AWC ●連載



#1102/1112 ●連載    *** コメント #1101 ***
★タイトル (AZA     )  18/02/15  21:37  (498)
百の凶器 7   永山
★内容                                         18/04/10 19:44 修正 第4版
「だから最初に断ったろ。事件解明に関係するかどうか分からないって」
「最初から関係ない、でよかったんじゃあ……」
「いやいや、決め付けるのはよくないな、スイリスト。何が手掛かりになるか分からな
いぜ。それに、蝋の痕跡を辿れば今まで見えなかった人間関係が浮かび上がるかもしれ
ないってのを意識するのは、事件解決に大きな武器になるはず」
「そうだね」
 前向きな見方をする真瀬に、柿原もよい影響を受けた。
「僕も改めて注意して、地面の蝋を見るとするよ。本を借りても読む暇はなさそう」
「あっ、そうだ」
 柿原が付け足しに言った言葉で、真瀬は自身が持ってきた古本を思い出したらしかっ
た。
「まだ全然読めてない。集中して読みたいのに、今の状況じゃまず無理だろうからっ
て、つい遠ざけてしまって。先に読むか?」
「僕も難しいと思うけど……ここから帰って改めて借りたとき、早めに返せるようにち
ょっとでも読んでおこうか?」
 話を合わせた柿原に対し、真瀬は大真面目に「そうしてもらおうかな。手元にあると
落ち着かなくてさ」と応じた。そこで、蝋の痕跡を探しがてら、真瀬のコテージに向か
うことにした。
「あんまり、落ちてないね。メインハウスから向かう分がほとんど」
 8番コテージに向かう道中、柿原は徐々に暗くなるのを気にしながらも、目を皿のよ
うにして蝋の痕跡を探した。真瀬が残したものを探すことと同等なので、当人に言った
のだ。
「元々、トイレが近い方じゃないからな。それに、昼間、蝋を見付けたら何となく蹴っ
飛ばしたことがあったから、その分、残ってないんだろ」
「通った覚えがないのに蝋が落ちてる、なんてことはない?」
「覚えてない。柿原は覚えてるってか?」
「うーん、無理だね。けど、好きな人のコテージまで往復するルートなら、必死に努力
すれば何とかなるかも」
「こいつ」
 柿原の方を小突くと、大げさなため息を吐いた真瀬。
「言っておくが、あれはまだ十時になってなくて、外灯は点いていた。完全な闇じゃな
かったんだからな。メインハウスに近いとこは明かりが届くから、普通に歩ける。枝道
だけ覚えりゃいい」
「ふーん」
「だいたい、計画的に前もって覚えたんじゃない。マッチの数が心許なかったから、帰
りは真っ暗になるかもと思って、行きしなに頭に叩き込んだんだ」
「へいへい、分かりました」
 話す内に到着。鍵で解錠し、ドアを開け、それでもなお警戒する風に中をしばし観察
してから、真瀬は靴を脱いで上がった。柿原が続き、後ろ手にドアを閉めようとする
と、「ちゃんと見ながら、鍵掛けないとだめじゃん」と、引き返して来て真瀬自らロッ
クした。
「すぐ出て行くつもりなんだけど」
「油断大敵と言うぜ。二人で枕を並べて討ち死には御免被る」
「その言い方だと、一人ならかまわないみたいに聞こえるよ」
「それはまずいな」
 冗談ぽく応じた真瀬だったが、柿原がさらに「僕なんかの心配するくらいなら、関さ
んを心配しなよ」と言うと、再び表情が引き締まった。
「えらいことが起きてしまった割に、何となくいい感じになってはいる。そこは認める
が、まさか同じコテージに入って、ボディガードみたいに張り付いてる訳にはいかな
い。なるべく他の女子と一緒にいて欲しい、これぐらいだな、言えるのは」
 犯人が男性とは限らないが、柿原は強いてそれを指摘するつもりはなかった。真瀬だ
って、承知の上で言っているに違いないから。
「俺に関さんのことを言うのなら、柿原はさぞかし素晴らしい対策を施しているんだろ
うねえ、湯沢さんを守るために」
 柿原に背を向け、リュックをがさごそやりながら、真瀬は言った。彼の表情が簡単に
思い描けたが、柿原はすぐに脳裏から追い出した。自分自身、ついさっき同じような顔
をしていたかもしれない。
「素晴らしい対策なんてものがあれば、こっちが教えて欲しい。犯人が狙うとは思えな
いけれども、絶対はない。不運にも巻き込まれることだって、ないとは言えないから
ね。犯行を目撃してしまうとか」
「……ま、そういうのは俺達にだって降りかかってくるかもしれない。できる限り、気
を付けるしかない」
 振り返った真瀬は、左手に本を持っていた。一日目にはなかったブックカバーを着け
てあった。
「これ、別に殊更丁寧に扱おうなんてしなくていいから。でも、血だけは勘弁な」
「そう言われるとかえって気にする。ていうか、ブックカバーありだと、いやでも気に
なるよ」
「値札のシール、きれいに剥がせそうにないんで、隠すためにカバーをしたんだ。書店
でのもらい物だけど、なかなか重宝してる」
 受け取った柿原は、その感触からカバーが紙製であると気付いた。黒地に白で幾何学
的な線の模様を誂えた、シンプルなデザインがよい感じである。
「念のため言っておく。もし読み終えたとしても、ネタばらしすんなよ」
「当たり前。ストーリー展開すらほとんど言うつもりないから」
 でもまあ、どんなに面白かったとしても読了は無理だろうなあ。心理的にも時間的に
も。そう思いながら、本を胸の前でしっかりと抱いた柿原。
「あー、あと又貸しはややこしくなる恐れがあるから、なしってことで」
「了解。それじゃ、気分転換を兼ねて、早速読んでみようかな」
 まだ陽の光がある内に、少し手を着けておきたい。そんな考えから、8番コテージを
早々にあとにすることにした。
 自分のコテージに戻った柿原は、一旦部屋の中央付近まで来て、本を置いてから、真
瀬の言葉を思い出し、鍵を掛けにドアのところへ戻った。それからベッドのそばまで行
き、床に足を延ばす格好で腰を下ろすと、ベッドを背もたれ代わりにした。自分の本な
ら、ベッドで寝転がって読むこともあるが、借りた物となるとちょっとできない。それ
に今は右手の怪我のこともある。傷口は塞がったようだが、まだまだ完治には程遠い。
薄手の手ぬぐいを上からくるくると軽く巻いて、万が一にも本を汚さぬように対策を施
した。
 しばらく読み進め、物語に没入しかけたが、じきに夕焼けの光が心許なくなった。ロ
ウソクに火を灯して読み続けるか、それとも一旦、巻を置くか。印象的な髪の依頼人が
探偵を訪ねた場面に差し掛かったところで、続きが気になったが、ひとまず灯りの準備
をすると決めた。読書を続行するか否かにかかわらず、コテージで過ごすつもりなら灯
りは必要だ。
(昨日まではまだ、明かりのあるメインハウスである程度時間を潰せていたのに)
 小津の遺体から足が切断されるという事件が発生して以降、風向きが徐々に、しかし
完全に変わった。コテージに籠もる人が、昨日の同じ時間帯に比べると増えたように思
う。尤も、このあとコテージを出て、メインハウス付近に足を運ぶ人もいるかもしれな
いが。
(ミステリだと、連続殺人が起きた場合、残り全員が一所にいれば安全だという考え
は、却下されることがほとんどだけど。実際問題、みんな集まってる方が安全な気がす
る。真っ暗闇だと安全度は下がるだろうけど、それでも個別にいるよりは……って、連
続殺人が起きてる訳じゃなのに、何言ってるんだ僕は)
 そんなことが頭をよぎったせいで、読書の気分ではなくなってしまった。結局、ロウ
ソクには火を灯さずに、少し考え、パソコンを起動させた。画面の放つ光で、コテージ
内がぼんやり明るくなる。
(バッテリーはあと六時間ぐらいある。実際はもう少し早くなくなるかもしれないけれ
ど、今まさに緊急事態なんだから、使おう)
 ネットにつながらないならあんまり意味がないけど……と思いつつ、ワープロを始め
た。何を書くと決めていた訳ではなく、しばらくは難読漢字の変換を無為に重ねた。や
がて、思考はやはり事件に向く。後でしようと思ってまだしていないことがなかった
か、書き出してみた。
(乾電池は調べた。ドライバーは、メインハウスにあったんだから、車の分までわざわ
ざ調べなくてもいい。刃物類がまだだったけど、実際に斧が使われたのは確定と見なせ
るから、もう調べる必要はないだろう。それから……ああ、部長と橋部先輩の会話に登
場した『あれ』に関しては、まだだった。聞きづらくはあるけど、動機絡みかもしれな
いから、聞かなくちゃな。あと、最大の捜し物は、小津部長の右足。見付けたいけど、
犯人が持ち去ったと仮定しするにしたって、まさか身近に置いているとは思えない。多
分、どこか離れた場所に遺棄するか、隠すかしてる。焼き鳥の缶を僕のコテージ近くに
捨てたのが犯人だとすると、同じように近くに捨てる可能性もゼロじゃないけど……犯
人が殺害方法の隠蔽目的で足を切断し、持ち去ったのであれば、少なくとも腐敗が進む
までは発見されないようにしたいはずだし。となると、池に沈めるか、土に埋めるか、
だよね。池を浚うのは無理でも、土の方は調べる余地はあるかな? 一夜にしてやって
のけたとすれば、土の柔らかいところを選ぶと思うし)
 メモを書き上げると、手が空いた。また少し考え、画面の明かりで本が読めるかどう
か、試してみようと思い付いた。真瀬から借りた推理小説を持ち出し、読み進めたペー
ジをしおりで探り当てて開くと、パソコンに近付けた。と、その拍子に何かがブックカ
バーと裏表紙との間ぐらいからするりと落ちた。もう一枚、しおりが挟まっていたのか
なと目を凝らす柿原だったが、いざ見付けてみると違った。レシートだった。
(あ、ほんとに四百円。税込みだったのか)
 柿原も行ったことのある古本屋と分かり、少し悔しくなった。そんなレシートを改め
て挟んでおこうとしたとき、汚れのような物に気付いた。レシートの上の方、日付に重
なる位置と、そこから三センチほど下、整理番号らしき数字に重なる位置とに、うっす
らとではあるが黒くて細い線がカーブを描いている。ラグビーボールの両端を切り落と
したような印だった。触れてみたが汚れは落ちない。
(――似たような形をいくらでも見たような)
 妙な既視感に、柿原は頭を捻った。とにもかくにも、レシートを元の場所に挟む。小
説の方は、どうにか読めると分かった。光量が充分でない環境で細かな字を読もうとす
るのは、視力低下を招くから避けるべきとする説、いや関係ない大丈夫だとする説の両
方があると昔聞いたのを思い出す。悪くなる場合を想定し、ここはなるべく自粛するこ
とに。
(推理を続けようにも、今の状態じゃあ、堂々巡りが関の山、か)
 真瀬以外の人とも意見を交換したい。が、各コテージを訪ねても怪しまれる恐れがな
きにしもあらず。
 午後九時前。パソコンの画面で時刻を確かめた。柿原は電源を落とし、メインハウス
に行ってみようと思い立った。誰か出て来ていることを期待して。

「あ、ちょうどよかった」
 行ってみると、一名ではあるが、期待した通りにいてくれた。橋部だ。この状況なら
ば、謎の「あれ」についても聞きやすい。柿原は続けて尋ねようとした。
 が、橋部からの返しに、機先を制せられる。
「おう。こっちもだ。ちょうどいいタイミングで来てくれたな」
「え? ちょうどいいとは?」
「みんなを集めるべきか否か、迷ってるんだ」
 橋部がいつもより小さな声で言った。影ができて見えづらいが、困り顔をしているよ
うだ。
「何かあったんですね?」
「うむ」
 橋部は頷いたが、何があったのかまではなかなか話そうとしない。柿原に対してちょ
うどいいタイミング云々と言った割に、伝えていいものかどうか、決めきれていないら
しい。
「隠したい訳じゃないんだ。起きたばかりだから、今動くことにより犯人の行動を抑え
られるかもしれない一方で、逆襲を食らう恐れだってある」
「起きたばかりって、どこで何があったんですか」
 気負い気味に聞いた柿原だったが、次の瞬間には冷静に分析していた。
(起きたばかりの事件があって、そこへ僕がやって来たんだったら、僕が第一容疑者
か?)
 心の内側に冷や汗をかいた、そんな嫌な気がした。
「それに加えて、犯人の仕業かどうか、判断しにくい面もあるんだ」
 橋部が言い終わるのと同じか、少し早いくらいのタイミングで、足音が聞こえた。柿
原は音のした方を向いた。ロウソクの明かりが次第に大きくなる。橋部がそちらへと声
を掛ける。
「お、村上さん。戸井田を一人にして大丈夫か?」
 村上はメインハウスの前、充分な光量のある位置まで来ると、ロウソクの火を消して
から答えた。ちなみに、ロウソクは空き缶の燭台付きだ。地面に、無闇矢鱈と蝋を垂ら
しては、後日行われるかもしれない現場検証に悪い影響を及ぼすかもしれない。そんな
判断から全員が、小津や犯人?に倣って空き缶を活用することになった。
「戸井田君から伝言を頼まれました。それに、あの感じだと人間がやったんじゃなく
て、やはり獣の可能性が高い気がします。何にせよ、放置しておくのも問題があるの
で、運ぶのにくるむ布でも用意しようかと」
 村上は柿原の存在に気付くと、すっと距離を詰めた。そして携帯電話を取り出した
が、はたと思い当たったように橋部の方を見た。
「彼に教えても?」
「うむ、まあいいだろう。遅かれ早かれ、全員に伝えなきゃいけないんだ」
「――見て」
 携帯電話の画面を柿原に見せてきた。
「安易に動かせなかったから、ひとまず撮影してみたの」
「これは長靴、と……」
 絶句する柿原。村上は続けて、何枚かの写真を見せてくれた。
 村上の言う動かせない物が何なのか、柿原にもすぐに飲み込めた。その写真には、右
足用の長靴とそれを履いた“足”が写っていた。恐らく、小津の物と見なして間違いな
い。夜、フラッシュを焚いて撮った物だから、詳細は分かりづらいところもあるが、土
にまみれているらしいと分かる。
「ど、どこにあったんですか?」
 どもりながら聞いた。
「と、聞かれても……あっちとしか」
 村上は暗がりの一方向――山の方を指差した。代わって橋部が答える。
「山に入ってみたんだっけか、柿原は」
「はい。真瀬君や関さんと一緒に、部長の案内で」
「長靴があったのは、そのちょうど上り坂に差し掛かる掛からないかぐらいの辺りだ。
アケビ、いや、今の季節は零余子か。零余子が実っていたぞ確か」
「そこまで見ていませんよ。部長も教えてくれなかったですし」
「そうなのか。辺り一帯じゃ、零余子はあそこの高い枝にしか絡まっていないって、不
思議がってたのにな」
「あのう、先輩方はそもそもどうしてそんな場所に、こんな時間……」
 零余子談義を打ち切って柿原が経緯を尋ねると、再び村上が答えてくれた。
「四十五分ぐらい前になるかな。メインハウスに集まって、善後策を相談してた。私と
橋部さんと戸井田君とで。学年で言えば沼田さんも入れるべきなんでしょうけど、小津
部長の死に相当ショックを受けているから、彼女」
「そうなんですか」
 傍目には、そこまでには思えなかったので、柿原はつい、確認をした。
「ショックは私達ももちろん受けている。沼田さんは耐性があまりないタイプと言え
ば、分かってくれるかしら。一年生がいる前では気を張ってるでしょうけど、そうじゃ
なくなれば、周りに委ねて、頼り切りになりがちというか」
「はあ、何となく理解できました」
「それで――話し合っている途中で、メインハウスの前を、低くて丸い影が横切った
の。ほんの短い間だったから、何かは分からなかった。念のため、その影が走ってきた
ルートを見回っておこうという話になり、山の方に行ってみた結果、長靴を発見した。
以上よ」
「泥か土にまみれているみたいですが、これは埋められていたんでしょうか」
「まだ埋められていた場所は分かっていないけれども、恐らくね。そして、獣の仕業じ
ゃないかと考える理由が、これ。橋部さんもどうぞ見てください」
 村上が新たに示したのは、長靴の踝辺りに、穴が開いている写真だった。くりぬかれ
たのではなく、何かが刺さってまた引き抜かれた感じだ。
「もしかすると、イノシシの牙?」
 誰もが真っ先に思い浮かべるであろう想定を、橋部が口にした。
「だと思います。断定は避けますが、走り去った影もイノシシに似ていました」
「確かに……。そうなると、長靴と足がこうして掘り起こされたのは、犯人にとって意
図しない、ハプニングということになる」
 橋部は再度、黙考し、程なくして決断を下した。
「しばらく伏せておこう。ひょっとしたら、まだこのことを知らないメンバーの中に、
犯人がいるかもしれない。よし、このまま戸井田と合流。十時までに済ませたいから
な」
「あっ、伝言を忘れてたわ」
 村上が珍しく叫ぶような声を上げた。
「橋部さん、懐中電灯を使いましょう」
「うん?」
「小津君の持って来た新品の乾電池があるじゃないですか。証拠品と言える代物でもな
いですし、使ってかまわないはずです」
「ああ、そうだ、そうだったな。証拠調べにはロウソクよりも懐中電灯の方が便利に決
まっている」
 メインハウスにある懐中電灯と9番の鍵を用意し、三人揃って小津のコテージに行
く。乾電池をもらって、その場で懐中電灯にセットする。スイッチを入れると、当然な
がら明るく灯った。
(ロウソクなんかの火には暖かみを感じるものだけど、今は、懐中電灯のライトにも、
凄くほっとするような)
 柿原がそんな感想を抱く間も、動きは止めない。橋部が懐中電灯を持って先頭に立
ち、他の二人はロウソクの火を補助として、移動を開始する。
 十分と経たない内に、長靴発見地点に到着。柿原達のいる道から見て、長靴は切断面
を横に向けていた。先に村上が戸井田へ、柿原が加わった経緯を説明し、それから今度
は戸井田が話し出す。
「思い付く限り、写真は撮りました。で、考えたんですけど、一緒に安置するべきじゃ
ないかと」
 戸井田の話は、既に村上から聞いたものとそこそこ重なっていた。充分に考える時間
のあった橋部は、即座に意思表示する。
「そう、だな。彼が死んだときも、移動させたんだ。足だけここに置いておくのは、不
合理というもの。みんな、かまわないな?」
 橋部は村上と柿原にも意見を求めた。
 村上は元から賛成のはず。柿原にとっても、反対する理由は見当たらなかった。強い
て挙げるなら、遺体発見の時点では事件性の有無は判断が難しかったのに対し、現在は
明らかに犯罪と分かっているという違いはあるが。
「埋められた足がこうして出て来たのが、イノシシの仕業だとすれば、この場所自体は
さほど重視しなくていいと思います。肝心なのは、埋められていた場所」
「うむ。だが、捜索は夜明けを待つべきだろうな。付着してる土を見れば、ある程度は
場所を絞り込めると思うし、準備が必要だ」
 橋部はそれから柿原を見た。
「動かす前に、柿原も見ておきたいだろ。俺達は一通り見た。一年生代表ってことで、
しっかり見といてくれ」
 提案をありがたく受ける。柿原は懐中電灯を借り、長靴に顔を近付けた。
「……この土の感じだと、比較的柔らかいみたいですね」
 そう述べてから、鼻をくんと鳴らす。普段からあまり鼻を利かせないでいる彼だが、
今は違う。慎重に、少しずつ鼻で息をして嗅いでみた。
「……」
 特段、異臭は感じられない。たいして時間が経っていない上に、気温も低めに落ち着
いているから、当然か。仮に炎天下を経てこの程度の匂いにとどまっていたなら、冷蔵
庫等での保管を疑う必要が生じるが、実際にはそうではない。
「靴紐は、最初からほどけていたんですかね」
「ああ。村上さんがいる内に、ちゃんと写真に収めたから確かだぞ」
 戸井田の補足に、柿原は満足して頷いた。
「長靴を脱がせてみましたか?」
「いや、してない。そこまで触っていいのかどうか」
「橋部さん、靴下の件がありますし、脱がせて確かめたいんですが」
「うーん、同意はするが、この場でやるのはふさわしくない。もし何かが飛び散った
ら、もう判別が付かなくなる恐れがあるだろ。9番コテージに運んでからにしようじゃ
ないか」
 納得したので、今脱がせて調べるのは中止する。ただ、靴下の種類だけはすぐにでも
知りたい。
「隙間を少し広げて、覗いていいですか」
「隙間って何だ。ああ、長靴と足との間か」
 橋部ら三人は短く相談し、OKの断を下した。村上が手近の枝を探したが、適当な物
が見付からなかったのか、胸ポケットの辺りからボールペンを取り出し、柿原に手渡し
た。
「ありがとうございます。なるべく、汚さないようにします」
「いいわよ。渡した時点で、覚悟は決めてる。そんなことより、私達にも見えるように
して」
 複数のロウソクを地面に置き、懐中電灯も加えて現状で可能な限り明るくする準備が
整ってから、柿原は長靴と肉体との間に借りたボールペンを差し入れ、長靴の生地の方
を外方向に広げようとした。が、強い手応えに、ほんの少し隙間が広がっただけで、中
を覗くまでには至らない。
「紐をもっと緩めてみるか」
 橋部はそう言うと、これは念のためと言いつつ、指先をハンカチのような物でくる
み、それから長靴の紐を触って、余裕を持たせた。
「これでどうだ?」
「やってみます」
 同じ段取りで試してみると、今度は見えた。
「――靴下は通常タイプ。厚手のじゃありません。柄から推測して、小津部長のコテー
ジに残っている、一本だけの通常靴下の片割れがこれだと思われます」
「うむ」
「私にもそう見える」
「同感」
 先輩三人の判断も同じ。確認作業が済むと、柿原はボールペンを村上に返した。村上
は全く気にする様子なしに受け取ると、隙間に入れた先に目を凝らした。
「何もなし」
 呟いてから、元の場所に仕舞った。

 小津の物と思われる長靴と足は、布にくるんで橋部が9番コテージまで運んだ。
「すみません」
 橋部に柿原は頭を下げてから、ロウソクを持つ自らの右手を見下ろした。手の怪我は
相変わらずだし、ロウソクもだいぶ短くなった。未使用の一本は預けているので、これ
が切れると、柿原は直にマッチ棒を持つしかない。
「気にする必要は全然ないぞ。下手に触らせて、間違いの種を蒔きかねないことこそ避
けるべきっていうだけの話だ」
 村上によって、9番コテージのドアが開かれる。中は暗い。十時を過ぎ、外灯もさっ
き消えたところだった。
「正直、背筋がぞっとするような」
 独り言らしき言葉は、戸井田が発したもの。そこへ橋部が、「下手な発言は、疑われ
る元になりかねないぞ」と脅かす。
「冗談はなしですよ、橋部さん」
「ばか、俺だって怖くないと言ったら嘘になる。でもな、小津が迷わず成仏できるよう
にするには、犯人を見付けてやるのが、今の俺達にできる最善の道という気も一方でし
ている。そのためには、何よりも冷静でいることが一番。霊だの何だのを持ち出すんじ
ゃない」
「それはともかくとして」
 村上が、それこそ冷静さを極めた声で、淡々と告げた。
「かなり暗いんですが、本当に今ここで調べます?」
「今こそ緊急事態なんだから、発電機を使えってか」
「そこまでは言いません。このあともしかすると犯人が正体を現し、暴れるようなこと
にでもなったら、電気はそのとき使う方がよいような気がしますし、発電機を動かすと
大きな音がして、私達以外の人達に何事か起きているんだと気付かれます。犯人がこの
四人の中にいないのであれば、気付かれないようにするのが得策でしょう」
「ふむ……発電機はなしで行こう。今は暗くてはっきり見えなかったとしても、朝にな
れば見られるんだ」
 ロウソクの火と懐中電灯を頼りに、いくつかの気になる事柄の確認が始まった。
 真っ先に行われたのは、傷口の照合。当然ながら、目で見比べるだけなので、科学的
とはとても呼べない。だが、その目視で充分だと感じられるくらい、二つの肉体の切断
面似通っていた。宛がえば、ぴたりとつながりよく収まりそうだ。小津の右足に間違い
ない。
 いよいよ長靴を脱がせる段になった。まず、下に古新聞紙を広げ、それから先程くる
んでいた布を、重ねて敷く。その上で作業が開始された。無論、柿原を除いた三人は軍
手を着用済みである。手袋の類を填められない柿原は、観察役に回る。
 靴紐は既に解けているため、あとは引っ張り出すだけだった。が、これが意外と難物
で、心理的な抵抗の他に、実際に固くなっているため、脱がせるのは簡単ではなかっ
た。靴紐を完全に緩め、長靴の生地を左右に広げてからずり下ろすことで、どうにか引
っ張り出せた。
「こりゃあ、うまく戻せるかどうか、自信ないな」
 額を手の甲で拭うポーズをしながら、橋部が言った。彼と柿原が観察役で、戸井田は
撮影役、村上が文字による記録役を主に受け持つ形で進められる。
「再確認になりますが、靴下は通常の物です。柄も一致」
「犯人がわざわざ穿き替えさせたと考えるよりは、最初から小津が自身の意思で穿いて
いたと考える方が理に適っているよな。例えば、仮に毒針のような物が凶器だったとし
て、厚手の靴下だと失敗の可能性があるから、犯人は小津に通常の靴下を穿かせたとし
よう。だが、それは生前にすべきことで、死んだあとにどうこうする話じゃない。むし
ろ、犯行方法をごまかしたいのなら、殺害後、右足の普通の靴下を脱がし、厚手の靴下
を穿かせておくべきだ。そうだろ? だが、現実には違う。そうしなかったのは、犯人
が靴下そのものには何ら拘りを有していない証拠じゃないかな」
「その点は認めるとして、では小津君本人が異なる靴下を穿く理由って、思い付きま
す?」
 村上が疑問を呈し、ボールペンを軽く振った。手元を照らす彼女自身のロウソクのお
かげで、仕種を捉えられた。
「今は思考より、観察調査が優先です。僕のロウソクも貧弱になってきたので、急ぎま
しょう。ここは思い切って、靴下も脱がせる」
 柿原が言った。
「思い切るも何も、それをしなけりゃ意味がない。さて」
 橋部は喋り終わるかどうかのタイミングで取り掛かった。遺体の一部という意識は早
くも薄らいだらしく、思い切りのいい手つきで靴下をずらした。が、全てを脱がせる前
に、動作が止まる。
「――」
 露わになった肌を目の当たりにし、誰もが息を飲んだかもしれない。
「これが犯人の仕業なら」
 橋部はまだ何か続けそうな口ぶりだったが、そのまま途切れてしまった。
 足は、何箇所か斬り付けられていた。乏しいの明かりの下、数えられたのは四つま
で。いずれも長さは約五センチ、縦横斜めと方向は決まっていない。深さははっきりし
ないが、一センチには達していまい。凶器は分からないが、それなりに厚みのある刃を
当ててゆっくりと引けば、こんな具合の傷になるのではないか。
 さらに凄惨さを増すのが、皮膚を三箇所で削がれている事実。
(こ、こういうたとえがふさわしくないとは分かっているけれども、ドネルケバブ…
…)
 柿原はそれ以上想像するのをやめた。ドネルケバブを食べられなくなる。
「――悪魔の所業と言いそうになったが」
 口元を覆った橋部が言った。先程の台詞の続きから始めたらしい。
「落ち着いて考えてみると、これ、殺害に使った凶器の傷口を隠す目的で、皮膚を切り
取ったんじゃないか」
「推理に符合してなくはないですけど……三箇所も?」
 村上は毒針一発で仕留める構図を思い描いていたようだ。
「三箇所とも傷口があったとは限らないさ。切除したいのは一箇所で、残る二つはダ
ミーってことも考えられる。今はそれより、いつ傷付けられたかの推定がしたい」
 そうは言っても、誰も専門知識は持ち合わせていない。足そのものの切断面と比較す
るのがせいぜいだ。
「ほぼ同じに見えますね。足を斧で切断後、あまり間をおかずにやったんだと思いま
す」
 柿原の見解がそのまま採用された。
「すると犯人の狙いは、これこそ本命。足の切断自体は、9番コテージを離れてじっく
り細工するためと、傷を付けた足を埋めることで、本来の意図を不明にするためだっ
た。こう考えてよさそうだな」
 橋部は携帯電話を取り出し、画面を見た。時刻を確かめたようだ。
「さて、そろそろ撤収するか。他の連中に知らせるのは、朝になってからでいいだろ
う」
「あ、撤収の前に、あと一つ。念のため、靴下を全部取ってみませんか。獣に付けられ
たと思しき傷を見ておきたいんです。」
「それがあったな」
 橋部は元の状態に戻そうとしていた手を止め、靴下を脱がせた。すると、踝の辺り
に、何かで突いたような傷ができていた。靴下の同じ位置にも穴が空いていたが、長靴
にできた物に比べると、かなり小さめだった。
「この傷は、他の傷に比べると、新しい感じがします。遺体なので、出血量や血の凝固
具合では測れませんが、乾き方に差があります」
「要するに、イノシシか何か分からんが、獣に付けられた傷と見ていいってことだな」
 今度こそ撤収だ。可能な限り、足と長靴を発見時の状態に戻す。
「次は、切除された皮膚捜し、やるんですかね」
 コテージから全員が出たところで、戸井田が誰に聞くともなしに言う。施錠を村上に
任せた橋部が呼応する。
「やってもいいが時間がない。それに恐らく、犯人によって処分されちまったんじゃな
いか。燃やすのは簡単だし、池に放れば自然に還るのも早そうだ」
「でしょうかね。わざわざ隠し持つ意味が見当たらない上、埋めるほどの大きさでもな
いのだから」
 二人の会話を聞きながら、柿原は村上から声を掛けられていた。
「ロウソクは足りそう?」
「何とか、ぎりぎりって感じですね。今夜このあと、暗い内に何かあったら、ちょっと
困るかも」
「それじゃあ、使い差しをあげるわ。私は未使用分を持って来ているから」
「え、あ、どどうも」
 空き缶の燭台ごと渡そうとした村上だったが、途中でストップ。足を止めてしばし考
え、柿原の持つロウソクと空き缶を指差した。
「交換するのが一番早いわね。ロウソクを外したり、また付けたりしていては、手がい
くつあっても面倒だわ」
 村上は先に柿原の缶を受け取り、次に自らの分を渡す。
「ほんと、ぎりぎりね。消えそうになったらもう一本に着ければいいだけのことだけ
ど、この辺で戻るわ。鍵と懐中電灯を仕舞わなきゃいけないし」
 他の二人にも聞こえるように言い置くと、村上は歩みを早めた。
「一人で大丈夫か?」
 橋部の声に、村上は背中を向けたまま、手を振って応えた。

 自分のコテージに戻ってきた柿原は、知り得たばかりの事実を基に推理を組み立てよ
うと、やや興奮気味であった。だが、冷静さを全くなくしていたのでもない。頭の中の
どこか片隅で、「これ以上の連続稼働はオーバーヒートを招く。短くてもいいから頭を
休めるべき。そうしないと思い込みに陥る」というシグナルが明滅してもいた。
 結局、ワープロソフトを使ってメモ書きの清書だけはしておこうと決めた。暗い中、
怪我の治りきらない利き手で取ったメモは、あとから見て読めない恐れが少なからずあ
る。記憶が鮮明な今の内に、早くテキストデータ化しておくに限る。
「――これでよし、と」
 電源を落とすまで、いや、落としたあとも未練はあったが、心身に休息を与えるべ
く、意識的に横になった。
 そして――目が覚めて、時計を見ると、朝の五時三十分だった。外はさすがにまだ暗
い。
「睡眠時間としては充分のはずなのに、感覚的には眠いような」
 上半身を起こしてから、独りごちる。
(推理に時間を使うのもいいけど、長靴が埋めてあった場所を、早く探したいな。で
も、明るくなるまで時間があるみたいだし、単独行動だと運よく見付けたとしても、素
直に信じてもらえないかも。他に気になるのは……9番コテージ。あの足が掘り返され
たことを知った犯人が、再び9番に侵入し、足を奪ってどこかに隠し直す、なんていう
流れは起こり得ないだろうか)
 これは推理していても始まらない。起き出して、実際にその目で確かめるのが手っ取
り早い。明るくなるのを待つのがもどかしかったが、柿原は着替えなどをして、時間を
費やした。
 やがて空が白み始めたので、コテージを出た。少し靄が出ており、この三日間に比べ
ると肌寒い。我慢できないほどではないので、そのまま行く。
 ただ、昨日の苦い体験が頭に残っていた。周辺をよく見ておくことも忘れない。幸
い、今朝は濡れ衣を着せるような工作はないようだった。
(埋めた場所探しは、完全に明るくなってからにしよう。何人かと一緒に行動すべきだ
ろうし。今は、部長のコテージだ)
 誰か人と会うことなく、9番コテージがよく見通せる位置に来た。柿原は目をこらし
つつ、急ぎ足になった。が、次の瞬間には足が止まる。向かって左側、妙な物が視界に
入った。そんな気がした。
(昨日の夜、あそこにあんな物、あったっけ?)
 不可解さに警戒を膨らませながら、それでもさらに急ぐ。9番コテージ前、ちょうど
小津が倒れていた場所に近い。ほとんど重なっている。
「これは」
 思わず声が出た。枝や使用後の割り箸を骨組みにして、手ぬぐいらしき布を巻き付け
た人形――それを人形と呼んでよいのなら――があった。大の字をした十五センチほど
のサイズ。頭部には木の実のような物が突き刺してある。何の木の実か断定できないの
は、その人形が火で炙られた形跡にがあったため。頭に該当する部分も含め、全体に黒
っぽくなっている。人形の下には、たき火をした跡も残っていた。割り箸や木の枝、そ
れに少量の紙くずを燃やしたらしい。火が消えてからだいぶ経っているらしく、煙は全
く出ていない。
 人形を火あぶりの刑に処したということか。これもまた犯人の仕業かもしれない。そ
う思うと、おいそれと触る訳に行かず、上からじっと見るにとどまる柿原。そしてすぐ
に気付いた。
「うん? 布に字が」
 胴体に該当する部分に、縦書きで文字が認められた。布に元々あったものではなく、
赤いインクのボールペンで直に書かれたようだ。頭の中で読み取ろうと試みる。
(最初は「怨」かな。次に「才」か、片仮名の「オ」。その次が……読みにくいけど、
「シ」「ツ」辺り。これ単独だから、さんずいじゃあない。その下は、もう読めない…
…。あっ、「怨 オヅ」か? 小津部長を呪う儀式? 亡くなっているのに?)
 柿原は、困惑と不気味さがじわっと染み込んでくるような感覚に囚われた。ぶるっと
身体を震わせ、振り払う。
(「怨」とあるんだから、復活の儀式ってこともないだろうな。とにかく、早く知らせ
ないと。でも、みんなに知らせる前に)
 柿原は9番コテージに急行し、異変がないことを確認した。少なくとも破られた様子
はない。それからまず、8番コテージを目指すことにした。真瀬に声を掛けてから、二
手に分かれ、さらに残り全員に伝える目算だ。

――続く




#1103/1112 ●連載    *** コメント #1102 ***
★タイトル (AZA     )  18/02/20  21:57  (495)
百の凶器 8   永山
★内容                                         18/03/14 10:36 修正 第2版
 全力疾走で真瀬のコテージに辿り着いた柿原は、出入り口のドアを、もたれかかるよ
うにして叩いた。勢い余って、真瀬の靴を蹴り飛ばしてしまったくらいだ。
「真瀬君! 起きて!」
 繰り返し呼び掛けること三度。「やかましいな」という声が返って来た。気配で、起
き出していることが分かる。じきにドアが開けられた。
「何だよ」
 真瀬は不機嫌そうに言った。眠たげな目の下には、少し隈ができている。
「なかなか寝付けなくて、やっと眠れてたんだ。何も起きてないなら、寝させてくれ」
「それが起きたんだよ」
「本当かぁ? 被害者が出たとかじゃないだろ?」
「それは出てないと思うけど」
 柿原は今し方、9番コテージの前で見付けた物について、言葉で説明した。話してか
ら、写真を撮っていなかったことを後悔した。写真で見せれば、もっと簡単に飲み込ん
でもらえるはずなのに。
 それでも真瀬は、奇妙なことが起きたと理解できたらしい。「見に行くから、案内し
てくれ」と言うや、靴を履き始めた。よく見ると寝間着でも部屋着でもなく、シャツに
ジーパンという格好の真瀬。9番へ向かいながら、柿原が服のことを指摘すると、「何
か起きたとき、すぐに動ける格好をしておくべきだろ。柿原はそうしてないのか?」と
逆に問われてしまった。
(ジーパンはどちらかというと動きにくいんじゃあ……)
 と思った柿原だったが、声に出しはしなかった。今はそれどころじゃない。新たな“
事件現場”へと急行する。

 人形と火の跡を確認した後、二人は携帯電話のカメラ機能で状況を収めた。それを携
え、柿原は6番コテージから、真瀬は10番コテージから声を掛けていくことにした。
そのあとのことは村上と橋部に判断を仰げばいいが、恐らく続けて皆を起こすように言
われるだろう。
 柿原が6番コテージの近くまで来ると、村上は既に外に出ていた。手頃な大きさ・形
の切り株に腰掛けた後ろ姿。片耳にイヤホンをして、音楽でも聴いているらしかった。
「あの、村上先輩!」
 距離のある内から大きな声で名前を呼ぶと、村上の肩がびくりと上下するのが見え
た。
「――柿原君か。びっくりするじゃないの」
 左手でイヤホンを外し、右手で機械を止めながら、村上は振り向いた。立ち上がる彼
女に、柿原は手短に状況を伝える。と、村上の顔色が、見る見る内に変わったように思
えた。血の気が引いた、その白い表情は、柿原が写真を見せると、多少赤みを取り戻し
た。
「こんな、死んだ人に鞭を打つような……冒涜だわ」
「それでどうしましょうか。皆さんの無事を確かめつつ、起こしに行こうと思ってるん
ですが、女性は女性が起こすのがいいんじゃないかなって。男の方は真瀬君が起こしに
行ってまして――」
「そうね。じゃ、写真、借りるわよ。柿原君は現場に戻って、見張っていてちょうだ
い」
 早朝でも村上の決断と行動は、鈍くならないらしい。きびきびと指示すると、もう走
り出していた。
 柿原は柿原で、スタミナ不足を感じながらも、可能な限り急いで9番コテージ前の現
場まで戻った。当然ながら誰もいない。
 が、一人の時間が長引くことはなかった。真瀬から話を聞いたのであろう、橋部が駆
け付けた。
「おう、柿原」
「あ、橋部さん、おはようございます」
 反射的に言ってから、ここで朝の挨拶はおかしかったかなという思いが、頭をよぎる
柿原。だが、橋部に気にした様子はない。問題の人形を見下ろせる位置まで来ると、顎
をさすった。
「これか、呪いの人形は」
「はあ。呪いというか怨みというか」
「ふむ……なるほどな、『怨 オヅ』と読める。最初に聞いたときは、『オズの魔法使
い』のオズじゃないのかと思ったんだが、写真でも、こうして実物を見ても、オズでは
ない」
 独特でちょっと興味深い発想だと感じた柿原だが、真相解明には役立ちそうにない。
「おや? これは自然に燃え尽きるのを待ったんじゃなくて、消しているな。踏み消し
た跡がある」
「――本当ですね」
 橋部が指し示した先の地面をよく見ると、靴跡の一部のような模様が残っていた。明
らかに、たき火の跡に重なっている。
「この足跡は多分、長靴ですね。同じ物がたくさんあるから、これだけでは証拠になり
そうにありません」
「犯人だって考えるわな。そこへ持って来て――ミステリ好きとなればなおさらだ」
 苦々しげに吐き捨てた橋部。
「だが、自戒も込めて言うならば、俺達は多かれ少なかれ、ミステリに毒されている。
村上がいみじくも言ったようにな。それこそが落とし穴になるかもしれない」
「考えすぎるとか、ミステリでのみ成り立つロジックに拘るとか、ですか」
「ああ。この人形はおどろおどろしくしようとしているが、恐らく何か他の目的があっ
て作られた物なんだろう。犯人は人形を拵える必要なんてなかったのに、カムフラージ
ュか何かのために作ったんじゃないか。作ったおかげで、手掛かりを残すことになるの
に」
 確かにそうだと柿原が思った。
「じゃあ、たとえば、この人形の材料も手掛かりになりますよね。枝や割り箸はともか
く、頭の部分はもしかしたら、特徴的な物かも」
「ん? どれどれ」
 やや芝居がかった台詞とともに、橋部は手を伸ばした。人形の頭部に直に触る。
「え、橋部さん、いいんでしょうか」
「ちょっとぐらいかまわん。ごちゃごちゃ言ってるときじゃない。なーに、表面のすす
を少し落とすだけだ、」
 橋部は手ぬぐいか何かを巻いた指の腹を使って、人形の頭を擦った。柿原の想像に反
して、黒いすすの下からも、黒っぽい物が覗いた。
「これ、零余子だな」
 橋部が言った。
「ほれ、昨晩、言っただろ。右の長靴が見付かった現場辺りの、木に蔦を絡めて、高い
ところで実を付けてる」
「あの話ですか。この付近では、あそこにしかないんですよね、零余子って」
「うむ」
「じゃあ、犯人がわざわざ零余子を取って、人形に使ったのかの理由が気になる……自
然に落ちた物を拾ったのかな?」
 考えるべきテーマを見付けたと喜んだが、落ちた実を拾ったのなら、犯人側にさした
る理由がなくても零余子を使うことはあり得ると思い直した。
「いや、それはない」
 橋部が意外にも断定口調で言った。
「実際に見れば合点がいくと思うが、俺が見たとき、零余子の絡んだ枝は、切り立った
崖の方に突き出ていた。あそこから実が自然に落ちたとしても、俺達が歩いて行けるよ
うな場所には転がらない。遙か下に転がっていくだろうさ」
「……それだと逆に、どうやって入手したのかが問題になりそうです。木に登ったんで
しょうか」
「うーん、木登り説はなさそうだな。元々、そんなに太くない幹だったし、老木だった
と記憶している」
「じゃあ、他にどんな方法があるんでしょう……?」
「梯子や脚立を掛けるのも難しい、というよりも無理な位置だし、あとは……物置に高
枝切り鋏があったはずだ。あれを目一杯延ばせば、二メートルくらいになるんじゃなか
ったかな」
 橋部は両手を使って、鋏を開閉する動作をしてみせた。それだけだと剪定鋏と変わり
ないようにも見える。それよりも、柿原には気になることが。
「枝を切る道具なら、結局、下に落ちてしまうんじゃあ……」
「お、知らないか。上手に捻れば完全に切り落とすことなく、回収できるんだよ」
 その台詞の途中で音量を小さくした橋部。何事かと、柿原が相手を見やると、橋部は
にやりと笑った。
「お互いに犯人ではないと信頼し合う必要があるが……今言ったことは、他の全員には
伏せておかないか?」
「――了解しました」
 受け入れる返事をした直後、あのことは聞いておかねばと柿原は強く思った。
(橋部先輩と小津部長との会話で出て来た『あれ』って、何なんですか?)
 聞き方をどうしようか、検討するのに時間を取ってしまった。
 やっと段取りが組み上がったちょうどそのとき、真瀬と戸井田が新たに姿を見せた。
(ああっ、これでまたお預けか? 信頼し合う必要があると言われたんだから、この場
ですっきりさせたかったのに)
 悔やむ柿原だったが、もう遅い。現時点では一旦引っ込めるしかなかった。
「女子の方には、誰か行ってるんだよな?」
 真瀬が柿原に聞いてきた。
「うん、村上先輩に行ってもらってる」
 答えてから、柿原は思考を巡らせた。
(危険はないよね? まさかこの明るくなった状況下で、犯人が開き直って暴れるとは
考えにくい。万万が一何かあったとして、男はここに全員いる。女性同士なら、体力的
に極端な差はない。各人、警戒を解いてないのだから、不意を突かれることもまずな
い。強いて言うなら、今日が当初予定されていた最終日だってことぐらい)
 頭の中では、何も起きやしないさと思っていても、不安を完全に拭い去ることはでき
ない。身体が勝手にそわそわし出して、十数秒に一度、メインハウスへと通じる方向を
振り返ってしまう。
 気もそぞろな柿原だったが、他の三人は今朝新たに見付かったこの犯行?について、
あれこれ議論し始めた。
「それにしても、犯人は何でこんな呪術めいたことを。まともに考えたら、虚仮威しに
すらならないと分かりそうなもの」
 真瀬が口火を切ると、戸井田は「いや」と否定から入った。
「虚仮威しのつもりかどうか、そこから議論する必要があるんじゃないか。本気で信じ
てやっているのかもしれないし、他のことを隠すカムフラージュなのかもしれない」
「そう、ですね。うーん、分かりません」
「部長が倒れていた場所を選んで火を燃やすくらいだから、本気っぽいような。カムフ
ラージュだったら、ここじゃなく、9番コテージのすぐ近くでやる気がする。火を放て
ば、証拠隠滅になる」
 戸井田はコテージの方を振り返った。皆、つられて同じようにする。ここでようや
く、柿原も話に加わった。
「実際にはコテージは燃やされていない、故に本気で呪うつもりだった? でも、もう
亡くなっているんですよ」
「そこなんだよなあ。橋部先輩は、どう思われます?」
 意見を求められた橋部は、腕組みをして首を傾げた。
「何の根拠もないが、俺はカムフラージュ説を採りたいな。そうあって欲しいという、
ミステリマニアの願望が自然に出ちまっただけかもしれないが」
「……犯人にとって、現場はコテージじゃなく、ここだとしたら」
「うん? どういう意味だ、柿原」
「犯人にとって、小津さんが倒れていたこの場所こそ、重要な犯行現場なのかも。何ら
かの痕跡を残してしまった自覚がある、あるいは後になって思い当たったので、火を放
った。証拠隠滅をしたかったと」
「ふむ、なかなかユニークだな」
 橋部が評したそのとき、メインハウスへと通じる道が俄に騒がしくなった。駆けてく
る足の落ち葉を踏みしめる音と高い声が、綯い交ぜになって耳に届く。
「湯沢さん!」
 その姿を認識し、柿原は思わず叫んでいた。続く「どうしたの」という言葉は、他の
者からの同様の台詞に飲み込まれたが。
「そんなに息せき切って、どうかしたのか。何があった?」
 橋部が問うが、ようやく辿り着いた湯沢は息を切らし、膝に両手を当てた。声が出せ
るまで、しばしの間を要した。
「た、大変です。関さんが、亡くなっています」
「えっ」
 聞き手の男四人はここでも同じような反応を示したが、特に声が大きかったのは真
瀬。一歩前に出て、「どういうこと?」と湯沢に詰め寄る。両肩を持って、揺さぶろう
とまでした。橋部と戸井田が止めに入り、引き離す。
 湯沢は橋部に促され、やっと続きを話せた。
「殺されたみたいなんです」
 震え声で。
 直後に、どすんという地響きにも似た大きな音がした。真瀬が両手両膝を地面につい
て、俯き加減になって目を見開いていた。口からは、形容しがたい唸り声が漏れてい
た。

 関は自身のコテージ内で、ベッドに上半身をもたれかかるようにして俯せに倒れ、絶
命していた。
 二人目の死者、そして明らかな殺人の発生に、一行のいるキャンプ場は一時的に恐慌
状態に陥った。寸刻の猶予もならず、事態を外部に知らせるべきと全員の考えが一致を
見て、土砂崩れの復旧現場まで伝えに行くことに決まった。行くのは何名で、誰々がと
いう段になり、
「複数人を選んでいるよりも、今はスピード重視。誰か一人で行って、またすぐ戻って
来るのがいいんじゃないか」
 という橋部の一声で、小津の事件でアリバイが成立すると考えられる村上、湯沢、犬
養、真瀬の中から、優先的に選ぶことになった。そして、精神的な面を考慮して興奮気
味の真瀬が抜け、犬養と湯沢は運転免許をまだ取得していないため、必然的に村上に決
定。
「伝えるのは、我々の身元と現在の状況、起こったことだけでいいから。あとは、でき
れば常時使える連絡手段を向こうで用意してもらえないか、聞いてみるといいかもしれ
ない。たとえば無線機ならスマートヘリで運べるんじゃないか」
「連絡手段の確保が無理だったら、次にあの場所まで降りていける時刻を決めてきま
す。他には……怪我人がいると伝えれば、より早急に対応してもらえるかもしれませ
ん。尤も、行ってみて人がいなければ、話になりませんが」
「天候は安定しているから、復旧作業がスタートしているのは間違いない。時間帯は確
かに早いかもしれないが、それでも一時間も待つ必要はないと思う」
 おおよその方針や見通しが立ったところで村上は出発、するはずだったのだが。
「パンクさせられている?」
 駐車スペースから戻った村上の知らせに、誰もが――犯人以外の――驚き、焦りの声
を上げた。
「全部なのか」
「ええ。二台とも。スペアタイヤまでは見ていませんが、四輪全てがやられていますか
ら、交換しても無意味かと」
 村上は悔しさを押し殺したような声で、淡々と告げた。
「パンクさせた方法は分かりますか」
 柿原の出した疑問は皆も同じだったので、全員で駐車スペースに移動した。並べてあ
る二台のタイヤを見比べると、同じ凶器で切られたのは一目瞭然だった。
「これはもしかすると」
 柿原は、「高枝切り鋏でしょうか」と続けようとして、言っていいものかどうかを迷
った。
(橋部さんとの約束は、零余子についてまだ言わないというものだけれど、その零余子
を採るには、高枝切り鋏の使用が必須らしい。となると、ここでは口にしない方が賢明
なのかな? そもそも、タイヤをパンクさせたのが高枝切り鋏である根拠はなく、印象
でしかない)
「もしかすると、何だよ」
 真瀬が聞いてきた。まだ高ぶりが色濃く残る口調だったが、関の死が明らかになった
直後よりは、随分とましになったとも言える。
「いや、一気に切られているように見えたから、斧かハサミみたいな物を想像したんだ
けど、八つのタイヤ全部を見てみたら、そうじゃない切り口のもあるね」
 一度突き刺してから下向きに引き裂いたような切り口もあった。どちらかといえば、
五対三で、すぱっと一直線に切られた切り口は少ない。高枝切り鋏ではないなと、柿原
は心中で結論づけた。
「ナイフか包丁、でしょうか」
 湯沢が言った。確かに、突き刺して引き裂くという動作は、ナイフか包丁によるもの
の可能性が高そうだ。一気に切られたと見える切り口は、たまたまそうなっただけのよ
うである。
「あとで調理場の刃物を調べるとしよう。問題は、犯人がこんなこと――関さんの殺害
と人形を炙ったことも含めて、これらのことをやった理由だ。それと、外部へ知らせる
のをどうするか、だ。言うまでもないが、歩いて行けない距離じゃない。現状で体力を
消耗するのが、身を危険に晒すことにつながるのかどうかって話だな」
「疲労したところを、犯人は襲うかもしれないってんですか」
 戸井田が悲鳴のような声を上げた。勘弁してくれよと言いたげに、繭を下げている。
「分からん。パンクさせた理由にしてもな。俺達を閉じ込めたいのか? だとしたら、
何で最終日になってからなんだろうな。昨日の時点で、移動する可能性は大いにあった
のに。歩いて行ける距離なのに、パンクだけっていうのも手ぬるい。靴はコテージの外
に出てるし、長靴も自由に出し入れできるんだから、足止めしたいなら全部処分しちま
えばいいのに。まあ、こっちだっていざとなりゃあ、裸足でも歩くし、パンクした車で
一気に走るかもしれんが」
 頭を左手でかきむしる橋部。心底、分からないといった体だ。
「……時間……時間稼ぎかもしれません」
 疲労が表情に露わな犬養が、絞り出すような口ぶりで言った。
「何のためかは分かりませんけれど、私達をこのキャンプ場へ釘付けにすることが、犯
人にとってメリットになるのでは?」
「ここに足止めされたら、どうなるか。通報が遅れるわな。科学捜査の介入が遅くなれ
ばなるほど、犯人にとってはメリットだろう。だが、それだけだと、最終日になって足
止めの工作をする理由が、いまいちぴんと来ない」
「昨日から今日に掛けて、何か大きな変化がありましたっけ?」
 戸井田が言いながら、自らの記憶を呼び起こしたいのか、デジタルカメラの画像を見
始めた。
「言うまでもなく、関さんが殺されたことが一番大きいが……その行為自体は、犯人に
とってコントロールできる。計画的な犯行なのか、予定外の犯行なのかで多少は違って
くるだろうが、すでに小津部長が死んでいるんだ。小津が亡くなった段階では、足止め
の時間稼ぎをせずに、今になってする。やっぱり、ぴんと来ない」
「あの」
 柿原は橋部に向けて、目で訴えた。
(もう一つ、大きな変化があったじゃないですか。部長の足が見付かったというか出て
来たというか。あれ、一部の人には伏せたままですけど、ここで言っちゃってもいいで
すか?)
 無論、目による合図だけでそこまで通じるはずもなし。橋部が小首を傾げるのを目の
当たりにした柿原は近寄っていき、耳打ちした。
「――ああ、そうか。色んなことが起こったせいで、忘れかけていたな。元々、朝にな
ったら言うつもりだったんだから、いいだろう」
 橋部は頭をもう一度掻いた。今度は自嘲の意味があっただろう。そうして橋部は、昨
晩、小津の物と思われる足が偶然見付かったことを、知らなかった面々に説明した。
「え。そんなことまで起きていたんですか」
 言ったきり、文字通り絶句したのは真瀬。関の死に比べれば衝撃は軽いはずだが、最
早感覚が麻痺しているのかもしれなかった。
「今、足はどうしてるんですか。まさか、見付かったまま、放置?」
 早口で聞いてきたのは沼田。村上が、9番コテージに運んだと話すと、沼田は大きく
息を吐いて、多少救われた様子になった。
「それで柿原君は、何を言おうとしていたの?」
 湯沢が言った。見られていたんだと意識した柿原は、返事するのが少しだけ遅れた。
「部長の足が見付かったことは、イノシシのおかげによる偶然で、犯人にとって予定外
だったと思う。だから、もしかしたら、今日になって犯人がパンクさせたことと、関連
してるんじゃないかって」
「ああ、そういう意味」
 得心した風の湯沢に代わって、犬養が聞いてくる。
「埋められていた場所は、もう突き止められたのでしょうか」
 これに答えるのは橋部。
「いやまだだ。まあ、埋められていたのは確実だ。犯人にとって、本当に足の発見がパ
ンクにつながる原因だったなら、犯人は今朝までに、足が掘り起こされたと知ったこと
になる。土に埋めたのは、人目に触れないようにするため。小津を殺めた際に、決定的
な証拠を残してしまったというようなミスをしていれば、腐敗させたいと考えるかも
な」
「犯人は小津部長の遺体には痕跡を残さなかったけれども、関さんの遺体には残したと
いう場合も考えられませんか」
「……いや、ないと思う。小津の足については、完全にハプニングだ。関さんの方は、
犯人にとって時間があった。たとえ痕跡を残したとしても、消し去る余裕はあったんじ
ゃなか。洗剤をばらまくだけでも、だいぶ違ってくると聞くし」
 橋部はそう言ったが、念には念を入れて、関の遺体をざっとでいいから検分しておこ
うという話になった。小津を調べたときと同じように、今度は四人ずつ二組に分かれて
調べる算段だったが、辞退者が出た。沼田と犬養と湯沢の三名だ。真瀬も迷う様を見せ
たが、最終的には加わることを決意した。
「五人なら入れなくはない。一度に視るとしよう。ただし、前と違って、飽くまで簡単
にだ。最低限、犯人が何らかの工作をしていないかだけが分かれば、いや、推定できれ
ばいい。あと、沼田さん達を外に置き去りというのは気になるが、何かあったら大声を
出してくれ」
 橋部の判断でことは進められ、とりあえず、犯人による隠蔽工作と思しきものは何ら
見付からず、これが結論になった。
 その他にも各人、気が付いた点があった様子なので、全員がメインハウスに集まり、
状況の整理が試みられることに。手始めに、発見時の状況から取り掛かる。
「私はまず、沼田さんに声を掛けて」
 村上が経緯を説明する。傍目には冷静なように映るが、実際のところは分からない。
声がかすれ気味である。
「そのあと、私が犬養さんのところ、沼田さんが関さんのところへ呼びに行くことにな
ったわ」
「湯沢さんが飛ばされてますけど、それは何か理由があるんですか」
 柿原は早口になるのを抑えつつ、質問を繰り出した。村上が答える。
「他意はないわ。ここに来てから、湯沢さんは連日早起きして、散歩しているのを知っ
ていたから。コテージにいる確率が高い人を優先したまでのこと」
 柿原はそれを聞いて納得した。話の続きに耳を傾ける。村上に代わって沼田が話し始
めた。
「ただ、私はまだ支度ができていなかったから、すぐには行動開始と行かなくて」
 彼女の方は、小津の死だけでもショックを受けていたのに、関の死が重なったこと
で、憔悴が明白になっていた。
「着替えだけして、できるだけ急いだつもりだったけれども、足が重い感じがしたこと
もあって、2番に向かう道を折れた頃には、村上さんが追い付いたわ」
 村上が頷き、補足説明を入れる。
「犬養さんも支度がまだで、時間が掛かりそうだったから、先に出たの。そうしたら、
ちょうど沼田さんと合流できたから、一緒に行くことにした」
 橋部が軽く手を挙げた。
「何で一緒に行こうと思ったの? 関さんは沼田さんに任せて、君は先に湯沢さんを探
すべきでは?」
「彼女が――沼田さんが特に体調悪そうだったから、心配で」
 間を取ることなく、また淀みもなくすらすらと答が返って来た。橋部は納得の体で首
を縦に振ると、「遮って悪かった。続けて」と先を促した。
「二人でここまで来ると、ドアをノックした。反応を待っていると、背後で声がして、
振り返ったら湯沢さんと犬養さんが」
 その証言を受け、湯沢が問われる前に説明しに掛かった。
「朝起きてから、メインハウスにいたんです。食事の下準備でもしようかなって。その
あと、自分のコテージに戻ろうとしたら、犬養さんと会って。彼女も詳しくは事情を知
らない様子でしたけど、事件に関係する何かが起きたのなら、一緒に行動するのがいい
と思って、二人で相談して、先輩達と合流しようと思いました」
「私は、村上先輩から9番コテージに行くように言われていたんですけれど」
 さらに犬養がフォローする。
「一人で行くより、皆さんと一緒の方が心強いと思えたので、合流することに賛成した
んです」
「それで……依然として関さんの返事がなかったので、四人揃って呼び掛けたんです
が、それでも起きてくる気配はなし。靴がありましたから、中にいるのは確か」
 村上が再び話し手に。発見時の状況を思い出したのか、顔色は青ざめて見える。
「仕方がないので――というより、嫌な予感がしたので、私がメインハウスへ鍵を取り
に行って、戻って来てもやはり無反応のままだと聞き、開けることに」
 深呼吸をした村上。
「ドアを開けてすぐ、関さんの姿が目に入り、ただ事じゃないと感じたので、急いで駆
け寄りました」
 靴を脱ぐのももどかしく、そのまま転がり込んだという。他の三人も続き、関の名を
呼んだり、背中をさすったりするも、相変わらずの無反応。それどころか、直に触れた
手に冷たさを感じたため、心肺蘇生を試みるべく仰向けにしようとした。
「でも、すでに身体は冷たくなっていた上に、顔を見たら、もう……」
 その言葉は多くの者に、つい先程見たばかりの、関の死に様を思い起こさせた。場に
重苦しい空気が漂い、どんどん沈殿していく。
 死因は一応、首を絞められたことによる窒息と推測された。首に微かに残る絞め痕と
爪痕(紐状の物で首を絞められた際、防ごうとして自らの手で首に傷を付ける場合が多
いとされる)、関の苦悶の表情、そして床に投げ出されたように置かれた一本のタオル
からの判断だ。凶器と思しき薄手のタオルは、関自身が首から掛けていた物。湯冷め対
策あるいは防寒にしていたらしいが、徒となった形である。
 ただ、死因を“一応”としたのには理由がある。関の遺体にはもう一点、顕著な異状
が認められた。胸板のほぼ真ん中辺りに包丁が刺さっていたのだ。ミステリ研究会が今
回持ち込んだ洋包丁の内の一本で、本来はメインハウスの調理場に置いてあった。斧と
異なり、小津の事件が発覚してからも管理を厳しくした訳ではないが、毎回の使用後に
複数人の目できちんと仕舞うところを確認するようにはしていた。だから、昨晩までは
メインハウスにあったことは間違いない。
「出血量は結構多い方だろう。だから、絞殺後に刺したのではなく、刺してから首を絞
めた、あるいは首を絞めて意識を失わせてから刺した。このいずれかだと思う」
 橋部が見解を述べた。異論は出なかったが、村上が意見を加えた。
「計画的な犯行ではない気がします。関さんの服装から、犯人は就寝前にコテージに来
たはず。一方、あの包丁は刃渡り二十センチ近くあると思われますが、鞘や専用のケー
スはありません。目立たぬように持ち運ぶのは、意外と難しい。少なくとも、剥き出し
の包丁か、それを何かでくるんだような物を携えた人に夜、コテージを訪問されたら、
警戒します。中に入れるとは思えません。きっと、包丁はあとから持って来たんじゃな
いでしょうか」
「ふむ……一理あるな」
 そう呟いた橋部に続いて、柿原が口を開く。
「さっき、現場を見せてもらったとき気が付いたんですが、関さんの首元に刃を当てた
ような小さな傷めいた物がありましたよね? 爪でできたのとは違う」
「じっくりとは見ていないから、気が付かなかった。爪の傷と思い込んでいたかもしれ
ん」
 他の者はどうだ?と問い掛ける風に、皆を見渡す橋部。村上と真瀬が気付いていた。
真瀬は黙って挙手しただけにとどまったが、村上は「あれは、ためらい傷のように見え
た」と感想を述べた。
「と言っても、自殺者のそれじゃなく、犯人が躊躇ったんじゃないかっていう意味。同
じミステリ研究会のメンバー相手に、躊躇うのが当たり前でしょうけど」
「ここまでをまとめると――関さんの遺体には隠蔽工作の形跡がなかった事実から、犯
人がタイヤをパンクさせたのは、小津部長の足を腐敗させる等して、自身の犯行の痕跡
を消したかったからと考えられる。犯人は最初に首を絞めたが中断して、メインハウス
まで往復してまで刃物を持って来ると、刺した。さらに首にも傷を付けようとしたよう
だ。いずれも理由はまだ不明。関さんの服装やコテージ内の様子から、彼女自身が犯人
を招き入れた可能性が高い。まあ、これは関さんが誰も疑っていなかったという場合も
あり得るので、あまり参考にならんな」
「あの、橋部さん。僕の話はまだ途中なんですが」
 遠慮がちに小さな声で伝える柿原。橋部は「おお、何だ?」と意見拝聴の姿勢を取っ
た。
「関さんの遺体発見時、包丁は刺さったままでした。一方、首の小さな傷からは、出血
はほぼ皆無でした。これは死亡後に首を傷付けたことに他なりませんが、不可解なの
は、何で傷を付けたかです。胸板に刺さった包丁を一旦抜いて、また戻したのではあり
ません。それくらいなら、見て分かりますからね」
「多分、判別できる。つまり、犯人は少なくとももう一本、ナイフか包丁を2番コテー
ジに持って来たことになる!」
 戸井田が珍しく興奮気味に反応を示した。対照的に、やや冷めた反応は真瀬。
「複数の刃物を持ち込んだことが、そんなに重要か?」
「うん。僕の考えではこうなる。犯人は小津部長にしたのと同様のことを、関さんの遺
体にもするつもりだったんじゃないかな。言いにくいんだけど、切断する気でいた」
「柿原!」
 真瀬が大声を張り上げたが、柿原はしかめ面をしながらも続けた。
「犯人は斧による“成功体験”がある。しかし、斧は管理下に置かれて、簡単には持ち
出せない。犯人は包丁一本だと不安だから、複数の刃物を持ち込んだんだ。でも、土壇
場になって躊躇した。知っている人の肉体を切り落とすなんて、それ以上は無理だった
んだ」
「切り落とすっていうのは、当然……?」
「頭部」
 単語で返した柿原に、真瀬はぐいと詰め寄った。相手が怪我人じゃなかったら、胸ぐ
らを掴み、持ち上げかねない勢いがある。
「関さんのどこに、そんなことをされなきゃならない理由があるんだよ!」
「それは……分からない」
 柿原は少し嘘を吐いた。一つ、思い付いたことがあるにはあったが、何ら確証や根拠
がないため、言葉にするのは控えた。
「実際には犯人はしなかったんだから、絶対に必要な行為ではなかったのかもしれない
し、もしかしたら逆に、絶対にそうしたかったが、どうしてもできなかったとも考えら
れる」
「――気休めにもならねえ」
 口ではそう言ったが、真瀬は柿原から離れた。激情がどうにか去ったところで、橋部
が口を開いた。
「柿原の推理は、心理的には結構ありだと感じた。何にせよ、包丁の類が何本持ち出さ
れているかぐらい、すぐに調べられる。仮に血を拭って戻されたなら、正規の科学捜査
を待たねばならないが。それから――柿原、話は終わったよな?――もう一つだけ、気
に掛けておくべきことがある。2番コテージの鍵だ」
 発見時、2番コテージは施錠されており、村上がスペアを使って開けた。最前の調べ
で、2番コテージの窓も内側から施錠されていた。室内にも見当たらない。となると、
犯人が退去時に使用し、そのまま持ち去ったと考えるのが妥当というもの。
「いつまでも身に付けているとは思えない。どこかに捨てたと思われる。鍵の行方も、
最優先事項ではないにせよ、注意しておくべきだろう」
 議論により状況性はここで一旦打ち切られ、包丁の所在確認に移った。調理場を見て
みると、洋包丁が二本とも消えていた。一本は現場で、遺体に刺さったまま。もう一本
は、犯人が隠し持っていると考えるよりも、遺棄したと見なす方が現実的に違いない。
ではどこに遺棄するか。
「――たき火にくべたんじゃないでしょうか? 鍵も、包丁も。指紋や汗や血、その他
タイヤのゴムなんかが付着したとしても、燃やせば証拠能力はほとんど失われると踏ん
で」
 柿原の閃きに、一行は9番コテージ前へと急いだ。
 橋部と村上が手頃な枝を拾ってきて、燃え跡をつついてみる。無論、その直前に、戸
井田に改めて写真を撮らせておいた。
 程なくして、村上が左手を止めた。少々舞い上がった灰を、もう片方の手で払いなが
ら、顔を近付ける。他の者も同じようによく見ようとした。枝の鋭い先端を使って、刃
の周りをがしがし削り掘る村上。マッチ棒などの燃えかすと混じって、土が徐々に取り
除かれた。
「刃、だけだわ。柄の部分は、木目調の柄が印刷されたプラスチック製だったみたい」
 黒く汚れていたが、現れた刃は洋包丁のそれに一致するようだ。
「おっ。こっちも成果ありだ」
 橋部が僅かに喜びを滲ませた声で言った。彼の持つ枝の先には、鍵の輪っかの部分が
引っ掛けられていた。
「こっちも原形はとどめているが、キーホルダーの部分は完全になくなってる。念を入
れて、2番コテージの鍵に入れてみるか」
 後ほど、その実験確認は行われ、燃やされた鍵は間違いなく二番コテージ用の物と特
定された。
「これで、火を燃やした狙いがはっきりした訳だ」
 真瀬が強い調子で言った。
「呪いの人形だの何だのっておどろおどろしく飾り立てようとしたって、無駄無駄。証
拠になりそうな物を処分したかっただけじゃねえか」
「確かに、虚仮威しの域だな」
 戸井田が同意し、犬養がさらに続く。
「証拠を単独で燃やしても勿体ないと考えたのかしら。そこで私達を脅かす小細工をし
た……無駄なことをしていると言いますか、私達を小馬鹿にしていると言いますか、理
解に苦しみます」
「人形を作る手間に比べたら、効果に疑問が残る細工だったね」
 柿原も、しっくり来ない物を感じつつ、他に思い浮かぶアイディアもないため、同調
しておいた。人形の作る手間、特に零余子に関してはこの場で言うと橋部との約束を破
ることになるため、口をつぐむ。
「さて、これで一安心という訳にはとてもいかないが」
 橋部は上目遣いに空を見やった。まだ青空はあるが、雲も増え始めた気がする。
「山の天気は、またいつ崩れるとも知らないからな。もしも、歩いてでも知らせに行く
というのなら、早めに決断した方がいい」
「行くかどうかはまだ決めかねていますが、行くのなら全員で動くべきです」
 いち早く意見を表明したのは村上。
「全員が行動を共にすれば、犯人はこれ以上何もできないでしょう。それに、犯人が捜
査の入ることを遅らせたいのなら、その妨害にもなります」
「基本的に賛成。動くにしても動かないにしても、全員一緒というのはいい。夜、暗く
なればまた別ですが、明るい内はそうする方が何かと都合がいい」
 戸井田が賛成すると、犬養も同意した。ただ、犬養は積極的に移動したいという訳で
はないらしく、心身共に疲労が溜まっていること、足が痛いこと、空腹であることを訴
えた。
「そういえば、何にも食べていませんでしたね、私達」
 湯沢が無理に作ったような明るい表情をなし、両手を開くポーズをした。おどけたつ
もりなんだろう。笑顔が若干、ぎこちない。柿原は間を開けずに言った。
「腹ごしらえするというなら、そっちに一票入れるよ。ああ、お腹空いた」
「腹ごしらえのあと、移動を始めるのか」
 真瀬が尋ねてきた。真瀬が移動を希望しているのか否か、外見からは判定しかねた。
「そのことも含めて、話し合いながらの朝飯ってことでいいんじゃないか」
 橋部がまとめる形で提案すると、他の全員が温度差こそあれ、賛成の意を示した。

――続く




#1104/1112 ●連載    *** コメント #1095 ***
★タイトル (AZA     )  18/02/22  22:00  ( 61)
クルーズに行ってみた2>食う(風呂)寝る朝陽   永山
★内容
※メモはほとんど尽き、詳しく記録したのはインフォーマルのディナーくらい、記憶も
薄らいでおりますので、ほんとに駆け足になります。

 充実のクルートークが終わり、部屋に戻ります。細かな予定を組んでなかったので、
トークが十分ぐらい延びても、何ら影響ありません。のんびりゆったりできる、船旅の
よさが出た感じ。
 あとは夜食ぐらい。いつも通り23:00からなので、三十分はあります。自分一人
だったら、あるいは男ばかりの旅なら、さっとグランドスパに行って、ひとっ風呂浴び
て、戻ってこられるんですが、今回はそうも行きません。母も前夜に比べれば船酔いの
影響は少なく、夜食に行ってみる気になっていましたので、入浴は後回し。例によって
メモをするなどして三十分を過ごし、23:00過ぎにフォーシーズンダイニングへ。
 入口のところにお品書きが出ていましたので、撮影。上海焼きそば、中華ちまき、中
華スープがメインで、あとはミニケーキ、カットフルーツ、飲み物各種と定番のメニ
ュー。早速並んで、メイン三品を受け取ります。ちなみに、開始間もなくに来たせい
か、昨夜の閑散ぶりが嘘みたいに中は賑わっておりました。座る場所を確保するのが大
変なほど。これぞいつもの夜食風景と感じたのは、いくら何でも慣れが早すぎるか(
笑)。空いているテーブルを見付けて、三品を載せたトレイを置くと、再び立って、飲
み物と適当にデザートを選んで戻る。
 滅茶苦茶お腹が空いてるって訳でもないので、ゆっくり食べたいところですが、入浴
時間のことがあるので、あまりのんびりもしていられない。自分は短くても済ませられ
るけれど、母はある程度余裕が欲しいでしょうから。てことで、このときの夜食は、じ
っくり味わってないので、印象に薄いです(汗)。ちまきは御飯を感じられて美味しか
ったような。揚げ物が欲しかった記憶があるけど、別の日かもしれません。
 食べ終わって席を立ったのが、23:30頃だったかと。これでグランドスパに直行
すれば、終了まで約一時間あるのですが、そこまで準備していなかったので、部屋に戻
ります。何やかやで時間を取って、グランドスパ前に辿り着いたのが23:50ぐら
い。母にとっては、初めての大浴場利用なので、ドアの前でざっと説明をします。男湯
と女湯とで構造が異なる――女湯の方が広めに作ってあるらしいし、靴を入れる袋の配
置場所なんかは左右逆かもしれないなと思いつつも、中に入る訳に行かない。まあ見れ
ば分かるでしょうってことで送り出す。
 早朝にも入っているから、一日に二度の入浴か、二十四時間単位で数えると三度にな
るな、贅沢だ〜なんて感じながら、今度こそのんびりすればいいものを、意外と利用者
が多く、落ち着かないため、早めに切り上げました。部屋に帰って、小説を書いている
こと二十分ほどでしたか、母も無事に(笑)戻って来ました。シャンプーなどについて
肯定的な感想を言っていた記憶があるのだけれど、メモに書いていない……。orz 
 明日の、というか日付は変わっていましたが、五月十九日の予定を確認し、床に就き
ました。

5/19(2016)
 この日も早くに目が覚めて、3:50になってなかったはず。アスカデイリーで日の
出の時刻を確かめると4:17とのこと。
 うーん、もうちょっとぎりぎりに目覚めたかった。でもこのまま布団にくるまってい
ると、また寝てしまう恐れが大きい。どうしようか考えること五分。日常生活であれ
ば、この五分間でも寝入ってしまうことが結構多いのに、やはり非日常の船旅は違いま
す。しゃきっと目が覚めて、ベッドを下りました。前日の寒さを思い出し、やや厚着を
して廊下に出る。昨日に比べると、起きている人が増えていたみたい。乗客何名かとす
れ違いました。このときに限らず、飛鳥で朝早くに起きている方は、男性が圧倒的に多
いようです。まだ二度目の旅で語るのはおこがましいと自覚しつつも、何か理由があり
そう。女性は夜まで目一杯楽しんで、朝はぐっすり。男性は夕食までの疲れが出て早め
に就寝、朝は勝手に目が覚める、という感じかしらん?
 で、肝心の天候は、この日も曇りがち。海そのものは穏やかで、船の揺れもあまり感
じませんが、雲はどうしようもない。水平線から顔を出す太陽は、またも拝めず。さす
がにちょっとぐったりして、部屋に引き返すと、また寝間着に着替えて、静かに布団
へ。同室の母は、ちょっとやそっとの物音では目を覚まさないと自負?しております
が、念のためですね。
 このあと、これまで通りならモーニングコーヒー(とパン)目当てに動き出すのです
が、今回はパス。目が覚めなかった訳じゃなく、ここいらで自制することを思い出し、
身体に覚えさせようとした次第(苦笑)。日課の腹筋運動が無駄にならないようにする
ためにも。

 続く。ではでは。




#1105/1112 ●連載    *** コメント #1103 ***
★タイトル (AZA     )  18/02/28  21:49  (499)
百の凶器 9   永山
★内容                                         18/03/14 10:38 修正 第3版

「関さんを最後に見たのは、午後十時になるからならないかのタイミングで、私と犬養
さんとで彼女のコテージを出たんです」
 食事の席は、お世辞にも明るいとは言えないが、重苦しいものでもなかった。ミステ
リ研部員としてこうしていることが一番集中していられるとばかりに、起こってしまっ
た二つ目の殺人について、活発な話し合いが行われていた。
「私もそのように記憶しています」
 湯沢の言葉に、犬養がお墨付きを与える。前日の夜十時以降、関の姿を見た者はいな
かった。そのことから、死亡推定時刻は十時以降。推測される犯人の行動や遺体の体温
低下の具合も考慮して、午後十一時から午前三時の間に収まるだろうと推測された。
「この時間帯にアリバイのある人は?」
 全員に対する橋部の問い掛けに、肯定の返事を寄越す者は皆無だった。四時間と幅が
ある上に、深夜帯となれば、それも道理だろう。
 “捜査会議”は一山超えた感があった。だが、場の空気が落ち着く方向に行きかけた
のを、柿原と真瀬が積極的に事件を解こうと話題を振ったせいで、再び熱を帯び始め
た。口火を切ったのは、その二人、真瀬から柿原への質問だった。
「柿原、手の怪我はどうなってるんだ?」
「え? ご覧の通り。治りかけてはまた傷が開くの繰り返しだよ、ほら」
 柿原が相手に見えるよう、右手の平を開いてみせる。今朝も動き回ったせいなのか、
血が若干、しみ出してきていた。
「なるほどな。そうなると、柿原にも可能な訳だ」
「何が?」
「タイヤをパンクさせる行為がさ」
「……まあ、確かに。傷が開いたことを考えると、他の人に比べて、やったんじゃない
かという疑いが強くなるかもね」
 あっさり認める柿原に、真瀬は拍子抜けしたのか、毒気を抜かれたかのように一瞬、
ぽかんとなった。だが、すぐに気持ちを奮い立たせるように、肩を怒らせると、今度は
村上に視線を向けた。
「村上先輩。スペアの鍵を自由に使えるのは、あなただけですよね」
「ええ。金庫の番号をセットしたのは私だから」
「さっき、たき火のところから見付かった2番コテージの鍵はカムフラージュなんじゃ
ないかと考えてみたんですが、どうですか」
「それだけじゃ分からない。詳しく話して」
 緊張感が高まるやり取りに、周囲の者は、少なくとも柿原ははらはらした。
「元の鍵を燃やすことによって、いかにも犯人は鍵を事前に用いることができずに、関
さんに招き入れられたように見せ掛けるんですよ。実際は、関さんが寝入ったあと、合
鍵を使って忍び込み、犯行に及ぶ」
「――そんなことをしても、犯人にとってメリットはないわ。招き入れられたんじゃな
いのを知られたくなかったとでも言う? だったら、私は違うわね。私が訪ねていけ
ば、彼女は開けてくれる」
「さあて、どうでしょう」
「無闇に疑うのもいい加減にしなさい。私には小津君が死亡したときのアリバイがあ
る。関さんが警戒を解く一人なのよ。だからね、私を疑うのであれば、そちらの方から
攻めなさいよ。合鍵がどうのこうのなんて言わなくても、私は関さんに招き入れてもら
える」
「……確かに、その通りです。部長が亡くなったときのアリバイも、ちゃんと理解して
いましたよ」
 一転して穏やかな口ぶりになった真瀬。左手の平を掻かきながら、にやっと笑う。計
算なのか、臨機応変に対処しているのか、端からでは掴めない。
「本気で疑ってなんかいない。試させてもらいました」
「おいおい、年長者をからかうもんじゃない。それも食事の席で」
 橋部が忠告めかして割って入ったのは、真瀬が自分にも疑いを掛けてくるのか、それ
こそ試す気持ちが働いたようだった。
「疑いを掛けるなら、真っ当な形でやれ。試すなんて気分が悪いだけだ」
「そうですね。言う通りにしたいんですが、橋部先輩がもし犯人だったら、あまりにも
無策で、ミステリマニア失格じゃないですか」
「というと? トリックを弄して、アリバイや密室を作れとでも言うのか」
「そうじゃなくて、仮にもミステリ研の部員が犯人なら、何らかのトリックを使って、
自らが容疑圏外に逃れるようにするもんでしょう。そういう立場から見れば、先輩は犯
人じゃない。だから、疑ってもしょうがない」
 無茶苦茶な理屈だなあ、真瀬君わざとやってるな……と、柿原は感じた。
(このタイミングで、橋部さんと小津部長の会話に出て来た『あれ』の話を持ち出した
ら、真瀬君も橋部さんを疑うようになるのかな。まあ、そんな真似をしても混乱を生じ
させるだけだろうから、しないけど)
 柿原は暴走気味の真瀬を止めるために、別の話を持ち出すことにした。
「真瀬君、僕も言わせてもらうよ。いいだろ?」
「独演会をさせてもらってる訳じゃあないしな、ご自由にどうぞってやつだ」
 真瀬は椅子に座り直すと、ほとんど進んでいない食事に、少し手を着けた。皿を引き
寄せる際に、また左の手の内側を掻いた。
「じゃあ、僕からは、さっき関さんのコテージにあったマッチ箱をテーマに。2番コ
テージに入った全員で見ましたけど、中に九本のマッチ棒が残っていました。再分配し
たのが、昨日の昼過ぎ。その時点で十本ですから、夜を迎えて一本だけ使ったことにな
る。事実、缶に立てたロウソクは少し短くなっていましたし、軸の半分ほどまで炭化し
たマッチ棒一本が、その缶の中にありました。計算は合います。でも、犯人は何故、マ
ッチ棒を持って行かなかったんでしょう? 夜の闇で行う作業が、犯人には残されてい
たはずです。9番コテージ前の、小津部長が倒れていた辺りまで行き、小サイズながら
たき火を起こし、2番コテージの鍵や凶器を燃やし、人形を炙る。まあ、人形作りまで
は、さすがに明るい内にやったでしょうけどやることは結構あります。マッチ棒は少し
でも多い方が心強いはず」
「そりゃあ、十本で充分だったんじゃないか」
 戸井田は当たり前のように言うと、口元を手の甲で拭った。
「下手にマッチ棒の所有数を増やして、調べられたら、証拠になりかねない」
「理屈は分かります。でも、逆に言えば、手持ちのマッチ棒が極端に少なかったら、も
しくは、ロウソクの消費が異様に早かったら、最有力容疑者扱いです。念のため、奪っ
ておいても損はない。多い分は、燃やせばあっという間に始末できるのだから」
「……焦っていたから失念してた、ぐらいしか思い付かん」
「僕も分かりません。不思議でしょうがありません。そこで提案です。今すぐに、各自
のマッチ棒の数を調べましょう」
 テーブルに着く全員を見回した柿原。この雰囲気の中、反対を唱える者はいない。橋
部から、「ロウソクは調べなくていいのか」との問い掛けがなされた。
「ロウソクはこの場に持って来ていない人がほとんどでしょうから、後回しでいいで
す。では、言い出しっぺの僕から。まず、火起こし用に余分にいただいた五本は、とう
に使いました。真瀬君とお互いに証言できます」
 唐突に名前を呼ばれたせいか、真瀬は暫時、目を見開いたが、じきに戻った。そして
「その通り」とだけ言った。
「五本では足りなくて、僕が一本、真瀬君が二本、竈や風呂のために使っています。こ
れで僕は残り九本。夜になってから二本使ったので、手元にあるのは七本」
 こう話してから、マッチ箱の抽斗を開けてみせた。間違いなく、七本のマッチ棒があ
る。
「じゃ、流れで次は俺ですね」
 真瀬が言い、席から立った。柿原とは逆に、語る前にマッチ箱をぽんと投げ出す。
テーブルの上で開けられたそれには、マッチ棒が八本あった。
「火起こし以外に全然使わなかったのか」
「夜、外灯が消える前にコテージに戻りましたから。前に言ったように、自分のコテー
ジまでなら外灯が点いている間であれば、マッチやロウソクの明かりなしに行けるもん
で」
「……待てよ。2番コテージまでも明かりなしで行けるんだったよな」
「二番目の殺人が起きたのは、どう考えても夜中ですよねえ? 外灯が消えたあと、明
かりなしで行くのは無理。無理だっていう証明は難しいかもしれないが、それを言い出
したら、皆さん方だって、本当は暗闇でも自由に行き来できるのに隠しているだけとい
う可能性は否定しきれない、ですよねっ?」
「いや、細かいことはいい。消灯後に行き来できたとしても、犯人なら、メインハウス
で包丁を探したり、9番コテージの前でたき火の準備をしたりせねばならない。マッチ
が絶対に必要だ。全く減っていないのなら、おまえをシロ認定するのは当然だ」
「どうも。そもそも、俺には動機がないですし」
 当たり前のことを認められても別に嬉しくない、と言わんばかりに肩をすくめた真
瀬。今度は左手で右手の甲をさする仕種をした後、マッチ箱を仕舞う。場の空気に刺々
しさを残したまま、他の部員達のマッチ棒の残りも確認がなされた。一覧にすると、次
のようになる。
      橋部5 戸井田8 真瀬8 柿原7
   村上8 沼田9  湯沢9 犬養6
 全員が十本でリスタートし、橋部の消費本数が多いのは昨夜、小津の右足が見付かっ
た件で、率先してマッチを使ったのが大きい。ただし、橋部以外がカウントしていた訳
ではない。五本の具体的な使い道となると、客観性はなかった。
 彼に次ぐのが犬養だが、相変わらず、マッチを擦る行為が苦手と言われるとそうかも
しれないし、着火に失敗せず、他のことに使ったかもしれない。
「折れて火が着かなかったマッチ棒、どこかに置いてない?」
 柿原が聞くと、犬養はそれを非難と受け取ったのか、ふくれ面になった。
「置いてません。そのままだと危ないと思って、燃してから捨てていましたの。いけま
せんか?」
「いけなくはないけど、前にも同じようなことがあったんだから、今度は置いておいて
くれたら、無実の完全な証明になったかもしれないのに、と思って」
「殺人事件が続けて起こるなんて、想像もしていませんでしたから」
 分かり易く機嫌を損ねた犬養だったが、戸井田が隣にやって来て、何やら声を掛ける
と、収まったらしい。すまし顔に戻った。
「皆、食べ終わったようだし、このままロウソクも再チェックと行くか」
 橋部が言った。マッチの本数で言えば、彼が一番怪しくなるが、ロウソクを上手く使
いこなせば、昨夜から今朝に掛けて行われたであろう犯行の数々に必要なマッチの本数
は、一本だけで済むかもしれない。その代わり、ロウソクは短くなるが。
「ロウソクの長さも大事でしょうが、外部との連絡についても、方針を決めないと」
 村上から釘を刺されたこともあり、ロウソクのチェックは手短に行われた。その結
果、仕舞われていた柿原の分一本を含め、極端に短くなっていた物はなかった。
「ついでにと言っては変ですが、割り箸も調べましょう」
 柿原が提案した。
「空き缶に小さな空気穴をいくつか開けて、その中で割り箸を燃せば、明かり代わりに
なるのを思い出したので。それに明かりとは別に、例の人形も使われていましたし」
 この合宿では、食事には各人が用意したいわゆるマイ箸を使っているが、調理には割
り箸を用いている。一日を通じて三膳ほどが使われるが、夕方には竈もしくは風呂焚き
に回されるため、残らない。よって調査対象は未使用の物に限られる。
「私達の把握している限りでは、新品の割り箸が二膳分、計算が合いません。少ない」
 料理を主に受け持つ女性陣を代表して、沼田が調べた結果を報告した。
「たったの? 四本だけではどうしようもない」
 戸井田が首を横方向に何度か振った。
「確か二本が人形に使われて、たき火にも残り二本を使ったとずれば、それで終わり」
「そこら辺の枝では、湿っていて燃えない、か」
 橋部が言ったように、問題のたき火跡でも、実際に燃えたのは割り箸と紙ゴミだった
らしく、枝はほぼ焼け残っていた。
 これらの経緯を受け、疑惑が橋部に向いてしまった。急先鋒は、やはりとすべきか、
真瀬である。
「橋部先輩、マッチとロウソクを調べて、最も容疑が濃いのはあなただと言うことにな
りそうだ。それ自体は認める?」
「証拠と常識的な理屈からすれば、そうだろうな。犯行を認めはしないが、疑われるの
はやむを得まい」
 当人は否定しなかったが、外野から意見が飛んだ。柿原だった。
「待って、真瀬君。最初の事件と違って、昨晩から今朝未明までの犯行に必要なマッチ
棒の推定は難しいと思う」
「どうして? 最低でも二、三本。闇の中で物を探すから、もっと必要だろう」
「はっきり説明してなかったけれども、切断された足を見付けて調べる過程で、懐中電
灯を使ったんだ。だからまず、犯行に懐中電灯が使われていないことを確かめたいな。
ねえ、村上さん?」
「あのあと、金庫に仕舞ったわよ」
 話のいきさつから、自らにお鉢が回ってることを予想していたようだ。村上は即答す
る。
「さっき、君のロウソクを取り出したときに見たから、いちいち調べに行かなくても答
えられる。間違いなく、懐中電灯はあった。動かされた形跡もなしよ」
「分かりました。ありがとうございます」
 柿原の言葉に被せるようにして、真瀬が「ほうら見ろ」と短く口走った。
「慌てないでよ、真瀬君。まだなんだ」
「まだ? そういえばさっき、『まず』とか言ってたな」
「うん。もう一つの可能性、携帯端末の明かりを利用した可能性を検討しないとね」
「携帯のって、そんなことすれば、あからさまな疑惑の材料を残してしまう。だから使
わないというのが読みだろ。それともあれか。裏を掻いたっていうのか」
「いや、自分の携帯を使う可能性はないと思ってるよ。まあ、調べてみてもいいだろう
けど、今僕が言いたいのは、亡くなった二人の携帯端末」
「あっ」
 真瀬以外にも、虚を突かれたような反応の声が複数あった。
「尤も、小津部長のコテージはしっかり閉ざされているし、再度、格子を外す面倒を犯
人がやるとも思えないから、無視していいかもしれない。最優先で調べるべきは、関さ
んの携帯」
 柿原は力強く言い切った。

 有志三名――柿原と村上と湯沢とで、関のコテージ内を改めて探すことになった。犯
人が関の携帯電話を持ち去った恐れが懸念されたが、幸い、すぐに見付かった。荷物の
一番上に置かれていた。代表して、村上が手に取る。念のため、軍手を填めている。
「彼女、ロックを掛けてないのね。――減ってはいるけれども」
 村上は首を捻りながら、液晶画面を二人に向けた。とりあえず、現時点での表示をカ
メラに収めておく。それからじっくり見ると、バッテリー残量は半分を少し下回ってい
た。
「ほとんど使わずない環境で、充電せずに四日目なのだから、自然に減った分がこんな
ものよ。単純に比較していいものか怪しいけれども、私のも確か同じぐらいの残量」
 喋りながら、村上は自身の携帯で確認をした。同様の減り具合だった。柿原と湯沢も
それぞれチェックし、「僕も同じくらいです」「私もおおよそ半分ですね」と知らせ
た。
「当然、何かを照らすのに使ってはいないと。残念だけど、橋部さんへの真瀬君の疑い
は、消せそうにない」
 携帯の電源を切ろうとした村上を、柿原が止めた。
「あ、待ってください。ついでに、少し調べましょう」
「調べるって、これを? プライバシーの侵害よ」
「そんなつもりはありません。村上さんも承知の上で、敢えて忠告してくれているんで
すよね?」
「……何を調べたいの」
「関さんはハチを気にしていました。ハチが苦手だとしても、あんなに気にするのはち
ょっと変だった。もしかしたら、事件に関連する何かに気付いて、ハチが気になったの
かも」
「ないとは言い切れないでしょうけど、今の時季、ハチは実際にはいないんでしょう
?」
「はい。だからこそ気になりませんか。関さんは多分、ハナアブをハチと見間違えたん
でしょうけど、怖がっている素振りは感じられませんでした」
 柿原が言うと、湯沢が同意を示した。
「私も関さんが言ってるのを聞きましたけれど、怖がっているという風ではなくって、
気にしてる感じ? もしかしたらハチがいるんじゃ……っていうニュアンスに聞こえた
かな」
「関さんは蜂蜜にアレルギーがあったとか、ないですよね」
 柿原が女性二人に尋ねた。村上と湯沢は顔を見合わせ、首を傾げた。
「聞いたことないわ。もしアレルギー持ちだったなら、日常生活で周囲の人達にも知っ
てもらわないと危険だから、黙っていることはないと思うけれど」
「あっ、私、関さんが蜂蜜の掛かったクレープを食べるのを、見た覚えがある」
 湯沢の証言ではっきりした。
「ハチの刺す行為を怖がっていたのではなく、アレルギーでもないとしたら、何が残る
のかしら」
 村上の疑問に対し、柿原はあることを思い付き、「携帯の検索履歴、見てみません
か」と言った。
「何故? キャンプ場を含むこの辺りでは、全然つながらないはずよ」
「だめと分かっていても、試してみたくなることってありませんか」
「もちろんあるわ。実を言えば、小津君が亡くなって、土砂崩れで閉じ込められたと分
かったあと、つながらないか、一度だけやってみた。だめだったから、すぐにあきらめ
たけれども」
「それです。村上先輩と同じ心理で、関さんはアクセスを試みたかもしれません」
「いや、だから、どうして検索履歴なの?」
「根拠はあってないようなものですが……ネットにつなぐか電話を掛けるかしようとし
た記録があったとしても、見たってしょうがない。意味があるのは検索履歴だと思っ
た、それだけのことです。つながらなかったはずですから、実際には変換履歴になるの
かな」
「ハチについて、関さんが何か調べようとしていたかもしれない、と言うのね。日本語
入力の変換履歴は――」
 柿原の意図を解した村上は、関の携帯を手早く操作した。
「あ。昨日、アブとアナフィラキシーショックを変換していた記録があるわ」
「アナフィラキシーショック!」
 疑問が解けた気がした柿原。だが、それはほんの短い間のことで、根本的解決にはつ
ながらないと思えた。
「アナフィラキシーショックって、ハチに二度目に刺されたとき、起こす恐れのある症
状でしょ? それをどうして関さんが調べてたのかな」
 湯沢が口にした疑問に対する解答は、推測が可能だった。
「多分だけど関さんは、小津部長の死はアナフィラキシーショックが原因ではないかと
考えた。でもハチはいない。アブでも同じことが起きるのかどうかを知りたかったんだ
と思う」
「アナフィラキシーを思い付いたのはいいとして、誰にも言わなかったみたいだが、そ
れは何でなんだろう。殺人じゃなく、事故だった可能性が高くなるのは、いいことじゃ
ないの」
 村上の眉間には深い皺ができていた。関の行動が理解しがたいものに映ったのだろ
う。
「……分かりません。小津部長の遺体の様子は、アナフィラキシーショックが起きたと
きの症状に似ている気がします。でも、関さんは明らかに殺されている。部長の死も、
アナフィラキシーショック等の事故じゃなく、他殺と見なすのが妥当……」
「わざとアナフィラキシーショックを起こさせたとしたら?」
 湯沢の放った意見に、村上も柿原もしばし言葉を失った。
「あの……?」
「故意にアナフィラキシーショックを起こさせたとしたら、れっきとした殺人。そし
て、犯人はそのことに気付いた関さんを口封じした――あれ?」
 村上は一気に喋ったが、不意に止まった。
「事故死を装うつもりだったなら、足を切断するのは真逆の行為だわ」
「そう、ですね」
 理屈が通らない。見通す先に光が差し込んだかと思ったのに、かえって混乱してき
た。
「右足に傷をたくさん付けたのは、ハチの刺し傷を隠すために思えます」
「そもそもの話、ハチはいないんでしょ? どうやってアナフィラキシーショックに見
せ掛けるの?」
 柿原は黙った。これ以上考えても、泥沼にはまり込むだけのようだ。
「村上さん、湯沢さん。この検索のことは、他の皆さんには打ち明けないでおきません
か。知ったら、今の僕らと同じように、迷宮に入って出られなくなりそうな気がしま
す」
「――なるほどね」
 村上は少し考え、分かったように頷いた。
「ここにいる三人の中に犯人がいないなら、犯人に対する情報隠しにもなる、というこ
とかしら」
「好きに解釈してくださって結構です、はい」
「基本的に賛成。でも、誰か一人だけ、他の意見を聞いてみたいわね。橋部さんとか」
「橋部さんはアリバイがないので、できれば避けたいですが」
 他にアリバイがあると言えそうなのは、戸井田、犬養、真瀬の三人だが、戸井田と犬
養はそれぞれどちらかに話せば、他方に喋ってしまう可能性が高い。真瀬は些か興奮気
味なのが気になる。アリバイのない沼田は、小津の死にショックを受けてから依然とし
て落ち着いていないように見える。
 こうして適任者がいないことを、柿原自ら認めた。
「結局、橋部さんが一番いいみたいですね。真瀬君に言わせれば、橋部さんへの容疑は
濃くなる一方なんだろうけど」
 湯沢からも反対意見は出なかったため、検索履歴の件は柿原が折を見て橋部に伝える
ことになった。
 小津の携帯端末のバッテリーも異常なしであることを確かめたあと、メインハウスに
戻った。と、真瀬が「時間が掛かったようだけど」と、柿原らにまで疑うような目を向
けてきた。
「携帯を見付けるのに、少し手間取ってしまってさ」
 予め考えていた釈明をしてから、柿原は関の携帯端末のバッテリーが、放置しておい
て自然に減る割合を逸脱していなかったことを告げた。
「そうか。こっちも待っている間、念のために、互いの携帯を調べていたんだ。誰もお
かしな減り方はしていない」
 真瀬はそれから、村上に顔を向けた。
「公平を期して、そちらの三人の分も調べたいんですけどね」
 拒む理由はない。調べた結果、村上、湯沢、柿原の携帯も通常の減り具合だった。
「残るは柿原、君のノートパソコンだ。前に何度か大学へ持って来たとき、バッテリー
がへたっているのか、減るのが早いと嘆いていたよな。満タンで八時間持つはずが、使
い始めて直に七時間ぐらいになるって。あれ以来、バッテリーは交換して――?」
「いない。勿体ないから、使える内は使うよ」
「その分じゃあ調べても意味がなさそうだが、持って来てくれるか。あ、いや、こっち
から足を運べばいい。今度は俺と村上先輩が着いて行くということで」
 イニシアチブを取る形の真瀬には、何かに取り憑かれたようなものを感じなくもな
い。今は大人しく従っておくとしよう。
 その後、7番コテージにて行われたチェックで、柿原のパソコンのバッテリー残量は
36パーセントと表示された。判断の難しい値に、村上だけでなく、真瀬も黙ってい
る。柿原はとりあえず、使用状況を話すことにした。
「夜になって色々メモを書いて、そのあと、このバックライトで本を読んでみたんだ」
「あれか。ロウソクを使うのかと思っていたら、こっちとはな」
 二人のやり取りのあと、古本を借りていたことを柿原が村上に伝えた。
「それで、六時前ぐらいに起動したときが残り六時間目安で。九時前にスイッチを切っ
たから、三時間使ったことに」
「計算上、おかしくないわね。昨日よりも前にも、こっちに来て使ったんでしょう? 
その分を含めると、昨日の夕方に起動した段階で残り六時間。三時間経って残り36
パーセント。満タン八時間の36パーセントは、大体三時間」
「疑うとすれば、夜六時前から九時前まで、ずっと点けていたかのかってことになる
が」
 真瀬の言葉には遠慮がなかった。
「ソフトを起ち上げ、文章も書いていたから、自動保存機能が働いていると思うよ。そ
の記録を見てくれたら、一定間隔で文書が保存されたと分かるはず」
「なるほど、理屈だな」
 真瀬と村上が柿原のパソコンを触って、タイムスタンプに当たったところ、六時から
九時までの間に、十分おきに文書保存がなされていると分かった。
「犯行にパソコンのバックライトを使ったという線も、これで潰せた訳ね」
 村上の言葉に真瀬は首を縦に一度振ってから、ただしと言い添えた。
「厳密には、十分おきに起動させることで、バッテリーの節約は可能だけれども、その
電源の入り切りの記録も残る。犯行に使ったとすれば、真夜中に使った記録だって残
る。あとで調べてすぐにばれるような嘘を、こいつがつくとは思えないので、認めるこ
とにしますよ」
「嬉しいよ。皮肉でも何でもなく」
 柿原が微笑を浮かべてみせると、真瀬は少々気まずそうに、ぷいと背を向けた。
 そうしてメインハウスに戻って来るなり、真瀬は言った。
「今度こそこれで決まり。現時点での最有力容疑者は、橋部先輩、あなたになります
よ」
 彼の声には、どこか勝ち誇った響きがあった。ぎすぎすした雰囲気の中、パソコンが
使われた可能性がなくなったことが知らされる。橋部は年長者として冷静に受け止め
た。
「そうだな。客観的には俺が第一容疑者になる。さっきも言ったように、犯行を認める
訳じゃないが」
 答えると、村上の方に顔を向けた橋部。
「すまないが村上さん、俺が主導権を握ってあれこれ決定を下すのは、ここまでのよう
だ。これからは君が決めてくれ。しっかりしたアリバイもあるし、村上さんなら皆、文
句あるまい」
「……やむを得ない状況ですから引き受けます。責任を問われる立場であるのは元から
変わりませんし」
 あきらめを含みつつも、改めて覚悟を決めたように、村上は応じた。そして混乱の口
火を切った真瀬に聞く。
「それで? 真瀬君はこのまま犯人探しを続けたいのか、歩いてでも早く下りていって
外部に知らせたいのか。どっちがしたいの」
「全員揃っての移動が原則なら、従いますよ。歩きながら、色々と言うだろうけど」
「結構。他の人も賛成――ああ、犬養さんは? 体調は戻った?」
「完全にじゃありませんけれど、だいぶ。ゆっくりしたペースなら、ついて行けると思
います」
 犬養がやる気を見せたちょうどそのとき、横に立つ戸井田が「あれ?」という声をこ
ぼし、斜め上方の天を見た。
「どうにか聞こえた予報じゃあ、降らないはずなんだけどな」
 そこには黒い雲がじわりと広がっているようだった。すでに雫が地を叩く音が、遠く
から届いている。十分と経たない内に、この辺りも雨に降られると容易に推測できた。
「出発は延期しなければいけないみたいね」
 村上が呟くのへ、真瀬が言った。
「本意じゃないが、再び土砂崩れが起きるってこともあり得るんじゃ?」
「そうね。雨が上がっても、出発は安全確認ができてからにしたい……戸井田君、ラジ
オの電池はまだ保ちそう?」
「新品を入れて来た訳じゃないから分からない。でも、多分、大丈夫」
 ラジオの乾電池は懐中電灯のそれとはサイズが違うため、代用は利かない。
(外部への通報が、どんどん遅れる……嫌な感じだ)
 出入り口まで来た柿原は、軒先の外へ右手を出してみた。雨粒が包帯に滲んだ。

 出発の準備という名目で、皆が各自のコテージに籠もり、しと降る雨がかえって静か
さを強調する。そんな中、柿原のコテージに橋部がやって来た。
「何か手伝うことないか」
「特には……」
 とりあえず、先輩の言葉を真に受けた返事をした柿原。そのあとに話が続かないのを
見極めると、逆に聞いた。
「事件のことで話があって、来たんじゃありませんか?」
「ご名答。手伝う用事があるってことにして、中に入れてくれ」
 応じると、橋部は上がり込んで、ドアをロックした。傘は外から壁に立て掛けたよう
だった。
「手短に言うと、零余子のことを見ておこうと思ってな」
「僕もそうしたいと思ってました。あと、高枝切り鋏も」
 柿原の返答に、橋部は我が意を得たりとばかりの笑みを浮かべた。
「天気はよくないが、見る分には問題ないだろう。何らかの発見があった場合、他の連
中に言うかどうかが、悩みどころ」
「何を発見したかによるでしょう。どちらかと言えば、何も発見できなかった場合、人
形に零余子が使われた事実を皆さんに知らせるかどうかの方が、重要な気がします」
「かもしれんなあ。うーん」
「橋部さんの他に、零余子の生える場所が限定的だという話を、どなたが知ってるんで
しょう?」
「うん? おまえを除くと、小津だけだ。というか、小津が最初なんだ。小津の親族が
このキャンプ場を所有してるって話は、したっけか?」
「噂で聞いたぐらいですが」
「充分だ。小津なら合宿時に限らず、このキャンプ場に何度か来てるだろうから、零余
子の生える特定の場所を把握できたんだな。それを春の合宿で、俺にこっそり教えてく
れたんだよ。いつかトリックに使うつもりだけど橋部先輩なら使ってもOKですよって
な。俺がその前の夏頃に、トリック作りのヒントをやったんで、そのお返しってことだ
った」
「ははあ。じゃあ、小津部長が亡くなるまでは、誰にも言っていなかったと」
「もちろんだが、俺も後輩のネタをそのまま使うのも何だかなぁ、と思って、お蔵入り
させていた。今回、小津が山の案内をしたと聞いたから、てっきりおまえ達に話したん
だと思ってたが、違っていたようだし、小津も誰にも言わなかった訳だ。他の部員が自
力で気付いた可能性を排除するものじゃないが、今頃の時季にここに何度も来たことが
なければ、気付けるはずがない」
「なるほど」
「それじゃ、行くか。雨、ましになったようだから、ちょうどいい」
 腰を浮かした橋部。が、柿原にはまだ話があった。自らも立ち上がって引き留める。
「朝食後、2番コテージに村上先輩達と行ったとき、ちょっとした発見があって、でも
内密にしていたんです」
 それから関の携帯端末にあった検索履歴(変換履歴)について、過不足なく説明す
る。
「と、そんな訳で、他の四人には今は内緒で。その上で、橋部さんのご意見を」
「聞いたばかりでは難しいな。考える時間をくれ。今は、零余子を先にしよう」
「はい。それと、あとでもいいんですけど、高枝切り鋏も見ておきたいんですが」
「分かった。先に鋏だな。みんなに見られても、他に凶器になり得る物がないか、調べ
ていたと答える。いいな?」
 黙って首肯した柿原だったが、また別のことを思い起こし、声を上げた。
「あ、僕、傘を持ってきてないんでした」
「……山を甘く見てるな。しょうがない。俺のはでかいこうもり傘だから、入れてや
る」
 男同士で相合い傘となった上に、橋部の方が背が高いこともあって、先輩に傘を持た
せる格好に。柿原が肩をすぼめているのは、雨を避けるためだけではなかった。
「よし。あった。あれが鋏だ」
 物置小屋に来ると、奥まで入って行き、橋部が指差す。高枝切り鋏は、左隅の棚に寝
かされていた。摘果用ではなく、剪定鋏の柄を長くしたタイプで、全長で約二メート
ル。全体は金属の銀色、所々に青や黒のラインが横に入っている。持ち手部分も黒色。
刃の部分にはオレンジ色のカバーが被せてある。
「最近、使用されたかどうかまでは分からないが、自由に持ち出せる環境にあったのは
確かだな」
「持ち手を捻って縮めれば、一メートルもないですね。これなら持ち出しても、さほど
目立たない」
 無論、目撃されれば何事かと聞かれるかもしれないが、言い訳はいくらでもできよ
う。
「次、行くか」
 物置小屋を出る前に長靴に履き替えておく。柿原は右手の怪我がちょっぴり気になっ
たが、紐を結ぶときはしっかりと力を入れた。
「器用なもんだ」
 感心した風な口ぶりの橋部。柿原は首を横に小さく振った。
「いやいや。あのときも感心したんだぜ」
「あのときって?」
「『他履くの紐』実験の第二弾だよ」
 『他履くの紐』:“人は他人の靴紐を結んでやるとき、自分の靴紐を結ぶときとは逆
の結び方になるのかどうか”を調べるミステリ研内の実験は、第一弾が現二年生と三年
生を対象にしたが、第二弾は新入会の一年生を対象に、散発的に行われた。
(あのとき居合わせた人で、今回来ている人は、小津部長を含む先輩方全員と、一年生
では犬養さんと湯沢さんか)
「あのときは意に沿わないやり方をしちゃったみたいで」
「あれはあれでよかったさ。そうそう、柿原は最後だったから直接は見てないだろうけ
ど、犬養さんの結び方がおかしかったんだ。変と面白いの中間みたいな」
「へえ、初耳です」
「結ばれる役は戸井田がやったんだが、犬養さんは何と、戸井田のいる側に回って、後
ろから手を回して結ぼうとしたのさ。あれには唖然としたよ」
「ははあ。なるほど、それでかな?」
「うん、何が?」
「えっと、あとで時間があるときに話します。お喋りで時間を取られてる場合じゃない
ですよ」
 準備万端整い、山の方を目指して歩き出した。と言っても、山の登るのではなく、そ
の入口とでもすべき地点だから、楽だ。初日と前夜に訪れているので、柿原にも勝手は
分かっている。
「あれだ」
 左手を伸ばして示した先には、びわの木が崖の方へと幹を伸ばしていた。その枝のい
くつかに、蔦のような物が巻き付き、螺旋を描くような感じで先端へ向かっている。
「――あ、切った跡みたいなものが」
 柿原は念のため、小さな声でその発見を伝えた。一本の比較的細い枝が、他と比べて
不自然に短い。よく見ると、その先端では白い木肌が覗いている。
「自然に折れた感じじゃない。高枝切り鋏を用いて、あの枝を切ったのは確かだ。零余
子の蔦も同時に切ったと思うが、さすがにはっきり断言できるもんじゃないな」
「さっき見た鋏で切った場合、落ちちゃいませんか」
 不安に駆られ、尋ねた柿原。返って来た答は、すぐに安心させてくれるものだった。
「うまくやれば、刃に挟んだ状態で、手元に持って来られる。いや、どちらかと言え
ば、きれいに切り落とす方が難しい。丁寧に手入れしてる訳じゃないからな」
「よかった。切られた枝、探してみます?」
「見付けたとしたって、あの枝の先端だったと決め付けられないと思うが……それらし
き物は落ちてるな」
 顎を振った橋部。その先を見やると、三つほどに細く分かれた、長さ七、八センチく
らいの枝が落ちていた。びわの木に間違いない。雨に濡れてはいるが、金属の刃で切断
されて、まださして時間が経ってないと分かる。
「あっ、蔦も絡んでます。零余子?」
「すまん。そこまでの知識はない。あの木を切った物がこれなら、蔦は山芋、つまり零
余子だってことは言える。何にせよ、物証になり得るから、保管しておくか」
「……目立たない方が賢明かもしれません。持ち帰ったところを犯人に見られたら、対
策を講じられる恐れがありそう」
「ふむ。人形だけでもかなり有力だが、枝を持ち帰ったことで逆に勘付かれては元も子
もない……理屈に叶ってる。ならば――」
 橋部は携帯電話を取り出すと、地面にレンズを向け、カメラ機能で問題の枝を写真に
撮った。さらに立ち木の方に焦点を合わせながら、「柿原も撮っておいてくれ」と言っ
た。

――続く




#1106/1112 ●連載    *** コメント #1105 ***
★タイトル (AZA     )  18/03/04  22:52  (467)
百の凶器 10   永山   (追記あり)
★内容                                         18/03/14 10:39 修正 第3版
 柿原は、一つの傘の下にいるのだから今すぐ撮影してもほぼ同じ角度の物ばかりにな
るだろうと思い、しばし待った。橋部が撮り終えた段階で、立つ位置を多少変えて、何
枚か写真に収めた。
「戻るぞ。また雨が強くなった気がする。すぐにやむと思ったのに」
「はい」
 急ぎ足で戻りながら、人形はどこに保管したんですかと聞いた柿原。
「村上さんに頼んで、例の金庫の中に。小さな金庫だから、これ以上、証拠品が出て来
たら、入りきらなくなるかもな」
「村上さんを信用できる人だと、橋部先輩も考えているんですよね?」
「まあ、事件に関してはな。小津が死んだ時間帯にアリバイがあるのが大きい。同じ理
由で、湯沢さんも」
「アリバイと言えば、犬養さんにもありますし、足の切断に関してなら真瀬君にも」
「柿原、おまえ、分かっていて言ってるんだろう?」
「何がでしょう」
「とぼけやがって。スイリストのおまえが見落とすとは思えん。ま、俺の私感を述べる
とだな、犬養さんのアリバイは、音だけで成り立っている点が気にならなくもない。真
瀬の方は、アリバイと言っても時間的な物じゃなく、マッチ棒の数だからな。たいまつ
でも拵えることができて、なおかつ、飛び散った灰や燃え残ったたいまつをうまく処分
できれば、可能性は残る。割り箸は否定されたが、紙を捻るなり何なりすれば、あるい
は」
「確かにそうですが、僕は犬養さんのアリバイ証人として、あのときの声は、コテージ
内から間違いなく聞こえたと言えます。たいまつ説については、燃え残りはともかく、
灰をきれいに消し去るのは無理だと思うんです。
 足の切断に関して、必要なマッチ棒の数を、落ち着いて考えてみたんですよ。9番コ
テージの格子は、八つのネジで固定されていました。暗がりであれを外すときは、ネジ
の頭を手探りで探せば何とかなるかもしれませんが、付けるのには、そうも行きませ
ん。ネジを落としたら元も子もないからです。ネジ穴を照らして見付け、ネジを穴に入
れ、ドライバーを宛がって回す。一箇所につきマッチ一本、少なくとも八本のマッチ棒
が余分にいる。他にも、犯人自身のコテージと9番コテージとを往復する際には、ロウ
ソクを使ったはずですが、点けっ放しだとロウソクが短くなり過ぎて怪しまれるので、
9番到着後、不要時には消したはずです。何せ、足を埋めるときは絶対にロウソクの火
に頼ることになるんですから、コテージでは節約しなければいけない。コテージの行き
来で二本。加えて、コテージ内で足を切断するときも、どうしてもロウソクで照らす必
要があったでしょう。合計すれば十一本になりますが、最後のネジを締めるときに使う
マッチで、帰りのロウソクにも火を着けたとしたら、十本で済みますね。結局、十本の
マッチ棒を余分に持ってないと、犯行は不可能になる。ロウソクが余分に手に入ったな
ら、マッチは一本あれが足りるかもしれないのですが、ロウソクの数は亡くなった人の
分も含めて、合っているみたいですし」
「分かった上で、一応、否定の理由を持っているという訳か」
「先輩はどう思われます?」
「柿原の分析に一票入れてもいい。だが、それだと容疑者がゼロになるんじゃ?」
「いきなりゼロにはなりません。単純計算で、十本以上使っていたのは、犬養さんと真
瀬君。十本使ったのが僕と関さんになります」
「関さんは被害者になったから除外。おまえは火起こし係だから、実際には十本を丸
々、犯行に費やせる訳じゃない。除外。真瀬にしても、関の証言で余分には持っていな
かったと分かった。除外。犬養さんだけが残った」
「犬養さんにもアリバイがあります」
 柿原は頑なに主張した。
「それを認めるとなると、結局、容疑者がいなくなるじゃないか」
「そうなんですよ。どこかで間違ったんです。どこだか分かりませんけれど」
 とぼとぼ歩いて、メインハウスまで引き返して来た。ようやく小雨になったので、柿
原はここからは自分一人で戻れますと言った。
「長靴はそのままでいいんだな? 気を付けて行けよ。履歴の件は、もう少し考えと
く」
 そう言う橋部に礼を述べ、柿原は7番コテージまで急いで走ろうとした。が、このタ
イミングでこそ聞けることがあったんだと遅ればせながら思い当たった。かかとで急ブ
レーキを掛けると、泥水が散った。長靴だから気にせず、きびすを返して橋部のあとを
追う。じきに追い付いた。
「うん? やっぱり傘に入れてくれってか」
 振り返った橋部に、柿原は「あと一つだけ」と言った。傘の下に再び入ってから、深
呼吸をし、改まった調子で始める。
「橋部さん、もう遠慮している場合じゃないので、率直に伺います」
「お、何だ?」
「最初の日の夜、食事中に部長と話していた『あれ』って何なんですか」
「『あれ』? そんな話してたか」
「ええ。秘密めかして話しているのが、偶然聞こえただけですけど、この耳でしっかり
と」
「『あれ』ねえ……」
 記憶の掘り起こしに努める風の橋部。顎に片手を当て、斜め上を睨む様は、ポーズの
ようにも受け取れる。が、やがてぽんと手を打った。
「分かった、思い出した。『あれ』」ってのは、DVDソフトのことだ」
「やっぱり」
「何だよ、おい。質問しといて、分かってたのか?」
「い、いえ。何らかの映像であることだけは想像が付いていたという意味です」
「中身までは不明か。そりゃそうだな。秘密めかしたのは、みんなに見せるまでは文字
通り秘密にしておきたかったのと、もう一つ、結構恥ずかしいネタだからだ」
「恥ずかしい物だというのも、何となく想像していましたけど……橋部さんが、です
か」
 部員の誰かにとって恥ずかしい物だと推理していたのに、まさか、用意した当人にと
って恥ずかしいとは一体……もしや、小津が橋部を脅そうとしていたのかとまで考えた
柿原。しかしその推理は外れていた。
「勿体ぶるつもりはさらさらないんだが、その手の恥ずかしい物だから、言い出しにく
いというだけで。仕方がない。見せてやるから、コテージまで来るか」
「ぜひ」
 10番コテージまで、気持ち急ぎ足で辿り着くと、橋部は鍵を開けて中に入り、バッ
グを持って戸口に戻って来た。
「――これだよ」
 バッグの中から、無造作に取り出されたそれは、DVDのケースだった。もちろん、
中身も入っているのだろう。ジャケットにある文字は、こう読めた。
「『聖子のお尻』?」
「『痴漢電車 聖子のお尻』な」
「アダルト、ですか」
「ああ、見たまんま」
「市販品、ですよね」
「うむ。かなり旧い。昔はビデオソフトで出ていたらしい。検索したら、多分ヒットす
るはず」
「あの……市販品に、誰か関係しているんですか」
「誰かって?」
「ミス研の誰かが、ですよ」
「何を勘違いしてるか知らないが、そういうことは一切ない。恥ずかしいってのは、シ
ンプルかつストレートに受け止めろ。女性部員もいる部活に、アダルト物を持って来る
のはどうかという」
「じゃ、じゃあ、何でわざわざ持って来るんですか。他の機会を作れるでしょう」
「それでもいいんだが……知らないみたいだから、この際、教えておこう。アダルトビ
デオながら密室トリックのあるミステリ作品でもあるんだよ、これは」
「へ?」
「今は視聴するような雰囲気じゃないし、この先もいつ見られるか不透明だが、とにか
くあとで確認するといい。ハードルを上げたくないんで、詳しい内容は言わんよ」
「はあ……つまり、このDVDは、事件とは無関係……」
「そうだな。俺は犯人じゃないから、断言はできないが」
 橋部の言葉を、柿原は肩を落として聞いた。
「事件のポイントかもしれないと思って、ずっと気になっていたんです」
「がっかりする必要はない。関係ないということが分かったんだから、収穫ありだ」
「ええ……事件の全体像が、これでだいぶすっきりしました」
 気疲れを覚えつつも、柿原は頑張って笑みを作った。

 いつまで経っても、雨が上がることはなく、どちらかといえば天気自体が下り坂に入
ったようだった。
「お昼が来ちゃったか」
 時計と空とを交互に見やっていた村上が、困った風な声を漏らした。方針を決めるべ
く、メインハウスに集まったところだが、文字通り雲行きが怪しい。
「決断のタイムリミットは……四時といったところかしら? それ以降だと、橋のとこ
ろまで辿り着いた頃には、誰もいないなんてこともあるかもしれない。見張りの人が交
代で立つとは思うのだけれど、確証がないし」
「雨の勢いが強くなるようだと、監視カメラを置いて完全撤収ということもあり得そう
だからなあ」
 戸井田も先行きを見通せない現状に、不安を隠せない様子。ため息が増えている。
(事件が起きてなけりゃあ、一人か二人、体力のある人が行けば済む話なんだよね。ま
あ、事件がなかったら、車をパンクさせられてないだろうけど)
「俺としちゃあ、証拠が流れてしまう方が気になりますね」
 真瀬がやや唐突な物言いをした。挑発ではないにしても、何もできない今の状況にい
らいらしているのかもしれない。
 実際のところ、できる限りの応急処置はしておいた。雨の影響をもろに受けるのは、
たき火跡だが、大型のバケツを被せて保存に努めている。
「俺が言いたいのはそこではなくて、小津部長の右足が埋められていた場所。雨で分か
らなくなるんじゃないかって」
 真瀬の懸念も尤もであるが、完全に消えてなくなることはあり得ないだろう。キャン
プ場全体が土砂崩れを起こしでもしない限り。
「体力の温存を考慮して、そちらの捜索はしないでいたんだけれども、体力に自信があ
るのなら、やってみる?」
「どっちでもいいです。正直言って、疑心暗鬼に陥ってますから、俺」
 意外な台詞に、他の者の目が一斉に真瀬へと注がれる。
「捜索して埋めた場所が見付かったとしたって、俺自身が見付けたのでなければ、発見
者に疑いを掛けそうです。分かってるんだ。何かもう、信じられるものがなくて、耐え
るのがしんどくなってる」
 真瀬は机に投げ出していた手を組むと、右の親指で左の手の内を掻くような仕種をし
た。
「あの、真瀬君。気になってたんだけど」
 どう対処していのか戸惑う空気が漂う中、柿原が声を掛けた。
「左の手の平を掻く回数が増えてるみたいだ。ウルシのかぶれが今頃になって酷くなっ
たんじゃあ?」
「あ? ああ、こいつか」
 自身の左手を見下ろす真瀬。自嘲の笑みを浮かべながら続けて言った。
「ウルシに触ったのは一日目か。凄く前みたいな気がする。しばらくしてから症状が出
て、ちょっと鬱陶しいなと思っていたら、関さんがかゆみ止めの塗り薬をくれた。何回
かもらってた間は収まってたんだが、今日は薬、もらってないから、かゆみがぶり返し
てきやがった」
「そういうことなら、早く言えばいいのよ」
 村上が反応し、動こうとする。2番コテージに行って、関の持ち物から塗り薬を探し
て持って来ようというのだろう。
 そんな村上を橋部が止めた。「行くのなら少なくとも二人一組で頼む」と言われ、村
上は湯沢を誘って、出発した。
 橋部はそれから真瀬に向き直り、「俺に言われるのは気に食わないかもしれないが、
手を見せてくれ」と求めた。
「別に今は、気に食わなくはないですよ。疲労困憊って感じで」
「いいから、早く」
 中途半端な開き方だった真瀬の左手を、多少強引に、きっちり見えるようにする橋
部。真瀬の左手のひらには、手相の一本が腫れ上がったような痕跡が認められた。細長
い形が、ウルシの形を想像させる。所々に、赤く小さな点がポツポツと見受けられた。
「俺の朧気な記憶だが、ウルシの症状が出るのは、触ってから八時間後ぐらいから、二
日後っていう場合もあるそうだ。薬を塗ってたとしても、よく我慢したなあ」
「関さんの薬だから、より効果があった気になったんですよ、多分。薬の効能じゃな
く、プラシーボかもしれませんね。――柿原だって、湯沢さんに手当てしてもらった方
が、治りが早い気がしたんじゃないか?」
「僕を巻き込まないでよ」
 抗議する柿原だが、刺々しかった空気が和らいできたことには安堵していた。ふと気
付くと、戸井田と犬養の二人も緊張が少し薄らいだ表情で、言葉を交わしている。沼田
はまだ浮かない顔だが、それでも最悪は脱したように思えた。
 しばらくすると村上達が戻って来た。彼女からチューブタイプの塗り薬を渡された真
瀬は、自分で左手に塗った。
「もらっておいていいと思います?」
 誰とはなしに問う口調の真瀬。まだ中身のある塗り薬を、ペンの如く右手親指の上で
回していた。村上が答えた。
「借りておくのなら、いいんじゃないの」
「なら、遠慮なく」
 胸ポケットに薬を仕舞うと、真瀬は俯いた。たまたま、左胸に右手を当てるポーズに
なったが、そのことが新たに感情を揺さぶったのかもしれない。
 そこへ、ぱんという乾いた音が立てられた。村上が手を打ち、皆を注目させる。
「どうするかだけど、四時までに雨が上がれば、そのあとの雲行きとは関わりなく、四
の五の言わずに出発しましょう。上がらなかったら、そのときの雨の勢いを見てから決
める」
「それでいいと思います」
 いち早く賛同したのは湯沢。話ができあがっていたようだ。柿原も続く。流れが作ら
れ、村上の方針がそのまま通った。
「それまでの間は、自由行動という訳にはいかない。なるべく、ここにとどまって欲し
いのだけれど、強制はできない。だから」
 村上は橋部の方を一瞥した。
「さっき、橋部さんが言ったように、動くときは少なくとも二人一組で。お願いできる
かしら」
 異議は出なかった。
(二人一組の行動を認めるということは、犯人と二人きりになるケースもある。でも、
その状況で相手を襲って殺したら、自分が犯人ですと言うようなもの。だから犯人は凶
行に走れない、という理屈なんだろうな。犯人が自棄になるとか、最後のターゲットだ
からばれてもいいとかだったら、組んだ相手はやられちゃうけど。現状、仕方がない)
 柿原は自分を納得させると、早速席を立った。
「あのー、僕、借りていたDVDのことで橋部先輩と話したいんで、ちょっといいです
か」
「内容まで断らなくていいのよ」
 村上は平板な調子で応じた。多分、柿原が橋部と何を話したいのか、本当のところは
察しているはずだ。
「橋部さんは?」
「問題ない。どこで話す?」
「物が手元にないので、僕のコテージの方にしましょう」
「分かった」
 7番コテージに向かって歩き出し、メインハウスから見えなくなる位置まで離れる
と、橋部の方から口を開いた。傘は二人で一本なので、殊更に耳打ちしなくても、小声
で充分聞こえる。
「まさかまじにDVDの話じゃないよな。携帯の履歴のことか」
「ええ。ご意見を聞かないと、村上先輩に怒られるかもしれません」
「何だそりゃ。まあいい。意見は着いてから述べるとしてだ。ぶっちゃけて聞くが、柿
原は俺を犯人だとは思ってないのか? DVDのことは解決済みとは言え」
「断定はしていませんが、フラットな状態よりは、犯人ではない方に傾いています」
「何を根拠に?」
「必要と思われるマッチ棒の数、ですかね。小津部長の右足切断は、僕の計算では誰も
当てはまらないことになってしまいますし、関さんが殺された事件で橋部さんは、10
−5で五本使える計算になりますが、僕は右足が見付かったあとの経緯を見ていました
から。懐中電灯を併用したとは言え、あのときの橋部さんは、マッチを五本近く使って
いた気がします。仮に四本しか使っていなかったとしても、一本ぐらいでは関さん殺害
とたき火の細工は無理です」
「完全客観という訳ではなく、主観混じりってことか」
「現実にはそういうものでしょう」
 7番コテージに着いた。泥跳ねを気にしながらのせいで、いつもよりは時間が掛かっ
た。ドアの施錠をしてから、早速本題に入る。
「さて、俺の意見だが。小津の死因が何であるかとは関係なく、関さんはアナフィラキ
シーショックによるものだと考えたんだと思う」
「……でしょうね」
「アナフィラキシーを思い付くには、何らかのきっかけがあったんじゃないか。たとえ
ば、アナフィラキシーショックを起こした人を見た経験があるとか。だが、それなら思
い付いてすぐにでも周囲の者に言えばいい。現実には、関さんは誰にも話していないよ
うだ。何故か」
「待って、ちょっと考えさせてください。……アナフィラキシーによる死であっても、
事故じゃなく、他殺だと考えたんじゃないですか?」
「同感だ。彼女は部員の誰かが、故意にアナフィラキシーショックを起こす狙いで、小
津の長靴にハチらしき虫を入れるのを目撃したんじゃなかろうか」
「でも部員の誰かを疑うには確証がなかったでしょうから、とりあえず調べようとし
た。ハチが飛んでいないか、アブでも同じようにショックが起きないかを」
「うむ。ここからが難関だ。ハチがいないのに、アナフィラキシーショックは起きるの
か? 蕎麦などの食べ物によるアレルギーでも起きるが、状況にそぐわないだろう」
「現状の僕らでは、知識や情報が足りないのかもしれません」
「……思い出した。仮にアブでアナフィラキシーショックが起き得るとしてもだ、小津
部長はそういう体質じゃあないはずなんだ」
「え、どうして言えるんです?」
 怪訝がる柿原に対し、橋部は明快に答えた。
「あいつがアブに刺されたのを、複数回目撃しているから。春の合宿や大学で」
「そうだったんですか。だったら、アブじゃなかったことになる……」
 二人とも黙ってしまった。別角度からの意見を聞くために橋部に話したが、彼もまた
迷宮に入り込んでしまったかもしれない。しかし、柿原は刺激も受け取っていた。
「そもそも、関さんはハチを気にしていましたが、目撃したのがハチに似た何かを長靴
に入れるところとは限らないんじゃないでしょうか」
「というと?」
「関さんが目撃したのは、誰か犯人が小津さんの長靴に虫のような物を入れる場面だっ
た。その後、小津さんが亡くなり、関さんはひょっとしたらアナフィラキシーのせいで
は?と考えた。アナフィラキシーと言えばハチ毒が真っ先に思い浮かびます。だからハ
チを気にしたのかも」
「ふむ……そういう考え方もできるな。彼女の行動はどうにか説明がつきそうだが、犯
人の方の行動は理解しがたい部分が残るぞ」
「右足切断ですね。事故に見せ掛けたいなら、そのままにしておくべきなのに、切断し
た上に刃物で傷つけるなんて」
「俺が考えたのは、犯人は小津部長の右足に、何らかの決定的な証拠を残した場合なん
だが。証拠を処分するために、切断して持ち去った。刃物で傷を付けたのは、証拠隠し
の目的を隠すため」
「おかしいです。橋部さんの言う通りだったなら、長靴ごと右足を埋めた理由が分かり
ません。埋めたことは未確認ですが、ほぼ間違いないでしょう」
「そうなんだよ。それに、犯人によって長靴に入れられた虫が死因なら、その虫は長靴
の中にいると思うんだが。犯人は虫を取り除きたくて、足を切断した、なんてこともあ
るまい。9番コテージに忍び込んだとき、長靴を脱がせるだけでいいんだから」
「虫がいなかったのは、シンプルに捉えていいと思います。刺された瞬間に察した小津
さんが、急いで長靴を脱いで虫を追い出し、また履き直したところで身体に異常を来し
たと」
「うむ、筋は通る。考えてみれば、部長は不運過ぎる。いつものように厚手の靴下を穿
いていれば、刺される可能性はずっと低かった。右足は通常の靴下でも、もし犯人が左
の長靴に虫を入れていたなら、左足は厚手の靴下だったから、やはり刺される恐れはぐ
っと減るだろうに」
「いけない、すっかり失念していました。靴下のことがあったんだ」
 顔の下半分に片手を当て、考え込む柿原。その間に、橋部が口を開く。
「小津が普通の靴下を右足だけに穿くよう、犯人が仕向けるなんてできそうにない。靴
下は、小津自身の選択だと考えるべきだろう。一方で、長靴を履いた状態では、他人が
見ても靴下が厚手の物か普通の物か、判別できない。となると、犯人が虫を右の長靴に
入れたのは多分、偶然だろう」
「……でしょうね」
 相槌を打つと同時に、柿原は小津の様子を思い起こそうと努めていた。二日目の午前
中、小津はどうしていたか。
「橋部さん。アナフィラキシーショックって、二度刺されることが必要なんでしたっ
け?」
「うん? いや、一度でも起きることがあると聞いた覚えがある。稀だとは思うが」
「そうなんですか。じゃあ、厳密さを求めるなら、だめかぁ」
「何だ、言ってみろよ」
「いえ、時間差で複数回刺されたパターンを想定していたんですけれど、考えてみれ
ば、長靴の中の虫に続けざまに二度刺された可能性だってありますし、これでは推理を
うまく展開できません」
「――柿原の言いたいことが、想像できた気がする。犯人が、アナフィラキシーショッ
クは二度以上刺されない限り起こらない、と思い込んでいたとしたら? 換言すると、
犯人は小津を殺害するつもりなんてさらさらなかった、ただ虫に刺されてちょっと痛い
目に遭えばよかった。なのに死んでしまったとすれば……」
 橋部の台詞を柿原は受け取り、継ぎ足した。
「犯人は大慌てでしょうね。事故死に見せ掛ける意図もなかったのだから、パニックに
なって、本当に死因が虫に刺されたことなのか知ろうとする。右足を切断して持ち去っ
たのは、その恐慌状態故の行動。そして確認の結果、虫に刺された痕を見付けてしまっ
た。ごまかしたい一心で、刃物を使って右足に多数の傷を付けた」
「おお、筋道は通るじゃないか」
 感嘆の響きを含む橋部の声。しかし柿原は首を左右に振った。
「確証がありません。加えて、関さんが殺されているという事実は大きいです。小津さ
んが実は過失致死で、関さんが他殺というのはバランスが変ですよ」
「いや、それだけを理由に捨てるには惜しい仮説だ。そうだな……関さんが殺されたの
も、パニックの延長と考えるのはどうだ」
「……考える値打ち、ありそうですね」
 他にも、左右で異なる靴下を穿く状況、火あぶり人形という過剰演出等、気に掛かる
点はまだ残っているものの、基本的にこの線で進めるのは悪くないと思えた。少なくと
も、小津の死に関して、犯人が事故に見せ掛けたかったのか否か、矛盾する行動を取っ
たことの説明になっている。
「ぼちぼち戻らんか? 二人だけで長々と話していると、他の連中からよからぬ相談を
していると誤解される恐れ、なきにしもあらずだろう」
 冗談とも本気ともつかない口ぶりで、橋部が言った。

 メインハウスに戻ってみると、六人の間でも議論が起きてた。口論と呼ぶ方が近いの
かもしれない。中心となっているのは、真瀬と湯沢らしい。ぱっと見たところでは、腰
を浮かせた真瀬が一方的に湯沢を責めているようだが、詳細は分からない。とにかく真
瀬が憤慨し、湯沢は項垂れ気味で、涙目になっている。
 橋部が村上に聞いた。
「何があった?」
 村上は湯沢を支えるかのように背に手を当てていたが、その役目を沼田に任せた。そ
れから真瀬に向かって、「今、二人に説明するから、その間は黙って聞いていてよ」と
鋭い調子で言い付けた。
 真瀬は不承々々といった体で頷くと、元いた椅子に座った。
 その様にため息を吐いた村上だが、気を取り直したように面を上げ、橋部と柿原にこ
との経緯を話し始めた。
「最初、湯沢さんがね、『私の言った防御方法を関さんがやっていたら、助かったかも
しれないのに』と呟いたの。あ、独り言って意味じゃなく、私が聞き手。ぽつりって感
じで話したのよ。詳しい説明を求めると、コテージの外側のノブにウルシの蔦を巻き付
けておけば、何かあっても犯人の手はかぶれるだろうから、防御になるかなって考えた
と。そしてそのことを冗談半分に、関さんにも言っていたらしいわ」
 柿原は内心、ああ、あのことかと得心していた。
(実行していたからと言って、関さんが助かったかどうかは分からない。彼女は犯人を
招き入れた節があるのだから。でも、湯沢さんが気にするのも理解できる。理解できな
いのは、これを何故、真瀬君が激怒してるんだろう?)
 柿原は不思議に感じつつ、真瀬をちらっと見た。そしてすぐに思い当たった。真瀬の
左手のことに。
(そうか。真瀬君は左手にかぶれの症状が出ている。そのことを言われたと早合点し
て、つまり犯人扱いされたと解釈して、あんなに怒っているのか)
 柿原が瞬時に想像したのと同じことが、村上の口から話された。
「本当にごめんなさい。誰かを疑うという気持ちなんて全然なくて、ただ、あのときこ
うしていればって、後悔した。それだけ」
 消え入りそうな声で、どうにか言葉を紡いだ湯沢。真瀬の方は無反応を決め込んだ様
子だ。既に落ち着きはだいぶ取り戻しているようにも見える。怒りの持って行き場がな
のと、振り上げた拳の下ろしどころを測っている。そんな風に見受けられた。
「真瀬君、気持ちは分かるけれど、僕から言わせてもらう」
 柿原は頃合いと見て、声を掛けた。もちろん、湯沢をこの状況から脱出させたい気持
ちも強くある。
「現実にウルシがノブに巻き付けてあったならまだしも、何にもなかったのにそんなに
怒るなんて、行き過ぎだよ」
「……そんなもの、犯人があとでウルシを取り去ったとしたら、関係なくなるじゃない
か」
「そもそも、関さんがわざわざ山まで入って行って、ウルシを採ってきたと思う? そ
んな手間を掛けるかどうか疑問だし、もし採取したなら、関さんの手か腕にも、かぶれ
た痕ができるんじゃないかなあ」
 軍手を填めて実行した可能性があるのは百も承知。ここは敢えて単純化し、議論のス
ピードアップに努め、畳み掛ける。
「まして、湯沢さんを責めるのはお門違いだ。彼女は関さんのためを思って言ったこと
なのだから」
「……」
「これ以上、湯沢さんを責めるのなら、代わりに僕が話の相手になる」
 決めに行くつもりで放った台詞。これで決められなかったらどうしようと、冷や汗も
のの柿原だったが、幸い、真瀬は退いてくれた。
「いや、相手にならなくていい。俺も悪かった。感情的になった。すまん、湯沢さん」
 両手を拝み合わせ、頭を下げる真瀬。左手の痛がゆさは、薬の効果が出てるらしく、
気にする仕種は見当たらなかった。
 湯沢の方も誤解を招きやすい発言を改めて謝罪したことで、この一件は収束した。

「橋のところまで歩いて行く前に、全部吐き出しておいた方が、お互いのためになるん
じゃないか」
 真瀬の興奮が静まった直後、橋部がそんなことを言い出した。村上がびっくりしたよ
うな見開いた目付きで橋部を見返し、遅れて聞き返した。
「何故です」
「現状、俺達は豪雨の被災者だということを念頭に置いて、考えてほしい。わだかまり
を抱えたまま集団で避難を始めても、些細なことで亀裂が入りかねない。出発前に、事
件に関連する気になっていることや疑いなんかがあるのなら、全て話して、すっきりさ
せた方が、集団行動によいと思うんだが、どうだろう」
「理屈は分かりました。けれども、わだかまりを言い合った挙げ句に、疑心をお互いに
持ったままスタートするのも御免です」
「だからさ、互いに言い合った結果、どうしても解消できないような物事があれば、そ
のときは全員一致の行動を見直さないか?」
 ここに来て、時計の針を戻すような提案。村上を含む何人かが、ええ?と拒絶の色を
示した。
「全員で行動しない方針を採るんでしたら、今ぐずぐずしてないで、体力のある数名で
行けばいいことになってしまいます」
「あー、違う違う。ばらばらに動くってんじゃない、二班ぐらいに分けようっていう案
さ。二つのグループとも、下を目指して移動する。時間差を付けるだけだよ」
「……そういうことでしたら」
 検討の価値ありと見たか、村上は静かになって考え始めた。しばらくして、村上は柿
原を見、また橋部を見た。その視線のまま、新たに問う。
「橋部さん。そう言われるからには、何か目算がおありなんですね?」
「どうかな。まあ、ゼロってことはないと思ってくれていい」
 村上はまた一つ、深く息を吐くと、「仕方ありません」と呟いた。
「司会進行は、橋部さんにお任せした方がよろしいのかしら」
「うーん、主導権は村上さん、君にある。進行役を誰にするかも、君が決めてくれりゃ
いい」
「その言い方だと、時間も限られていることですし、私がするしかないみたいですけれ
ど、いいんですね」
 現実的に考えて、一年生では荷が重い。三年生の橋部は辞退したも同然。二年の中か
ら選ぶことになるが、沼田は依然として調子が万全とは言い難く、残る村上と戸井田を
比べれば、より明確なアリバイのある村上が適任となろう。
「それじゃあ早速ですが、橋部さんから」
 と言い掛けた村上を、戸井田が制した。
「悪い。先に明らかにしておいた方がよさそうなこと、あるんだけど」
「何よ」
 出鼻をくじかれた村上は、少々不機嫌な口調で戸井田を促した。
「実は少し前に、真瀬から疑問が出されてたんだ。充電器を持ってきた奴がいるんじゃ
ないかって」
 戸井田の発言で、真瀬に注目が行く。村上は「充電器……」と呟く口の動きを見せて
から、「災害時用の手回し充電器?」と聞き返した。応じたのは真瀬。
「手回しタイプとは限らないけど、そういうことです。犯人が当初から犯行の計画を立
てていたなら、いや、計画を立てていなくても、携帯の充電をしたいから持って来たと
いうことは充分に考えられる。ですよね?」
「携帯端末を充電して、明かり代わりにした人がいるんじゃないかと疑っている訳ね」
 村上が合点してそう言うと、今度は再び戸井田が口を開いた。
「機械に詳しいってことで、俺が真っ先に疑われたみたい。その潔白を証明すると共
に、みんなについても調べようって訳」
「持ち物検査をするとでも? 時間を取りそうなのは、あまり好ましくないのだけれ
ど」
「かまわないだろ」
 渋る村上に対し、橋部が反対意見を述べる。
「時間がない訳じゃないし、時間が余ったらあとで調べようってほど軽く見なしていい
事柄でもあるまい。俺も充電器は気になる」
「それでは……男女別にコテージの近い者同士で二人一組になり、互いの持ち物とコ
テージをチェックするものとします」
 村上と沼田、犬養と湯沢、橋部と真瀬、戸井田と柿原という組み合わせで、すぐさま
調べが行われた。探すべき物のサイズが分からないだけに、簡単ではなかったが、三十
分強で終了した。そうして、充電器が使い物にならなくなるような隠し方(ばらばらに
壊して隠す、水没させる、埋める等)を除けば、誰もそんな器具を所持していないと言
えそうだった。
「充電器を持ってきた奴がいたなら、初日の時点で皆に言うだろう。誰も持って来てい
ないと見なしてかまわないと思う」
「しかし橋部さん、計画的犯行だとしたら、隠しておくはずですよ」
 戸井田が言った。真瀬からの疑いを完全に晴らしたいという気持ちが、表情に出てい
る。
「いや、ある理由から突発的な犯行である可能性が、非常に高いと考えてる。さっき、
柿原とそんな話になってな。ちょうどいい、柿原から説明してやってくれ」
 話を振られた柿原は、まとめる時間をちょっとだけもらって、小津の死が計画的な犯
行ではないとする推理を披露した。まずアナフィラキシーショックから始まって、犯人
が小津の右長靴に何らかの刺す虫を入れたこと、犯人に殺意がなかったと思しきことな
どをつなげ、過不足なく説明した。柿原が反応を窺うと、犯人の一見矛盾する行動をき
ちんと解釈できるせいもあってか、全員にすんなりと受け入れられたようだ。
「同じ理由で、懐中電灯などの明かりを持参しておきながら隠しているというケース
も、想定から除外できる」
 橋部はそう付け足すと、真瀬に目を向けた。
「納得行ったか?」
「あ、ええ、まあ」
 どこか上の空になっていた真瀬は、慌てたような返事をした。柿原の話の途中で充電
器や懐中電灯の可能性はとっくに捨てて、別のことを考え付いた風に見受けられた。
が、今ここで何か言い出す気配はない。
「じゃあ、次。戸井田君みたいに、どうしても先に言っておきたいことがある人、い
る? いたら優先して話してもらうわ」
 時計を見ながら言った村上としては、形式的な文句のつもりだったかもしれない。だ
が、すっと手が挙がった。
「沼田さん、何?」

――続く(問題篇.終わり)




#1107/1112 ●連載    *** コメント #1106 ***
★タイトル (AZA     )  18/03/23  22:27  (262)
百の凶器 11   永山
★内容                                         18/04/10 19:48 修正 第2版
 村上に言われてからも、沼田はしばらく口を開かないでいた。改めて、「言いにくい
ことでも、かまわないのよ。今は吐き出すための時間だから」と村上がフォローしたと
ころ、沼田は面を意識的に起こした。意を決した風に見えた。
「昨日辺りから気になっていた。戸井田君と犬養さんて、意外なくらいに親しいんだな
って」
 彼女の視線の先では、戸井田と犬養が並んで座っていた。
 急に名指しで話題に上げられた二人は、傍目にも分かるくらいきょとんとしている。
演技だとしたら、やり過ぎなほど。次の瞬間には、言われたことを理解したのか、椅子
を動かして少し距離を取る。
「それが何か」
 戸井田が固い声で聞き返す。沼田はすぐに答えなかった。決意の表情とは裏腹に、ま
だ言い淀んでいるようだ。その合間を埋めるように、真瀬が口を挟んだ。
「そう言や、蝋の痕が点々と続いていたっけ。1番と6番コテージ」
「どういうこと?」
 聞き咎めたのは村上。返答の前に続ける。
「夜、どちらかがどちらかを訪ねたのね」
「――はあ。自分の方が」
 真瀬の方をじろっと見てから、戸井田は認めた。
「いつからなの」
「は?」
「いつから親しい関係になったのかと聞いているの」
「そ、それ、今、言わなきゃいけないこと?」
 質問攻勢に、戸井田は必死に防御する。犬養は好対照なまでに静かなままだ。身体の
向きを斜めにし、話題を避けようとしているのは明白だが、澄ました顔つきが度胸の据
わり具合を示していた。
「普通なら聞かないわ。今だからこそよ。あなた達が付き合っているのなら、ちょっと
考え直さなきゃいけないことが出て来そうだから」
 村上のこの言葉で、沼田も最後の踏ん切りが付いたようだった。犬養に向けて、やや
刺々しい口吻で尋ねる。
「この合宿に来て、事件が起きたあとに仲がよくなったんじゃないよね? 前からじゃ
ないの?」
「――だったら何だと言うんですか」
 犬養は案外、落ち着いた返事をした。ただそれは冷静であると言うよりも、疲労から
来るもののように映った。
「あなたと戸井田君が以前からそういう仲だったのなら、アリバイを崩せる余地が出て
来るわ」
 言いたいことのポイントが明らかになった。橋部がすかさず口を挟む。
「アリバイって、二日目午後のか。共犯だとしたら、何ができる?」
 その問い掛けに被せるようにして、戸井田が「共犯なんて冗談じゃない!」と叫ぶ。
犬養の方も、短く歯軋りの音がしたようだが、喚くのはみっともないと心得ているの
か、まだ反論や否定の狼煙は上げない。
「まあまあ、戸井田君も落ち着いて。今は思っていることを吐き出して、言い合う場
よ。言ってみれば、仮説なんだから。沼田さんの話を最後まで聞いて、それから。ね
?」
 村上が宥め役に回ると戸井田は一応、矛を収めた。発言者の沼田は、戸井田から柿原
へと視線を移動させた。その目付きに冷たいものを感じた気がして、柿原はわずかに身
震いした。
「犬養さんのアリバイを証言しているのは、君」
「ええ。村上さんに言われて呼びに行って、コテージの外から声を掛けたら、返事があ
りました」
「姿は見ていない?」
「もちろんです。ドアは開けてないし、窓の側にも回りませんでしたし」
 明朗に答える柿原を前に、沼田は得心した風に首を縦に振った。
「そうよね。姿を見ていないのがポイントだと思う」
「もしかして」
 橋部が口を挟む。皆まで言わぬ内に、沼田はまた首を縦に振る。
「そうです、声だけ出せればいいんです。スピーカーになる物を用意して、1番コテー
ジのドアに向けて設置。離れた場所から、例えば9番コテージから本人が喋って音声を
飛ばす。もちろん、訪ねてきた相手の声を拾わねばならないので、マイクも必要」
「そんな仕掛けというか機械なんて、私には知識がないし、物理的にも持ち運べません
でしたわ。とても用意できませんけれども?」
 犬養が初めて反論した。だが、彼女自身、沼田の言いたいことは分かっている様子
だ。戸井田の方を一瞥し、また沼田を見た。
「代わりに戸井田さんが仕掛けを用意してくれた、と先輩は言うんですわね?」
「そうよ。戸井田君なら機械に強いし、車で来たから、機械類を運び込むことも可能」
 戸井田が口を開き掛けたが、橋部が手で制した。
「言いたいことは分かった。客観的な疑問だが、実際にそんな細工をしたなら、機械が
どこかに残っているはずだが、見当たらないな。そんな機械が持ち込まれたんなら、つ
いさっき、コテージを調べたときに、何か見付かっていていいはずだ」
「大きさは分かりません。紙みたいに薄いスピーカーもあるくらいだから、どうとでも
なるのでは」
 沼田の受け答えを聞く限り、冷静さを失ってはいないらしい。
「なるほど。では、別の角度から聞くとしよう。仮に沼田さんの言うようなトリックを
用意していたとして、犯人はどんなタイミングで使うんだろう?」
「使うタイミング、ですか?」
 質問の意図が飲み込めない。そんな風に首を傾げ、口元を歪めた沼田。
「柿原が呼びに行くことを、犬養さんが前もって想定できていたかって意味さ」
「それは、誰が来るかは分からないでしょうけど、誰かが呼びに来るのを待ち構えて…
…」
「呼びに来るかどうかすら、確定事項じゃあない」
 鋭い口調の否定に沼田は明らかに怯んだ。だが、自説を簡単には引っ込めない。
「いえ、100パーセントでなくてもいいんです。可能性はそれなりに高いはず」
「呼びに来た奴が、コテージの中を覗いたら? 無人だとばれてしまわないか」
「覗けないように窓を閉めて、カーテンを引いておけばいいんです。実際、どうなって
いたかの確認はもう無理でしょうけど」
「じゃあ、呼びに来た奴がドアの前にずっと張り付いていたら? 一緒に行きましょう
って」
「そんなことはあり得ません。小津君も呼びに行かなきゃいけないんだから」
 この応答に対し、橋部は頬を緩めて首を振った。
「いやいや。そいつは結果論だ。あのとき、もしも村上さんが、柿原に犬養さんを呼び
に行かせ、別のもう一人に小津を呼びに行かせたとしたら?」
「っ……」
 言葉に詰まった沼田。確かに、1番と9番別々に人が呼びに行き、なおかつ、その人
物がずっと待ったとしたら、彼女の推理は成り立たない。犬養が1番コテージ内にいな
いことがばれてしまうだろう。
「他にも欠点はある。君の説だと、犯人は9番コテージからメインハウスに向かう訳だ
が、呼びに来るタイミングによっては、そいつと犯人とが鉢合わせだ。そうなっちまっ
たら、犯人に言い逃れはできない」
「……分かりました。納得しました」
 いつの間にか俯いていた沼田は面を起こし、絞り出すような声で言った。それから戸
井田と犬養のそばまで行き、「ごめんなさい。私が間違っていた」と頭を下げた。その
まま膝を折って、土下座までしようとすると、犬養が急いで手を差し伸べた。
「もういいですわ。先輩が躍起になっていたのは、端から見ていても分かりましたか
ら。小津部長が亡くなって、一番悲しんでる」
 犬養は戸井田へと振り向き、「かまいませんわね、戸井田さん?」と、この場にはふ
さわしくない、でも犬養のようなキャラクターでこそ許されるであろう笑顔で聞いた。
「あ、ああ。自分は実行犯と言われた訳じゃなし」
 戸井田は妙な空気に耐えられないとばかり、妙な理屈を付加しつつ、沼田の謝罪を受
け入れた。

「こう重苦しいと、次の奴が声を上げにくいだろうから」
 前置きをしつつ、肩の高さで挙手したのは橋部。
「村上さん、次は俺で」
「目算ありと先程言われた話ですか? それはそれで重苦しくなるのでは」
 警戒する村上に対し、橋部は首を左右に振った。
「いや、それじゃない。関係ないかもしれないが、とにかく軽めの疑問。だから、安心
してくれ」
「……分かりました。どうぞ」
 進行役に承知させると、橋部は真瀬をちょんと指差し、「左の手のひらをよく見せて
くれないか」と求めた。
「またウルシかぶれですか。もう無関係だと分かったでしょう」
 嫌がる口ぶりの真瀬ではあったが、席を立つと、左手を前に出してきた。テーブルに
手の甲を着ける形で腕を寝かせ、手を開く。そこにはまだ例の腫れが残っていた。
「参考になる資料がないので断定はしないが、これはウルシじゃなくて、虫刺されじゃ
ないか?」
 橋部の問い掛けに、真瀬は若干、顔を前に突き出した。
「え? 虫に刺されたなんて、記憶にない。というか、こんなに細長い痕になる虫刺さ
れって、その昆虫はどんな口をしてるんですか?」
「虫刺されってのは言葉の綾で、これ、ムカデの類と思うぞ。前に見たとき、気になっ
たことがあってな――ほら、二つの赤い点になっているとこがあるだろ、これ、噛まれ
た痕じゃないかな」
 橋部が爪先で示した先には、小さな赤い点が二つ、並んでいた。あれがムカデの口だ
としたら、そこそこ大きなサイズだろう。
「ええ? それこそ全く覚えがない。手にムカデだなんて、絶対に気付くって」
「確かに、ムカデに刺されると激痛が走るから普通は気付くとされる。が、寝ていたな
ら分からんぞ。特に、手や足がしばくら身体の下になって痺れた状態のときなら」
 橋部の強い口調に、真瀬は「まあ、それならそうだったんでしょう」と認めた。
「でも、だからって何だと言うんです?」
「大した意味はない。関さんのコテージに、ウルシによるトラップが仕掛けられていた
なら、逆に無実の証明になったのに、惜しいことをしたなと思っただけだ」
 橋部のその話を聞いて、柿原は黙っていられなくなり、つい口を挟んだ。
「その理屈はおかしいですよ。ウルシに触れても、かぶれない体質っていうだけで、無
実の証明にはなりません」
「――そうだな。間違えた」
 柿原と橋部のやり取りを聞いていた真瀬は、気疲れを起こしたか、背もたれに思い切
り体重を預けるような座り方をした。どす、と重たい音がした。
「他には?」
 村上の声にも、どことなく脱力したものがある。このまま終わってもおかしくない雰
囲気だが、橋部に本命の仮説が残っているようだから、そうも行かない。
 空気を打破するように手を挙げたのは、犬養だった。
「真っ先にお断りしておきますと、意趣返しをするつもりはありません」
 沼田を一瞥してから、彼女は気怠そうに続けた。実際、疲れているのは傍目にも明ら
かである。いつも入念に行う肌の手入れが今日は不充分なのか、角度によっては目の下
に黒っぽい影が認められた。
「これまでの事件でアリバイがある人を数えてみました。細かな再検証は煩雑になるの
でよしておきますが、時間的なアリバイは村上先輩に湯沢さん。空間的なアリバイは
私。使ったマッチ棒の数という、いわば物理的なアリバイは真瀬君。他に、戸井田先輩
も写真を撮っていたアリバイが認められる余地があると信じますが、私が言うのも何で
すし、機械に細工をすればごまかせるのかもしれませんので、ここでは認定しないもの
とします」
 そう言われた戸井田は、複雑な表情をなした。素直に喜んでいないことだけは確か
だ。
 犬養はそんな戸井田の様子に気付いているのかいないのか、先を続ける。やや芝居っ
気のある動作で、左手を開いて五本指を立てると、順に折り曲げていった。
「亡くなったのが二人で、アリバイ成立が四人。残りは四人――橋部さん、沼田さん、
戸井田さん、柿原君。この中のどなたかが犯人である可能性が高いと思われます」
「犯人がいる、と断定しないのかい?」
 橋部が興味深げに聞いた。犬養は充分意識的に言葉を選んでいたと見え、すぐに答を
返した。
「しませんわ。容疑者を取り除く条件がほんとに正しいのか、絶対の自信はありません
もの。思いも寄らないアリバイトリックや殺害方法があるのかもしれません。それに、
ここからさらに絞り込もうとしても、私には無理でした。関さんが亡くなったあとの、
皆さんのマッチ棒の数を頼りに考えるなら、一、二本しか使っていない沼田・戸井田の
両先輩には難しく、五本減っている橋部先輩が一番怪しい。でも、部長の右足を見付け
た過程を聞くと、五本くらい使うのも当然のように思えてきます。一応の注釈付きです
けれど一緒にいた方々の証言もありますし。それならば、残る一人、三本使用の柿原君
を俎上に載せてみましたが……真瀬君と一緒に火を起こしているのですから、火起こし
に使った分は誤魔化しが利かないでしょう。実質、私的に使えたのは二本。これでは二
本減っていた戸井田先輩と同じ条件です。犯行は難しいとせざるを得ません」
「――要するに?」
 言葉が途切れるのを待って、村上が確認する風に聞いた。
「要するに……マッチ棒の数からの犯人特定は無理です」
 犬養は、今度は言い切った。長口上に疲れたのか、ふーっと強めに息を吐いて、締め
括りに掛かる。
「別にぐだぐだな推理を披露したかったのではありません。マッチ棒を根拠にした絞り
込みは無駄だということを、共通認識として皆さん持っていらっしゃるのか、明白にし
ておきたいと思ったまでですの」
「まあ、はっきりとは認識していなかったとしても、ぼんやりと勘付いていたと思う
ぞ」
 橋部が言った。どことなく、苦笑いを浮かべているようだ。
「俺達は推理研だ。推理物が好きな人種のさがとして、程度の差はあっても、犯人を特
定しようと考えを巡らせたはず。で、当然、マッチの数に着目しただろう。そして、ど
うやっても特定できないと感じたんじゃないか」
 その言葉に、柿原は内心で何度も頷いていた。恐らく他の人も同じ気持ちに違いな
い、犯人を除いて――と思った。

「私も、一つ気になっていることがあります」
 湯沢から声が上がったことに、柿原は驚いた。思わず、椅子から腰を浮かせたくらい
だ。不用意な呟きで真瀬を怒らせてしまってまだ間がないのに、ここで新たに意見を述
べる勇気?を彼女が持っているとは、想像していなかった。
「事件に関係あるかどうか分かりませんが、いいですか」
「あなたが関係あるかもしれないと考えるなら、全くかまわない」
 村上に促され、湯沢は一層、意を強くしたようだ。
「ずっと不思議に感じていたんです。先輩方は皆さん、このキャンプ場は初めてじゃな
いんですよね?」
「まあ、そうなるな」
 橋部が言った。
「二年生全員を対象とするなら、前の春、参加できなかった奴もいるが、そういった二
年の部員で、今回初参加って奴はいない。俺も無論、複数回来ている」
「でしたら、明かりの不便さは充分に承知していたはずです。全く対策を立てずに、ま
たここに来られたんでしょうか?」
「なるほどな。尤もな疑問だ」
 橋部はそう言うと、二年生をざっと見渡してから、また口を開いた。
「湯沢さんが言いたいのは、明かりがなくて不便だと経験済みなら、二回目からは、何
らかの明かりを持参するものじゃないかってことだよな」
「はい、そうなります」
「俺に限って言えば、何にも準備してこなかった。基本、こういう場所に来るときは、
不便さを楽しむもんだと思ってる」
 彼の返事のあとを次ぎ、今度は村上が答える。
「私もほぼ同じ考えだけれど、加えて、懐中電灯用に乾電池を買ってくると聞いていた
ので、いざというときもそれがあるなら大丈夫と思っていたわ。それよりも湯沢さん。
あなたは、二年生以上が怪しいと言いたいの?」
「いえっ、違います」
 そう受け取られるとは想像していなかったとでも言いたげに、右の手のひらと首を左
右に強く振る。
「どなたか一人くらい、明かりを自前で用意されたのなら、早い時点で話してると思う
んです。それを言わないのは、どなたも用意していないか、最初から犯行を計画してい
たか。発端となった小津さんの件は、偶発的な色彩がとても濃いと感じます。ですか
ら、前もって計画して密かに明かりを持って来るというのはないはずです」
「そうね。充電器のときの理屈と同じになる。なのに、敢えて今、こんなことを言い出
した理由は何かしら」
「村上先輩の考え方に、私も同じだったんですが、少し前に、柿原君がDVDを借りて
いたと言ったのを聞いて、本当にこの理屈を信じていいのだろうかとちょっと確かめた
くなったんです」
「え?」
 全く予想していないところで名前を出され、焦りの声をこぼした柿原。
「僕が橋部先輩からDVDを借りてたことが、何かおかしいかな」
「おかしいっていうほどじゃないかもしれない。でも、気になったから。どうしてこの
場で返すんだろうって」
「観終わったのを返すのは、早い方がいいと思って」
「いつ観たの?」
 その質問を受けた瞬間、柿原は湯沢の疑問の根っこが何なのか、理解した。恐らく―
―今、キャンプ場でDVDソフトを再生できる機械を持っているのは、柿原だけ。で
も、バッテリーの残量から考えて、DVDをここで視聴したとは考えにくい。そうなる
と、合宿前から視聴済みだったことになる。ならばわざわざ持って来なくても、もっと
前の段階で返却できるはず。実際はそうなっていないのだから、何らかの裏事情がある
のでは。たとえば、密かに電源を確保できるような何かが――湯沢はそこまで考えたに
違いない。
「凄いよ、湯沢さん。まさかそういう推理をされるとは全然、想像すらできなかった」
「じゃあ、やっぱり、橋部さんが持って来た明かりの電源を借りて、DVDを観た?」
 少し悲しそうな目で問われ、柿原は急いで否定に走る。深刻にならないよう、努めて
軽い調子で。
「違う違う。推理の着眼点は凄くても、残念ながら外れ。橋部さん、DVDのことを言
ってもいいですよね?」
「しょうがない。DVDのことだけじゃなく、俺と柿原が二人で何を話していたかも全
部言わないと、説明が付かんな、これは」
 年長者の橋部は、威厳がなくなることを心配してか、情けない微苦笑と大げさなため
息をダブルでやってから、事の次第を話し始めた。

――続く

※行数の上限にまだ余裕があることもあり、追記するかもしれません。あしからず。




#1108/1112 ●連載    *** コメント #1107 ***
★タイトル (AZA     )  18/04/15  20:53  (189)
百の凶器 12   永山
★内容                                         18/06/05 12:46 修正 第2版
 柿原が所々で補足しつつ、橋部が説明をし終えると、真っ先に反応をしたのは湯沢だ
った。
「あ、あのことで橋部さんの意見を聞いていたのね。私ったら、知っていたのに、全然
忘れてしまってた」
 肩を小さく狭め、申し訳なさげに項垂れる。髪で表情が隠れる彼女へ、柿原が「大丈
夫、紛らわしいことを言った僕が悪いんだから」と慰めた。
「DVDのことはともかく、アナフィラキシーショックの話は、早く言ってほしかった
です」
 唇を尖らせたのは真瀬。村上がすかさずフォローに回る。
「あくまでも推測だからね。関さんが検索しようとしていたらしいってだけよ」
「しかし……確度は高いんじゃないですか、これって」
「ええ。関さんが何かを目撃して、そのことに気付いた犯人に口封じされたというの
は、ほぼ決まりじゃないかしら。小津君の死亡が、犯人にとって意図的な犯行だったの
か、不幸な偶然だったのかは、意見が分かれるでしょうけれど。私は、後者だと思う」
 村上の見解を聞きながら、湯沢の様子を窺う柿原。彼女は他殺説を採っていると思わ
れるけれども、現状はそれを言い出す雰囲気でないと推し量ったのだろうか、特に発言
はしないようだ。
 発言を続けたのは、真瀬だった。
「まあ、部長の死亡状況が想定できたことで、ようやく見えてきた気がしましたよ。ま
だまとまってないが、俺が考えた推理、聞いてもらえます?」
「拒む理由はないわね。でも、ちゃんとまとめてからの方がいいんじゃないかしら」
 村上が半ば諭す風に言った。それは、真瀬が些か暴走気味であることを鑑み、冷却期
間を取らせようという配慮だったのかもしれない。
 真瀬は改めて他の者を見渡した。村上の忠告を受け入れるかどうか、迷っている様子
がありありと窺える。
 そこへ、橋部が口を開く。
「時間の空白ができることを懸念してるんなら、無用だぞ。おまえが考えている間、俺
が推理を話すとしよう。もし万が一にも、それぞれの推理が被っていたら、笑い話にも
ならないが」
「そう……ですね。橋部先輩、お先にどうぞ。俺は考えてるんで、あんまり熱心に聞け
ないかもしれませんが」
「かまわん。――それでいいか?」
 村上に最終確認を取る橋部。
 二度目の意見開陳を求められた村上は、「今度こそ、本命の推理ですか?」と聞き返
した。時間の消費は予定していたよりもオーバーペースである。
「ああ」
「それじゃ、なるべく手短に、ポイントを絞ってお願いしますね」
 念押しした村上だが、彼女自身、効果を期待していない言い種だった。
 そんな副部長の気持ちを知ってか知らずか、橋部はわざとらしい咳払いをし、「さ
て」と言った。有名な言い回し――名探偵みなを集めて「さて」と言い――に倣った訳
でもあるまいが、どうも芝居がかっている。
「他のみんなはどうだか知らないが、正直言って、俺は暗中模索の五里霧中がずっと続
いていて、手掛かりはたくさんありそうなのに、ほとんど前進していない焦燥感ばかり
あった」
 語り掛けるような口ぶりにつられて、何人かがうんうんと頷く。話し手の橋部もま
た、その反応に満足げに首肯した。
「が、今朝だったか寝てる間だったが、ふと閃いた。ぴかっと光ったというよりも、そ
もそも論だな。問題のタイプが違うんじゃないかって」
「勿体ぶらずにお願いします」
 村上が嘆息混じりにスピードアップを求めた。橋部は、「真瀬に推理をまとめる時間
をどのぐらいやればいいのかと思ってな」と、言い訳がましく答えた。
「ま、ずばり言うと、犯人は何故、便利な明かりを作ろうとしなかったのか?ってこと
さ」
「便利な明かり?」
 一年生女子らの反応は、揃って怪訝がっている。
「下手な表現ですまん。そうだな、犯行に当たって使い勝手のよい明かりって意味だ。
作ろうと思えば、できたはずなんだ。そりゃあ、ロウソクを使う方法だとばればれだ
が、柿原が言ってたように割り箸ならどうだ。割り箸を大量に持ち出し、適当に折った
物を空き缶に入れて、火を着ける。紙を先に燃やし始めれば、箸にも簡単に火が回るだ
ろう」
「確かに。でも、実際にはそんなことをした証拠は出て来ていません。割り箸だって、
二膳しか減っていない」
 村上が指摘するが、橋部は力強く首を横に振った。
「悪いが、ピントがずれてる。俺が言いたいのは、どうして犯人はたくさんの割り箸で
安定的な明かりを作らなかったのか、という疑問さ。マッチをいちいち擦るよりずっと
効率的だろ。遠慮する必要はない。仮に割り箸を使い切ったって、マイ箸があるんだか
ら、食事には困らん。方法を思い付かなかったとも考えにくい。空き缶を燭台代わりに
する方法は、皆が真似した。そこから割り箸を燃やすことを発想するのに、ハードルは
高くないだろ」
「確かに……」
 戸井田が呟く。他の面々――犯人はどうだか知らないが――も、多分、同じ気持ちだ
ろう。
「便利な手段を採用しない理由は何だ? 頑なにマッチ棒を使ったのは、マッチ棒の数
で容疑者を絞り込めるようにという、俺達ミステリマニアへのサービスか? 普通に考
えて、そんな馬鹿な訳ないよな」
 指摘されてみれば、なるほどおかしい。盲点だった。長年の慣習のようなもので、こ
れこそミステリという底なし沼にどっぷり浸かりすぎたマニア故と言えるかもしれな
い。
「……作りたくても作れないとか? たとえば、手が不自由で」
 またも戸井田の呟き。疑惑を向けられたと意識した柿原は、間髪入れずに反論した。
「僕のことを言ってるんでしたら、的外れです。作れますよ。仮に血が付着したって、
燃やすんだから関係ない。気にせずに作れます」
「俺もそう思う」
 橋部からの応援に、内心ほっとする柿原。
「片手が使えれば充分だ。さあ、いい加減、俺の推理を話すとするかな。前提として、
犯人は他人に濡れ衣を着せようと計画したんじゃないかと考えた。まずは、柿原が外に
干していたハンカチに血が着いていた件。あれは柿原の思い違いではなく、犯人が小津
の右足を切断したあと、自分のコテージに戻る途中で、手に少し血が着いてしまってい
るのを見て、ふと閃いたんだと思う。この血を、干しているハンカチに擦り付けてやれ
ば、柿原に疑いを向けられるぞ、と」
 柿原にとって気分のよい話ではないが、一方でうなずけるものがあった。湯沢から借
りたハンカチに改めて血が付着した経緯を説明するのに、今の仮説は充分ありそうだ。
「この一連の事件に、計画性はあまりないだろう。ハプニングに対処するために、その
場で急いで組み立てた計画だから、多少の穴や矛盾がある。だからといって、さっき俺
が述べたマッチ棒のみに拘った明かりは、どう考えても不自然だ。犯人はマッチの明か
りに拘泥することで、己にとって有利な状況を作り出す狙いがあったんじゃないか? 
俺はその考えの下、メンバー各人に当てはめて検討してみた。すると、マッチの数によ
ってアリバイを確保できた者が一人いると気付いた」
 橋部は一気に喋って、容疑者の名を挙げた。
「真瀬、おまえだよ」
 挙げられた方の真瀬は、一瞬遅れて面を起こした。元々、橋部が話し始めた時点で、
俯きがちになって考えをまとめに掛かっていた様子だった。
 そこへ突然名前を呼ばれたのだ。暫時、意味が分からないとばかりに表情を歪めてい
る。そもそも、橋部の推理をちゃんと聞いていたのかどうか。
 その確認はせず、とにかく村上と柿原が、橋部の推理のポイントを伝える。すると、
真瀬はますますしかめ面になり、どういうことですかと地の底から絞り出したような声
で聞き返す。
「関さんが死亡した件で、真瀬にはアリバイありと認められた。犯行に必要とされる分
量のマッチ棒を都合のしようがないという理由だったよな」
「事実、足りなかった。仮に関さんのコテージまで、往復できたとしても、メインハウ
スでの家捜しや9番コテージ近くでのたき火の用意が無理だって、橋部さん、あなたが
言ったんじゃないですか?」
 目の色を変えての反論とは、このことを言うに違いない。食って掛かる真瀬に対し、
橋部は暖簾に腕押し、あっさりと前言を翻しに来た。
「あのときは言った。でも、考え直したってことだ。探偵が間違える場合もある」
「いやいや、あなたは探偵じゃない。だいたい、そんな屁理屈で俺を追い詰めたって、
すぐに行き止まりでしょうが! 何故なら、マッチ棒を使わないでどうやって明かりを
用意できたんだっていう疑問が解消されていない!」
「確かに。未使用の割り箸は減っていないし、使用済みの割り箸をちょろまかすのも難
しい。他に燃やす物と言ったって、密かに薪割りをして薪を増やしてもすぐにばれるだ
ろうし、湿気った木の枝や草じゃ無理だし、紙や布なんかがこのキャンプ場に充分な量
があるとは思えない。計画的犯行ではないのだから、身の回りにある処分可能な紙や布
の量だってたかがしれているだろう」
「ほら見ろ」
 言い負かせたという思いからか、言葉遣いが一層荒くなる真瀬。鼻息も荒い。
「どうしたって明かりは確保できないんだ。あとは何かあります? 俺が村上先輩と密
かに通じていて、懐中電灯を使わせてもらったとか言うんじゃないでしょうね?」
「私を巻き込まないで」
 呆れた口ぶりながら、努めて冷静に釘を刺す村上。橋部は苦笑いを浮かべて、「そん
なことは微塵も思ってない」と確言した。それから真瀬に改めて言う。
「明かりを用意する手段について、今はまだ確証がない。それよりも、真瀬も推理を話
してみるってのはどうだ? 俺が話したのとは違うかもしれないしな」
「あ、当たり前だ、自分自身が犯人だなんて推理、どこの誰がするか」
 真瀬は馬鹿負けしたように首を横に振った。
(これは……推理の出来はともかく、橋部先輩の誘導がうまい?)
 二人のやり取りを聞いていた柿原は、ふとそんな感想を抱いた。
(さっきまでの流れなら、真瀬君は当然、明かりを用意する方法を示せと、橋部さんに
続けて詰め寄るところだ。示せないのなら推理は間違いだと結論づけられる。なのに、
そうならなかったのは、橋部さんの推理がポイントポイントではいい線を行ってるのも
あるけれど、真瀬君にも推理を話せと水を向けたのが大きい。しかも、『俺が話したの
とは違うかもしれない』と付け足したせいで、真瀬君の方は勢いを削がれた感じだ)
 柿原の気取った通り、場は真瀬の推理を待つ雰囲気になった。
「じゃあ、誰が犯人だと考えた? 今の俺の推理を聞いて結論を変えるのに時間がいる
か? 犯人は橋部秀一郎だという推理に組み立て直すのに、どれくらい掛かる?」
「犯人だと疑われたから、やり返すために推理を変えるなんて、馬鹿げてる」
 真瀬は真っ当に反論し、橋部からの挑発的な言葉を封じた。橋部が何を意図して真瀬
を煽るのか、柿原には想像も付かなかった。多分、他のみんなも同じだと思う。
 ここで村上が二度手を打ち、注意を向けさせた。
「橋部さん、先輩らしくもうちょっと大人の振る舞いをしてください。収拾が付かなく
なりかねませんよ、まったく」
「自重するよ。今言いたいことは言ったしな」
 この受け答えに村上はまた一つため息を吐いて、そして真瀬に向き直った。
「それで真瀬君。たいして時間は取れなかったと思うけれど、推理を話せる?」
「話しますよ。こうまで言われたら、俺は俺の推理を話して、疑惑を払拭するのが一番
でしょう」
 真瀬も深呼吸をした。ため息ではなく、頭を冷やすための行為のようだ。
「なるべく冷静に話す努力はしますが、つい感情的になるかもしれないと、予め言って
おきます。もしそうなったら、ブレーキを掛けてくださって結構ですから」
 彼の前置きは、些か大げさだと思われたかもしれない。が、一方で、真瀬がこれから
犯人を名指しするつもりなんだという“本気度”を感じ取った者もいよう。一瞬、静寂
に包まれた場の空気は、真瀬が喋り出してからも変わらなかった。
「俺が着目したのは、例の呪いの人形でした」
 真瀬は、火あぶりに処されたような演出を施された人形のことを持ち出した。呪いの
人形という表現で、全員に通じる。
「あれを見て、何となくもやっとしたんだ。隔靴掻痒っていうか、中途半端っていう
か。あの人形、割り箸や枝、手ぬぐいと材料集めにはそれなりに手間を掛けた様子なの
に、作り自体は荒い、雑だなって」
「そう言われると……奇妙な印象受けるわね」
 村上が呼応した。真瀬の固かった口調は、この合いの手で若干、滑らかになった。
「でしょう? 特に、割り箸と枝を組んで大の字を作りたいのなら、何故、結ばなかっ
たんだろう?って思います。あれは布を巻き付けただけでしたから、ちょっと乱暴に扱
えば、崩れかねない」
「結びたくても、結べなかったのではありませんか。紐状の物が手近には見当たらなく
て。結ぶ物がなければ、結びようがありません」
 犬養が反論を述べたが、その見方は真瀬にとって織り込み済みだったようだ。間を置
かずに否定に掛かる。
「辺りには蔓草が生えているし、手ぬぐいの端をほぐせば、糸ぐらいできる。あるい
は、番線の切れ端だって落ちてる」
「ああ、そうか。だったら、犯人がそうしなかった理由は……」
 戸井田の呟きに頷いた真瀬が、言葉を継ぐ。
「ある意味、犬養さんの反論は当たっている。犯人は結びたくても結べなかった。紐状
の物はあっても、結べない。だから紐状の物を最初から用意しなかった」
「えっ、それってまさか」
 聞き手の何人かが、柿原を見やった。真瀬が仕上げとばかりに言い足した。
「その通り。犯人は柿原、おまえなんじゃないか」
 そして柿原の片手を差し示した。怪我を負った右手ではなく、左手の方を。
「おまえの左手は、今も動かないんだろう?」

――続く




#1109/1112 ●連載    *** コメント #1108 ***
★タイトル (AZA     )  18/04/27  21:52  (256)
百の凶器 13   永山
★内容                                         18/06/05 12:55 修正 第2版
「ああ」
 元々隠していないし、部内では周知の事実。特に力むこともなく、淡々と肯定する柿
原。彼の左手には神経の障害があり、自由に動かせないし、力もまともには入らない。
そのため、右手のひらに怪我を負っても右手を使い続けなければならない。バーベキ
ューのような立食の席では、補助具があると非常に便利だ。マッチを擦るぐらいなら右
手だけで充分だし、パソコンのキーボード入力は右手一本でも達者だが、手のひらサイ
ズを超えて複数の箇所を同時に押さねば作動しないような道具は、さすがに使えない。
「僕の手の状態が、犯人である証拠? どうして?」
 友人からの疑惑を受け止めた柿原は、まず当然の質問を返した。
「そりゃあ、決まってる。皆まで言わせるのか」
「遠慮なく、はっきり言ってもらいたいよ」
「……人形についての考察から、明白だろ。片手しか使えないからこそ、雑な造りにな
った」
「それだけ?」
「怪しむ根拠なら、他にもあるさ。まず、斧の柄に着いていた血。あれはやっぱり、お
まえの右手の傷から染み出たものじゃないのか。外に干していた借り物のハンカチに血
が付着していたというのだって、怪しいもんだぜ。血塗れになった手でついうっかり触
ってしまったのを言い繕って、いつの間にか血が着いたことにしただけなんじゃない
か、と思うね」
「……」
「まだある。小津部長の右足があとになって出て来たが、そのとき履いていた長靴の紐
はほどけたままだったんだろう? 犯人が一旦脱がせてから、また履かせるに当たっ
て、紐は元のように縛った方が本来の目的をカムフラージュできたはず。だが、実際に
は違った。犯人は結びたくても結べなかったんだ。それから、俺としては次の条件が一
番の決定打と考えている。関さんの遺体に見られる痕跡だ」
 真瀬の語調はいよいよ熱を帯びる。
「彼女の首には絞められた痕があったが、完全ではなかった。犯人が絞殺にしなかった
のは、片手しか利かないからじゃないか? 首に掛かったタオルをいくら引っ張って
も、片手では絞め殺すのは無理だろう。そして、その中途半端な絞めた痕跡を残したま
まだと、有力な手掛かりになってしまう。それを防ぐため、犯人はわざわざメインハウ
スに行き、持ち出した刃物によって関さんの首に傷を付けた。あれは切断を躊躇したの
ではなく、絞めた痕をごまかすためだったんだろう。片側だけに強く痕が残っていた
ら、犯人は片手にしか力が入らないことがばれてしまうからな」
「明かりの問題はどうなるの」
 ブレーキを掛ける意図があったのかどうか、村上が質問を差し挟んだ。真瀬の勢いは
衰えない。
「柿原、予備のバッテリーを持って来てたよな、パソコンの方」
「うん」
「パソコンのバッテリーをチェックするとき、予備のことをすっかり失念していた。予
備の方を使って、パソコンのバックライトを頼りにすれば、マッチやロウソクの数とは
関係なく、夜の犯行は可能になる」
「予備も調べてくれれば、使われていないと分かるよ、多分」
 柿原の受け答えに自信がなかったのには、理由がある。使い始めてかなりの年月を経
ているバッテリーなので、本体から外していてもそこそこ放電する。その減り具合によ
っては、使ったと疑われても仕方がない恐れがある。
「多分とは?」
 橋部から問われ、柿原は正直に答えた。話し終えるや、真瀬が怒気を含んだ声で言っ
た。
「何だよ、その言い分は。使っていなくても減ってるかもしれない? 証拠から排除し
てくれと言いたいのか。汚いぞ」
「何と言われようとも、事実を伝えたまでだよ」
「話にならねえ」
 声を荒げた真瀬だが、柿原に詰め寄るような真似はせず、何か堪えるかのように両拳
を強く握りしめた。彼が口を閉じた隙を狙う形で、橋部が村上に聞く。
「どう思う?」
「真瀬君の推理ですか。説明の付いていない点は残っていますし――」
「どこがですかっ? 言ってくれたら説明しますよ」
 村上の台詞に被せて来た真瀬。その興奮ぶりに、村上は「じゃあ、言うけれど」と応
じた。
「とりあえず、動機の有無を言及するのはありかしら」
 これには真瀬の機先を制する効果があったようだ。やや口ごもってから、答える。
「それは……説明つきませんけど、アナフィラキシーショックが小津さんの死因なら、
単なるいたずらのつもりだったのが、思いがけず大ごとになってしまった可能性が大き
いんじゃないですか。関さんは、その巻き添えを食らってしまった」
「柿原君が部長にいたずらを仕掛ける動機は」
「は? そんなことまで分かりっこないじゃないですか。いたずらに理由なんて」
「じゃ、いいわ。動機以外で言うと……柿原君には窓の格子を外したり取り付けたりす
るのって、結構大変だと思うんだけど」
「不可能じゃないでしょ。そうすることが絶対に必要となれば、できると思いますが。
それに、最悪、9番コテージの中に入れさえすればいいんであって、格子を外す行為は
絶対に必要。格子を填め直したのは発覚を遅らせるために、余裕があったから――」
「そこなんだけど、斧の柄に血が付着していた事実から、一足飛びに、安置している小
津君の遺体を調べましょうと言い出したのは誰?」
「……柿原、です」
 目を大きく開き、空唾を飲み、継いで俯く。虚を突かれた、想像していなかったのが
ありありと分かる反応を示した真瀬。村上はかまわずに疑問をぶつけた。
「柿原君が犯人で、発覚を遅らせる目的で格子を取り付け直したのなら、矛盾している
んじゃない?」
「確かに矛盾です。だが、疑われることを見越して、敢えて相反する行動を取ったのか
も」
「そんなことを言い出したら、理屈や蓋然性に因った推理はできなくなるわよね」
「……今のはなし、取り消す。でも、柿原を怪しむだけの理由はあるでしょうが」
「君が言っているのは、人形の造りのことね。そこなんだけど」
 村上はここで柿原に視線を当て、「言ってないの?」と尋ねた。
「え、あ、はい。わざわざ言ってませんでしたし、目の前でやる機会も、確かなかった
かもしれません」
 話しながら、キャンプ場に着いたその日も、長靴の紐は結ばずにただ履いただけだっ
たことを思い出した柿原。
「何の話をしてる?」
 真瀬が気短に割って入った。柿原は村上の様子を見て取り、自ら答えることにした。
「真瀬君は知らなかったみたいだけれども、僕は紐を結ぶことができるんだ。だから、
人形の作り方を根拠に、犯人は僕という説は成り立たない」
「何?」
 信じられない話を耳にした。そう言わんばかりに、口をぽかんと半開きにする真瀬。
「実際にやるのが早いだろ」
 橋部が言い、辺りを見渡す。察した湯沢がポケットから赤と白からなるカラフルなリ
ボン状の物を一本取り出し、柿原へ手渡す。長さは三十センチ余り、髪を結ぶのに使っ
ているようだ。
「ちょっと平べったいかもしれないけれど」
「ありがとう。問題ない、これくらいが一番やりやすいな」
 右手で紐の位置を整えてから握ると、柿原は片手で器用に結んだ。そして黙って真瀬
に示す。
 真瀬にとって想定外だったのだろう、しばらく言葉が出て来ないでいた。
「……木の棒と棒を結んで、固定することもできるのか?」
「できると思うよ。きつく結ぶために、足で踏んづけるかもしれないけれど。やってみ
ようか?」
「いや、いい」
 黙りこくって、また考える様子の真瀬。橋部が聞いた。
「結べない者がいないのなら、推理を根本的に見直す必要があるよな?」
「……いえ。柿原が実は結べたからって、あいつが犯人ではないことを証明するもので
はない。ですよね?」
「そりゃ、理屈の上ではそうなるが」
「だったら、最有力容疑者はまだ柿原だ。明かりの一点だけでも怪しいし、血痕のこと
も作為的に見える」
 頑なに唱える後輩に対し、橋部は次のことを聞いた。
「人形が紐状の物で結ばれていなかったことは?」
「それは……俺を含めたみんなが推理を間違えるよう、誤誘導するために敢えて結ばな
かった」
「その仮説はいくら何でも無茶だ」
 即座に否定され、真瀬は目を剥いた。
「どうして? 自分なら引っ掛からないとでも言いたいんですか?」
「そうだな……ある意味、そうとも言えるが、引っ掛からないんじゃなく、引っ掛かり
ようがない」
「え? ああ、橋部先輩は知ってたという訳だ。柿原が紐を結べることを」
 察しが付いたぞとばかり、ほくそ笑む真瀬。対する橋部は二、三度小さく頷いて、
「うむ、俺は知っていた。戸井田もだ。そして、村上さんも犬養さんも湯沢さんも知っ
ていた」
 と、事実を伝えた。
「……知らなかったのは俺だけってことですか?」
「ここに来ているメンバーの中ではな。あ、関さんも知らなかったはず」
 しばし唖然とする真瀬に、何故知っている者と知らない者とができたのか、事情を説
明してやる。
「――つまりだ、真瀬一人をターゲットにした偽装工作なんて、現実味に乏しいって思
うんだが。それとも何か? 真瀬は柿原から要注意人物と目されるほど、突出した探偵
能力を自負しているとでも言うか」
「そんな自負、あったとしても、自分から言いやしませんよ」
 苦笑と失笑と自嘲とが入り交じったような表情をなす真瀬。それは、動揺を覆い隠そ
うとするかの如く、徐々に広がる。
「柿原が怪しいとする理由は、まだ残ってる。関さんの首を絞めた痕に関する考察は、
充分に説得力があると信じる」
 改めてそう言われた柿原は、頭の中で、場にふさわしくないことをふと思い付いてい
た。
(首を絞めて殺す――絞殺――絞殺に関する考察。あ、おまけに『“関”さんに“関”
する』と来た)
 柿原はかぶりを強く振ってから、真瀬を見つめ返した。
「その理屈が通るなら、真瀬君だって怪しくなるよ」
「何?」
「左手の腫れだよ。それをウルシかぶれだと思っていたなら、そして凶器のタオルにウ
ルシが移ることを警戒したのなら、君だって片手で絞めようとするはずじゃないかな」
「馬鹿を言うな! ウルシを触ってからどれだけ時間が経ってるんだ!」
 真瀬が大声で否定したが、柿原にも言いたいことは残っている。
「もしくは、単にかぶれが気になり、力が入らない、入れづらかったということも想定
できるよね。かぶれは今も残ってるくらいだし」
 柿原の仮説に、真瀬はやや怯んだように見えた。自分の武器だと信じていた理屈を逆
手に取られたのだから、それも道理だろう。だが、真瀬は武器に固執する道を選んだ。
「俺が言い分を認めたとする。その場合、犯人はおまえか俺に絞られたと見ていいの
か?」
「僕はそんなつもりは……。素直な気持ちを言うと、親しい仲間を犯人だと指摘する覚
悟は、今の僕にはない」
「スイリストではあっても、名探偵にはなれないってか」
「いや、推理でも、まともな筋道は付けられていない。途切れ途切れのルートが散在し
ている状態とでも言えばいいかな」
「そのルートの一つでも、俺を犯人と示していないのか? 無論、絞めた痕跡以外で、
だ」
 真瀬と柿原のやり取りに、他の者は静かになっていた。二人の対決姿勢が、短い間に
作り上げられた感があった。
「ルートというか、まだ不可解な疑問点の段階だけど、一つある」
 柿原は考えながら答えた。
 真瀬は「言ってみろ」と荒い語勢で促した。
「じゃあ……真瀬君、借りた本にレシートが挟まっていたんだけど、覚えある?」
「ん? ある。というか、不思議でも何でもないだろう。買ったときのレシートを、し
おり代わりに挟むとか」
「うん。買った日付からして、レシートはその本の分と言えた。問題は、そのレシート
に、黒い痕があったこと。楕円形のね」
「何だって、黒い楕円? そっちは記憶にないな」
「これなんだけど」
 現物のレシートを取り出し、指先で摘まんで、見せる。微かな空気の動きで揺らめい
て、印刷された字は読み取りづらいだろうが、黒い楕円ははっきり見える。
「見せられても、変わらないな。記憶にない」
 真瀬は思案下に首を傾げ、慎重に言葉を選んだようだった。
「だいたい、挟んでいたことさえ当たり前すぎて、言われるまで忘れていた」
「じゃあ、無意識の内に下敷きにしたんだろうね。このレシート、よくある感熱紙だ
よ」
 柿原の指摘に、真瀬よりも早く、外野から声が上がる。
「あ、その楕円は、何か熱い物が当たった痕跡か」
「恐らくそうです。初めて気付いたときは薄暗い部屋だったのでぴんと来なかったんで
すが、明るいところで見直してやっと分かりました。そして、この楕円……形、大きさ
とも、缶詰とぴったり一致するんじゃないかな」
「――どういう意味だ? 何が言いたい?」
 真瀬が聞く。声の響きには、警戒が露わだ。
「レシートの挟まった本を借りたのは、三日目の夕食後だったよね」
「ああ」
「一方、僕ら推理研の面々が共通して、空き缶にロウソクを立てて使い始めたのは、同
じ三日目でも夕食よりもあと、だいぶ暗くなってから。それまでは使っていなかった。
これっておかしくない?」
「……」
 口元をいくらか動かしたが、最終的には固く唇を結んだ真瀬。代わるかのように、橋
部がずばり言う。
「俺達がロウソク立てとして空き缶の利用を始めるよりも早く、真瀬はそうしていたと
考えられるな。レシートは分かっていてか、たまたまかは知らんが、熱を持った缶の下
敷きになっていた。だから黒い楕円の痕跡が残った訳だ」
「それが何か?」
 口の中が乾いたのか、真瀬の声はかすれて聞こえた。咳払いをして、言い直す。
「それが何か問題ありますか?」
「問題あるわ」
 村上が言った。場の空気の調整役を担っていた彼女も、ここは疑惑の追及に出る。
「今、大変な状況になっているわよね。一人だけ蝋を地面に落とすことなく、ロウソク
を安定して持ち運べる方法を早々に思い付いて使っていたなら、どうして他のみんなに
教えてくれなかったの? 疑われるとでも考えたのかしら。そんなはずないわよね。み
んな異常事態に多少パニックになっていたから思い付かなかっただけで、普段なら簡単
に思い付く類の方法だもの」
「……蝋が落ちない方法をみんなに知らせたら、蝋を手掛かりにできなくなるから…
…」
「その言い分もおかしい。犯人は9番コテージ侵入事件の時点で、すでにロウソク立て
に空き缶を使っていたことは、ほぼ間違いないでしょ。今さら蝋が落ちる落ちないを気
にしたって、犯人特定にはつながらないと思うけど?」
 村上の舌鋒に、真瀬が一瞬、口ごもった。しかし、十秒足らずの思考時間を経て、再
度反論する。
「そ――そんなことが言いたいんじゃあないっ。俺は認めていないですから」
「?」
 主旨が飲み込めないと疑問符を浮かべたのは、村上一人ではなく、他の全員がそうだ
った。
「俺が柿原に本を貸す前は、レシートは真っ白だった。空き缶の痕がレシートに付いた
のは、柿原に本を貸したあとなんだ」
「ええ?」
 柿原は真瀬の台詞を思い返した。なるほど、追い込まれた感はあったものの、空き缶
を早くからロウソク立てとして使用したかどうかは、明言しなかったように思う。
「じゃあ、僕がわざと付けたと言うんだね?」
「ああ、俺を陥れるためにな。本を貸す前の時点で、犯人が空き缶をロウソク立てに使
っていたのは確定事項と見なしていたよな。濡れ衣を着せる策として、うってつけって
訳だ」
「……」
 これも決め手にはならないか、と内心で嘆息する柿原。尤も、落胆してはいない。決
定打になると考えていたのなら、自信を持って言い切る。最初から、疑問点を挙げるだ
けのつもりだったのが、真瀬の反論が過剰だったせいで、おかしな方向に行ってしまっ
た。
(でも、今の真瀬君の興奮ぶりや言い訳を素直に受け取るなら、犯人は彼ということ
に)
 柿原の感想は、真瀬以外のメンバーも同じ考えらしい。不意に降りた静寂の中、あか
らさまな疑惑の目が、真瀬に集中していた。当然、本人も察している。
「俺が犯人だと疑うのなら、さっきの問題を解決してからにしてもらいましょうか」
「さっきのって」
 村上が困惑げに言葉を途切れさせた。様々な証拠らしき物、ロジックらしきことが扱
われてきたおかげで、真瀬の言葉が何を指し示しているのか即座には理解できない。
「俺には明かりがなかったってやつですよ。関さんが亡くなった事件で、犯人はメイン
ハウスの家捜しをしたり、人形の火あぶりの儀式を用意した。いずれも明かりがないと
こなせない」
 確かに、この点に関して言えば、真瀬は犯人ではあり得ない。柿原の方が、パソコン
の予備バッテリーの件がある分、不利と言える。
 勝ち誇った真瀬に対し、その理屈を壊す声は上がらなかった――しばらくの間だけ
は。
「あの」
 湯沢の声は遠慮がちで大きくはなかったが、静かな場には充分に浸透した。
「そのことで、私、考えがあります」

――続く




#1110/1112 ●連載    *** コメント #1109 ***
★タイトル (AZA     )  18/05/05  23:31  (208)
百の凶器 14   永山
★内容
「やれやれ。こんなにも君と相性が悪いとは、ここに来るまで思いもしなかったよ、湯
沢さん」
 真瀬が肩をすくめ、音を立てて椅子に座り直した。
「聞いてやる。言ってみろ」
 が、すぐには始まらない。始められないようだ。そこで柿原は湯沢の隣まで移動し
た。彼女が多少怖がっていると見て取ったから。
「大丈夫?」
「う、うん。どうにか」
「本当に何か考えがあって? まさかと思うけど、僕を助けようとして無理に……」
「そんなことない。さっき、閃いたの」
 湯沢が微笑むのを見て、柿原は驚くと同時に心配にもなった。そんな都合よく閃くも
のか? 柿原の不安をよそに、湯沢は背筋を伸ばして立った。勇気を振り絞った証のよ
う。
「きっかけは、橋部さんと沼田さんのやり取りと、犬養さんと柿原君のやり取りを思い
出したことです」
 名前を挙げられた内の一人、柿原はすぐ前で発言する湯沢を見上げた。何のことを言
っているのか、咄嗟には掴めない。他の三人も、思い当たる節がないと見える。互いに
ちらと顔を見合わせた程度で、特に発言は出ない。
「正確な言葉ではなく、ニュアンスになりますけど……沼田さんが濡らしたマッチ棒を
処分したと言って、橋部先輩は乾かせば使えたかもしれないのにと応じていました。そ
れから、犬養さんが折れたマッチ棒を処分したことを、柿原君が処分せずに残していた
ら無実の証明になったかもしれないのにと応じた」
「あれか。思い出した」
 いの一番に橋部が言った。柿原も記憶が甦った。
(だけど、この二つのやり取りで、何が……あ)
 脳の奥で、光が瞬いた気がした。湯沢の話の続きに耳を傾ける。
「もう一つ、ずっと引っ掛かっていたことがあります。犯人は何故、9番コテージの近
く、小津部長が亡くなっていた辺りで、人形の火あぶりの細工をしたのか。人形の火あ
ぶりから余計な事柄を削ぎ落とせば、何故、小さなたき火をしたのかという設問になり
ますよね」
「そうなるな。呪術めいた儀式だなんて、誰も信じない」
 橋部の相槌代わりの台詞を受け、湯沢も勇気の波に乗れたらしい。
「シンプルに考えてみたんです。犯人は何かを燃やして処分したかった。そうする意図
を知られたくない何かを」
 本当に燃やしたかった物をカムフラージュするため、呪いの儀式めいた工作をする。
ミステリマニアらしい発想で、いかにもありそうだ。柿原はそこを認めた上で、ではあ
そこには何があったのかを思い返してみた。
(部長が亡くなった辺り……。犯人が自らの血や汗なんかの証拠を落としてしまったと
は考えられない。部長の死因は、恐らくアナフィラキシーショックで決まりだ。犯人が
犯行現場に立ち会う必要はない。その他の物品を落としたとしても、いくらでも理由付
けができる。遺体発見の時点で、みんなで集まったんだから。そうなると、証拠隠滅な
どではなく、他の理由……たき火の前後で消えている物……あ)
 分かった気がした。柿原は黙って、湯沢の話の続きに集中した。
「亡くなっている小津さんを見付けたときのことを思い浮かべてみてください。あの辺
りにはマッチ棒が散らばっていましたよね」
「そうだ。確かに、小津部長自身のマッチ棒が散乱していた」
 戸井田が強い確信ありげに言った。他の者が信じないなら、写真で見せてやろうとい
う気概が感じられる。無論、実際にはそんな必要はなかった。皆が覚えていた。
「現場をなるべくいじらないでおこうってことで、マッチ棒もそのままにしていた。他
にマッチ箱もあったっけな。それら全て、犯人のたき火のせいで燃えてしまったようだ
が」
 橋部が記憶を手繰りつつ言った。
「はい。犯人の狙いはそこにあったんじゃないか。そんな気がするんです」
「分からんな。マッチ棒を無駄に燃やして、何になる?」
「無駄にしていないと思います」
「え?」
「犯人は、使えるマッチを密かに確保するため、マッチ棒を燃やしたかのように装った
んじゃないでしょうか」
「ん? ――あ」
 首を捻った橋部だが、すぐに何やら察した顔つきになった。湯沢が前振りとして挙げ
た話が、ここに来て生きてくるんだ――と、柿原は内心で理解した。
(遺体の周りに散乱していたマッチ棒が、まじないめかしたたき火のせいで全て燃えて
しまったと思わせて、実は犯人が回収していた。燃えかすなんて、誰も調べない……あ
れ? でも、時間の前後関係が合わないぞ)
 柿原は気付いた。湯沢の顔を見つめつつ、大丈夫かなと心配が膨らむ。
「マッチを拾って再利用したという発想は分かった。それをごまかすためのたき火だと
いう理屈も。しかし、たき火の直前にマッチ棒を回収したのなら、おかしくないか? 
たき火や人形の準備をしたり、刃物を手に入れたりするために、犯人はメインハウスを
家捜ししたはず。だったら、家捜しの前の時点で、マッチを余分に入手しておかなけれ
ばならない」
「もちろん、回収そのものはずっと早めにしていたんだと思います。小津部長の足を見
て確認しようと考えた段階で、火種はなるべくたくさんあった方がいいと判断するのは
自然ですよね」
 湯沢の語りっぷりに、揺らぎは見られない。指摘も織り込み済みということらしい。
質問者が橋部から戸井田に移っても、その自信に変化はなかった。
「確かにそうだけれども、あんまり早くマッチを拾ってしまうと、気付かれる恐れが出
て来るんじゃないかな」
「それもカムフラージュできます」
「どうやって」
「マッチの燃えさしを、代わりに置くんです。ただし、頭の部分はちょっと土に埋める
具合に」
 シンプルな解答に、戸井田は「あ、そうか」と応じたきり、口を半開きにしていた。
 そこへ、村上が確認する口ぶりで聞く。
「燃えさしのマッチ棒を集め、カムフラージュ用に回したって訳ね。数は足りるのかし
ら。通常、火を着けるのに使ったマッチは、そのままくべてしまうけれど」
「問題ないと思います。自分自身が私的に使ったマッチを、捨てずにそのままストック
しておけば」
「なるほどね。燃えさしのマッチをたき火で燃やすことで、マッチの軸が部分的に消し
炭みたいに燃え残れば、まさかマッチ棒のすり替えが行われていたなんて、思い付かな
い。実際、そんな風になってたみたいだし」
「拾い集めたマッチは、しばらく乾かすだけで使えるようになったでしょう。そして―
―真瀬君が早い内から缶詰の空き缶をロウソク立て代わりにすることを実行していたの
と考え合わせれば、真瀬君のアリバイはなくなったと見なすのが妥当だと思う」
 最後は、真瀬を見てきっぱりと言った湯沢。もしも真瀬が顔を起こして、彼女をにら
みつけでもしていたなら、こうは行かなかったかもしれない。しかし今の彼は、最前ま
での威勢のよさや威圧的な態度は影を潜めていた。机に左右の腕をぺたりと付け、やや
俯いた姿勢で聞き続けていた。
  と、そんな真瀬が面を上げた。
「終わったか?」
「え、ええ」
「やっとか。話しやすいように気を遣ったつもりだが、首が痛くなった。筋を違える前
に終わってくれて、助かった」
 真瀬の態度は落ち着いていた。柿原が右手だけで紐を結べることを知らされたとき
や、先んじて空き缶をロウソク立て代わりにしていた疑いを掛けられたときは、明らか
に動揺していたのに、もう収まっている。真瀬にとって、湯沢の推理披露は、彼自身が
落ち着くための貴重な時間稼ぎになった恐れがあった。
「アリバイが崩れたのは認めてもいい。論理的、客観的に考えて、それが当然。しか
し、アリバイのない人間が即犯人とはならないのも、また当然の理屈、ですよね皆さ
ん?」
「答えるまでもない」
 橋部が代表して応じた。
「だが、おまえの場合、アリバイが崩れると同時に、犯行が可能であることも示されて
しまったんだぞ。加えて、犯人の細工によって成り立っていたアリバイは、おまえだけ
だ。犯人は柿原に濡れ衣を着せようとした形跡があるが、それは柿原が右手だけでは紐
を結べないという間違った理屈に立脚していた。ここにいるメンバーの中で、そんな誤
解をしていたのは、おまえ唯一人だ」
 橋部は一気に喋った。言いにくいこと全て引き受けた、そんな覚悟が感じられる。
 対する真瀬は、橋部をじっと見返し、また一つ、長い息を静かに吐いた。それから一
転して、大きな声で捲し立てる。
「だから! ロジックだけで殺人犯を決め付けるなんて、できやしませんよ! いくら
理屈を積み上げても、俺は認めない。何故なら、今列挙した理屈やその元となった事実
が、真犯人の罠である可能性は否定できない。でしょう? クイーン問題ですよ」
 推理小説好きの間で通じる語句を持ち出し、唇の端で笑う真瀬。橋部ら他の部員から
の反論がないのを見て取ったか、さらに語る。
「小説に関しては、あれやこれやと解釈をこねくり回して、クイーン問題は回避できる
的な評論があるのは知っている。だがしかし、現実の事件の前では無意味なんだ。物的
証拠が出ない限り、いや、そんな証拠が出たとしても、それすら真犯人の仕掛けた罠で
あるかもしれないんだ」
「……そう言う真瀬君は、誰を犯人だと思ってるのかしら?」
 犬養が些か唐突なタイミングで聞いた。場の流れを変えよう、そんな意図があったか
どうかは分からない。ただ、彼女が時折見せる、空気を読まない言動が、ここではプラ
スに働いた。少なくとも、柿原らにとって。
「さあ? これだけ疑われたら、どうでもよくなってきた。俺以外なら、誰だっていい
さ」
「誰だっていい? そんなことあるはずないわ」
「何? 分かった風な口を」
「分かっていないのは、そちらでしょう。あなた、誰が殺されたの、お忘れ?」
「それは……」
 勢いが止まった。絶句した真瀬に、今度は沼田が言葉で詰め寄る。
「関さんのこと、好きだったのよね? なのに、どうでもいいだなんて、言える訳がな
いわ!」
「ち、違う」
 目を赤くした沼田の迫力に押された風に、真瀬は首をぶるぶると横に振った。
「俺が言ったのは、そういう意味の『どうでもいい』じゃあない。俺は、君らみたいに
仲間を疑うのが嫌になったんだ。だから、思うことはあっても、もう言わないと決め
た。そういうつもりで、どうでもいいと言ったんだよ」
 この答に、真瀬自身は満足したらしく、自信ありげに頷いた。
 不意に静寂が降りてきた。誰も発言しない、物音すらほぼしない時間が一分ほど続い
た。その時間を使い、橋部は柿原を一度見た。アイコンタクトのようにも感じられた
が、柿原には何のことだか分からなかった。
「真瀬。俺達は気にしないから、言ってみてくれ」
 静寂を破って、橋部が問う。真瀬は被せ気味に答えた。
「何をですか」
「犯人、誰だと思ってるんだ?」
「今さら……」
 横を向く真瀬に、橋部は辛抱強く語り掛けた。
「まあ、改めて言わなくても、だいたい想像は付く。少し前まで、おまえは柿原犯人説
を唱えていた。それは変わっていないんじゃないか?」
「……」
「俺もおまえのさっきの考えを聞いて、検討し直してみたよ。ほら、真犯人の罠じゃな
いかっていう」
「……それで?」
 改めて振り向いた真瀬。細められた目で見つめる様は、相手の真意を測ろうとしてい
るかのようだ。
「こう考えてみた。真瀬に掛けられた疑いが罠だとしたら、それができるのは誰か、っ
てな。まず……柿原の手について真瀬だけが誤解していることを確実に知っているのは
誰か」
 場に問い掛けてから、橋部は柿原へ向き直った。
「それは柿原本人だ」
 その台詞の効果を試すかのように、しばし口をつぐむ橋部。
 一方、柿原は心穏やかならず。
(橋部さん、一体どういう……?)
 疑問が頭を埋め尽くしたが、声にはならない。強いて出さなかったのかもしれない
が、本人にもそれは分からない。
「柿原以外は、たとえ日頃の態度で真瀬が誤解していることを把握できても、柿原が真
瀬に直接訂正した可能性を排除できないからな。無論、柿原の立場からすれば、部員の
誰かが真瀬に誤解を教えてやる可能性を考慮しなければいけないが、誤解が解かれたか
否かを確認できるのも柿原だけだろ」
「……そうなりますね」
 柿原は素直に認めた。理由は二つある。第一に、橋部の話の論理展開そのものは、さ
ほどおかしなものではない。強行に反発するのは、スイリストとしての名折れになる。
そして第二に、橋部は何らかの思惑があって、こんな方向に話を持って行ったのだと直
感したからだった。
(多分、橋部さんは二択に持ち込もうとしている……)
 そう信じて、敢えて乗る。
(そこからの決め手は、きっとアレだ)
「要するに、僕に濡れ衣を着せる筋書きの犯行が、真犯人の罠だとしたら、そんなこと
ができるのは、僕一人だってことですね?」
 時間を省くつもりで、柿原は論をまとめてみせた。果たして橋部はいかにも満足そう
に、大きく首肯した。
「話が早くていい。ハンカチの血だって、自分でやるなら目撃される危険はゼロに等し
い。レシートの黒い楕円にしても、柿原が第一発見者であるということは、裏を返す
と、柿原自身がきれいなレシートに故意に付けた可能性が残る。9番コテージの格子を
外したあと、戻したのは、片手の自分には大変な作業ですよというアピール。ああ、斧
の柄に血痕があっただけで、いきなり部長の遺体を調べようと言い出したのは、やり過
ぎ感があるな」
 橋部は目線を柿原から真瀬に移動させた。
「こんなところじゃないか、おまえの気持ちは」
「まあ……そうですね」
 真瀬は口元から顎にかけてひとなでし、考え考え、言葉をつないだ。
「他にも、たき火のトリックを使わなかったとしても、柿原には明かりを用意できた可
能性がありますし」
 予備のバッテリーの件を蒸し返す真瀬。橋部は「分かった分かった」と、首を何度も
振った。それから今度は、真瀬と柿原を除く、他の面々に向けて話し掛けた。
「どうだろう? 犯人が誰かっていう謎は、彼ら二人に絞られたんじゃないかと思うん
だが。機会や手段、それに今まで散々述べてきたロジックから、総合的に判断してな」

――続く




#1111/1112 ●連載
★タイトル (AZA     )  18/07/13  22:55  (496)
魔法医ウィングル:密室が多すぎる 1   永山
★内容                                         18/07/18 02:46 修正 第4版
 僕は、そのときばかりは店主がうらやましかった。
 採用面接の折、コールさんは僕の魔法を高く評価してくれて、それが採用の決め手に
なったと僕自身感じている。今や、ダビド・コール古物商の社員寮に入っているのは、
僕一人だけ。つまり、大勢の働きを一人でこなせると認めてもらえたことになる。
 魔法ならコールさんも別のを使えるが、あまり役立たないものだと本人が自嘲してい
た。僕だって口には出さないが、僕の魔法の方が使えると自負してる。少なくとも、
コールさんのやっている骨董店では。
 それでもなお、僕がコールさんの魔法をうらやましいと感じた。今日みたいに、厳し
い暑さの日に限っては。
 コールさんの魔法は、氷を作り出せる。大人の男の親指くらいのサイズが一つだけだ
が、溶けきることはない。空気中の水分を固めて氷にしているからだそうだ。その氷を
身に付けて作業をすれば、かなりの暑さをしのげるに違いない。
 いい歳した大人が小さな氷一つ出せるだけなんて自慢にならないとか言って、コール
さんは他人に積極的には見せたがらない。髭を生やした六十絡みの強面男性が、ちっぽ
けな氷をちまちまと操る様は確かに格好よくないかもしれない。そんなコールさんで
も、酔うと希に披露してくれる。あれは確か、女性従業員の退職が決まって、送別会を
開いたときだ。些か酔っ払ったコールさんは、空中、目の高さ辺りに細長い氷を作る
と、ゆっくり回転させ始めた。氷が時計の針みたいに、ぐるりと円を描く。作った氷を
自在に操れるのではなく、空中にある水分を巧みに入れ替えることで、凝結と気化を繰
り返すとかどうとか。氷結だったかもしれない。自分も多少酔っていたため、しかとは
記憶していないが、とにかく見事な魔法さばきだった。
 そんな店主を、僕も嫌いではない。経歴に傷のある僕を雇ってくれて、感謝している
し、何より差別しない。時々、「おい、フィンシャー君。刑務所で知り合った中に泥棒
はいないか? 盗品でも値打ち物なら考えるぞ。わはは」なんていう風な直球の冗談を
投げてくるが、それこそ僕を特別扱いしていないことの証拠だと分かるのに、時間は掛
からなかった。
 短気な質だと自覚のある僕も、この店では迷惑を掛けないよう、精一杯努力してみよ
うと心に誓っている。それだけ、長くいたいと思わせる場所なのだから。

            *            *

 夏も佳境に入り、きつい日差しが当たり前のように続いていた。たまに雨が降って
も、地面はじきに乾いて白くなるほどだった。場所によって、土埃が激しく舞う。だか
らといって目医者が儲かることにはつながるまいが。
「先生、約束よりちょいと早いですが、よろしいかな?」
 診察時間が終わるや否や、刑事のセオドア・スペンサーが診療室に駆け込んできたの
で、ウォーレン・ウィングルは些か面食らった。
「かまいませんが、どうしたんです? 飲みに行くには早いでしょう」
 本日夜、居酒屋に繰り出す約束をしたのが三日前。言い出したのはスペンサー刑事だ
った。ウォーレン・ウィングルは一介の町医者であるが、時折スペンサーに助言する形
で、事件の捜査に関与した経験がある。
 本業は飽くまで医者、魔法医だ。病巣の位置さえ正確に把握できれば、その病巣を滅
することができる。ある程度の制限があるのだが、他の医師にとって商売あがったりに
なるほどの強力な魔法が使えるとあって、業界内での人間関係はあまりよくない。親交
のある医者仲間は大勢いるが、反主流派が大半を占める。現在、ウィングルがその能力
の割に田舎町の小さな医院に収まっているのは、主流派とのつまらぬ衝突に端を発して
いた。
「自分の担当じゃあないんですが、ある事件が拡大の一途を辿っておりましてな。応援
に駆り出される公算が強まってきた。そこで、前もって先生の意見を聞いておくのも悪
くないと考え、早めに来たんでさ」
 それでもウィングルは町を気に入っていたし、こうして刑事に頼られるのも悪くはな
いと感じていた。何より、自分は謎解きが好きらしいと気付かされたのは、ここに来て
からだ。
「店で飲み食いしながらできるような話ではないんですね?」
 すぐに察したウィングルは切り替えも早かった。刑事の肩越しに、看護婦のニッキ
ー・フェイドへと視線を寄越す。
「彼女にも聞かせない方がよい?」
「ご遠慮願いたい。公にされていない事柄が多くてね。先生は別ですよ」
「この手の特別扱いは居心地がよくありませんが……フェイド君、都合が悪ければ言っ
てくれたまえ」
「いいえ。早く帰れるのでしたら、むしろ大歓迎ですわ」
 暇なときは事件の話に首を突っ込んでくることもままある彼女だが、今日は予定があ
るようだ。
「何でしたら、今すぐにでも消えましょう。お茶をお出しできませんし、今日の片付け
を先生にお願いしますけれど」
「それでは――」
 ウィングルは刑事の顔色を見た。目で頷くスペンサー。事件についてとにかく早く話
したい様子が見て取れた。

 念のため医院の戸締まりを全て済ませ、不意の来訪者があっても問題ないようにし
た。スペンサー刑事はメモの類はしてもかまわないが、すぐに処分するか、他人の目に
付かないように厳重に仕舞い込んでほしいと前置きし、事件の話に入った。
「先生にお話しするのは、何度か検死の手伝いを頼んだからというのもある。ここ最
近、その頻度が高かったと感じませんでしたかね?」
「言われてみれば、女性二人が立て続けにありましたね。紐のような物で首を絞められ
た痕がある以外、外傷はほぼなくて、同じような亡くなり方でした。互いに関連がある
かどうかは、何も聞いていませんが」
 医者と患者のように、診察にて向き合って話す二人。フェイドがいれば飲み物がテー
ブルに並ぶところだが、今はない。無論、このあと予定通りに居酒屋に行くつもりとい
うのもあるが。
「実を言うと、他に五人、同じ死に方をした被害者がいましてね。いや、全員がこの町
で死んだんじゃなく、近隣周辺の三つの自治体で起きた合計が七人なんですが。それで
も、広大とまでは言えない範囲内で七人が短い期間に死んだとなると、ちょっと異常
だ」
「確かに。騒ぎになるかもしれないので、関連性についての言及を控えていると?」
「ええ。警察としての方針が決まれば、一連の事件であるとの見解を発表するのはかま
わんのでしょうが、現段階では時期尚早ってやつです。七人の被害者の内、一部は事故
の可能性も匂わせたから、どうにかこうにか連続殺人の噂が立つのを押さえられている
ようですな」
「事故? 私が検死した中には、そのような症状は見られなかったと思いますが」
「遺体の状況ではなく、発見された状況にちょっとした関門があるんですよ。実は、あ
あ、また『実は』だ」
 苦笑を浮かべ、刑事は唇をひとなめした。
「実は、七件の女性絞殺事件は、全て密室状況下で起きた。その作り方が不明であるが
故に、事故死という見方をしても一応、通っちまう」
「密室について詳しく教えてください。どれも同じような状況だったんですか」
 時計を一瞥してから質問したウィングル。長引きそうな予感があった。
「同じと言っていいでしょう。ついでに言えば、被害者が独り暮らしの女性というのも
共通している。一軒家か下宿等の一室かの違いはある。被害者は全員、紐状の物で絞め
殺されており、首には凶器が巻き付いたままだった。凶器は荷造り用の細めのロープ
で、長さは一定ではなく、およそ六〇〜八〇センチ。同じメーカーの物かどうかは未確
定で、鋭意調査中。こんなところです」
「現場の状況は? 鍵のこととか」
「一軒家に関しては、玄関と勝手口と窓があって、そのいずれにも魔法錠がしつらえて
ありました」
 魔法が一種の特殊能力として一般的に認知されているこの社会において、魔法錠は家
屋における必須アイテムと言える。そうでない鍵だと、たとえば遠隔操作の魔法を使え
る者によって、易々と開錠されてしまうからだ。魔法錠ならそれを防げる。ただ、魔法
錠という特別な錠前が存在するのではなく、通常の錠に政府による公的な魔法を施すこ
とで、他の魔法による外部からの開錠を不可能にした物、それが魔法錠である。
「ドアは鍵を差し込んで回す単純なタイプ、いわゆるシリンダー錠でした。窓の方は、
やはりよくある三日月型の金属を動かすことでロックするクレセント錠ってやつです。
これが五件。残り二件がアパート及びマンションの一室で、出入り口は玄関と庭に面し
た窓」
「すみません、その部屋は一階?」
 念のためにと発したウィングルの質問に、刑事は肯定の返事をした。そのまま続け
る。
「アパートとマンションの区別する基準を知らないが、アパートの方の玄関はシリン
ダー錠で、マンションの方の玄関は単純な回転錠に加えて、暗証番号が必要な閂が付い
ていました。四角い箱型にボタンが八つあって、定められたボタンを押し込んでからで
ないと、閂を動かせない仕組みになっている。もちろん、室内側からは簡単に閂を動か
せる。そして窓は、同じ型のクレッセント錠でした。そこにあるような」
 スペンサーの指差した方をちらと見やるウィングル。この小さな医院の窓には二種類
の錠があって、一部はクレッセント錠、一部はねじ込み式錠が設置されている。
「ここの窓の錠は固くてきついんですが、現場の物はどうなんでしょう?」
「さて、そこまでは聞き及んでませんな。先生は何ですか、他の魔法ではなく、物理的
な、いわゆる糸や針なんかを使ったようなトリックが用いられたと?」
「決め付けているんじゃありません。基本的なことを押さえておきたいだけで。警察が
魔法による密室殺人だと考えるからには、何らかの魔法痕が見付かっていると?」
「ええ。ずばり、凶器の紐から検出されてまして」
 魔法を行使された対象物を、警察が開発・導入した特殊機器で検査すると、魔法を使
った痕跡が検出される。それは波紋のようなもので、魔法痕と呼ぶ。魔法が使われてか
ら検査までの時間経過が短ければ短いほど詳細に分かり、一般的に、三ヶ月以内であれ
ば魔法の種類は特定可能とされる。行使から間もなくなら、誰がどんな魔法を使ったか
さえ判明する場合がある。
「凶器から検出されたのは、遠隔操作の魔法痕でした。言い換えるなら念動力」
「犯人は、被害者が自宅内で施錠したのを見計らって、紐を遠隔操作し、首を絞めて殺
した?」
「恐らくそうでしょうな」
「……殺害された現場は、家の外からも見通せる状況でした?」
 首を傾げつつ、ウィングルは聞いた。
「いやあ、そこまでは把握しとらんですわ。何か問題でも?」
「一人につき一つの魔法しか使えない原則がある。遠隔操作魔法を使う犯人は、部屋の
中の様子や被害者の位置、動きなどが分からないと、正確に首を絞めるのは無理なんじ
ゃないかと思いましてね」
「なるほど。機会があれば、確認しときます。でももし、現場が外から見通せないとし
たら、犯人は複数かもしれませんな」
「何故そう思うんです?」
「透視能力のある奴が共犯で、そいつから室内の様子を伝えてもらうことで、念動力の
ある奴が正確に首を絞めた――」
「確か、透視魔法を使うと、透視された物体に魔法痕が残るんじゃあ……」
「ああ、そうか。そういう記録はありませんな。殺害現場の魔法痕の有無は念入りに調
査済みで、まだ調べてないとは考えられないから、この推理は破棄ということで」
 些か考えなしに先走ったのを恥じたのか、スペンサー刑事は表情を隠すかのように顔
を手のひらで何度か擦った。
「遠隔操作の魔法のみで、紐を見えない位置から操り、中にいる人を絞殺するなんて芸
当、できるものでしょうか」
 しきりに首を捻るウィングル。その動作をやめ、思い付きを口にした。
「紐に、二重に魔法を掛けた痕跡はないんでしょうね?」
「ないですな。ああ、分かりましたよ、ウィングル先生の考え。魔法によって紐を他の
物体に見せ掛けるとかでしょう?」
「え、ええ、まあ。首飾りや襟巻きに擬することができれば、首に掛けるでしょうか
ら。尤も、帰宅すればすぐに外しそうな気もします。まあ、そのような魔法痕はなかっ
たという事実の前に、この推理も的外れ」
 両手の平を上向きにし、肩をすくめたウィングル。
「寄り道をしないで済むよう、はっきりさせておきましょう、スペンサー刑事。各現場
では、凶器と見られる紐に遠隔操作の魔法痕があった以外、何の魔法痕もなかったとい
う認識でいいですか?」
「ええっと、単純に断言はできませんが、犯行に関連している魔法は他にはなさそうで
すな」
 奥歯に物が挟まったような言い種をする刑事。ウィングルは続きを待った。
「というのも、被害者の内二人がそれぞれ魔法を使えたようなので。手のひらで布や紙
なんかをさすると、皺がきれいになくなり新品のようになる能力と、利き手で持った物
の重さを正確に感じ取れる能力。日常的に使っていたみたいです」
 前者は洗濯物を畳むとき、後者は料理のときに便利と言えるかな。ウィングルは漠然
と想像した。
「何にしても、この二つの魔法は、全ての犯行現場に共通する要素にはなり得ない。つ
まり、密室殺人とは無関係と見なしてかまわんでしょう」
「同意です。が、その条件下で、警察は犯人がいかにして正確に首を絞めることができ
たのか、見当は付いているのでしょうか」
「付いていないと思う。いや、捜査に関わっていない部外者の立場では、何とも断言は
できないが、そういった言及があったら確実に耳に入ってくるものだから」
「勘に頼って、手当たり次第に絞める動作をした、ということは考えられます? もし
当たっているとしたら、絞殺未遂事件が山ほど起きていそうなもんですが」
「絞殺未遂事件が頻発してるなんて話は、聞き及んでませんな。犯人は正確に凶器を操
作して、殺害を成し遂げていることになりそうだ」
 スペンサー刑事は頭をかきむしった。こんなことが問題になるとは、想像していなか
ったのだろう。無論、現時点で捜査に関わっていない彼を責めるのはお門違いと言うべ
きで、捜査班は現状を把握して動いているに違いない。
「スペンサー刑事。密室殺人の方法に疑問を持っていなかったのなら、何を相談しよう
と思って来たんです?」
「ああ、そりゃ決まってます。理由ですよ、理由。密室を作って殺す理由がぴんと来な
い」
 そこまで一気呵成に答えたスペンサーに対し、ウィングルが応じるために口を開こう
とした。が、刑事が言葉を継ぐ方が早かった。
「言っときますが、自殺に見せ掛けるためとか、鍵を所有する人物に濡れ衣を着せるた
めとかいうありきたりなものは承知してますんで、説明は結構。今回の事件の犯人は、
明らかに他殺と分かる手口で殺しておいて、密室を演出している。そこが不可解なんで
す。無差別殺人だろうが何だろうが、殺したいだけなら、わざわざ現場を密室にする必
要はない、でしょ? むしろ、密室に拘るのは、無差別殺人らしくない気さえする」
「他のよくある理由はどうでしょう? 殺害のためには密室にする必要がある、偶然密
室になった、といった」
「そうですなあ。偶然密室になったという考え方は、理屈の上ではあるでしょうが、実
際問題、七件も偶然が働いたとは思えんですよ。一方、密室にしなければ殺害できな
い、もしくは密室の方が殺し易いというのはなさそうだ。さっき検討したように、魔法
で絞め殺すには密室は障害にこそなれ、プラスに作用するとは考えづらいでしょう」
 刑事の意見に、ウィングルは満足げに頷いた。蛇足になるが、この世界では、超常現
象に見せ掛けるために密室殺人を行うという説は、議論に与せられる余地はほぼない。
魔法が当たり前に存在するのだから。しかしながら、皆無という訳でもなく、魔法を超
えた超魔法(に擬せられた不可思議犯罪)であれば、あるいは人々を驚かせ、恐怖せし
めるかもしれない。
「もう一つだけ。遺体の発見を遅らせたかったという理由は考えられない?」
「うーん、そこまで詳しい情報は得ちゃいませんが……被害者達は学生や社会人のよう
だから、姿を現さないことに周りの者はすぐに気が付くでしょう。その上、被害者宅に
遺体を放置と来た。事件発覚を遅らせる意図が感じられないような」
「なるほど、納得しました」
「先生、聞いているのはこちらなんですよ。あなたが納得していてどうするんですか」
 笑顔の医師とは対照的に、刑事は渋面をこしらえ、距離を椅子ごと若干詰めた。
 真顔に戻ったウィングルは、書き損じの問診票の裏にいくつかメモ書きをしつつ、
「今すぐの結論は無理ですよ。新しい仮説すら、簡単には捻り出せそうにありません」
とやんわりと言った。
「それならせめて、どうやって正確に絞殺できたかについて、お知恵拝借といきません
かね」
「そっちの方は、思い付きがないでもありませんが、多分、現捜査陣の方々も想定して
いるに違いないので……」
「何と。思い付かない自分は鈍いことになりますか」
「決してそういう意味で言ったのではないです。実際にうまく行くかどうか不確実なこ
とから、最初から排除すべき仮説かもしれませんし」
 ウィングルがメモを書く手を止めると、刑事は「とにかくその思い付き、聞かせてく
ださいよ」と求めた。別段、伏せておく理由なんてないので、話そうとしたウィングル
だったが、ちょうど電話が鳴った。スペンサー刑事に断って電話に出ると、ウィングル
宛てではなかった。
「――スペンサー刑事、あなたに」
「あ、ああ。すみません、ここに足を運ぶと同僚に伝えていたもんで」
 送受器を受け取りながら、頭を下げるスペンサー。ウィングルは全然かまわないと、
手振りで応じた。ウィングルが心配するとしたら、自分のような素人が捜査へ口出しす
る行為が、他の刑事達にはどう思われているのかであり、その橋渡し役になっているス
ペンサーの立場は大丈夫なのかということだった。
 スペンサー刑事の電話は、意外と長い時間を要した。スペンサーは刑事として訓練を
受けているのかどうか分からないが、会話の内容が推測できるような言葉は漏れ聞こえ
てこなかった。五分近く経って、ようやく通話が済んだ。
「何でした?」
 送受器を返してもらい、電話機に戻しながら聞く。
「安心して飯に行きましょう。応援に呼ばれることはなくなったようだから」
「へえ? 一体何が」
 内心、捜査への応援に駆り出されることが決まり、その件をいち早く知らせる電話で
はないかと想像していただけに、ウィングルの声には訝る響きが混じった。
「会見はまだだが、一部の記者連中に漏れ伝わっているだろうから言っちまいます。容
疑者が特定されたという情報でした」
「それはよかった。でも、何が決め手になったんだろう……。聞いた限りでは、まだ先
は長そうに思えましたが」
「好ましからざる展開だが、新たに八人目の犠牲者が出たらしいです。その発見が早か
ったので、魔法痕を調べることにより容疑者個人を特定できたというのが、まあ、せめ
てもの慰めで」
「そうでしたか。犯人、慎重に振る舞っていたように感じましたが、そうでもなかった
のかな。まだ日も落ちない時刻に事件を起こし、しかも発覚するなんて」
「殺人を重ねる内に感覚が麻痺して、慣れてくる。それが油断につながるというのは、
よくあることでさあ。ま、今回は、その容疑者が過去にも犯歴があって、警察で保管し
ている資料とすぐに照合できたのが大きいようでしたがね」
「そういえば、容疑者の名前までは教えてもらえませんか」
「ん、ま、かまわんでしょう。ポップ・フィンシャーという男です。詳しいことは知ら
されてないが、今し方聞いた話では、若い頃は大道芸をしていたと。ナイフを遠隔操作
して、ジャグリングをしていたんですな」
「魔法でジャグリングですか」
 ウィングルは若干、理解に苦しんだ。
 ジャグリングは人間が素の技術を使って行うからこそ見事な技になるのであって、魔
法を使って見せられても大して感心しない気がするが、よほど複雑な動きをやってのけ
たのだろうか。もしくは、大量のナイフ、それこそ百本くらいのナイフをお手玉したの
なら、魔法であっても見ものなのかもしれない。
「で、約五年前、客とトラブルになって、ナイフで斬り付け、軽くではあるが傷を負わ
せた。執行猶予なしの懲役を食らっています」
 魔法の悪用に関して、きつめの判決が下ることが圧倒的に多い。ポップ・フィンシ
ャーなる男の傷害罪も、高く付いたようだ。
「それでも魔法縛の罰は解かれていたんですね?」
 魔法の悪用により懲役刑を下された場合、その犯罪者は魔法を使えない環境下で収監
される。その手段は地方によって様々だが、基本的には期間限定で魔法を使えなくする
魔法を掛けるか、刑務所全体に魔法を掛けてそのテリトリーでは他の魔法が働かなくす
るかのいずれかだ。どちらの方法も、強力な魔法を使える者が定期的に管理の手を入れ
る必要があるため、僻地では採用できないことも起こり得る。
 そういった収監中のこととは別に、出所後にも一定期間魔法を使えなくする罰が付加
される場合が多い。
「ええ。きっちり務め上げて出所してから二年間、何事もなく過ごしたので、魔法縛は
解かれたとのことでした。それがまた悪用され、殺人に使われるとは、法曹界も頭が痛
い話でしょうな」
 苦い表情をなしたスペンサーだったが、再び鳴った電話にウィングルと目を合わせ
る。
「またかも。端からスペンサー刑事が出ます?」
「いや、そりゃまずいでしょう」
 ウィングルが送受器を持ち上げて出てみると、想像した通り、警察からスペンサーへ
の電話だった。「やっぱり、またですよ」と言いつつ、送受器を渡した。
「代わった。スペンサーだ。何か言い忘れたことでも?」
 それだけはっきり言って、あとは再びもごもごぼそぼそした物言いになったスペン
サーだったが、不意に明瞭に言い切った。
「何だって? 嘘だろ、フィンシャーが死んでいたなんて!」
 意外な成り行きに、さすがの刑事も思わず口走ってしまったようだ。

 居酒屋に行くという話がだめになってからちょうど一週間後。ウィングルは、スペン
サー刑事と再び会った。今度は最初から居酒屋を待ち合わせ場所にして。
「個室を予約していたということは、事件の話もあるんですか」
 注文を済ませ、手を拭きながらウィングルが尋ねる。テーブル越しに飲み物を注そう
とする手つきのまま、スペンサーは答えた。
「もちろん。例の事件ですよ、八連続密室殺人」
 有力容疑者フィンシャーの死を機に、密室絞殺事件は止まったようだった。よってス
ペンサーが応援に加わる必要はなくなり、しばらく暇である……というものではない。
被疑者死亡を受けて、警察は別の捜査班を起ち上げねばならない。それは、ポップ・フ
ィンシャーの死亡案件を色眼鏡なしに調べる名目がある故、密室での連続絞殺事件に携
わっていた捜査官以外の者によって構成される。スペンサーはその筆頭格に据えられ
た。
「こうしてお誘いが来るからには、フィンシャーの件は一週間で目処が付いたんです
か」
「うーん、まあ、建前もありましてね。現在進行形の事件ではないし、密室絞殺事件を
捜査していた連中の顔を立てねばならん。勢い、フィンシャーが犯人で自殺したという
線で進めざるを得ない。それをひっくり返すには、それなりの証拠や理屈がないとだ
め」
 互いのグラスを酒で満たし、軽めの乾杯。アルコール度数もごく低いやつだ。
「何かはっきりしないなあ。既定路線で片を付け、こうして飲みに来たんじゃないみた
いですねえ」
「ええ、当たりです」
 そう言うとスペンサーは半分ほどグラスを空け、一気に喋った。
「今日はこの間の埋め合わせではなく、ウィングル先生の意見が聞きたくて、来てもら
ったんです。具体的にどこがどうおかしいってのはないんですがね。どうも釈然としな
いっていうか、もやもやの正体を突き止めてくれるんじゃないかなと、期待しておる次
第です」
 料理が運ばれて来た。魚を中心とした皿がいくつか並ぶ。店員が下がったあと、ウィ
ングルは聞いた。
「じゃあ、私が何ら有効な反証を挙げられなかったら、あなたは納得して調査を終える
と」
「うむ。そのつもりですが、その場合でもできることなら納得できるだけの理屈を示し
てもらいたいもんです」
 スペンサーの言葉に同じ言い回しが重なる。早くも酔いが回ったのかと心配になる。
あるいは、彼の迷いの発露かもしれない。
 ウィングルはグラスを置き、メモ書きを用意した。
「分かりました。フィンシャーの死んだ件について、判明していることを教えてくださ
い」
「よし来た。ご存知の通り一週間前のこと、フィンシャーは住居である中古の一軒家で
死亡しているところを、訪ねてきた捜査員によって発見された。この一軒家というのは
フィンシャーの今の勤め先である古物商が、社員寮として所有・提供する二階建ての物
件で、多いときは五、六人が共同生活を送っていたが、現在はフィンシャー一人だっ
た。発見時、一軒家は密室状態で、フィンシャーは台所にて、首を絞められたことによ
る窒息死を遂げていた。凶器は荷造り用の紐で、フィンシャーの首に絡んだまま。魔法
痕も本人のものだけがばっちり残っていましたよ、死後三時間といったところだったん
で。家の構造は、それまでの連続絞殺事件と似たり寄ったりで、玄関と勝手口はシリン
ダー錠でそれぞれの鍵は、家の内部から見付かった。窓はどれもクレッセント錠で、全
てロックされた状態だった。あと、何がありますかね」
「遺書の類は?」
「ああ、なかったです。見付かっていないと表現すべきかもしれんが。その代わりって
訳でもなかろうに、密室殺人の方法を示唆したような絵が描き残されていたんだった。
そういや、前に先生は密室殺人の方法なら仮説があると言ってましたな。話してみてく
れます? 答合わせといきましょうや」
「ああ、あれね。自信のある答ではないが……。犯人は狙った相手をその家の近くで待
ち伏せし、家に入る直前に、被害者の肩に凶器とする紐をそっと掛ける。あ、いや、背
中にぴたりと貼り付ける形の方が、より気付かれにくいか。どちらにせよ、遠隔操作の
魔法が使える者であれば、気付かれずにやりおおせる。まあ、紐の端がうなじのすぐ近
くにあるのが、犯行にとって理想的です。その後、被害者は玄関の鍵を始め、戸締まり
をしてから床に就く。寝入った頃合いを見計らって、フィンシャーは紐を操作し、被害
者の首に回したところで一気に締め上げる……いかがです? 紐と首との位置関係を把
握できているのだから、容易に絞められるでしょう」
「こりゃ驚いた。見事に一致しております」
 殺人方法の発想が犯人と同じだったと言われても、大して嬉しくない。ウィングルは
次の質問に移った。
「社員寮というからには、合鍵が存在し、会社――古物商の方で保管しているのでしょ
うか」
「ああ、合鍵はある。けれども、保管が厳重で、勝手にというか個人が密かに使用する
ことは不可能なんですよ。古物商らしく古い金庫を使っているんですが、出し入れが記
録される仕組みになっており、フィンシャーの死の前後に使われた記録はないと確認済
みです。無論、魔法によって記録が改竄されてもいない」
「そうですか。なら、信用してよさそうです」
「先生は、他の方法で密室が作れないかと考えている?」
「ええ。だって、フィンシャーの犯行じゃないと仮定すると、密室の作り方が不明にな
る。そこから考えるべきでは」
「理屈は分からんでもないですが、魔法による密室作りを検討しなくていいのか、疑問
に思いまして」
「え? だって、他に魔法痕は検出されていないのでしょう? 検出されていれば、ス
ペンサー刑事、あなたが言ってくれるはず」
「確かにその通りで、現場の中古住宅から、事件と関係ありそうな魔法痕は、フィンシ
ャー自身の物しか見つかっていませんが」
「ということは、関係なさそうな魔法痕も検出されてるんですか」
「古くて話にならないようなものばかりですよ。フィンシャーの死亡は一週間前だとい
うのをお忘れなく」
 稀にではあるが、いわゆるタイマー式の魔法を使える者もいるにはいる。たとえば翌
日の朝六時になると枕が膨らむようにする魔法とか(目覚まし代わりである)。ただし、
この手の時間指定魔法にしても、発動したときを基準に魔法痕は検出できるので、古い
魔法痕は、発動したのも古いと見なせる。
「じゃあ、やっぱり魔法なしでの密室トリックを解き明かす必要が」
「いや、自分は、密室自体はフィンシャーの魔法によるものと考えておるんです。これ
までの八つの密室絞殺事件も、フィンシャーが死んだ密室も奴自身の力のせいだと」
「つまり、一連の事件は複数名による犯行で、フィンシャーが死んだのは仲間割れか、
あるいは全く別の殺しかもしれないといった感じですか」
「仲間割れ説を取りたいな。全く別というのは考えにくい」
「被害者遺族が犯人を自力で見つけ出して、復讐を果たしたという線は、警察としては
考えたくないでしょうね」
「もちろんですとも。遠隔操作魔法を使えるフィンシャーが、面識がないであろう遺族
に易々とやられるのも変だし。フィンシャーを殺した奴とフィンシャーは、何らかの交
友関係があったんだと思いますよ。フィンシャーを言いくるめ、奴自身の能力で密室内
で死に至らしめたんではと睨んでるんですが」
 自説を披露するも、明らかに自信なさげな刑事。目線は斜め下に向かい、手の甲で口
元を拭う仕種を何度かした。
「なるほど、一つの考え方ではありますね。では、違和感というのは、フィンシャーの
死が自殺らしくない、という直感ですか」
 ウィングルが肯定的に評価した上で、先を促す。スペンサーは腕組みをし、首を傾げ
た。
「うーん、直感とも言えるんですが、もうちょっと理屈があるようなないような。長年
の経験に裏打ちされた刑事の勘と呼ぶのが一番近くて」
「ひょっとすると、私の抱いた疑問と同じかもしれない」
「え? 何かあるんですか。なら、早く言ってくださいよ」
 分かり易く、表情を明るくしたスペンサー刑事。
「基本中の基本と言えそうな事柄なので、そちらから言い出すのを待っていたいんです
が、なかなかそうならないものだから……。それに、私はフィンシャーの犯行であるこ
とも疑ってるんですよ」
「自分も、全ての密室絞殺事件をフィンシャーの仕業と考えるには、ちょっと変な印象
を受けてはいますが」
「それは、殺し方ではありませんか? 何故絞殺なんだろう?という疑問」
「……そうですな。絞殺に違和感がないと言えば嘘になる。何ででしょう?」
「決まってます。フィンシャーがナイフ使いだからですよ。大道芸でナイフのジャグリ
ングをやっていた人物が、殺害方法に紐による絞殺を選ぶのは、不自然で違和感が大き
い」「ああ、そうか」
 スペンサーが左の手のひらを右の拳でぽんと叩く。最早彼も飲み食いを忘れているよ
うだ。
「大道芸で慣れているはずなのに、刃物を使わず、紐を凶器にしたのは変だ。刃物な
ら、わざわざ犯人が用意しなくても、各家庭にまずあるだろうし置き場所も大体予測で
きる。遠隔操作魔法で刃物を使っての殺害は、紐で絞殺するよりもずっと楽なはず。寝
室で被害者が寝ているところを、刃物で何度も突き刺せばまず助からない」
「まあ、言うほど簡単ではないでしょうが、紐を遠隔操作して首を絞めるよりは、ずっ
と容易にできると思います。にもかかわらず、絞殺を選んだのは何故か。そこを解き明
かさない限り、フィンシャー犯人説の一択というのは視野狭窄な気がします」
「ですな。いや、お恥ずかしい限り。あまりにも密室絞殺事件が続いたものだから、感
覚が麻痺していたのかな。こうなってくると、さっき言った複数犯説も怪しくなる。共
犯がいたとして、フィンシャーに不慣れで面倒な絞殺をさせるのは、理に合わない」
 ちなみに、この世界での魔法は生物に対して何かを強制することはできないのが大原
則である。たとえば、人間相手に○○しろ!と命じて従わせる魔法は、存在しない。例
外的に、当人が望んでいる場合、それを後押しする魔法がいくつか確認されているだけ
である。
「それでも、フィンシャーが魔法を使ったのは間違いのない事実です」
「ということは、我々が考えるべきは、共犯者がいるのならどうやって絞殺を選ばせた
か……いや、共犯の有無に関係なく、絞殺を選ぶメリットは何だったのかを突き止める
必要がある訳だ」
「そうなりますね」
 方向性をうちだせたところで、ようやく食事にありつく。多少冷めてしまったが、暑
い季節だからか、さほどマイナスにはならない。
「こういうのはどうでしょう。フィンシャーは、自殺請負業を始めるつもりだった」
「自殺請負業? あ、自殺に見せ掛けて殺すという意味ですか」
「そうですそうです。自殺請負業って表現だと、伝わらんですな。自殺を手助けする仕
事になっちまう」
 自嘲の苦笑いを浮かべたスペンサーは、揚げ物をよく噛んで飲み込んだ。
「自殺に見せ掛けて殺してくれる殺し屋なら、依頼者にとって大助かり。我ら警察にと
っては厄介な相手になる」
「うーん。実際は、自殺とするにはちょっと厳しい死に方でしたが」
「それは……もしかすると、デモンストレーションだったのかもしれない。俺は密室内
での絞殺を行えるぞ、お望みなら自殺に見せ掛けて殺すこともできるぞという宣伝」
「殺し屋が顧客を見付けるためにアピールするのはあり得るとして、七件も八件もやる
というのは、多すぎませんか」
「確かに。じゃあ、やっぱり無差別の快楽殺人か……」
「そう言えば、被害者達に関して詳しいことを聞いていませんが、共通点は女性という
以外にないんですか」
「フィンシャーがやったとされる事件に関して、自分はオブザーバー的な立場でしか関
与してないんですよ。だから大まかなことしか分かりませんが、六名はフィンシャーと
接点があったと突き止められています」
「どのような?」
「最初の被害者、デリーヌ・シオンはフィンシャーと同じ時期に同じ大学に通っていま
した。面識があったか否かは不明、というか恐らくちゃんとした顔見知りではなく、フ
ィンシャーが一方的に知っていたのではないかというのが捜査本部の見解。二番目から
五番目及び七番目の被害者達は――名前はいちいち挙げませんが――、全員がフィンシ
ャーの勤めていた店を利用した経験あり」
「店というと、古物商?」
「はい。出所後、店員として働いていた。実は、凶器の荷造り用の紐ってのも、そこの
店の物を拝借したようです。量産されている紐なので、完全な同定は無理ですが、同じ
代物なのは間違いない」
「裏方ではなく、接客をしていたんですね、フィンシャーは?」
「店の主によれば、どちらもこなしていたとのことです。外見はハンサム、言葉遣いは
丁寧で、とても殺人を起こすような人間には見えなかったとの証言が上がってました
ね」
「その証言は店の主のもの?」
「ええ。ダビド・コール、六十前後の髭面で強面ですが、話してみると気さくで感じの
いいじいさんでしたよ」
「その人物は、フィンシャーを前科ありと承知で採用したのかな」
「百も承知。一定数以上受け入れれば出る補助金が目当てなんでしょうが、前から積極
的に雇っていた記録があった。魔法を使える者を相場より安く雇えますし」
「なるほど……」
 ウィングルは幾ばくか思考の時間を持ち、それから飲み物を呷った。空いたグラスに
スペンサーからおかわりが注がれる。さし返そうとすると、意外にも待ったをされた。
「まだ下手に酔う訳にいかん。話の内容が内容だし、曲がりなりにも調査中、決着して
いないのだから」
 スペンサーはアルコールの入っていない飲み物を店員に頼んでから、改めてウィング
ルに聞いてきた。
「残る二人について、お話しします。フィンシャーと接点がないのに犠牲になった二人
の。案外、そっちの方が重要かもしれない」
 フィンシャーとのつながりが見られない一人目、全体で言うと六番目の被害者はケイ
トリン・カダマス。隣町の理髪店の古株店員。魔法の類は使えないが、腕は確か。理髪
店主の内妻のような立場で、二人暮らし。評判はよかった。殺害された日、店主は商店
組合の旅行に出て留守だった。
 もう一人、ロッシー・ドロールは八番目、最後の被害者。彼女もまた使える魔法はな
い、ごく普通の主婦。結婚して五年目だが子供はなく、会社勤めの夫と二人暮らし。住
居は町内にあるが、フィンシャーとのつながりは見られない。彼女も殺害された日は旦
那が出張中で、一人きりだった。

――続く




#1112/1112 ●連載    *** コメント #1111 ***
★タイトル (AZA     )  18/07/14  23:07  (284)
魔法医ウィングル:密室が多すぎる 2   永山
★内容                                         18/07/18 02:48 修正 第2版
「――こんなところですな。一部には、他の六人はフィンシャーのデモンストレーショ
ンもしくは趣味の快楽殺人で、この二人は殺し屋として請け負って殺害したのではない
かという見方も出たんですが、金の動きは見られないし、夫婦仲は順風満帆だったとの
ことで動機もなし。あり得ない説として捨てられた次第です」
 スペンサーの説明を聞いている間も、ウィングルはあれこれ想像を巡らせてみたが、
特段浮かぶものはなかった。ただ一点を除いて。
「殺害された当日、彼女らがそれぞれ家で一人になるという話は、どこまで知られてい
たんでしょうね」
「さあ……。わざわざ吹聴するようなことではないから、言うとしても近しい者だけじ
ゃないかな?」
「何にしても、フィンシャーが知っているというのはおかしい。最後の事件は“自殺”
直前だから自棄になっての犯行、適当に選んだ被害者がたまたま一人だったという可能
性が残りますが、ケイトリン・カダマスの方は偶然性が強過ぎる。これはやはり、八件
の絞殺もそれぞれを精査すべきかもしれませんよ」
「うーん、そこに異存はないが、捜査班の面々とぶつかると思うと頭が痛い」
 自裁に頭を抱える格好をした刑事に対し、ウィングルは問いを発す。
「そもそも、古物商の利用経験という共通項は、当初は分からなかったんですか。分か
っていたら、その時点で店を訪れ、フィンシャーの身元や経歴を調べて、遠隔操作魔法
の使えるこいつは怪しいぞと事情聴取に引っ張るのが、基本的な流れだという気がする
のですが、そういう経緯はなかったんですよね?」
「はい、そのようで。まあ、被害者全員の共通点ではなかったというのが大きいんでし
ょうな。加えて、被害者側をいくら調べても、コールの古物商を利用していたかどうか
なんて、簡単には判明せんでしょう。家計簿を付けていたとしても、そこそこ昔の話で
すよ」
「フィンシャーが殺害したとして、その動機がデモンストレーションだろうと快楽殺人
だろうと、古物商の客を選ぶという積極的な理由にはならないように思いますね」
「確かに。でも、フィンシャー犯人説がぐらついている今、改めてそんな指摘をされて
も、現状は変わらないというか」
「いえ、そうではなく。真犯人がいるとしたら、何で古物商の客を被害者として選んだ
んでしょう?」
「――つまり」
 酔いが覚めたとばかりに目を見開くスペンサー。元々ほとんど酔っていなかったかも
しれないが。
「ダビド・コールを調べろと」
 ウィングルはこくりと頷いた。
「そうすべきだと思います。被害者の内の五人と関わりがあって、フィンシャーともつ
ながっている」

 四日が過ぎて、スペンサー刑事がまた医院にやって来た。ウィングルはその表情を一
目見るや、目処が立ったからではなく、依然として解決に至っていないからだと理解し
た。だいたい、解決が見通せているのなら、病院の昼休みに押し掛けてきたりはしない
だろう。
「あまり時間がないと思いますが、聞いてもらいたく」
「かまいません。基本的に今日は半ドンですから、午後からは急患のみですし。でもま
あ、前置き抜きで、話してください」
 昼食を摂りながら、相手を促した。なお、ニッキー・フェイドはとうに外食に出掛け
ている。
「遅々として進まず、とまでは行かないまでも、なかなか頑固でして」
「うん? 古物商のコールを調べに行ったのでは? それはまあ、いきなり真正面から
切り込むのは難しいでしょうが、そこはスペンサー刑事の長年の――」
「そうではなくてですね。フィンシャーの犯行と自殺で片を付けたがっている連中が、
思った以上に頑ななんで、難儀しとるんです」
 スペンサーは大きなため息をついた。時間がない割に、愚痴から入ったようだ。
「どうやら隣町の一つで捜査を指揮したのが、上級官僚の次男だか三男だかで、失敗は
しないということになってるみたいでね。官僚の名前が特定されないよう、一応、町名
は伏せますがね。あんまりにも頑固で馬鹿げているから、最初はうちの捜査陣もフィン
シャー単独犯及び自殺説が優勢だったのが、今や自分に味方してくれる連中が増えまし
たよ」
「じゃあ、いいじゃないですか。皆さんで力を合わせて」
「それがそうもいかんのです。上からちょっとした圧力が来た。表立って面倒を起こし
てくれるなと。だから、動くとしたら検証捜査班のみでやらねばならない」
「おかしいな。今度の事件の成り行きから言って、二つの隣町それぞれの警察署でも検
証の捜査班が設けられるはずでは」
「形ばかりのね。お膝元は無論のこと、もう一つも追随したようですな。それで……最
初に思い付いたのが、フィンシャーには密室内での絞殺が不可能だったことを示そうと
したんですが、うまく行かない」
 スペンサーは椅子を動かし、膝を詰めた。
「トリックを思い付いた当人にこう言うのも何なんですが、その方法に無理はありませ
んかね? フィンシャー単独犯説を覆せるように」
「うーん。ないと言えばないし、あると言えばある、かなあ」
「何ですそりゃ?」
「この方法なら、フィンシャーに密室絞殺事件ができるのは確かでしょう。でも、成功
率100パーセントじゃないと思うんです。手当たり次第に絞めるよりはずっと可能性
が高いが、それでも少しの失敗はあっておかしくない。けれども、絞殺未遂事件は起き
てないんでしょう?」
「そのような事件は一件も起きちゃいません。しかし、ということはですよ、フィンシ
ャーの犯行にしてはうまく行きすぎている、だからおかしいという理屈になりゃしませ
んか?」
「そこが苦しいんですよ。絶対にミスが起きるかと問われると、八回程度なら全て成功
しても不思議じゃない」
「うむむ。それもそうか」
「もう一つ、状況証拠にもならない違和感になりますけど。事件が起きたのは今の季節
でしょ?」
「はあ」
「夏の盛りだ、寝苦しい晩もあったに違いない。なのに、八人の被害者が揃って、完全
に戸締まりをしてから就寝するのは、全員が一軒家か、マンションの一階に暮らしてい
たからでしょう。一軒家はともかく、マンションの被害者に二階以上の者がいないの
は、ちょっと変な気がしますよ」
「面白い見方だとは思いますが、今し方言われた密室殺害方法だと、室内の被害者の動
向を見ている必要があるから、一階の住人を選んだとも言えるのでは」
「一階に拘泥しなくても、フィンシャーは己自身を浮かせることだってできるんじゃあ
りませんか?」
「ああ、なるほどね。やろうと思えば、二階以上だって覗けるかもしれませんな。フィ
ンシャーが古物商に採用されたのは、かなり重たい物でも自在に運べる点を評価された
みたいだし、仮に魔法を使える時間に制限があるにしても、自分自身をマンションのベ
ランダに持っていくことくらいはできるはず」
 と、ここまで評価しつつも、スペンサー刑事は首を左右に振った。
「繰り返しになりますが、面白い発見だとは思います。しかし、フィンシャー単独犯説
を覆すだけの論拠にはならない」
「ええ、残念ながら」
 弱いことを承知の上で意見を述べたのだから、素直に認める。
「結局、鍵になるのはコール氏です。あれから会いに行きました?」
「無論ですとも。フィンシャーの人となりをより詳しく聞きたいという名目で、店を訪
れましたよ。ああ、前は向こうから足を運んでもらったんで、店に行ったのはこのとき
が初めてでしたが、ちょっと想像と違っていたな。古物商と聞いていたから、骨董店み
たいな古めかしくも威厳のある店構えを思い描いていたのに、実際はリサイクルショッ
プでした。無論、骨董品もあったけれども、主力は中古品でしたな、あれは。あとで近
所の家々にも聞き込んでみたら、バーゲンセールやくじ引きなんかもやっていて、敷居
は低くて、割と人気のある店のようでした」
「買い取りもしてるんでしょうね」
 メモを取りながら、合いの手のように質問を挟むウィングル。スペンサーは首を縦に
大きく振った。
「そりゃそうです。自分がいる間にも売りに来た客がいて、ちょっと待たされたぐら
い」
「高額査定でしたか?」
 今度の質問には、さすがの刑事も虚を突かれたらしく、ぽかんとなった。
「えっ? いや〜、全く把握してないな。何でそんなことを気にするんで?」
「近所で人気なら、買い取りの査定額も高いのかと思いまして」
「遠方からも客が来る程だから、高値で買い取ってるんじゃないですかね」
 推測込みのスペンサーの見解に、ウィングルは一応、納得した。
「だったら、お客との間にトラブルはなさそうということになりますか……」
「あぁ、そういう狙いの質問でしたか。先程述べた通り、近所の評判はすこぶるいい。
一回、くじ引きか何かの客寄せイベントで、大きな損失を出したことがあるらしいんだ
が、それに懲りずに今でもイベントをやってくれるとか」
「損失? 少し引っ掛かりますね」
 動機につながるかもしれない。そんな思いから呟いた。スペンサーも掴んでいる限り
のことを、すらすらと答える。
「何て言ってたかな。まず出ないような確率設定だったのに、高額の景品があっさり出
ちゃったとか何とか。気になるのであれば、コールをまた訪ねて直接聞いておきましょ
うか」
「そうですね……直に尋ねるのが正解かどうか分からないな……」
「何をどう考えておられるんで?」
「考えたって程熟慮はしていません。思い付きですが、その景品が出たのって、魔法に
よる不正が行われたからではないかと想像してみたんです。でも、被害者の中で魔法を
使える人は二人で、皺を伸ばすのと、手に持った物の重さが分かるという能力。くじ引
きの不正に使えるのかどうか」
 意図を伝えられたスペンサーは、幾度か小刻みに頷いた。
「どんなくじだったか、詳しく分かればはっきりするということですな。了解しまし
た。ついでに小さなトラブルでもなかったかも、探りを入れるとします。可能であれば
近所から。難しければ当人に聞くしかないが、飽くまでフィンシャーに纏わることのよ
うに聞いてみる。この線で」
「スペンサー刑事の手練手管なら、安心してお任せできます」
 にこりとするウィングル。
「動機についての調査はこれでいいとして、方法が問題です。コール氏は何か魔法を使
えるんでしょうか」
「え、いや、その前に。忘れてませんよね? 現場に魔法痕は他になかったんですが」
「覚えています。しかし、念のため。たとえばですが、真犯人がフィンシャーと同じよ
うに遠隔操作の魔法が使えたとしたら、同じ方法で密室殺人ができる。そして、密室が
開けられて発見者達が大騒ぎをしている隙に、凶器を現場の外へとそっと移動させ、回
収する。これなら真犯人自身の魔法を行使した痕跡は、現場には残らない」
「ははあ……確かにその通りかもしれんが、それだと現場の近くでずっと見張ってる必
要がありますな。コールに関してなら、少なくともフィンシャーの遺体発見時に、別の
刑事が話を聞きに行っていた。よって、今言われた方法は不可能」
 今度の否定には、ウィングルも反論する。
「今のは飽くまでも一例。真犯人が遠隔操作魔法を使えたとしたらの話です。焦らさな
いで教えてくれますか、コール氏が魔法を使えるのか否か、使えるのならどんな魔法か
を」
 スペンサーが議論に乗ってきたということは、ダビド・コールが何らかの魔法を使え
るのは間違いない。ウィングルは確信した。
「使えます。空気中の水分をぎゅっと固めて親指大の氷を作れるんです。無限に作れる
訳ではなく、一度に一つだけ。形状もまさしく大人の男の親指みたいな形にしかならな
い。使い道の狭い、不便な魔法ですよ。まあ、夏の夜にはいいかもしれませんがね」
「……」
 答を聞いたウィングルは、脳裏に絵を描いていた。氷の指が人間を絞め殺す絵……で
はなく、密室を作る絵を。
「スペンサー刑事。先に聞いておきますが、今回の殺人事件のどれか一つでも、コール
氏のアリバイは成立していますか?」
「いや、していません。死亡推定時刻が比較的幅が広いせいもあって、アリバイの判定
に有効に使えそうなのは、八件目とフィンシャーの件ぐらいですが、いずれもコールに
アリバイはない。だからこそ、彼を調べるべきだというあなたの意見に乗っかって動い
てるんですよ」
「よかった。無駄にならなくて済んだかもしれない」
 ほっと息を吐いたウィングル。その魔法医の言葉に、スペンサーは色めきだった。
「と、ということは?」
「ダビド・コールにも密室殺人は可能ですよ。その魔法――水分凝結魔法とでも言うの
かな?――が使えるのなら」
「そうでしょうか? 親指大の氷一つでは、絞殺には適さないし、そもそも氷の指を遠
隔操作できる訳でもない」
「そこに思い込みがあるのでは? 凍らせる水分を少しずつ変えることで、氷の指は空
間を移動できると私は思う」
「……理屈の上では、そうなるか」
 頭の中で想像したらしいスペンサーは、またも何度か頷いた。
「だが、それができたからと言って、絞殺には役立たない。まさか、紐の一端だけを一
緒に凍らせて、徐々に引っ張ったとか言わんでくださいよ」
 一転して不安げな顔になる刑事に対し、ウィングルは声を立てて短く笑った。
「ははは。いや、これは失礼。そんなやり方は、遠隔操作魔法による絞殺以上に、超絶
に難しいでしょうね。私が考えていたのは、絞殺の方法ではなく、密室の作り方です」
「え? ――あ、親指一つあれば、窓のクレセント錠を押せるのか!」
「と思います。実際に氷の指を作って窓の錠を押しても、強度が足りるかどうかきわど
い線かもしれないが、空気中の水分を凝固できる魔法なら事情は違ってくる。水分を固
める過程で方向性を持たせ、じんわりとクレセント錠を押してやればいい。氷河が何も
かも押し出すような力――というのは大げさでしょうが、確実に力を伝えられるはず。
ダビド・コールが、被害者を直接絞殺した後に、魔法を使ったこの方法で密室を作った
と考えても、筋は通ります」
 密室トリックが解けた、一段落したという気持ちから、長く留守になっていた昼食に
取り掛かろうとしたウィングル。だが、刑事の疑問が引き留める。
「ですが、ウィングル先生。そのやり方だと、魔法痕が残る。氷が溶けたにせよ、元の
ように空気の中に戻したにせよ、何らかの反応が出るもんです」
「空気も調べられるんですか?」
 軽く驚きつつ、聞き返すウィングル。対するスペンサーは、曖昧ながらも首を左右に
振った。
「いや、空気を調べるのは、端からそのつもりで空気を集めて、大掛かりな装置に掛け
ないとできませんから、通常の捜査では項目にありません。だが、空気中の水分はどこ
かに染み込むものでしょう。クレセント錠を押したあと、氷の指を元の空気に戻して
も、その水分は近くの木枠や壁に多かれ少なかれ染み込むと思う。密室に関連がありそ
うなクレセント錠とその周辺は念入りに魔法痕を調べる段取りになってるから、見落と
しは考えられない」
「コールが万全を期して、氷の指を現場から脱出させたとしたら?」
「脱出とは?」
「先程、氷の指の遠隔操作は無理という話でしたが、一度形作った氷を少しずつ戻しつ
つ、新たに氷にしていくことは多分、可能でしょう。つまり、氷の指は空中を移動でき
る。直線で行けるのか放物線を描く必要があるかは分からないけれども、空中を移動し
て、洗面台に辿り着ければいい。あとは指の形をした氷を排水溝へと落とし込めば、魔
法痕を残すことなく、現場の外へ持ち出せたとなるのでは」
「……そこまでは調べていない、と思います。染み込みにくい材質だろうし」
「ただし、犯人がそこから氷を回収できたとは思えません。長く対流していたとした
ら、魔法痕が比較的強めに残るんじゃないでしょうか」
 ウィングルが示唆すると、スペンサーもすぐさまそれを感じ取ったようだ。派手な音
を立てて椅子から腰を上げる。
「フィンシャーの死んだ社員寮に行って、排水溝を奥の奥まで検査させなければ。何を
置いても、真っ先に」

「それで、結局のところ、動機は何でしたの?」
 後日、捜査決着の報告に来たスペンサー刑事に、フェイドが率直に尋ねた。刑事の手
には、彼女の入れた紅茶がある。
「全員に対する動機はまだ白状していないが、一部は喋った。ダビド・コールとして
は、不正な連中を成敗したつもりだったようです」
「不正? 殺された女性達は、みんな不正を働いていたの?」
「ですから、全員かどうかはまだ不明ですがね。はっきりしているのは二人。まず、三
番目の被害者であるラニエ・デネブ。紙などの皺をきれいに取る魔法を使えたんだが、
これを悪用して、古い紙幣や雑誌なんかを新品同様にした上で、コールの店に持ち込ん
でいた」
「きれいにした方が、高く買い取られる……?」
「単にきれいにしただけなら、不正とまでは言えない。だが、保存状態によって価値が
大きく変わってくる、古いお札や雑誌にそんな魔法を掛けたとなると、だめだ。あとで
ばれたら、価値は下がる。そんな物を店頭に並べたとあっては、コールも恥を掻くだけ
じゃ済まない」
「それにしても、殺し殺されするようなことなのかしら」
「まあまあ、それは人それぞれの価値観や倫理観があるということでね」
 ウィングルはフェイドの疑問を緩やかに宥めると、スペンサーに先を促した。
「もう一人は、五番目に殺されたキャット・ゴールドマン。片手で持った物の重さが分
かる魔法が使える。で、この女性がやったのは、ダビド・コールの店で行われたイベン
トの一つで、高価な景品を不正に獲得した。というのも、コールが企画したのが珍しい
石を箱一杯に詰めて、その重さを正確に言い当てれば全て差し上げますっていうものだ
ったんだ。正解に一番近い人に手頃な宝石一つを進呈する予定でいたのが、キャット・
ゴールドマンがやって来て、ピタリと当ててしまったという訳」
「何という……それは殺されても仕方がないかもしれませんわ」
 フェイドが呟くように言った。彼女の基準がどこにあるのかよく分からない。ウィン
グルは口元を隠しつつ、苦笑を浮かべる。
「そんな具合に、客の不正を嗅ぎつけたコールは、復讐を果たすために着々と準備を重
ねていたんですな。デネブやゴールドマンら不正をした客に対して、気付いていること
はおくびにも出さず、またのご利用をとか何とか名目を付けて、彼女らの住まいに上が
り込みやすい環境を作っておいた。一方で、フィンシャーを雇い、他の従業員に辞めて
もらったのも同様。フィンシャーに全てを擦り付け、自殺という形でけりを付ける計画
だったんですよ。考えてみりゃあ、補助金が出なくなるのに、前科のある他の従業員を
退職させていた時点で、何か変だなと察するのは……無理ですかね」
 スペンサーはウィングルに向き直り、そんなことを聞いた。
「そりゃ難しいでしょう。ダビド・コールに金の亡者という評判でも立っていればまだ
しも、そうではなかったみたいですし。不正が許せない性格だったからこそ、こんな極
端な犯行に走ったんでしょうが、その計画性ややり口だけを取り上げると、相当悪質で
巧妙だと思いますよ。前もって気付くのは無理と言っていいかもしれない」
「フィンシャーに濡れ衣を着せたまま終わらせ掛けていた警察としては、どこう言える
立場じゃないのだけは確かだ」
 自棄になったような口ぶりで笑ったスペンサーは、不意にウィングルへ非難がましい
言葉をぶつけてきた。
「あっ、そう言えば、ウィングル先生。あれは酷いですなあ」
 えっ何がどうしました?と身構えるウィングルに、刑事は微苦笑をなして冗談である
ことを示すと、言葉を重ねる。
「全てを解き明かしてもらってない段階で、自分、飛び出しちまったでしょ。あとでち
ょっと焦りましたよ」
「全て、とは何です?」
「とぼけんでください。密室内にあった凶器についてですよ」
 憤慨したふりを続け、足で床を踏みならすスペンサー。ウィングルも、たった今気付
いたふりをした。
「あ、そうでしたね。フィンシャーの魔法痕の残った紐が、どうして密室内にあったの
か、説明していませんでした」
「もう解決済みですから、かまいやしませんけどね」
 スペンサーはそれ以上は言わなかった。
 もちろん、ウィングルにはとうに推測できている。
 ダビド・コールはフィンシャーに、普段の仕事で荷造りをさせていたのだ。魔法を使
って、適当な長さに切っておいてくれとでも命じておけば、余分な紐が凶器として残る
のは確実だった。

――終わり




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