「実際には無理だな。一人になったところを、犯人に襲われたら危ない」
「え、犯人?」
 あ、これは殺人事件なんだということを、ようやく飲み込めた。
「犯人と言ったって、人間かどうかは分からないが。さっき見た傷、鎌で斬り付けられ
たようだとは思わなかったか?」
 その言葉は、魚人が殺したことを示唆していた。

 結果から記すと、島に滞在中に事件解決なんて絵空事は起きなかった。
 僕らができたことは、せいぜい、鈴木さんの遺体があれ以上傷まないように、可能な
限り冷やしてあげることくらいだった。
 犯人探しの機運が皆無だった訳じゃない。だけど、死亡推定時刻は分からないし、死
因は不明、凶器も不明。あとは動機を推し量るぐらいだが、鈴木さんの命を奪うような
動機を持つ者が、グループ内にいるとは考えられなかった。そりゃあ、海田先輩と池尻
先輩は、鈴木さんが単独で水上バイクに乗り、姿を消したことに怒っていたけれども、
それが原因になるとは思えない。万が一、それが動機だとして、どうしてあんな猟奇的
かつ性的な殺し方を選ぶのだ。魚人の呪いに見せ掛けたかった? 映画が元ネタの作り
話と分かっている呪いに? ないない。
 そもそも、互いに見知り合っている仲間同士で、犯人探しなんてできるもんじゃな
い。孤島という閉ざされた領域から出られないのに、疑い始めたらどうなる? よくな
い方に空気が傾くのはほぼ確実じゃないか? 疑心暗鬼がきっかけで、新たな事件が起
きることになれば最悪である。そうなるくらいなら、表面上の平穏を保つよう、努力す
る。僕ら七人はそっちを選んだ、ただそれだけのことだったのかもしれない。
 ――尤も、後に警察が導き出した真相を知ってみると、鈴木さんをあんな目に遭わせ
たのは誰で、何が原因だったのか、島にいる内に突き止めることできた気がする。物的
証拠はなくても、それ以外にないだろうってくらい蓋然性の高い仮説を構築していた可
能性は大いにあった。

 警察による捜査で、色々な事柄が明確になった。
 まず、遺体。鈴木さんの遺体の下半身は鋭利な刃物で執拗に斬り付けられていた。一
見するとその傷は足が多いようだったが、より子細に解剖することで別の事実が浮かび
上がった。最も念入りに傷付けられていたのは、体内だった。言い換えると肛門とそれ
につながる臓器を、できる限り傷だらけにしようとする意図が感じられる、そんな傷付
け方だったという。
 また、その傷のほとんどは死後に着けられたもので、直接の死因となった傷は別にあ
った。ただし、傷の位置は同じく内臓。こう記せば、現代ならぴんと来る向きも大勢い
るに違いない。
 鈴木さんは水上バイクから落水した際、ウォータージェット(もしくはポンプジェッ
ト)と呼ばれる推進装置より出る強烈な水流をまともに受けてしまい、肛門から入った
水により内臓を激しく損傷、死を迎えてしまったものと推測された。
 鈴木さんの死は事故だった。
 では、海田と池尻のどちらの運転するマシンで起きた事故なのか。これは特定が難し
かったが、後日浅瀬から引き揚げられたバイクと、池尻が係留したバイクとを比べる
と、より鮮明に人血が検出されたのは、前者の方だった。ただ、共にごく微量だったた
め、海田の自供によりこれは確定を見た。
 事故による死亡であるなら、二人は何故、正直に言わなかったのか。これには、複合
的な理由が考えられた。お嬢様である鈴木園美さんを死なせてしまった事実は、学生二
人の将来に多大なる影響を及ぼすと予測できる。また、海田にとってこの事故を認める
ことは、父の勤める会社の評判を落とすことにつながる。機械に欠陥があった訳ではな
いが、メーカー社員の息子が引き起こした事故死となると、イメージダウンは計り知れ
ない。親の育て方も云々されるやもしれぬ。加えて、池尻にも隠れた動機が存在した。
他のメンバーには打ち明けていなかったが、飛び級で大学院進学が内定していたのだ。
事故とは言え友人の死に関わっていた・すぐそばにいたとなると、取り消される可能性
が出て来ないとも限らない。
 想像を膨らませて動機を作った挙げ句、彼ら二人は隠蔽のためならどんな手段でも執
ると互いに誓った。その電光石火の制約によって、事故死は犯罪事件となった。
 幸か不幸か、鈴木さんが落水したのは島のすぐ近くの海だったが、島にいる者からは
見えない位置だった。鈴木さんの死を突きつけられた二人は、“善後策”を素早く実行
に移した。最初に水上バイク一台を無理矢理沈めてから海田がビーチに戻り、他の者に
異変を告げる。鈴木さんが一人で水上バイクに乗って行ってしまったと。
 池尻は鈴木さんの遺体を隠す。永久に隠す必要はなく、一時的でいい。水上バイクを
係留したとする場所から少し離れた岩陰に隠したという。このとき、池尻は奇想天外な
策を採る。鈴木さんの水着を取ると、自らが着込み、鈴木さんのふりをして水上バイク
を走らせたのだ。目撃者を作るため、船着き場から見通せるところを走った。一方で、
船着き場にいる海田はメンバーの何人かが目撃するよう、誘導する。
 アリバイ工作のために行ったこの二人の大芝居だが、実効はほとんどなかったと言っ
ていい。島にいる間は僕ら素人だけでは死亡時刻の絞りようがなく、警察が捜査に乗り
出した頃には時間がかなり経っていたせいか死亡推定時刻の幅が広すぎた。
 それはさておき、船着き場から見えない位置まで来た池尻は、元の水着に急いで着替
えると、大回りをして鈴木さんの遺体がある場所まで戻った。水着を今一度遺体に着せ
るのだが、下半身は後ほど細工をすることから、脱がせたままである。準備を済ませた
池尻は、船着き場に泳ぎ着いてみせた。ここからはアドリブを効かせる手腕が問われた
二人だったが、何とかやりおおせた。昼食後に二人で行動できる理由と時間帯を見付
け、保養所の外に出るや、遺体の隠し場所に急いだ。必要とあらば遺体を水上バイクに
乗せて、陸に揚げやすい場所へ移動させることも可能だったが、彼らには悪運が味方し
た。鈴木さんの遺体を隠した岩陰の地点は、陸からも多少の無理をすれば行き来できる
場所だった。無論、遺体を担いで歩くのは難しいため、二人で協力して運び上げること
になる。なお、遺体からは血が滴り落ちる恐れがあったため、痕跡を残さぬよう、農業
用肥料の空き袋を調達し、遺体を包むように覆うことで問題を解決した。
 調達と言えばもう一品、海田と池尻は手に入れている。鈴木さんの下半身に傷を付け
るための凶器だ。最初は映画に合わせて鎌を使うつもりでいたが、見付けることができ
なかった。そこで池尻はあることを思い出した。長年使用してきたトラクターや耕運機
などについている刃は、石などに繰り返しぶつかることで削られ、磨かれていき、とう
とう鋭い鎌かナイフのようになると。機械いじりに慣れている海田と池尻は、放置され
たトラクターから、思惑通り鋭い刃の入手に成功した。それを携えて、沼のすぐそばに
まで遺体を運び込んだ。そこからは早く終わらせようと焦りを覚えたという。曰く、ト
ラクターから外した刃は、直に持つには扱いにくく、指紋を残す恐れもあるため、ハン
カチで持ち手を作った。それでももぐらぐらして、予想よりもずっと手間が掛かった。
もう死んでいるのだから出血はほとんどなかったが、空き袋に溜まった血は何らかの化
学反応を起こしたのではないかと思うぐらい固まらずにいたので、遺体の下半身に流し
た。袋は念のためによく洗って、元の場所に戻した。下の水着を着け直すことも考えた
が、魚人が襲ったという見立てなのに、水着を着せてやるのはシュールな構図に思え
て、結局やめにした。水着は手頃な石をくるんで、沼に放り込んだ……。
 水着と言えば、島での初日、水上バイクに乗る際には比較的きっちりしたワンピース
タイプを着ていた鈴木さんが、二日目は黄色のセパレートタイプだった。整合性を欠い
ているように感じたけれど、実際は彼女自身、深い考えがあって水着を選んでいた訳で
はなかったらしい。根本的な問題としてあとから知ったのだが、普通の水着ではワン
ピースだろうがセパレートだろうがビキニだろうが関係なく、ウォータージェットの水
流をまともに受ければ防ぎきれないという。それまで危機感なしに乗っていて落水も幾
度かしたろうに、無事に済んでいたのは単にラッキーだっただけ。
 そう考えると、あの最初の日、愛理がたまたまではあるが水上バイクに乗らなかった
のは、運がよかったのかもしれない。二日目に二台ともマシンが(犯人達の工作もあっ
て)使えなくなり、乗る機会が失われたことも同様だ。もし乗せてもらって振り落とさ
れ、死につながっていたら……今、僕の隣にいる人は別の人だったかもしれないし、誰
もいなかったかもしれない。

――終わり

※現行の水上バイクに関連する法律は、作中で描いたものとは異なります。特に服装に
ついては、水着のみはあり得ず、ライフジャケットの着用義務の他、ウェットスーツや
ラッシュガードにハーフパンツの着用が強く推奨されています。




#1115/1117 ●連載
★タイトル (AZA     )  18/09/14  22:54  (487)
無事ドアを開けるまでが密室です <上>   永山
★内容                                         18/09/19 13:51 修正 第2版
「遅いですな」
 ごつごつした拳を所在なげに重ね直しながら、山元修(やまもとおさむ)が言った。
つぶやきと呼ぶには声が大きい。彼の目線は部屋奥の壁際に立つ柱時計を見ていたよう
だ。午前八時が近い。
「次郎様は朝寝するのが常でございますから」
 メイド兼執事の廣見郷(ひろみさと)が答える。ちょうど各人の前に飲み物を置き終
わったところで、空になったお盆を小脇に抱えている。館の主・牧瀬次郎(まきせじろ
う)の雇われ人であるのは間違いないが、年齢及び生物上の性別がよく分からない。昨
日はメイド服で出迎えてくれたが、今朝はスーツ姿(もちろん燕尾服ではない)。白い
肌のほっそりした足を見た限りでは女性っぽいのだが、肩幅が広くて背は高く、声は低
い。まあ、細かいことは気にしまい。
「それでも、客を招いておいてこれは、ちっと遅すぎじゃあないですかね」
 言外に、失礼だというニュアンスを匂わせる物言いの山元。同意を求める風に、朝食
の席をざっと眺めた。昨日の初対面時、元公務員と称したが、お役所勤めだったにして
は少々粗野な面が表立ってる。
「確かに遅い。先に食べてかまわないとか何とか、言ってくれていればともかく」
 上神楽太(かずわらくた)がお腹を片手でさすりながら呼応した。職業芸人で、この
名前は芸名である。たまにテレビ番組に出演しており、いわゆるお笑い芸人に疎い私で
も彼の顔は知っていた。年齢二十八にして声帯模写歴二十五年と謳っているが、あなが
ち嘘じゃないと思わせるレベルと言えそう。
「その点につきまして、特段の指示は受けておりませんが、通例に倣いますと、やはり
確認が必要かと」
「だったら確認取ってきてくれ。あ、いや。その上でだめだと言われたらますます腹が
立つな。一緒に行こうじゃないか。起こしてやる」
「それは――」
 廣見が答える前に、山元は蹴るように席を立った。空手の有段者と聞いているので、
本気で蹴ったら色々と壊れそうだ。歳は四十代後半といったところだろうが、まだまだ
エネルギーが有り余ってる雰囲気だ。
 山元の勢いに押されたか、先を行く彼に続いて、廣見も食堂を出て行く。ドアのとこ
ろでくるりとこちらを振り返り、頭を深く下げた。
「あの様子だと、たとえ起きてきても、一発ぐらいぶん殴りそう」
 ドアから視線を戻し、肩をすくめたのは丘野良香(おかのよしか)。舞台女優との自
己紹介だったが、私は顔も名前も見聞きしたことがなかった。見たところ歳は三十絡
み、険のある顔立ちだが整っている。
「万が一のときに止めるため、殿方がもう何名か行かれた方がいいのでは」
「空腹でしんぼうたまらんのが本音ですが、下手に騒いでつむじを曲げられても困るの
は皆一緒だし」
 丘野に応じた上神が、こちらに顔を向けてきた。
「水地さん、行きますか」
「かまいませんよ。そのいざというときに、私の腕力では、全然役に立たないでしょう
が」
 私は上神が立つのを待って、あとに続いた。
 館の主・牧瀬の自室は、食堂や客間からは少し離れた位置にある。直線距離を測るな
ら近いだろうが、細くて折れ曲がった廊下を行かねばならないため、時間を要する。一
本道とは言え、食堂から徒歩で五分はかかる。昨日、歩いたときの実感だ。
「念のため、急ぎますか」
 こちらから促すと、上神は「それもそうか」と呟いて、急に走り出した。足早にとは
思っていたが、走るつもりはなかったので面食らってしまう。それでもすぐに追い付い
た。
 最後の角を曲がったところで見通すと、先発した二人は牧瀬次郎の部屋の前に立って
いた。機嫌の悪い“主人”に追い出されたのかと思いきや、そうではないらしい。
「次郎様、次郎様」
 廣見が平板な調子ながらも声を張って呼び掛けていた。その右手は拳を作り、時折ド
アを静かにノックする。
「イヤホンかヘッドホンで音楽なんかを聴く趣味はあるのかい?」
 山元がじれったそうに足踏みをしながら、廣見に聞いた。その頃には私達もドア前に
到着していたが、黙って立ち尽くすしかない。
「ありません。ご自身のお屋敷で、ご近所様とははるかに距離があるのに、何に遠慮す
る必要がございましょう」
「理屈はいい。だったら、何で反応がないんだ?」
「さあ……」
 言い淀む廣見に代わり、私は口を挟んでみることにする。ドアノブに手をやって、確
かに施錠されていることを確認してから言った。
「呼び掛けても、起きてこないんですね? 在室は確かなんですか」
「朝早くに邸内を見回ったところ、玄関でスリッパを脱いだ痕はありませんでしたし、
靴を出した気配も同様で……」
「そもそも、今朝起きてからあなたは牧瀬氏と会ったのかな?」
「いえ、まだです。いつものことなので」
「うーん。部屋の出入り口はここだけ? 庭へ出られたり、別の部屋につながっていた
りとかは?」
 私の続けての質問に、廣見は首を横に振った。そして何か声に出して答えるつもりだ
ったようだが、私はかまわずに言葉を被せた。
「では、睡眠薬の類を服用した可能性はどうでしょう」
「それもないと思います。薬はお嫌いな方で、絶対に服まない訳ではございませんが、
眠れないからと睡眠薬を口にするようなことはないと断言できます。そもそも、この屋
敷には睡眠薬は置いてないのです。風邪薬ならございますが」
 いよいよ緊急事態か? 返事のないことを説明する状況を他に思い付かなかった私
は、何らかのアクシデント発生を想像した。が、後方から上神が些かのんきに意見を述
べた。
「もしかして、どっきりってことはないかいな?」
 上神は肥え始めた兆しのある身体をぬるりと動かし、私達の間を縫うようにして前に
出る。次いで、さっき私がやったのと同じようにドアノブをガチャガチャ言わせた。
「哀れな犠牲者が鍵を開けて入ってくるのを待ち構えているかもしれんね。どんな仕打
ちを用意してるのやら」
「どっきりだの仕打ちだの、我々が騒いでいるのを知りつつ、わざと出て来ないでいる
というのか」
 いち早く反応したのは山元。口調は荒っぽく、左の手のひらに右拳をばん、ばん、と
当て始めた。待たされている上に、そんないたずらで時間を取らされていたのだとした
ら、彼でなくとも怒りが増すだろう。
 私はなるべく穏便に事を進めようと、提案した。
「何にしても、鍵を開ければ分かることです。廣見さん、合鍵があるでしょう? 取っ
てきてくれますか」
「それが、次郎様が私用に使う部屋については、合鍵がございません。他人に開けられ
る可能性を残しておくのが嫌だと仰って、処分されてしまったのです」
「何、じゃあ、もしも急病で倒れる等していても、すぐには開けられないということで
すか」
 私の口ぶりは驚きと呆れを綯い交ぜにしたものになっていた。廣見は間髪入れずに答
えた。
「そのような場合が万が一にも起きれば、遠慮なくドアを壊して入れと言われておりま
す。出入りできるのはドアだけで、窓は高い位置に明かり取りの物が数箇所あるだけな
ので」
「それならそうしようじゃないか」
 山元が即座に主張した。有無を言わさぬ圧力がある。
「まあしょうがないんじゃない? 斧か何か持って来てよ、廣見さん」
 上神が相変わらずののんびりした声で言う。だが、廣見はこれにも首を横に振った。
「斧は昨日、山元様にお貸しした際に、持ち手が折れてしまい、使えなくなっておりま
す」
「あ、そうだった」
 額に片手を当てる山元。芝居がかった仕種は、斧を壊してしまったことの照れ隠しだ
ろうか。彼は昨日、牧瀬次郎のご機嫌取りのためか、斧を振るって薪作りに精を出して
いた。が、力が入りすぎたらしくて斧の柄を折ってしまったのだ。そのことで館の主は
怒ることはなく、薪作りについてちゃんと評価していた。
 この辺りで、我々が牧瀬次郎の館に集まった理由について、記しておこう。
 牧瀬次郎は表向き、芸術家を自称し、絵画や写真に凝っている。だが、実際の生業は
金貸しであり、ゆすり屋でもある。何らかの秘密を掴みうる立場にあり、かつ金に困っ
ている人間を見付けるところから、牧瀬の仕事はスタートする。そんな相手に金を貸し
てやり、返済が遅れたり新たに借金を申し込んできたりすると、返済を待つあるいは新
たに貸すことの交換条件として、秘密の情報を出させる。情報そのものが高く売れる場
合もあるが、それ以上にゆすりのネタとなる情報を牧瀬は好むようだ。ゆすりのネタを
掴むと、ターゲットを切り替え、金を脅し取る。相手が好みの異性であれば、金の代わ
りに絵や写真のモデルになるように要求する場合もある。
 この度、牧瀬の館に招かれたのは、この男の魔手に絡め取られた者ばかりであった。
無論、各人がどんなネタで脅されているか、牧瀬の口から具体的には言及されてはいな
い。君らは同じ立場の人間だとだけ言った。それで充分に伝わる。
 ただし、私個人に限って言えば、牧瀬と直接のつながりはない。私のある大切な人の
名誉を守るために、代理でやって来た。大切な人は既にこの世になく、彼女から代理を
頼まれた訳でもない。だが、何もせずにこまねいていると、彼女の秘密が公にされてし
まう。いきさつを知ってしまった私は、彼女の尊厳のために動くことを決意した。
 昨日、牧瀬は私達を前に宣言した。「明日以降、君らにはギャンブルで競ってもら
う。その勝負で勝ち残った者と敗者復活のゲームで勝ち残った者を除く全員の秘密を公
開するから、本気で臨んでもらいたい」と。
 何のギャンブルをするかなど詳細は今朝、発表予定。時刻の明示がなかったため、遅
れているとは言えないが、主が起きてこないのでは話が進まない。立場はこちらが弱く
ても、抗議の一つでもしてやろう……という気になっていたのだが、思わぬ事態が繰り
広げられつつあるようだ。
「他に適当な工具は?」
「大きな物はスコップぐらいです。あとは、極普通サイズの金槌やドライバー……」
 ドアの蝶番部分が廊下側に出ていれば、金槌やドライバーでそこを壊すことも可能か
もしれない。が、実際には生憎と逆向きだ。
「だったら、やむを得ん。力尽くでぶち壊してもかまわんですかな」
 指を鳴らした山元。空手の心得があるというから自信があるのだろう。その巨体でタ
ックルするだけでも、ドアを破れるかもしれない。
「先程申しました通り、次郎様の許可は出ています。山元様にお任せしますが、お怪我
をなさらないように」
「これは木材だな」
 山元は改めてノックし、言葉に出して確認を取る。
「金を持っていて、大きな屋敷に住んでる割に、意外と薄手のようだ。外見はプリント
されたシートでごまかしてあるのが分かるぞ」
 そんな風に見当を付けると、山元は我々に下がるように言った。それから彼自身の手
と足を見下ろすと、ジャケットを脱ぎに掛かった。すかさず、廣見が申し出る。
「お預かりします」
「あ、ああ。その前にハンカチを」
 ジャケットのポケットから濃いグリーンの大ぶりなハンカチを引っ張り出すと、右拳
に巻き付ける。バンテージ代わりということのようだ。ジャケットを持った廣見が再び
退いたところで、山元はドアを前に正対した。おもむろに呼吸を整え始め、長い息を吐
き、また少し戻した。かと思ったら、いきなり右拳を放っていた。
「うわっ」
 短く叫んだのは私だけじゃなかった。この場にいる山元以外の人間は、ドアをへしゃ
げさせて隙間を作るシーンを想像していたのかもしれない。だが山元は、ドアノブの近
くに突きによる打撃を一点集中させ、文字通り穴を開けた。
「これで鍵を……肝心なことを確かめ忘れていたが、内鍵は、客室と同じ位置、同じ構
造だよな?」
 右手を突っ込んだままの姿勢で、山元が肩越しに振り向く。そことは反対側に立って
いた廣見は、急ぎ足で山元の視界に入った。
「さようでございます。ノブの少し上にあるつまみを倒せば解錠されて開くはずです」
 二人のやり取りを聞きながら、私は室内の様子に注意を向けていた。できたばかりの
穴は山元の腕が差し込まれており、中は窺えない(そもそも山元の大きな背中が邪魔
だ)。しかし、これほど騒ぎ立てても、室内から牧瀬の動く気配は全く感じられなかっ
た。生きている気配、と言うべきだろうか。
「山元さん。念のため、注意してください」
「ん? 何だって?」
「これだけ音を立てて、牧瀬次郎氏は起き出すどころか、声一つ立てていません。もし
かすると……」
「急病と言いたいんだろう? だからこそこうやって開けたんじゃないか」
「いえ、そうではなく……死亡している、それも殺されている可能性があるのでは?」
「何を根拠にばかなことを言ってるんだ? ええっと、水地さん」
「強い理由はないですが、牧瀬氏に怨みを持っている人が昨日から、この屋敷に集合し
ています。誰かが思い余って殺したのかもしれないなと」
「……分かった。だが、安心してくれていい。昨晩、元公務員だと名乗ったが、実はそ
の公務員てのは警察官のことなんだよ」
「え?」
 驚く私達に、山元はにっと唇の端だけで笑って、それから鍵を開けた。錠の解かれる
乾いた音がかちゃり。
「よし、開いた。ま、念のため」
 山元は右腕を引き抜くと、半屈みになってドアの穴から中を覗く姿勢を取った。ドア
を全開にする前の安全確認という訳か。
「う?」
 山元がうめいた。警察関係者が呻き声を上げるとは、尋常ではない。
「どうしたんです? 誰かいるんですか? 牧瀬氏は?」
 矢継ぎ早の質問に直に応じる返答はなかった。代わりに、山元は急に乾いた声になっ
て言った。
「白いビニール袋が天井からぶら下がっている。サイズは大きなスイカ程度。中から人
の髪の毛みたいな物が覗いていて。半透明だから少し透けて見えるんだが、あれは人の
頭部に思える……」
 そこまで喋ると、山元は姿勢を戻し、ドアを押し開けた。山元がすぐには入らず、戸
口の前から退いた。おかげで私達にも部屋の中の様子が見えた。
 戸口のほぼ正面に、立派なデスクがあり、その椅子に腰掛けているのは男のようだ。
ようだと表現したのは、座る人間の頭部が見当たらなかったため。
 デスクとドアのちょうど中間ぐらいの地点。天井には照明器具を吊すためと思しきフ
ックがあり、片端を結わえられた虎ロープが垂れている。もう片端は白いビニール袋の
口を閉じると共に、袋自体をぶら下げる役割を果たしていた。長さは三メートル前後あ
ろうか。ビニール袋は、床から六十ないし八十センチメートルに位置している。数値が
曖昧なのは、ロープが少しばかり揺れていたから。揺れが収まると、だいたい七十セン
チだと見当付けられた。
 何よりも恐ろしいのは、買い物用と思われるその白いビニール袋越しに、目鼻が認識
できることだ。袋の口からは人毛らしき黒い髪が、トウモロコシの髭の如く飛び出てい
る。袋の中には赤っぽい液体がわずかだが溜まっているようだ。その液体がこぼれぬよ
うに用心のためか、袋の口はさらにもう一本、荷造り用のビニール紐らしき物で縛って
あり、その端が長く垂れ下がって床を掃いている。
「次郎様……?」
 不意に、自分と戸口との間に人影が。廣見郷だった。その肩をがっしり掴んだ山元
が、廣見を引き戻し、こちらを向かせる。
「主想いは感心だが、今はだめだ。あれはいたずらでも何でもなく、本物の遺体だろ
う。一見しただけでも犯罪の線が濃厚だってことは、子供にも分かる。よって警察に通
報する。君ができないのであれば代わりにやるが」
 結局、通報のための受話器は、廣見が取った。しかし、警察にはつながらなかった。
固定電話と壁のジャックをつなぐコードが、全て消えていたのだ。何者か――犯人によ
って処分されたに違いない。
「電話できないとは、まずいな」
 現場前に立って頑張っていた山元は、電話不通の知らせを受け、頭をかきむしった。
彼と一緒にいた上神は腹をさすりながら、「確かにまずい」と呟く。
「朝飯を入れないまま、街まで下るのはごめんでさあ」
 牧瀬次郎の館は、今では廃された村の奥の小高い丘に建っている。かつての地主の大
きな屋敷をそのまま購入し、改装したとのことだが、我々招待客は不便な立地に閉口さ
せられた。周囲に店はないし、公共の交通機関も通っていない。そもそも、まともな舗
装道は途中までで、野道山道を行かねばならなかった。
 恐喝者にとっては、我々にギャンブルを強制するため、逃げ出せない環境が好ましい
という訳らしい。ここまでは乗用車で連れて来られたのだが、現時点でその車は帰さ
れ、出て行くには歩くしかない。もしかすると、牧瀬が非常時に備えて、どこかに車を
隠している可能性はあるが……。そんな思いから、私は廣見を見やった。相手はコンマ
数秒で察した。
「生憎ですが、お車やバイクは用意されておりません。少なくとも、私は次郎様からこ
こにはその手の乗り物はないと聞かされておりました」
「あんたにも内緒で、車を用意しているってことはないか」
 山元が背後のドアをちらちら気にしながら、廣見に問うた。現場である部屋のドア
は、今は閉ざされている。もちろん、穴は開いたままだが。
「私は次郎様の言葉を信じております。ただ、次郎様が私に隠し事をなさらなかったと
は断言しかねます」
 どことなく悲しそうに廣見は答えた。
「じゃあ、隠せそうなとこはあるんだな?」
「いえ、皆目見当も付きません」
 山元は大きくため息を吐き出した。上神は俯きがちになり、かぶりを振った。人里ま
で歩くとなると、相当な距離がある。道中、アップダウンの激しい坂もあったのも悪い
材料になりそうだ。
「水地さん、あんたには他の連中に事態を知らせてくれって頼んだが、どうなってる」
 唐突に問われ、私は首を傾げた。
「どうと言われましても、伝えましたよ。そのあとすぐに、電話のところに行ったら、
不通だと言われて」
「そうじゃなくってだな。事態を聞いたはずの連中がここに来ないのは、何故なんだろ
うってことだ」
「そのことでしたら、私なりに判断して、待機していてくださいとお願いしたんです。
皆で押し掛けられると混乱しかねないし、山元さんが元警察の方だということでしたか
ら、お任せした方がよりよいと考えたんですが、いけませんでしたか」
「うむ。いや、ありがとう。確かにそうだ。水地さん、随分と落ち着いているように見
受けられるが、もしやそちらも警察関係か、あるいは死体に慣れた職業……医者や葬儀
屋かな?」
「いえいえ。しがない物書きってやつです。慣れているのは、事件の場に居合わせた経
験がこれまでにもあるからで」
 私が答えると、上神が恨めしげにこちらを見た。
「何だ、そうならそうと言ってくれればいいのに。山元さんと一緒に見張る役、代わっ
てもらいたかった。今ちょっと吐きそうになってるんで」
「現場周辺を汚されてはかなわんし、どうぞ行ってきてください」
 山元から促され、上神はドアの前から離れ、早足で去って行った。残った三人、私と
山元と廣見とで善後策を話し合う。
「警察に報せるために、街まで行くというのは動かしようがないとして」
 私は山元の顔色を窺いながら、一つの確認を行うことにした。
「敢えて聞きますけれども、本当にこのまま通報してもいいのでしょうか」
「どういう意味だい?」
 ついさっき、私を認めてくれるような柔和な表情を見せてくれた山元が、また険しい
顔つきに戻った。
「牧瀬氏が示唆していたのを素直に受け取ると、招待客の私達は全員、彼から脅迫され
ていた。この館には脅迫の材料が隠してあるはず。警察が来ると、それらが暴かれかね
ません。それでいいのかってことです」
「……俺は」
 間を取る山元。即答はしかねたようだ。
「俺が脅されてるネタは、元々一部の警察関係者なら知っている。それが表沙汰になら
ないようにするために、ここに足を運んだようなものだ。今さら捜査の過程で改めて警
察に知られても、大差はない」
 そう答えたものの、吹っ切れている訳ではなさそうなことは、当人の様子から伝わっ
てきた。視線が泳ぎがちで、落ち着きをなくしている。
「じゃあ、他の皆さんには犠牲になれと」
「動機に関わってくる。隠してはおけんだろうな、うん」
「――廣見さんはどうお考えですか」
 機先を制するではないが、話を三人目に振った。
「牧瀬氏の不名誉が白日の下にさらされる訳ですが」
「主従の関係にあっても、私は次郎様のしていたことを把握しておりませんでした。仮
に知っていたらどうしていたか、今となってはお答えのしようありません。ただ、死後
の主の不名誉は取り払いたいと存じます」
「不名誉って、脅迫行為に手を染めていたのは、厳然たる事実だぞ」
 呆れたように山元が指摘したが、廣見は決然と言い返した。
「どんな状況であろうとも、主をお守りするのが私の勤めです」
「ご立派な心掛けだが、それなら生前、正しい方向に導いて差し上げてほしかったね」
 皮肉を込めた言い回しをした山元。廣見は微笑らしきものを顔に浮かべ、「知らなか
ったのです。ご希望に添えられず、誠に残念です」と答えた。
「とにかくだ、名誉を守りたいってことは、今のまま警察を受け入れるつもりはないっ
てことだな?」
「先程までは、受け入れるつもりでいましたが、私、動揺していたようです」
 しれっとした返事に、山元は表情を歪めた。苦虫を噛み潰したようなを絵に描いたら
こうなるだろう。私は持ち掛けてみた。
「多数決と行きませんか?」
「屋敷にいる全員参加でか? 結果は見えてるな。尤も、俺だって多数派に回る気持ち
はゼロではない。隠し立てしても、じきに露見すると分かっているから、こうして真っ
当な意見を述べている」
「それなら、犯人を特定してから、警察に向かうというのはどうでしょう?」
「誰が犯人なのか、見当を付けたあとなら、警察も詳しく家捜ししないと思っているの
か。犯人の動機が脅迫されていたことなら、そこら中をひっくり返す可能性が大だぞ。
犯人以外の脅迫のネタも見付かるに決まってる」
「我々が自力で見つけ出し、処分すればいいんです。牧瀬氏を殺害した犯人の分のみ、
残すことにしましょう」
「そうするには、犯人特定が欠かせない、か」
 山元が急速に変節していくのが、手に取るように感じられた。気持ちが揺れているの
は明らか、と私は思った。
「執事はそれでも許せないんじゃないのか。牧瀬次郎の脅迫行為そのものは明るみに出
る」
 山元は自分で自分の決定を覆すのをよしとせず、廣見に下駄を預けた。
「皆様方が皆様方の都合で事実に手を加えるのでしたら、私も次郎様の名誉を守るため
に、事実に手を加えることを厭いません。たとえば……脅迫は不幸な思い違いであっ
た、と提案させていただきたい所存です」
 牧瀬の脅迫行為を暗に認めつつ、廣見は大胆なプランを口にした。今この場で詳しく
聞こうとは思わない。要は、牧瀬がある人物A(犯人)のプライベートな情報をたまた
ま得て、Aはその事実を知って、立場が弱くなるとの思い込みから牧瀬を殺した、とい
う風な筋書きであろう。
「しょうがねえな」
 山元は吐き捨てるように言った。些か芝居めいている。
「だったら、犯人を特定しようじゃないか。だが、期限は設けないとな。通報が遅れた
言い訳が立つのは、一日か二日か……」
 それ以上の遅れが難しいのは、容易に想像できた。警察へ知らせるために実際に行動
するのを三日以上も先延ばしにしては、そのこと自体が我々への疑いを招く火種になり
かねない。
「これから他の方達を説得するのに時間を要するかもしれません。だから、明後日の
昼、せめて朝までは猶予を」
 廣見の率直な意見。私は乗った。そして二人して、山元の顔を見る。
「ふん。どうせ最終的には多数決だろう。俺に決定権があるのなら、今の案に同意して
おこう。他言無用の約束を守り通すと誓ってもらうがな」
 何はともあれ、言質は取れた。この場にいない人達からも、了解を取らねばならない
が、さほど苦労はしまい。全員、脅迫のネタを警察にすら知られたくないはずだ。

 吐き気の治まった上神も加えて、全員が食堂に揃った。食事をしながらする話題では
ないし、かといって、聞いたあとでは食欲が著しく減じるかもしれない。迷うところだ
が、ここはすぐさま状況説明が始められた。
 牧瀬次郎の死について私が先に知らせておいた分、ショックは小さいだろうが、それ
が恐らく他殺であることや頭部が切断され、天井からビニール袋に入れられて吊されて
いたことなど、詳細が語られると、食堂内には重い静けさが下りた。
 その空気を破ったのは、電話のコードが始末され、警察への通報ができず、さらに犯
人特定のために警察へ知らせるのを遅らせるという提案がなされた段階だった。
 何のために?という当然の疑問が出され、脅迫の材料を独自に処分するためだという
答を示すと、大部分はとりあえずの納得を見せた。全員揃っての賛同を得られるのも間
近だと感じた矢先、一人の女性が手を挙げた。
「基本的には賛成してもよいかと思いましたが」
 中井江美香。昨日の自己紹介では、ありとあらゆるデザインを手掛けるデザイナーと
言っていた。実際、有名人らしい。他の女性招待客が反応を示していた。女性の年齢は
分かりにくいことが多いと実体験から思うのだが、中井は若作りをした五十前後だろ
う。今もきれいに着飾っているが、目元だけは自信がないのか、薄茶色のサングラスを
掛けたままだ。
「そこまで捜査妨害を厭わないのでしたら――元警察関係者の前で言うのはあれですけ
ど――」
 中井に一瞥された山元は、咎め立てせず、先を続けるように顎を振って促した。
「――いっそのこと、犯人の方を匿えばいいじゃありません? ここにいる全員で事件
を別の形にしてしまえば、架空の犯人をでっち上げるのは案外容易だと想像しますけれ
ど」
「それもそうだわ」
 素早い賛同を示したのは、安島春子。花に纏わる商品のメーカーで営業社員をやって
いると聞いた。外見からの印象は、三十代半ば、ドラマのキャスティングなら営業より
も事務が向いていそうな地味なイメージ。団子にしたヘアスタイルを飾る髪留めが、唯
一お洒落らしいお洒落。ただし、口を開けばかなりのお喋りで、人見知りしない性格だ
としれる。
「みんなあいつから脅されていたのでしょう? 裏を返せば、みんなあいつに死んで欲
しかった。殺してくれた人は、言ってしまえば……英雄?」
 さすがに最後の部分は言い淀んだが、主張できてすっきりしたような、晴れ晴れとし
た顔になっている。
 それはさておき、中井からの提案だ。私は予想しないでもなかったが、明確に口にす
ることは躊躇われるだろうと見なして、計算に入れていなかった。心情的には牧瀬殺害
犯を英雄だと認めてやりたいが、現実を思うと難しい。この殺人事件の周辺を多少ねじ
曲げるくらいならかまわずにやるが、殺人犯の片棒を担ぐような真似はしない。最後の
一線として守るべきラインじゃないだろうか。
 と、自分自身の考えは固まっていたが、おいそれと表明するのはやめておく。まずは
様子見だ。
 他の人達の反応は――。
 芸人の上神は、分かり易く「それもナイスかもしれんわな」と呟いた。本心か否かは
“当人のみぞ知る”だが、表情を見た限りでは真剣である。
 女優の丘野はいかにも女優らしいと評してよいのかどうか、普段の表情・態度を保っ
ている。特に何か言うでなし、迷ったり苛立ったりといった仕種も垣間見られない。私
のように様子見をしているのですらない風だ。
 彼女と似ているのが廣見郷。尤も、演技かどうかなどではなく、求められるまでは意
見を述べないと決め込んでいると見受けられた。言ってみれば職務に忠実で、今から朝
食を並べてくれと頼めばやってくれる気配を纏っている。
 最後に残る一人で、そして影響力が一番大きそうな山元はというと、腕を組み、片手
で顎を撫でていた。意外にも冷静に受け止め、頭の中で検討しているのだろうか。ある
種の、毒を食らわば皿までといった心境なのかもしれない。
「仮に、そちらの提案を入れて、偽装計画を練るとしてだ」
 山元は中井を短く指差した。
「何者を犯人に仕立てるんだ? こんな廃村の屋敷、我々以外に訪ねてくるような奴
は、まともじゃないだろうよ。泥棒か不法投棄者か、へんぴな土地に来たがる物好き
か」
「お待ちください、山元さん。私の提案には条件があるのです」
「ん?」
 中井が存外、強い調子で始めたので、山元は一瞬気圧された様子だった。
「皆で匿うと決まったとしたら、牧瀬次郎を亡き者にした犯人には、名乗り出ていただ
きたいのです」
 室内がざわめきで一気に満たされた。
「そりゃまた高いハードルの条件だ」
「承知の上です。それくらい信頼してもらわねば、匿えないと言いたいのですよ」
 当然の口ぶりの中井だが……これは受け入れられまい。
 牧瀬に恐喝されてきた者が、意を決して犯した殺人。それを認めて名乗り出ること
は、たとえ英雄視されていようが、第三者に新たな強請の材料を提供するに等しい。被
恐喝者として同じ立場であっても、信じ切れるはずがない。
 案の定、反対の声が上がった。一分ほどかしましい状態が続き、やや鎮まったところ
で、廣見が中井に尋ねた。
「私はどなたが次郎様の命を奪ったのか、是が非でも知りたい。理由は言わずもがなで
しょう。中井様は知りたい理由がございますか。信頼を築くという以外に」
「強いて言うなら、身を守るためになるかしら。皆で架空の犯人を仕立てて、真犯人を
知らないままでは、いつどんなきっかけで口封じされるか、分かったものじゃないでし
ょう」
 正体を知っていれば対処のしようもあるという理屈か。なるほど、分からなくはな
い。だが、そこまで言ってしまっては、殺人犯が最早名乗るはずがない気もする。
「どうやら中井さんの案を検討しても、膠着状態に陥るだけのようだ」
 山元が発言した。やはり元警察官というのは大きい。全員、静かに聞く。
「最初の案の通り、犯人を割り出すのがよさそうだ。首尾よく特定できたときは、その
あと処遇を決めればいいんじゃないか。犯人の事情というのも聞いた上で判断を下して
も、遅くはあるまい」
 彼の一声で方針は決定した。
 捜査をするとなると、山元を除く我々は素人だが、だからといって彼だけに任せる訳
にはいかない。山元自身が犯人である可能性も考慮せねばならない。
「殺人事件に遭遇したことがあると言っていたっけ。水地さん、あんたにサポートを頼
もうかな」
 とんだことで見込まれたけれども、一人では無理だと断った。荷が重い。結局、希望
者は全員、現場である牧瀬次郎の部屋を見ることができるとなった。ただし、単独では
だめで、現場に入るときは常に三人以上か、少なくとも山元が同行するとの決まりを作
った。
 といっても、最初の現場検証は誰もが気になるのは当たり前。全員が立ち会う。な
お、不用意に指紋を残さぬよう、全員が廣見郷の用意した手袋を装着済みである。さす
がに同じ物を七人分揃えるのは無理だったようで、ラテックス製の薄手のやつと軍手と
が入り混じっている。
「最初は、俺と水地さん、廣見さんの三人で調べるとしよう。他の人は廊下に」
 山元の方針に従う。彼が急いでいるのは、死体現象の変化を気にしてのことに違いな
い。それにもう一つ、気になっている物が恐らくある。
「廣見さんに聞きたいんだが、この部屋の鍵がどこにあるのか、見当はつくかね?」
「次郎様がどこに鍵を保管していたかということですね? 身に付けておかねば不便で
すから、衣服のポケット等に入れていましたが」
「やはりそうか。済まないが廣見さん、あんたに遺体の服を調べてもらいたい」
「かまいませんが……山元様が手ずからやるというのではいけないのですか」
「そうだな。ここいらで明確にしておくとするか。警察にいた頃、こんなことを言い出
したら噴飯ものだったが、牧瀬氏殺害の現場は密室だった可能性がある」
 山元の発言に驚く者はいなかった。皆、うっすらとではあるが想像していたようだ。
「部屋の唯一の出入り口であるドアは施錠され、鍵は一本しかない。その鍵が部屋の中
にまだあるのなら、遺憾ながら密室殺人だってことになる。確認のため、鍵を探す必要
があるが、その役は客の誰かがやるより、あんたが適役だろう。主従関係がうまく行っ
ていたかどうかは知らないが、一応、動機が見当たらないのはあんただけだし、鍵が一
本しかないというあんたの話を信じざるを得ない状況だからな。無論、最初にあんたを
身体検査させてもらうが」
 山元は、古典的な密室トリックを想定しているのだろう。犯行後、鍵を使って施錠
し、今こうして密室が破られて室内に入ってから密かに鍵を戻す――この方法を封じる
ため、鍵を探す役を一人に絞り、その一人の手元等をチェックする。
「――分かりました」
 ほんの少し不機嫌そうになりつつも、廣見は応じた。どうやら「主従関係がうまく行
っていたかどうかは知らない」云々と言われたことが、引っ掛かっているようだ。
 廣見の性別が分かっているのかどうか、山元は身体検査役に女性陣の中から安島を指
名した。思った以上に念入りなボディチェックの結果、OKが出た。さらに山元が改め
て廣見の手元や袖口を調べた上で、鍵探しがスタートする。その間も山元を始め、みん
なの目があるので、廣見が何らかの細工を施すのは不可能と断言できる。
 十数分後、牧瀬次郎の遺体は鍵を身に付けていないとの結論が出た。
「密室殺人ではないということですね」
 ほっとした響きの声を漏らしたのは、しばらく大人しかった上神。それでもまだ死体
に慣れないらしく、一番遠くから眺めているだけだ。
「密室殺人だったら、トリックを解かなければならないだろうから、面倒が一つ減った
ってところか。念のため、あとでお互いの身体検査をして、鍵を持っていないか調べる
必要も出て来たかもしれん」
 山元の呟きに、安島が過敏に反応する。
「どうして? 証拠になるような鍵を、いつまでも持ってる訳ないじゃない。どこかに
捨ててあるわ、きっと」
「その可能性が高いとは思うが、いざとなったら調べざるを得ない。今の内にその予告
をしてるんだよ、お嬢さん」
 山元は余裕の笑みを覗かせた。想像するに、彼の今の台詞には、犯人がもしもまだ鍵
を身に付けているのであれば、鍵を捨てる行動を取らせようという狙いがあるのではな
いか。できればそこを押さえて犯人特定につなげたい腹だろう。
 それはともかく、お嬢さんと呼ばれて喜んだのかどうか、安島は静かになった。代わ
って中井が異を唱える。
「問題の鍵を、被害者が身に付けているとは限らないのでは? 部屋のどこかに置いて
あるかもしれない」
「もちろんだ。これから調べていくが、先に済ませておきたいのは、この……物理的に
も心理的にも目障りなこれだ」
 山元は天井のフックからぶら下がる袋を指差した。頭部が入れられている買い物袋を
どう扱うのか、私も気になっていた。現場保存の鉄則から言うとそのままにしておくべ
きだが、殺されたのが間違いなく牧瀬次郎なのかの確認も含めて、中を調べる必要があ
るのも確かだ。

――続く




#1116/1117 ●連載    *** コメント #1115 ***
★タイトル (AZA     )  18/09/15  22:09  (465)
無事ドアを開けるまでが密室です <中>   永山
★内容                                         18/09/19 13:53 修正 第2版
「中を見てみるつもりだが、不慣れな人には刺激が強烈に過ぎると思う。俺が一人で見
るのもルールからはみ出すんで、今度こそ水地さんに付き合ってもらいましょうかね」
 不気味と表現したい笑みを向けられ、私は不承々々頷いた。
「私は飽くまで、山元さんの動作を監視するだけですよ。引き受けるからには厳しくや
りますけどね。先程の中井さんの言葉を借りれば、その袋の中に鍵が入っているかもし
れません。そう見せ掛けるために、山元さんが今まさに袋に鍵を入れようとしているの
かもしれない」
「頼もしい」
 山元は両手を広げて、私の方に見せた。指の間に何かが挟まっているということはな
い。袖については、とうにまくり上げてある。
「よろしいかな」
「はい、手は。失礼ですが、口の中も見せてください」
「ふむ、なるほどな。口に含んでおいた鍵を、隙を見て袋の中に落とすって方法か。あ
とで科学捜査に掛けたら、唾液だらけでばればれだが、悪くはない」
 私の考えを見事に読み取った山元は、素直に口を大きく開いた。中には鍵はもちろん
のこと、異物は何らなかった。
「それではやるぞ」
 吊り下げられた状態のまま、袋に手を掛けた山元。縛られた袋の口を緩め、上から覗
き込む。髪の毛を掴んで、中の物体を傾けた。瞬間、息を飲む様子が伝わってきた。
「――牧瀬次郎に間違いない。それに、これは……水地さん、とりあえず見てくれ。で
きれば廣見さんにも」
 私は山元に倣って、上から袋を覗いてみた。牧瀬次郎と思しき人の顔が分かる。山元
が今問題にしているのが何か、すぐに理解した。遺体の口元に鍵が押し込んであるの
だ。
 続いて覗き込んだ廣見は絶句した。取り乱しはしないが、ショックを受けているのが
傍目にも分かる。声がもし演技だとしたら、丘野といい勝負になるのではないか。
「残念ながら、密室殺人のようだ」
 山元の判断に、私は待ったを掛ける。
「え、あ、いや、念には念を入れて、あの鍵が本当にここの鍵か否か、確かめなければ
いけないのでは」
「おお、そうだ。廣見さん、見て分かるかな? 同じ鍵かどうか」
「……難しいですね。同じ物のように見えますが」
「試すのが早い」
 外野から声が飛んだ。丘野だった。振り返ると、彼女は廊下側から壁に手をついても
たれかかり、やや疲労気味のようだ。ポーカーフェイスも実際の死体を前にして、崩れ
かけていると言ったところかもしれない。
「確かに。俺がやるしかないか」
 山元は再度、両手を裏表ともしっかり私達に見せ、それから右手をゆっくりと袋の中
に入れた。人差し指と中指とで鍵を摘まみ取ると、それを皆から見えるように掲げる感
じで持つ。血餅を含んだ体液で汚れていたため、山元は廣見にちり紙を所望した。執事
のたしなみなのか、すぐにティッシュが渡された。それを受け取ると、山元は鍵を包む
ようにして汚れを吸い取らせた。完全にきれいになった訳ではないが、後々の指紋採取
を考えると、これが精一杯だろう。用済みになったティッシュは、廣見が引き受けた。
「では」
 みんなから見える状態のまま鍵を持って、ドアまで来た。山元が廊下側に回り、鍵穴
に鍵を差し込む。スムーズに入った。次いで回す。これまた滑らかな動きで、芯棒がス
ライドするのが分かった。
「この部屋の鍵だ。古びた感じは、コピーされた合鍵って風でもないが廣見さん、どう
だろうな?」
「……次郎様が身に付けていた鍵に相違ありません」
 廣見の証言により、密室殺人であることが確定した。

「いつ死んだのかとか、どうして死んだのかといったことは、分かりそうにないんです
か?」
 何人かから希望が出て、一時休憩に入っていた。全員揃って食道にいる。それでも犯
行現場のドアには、ガムテープを何本か渡して張り巡らせ、簡単には出入りできないよ
うにしておいた。
「残念だが、正確なところは無理です」
 安島の質問に、山元が答える。
「経験から推定するのであれば、死後……長く見積もって十時間、短くて二、三時間経
っている。死因は後頭部に二箇所、大きな傷を見付けたんだが、あれが死につながった
かどうかは分からない」
「発見したときから遡って十時間というと、昨夜の九時から十時にかけてですか。その
時分なら、まだ生きている牧瀬次郎氏を見た人がいるんじゃないでしょうか」
 私はお茶が冷めるのを待ちつつ、聞いてみた。
「だったら自分かな」
 反応したのは上神。だいぶ顔色がよくなり、声も快活だ。
「夜十一時ぐらいだったと思うけれど、あの部屋に牧瀬氏を訪ねたんよ」
「一人で?」
 山元が鋭い語調で聞いた。上神は慌てたように首を左右に振った。
「いやいや、怖いな。二人でしたよ。夜遅くに行っても相手にしてもらえんかもしれな
い。だから廣見さんにつないでもらって」
 上神の目線を受け、廣見が黙って頷いた。この場では執事も着席して、お茶を飲んで
いる。
「あらら。何か具体的に証言してちょうだいよ、廣見さん」
 おどけた調子で芸人から求められ、廣見はまた頷いた。
「あれは確かに午後十一時頃でございました。正確には三分ばかり過ぎていたと記憶し
ています。上神様と一緒に次郎様の部屋の前まで行き、私がお声がけをしました。上神
様の用件を伝えたところ、『今日はもう眠い。明日だ』と返事が。普段でしたら、日付
が変わるぐらいまでは起きておられるのですが」
「結局、断られたって訳か。用件てのは?」
 山元の尋問口調に、上神は身震いのポーズをしてみせた。
「取引を持ち掛けようと考えたんですよ。私はギャンブルは好きだが、下手の横好きっ
て奴で、今日予定されていたギャンブル勝負も勝てる気がしない。で、他の芸人のネタ
を教えるから、自分は金輪際見逃してくれとね」
「何て奴だ」
 軽蔑する風に吐き捨てた山元。これにはさすがにかちんと来たのか、上神が反駁す
る。
「昨日薪割りをやってごまをすってた人に言われたくないんですがね」
「あれは屋敷の内外を調べて回ってたんだよ」
 即座に言い返す山元。それにしても調べていたとは?
「どこかに恐喝以外の悪事の証拠がないかと思ってね。色々見て回ったが、何も出て来
なかった」
「そんなことをなさっていたんですか」
 廣見が驚きを露わにした。
「ちゃんと薪の山ができていたのに、信じられません」
 薪は非常時に備えての物で、ストックはいくらあってもいいとのことだった。薪小屋
は屋敷から少々離れたところにあるため、そこでの音はほとんど届かない。秘密の隠し
場所としてはうってつけと推測してもおかしくない。
「あれは短時間で急いでやった。無理をしたせいで、斧が壊れてしまったんだ。悪いこ
とをした」
 頭を下げる山元に、廣見は「それはかまわないのですが」と受けて、続けた。
「もしも――そんなことはないのですが、もしも次郎様の他の不法行為を掴めたとし
て、あなたはどうなさるつもりだったのです?」
「具体的には考えていなかった。交渉になったとき、有利に運べるかなと思ったまで
だ」
「そういえば、斧はどうなったんですか」
 ふと気になったという体で、中井が発言した。山元も把握していない様子で、廣見へ
と顔を向けた。
「柄が折れて使い物にならなくなったので、物置に仕舞いました」
「そう。だったら、牧瀬氏の遺体を傷付けたのは、斧ではないのね」
 ああ、なるほど。そこも攻め手の一つになるかもしれない。斧以外に使える道具――
凶器が屋敷内にはあるに違いないが、その在処を知らなければ遺体の頭部を切断するな
んて手間の掛かる行為はやるまいという考え方だ。道具を探すだけで時間を食ってしま
う。
 みんなの視線が再度、廣見に注がれた。
「残念ですが、特大サイズと言っていい肉切り包丁が、厨房にございます。刃物を求め
てキッチンというのは誰もが容易に連想するでしょう」
「そうか。ともかく、その肉切り包丁の状態を見ておきたい。犯行に使われたのなら、
痕跡が見付かるかもしれん」
 休憩を切り上げ、隣接する厨房に向かう。まだ全員、気力は萎えていないらしく、重
い足取りながらもぞろぞろと付き従った。
 調べた結果、肉切り包丁は廣見の言葉を借りれば特大サイズの物が二本、仕舞ってあ
った。血痕などは見当たらなかったものの、洗われたのか水で濡れており、使われた可
能性が高い。
「廣見さんが最後にこれを使ったのはいつ?」
「四日前に、次郎様への夕食で」
「そのとき洗ってから、こんなに濡れている訳はないわね」
 といったやり取りがなされるのを聞いて、私はまた新たな疑問が浮かんできた。タイ
ミングを計って、声に出してみる。
「犯人は何のために、被害者の頭部を切断したんでしょう?」
「そりゃあ、怨みじゃない?」
 間髪入れずに安島の答。私はまだ疑問の全てを言ってなかったので、補足した。
「怨みから必要以上に相手を損壊し、頭部をさらすというのは理解できなくもない。で
も、それと密室とがそぐわないんですよね」
「つまり、首の切断イコール明らかに他殺ってことになるのに、現場が密室状態なのは
おかしい、相反すると言いたい訳だ」
 上神が一気に捲し立てた。この男、血や死体に弱いだけで、本来は頭の回転が早いよ
うだ。
「恐らく」
 山元が考え考え、述べる。
「犯人は深い意図なしに密室殺人をやったか、もしくは当初は非他殺――自殺や事故死
に見せ掛けるつもりだったのが、相手の抵抗に遭ってそれが不可能になった。やむを得
ず、他殺になってしまったんじゃないか」
「前者は議論の余地がありませんが、後者はうーん、どうでしょう? 自殺や事故死に
見せ掛けるのが不可能になったとしても、頭部を切断することはないし、密室にする必
要もない」
「……あんたの言う通りだ。分からんな」
 あっさり認めた山元は、頭をがりがりと掻いた。

 食堂に戻り、お茶の残りを平らげてから、現場での検証を再開しようかという流れが
あった。が、動き出す前に丘野が切り出した。
「私、少々疲れてきました。次の検証には立ち会えそうには……」
「一向にかまいませんよ」
「ですが、一つ、思い浮かんがことがあるので、皆さん、聞いてもらえる?」
「え? ええ、いいでしょう」
 腰を浮かせていた山元が座り直し、丘野の話を聞く姿勢になる。もちろん、私達他の
者も同じようにする。
「凄く、怖いんですが……怖いというのは、事件のことではなく、他人を犯人扱いする
ことに対してなんですが、間違っていても許してもらえます?」
「ちょっと、何を言ってるんです、丘野さん? もしや、これから推理を話そうと言う
んじゃないでしょうな」
「そのまさかです。推理と呼べるほどのものじゃなく、証拠もない、思い付きですが、
皆さんで検討してもらえれば私も安心できる気がして」
 比較的険しい顔立ちの丘野が気怠そうに言う様は、病人の訴えに似ていて、誰もが大
人しく聞く他にない空気を作り出した。
「まあ、公的な場ではないし、的外れであっても不問にしますよ。名指しされた人だっ
て、簡単に認めるとは思えませんがね」
 その通り。いくら英雄的存在であったとしても、だ。
「当然、反論は聞きます。ただ、怒って腕力に出られるのだけはなしという保障が欲し
かったので」
 やけに慎重な丘野。彼女のそんな言動を目の当たりにしていると、過去に暴力沙汰の
被害者になった経験があるのかと勘繰りたくなる。
「それでは始めますけど……思い浮かんだのは、ある人の特技です。上神さん」
 いきなり名前を挙げた丘野。呼ばれた当人は、椅子の上で飛び跳ねたようなリアクシ
ョンをした。
「ほえ、私めですか?」
 自らを指差す上神に、丘野は首をゆっくりと縦に振った。二人の間は五メートルばか
り離れている。が、間に座る者――私だ――の身にもなって欲しい。
「テレビで見た上神さんの特技、お見事でした。男性の声ならコピーするのは簡単だと
も言ってましたよね」
「あ、あれは女の人と比べて簡単というだけで。それよりも、声帯模写のテクニック
が、この殺人事件と関係あるんで?」
「昨晩十一時頃に牧瀬次郎の部屋を訪れたが、ドアは開けられることなく、訪問を拒絶
する返事があったんですよね?」
「そうですよ。廣見さんが証人だ」
「もしかして、そのときすでに牧瀬は死んでいて、聞こえてきた声は、あなたが出した
ものまねだったのでは?」
「はあ? 何を馬鹿な」
「ドア越しに聞こえてきたような感じで声を出すこと、できますでしょ? 廣見さんに
それを聞かせて、そのときはまだ牧瀬が生存していたという証言をしてもらう狙いだっ
た。違いますか」
「違うも何も、何のメリットがあって、そんなことをしなくちゃならんのよ?」
 困惑が顕著な上神。だが、芸人の彼は演技もある程度はできるだろう。額面通りには
受け取れない。
「アリバイ作りです」
「は? アリバイって、死亡推定時刻が分からないのに、アリバイ作りをする意味がな
いですよ。分かってますか、丘野さん?」
「そこは目算が狂ったんだと。本当なら遺体が見つかったあと、すぐさま街まで下りて
いくはずだった。そうしていたらなら、警察が来て死亡推定時刻が出たでしょう。とこ
ろが現実はおかしな方向に話が進んで、今に至っている。アリバイ作りをしたのに効果
を発揮する状況が失われた。違いますでしょうか」
「ちょっと待った。警察に早く駆け込みたいのなら、犯人が電話のコードをいじる訳な
いじゃありませんかね」
「そこが巧妙なところです。あまり早く警察が来て検死されると、死亡推定時刻が正確
に、短い間隔で出されてしまう。昨日の午後十一時よりも前と出たらぶち壊し。それを
避けるために、電話を使えなくして、歩いて知らせに行くしかない状況を作り上げた。
こうすれば、警察への通報も遅れて、死亡推定時刻の誤差も広がるはず」
「想像力が豊かすぎるよ、あんた」
 かぶりを振った上神。突然のことに、有効な反論を思い付けないでいるように見え
た。
「なかなかユニークだが、その説には無理があるな、丘野さん」
 山元が潮時と見たのか、割って入った。
「どこがですか」
「通報を遅らすことで、死亡推定時刻がたとえば午後十時からの三時間と出たと仮定し
ますよ。そこへ廣見さんと上神さんが『午後十一時までは被害者は生きていた』と証言
することで、死亡推定時刻がまあ、午後十一時半から日付変わって午前一時までにしぼ
られたとしましょうか。ではこの時間帯に、上神さんに明確なアリバイが果たしてあっ
たかどうか」
「それは……男の人同士で何か話し込んでいたとか、あるんじゃ?」
「自分にはない。宛がわれた部屋に一人で籠もっていたからな。水地さんは?」
「私も部屋で一人でした」
 念には念を入れて、丘野以外の女性陣にも同じ質問がされたが、上神のアリバイを証
言する・できる者はいなかった。
「最後に上神さん自身にも聞こうか。アリバイを主張するかね?」
「言えるのは、部屋に一人でいたってことだけでさあ」
 主張すべき確実なアリバイのないことが、丘野の推理を否定する結果になった。
「どうだろう、丘野さん」
 山元に言われた丘野は、立ち上がって上神に頭を深く下げた。
「すみません。思い付きで物を言って、間違っていました」
「かまいやしません。ただ、一つだけ嫌味を言わせてもらいますと、こっちに向けてき
たさっきの推理、丘野さん自身にも当てはまるんじゃないかなと思うのですが、いかが
ですかね」
 鷹揚に許していた上神は、台詞の最後に来てにやっと笑った。彼の言葉の意味を丘野
が咀嚼するのは案外早かった。
「それは、私が俳優だから、声の真似もできるのでは?という意味ですか」
「ええ、ええ。ただ、さっきの説では私が廣見さんを証人にドアの外で牧瀬氏の声を出
したことになってましたが、あなたがやるとしたら室内にいたことになるかな。あなた
が牧瀬氏を彼の部屋で殺したちょうどそのタイミングで、この芸人と廣見さんとが連れ
立ってやって来た。呼び掛けられて焦ったあなたは、咄嗟にものまねで対応した。ドア
越しの声なんてはっきり聞き取れやしないし、低めて言えば女性だって男っぽい声にな
る。喋った量もたいしたことなかったし。とまあ、こう考えれば、あなたが犯人だとい
う可能性がクロースアップされる訳ですよ、わはは」
 当然ジョークで言っているのだろうが、なかなかきつい言い種ではある。現在の丘野
にとって、甘んじて受けるしかないだろう。が、真相とは関係なさそうなところで波風
を立てられるのは好ましくない。
「まあまあ、最初にも山元さんが言ったように、間違えても不問でしょ。丘野さんは素
人なんだから、仕方ないわよねえ。上神さんもさすが芸人よね。ブラックジョークまで
得意だとは知らなかったわ」
 安島が取りなす。明るい話しぶりが、重苦しくなった空気をやや回復させた。ところ
が。
「ついでだから、他に疑いを抱いてる人がいれば、今聞いておくというのはどうです
か」
 中井が言った。折角収まり掛けているというのに、燃料を投下することにつながりか
ねない。
「でしたら私が」
 意外にも、挙手したのは廣見だった。
「誰が犯人かなどと申すつもりはございません。密室についてあることが引っ掛かって
いたと言いますか閃いたので、聞いてもらいたいと思った次第です」
 他の者に容疑を掛けるというのでないなら、まあいいか。山元が無言で頷いたのを合
図に、廣見が話を始める。
「皆様ご承知と思います、次郎様が亡くなられているのを発見したとき、私も居合わせ
ました。その際の記憶を手繰りまするに、一つの光景が焼き付けられたみたいに印象に
残っています。それはドアが開けられた瞬間、ゆらゆらと小さくではありますが揺らめ
いている買い物袋の様子です。最初、私はドアを開けた勢いで風が起き、袋が揺れたの
だと思っていました。無意識に、疑いもなく受け入れていたと言えましょうか。でも、
少し考えてみて、違和感を覚えたのです。人の頭部は恐らくスイカの大玉くらいの重さ
は充分にあると思います。そのような重さの物を入れた袋が、ドアの起こした風くらい
で揺らめくでしょうか。とても信じられません」
 明快な疑問の提示に、ほとんどの者が言われてみればそうだという風に首肯してい
る。私は山元の反応に注目した。
「なるほどなあ。今言ったようなことを、俺も記憶している。確かに不自然だ。して、
それに対する結論は? 密室とどうつながるんだ?」
 早く知りたいとばかりに、身を乗り出していた。警察官は密室のようないかにもトリ
ックめいた謎が苦手だということだろうか。
「うまく説明できるかどうか分かりませんが、こう考えました。次郎様の部屋に限ら
ず、この屋敷の居室のドアは全て、外からは鍵によりロックされますが、内からはつま
みを倒すことでなります。次郎様を亡き者にした犯人は、外に居ながらにして内側のつ
まみを倒すことで施錠したのではないかと」
「もっと具体的に」
「犯人は次郎様の頭部を切断して、部屋の鍵と共に袋に入れて吊したあと、あの垂れ下
がったビニール紐を持って、廊下に出ます。続いて、ドアをなるべく閉めた状態にして
から、ノブ上のつまみにビニール紐を絡ませるのです。それからドアを思い切り強く閉
めれば、勢いでつまみは倒れるのではないでしょうか」
「……実験してみないと何とも言えないが……」
 どう評価しようか、迷っている様子の山元。
「俺がドアを開けたときも、まだ揺れが残っていたってことは、犯行から時間がほとん
ど経っていなかったってことになるのかな?」
「そうかもしれませんし、違うかもしれません」
「どっちなんだ」
「可能性について私見を述べるとしたら、犯行後間もなかったという可能性の方が低い
と推量します。よりあり得そうなのは、ビニール紐がつまみを倒したあとも完全にはほ
どけず、つまみに絡まったままだった可能性ではないかと」
「開けたときはほどけていたが……ああ、そうか。俺がドアを思い切り殴ったからか」
 山元が手のひらを叩いた。
「ドアを激しく殴った衝撃で、ビニール紐がつまみからほどけ、揺れ始めた。てことは
揺れも最初は強かったはずだが、死体に気を取られていたせいか、あるいは角度の問題
か、ドアにできた穴から見る分には気が付かなかったな」
 私もあの瞬間を思い出そうと努めてみた。買い物袋の揺れは……、判然としない。反
面、無理に思い起こしても、偽りの記憶に置き換わる恐れがある。やめておく。
「仮に密室トリックが当たりだとしても、犯人の特定や絞り込みにつながらない。とな
ると、やれるのは実際に試すことだが」
 席を立っていた山元は廣見に身体を向けた。
「本当の遺体を使う訳には行かない。できれば場所も違う部屋にして、同じ状況を再現
したいのだが」
「お任せください。どうとでなります。次郎様を殺めた犯人を突き止めるためなら、力
を尽くしましょう」
 胸を叩いて請け負うポーズをした廣見。これだけ見ると力強い男性そのものだ。それ
だけ意気込みもまた強いという証かもしれない。

 だが、そんな意気込みとは裏腹に、実験は失敗に終わった。
 同じサイズの部屋で、天井の同じ位置にフックを新たに取り付け、屋内の物置から虎
ロープとビニール紐を調達し、それらと石を詰めた買い物袋とで仕掛けを作り、実験に
臨んだのだが、ビニール紐はつまみから外れなかった。ドアとつまみの接合部に隙間が
あるため、そこに紐を絡めたら取れない。かといってつまみの部分のみに紐を絡めてや
ると、摩擦が足りないらしく、つまみを倒せないまま、紐が離れてしまう。
 万が一、山元の拳を超えるパワーが衝撃がドアに与えられ、何らかの偶然でつまみが
倒れた上で紐が外れたとしよう。すると今度は、振り子と化す買い物袋の動きが想像以
上に激しく揺れる。私や山元ら第一発見者全員がその動きに注意が向くに違いない。な
のに実際は、さほど気に留めていない。これらの実験結果から推して、廣見の考えたト
リックでは密室を作れないと言えよう。
「振り出しに戻る、ですか」
 落胆する廣見を山元が元気づける。
「振り出しよりは進展している。少なくとも、密室トリックはこの方法ではないと分か
った」
 実験とその準備に手間が掛かったおかげで、時間がだいぶ潰れた。遅い昼食を摂った
あと、また現場検証に取り掛かる算段になった。
 ただ、牧瀬殺しの犯人を特定する以上に、自身の脅迫の材料を見付けたいという方に
気持ちが傾く者も現れていた。中井、丘野、安島の女性達だ。
「早めに探し始めないと、警察が来るまでに見付けられないかもしれない。隠し場所と
して一番可能性が高いのは、あの部屋でしょう?」
「気持ちは分かるが、だからといって、殺しの現場を荒らすのは困る」
 山元が至極真っ当な主張をし、彼女らの希望を退ける。妥協案として、他の場所を探
すのは自由、ただし廣見の同行が義務づけられることになった。また、自分以外の恐喝
ネタを発見したときは、速やかに知らせることも決められた。
「という訳で、上神さん。苦手かもしれんが、一緒に動いてもらいましょうか」
「しょうがないなぁ」
 山元と私だけで捜査する訳にも行かず、上神が引っ張り出される格好になった。互い
に監視し合うぐらいの方が、不正を防ぐ意味でいいだろう。
「でも、何から手を着けるんです? 遺体と怖い演出と密室それぞれは一応、見たこと
になる訳で」
「家捜しだな。彼女らに申し訳ない気もするが、殺人に直接関係する何かが出て来るか
もしれん」
 山元は不器用なウィンクをした。
「無論、恐喝の材料らしき物が見付かったら、選り分けて保管しておく」
「脅迫のネタそのものが、殺しに直に関係していたら厄介ですね」
 何気なく言ったのだが、上神が食いついてきた。
「へ? 脅迫のネタが殺しに直にって、どういう状況よ?」
「たとえば、脅迫のネタが何らかの犯罪の凶器で、その凶器を使って牧瀬次郎氏が殺さ
れた、とか」
「あー、そういう。写真や手紙しか頭になかったわ〜。もしそれがあるとしたら、招待
客の中に、そもそも犯罪者がいる訳だ」
 上神はそう言うと、山元の方を振り向いた。
「殺人犯とは別に、元から犯罪者ってのがいたら、それでもかばいます?」
「最初の取り決めは守らねばならんだろう。脅迫の材料は各自で処分、あとは関知しな
い」
「脅迫の材料が見付からなかった場合は?」
「割としつこいな、あんたも。そのときそのときだ。警察に任せるしかない。見付から
なければ、どうしようもないだろう」
「ははあ、そりゃそうですね。ただ、ちょっと危惧してるんですよ。脅迫の材料を見付
け出せなかった人の暴走を」
「暴走というと?」
 山元がおうむ返しする間に、私には察しが付いた。というよりも、私自身も頭の片隅
で考えないでもなかったことだから分かった。
「屋敷ごと処分しよう、言い換えると燃やしてしまおうと考える人が出るかもしれな
い。そういうことですね」
「ご明察。物書きよりも探偵か刑事が向いているんじゃないかな、水地さん」
 形だけの拍手をする上神。山元の方は「そういう場合もあり得るか」と、苦々しい表
情になっていた。
「それにしてもおかしな。何にも出て来ないし、厳重に鍵を掛けた抽斗や金庫なんかも
見当たらない」
 上神はぬけぬけと言った。やはり、現場検証にかこつけて、脅迫のネタを見つけ出そ
うとしているようだ。
「他に考えられるとしたら、隠し扉かな。書棚の奥にもう一段、棚があるとか」
「もっと古典的に、分厚い本の中身をくりぬいた空間に隠してあるのかもしれない」
 私も調子を合わせて意見を交換する。山元だけは黙々と……探しているのは殺しの証
拠なのか、脅迫ネタなのか傍目からは判断のしようがない。
 私はまだほとんど手付かずの机回りを調べてみることにした。机で調べてあるのは四
段ある抽斗くらいだ。牧瀬は座ったまま首を斬られたのか、椅子とその前方は血に染ま
っており、ここを調べると確実に痕跡が残ってしまう。警察の捜査が入ったあとのこと
を思うと、迂闊に手出ししづらい。必然的に、血の飛んでいない部分に限られる。
 机の左前方に置かれた電気スタンドに手を伸ばした。ガラスのシェードは青と緑の色
が部分的に入ったアンティーク調で、品がよい。恐喝者のイメージにはそぐわない。そ
んなことを感じながら、スタンドをひっくり返して内側を覗く。すると、あった。
「山元さん、上神さん。来てください」
 すぐに二人を呼ぶ。シェードの裏に折り畳んだ深緑色の何かが貼り付けてある。色ガ
ラスのところなので、外からは見えなかった。
「おお、ようやく一つ発見かな?」
 手で鼻と口元を覆った上神がくぐもった声で言った。彼のためにという訳でもない
が、スタンドのコードをコンセントから外し、遺体から遠ざかると、改めて検分する。
「見付けた人の手柄だ。剥がしてみてくれるか」
 山元に促されて、私は手を伸ばした。セロテープで留めてあるだけなのだが、しっか
りと押さえつけてあるみたいで、手袋をした状態ではなかなか端を捉えなかった。素手
でやるのもまずいので、苦心してようやく剥がせた。
「これ、元は白い紙ですね。折り畳んだあと、濃い緑色をペンか何かで着けたんだ」
 観察すると共に、慎重に開いていく。誰の秘密が明かされるのか。興味はないが、恐
らくは恐喝のネタなんだろうと思っていた。
 しかし、予想は外れた。都合四回折られていたその紙には、ボールペンで書いたと思
しき直筆の文字が踊っていた。細かい字で、ぱっと見ただけでは内容は分からない。た
だ、文章の末尾にあるサインだけは大きな文字で、嫌でも読めた。そこには牧瀬次郎と
記されていた。
 牧瀬の筆跡を知らないが、これは牧瀬が書いた物? だったら、恐喝のネタではない
可能性が高い――そんな風に順序立てて思考を巡らせる暇もなく、私は目を凝らし、細
かい文字を追った。
<これを発見したのは誰かな。警察の人間か。私が死んでから何日が経過した? すで
に見抜かれているか、それともまだだませているか。お招きした方々は今、きびしい取
り調べにあっているか? 私に脅迫されていたという殺人の動機を背負わされて、さぞ
かし追い詰められているに違いない。
 だが、それもここまで。福音を記すとしよう。
 私は明言する。私は殺されたのではない。自ら死を選んだのである。調べればじきに
分かることだが、私は癌に冒されている。治ゆの見込みはない。今までの行いの報いが
来たと言えばそれまでだが、天罰を食らったまま旅立つのはいかにも悔しい。そこで私
は悪戯を思い付いた。私に怨みがあろう、殺意を抱いてもおかしくない面々を呼び集め
て、一夜明けると私が死体になっている。肉切り包丁で喉を掻ききられており、いかに
も殺されたように見えるはずだ。招待客らは慌てふためき、疑心暗鬼に陥りもしよう。
やがて警察の捜査が入り、犯人扱いされて震え上がるに違いない。私の理想では、誰か
が懲役刑を受けた頃合いでこのメッセージが見付かる流れが楽しくていいが、そこまで
は望むまい。何にしろ、滅多にできない経験を楽しんでくれたまえ。
 もう一つ、大事なことを書き忘れるところだった。君達招待客にとって最も心配なあ
れ、脅しのネタについてだが、既に処分を済ませた。君達を悩ませたブツは、この世か
ら消えた。処分した証拠はない。信じるかどうかは各人に任せるとする。
 そろそろ終わりが来た。警察諸氏が哀れな羊たちに健全な処遇をもたらさんことを!
                             牧 瀬 次 郎 >
 読み終えてしばらくの間、言葉が出なかった。他の二人も同様だった。
「……自殺だと? ふざけやがって」
 上神が最初に口を開いた。荒っぽい口ぶりそのままに、床を殴りつけた。
 山元はすっくと立ち上がると、机まで戻って、手紙を見付けてきた。その中身の便箋
と、最期のメッセージとを見比べる。
「間違いないな。牧瀬の字だ」
 忌々しげに呟き、額に手を当てた。私も頭が痛い気がした。
「牧瀬の死の真相が自殺であるなら、犯人探しは無意味になる。それに、脅迫の材料が
処分済みというのも事実であるなら、これで現状では最良の形で丸く収まるな」
 山元は気を取り直すように言った。
「まあ、悪いニュースじゃない。皆に知らせて喜んでもらうとするか」
 でも、私がそう簡単には喜べなかった。出て行こうとする山元と上神を呼び止める。
「待ってください。実際の事件現場との齟齬はどう解釈するんですか」
「齟齬?」
「全然おかしいじゃないですか。肉切り包丁で自殺したのなら、凶器はこの部屋に落ち
ていないといけない。首が切断されているのも変だ。まさか消えるギロチンが存在した
訳ないでしょう。袋に頭部を入れて吊すのだって、自殺したあとには無理。さらに、
我々に殺人の嫌疑を掛けさせたいのであれば、何で部屋を密室にしたんでしょう? 開
け放しておくべきだ」
 疑問の数々で溢れかえる。とてもじゃないが、牧瀬次郎のメッセージをそのまま信じ
ることはできない。
「分かった。水地さんの疑問は尤もだ」
 山元は私に正対した。
「恐らく、廣見郷が事後の細工をしたんだろうな。あいつが牧瀬の計画を事前に全て知
っていたかどうかは分からんが、死んだあとに色々手を加えたに違いない」
「牧瀬次郎に忠実な廣見さんが、勝手なことをしますかね」
「分からんぞ。案外、牧瀬の最後の願いを尊重しつつ、我々を助ける意味で現場を密室
にしたのかもしれない。密かにもう一本、合鍵があえば簡単なことだ」
「……いや、その解釈ではだめでしょう。やっぱり、頭部の切断だけはあり得ない。廣
見さんがやるとは考えられません」
 私が強く唱えても、山元はまだ頑張りそうだったが、上神がこちらの味方に回ってく
れた。
「廣見さんがやったとして、密室作りは招待客を助けるためという理由がある。けれど
も、首を切り落とすっていう行為には、意味が見出せない。こりゃあ、水地さんの勝ち
だ」
「……分かった。だがしかし、廣見でないのなら、誰が何のために、自殺を複雑な殺し
に見せ掛ける必要があるんだ」
「動機というか理由は分かりませんが」
 私は、少し前に廣見が言っていた密室トリックを思い起こしていた。あれをちょっと
変えてやれば、ただ一人、この部屋を密室にできたことになりはしないか。

――続く




#1117/1117 ●連載    *** コメント #1116 ***
★タイトル (AZA     )  18/09/16  20:59  (105)
無事ドアを開けるまでが密室です <下>   永山
★内容                                         18/09/19 13:54 修正 第2版
 私は脳裏に浮かんだ人物に目を向け、焦点を合わせた。
「山元さん、あなたがやったんじゃありませんか」

 〜 〜 〜

 相手が無言を保ったまま、およそ一分が過ぎたので、私は続けた。
「あなたは牧瀬次郎の自死を確認すると、部屋を出て、鍵を使って施錠した。そして
朝、ドアを破る際に鍵を室内に戻したんじゃないですか」
 山元はまだ何も言わない。上神が彼のそばから離れた。
「たった今思い付いたばかりなので、うまく説明できる自信はありませんが、基本は、
ドアに拵えた穴ですよね。あなたが拳でできた穴だ。そこから腕を突っ込んだとき、鍵
を戻すチャンスが生まれる。ああ、手に鍵を握ると怪しまれる恐れがあるので、ハンカ
チを巻いたんでしょう。ハンカチの下に鍵を隠していたんじゃないかと思う」
 私の推測語りに、上神が質問を挟んできた。
「鍵を戻すって言っても、フックから吊された買い物袋には届かないんと違うか」
「廣見さんが言っていたことを思い出してください。あの袋はビニール紐をノブの辺り
に結ぶことで、ドアのすぐ近くで固定されていたんでしょう。穴から腕を入れた山元さ
んは、内側のつまみを倒すのに手間取るふりをして、袋の中に鍵を落とし込み、ビニー
ル紐を解いて、徐々に緩めていき、できる限り穏やかに買い物袋をフックの下へと戻し
た。さすがに限度があって、私達が部屋に飛び込んだときも、袋は多少揺れていた」
「はあ、なるほど。理屈はつながってる」
 感心してくれた上神が、山元をまじまじと見返した。
「で、ほんとにやったんですか?」
「やった」
 意外なほど簡単に認めた山元。どことなく、表情がすっきりしたように見える。
「理由を聞かせてもらえますか」
 静かに尋ねると、静かな返事があった。
「あいつが、牧瀬が今さら改心して自殺で逃げるのが許せなかった」
「えっ、牧瀬の死が自殺とまで知っていたんですか?」
「ああ、偶然だがな。昨日の深夜、いや、日付は今日になっていたかもしれないが、と
にかく深夜だ。俺は脅迫されている人達をギャンブルで争わせようとするやり口がどう
にも我慢ならず、牧瀬にひとこと言ってやろうとこの部屋に向かった。その途中、台所
の方から肉切り包丁を片手に戻る牧瀬を目撃した。その鬼気迫る様子に思わず隠れた
よ。だが、俺達を皆殺しにするという雰囲気ではなかった。何かおかしいと感じ、あい
つをつけた。自分の部屋に戻った牧瀬は、ドアを半端に開け放した状態で、奥の椅子に
座ると、一度電気スタンドを灯し、笠の中を覗いてからまた消した。今思えばあれは隠
した紙片の具合を再確認していたんだな。そのあとすぐに、牧瀬は肉切り包丁で首を掻
ききろうとした」
「『とした』?」
 引っ掛かる物言いだ。山元は分かってるという風に頷いた。
「奴がざっくりやっちまう前に、俺は部屋に転がり込んで止めに入ったんだ。正義心と
か命を大切にってことじゃない。こんな形で死なれてたまたるかって気持ちだけだっ
た。それでもすこしおそかった。すでに刃が牧瀬の首に当たって、血が流れ出してい
た。暗がりの中、止めに入ったのが俺だと気付いたのか、牧瀬は言ったよ。『死ぬつも
りだったが、あんたに殺されるのも悪くないな。みんな苦しめばいい』と。その刹那、
俺は寒気でぞわっとして、つい、手の力が緩んだ。そのせいなのか、刃は牧瀬の首に深
く食い込み、一気に血が噴き出した」
 山元は一息つくと、己の両手を見た。そしてまた顔を起こし、話を再開する。
「奴は死んだ。俺は全員に事態を知らせようとした。だが、足が止まったんだ。このま
ま事実を伝えても、脅迫されていたことは明るみに出る可能性が大きい。諸悪の根源で
ある牧瀬は死んで逃げたが、秘密が暴露されることで招待客の中には針のむしろに座ら
される者がいるかもしれない。一方で、恐喝者が最後は行いを悔いて自殺しました、で
終わらせたくはなかった。こんな輩は無惨に殺されるのがふさわしい。死んだあとでも
その肉体を傷付けてやりたいほどだ。しかしそんな真似をすれば、状況は他殺に傾き、
俺達自身が危険な立場に立たされる。そんなとき、閃いたのさ、密室トリックを。昼
間、あちこちを嗅ぎ回って、使えそうな道具を色々と目にしていたせいかもしれない。
斧を壊れてしまったことも、俺がドアを力尽くで破る自然な理由付けになる。もうやる
しかないと思った。恐喝者の牧瀬次郎を、自殺ではなく明らかな他殺体に仕立てると同
時に、現場を密室にすることで簡単には我々が犯人と疑われぬようにする。その上、あ
いつの頭を切断して晒せるのだからな」
「……」
 私も上神も息を飲んで聞いていた。
「脅迫の材料に関しては、実はどうにでもなると踏んでいた。本当の最終手段だが、い
ざとなれば俺はかつての上司で、今やお偉いさんになった刑事の弱みを握っている。そ
いつをつつけば牧瀬次郎の持っている脅迫のネタ全てを内々に処理してくれるはずだ。
恐喝者に対抗する策が、脅しだなんて洒落にならんがな」
「もしかして山元さん、あなたが牧瀬次郎から脅されていたネタっていうのは、上司の
ミスか何かを被ったことなのでは……」
 私はふと聞いてしまった。聞いてから、詮無きことだとちょっと悔やんだ。
 相手は曖昧に笑って、「まあ、いいじゃないか」とだけ言った。
 このあと、山元はより詳細な犯行過程を語ったが、それらは第三者の想像し得る範囲
を大きく越えるものではなかった。強いて付け足すとすると、山元がその巨漢の割に迅
速に立ち回ったことぐらいか。
「鍵が……合鍵があったらどうしていたんです?」
「そのときはそのときだ。廣見さんに一時的に疑いが向くだろうが、動機の面で大丈夫
だと判断した。正直言って、牧瀬に従うような人間にはお灸を据えてやりたいと考えな
いでもなかったしな」
「もしも屋敷の中に電話が他にも設置されていたら、警察をすぐに呼ばれていたはずで
すが……」
「ああ、電話の数は確かに分からなかったからな。念のため、大元にちょっと細工をし
ておいた。断線程度だから専門家でなくても直せなくはないが、時間を稼げればよかっ
たんだ」
「返り血は?」
「牧瀬の首から血が噴き出したときは距離を取っていたせいもあって、ほとんど浴びて
なかったが、念のために着替えた。泊まりになることは分かっていたからな。それより
も、切断するときに手がぬるぬるになって、参った。台所から洗剤を拝借して、外で洗
い落としたよ。薪小屋の近くに水道があるんだ」
「買い物袋の口、縛ってあったはずですけど、手探りで鍵を押し込めたんですか」
「ちょいとしたごまかしがある。買い物袋の特定の箇所に小さな切れ目を作っておい
た。そこから入れたんだ。単純だろ」
「最後に……斧を壊したのは、わざとじゃありませんよね」
「もちろんだとも。どうしてそんなことを聞く?」
 私は対する答と共にもやもやを飲み込んだ。この元警察関係者は、最初から密室トリ
ックを駆使して牧瀬次郎を殺す計画を立てていたんじゃないだろうか。そんなことを思
ったのだ。斧の件だけじゃない。ドアの穴から片手を入れて、見えないまま細々とした
作業がスムーズに行えるものなのか。予め練習していたのではないのか……。
 今となってはどうでもよいことなのかもしれない。恐らく、牧瀬のメッセージは本物
だ。少なくとも牧瀬が癌を患っていたのが事実かどうかは、調べれば簡単に白黒はっき
りする。山元がすぐにばれる嘘をつくとは思えない。
 何はともあれ、残された当面の問題は二つだけになった。
 山元修の処遇をどうするか。そして、事の真相を廣見郷に伝えるべきかどうか。
 街に向かうと決めた時刻までまだ少しある。議論を尽くさねばならない。もちろん、
電話線を直せる可能性があることは伏せて。

――終わり




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