AWC ●連載



#1100/1102 ●連載    *** コメント #1099 ***
★タイトル (AZA     )  18/01/31  21:25  (492)
百の凶器 5   永山
★内容
「――いや、そいつは勇み足だ。足首切断をするには、包丁よりも斧と考えるのは、誰
でも同じだろう」
「ですよね……」
「凶器から絞り込むのは難しいんじゃないか。単なる直感だが、足首がどこにあるかが
重要な気がする」
 この見方に、いち早く反応したのは真瀬。ぎょっとしつつも、まさかという苦笑を浮
かべて、「犯人が足首をまだ持っていると考えてるんですか」と尋ねる。橋部は首を横
に振った。
「隠し持っているのなら、そいつが犯人てことになるだろうが、さすがにそれはあるま
い。逆に考えれば、どこかに遺棄するか、隠しているかしたに違いない。その発見が、
真相に行き着く近道な気がするんだ」
「先を急ぐのは、ちょっと待ってください」
 柿原が口を挟んだ。
「有耶無耶になっていましたが、小津さんの死を殺人であると見なすのでしょうか」
「ああ、そうなる。どんなに控え間に見積もっても、犯罪事件であることは確定した。
事故死や病死なら、足首を持ち去るなんて所業、誰がするってんだ」
「でしたら、外界との連絡が取れない現状で、僕達は最善を尽くすべきですよね。遺体
損壊の現場となった9番コテージを調べて、記録を取るべきだと思うんです」
 ここぞとばかりに力説する柿原。橋部は案外、簡単に理解を示した。
「ふむ……無闇にいじるのは感心しないが……時間が経過することで、失われる証拠が
ないとは言い切れないのも事実だな」
「じゃあ」
「しかし、独断では動けないし、おまえだけが調べるというのも通らない話だ。コテー
ジ内の調査は行うとして、方法は皆で考えようじゃないか」
「分かりました」
 その後、新たな展開が皆に伝えられてからが大変だった。小津の死が事件であるとほ
ぼ確定したことで、空気が重苦しいものになった。気分が悪くなったと訴える者も出
て、特に犬養は聞いたその場でへたり込んでしまうほどショックを受けたようだった。
それでも時間をおかずに回復し、9番コテージまで足を運んだのは、ミステリ研の部員
としての意地がなせる業か。
 とにもかくにも、真っ先に検証されたのは、ドライバーの在処だった。格子を外すの
はドライバーがなくても可能かもしれないが、夜の暗がりで効率よくネジを外し、また
取り付けるとなると、ドライバーは絶対にいるだろうという結論になったのだ。自然と
メンバーの目は戸井田に向けられる。
「それでしたらプラマイとも持って来てますが、車を漁らなくても、メインハウスのど
こかに置いてあるのを見た覚えが」
「誰もが気付きやすくて、かつ、誰でも持ち出せる状況だったか?」
 橋部の強い調子の質問重ねに、戸井田はたじろいだように、半歩さがった。
「え、ええ。多分、そう言えると思いますよ。ほら、ホワイトボードの縁に載せてあっ
たの、見ていませんか」
「ホワイトボードって、集会場所のか。はっきり覚えてないが、あったような気がす
る。すぐに確認しよう」
 と、ここでみんなの顔を見ていく橋部。そして胸ポケットに手を当てた。どうしたん
です?と声が上がった。
「いや、鍵を預かっていた俺、あるいは村上さんがドライバーの在処を見に行くのは、
どうなんだろうと思ってな。鍵を使える立場にいるならドライバーは必要ない、だから
犯人ではない、とはならんだろう?」
「それはそうですが」
 他の者達は一様に戸惑っているように見受けられた。そんな中、柿原が口を開く。
「だからといって、鍵を使えない立場の僕らが、ドライバーの所在を確かめに行くのも
変だってことですよね。ここは恒例になっている、複数名で確認するしかないんじゃあ
りませんか」
「だな。じゃ、村上さんと戸井田と……一年からは関さんで頼むとしよう」
 三人が確認して戻って来るまで、五分あまりで済んだ。三人が三人とも、多少息を弾
ませながら、口々にドライバーが消えていたことを伝えてくれた。
「消えた? てことは、犯人はドライバーをまだ持っている?」
「いいえ、別のところにありました。床に落ちてたんです。壁際に転がった感じでし
た」
 そう発言した戸井田は、デジタルカメラの画面を橋部に見せた。そのあと、待ってい
た六人にも見せていく。赤い柄のドライバーが、ホワイトボードの向こう側の壁際に沿
うようにしてあった。
(これだけで判断するのは乱暴だけども、使った人間がドライバーを戻そうとして、縁
に置き損ね、ドライバーは落下。壁のところまで転がったという印象を受ける。置き損
なったり、拾ったりしなかったのは、暗かったから、急いでいたからと推理するのが妥
当だよね。明るくなって以降は、戻すチャンスもなかったと)
 柿原が頭の中で考えていると、それと同じ趣旨のことを橋部が発言し、皆も賛成の意
を示した。
「よし。9番コテージを出入りするのに、ドライバーを用いて格子を外す方法が採られ
たことは、かなりの高確率で言えそうだ。と、鍵を持っている俺が言うと説得力が薄れ
るかもしれんが、ドライバーにさえ気付けば鍵の有無とは関係なく、誰にでも可能だっ
たんだから、その辺りを誤解しないように頼む」
 橋部は咳払いをし、話を次に進めた。
「さて……小津の遺体の状況を実際に見て確認するかどうかは、個人の意思に任せる。
見たくない者は、見なくてかまわない。あと、このコテージの中をよく見ておこう、調
べようという意見が出てるんだが、俺も賛成だ。異論のある者は?」
 誰からも反対意見は出なかった。全体としてはどちらかと言えば、調べたい欲求の方
が強いような雰囲気が漂う。
「では、方法だが、軍手着用は当然だな。仮に九人全員が調べるとして、三人一組で同
じ箇所を見て回るのがいいと思う」
「それは、現場の証拠品に細工をされないようにするためですか」
 村上が尋ねた。
「そういうことだ。もちろん、一度に九人が入ると動きづらいし、三人一組なら、見落
としも少なくなるだろうという理由もある」
「部分的に参加することは認められます? たとえば、遺体は見られないけれど、他の
箇所は見ておきたいという風な」
「認めてもいいんじゃないか」
 結局、全員が調べる意向を示したので、三人ずつの組み分けが行われた。男だけ及び
女だけのグループを作ること、仲がよくなりつつある柿原と湯沢ならびに真瀬と関を別
グループにすること、不調の犬養は村上と組ませること等の条件で絞り込み、(橋部・
戸井田・真瀬)(沼田・柿原・関)(村上・湯沢・犬養)という振り分けに落ち着く。
調べる順番もこの通りで、気付いたことをあとで報告し合う場を設ける、それまでは互
いのグループ間で話さないものとした。時間をあまりだらだらと掛ける余裕はないの
で、一グループにつき二十分を目安と決めた。その時間とは別に、9番コテージ内を写
真に収める時間が、五分ほど取られた。無論、戸井田一人が入って撮影するのではな
く、橋部と真瀬が見守る中、シャッターを切る。
 こうして橋部らの組が調べている間、残りのメンバーは斧の保管をしたり、体調不良
や怪我への対処をしたり、あるいは野外に何らかの痕跡はないか探すなどした。
「蝋が意外と落ちていない」
 村上に包帯を交換してもらったあと、六人で9番コテージ周辺を見て回ったのだが、
柿原は地面に蝋のしずくが少ないことに気付いた。
「どういうこと?」
 関が聞いた。柿原は、調査が行われているコテージの方を気にしつつ、答えた。ちょ
うど、ドアのある壁が見える。四足の靴――調査に当たる三人プラス小津の靴――が並
べてあるのが分かった。
「犯人が行動を起こしたのは夜だと思うんだけど、そうなると当然、明かりが必要にな
るよね。なのに、少ない。今確認できるものだって、ほとんど全部、小津さんがロウソ
クを使ったときのものじゃないかと。汚れ具合から言って」
「犯人が少しでも知恵が回る奴なら、ロウソクは使わないでしょうね」
 村上が意見を述べる。
「下手をすると、自分のコテージと9番とを往復したことが、地面に点々と落ちた涙蝋
で明々白々になってしまうわ」
「じゃあ、犯人は明るい内に行動を起こしたってこと?」
 沼田が半信半疑と言わんばかりの口ぶりで聞く。最前のドライバーの一件もあるた
め、辻褄が合わないと感じたのだろう。反応をしたのは柿原。
「いえ、小津さんが亡くなって以降は、夜を除いて、密かに単独行動を取れる時間帯は
なかったですよ。あってもせいぜい五分。こんな短時間で、人の足首を切断するのは難
しい、いや、無理でしょう」
「そうね。じゃあ、ケータイのライトを使った?」
 今度は関がアイディを出していく。
「充電できない状況下で、それはないと思う。まず間違いなくバッテリー残量はゼロに
なりますよ。突出してバッテリーの消費が激しかったら、怪しまれる。とはいえ、あと
で実際に確認すべきですね」
 村上に目を向ける秋原。意を受けたか、副部長は「ならば早速、ここにいる六人の携
帯電話を確認しましょう」と音頭を取った。すぐさま、めいめいが自身の携帯電話を取
り出し、バッテリーのメーターを見せ合う。みんな程度の差こそあれ、残量ゼロやそれ
に近いものはいなかった。閉じ込められているのだから、いざというときに備えて温存
したくなるのが道理である。
「携帯電話使用説は一旦、横に置くとして、他に考えられるのは、懐中電灯を思い浮か
べるだろうけれど」
 携帯電話を仕舞いながら、村上が言った。調べる間にも別の可能性を探っていたらし
い。
「前に来たとき、電池が切れていたから、今回、小津部長が乾電池を買って来ていたは
ずなの。新品未開封の乾電池が彼の持ち物の中から見付かれば、懐中電灯は使われなか
った、使えなかったことになる」
「そもそも、メインハウスのどこに懐中電灯は置いてあるんですか? 一年生の僕らは
それすら知らないので」
 それならすぐに確かめましょうと、村上は柿原を連れてメインハウスに急ぎ足で向か
う。およそ三分後、到着するや、出入り口近くの柱を指し示した副部長。
「そこの箱の中よ。蓋付きだけど、自由に開けられるから、手に取ってみて」
「じゃあ、念のため、指紋に注意して」
 テーブルに放り出してあったタオルを掴むと、それで右手をくるんだ柿原。開ける前
にその黄色い縦長の箱を観察したが、特記するような事柄は見付からなかった。小さな
つまみに、タオル越しに指先を引っ掛け、開ける。赤い胴体をした、普通サイズの懐中
電灯があった。
「外すと灯る仕組みのはずなんだけど、どうかしら」
「――あ、だめですね」
 持った瞬間に分かった。軽い。乾電池そのものが入っていない。村上に伝えると、
「前の電池は気付いたときに外して捨てたから、そのままってことになるわね」との説
明があった。もう一本、部屋の反対側に備え付けられた懐中電灯も、全く同じ状態で使
い物にはならず。
「使われていないみたいだけど、一応、荷物も調べないといけない。電池を一旦入れ、
また出した可能性を考えて」
「はい。僕らのグループが先にコテージに入りますけど、先に調べておいていいです
か」
「当然よ。早い方がいいわ。尤も、橋部先輩の組の誰かが気付いているかも」
 そのあと、念には念を入れて、懐中電灯に血などの付着物の有無をチェック。異常な
しと認められた。
 二人が9番コテージ前まで引き返すと、ちょうど橋部ら三人が調べ終えて出て来ると
ころだった。
「何が怪しくて何が怪しくないか、判断が難しいもんだな。気になるものは全部メモを
取ったよ」
 若干疲れたように苦笑を浮かべ、橋部が言った。左手に三枚のメモ用紙がある。各自
が書いたということらしい。
「次は沼田さん達だな。否応なしに位置が動いてしまった物はあるが、なるべく戻して
おいた。君らも同じように頼む」
 沼田が些か緊張の面持ちで頷く。が、そのまま交代する前に、村上が近寄ってきて、
調査を終えた橋部達に、携帯電話のバッテリー残量を見せてくれるよう、意義を説明し
てからお願いした。
「ああ、そりゃそうだ。もっと早くに、俺が気付いてやっておくべきだったのに」
 橋部は即座に応じると、ポケットの多い服を着ていた戸井田がやや手間取ってから続
き、最後に靴を履くのが最後になっていた真瀬が取り出した。彼らのバッテリー残量
も、他の六人と大差なかった。犯人は夜の行動を起こすのに、携帯端末の明かりを利用
しなかったと考えられた。
「それでは改めて、頼むぞ」
 沼田が先頭に立ち、柿原、関と続いた。
 幸いと言っていいのかどうか、コテージ内に臭気が籠もるようなことにはなっていな
かった。三人はまず、遺体に意識を向けた。ベッドに横たえられた小津は、身体にタオ
ルケット、顔には白い手ぬぐいが掛けられている。
「この状態に変化はないよね」
 関が柿原に聞いた。安置の際にコテージ内に入って立ち会ったのは、この三人の中で
は柿原のみだからだ。
「ええ、変化なしです」
 一日近くが経過しようという現時点で、死因を特定し得る知識は持ち合わせていない
し、遺体の外見は昨日の内に見た。今の柿原が見たいのは、変化の生じた足である。
「あまり見たくないかもしれませんが、足の傷を」
「見ても、大した情報が得られるとは思えないけれど。せいぜい、凶器は斧である可能
性大とか、犯人は斧の使い方が上手いか下手かぐらいじゃない」
 沼田の言葉に柿原は同意を示しつつも、小津の足を両方ともよく見た。まずは右足。
足首から先がないように見えたのだが、近付いてしっかりと見たところ、脛の中程と膝
のちょうど間辺りで切られていると分かった。切断面から推測するに、斧が使われたの
は確実。傷口はきれいとは言い難かったが、それでも三度ほどで切断に成功したと見て
取れた。死後の切断だからだろう、出血はほとんどない。とは言え、触れれば血が付着
することも容易に想像できた。次に左足を目を向ける。当然、足も長靴も残っている。
「……長靴?」
 呟いた柿原に、女性二人の目が集まる。
「長靴がどうかした?」
「足の切断の位置が、ちょうど長靴と同じなんだなと。つまり、長靴を破壊せずに、足
を切断したことになります」
 柿原が指摘した通り、右足の切断された位置を線にして横に延ばすと、左足の長靴の
縁を僅かに越えた辺りを通る。
「それって、犯人は長靴を持ち去りたかったってことになるのかしら。でも長靴だけ持
ち去ったら意図がばればれになるから、いかにも足首を切断したかったかのように装っ
た……」
 関が考え考え、言葉を絞り出した。対する柿原は、「さあ、分かりません」とだけ答
える。そして沼田に顔を向けた。意見を求められたと感じたか、沼田は小首を傾げるよ
うな仕種から、これも思案げに口を開いた。
「判断に迷うわね。最初から足首目当てでも、運びやすさを考慮して、長靴ごと持って
行こうと考えたかもしれない。あるいは、長靴越しに足首を切断するのは難しいと考え
たのかもしれない」
「今はメモを取るだけで、結論は出さなくてもいいじゃないですか。時間制限がありま
すし、先を急ぎましょう」
 柿原の建設的意見に二人も同意し、コテージないの調査・観察に集中する。続いて向
かったのは、小津の持ち物だ。バッグを調べ、乾電池の有無を確かめに掛かる。使用済
みの例の分厚い靴下一組が出て来たときはやや辟易したが、くじけずに探る。するとサ
イドのポケットから、単一電池の二個ワンセットが見付かった。パッケージされた状態
で、手付かずなのは明白だった。間接的に、懐中電灯は使用されなかったと断定してい
いだろう――そう結論づけようとした柿原だったが、踏み止まった。
(カセットコンロがあると言ってたっけ。あれに使われている乾電池が単一なら、懐中
電灯にも使える。あとで調べなきゃ)
 メモ用紙の端っこに走り書きをした。
 電池と使用済み靴下を元に戻すと、次は連想して衣類が気になった。最初にこのコ
テージの惨状を発見したとき、何かが心に引っ掛かったのだが、ぼんやりとして引っ掛
かりの正体をまだ掴めない。
「部室での整理整頓は、割と頻繁に口を酸っぱくして言ってたのに、自分のスペースと
なると、案外だらしなかったんだ」
 沼田がそんな感想を漏らした。関も同調し、「ですね。この靴下なんて、一本はどこ
かに行ってしまってるし」と、なんとはなしに寂しげに言った。
「靴下……あ、そうか」
 柿原の再びの呟きに、今度は何?とばかりに、沼田と関が振り向いた。
「この厚手の靴下を、小津さんは四足持って来たと言っていました。今ここにあるの
は、五本です」
「ええ。だから整理整頓がなってないと言って――」
「すみません、そうじゃなくてですね、数が合わないと思うんです。バッグにある使用
済みの一組を除くと三足、つまり六本。小津さんはここで長靴を履くとき、常に厚手の
靴下を穿いたみたいです。死んだときも靴下を穿いていたはず。だから残りは四本。と
ころがここに五本ある。何故なんでしょう?」
「……興味深い疑問ではあるけれども、まず、小津部長の左足を調べて、厚手の靴下を
実際にしているかどうか、調べる必要があると思う」
 沼田の意見に、一年生二人は賛成した。
 遺体の足を調べる役目は、普通なら男の柿原がやるところかもしれない。が、手に怪
我を負って包帯を巻いているため、柿原は軍手をしていない。そんな彼が触れると、血
が付くどころか、証拠を汚染しかねない。なるべく避けたい行為だ。そんな観点から、
関が自ら申し出て引き受けることになった。
「紐、解きますよ?」
 くだんの長靴は、紐がしっかり結わえてある状態が見て取れた。本人から見て輪っか
は右にできている。
「待って。一応、写真を。戸井田君が撮り忘れるとか、撮っていてもアップじゃないか
もしれないから」
 沼田が言い、自らの携帯電話を素早く操作し、シャッターを二度切った。柿原ととも
に出来映えを確認し、関にOKを出す。
 関は軍手の裾を改めて引っ張り、指を動かしてウォーミングアップした後、紐を解い
た。次いで、長靴を外しに掛かる。
(……もしや、左足首も失われていて、長靴は被せてあるだけだったりして。長靴の上
から触っただけでは分からぬよう、木や草を詰め込んでおけば……)
 不意に妙な思い付きが浮かんだ柿原。そんな馬鹿なことはあるまいと、かぶりを振っ
た。
 その間に遺体から長靴は脱がされた。足はあった。
「――靴下、履いてますね。厚手のやつだと思います」
 関の声は若干、震えているようだ。長靴を持ったまま、足の辺りを見下ろしていた。
さすがにそれ以上触るのはもちろんのこと、顔を近付けて観察するのも無理らしい。代
わって柿原が顔を近付けた。
「間違いありません。持って来ていた厚手の靴下の一つです」
「ということは……どういうことに?」
 沼田はしきりに考えている様子だったが、これでは先程と同じパターンにはまること
になる。残り時間を有効に使いましょうと、柿原が促した。
 このあと、窓のクレッセント錠やドアの鍵をざっと見るも、異状は認められず。柿原
としては、橋部と小津の会話で交わされた「あれ」が気に掛かるので、荷物をもっと調
べたかったが、よくよく考えると、「あれ」を持っているのは橋部であると思われる。
ここで小津の荷物をひっくり返しても、「あれ」は出て来そうにない。
「普通の靴下の本数も数えておいた方がいいんじゃない? 時間、厳しいですか?」
 関が突然言い出した。沼田は時間を確かめつつ、返事する。
「どこに何があるか分からないし、柿原君、君も普通の靴下が元は何足あったかなんて
ことまでは、把握してないんでしょ?」
「さすがにそこまでは」
 厚手の靴下の数が分かったのだって、たまたまである。
「あとの話し合いで必要となったら、みんなで調べたらいいと思うわ。さあ、他に気に
なる箇所はない?」
 カーテンを開け閉めし、その布にはどこにも血の痕がないことを確認。犯人が犯行後
にカーテンを触ったのではないことは分かったが、犯人特定にはつながりそうもない。
「あ、ロウソク」
 制限時間が迫る中、柿原は思い当たった。犯人がここまで何の明かりを頼りにしたか
は不明だが、室内ではロウソクに火を灯したのではないか。そして後に調べられること
を計算に入れて、自らの分は使わずに、小津のロウソクを使ったのでは。
 そんな想像を早口で二人に語って、ロウソクをチェックする。どこに置いてあるの
か、すぐには分からず、焦った。
(自分のコテージでは、衣装ケースの上に横にして置かれてたけれど、違うのか。あ
あ、違う。小津さんはもう使い始めていたんだ。そのあと、どこか別の場所に置いた。
燭台がないのは不便だと思ったけど、裸ロウソクの状態だと消せばどこへでも転がして
おける。一番便利なのは……枕元!)
 果たしてベッドの上、枕の周りを探すと、ロウソクが見付かった。各人二本ずつ用意
されたはずだが、あるのは一本だけ。長さは十五センチほどあり、本来の長さからほと
んど減っていない気がする。
「これ、犯人が使っていたとしたら、重要な証拠になるかもしれません。でも、一本し
かないってことは、犯人が使ったとしてももう一本の方だったと見なす方が……」
「そうでもないかも」
 関が不意に言った。その左手がベッドの下を示している。そこを覗くと、ツナ缶だか
焼き鳥の缶詰だかを空けた缶があり、その内底にはじきに使い切りそうなほど短くなっ
たロウソクが、蝋で固定されていた。僅かながら煤が付いているのは、蝋で固定する際
に、缶の方をさっと炙ったのかもしれない。
「小津さんと犯人のどちらが使ったか、決めかねますね、これだけでは」
 当てが外れた心持ちを隠さず、柿原は肩を落とした。
(その上、こんな風に空き缶を使えば、蝋を落とさずに動き回れる。犯人がしなかった
とどうして言い切れる? 言い切れる訳がない)
 ここでタイムアップ。二十分が経過したので、大人しく次の組に譲る。
 平らな石の上で靴を履くとき、何気なしに地面を見ていると、ふっと思い出した。
(待てよ。蝋は地面に間違いなく落ちていた。あれは落ちていた場所や古さから言っ
て、小津部長の落とした物。ということは、部長は缶を使っていない。よってベッドの
下にあったのは、犯人の物である可能性が高い!)
 大発見のように感じられて、思わずガッツポーズをしてしまった。おかげで、三組目
の村上から急かされた。
「手掛かりを見付けられたようなのは結構なことだけれど」
「はい、すみません、今退きます」
 急いでコテージを離れ、考えをまとめようとする。
(えっと、缶のロウソクが犯人の用意した物だとして、その目的は蝋を地面に落とさな
いため。斧を振るうとき、照らすのにも役立つだろう。だけど、缶が残されてるってこ
とは、帰りはどうやって明かりを確保したんだ、犯人?)
 ロウソクを立てた缶を二つ用意していてもすんなり戻れるだろうが、帰りも同じ缶を
使った方が手間が掛からなくて済む。ロウソクは短くなっていたものの、長い物を新た
に固定するだけで事足りる。
(どうしてその手間を惜しんだのか。もしかすると、小津部長のロウソクを当てにして
いたが、見付けられなかった、なんてのもおかしいかな。――ひょっとしたら、もっと
燃えやすい物でロウソクの代用をしたのか。ある程度の枚数の紙を捻ってたいまつ代わ
りにする。いや、でも、それだと目撃されたときに言い訳できない。灰も飛び散りそ
う)
 大発見、素晴らしい発見だと感じられた気付きは、実はそうでもない、かえって思考
の迷宮に誘い込む罠のように思えてきた。それでもメモ用紙に気になる点としてまと
め、あとで皆に意見を聞こうと心に留めた。
「ねえ、柿原君。さっき言ってた厚手の靴下の本数のことだけど」
 背後から急に話し掛けられ、びくりとしてしまった。柿原はその声を関と認識しつ
つ、振り返って、「何だ、関さんか」と応じた。関の後ろには、沼田もいた。
「9番コテージを調べたことについて、グループが違う人とは話せない取り決めだか
ら、今は君ぐらいしかいないのよね。それに、靴下の話、とても気になったし。どんな
解釈をしてるのか、教えてよ」
「まだまとまってないんですけど」
 念のため、橋部ら第一のグループの者がいない、メインハウスの裏側へ移動してか
ら、話を始めた柿原。
「厚手の靴下は結局、四足分全て見付かったでしょ? そうなると、小津部長の右足
は、素足だったのか、それとも通常の靴下を穿いていたのかが気になります。いずれに
しても、何故そんなことになったのか、理由もまた気になります」
「犯人はその事実を隠したくて、足を切断して持って行ってしまった?」
 沼田が仮説を唱える。柿原は首を傾げた。
「うーん、どうなんでしょう。手間の割には効果が薄い。現に、僕に気付かれている訳
ですし」
「だったら、逆かな。本当は左右とも素足だったのを隠すために、左足には厚手の靴下
を穿かせ、右足は切断し……だめ、訳が分からない」
 二つ目の仮説を、沼田は途中で放棄した。そう、両足とも裸足だったことを隠したい
だけなら、切断の意味がない。もちろん、皆を混乱させるためという名目が考えられな
くはないが、それにしても手間だ。現実的ではない。
「恐らく、切断の理由と靴下の謎との間に、直接的な関係はないと思うんです。切断は
犯人の都合であるのに対し、靴下の方は小津さん自身の都合である可能性が高い訳です
から」
「シンプルに考えてよいのなら、切断は、殺害方法を隠蔽するためだと思う」
 今度は関が堅い調子で言った。推理することは嫌いではないが、現実の事件、しかも
知り合いが被害者となった事件を前に、葛藤が残っている様子だ。
「同感です。たとえば、毒針的な何かで刺した傷があったのかもしれません」
 ぱっと思い付いた方法を口にしてみる。そんな毒が簡単に入手できるはずないが、他
に浮かばないというのが実情だ。それでも一応、無理をして絞り出した。
「被害者が自らの足のどこかに、簡単に消せないインクで犯人の名前を書いたとした
ら、犯人は必死になって持ち去ろうとするかもしれませんね」
「また怖い想像を……その設定なら、焼いた方が手っ取り早くない?」
「僕らがいるこの環境下なら、火が足りなかったと考えることはできます。燃料がたっ
ぷりあれば別でしょうけど」
「サラダオイルぐらいしか油はないはずだし、キャンプに付きものの燃焼剤は危険だか
らという理由でとうに処分されたと前に聞いたわ……小津君から」
 沼田が思い出す風に言い、少し間を取ってから再開する。
「あとは、車のガソリンだけど、人目を避けて盗み取るには難しい。だから、皮膚を燃
やすような方法は犯人も採りようがなかった。うん、筋道は通ってる。納得できたとこ
ろで、思い出した。小津君、亡くなったときの姿勢は、右手を右足に伸ばしてたじゃな
い」
「はい」
「あれって、右の長靴に犯人の名前を刻もうとした、なんて可能性はないかな」
「ユニークな仮説ですね。長靴に書こうとする理由は何です?」
「あの長靴なら簡単には脱がされないから。紐で結んであると、手間取る」
「命の危険を感じた人が、そこまで気が回るかどうかは棚上げするとして、可能性の一
つとしてはありでしょう」
「でも、現実には何にも書かれていなかったんだから、役立たずの仮説ね」
 今の時点で右の長靴は消えているのだから、完全な検証は不可能である。だが、もし
も長靴に字が刻まれていたのなら、ミステリ研究会九人の目が見ていて、誰も気付かな
いことはない。少なくとも二、三人は気付くに違いない。
「僕が引っ掛かってるのは、やはり蝋なんですよね」
 柿原は話のポイントを切り替えた。
「ロウソクを使ったとしたら、自分の分が大幅に減るか、なくなるから怪しまれる。で
も、それをカバーするには、小津さんの分を拝借すればいいと気付いたんです。僕が気
付くくらいなら、犯人も気付く」
「確かにその理屈は通るけれども、犯人の絞り込みに役立つ?」
「まだ分かりませんが、検討してみたいんです。一応、現時点で最大の謎は、缶に立て
てあったロウソク。何故、あれを使い切らずに置いていったのか。新しい一本を立てれ
ば、充分使えるのに」
 柿原は、缶に立てたロウソクを使ったのが小津ではないとする根拠も、合わせて伝え
た。熱心に聞いていた沼田は、感心した風に何度か首を縦に振った。
「言われてみると、不可解だわ。前もって二つ用意したとしても、そうする理由が分か
らない訳だ」
「とりあえず、缶の出所を知りたいんです。今回、必要な食材を買い揃えたのは女性部
員の皆さんでした。さっき見た缶詰は、その中にありました?」
「あった。そうよねえ、関さん?」
 沼田が同意を求めるが、関は他のことに気を取られていたらしく、生返事を口にした
だけだった。が、次の瞬間には我に返ったようだ。
「はい、何でしょう?」
 これに対して沼田は腰の両サイドに手を当て、呆れたように「関さん、あなたねえ」
と注意喚起した。
「どうしたの。もしかして、真瀬君が気になったとか」
「そんなんじゃありませんけど……すみません。少し変なことを思い出して」
「どんなこと?」
 沼田が気にするのを目の当たりにして、柿原も乗っかることにする。
「意識が散漫にならないためにも、先に吐き出しちゃった方がいいよ」
「たいしたことじゃないんだけれど。ハチって種類によっては今時分でも、この辺にい
るのかな?」
「いや、いないはず。稀に台風で、もっと暖かいところにいるやつが流れてくることが
あるそうだれど、台風なんて発生していないし」
「さっき、ハチみたいな虫が飛んでるのを見た気がしたのよ」
「あ、それなら多分、ハナアブの仲間かも。僕はここではまだ見てないけど、ハチにそ
っくりの姿をしてるやつがいる」
「そう、なんだ。よかった」
 胸を本当に撫で下ろし、ほっとした感情を体現する関。
(湯沢さんに比べたら、男っぽいところがあると思ってたけれど、意外と怖がりなのか
な、関さん)
 内心、微笑ましく感じた柿原だったが、言葉には出さない。表情の方には出てしまっ
た気がしたので、頬を踏ん張って(?)厳しい顔つきに努める。
「安心できたところで、買い込んだ食品の話よ。9番コテージにあった空き缶の缶詰、
買った中にあったわよね?」
「ありました。最初見たとき、ラベルが逆さまでぴんと来ませんでしたけど、落ち着い
てみれば買ってきたツナ缶に違いないです」
「そういうことなんだけど」
 沼田は柿原に主導権を返した。そして代わりに、推理を聞かせてとばかり、顎を振っ
て促してきた。
「いつ、誰が食べたのかまでは把握できてませんよね」
「さすがにね。だいたい、初日は缶詰を開けるつもりはなかったのに、いくつか持って
行ってしまったみたい」
「食べ終えた缶詰の缶は、どこかに集めてました?」
「当然。備え付けのごみ箱があるでしょ。その内の一つを、缶専用の物にしたわ。大き
なゴミ袋を中に入れて」
「じゃあ、そのごみ箱を漁れば、誰でも簡単に缶を入手できると?」
「そうなる。これってもしかして、残念でしたってこと?」
「え、ええ。犯人特定の材料には、まだなりませんね」
 他に取っ掛かりはないか、柿原が思案していると、程なくして9番コテージの方向か
ら物音が聞こえた。二十分が経ったようだ。村上を始めとする三人の女性部員が出て来
て、靴を履く様が見えた。

 三グループ九名の気付いた事柄を持ち寄って、全員による検討会がメインハウスで始
まったのは、午前十一時を回った頃合いだった。
 最初に、橋部のグループがどんな調査をしたのかが明らかにされた。男三人からなる
彼らは、あとのグループが共に女性を含んでいることを考慮し、自分達は遺体を中心に
調べる方針を採ったという。
「とは言え、服を脱がせるのは、元に戻すのが難儀であるし、仮にそこまでして遺体を
診ても、死因を突き止められるとは思えない。だから、服を着せたまま、覗ける箇所は
くまなく診たつもりだ。結論から言うと、右足を除けば目立った外傷は皆無で、せいぜ
い額の端っこや手に擦り傷があるくらいだった。外の見回りに熱心だったから、そのと
きにできたかすり傷なんだろう」
 さらに、針で刺したような傷がないかも、可能な限り調べたが、見付からなかったと
のこと。ここまでの調査に十分以上を要した。残り十分足らずは、三人が一番気になっ
た箇所を順に見た。橋部は小津が書いていた小説原稿を探し、それが盗まれてはいない
ことを確かめた。戸井田はコテージの施錠を重点的に調べた。ドアの錠は壊されておら
ず、無理矢理こじ開けようとした形跡もなし。また、格子はドライバーで脱着された可
能性が高いと判断した。三人目、真瀬はロウソク全般に注目。ベッド上のロウソクや、
ベッド下の缶に立てたロウソクも、もちろん見付けていた。
 続く二組目、柿原の属したグループに関しては先述の通り。包み隠さず、報告した。
 最後の組、村上ら女性ばかりのグループは、まず厚手の靴下が奇数であることに違和
感を覚え、そこからの連想で衣装ケースを調べたという。その結果、通常の靴下も奇数
本が残っていると判明。小津の遺体から長靴を脱がせることはしなかったが、厚手の靴
下と普通の靴下を片方ずつ穿いたものと推測していた。そのあと、衣服全般をチェック
するも、特に異変は見付からず。
「それから、ロウソクを立てた缶だけど、少しおかしいの。初日の夜に、部長がやって
来て、発泡酒のあてにしたいから缶詰一個もらっていいかと言うから、疲れてるみたい
だししょうがないわねって渡したのよ。そのとき渡したのは、確か焼き鳥の缶詰で、ツ
ナじゃなかった。先走るけれども、これってあの缶とロウソクが犯人の物だという傍証
にならないかしら」
 村上の証言及び推測には、皆が頷いた。村上達の組はこの缶詰の件を踏まえて、焼き
鳥の缶を探したが、コテージ内には見当たらなかったという。
「ツナ缶を持って行ったのが誰なのかは、分かってない。ただ、一日目の夕食の折に、
勝手に持ち出されて不特定多数の人が箸を付けたと思うから、持って行った人が即、犯
人とはならないわ。だから、もしツナ缶を持ち出した覚えがある人は、この場で申告し
て欲しいのだけれど」
 期待してない口ぶりの村上だったが、十秒ほど待つと、声が囁かれた。真瀬が橋部
に、「ひょっとしたら、あのときの」と何やら伺うような言葉を投げ掛け、対する橋部
が「かもしれないな」と返す。そして一つ頷いて、真瀬が挙手した。
「自分かもしれません。実は初日の夜、橋部さんや小津部長に言われて、適当に缶詰を
持ち出していて」
「本当――ですか?」
 村上と沼田の目が、橋部に向く。橋部は頭に左手をやってしきりにかいてから、さす
がにばつが悪そうに認めた。
「うん。バーベキューのタレの味に飽きてきて、何か違う物が食べたいなとなって、一
年生に頼んだ。三つぐらい持ってきてくれた。ツナと帆立と焼き鳥、だったかな」
「自分も適当に取ったので、正確には覚えてませんが、多分それで合ってると」
「真瀬君、食べ終わったあと、缶はごみ箱に捨てた?」
「はい、いや、ごみ箱じゃなかったっけ。ゴミ袋に入れた覚えはあります。他の空き缶
と一緒に」
「そう。だったら、最終的にはごみ箱に入れたはずだから、やはり、誰にでも手が出せ
る状態に置かれたことになる」
 話の流れから、このまま缶についての検討に入った。二組目と三組目の発見や考察を
合わせて、橋部がまとめる。

――続く




#1101/1102 ●連載    *** コメント #1100 ***
★タイトル (AZA     )  18/02/04  21:53  (495)
百の凶器 6   永山
★内容
「状況を整理すると、完全なる断定は無理としても、高い蓋然性を持って、以下のこと
が言える。一つ、9番コテージで見付かった、ロウソクを立てたツナ缶は、犯人が持ち
込んだ物である。二つ、小津自身が持ち込んだはずの焼き鳥缶が、9番コテージから消
えている。三つ、ツナの空き缶はごみ箱に入れられ、誰にでも持ち出せる状況にあっ
た」
「これだけだと、犯人を絞り込む条件には、ちょっと弱いような」
 戸井田が残念そうに評したが、柿原が異を唱えた。
「いえ、そうでもないじゃありませんか。四つ目、焼き鳥の空き缶は犯人によって持ち
出された。こう仮定するとことにより、道が開ける気がします。犯人は今も焼き鳥缶を
持っているか、そうじゃないにしても近場に捨ててあるかも」
「待て待て。犯人が焼き鳥缶を持ち出したとする根拠は何?」
「全くの想像になりますけど、犯人同様、小津さんも缶を燭台代わりにしてたんじゃな
いでしょうか。一日目の夜、9番コテージから外に出たことを示す、地面に蝋の落ちた
形跡がありました。蝋はトイレまで往復していたと考えられ、外に出た人物が、小津さ
んであることもまた間違いないでしょう。蝋が滴り落ちたという事実から、そのときは
ロウソクを直接持って出たと見なせます。小津さんは不便さを感じたんでしょう、コ
テージに戻ってから、ロウソクの蝋を落ちないようにする手段を考えた。焼き鳥の空き
缶があるのを思い出し、ロウソクを立ててみる。これは使えるとなった。が、二日目の
午後、小津さんは亡くなったため、使われずじまいでロウソクと缶は残る。二日目の
夜、9番コテージに忍び込んだ犯人にとって、これほどありがたい道具はなかったに違
いありません。元々は、自分が持って来た缶に二本目を立てるつもりでいたのが、最初
から用意されていたような物です」
「ふむ。面白い。想像ばかりだが、ツナと焼き鳥、二つの空き缶の入れ替わりを説明で
きている」
 戸井田は柿原の推理を認めたようだ。判断を仰ぐかのように、橋部へと向き直る。
「やることは決まった。だよな、副部長?」
 その橋部は村上を見やる。ほんの短い間、きょとんとした村上だったが、すぐに答を
導き出した。
「各自の持ち物検査? ううん、それはまだ早い。先に、辺り一帯を探索する」
 問題の焼き鳥缶とロウソクを、犯人が後生大事に仕舞っていると考えるより、そこい
らに捨てたと見なす方がありそうな話だ。
 9番コテージ調査時と同じ三人ずつ三組に再び分かれ、捜索開始となった。受け持ち
は、1〜5番コテージ周辺は橋部ら男三人組、6〜10番コテージ周辺は村上ら女三人
組、その他のテリトリーを柿原のいる男女混成組と割り振られた。これは、当人の入る
コテージ周辺を当人自身が調べることのないようにする措置だった。
「用意し掛けていたのに、昼御飯どころじゃなくなった。それにこの分だと、吊り橋ま
で様子を見に行くのもいつになることやら」
 柿原のいるグループでは、二年生の沼田が先頭に立ったのだが、捜索範囲が一番広い
とあってか、早くも愚痴めいた言葉が口をついて出ている。メインハウス回りからス
タートしたはいいが、空き缶を入れたゴミ袋があり、それをチェックするだけでも手間
取った。
「思ったんですけど、ロウソクを缶から取り外している可能性が高いんじゃないでしょ
うか。捨てるにしても焼き鳥の缶だけかも」
 怪我のせいもあって、ごみ袋やごみ箱を覗くような探索にはあまり役に立てない柿原
が、意見を述べた。沼田と関がほぼ同時に、理由は?と聞き返してくる。
「ロウソクまで捨てると、犯人の手元からロウソクが一本丸々消えることになります。
他人から見れば、消費が早すぎると映って怪しい。だから、ロウソクは手元に置いてる
んじゃないかと」
「もしそれが当たっているとしたら、そのロウソクには部長の指紋が付いているはず。
警察が調べて、一発で判明。めでたいことだわ。警察が来られたらの話だけど」
「ですね……」
 現状、早期の警察到着は望めそうにない。その間にロウソクを処分されたら、どうし
ようもない。ロウソクの消費が早い嘘の理由なんて、適当に考え付くだろう。
 ゴミ袋やゴミ袋のチェックが異常なしで終わり、メインハウス内を見ていく。ようや
く積極的に加われる柿原だが、待つ間に思い出したことがいくつかあった。
「沼田先輩。先にコンロの電池、確認したいんですがいいですか」
「コンロ?」
 沼田のみならず、関も振り返った。柿原が理由を説明すると、女性二人は意味は解し
たが、どうして今さらという顔をした。
「ロウソクが使われたことは、ほぼ確実じゃないの。柿原君自身、言ってたじゃない」
 関の呆れ口調に、柿原は申し訳ないと思いつつも反論しようとすると、隣まで来た沼
田が、肩をぽんと叩いた。
「まあいいじゃない。スイリストとしては、細部に拘りたいんだよね?」
「え、ええ。夜、小津さんがツナ缶を食べ終わって捨てたあと、燭台の代わりにするこ
とを思い付いて、ごみ箱を漁り、焼き鳥缶を拾ってきた可能性はないかなと思ったの
で。もしそうだったら、9番コテージにあった缶は犯人の物ではないし、犯人が懐中電
灯を使った可能性が復活します」
「そいつは強引〜。仮に君の言う通りだったとしたら、9番コテージからメインハウス
近くのごみ箱まで、蝋が落ちてなきゃおかしい。そんな痕跡は見当たらなかった」
「確かに、そうですね。明るくなったあとなら、誰かが目撃していてよさそうなもので
すし」
 一応、納得して自説を引っ込めた柿原。それでも卓上コンロの乾電池を調べるのはだ
めと言われなかったので、この際やっておく。沼田に教えてもらって、壁に模した戸を
横滑りさせ、ウォークインタイプの物置スペースへ入ると、卓上コンロが段ボールの商
品箱に入った状態で保管してあった。開封はされているが、蓋のベロはガムテープで留
めてある。長い間、剥がされていないのは明白だった。
「開けるまでもありませんね。コンロの中に電池があっても、コンロ自体が箱から取り
出されていません」
 他にも三つ、同型の卓上コンロが出て来てが、どれも長期間、取り出されていないと
分かった。
「気が済んだら、本来の捜索に戻るように」
 関に言われたものの、ついでに言っておこうと決めたことがあったので、柿原は探し
ながら話を続けた。
「あの、真瀬君が言い出したんですが、マッチ棒の再分配ってできませんか。昼に言お
うと思ってたんですが、こんな調子だからいつになるか分からないと思って」
「マッチ棒、使い切りそうなの? あ、そうか、薪割りと火付け係だっけ」
 火付けだと放火みたいだ。笑える状況なら、声を立てて笑っていただろう。
 柿原は真瀬の現状を説明した。
「――そういえば関さんから数本、もらったって言ってた」
「え、ええ。そうよ」
 少々、恥じらうような口ぶりで返事があった。背中を向けられているので、柿原から
関の表情は見えない。
「私、夜はほんと目が覚めないから必要ないし、実際、ほぼ使ってない。初日の夜に試
しにロウソクに着けたのと、部長が亡くなったあと、念のため、もう一度ロウソクに着
けたときに一本ずつ使っただけ。だからとりあえず、半分くらい上げた」
「半分。と言うことは、十本近く?」
「ええ、数えて八本」
 この答を聞いて、ちょっと引っ掛かりを覚えた柿原。続けて聞こうとしたそのとき、
突然、「柿原君、いる?」と女性の大きな声。メインハウスの屋根の下から出てみる
と、コテージ群の方から村上が息せき切って駆け付けたところだった。
「どうかしたんですか。僕に何か」
「……」
 村上はしばらく無言で、奇異なものでも見付けたような目付きを、柿原に向けてい
た。
「あの、村上先輩?」
「――その様子じゃ、鵜呑みにする訳にもいかない感じね。ま、いいわ。他の二人も一
緒に来て」
「え? 捜索打ち切りですか」
 関が手をはたきつつ尋ねる。
「そうね。一旦中止ってところ。見付かったみたいだから」
 本当ですか? 柿原達三人の声が揃った。

 村上に先導されて向かったのが、7番コテージだと判明した時点で、柿原は嫌な予感
を抱いた。さっき、村上に真っ先に名前を呼ばれた理由も、これならよく分かる。
「あれよ」
 村上の声の顎を振る仕種に、目を凝らす柿原。示された先は、7番コテージの窓の
下。格子が昼間の太陽を浴びて影を落とす地面には、ロウソクを立てた缶が転がってい
た。
 その近くには、すでに他の五人が集まっていた。
「お、来たか」
 橋部が努力したような明るい調子で声を張り、手を柿原らに振った。
「この展開は正直、予想外なんだが。何せ、見付かるとしたら、もっとキャンプ場の外
れか、あるいは9番コテージの床下とかだと思ってた。でも、見付かったからには仕方
がない。一応な」
 コテージから距離を保った地点まで歩んできた橋部はそこまで喋ると、肩越しに振り
返り、着いてきていた戸井田に目配せをしたようだった。サインを受け取った戸井田
は、柿原らの前に回った。
「悪いが、あまり近付かないでもらおう、柿原」
 戸井田は両腕を広げ、通せんぼうのポーズを取った。無論、通り抜けるのは簡単だ
が、柿原は動かなかった。
「戸井田、その距離はあまりに酷だ。もう少し近付かないと、ブツが見えないだろ」
 橋部に言われ、戸井田は道を空けた。結局、柿原は問題の缶まで半メートル程度にま
で近付けた。右横では、戸井田がしっかり目を光らせている。さらに他の面々は、村上
や沼田、関も合流して遠巻きにする格好だ。
「缶は焼き鳥。ロウソクはないが、ロウソクを固定したと思しき、蝋の痕跡はある。探
していた物に間違いないだろう」
 橋部が言った。
「最初に明言しておく。これをもっておまえを犯人と決め付けちゃいない。第一、あか
らさまに過ぎる。コテージの中ならまだしも、外に落ちていたってことは、誰にでも置
けるってことだ」
 柿原は聞きながら、みんなの様子も窺っていた。軽くだが頷く仕種が見られた。とい
うことは、橋部の言葉に理があることを認めていると解釈してよさそう。
「まず、おまえが置いたんじゃないな?」
「もちろんです」
「犯人であろうとなかろうと、その答で当然だ。次に聞きたいのは、おまえはこれに気
付いていなかったのか。缶がここにあることに」
「気付いていれば、報告しています」
「気付いてなかったと。これまた当然だな。では、この辺りを見たのは、いつが最後
だ?」
「朝御飯のあと、一度戻って来て、視界に入ったと思います。そのときは何もなかった
……はず。コテージを出るときは、向きが逆になるので、見ていないです。振り返った
覚えもありません」
「コテージにいるとき、誰か来た気配を感じなかったか」
「感じなかったですけど、そもそも、あそこに缶を置くのに、近くまで来る必要はある
でしょうか」
「……放ればいいって訳か。下は土や草や落ち葉ばかりだから、多少の音は吸収される
し、クッションにもなる」
「はい、僕もそう思います」
 柿原の答に、橋部は納得したのか、黙った。代わって、戸井田が質問に回る。
「今の内に、他に言っておくべきことは? 取るに足りないことでも、僅かに変だなと
感じたとか、あれば早めに言っておく方がいいと思うぞ」
「……それでしたら、あれかな。ハンカチについてなんですが」
「ハンカチというと、あれか、湯沢さんから借りたという?」
 湯沢に視線が集まったようだが、柿原は話の続きに集中する。
「ええ。血で汚れたので、きれいにして返そうと、洗って干していたんです、7番コ
テージのドアの上に。それが昨晩の――」
「待て、それはコテージの外?」
 聞いていた橋部が、質問を挟む。
「あ、はい。外の庇のところに、上手く引っ掛けられるんです。昨日の晩から朝まで干
していて、今朝見てみたら、何故か少し汚れていたんです。赤茶色の染みが付着して。
昨日の夜、一度手に取ったときはそんな染みはなかったように記憶してるんですが、な
にぶん、明かりが乏しかったので見落とした可能性もゼロじゃないなと。だから、これ
まで言わなかったんですが」
 柿原が話し終わると、橋部と戸井田は顔を見合わせ、低い声で言葉を交わした。次に
聞いてきたのは、戸井田だった。
「筋は一応、通ってる。で、そのハンカチは?」
「朝の内に洗い直そうとしたんですが、湯沢さんに見付かって、そのときは自分が不注
意でまた汚してしまったことにしたんです。それを聞いて湯沢さん、僕には任していら
れないって感じで、ハンカチを取ってしまいました。あのあと、もう洗ったと思いま
す」
「――ということだけれど、湯沢さん、どう?」
「洗ってしまいました。ほぼ、きれいに」
 俯き、申し訳なさそうな声で返事する湯沢。
「惜しい。その染みが犯人の物か、そうでなくとも事件絡みだったとしたら、有力な証
拠になったかもしれないが、しょうがない」
「事件絡みだとしたら……犯人が、自身の出血か、もしくは部長の足を斬ったときに付
いた血を、拭き取るために、わざわざ僕のコテージまで来たことになりそうですが」
「ハンカチを干したことは、誰かに言ってないのか」
「具体的に明言はしてませんが、怪我の止血にハンカチを借りたことと、それを洗って
返すことは、皆さんに知れ渡ったと思いますよ」
 柿原が周りの面々を見ると、「そういや聞いた」「私も」という声が上がる。
「うむ、それなら柿原に罪を擦り付けようと、犯人が9番から引き揚げる途中、ここ7
番に立ち寄ったとも考えられなくはない」
「結論としては、どう捉えるんですか」
 頃合いと見たか、村上が橋部に聞いた。
「物的証拠とするには、だいぶ頼りないな。柿原に濡れ衣を着せようとした可能性の方
が高い気がする」
「私も同意します。ただ、濡れ衣説にはまだ疑問がなくはありません」
 はっきりそう言った村上は、柿原の手を見た。
「濡れ衣を着せる相手に、柿原君を選ぶ理由が分かりません。恨みがあるとしても、今
回の犯行の犯人像に、彼を当てはめるのはふさわしいとは思えません」
「ふむ。敢えて聞くが、柿原、斧を振るえるか?」
「できないと言いたいんですけど、無理をすれば、片手でも行けると思います」
 正直に答えると、案の定、「馬鹿正直だな」と言われてしまった。
「そういうことだから、濡れ衣説は有効としておく。ところで――さすがに腹が空かな
いか?」
 橋部の発言で、緊張感が若干、和らいだ。レトルトと缶詰中心の、遅めの昼食を摂る
ことになった。

 昼食の間ぐらい、事件を忘れたいところだが、そうも行かない。主な議題は、ロウソ
クについてとなった。焼き鳥缶に着けられていたであろうロウソクは、どうなったの
か? 回収・保管した缶をテーブルに置き、透明なビニール袋越しに眺める。
「燃え切った、使い切ったというのではなさそう」
 湯沢が当たり障りのないところから始めた。一時、犬養ともども不調に陥っていた様
子だったが、今は快方に転じているようだ。
「意図してロウソクを外し、手元に置いたのだと思います。犯人は自身のロウソクの
内、一本を使い切ったのは確かですから、その補充として」
「各コテージを家捜しします?」
 村上が、気乗りしない態度ながら、橋部に聞いた。橋部は食事の手を休め、腕組みを
して首を捻った。
「家捜ししたところで、有力な証拠が見付かるとは考えづらい。今の俺達が、ロウソク
を見て、これは小津の触った物であると判断を下せるのならやる値打ちはあるが、そう
じゃないからなあ」
「小津さんのロウソクに特徴的な印が残っていたとしても、犯人が消すか何かするに違
いないですしね」
 スプーンを小さく振りつつ、真瀬が言った。
「実験ができりゃいいんだけど」
 今度は戸井田。水を一口飲んで、話の続きに掛かる。
「ロウソクが一時間で平均何センチ燃えるのかとか、暗い中、ロウソク灯りだけで格子
の着け外しにどのくらい時間が掛かるのかとか」
「魅力的な提案ですけれども、難しいですわ」
 これまた元気を取り戻しつつある犬養が、口元を拭いてから意見を述べ始めた。
「ロウソクの燃焼速度はともかく、格子を外したり付けたりは個人差が大きいに違いあ
りません。さらに、わざと遅くする人がいるかもしれないじゃありませんか」
「確かに、そう、だよな」
 戸井田はすんなりと意見を引っ込めたが、柿原は頭の中で、それでも念のためやるべ
きかも、と感じた。
(ロウソクの燃焼が、僕らが漠然と予想しているよりもずっと早かった場合、格子の取
り外しと取り付けは、ロウソクではなく、別の光源を用いて行われた可能性が生じる…
…ってそこまで考えたら、ほんと、きりがなくなる。まあ、僕らの感覚と、実際の燃焼
速度に大差があるとも考えにくいし、大丈夫だよね)
 と、ここまで頭の中で思い巡らせていると、村上がやや申し訳なさげに話し出した。
「うろ覚えの知識ですが、ロウソクの燃焼速度も案外、個体差が大きいみたい。きちん
と計算して、蝋の質や量、それに太さと形状、芯の太さや材質に工夫を凝らすことで、
決まった時間に燃焼するように作ることも可能らしいですけれども、それは特殊。大量
生産品は、そんな風には作られていないはず。ですから、燃焼実験の方も、してもあま
り意味はないと言えるかもしれません。全部を燃焼させてみないと」
「へえ、そうなのか。言われてみりゃ、さもありなんな理屈だが。なるほどねえ」
 これにより、ロウソクに関する実験は完全になくなった。
 それでも、ロウソクの本数だけは把握しておきましょうという話がまとまり、食事が
済んだあと、各自がロウソクをを持って来ることになった。そのまま、解散となりそう
な雰囲気だったが、柿原と真瀬がストップをお願いする。
「何かあったっけ? 柿原は遠慮してたのか、ロウソクについてはほとんど発言しなか
ったのが気になっていたが」
 橋部の反応に、柿原は顔の前で片手を振った。
「いえ、お話というのは、事件とは無関係のことでして」
 真瀬と顔を見合わせ、頷く。そうしてマッチの再分配を持ち出した。
「いいんじゃない?」
 橋部の返事は、早くて軽かった。あまりにあっさりしていたためか、村上が危惧を表
明する。
「いいんですか? 夜、犯人がどうやって明かりを確保したかは重大な要素だと考え
て、これまで色々と推測してきたはずですが」
 そうすると今度は、短い唸り声を漏らした橋部。
「うーむ。マッチ棒の数が、重要になるかもしれないのは分かる。でもまあ、昨日の夕
方までに使い切ったことを証明できる人がいれば、容疑者リストから除かれる程度だ。
再分配する前に、全員のマッチの残りを記録しておけば、必要充分じゃないか。何せ、
各マッチ箱に最初何本入っていたか、厳密なところは不明なんだし」
「それでは、ロウソクより先にやりましょうか」
 村上が提案した刹那、関が急に手を真っ直ぐ挙げた。そして何やら思い切ったような
口ぶりで、一気呵成に喋る。
「あの、私、真瀬君がマッチ棒を持ってなかったこと、証言できますっ」
 ええ、本当に?と訝る声があちこちから上がった。当事者の真瀬も少なからずびっく
り、いや、慌てているように見受けられた。
「え、言っていいの、関さん?」
 真瀬から関への意味ありげな呼び掛けに、橋部がいち早く反応を示す。
「おっと、真瀬。邪魔はいけない。自由に発言させてやれ」
「別に邪魔しようって訳では……いいですよ、もう」
 そのまま語尾を濁す真瀬。皆の視線は、関に集まった。
「昨日の夜、何時かは時計を見ていないので覚えてません。けど、多分、八時前後、真
瀬君が2番コテージに来たんです」
 2番、つまり関のコテージ。午後八時頃といえば、早めの夕食が終わって、それなり
に時間が経っている。とっぷりと日が暮れ、暗かったのは間違いない。
 関のこの発言に、何人かは驚いたようだが、少数派ながら明らかに平静に受け止めて
いる者もいた。
「なるほど。続けて」
 その少数派の一人、橋部が先を促す。
「私は少し焦りましたが、真瀬君に中に入ってもらいました」
「焦る? 驚いたり、怖かったりじゃなく?」
 沼田が問い質すと、関は至極当然とばかりに、首を縦に振った。
「焦ったのは、化粧っ気をほぼ落としていたから。怖がるというのは、事件のことを指
して言われたんでしょうけど、昨日の夜の時点では、まだ事件と決まった訳じゃなかっ
たし、私は事故か病気だったらと願い込みで信じてました。だから、犯人かもなんて、
ちらっともよぎりませんでしたよ」
「真瀬君は何の用でやって来たの」
 村上が、関、真瀬、どちらに尋ねるともなしに聞いた。答えるのはやはり関。
「心配して来てくれたみたいです。最初は私の様子を聞いて、戸締まりをきちんとする
ようにとだけ言って、帰ろうとしたくらいでしたし」
「それがどうして招き入れることに」
「私が誘ったんです。お喋りする相手が急に欲しくなって」
「話し相手なら、私達に言ってくれたらよかったのに。まあ、いいわ。どんな話を……
じゃなくって、やって来たとき、、真瀬君はロウソクとマッチ箱を持っていたのね」
「はい、もちろん」
「話をしたのは何分ぐらい?」
「大体、三十分か四十分ぐらいだったと」
「話の間、部屋は真っ暗だった訳ないわよね」
「当たり前ですよ。いる間、私のロウソクを使っていました。真瀬君の分は消して」
「お喋りが終わって、帰るときに、マッチを擦ろうとしたら、箱には一本もなかったっ
てこと?」
 村上が席から真瀬に目線を転じ、呆れ口調になった。ようやく話すチャンスが回って
きたと思ったか、真瀬はいくらか噛み気味に答えた。
「そそんなことありません。二本、残ってたんです。でも、二本とも着けるのに失敗し
てしまって」
(関さんとお喋りできたことで、舞い上がっていたんだろうか。真瀬君が、終わったこ
とに緊張するとは思えないけれども……まさか、格好良くマッチを擦ろうとして失敗し
たのかな)
 勝手に想像を膨らませ、思わず笑いそうになった柿原だったが、我慢できた。真顔を
保ち、関と真瀬の話を待つ。
「仕方がないから、私がロウソクを使って、火を灯してあげて、送り出したんです」
「うん? そのときにマッチ棒を何本か渡そうとはしなかった?」
 村上の追及にも、関はごく普通に答を返す。
「思わないでもなかったんですが、真瀬君、早く帰りたがってたみたいだったので」
「真瀬、どうなんだ? お喋りし足りなくて、もっといたかったんじゃないのか」
 橋部が聞くと、真瀬は頭を掻きつつ、嘆息を挟んで答えた。
「マッチの着火に失敗した途端、滅茶苦茶恥ずかしくなって、逃げるように帰りました
よっ」
 思い出したか、赤面する真瀬。
(話の流れに不自然さはない。強いて言えば、マッチ棒の残りがたったの二本だった点
だけど、火起こしの役目を考えると、それくらいまで減っていても全くおかしくない。
事実、僕だって最初の頃の悪戦苦闘ぶりを目撃してるし)
 そこまでは合点の行った柿原だが、少しだけ腑に落ちないことがある。この場で言う
べきか否か迷ったが、伏せたままあとで二人で話すよりは、公にする方がよいと判断し
た。
 しかし、それを声に出すより早く、橋部が別の疑問を呈した。
「ほのぼのとしたエピソードでいい感じだが、ちょっと考えさせてくれ。マッチ箱が空
っぽでも、ロウソクの火は着いていたんだから、それを火種に、真瀬が9番コテージに
行って何だかんだすることが不可能だったとは言い切れないんじゃないか」
「あの、それが、真瀬君たらよっぽど慌てていたのかしら、ふふ、ドアを出てすぐ、鼻
息でロウソクの火を消してしまって」
「みなまで言うか」
 真瀬が嘆くように言ったが、関にかまう様子はない。
「私がまた着けるよー、って声を掛けようとしたら、ダッシュで行ってしまったんで
す」
「ほんとか、おい」
 この証言には目を丸くする橋部。対する真瀬は、またもや頭を掻いた。
「事実ですよ。暗いのによく帰れたなって思うんでしょ? 自分のところから関さんの
コテージまでのルートなら、目をつむっても何にもぶつからずに往復できるくらい、頭
に叩き込んだ、いざとなったら灯りなしでも平気です。実証して見せましょうか?」
「いや、いい。そこまで恥ずかしい話をするんだから、本当なんだろう」
 苦笑いを隠しながら、事実認定をする橋部。仮に、真瀬が9番コテージまでの往復
ルートを同様に覚えたとしても、火がなければ窓の格子の脱着は困難を極める。それ以
上に、暗いコテージ内で、長靴を破壊することなく右足を切断するのが不可能だろう。
小津のマッチを借用しようにも、野外でばらまかれて使えなくなっていた。真瀬を容疑
の枠から外すのは真っ当に思えた。
 と、そこへ、戸井田が補足的に言い出した。
「そういえばなんですけど、自分、夕べの九時前頃に、真瀬が灯りなしに歩いてるの、
見掛けてたんでした。方向が小津部長のコテージとは逆だったから、今まで言わなかっ
たですけど」
 戸井田によるとその時間帯、前夜に続いてラジオのニュースをよりクリアに聞けない
かと、外に出てうろうろしていたらしい。そこへ真瀬が急ぎ足で現れたものだから、互
いにぎょっとして声を上げたという。
「灯りなしに出歩くのは、事件とか無関係に危ないだろうと思って、『おいおい、あん
まり夜の闇を甘く見るなよ』って注意がてら声を掛けたら、真瀬のやつ、『はい、次か
らはできたらそうします』ってな感じの返事を言い捨てて、さっとてめえのコテージの
方に行ってしまった」
「はいはい、その通りでございます」
 真瀬は投げ遣りに認めた。マッチ棒を使い切っていたという一種のアリバイが成立し
たというのに、嬉しそうじゃない。散々な目に遭った、と言わんばかりに唇を噛みしめ
てへし口を作っていた。
 こういったやり取りのあとでは、もう新しく質問しづらいじゃないかと柿原は考えな
いでもなかった。だが、後回しにするのはやはり避けたい。
「あのさ、真瀬君。今朝、関さんから四本のマッチ棒をもらったと言っていた気がする
んだけど、あれは何?」
「覚えてたか。文字通りの意味さ。正確には八本もらった。――だったよな?」
 真瀬がいつもよりずっと早い口調で、関に同意を求める。
「ええ。柿原君には、ちょっと前に言ったわ」
「はい、そう聞いてます。ただ、真瀬君が見せてくれたのは、四本だったから、どうし
たのかなと」
「答は単純。火を起こすのに四本も消費してしまった、それだけだ。手際よくなったと
自信持ち始めてたんだが、関さんからマッチ棒をもらった直後は、夜のことが思い出さ
れて、手が震えちまったの」
「えー、意外ですわ」
 外野から犬養が遠慮のない感想を飛ばした。事件発生以降、初めてと言ってもいい、
比較的大きめの笑い声が起きた。短い間ではあったが。
 雰囲気が幾分、和らいだところで、マッチ棒の再分配が速やかに行われた。全員、マ
ッチ箱は肌身離さず所持しており、この場ですぐに始められる。
 三日目昼食後の時点で、各人が持っていたマッチ棒の本数は次の通りである。
   橋部13 戸井田11 真瀬3 柿原10 
   村上15 沼田14  関10 湯沢12 犬養7
 男の中で、火起こしをする二人が少ないのは当然として、戸井田が少ないのは、夜、
時折ラジオを聞くために外に出るから。女性陣では犬養が極端に少ないが、これはマッ
チの扱いに不慣れで、よく失敗するせい。証人もいる。しかも湯沢から三本もらっての
七本だという。なお、最初にマッチ箱を受け取った時点で入っていた本数は、どれも二
十本前後だが、正確なところは分からない。
「合計すると九十五本。一人十本ずつ行き渡る計算だな。余り五本は、真瀬と柿原で上
手く融通してくれるか」
 各人十本が配られ、残りの五本は真瀬が預かった。その後、橋部はマッチの本数をメ
モした紙を見ながら言い出した。
「さて、さっき記録した本数を見ると、最も残しているのは村上さんで、十五本。湯沢
さんも実質的に十五本残し。俺の感覚では、三日目の午前までで使ったのが五本という
のは、ぎりぎりの最低ライン。とても昨晩の内に、9番コテージで細工する余裕はない
気がするんだがどうだろう?」
「まあ、最初から計画していたのなら無理とは言えないでしょうが、この犯行って突発
的なものでしょうからね」
 戸井田が認める発言をする。特段、異論は出ない。村上と湯沢は敢えて何も応えない
ようだ。
 柿原としても、湯沢の無罪証明につながるのだから、この流れは歓迎すべき。
「元々、お二人にはアリバイがあるんですし、マッチの数を気にする必要はないんじゃ
ありません?」
 こう言ったのは犬養。アリバイとは、二日目の午後二時半から三時までの三十分間を
指している。
「確かにそうだ。検討すべきは、じゃあ、次に数の多い沼田さんか。六本使用は微妙な
線だな。何に使ったか、言ってみてくれるか」
「いいですよ。夜、メインハウスからコテージに戻るのに一本と用を足しに出たときに
一本、これが二日間で四本。残り二本は、水仕事しているときに、マッチ箱を落としち
ゃって。慌てて拾い上げたものの、二本がだめになったので、竈に捨てたんです」
「勿体ない。乾かせば使えたろうに」
 橋部が言った。結局、六本だと不可能とは言い切れないとされた。
 一方、ロウソクの調べは、夜に備えて持ち歩いている者もいるにはいたが、全員では
なかったので、全員が所持分を持ち寄るまでに五分ほど要した。
 一本が使いかけで、未使用のロウソクを丸々一本残しているのが男子学生全員と村
上。残りの女子学生は、二本あるロウソクを特に意識せずに使っていた。湯沢などは、
長さに差が出ないよう交互に使ったという。事実、湯沢の二本を並べるとほぼ同じであ
った。
「こうして眺めると、未使用の物でも長さの差はある。最大で、五ミリくらいだけど」
 橋部の言う通り、芯に燃え痕のない新品五本を並べ、比べてみると差は多少あった。
厳密を期すなら、芯の長さも異なるようだ。これも最大で約五ミリ。全体で一センチほ
ども差があるとすると、たとえ燃焼速度が一定であったとしても、ロウソクを犯人特定
やアリバイ証明に使うのは難しい。
「犯人は小津のロウソクを拝借したとは言え、自身の物も一本使い切って現場に置いて
いった。使い掛けのロウソクの長さを見れば、大まかにでも見当づけられるかと期待し
ないでもなかったんだが」
 橋部はあきらめ気味に言った。未使用のロウソク一本を残している面々の、使い掛け
の方の長さは、どれも似たり寄ったりだった。一番使っているのが当の橋部で、夜にな
っても眠れず書き物や読書をした分、消費したという。二番目が戸井田。彼の場合は分
かり易い。ラジオを聞くために頻繁に外に出ているせいだ。次いで、村上と真瀬が同じ
くらいの長さ。村上も眠れなかった口だが、外が気になって様子を見ようとしたのがほ
とんどで、真瀬は持って来た古本を読むのに費やしたという。
「あんまり頭に入ってこなかったけどな。で、柿原は?」
 真瀬に問われた柿原が、一番残していた。
「使う機会が比較的少なかった、としか言いようがないよ」
 ロウソクの長さについて、興味関心が薄れてきた柿原は、別の観点から皆に聞いてみ
ることにした。
「小津さんが触ったロウソクがどれなのか、後日、警察に調べてもらうために、今から
ロウソクを使わないで金庫にでも仕舞っておく、というのは無理ですよね」
「さすがに難しいな。夜が困る。危険が去ったとは言い切れないんだしな」
「未使用分の五本を、九人で分けるというのはどうでしょう? 未使用分は小津さんの
使っていた分ではないはずですから」
「ほう、面白い発想だ。……しかし、犯人もそれくらい見越して、対策を取ってるんじ
ゃないか? 例えば、ロウソクの表面を軽く火で炙っただけでも、人の触れた痕跡なん
て分からなくなる気がするぞ。DNAは洗剤に弱いとも聞く。そうでなくも散々、触っ
てるだろうし、望み薄なんじゃないかな」
「じゃあ、せめて僕の分はどこかに仕舞っておいてもらえませんか。客観的に、現時点
で一番怪しいのは、僕だと思うので、無罪を証明できそうな物を残しておきたいんで
す」
「斧の柄に付いた血と、空き缶のことがあるからか。気持ちは分かった」
 柿原の未使用分の一本が、ボタン式の金庫に仕舞われることになった。

 予定外のことが重なり時間を取られたため、吊り橋まで様子を見に行く件は中止にな
った。復旧がまだなのはラジオ情報で把握できており、また、旅程が明日一日で終わる
ことや安全確保には暗くなってから動くのは避ける方が賢明といった判断から、延期し
た形である。
 この日も早めの夕食――昼が遅かったため、かなり軽めでもあった夕食が終わり、片
付けも済んだところで、真瀬が柿原に話し掛けてきた。他に誰もいない、敷地内の端に
引っ張られたので、内緒話だと分かる。真瀬にはマッチ棒のアリバイがあるので、容疑
者の列で言えば最後尾に近い。柿原も安心して聞き役に回る。
「実は俺、暇を見付けては、ロウソクの垂れた痕跡を調べていたんだ」
「垂れた痕跡って……ロウソクから地面に落ちたという意味の?」
「ああ。曖昧な物もたくさんあったけれど、夜間の人の動きを知る手掛かりにはなる。
だろ?」
「なるとは思うよ。けど、缶を使われたんじゃ、落ちない場合もある訳で」
「だから、全員が使ってる訳じゃないじゃないか。柿原は使ってないし、俺だって使っ
てない。犯人が犯行時以外でも、缶に立てた状態でロウソクを使っているかどうか分か
らない」
「……確かに、カムフラージュの意味で、その方が賢いやり方かもね。それで、何が分
かったの?」
 俄に興味を覚えた柿原。先を急かすと、真瀬は「やっと乗ってきたな」とにやりと笑
った。
「さっきも言ったが、事件解明に関係するかはともかく、人の行き来が分かった。コ
テージからコテージへ、予想外の組み合わせで」
「予想外?」
「犬養さんと戸井田先輩さ」
 どうだと柿原の反応を伺うかのように目を見開く真瀬。柿原は一言、「驚いた」と小
声で漏らした。
「間違いなく、意外な組み合わせだね……。で、どうしてそう言えるの?」
「1番コテージと6番コテージをつなぐ道筋を、蝋の痕跡が往復していたんだ。無論、
絶対確実って訳じゃない。ただ、誰だってあの蝋の汚れ具合や続き方を見れば、往復し
ていると思うはずさ」
「二人のどっちが、夜道を往復したんだろう?」
「常識的に考えりゃ、普通は男の方が出歩くんだろうが、絶対じゃない。スタート地点
がどっちのコテージなのか、蝋だけじゃ見分けられなかった」
「うーん、まあ、二人が夜会っていたものとして、いつだったかの特定は難しいし、そ
もそも、二人とも二日目の午後二時半から三時までのアリバイが成立しているって、み
んなで認めたんだから、足首切断のときのアリバイまで検討する必要はないような」

――続く




#1102/1102 ●連載    *** コメント #1101 ***
★タイトル (AZA     )  18/02/15  21:37  (498)
百の凶器 7   永山
★内容                                         18/02/15 21:39 修正 第2版
「だから最初に断ったろ。事件解明に関係するかどうか分からないって」
「最初から関係ない、でよかったんじゃあ……」
「いやいや、決め付けるのはよくないな、スイリスト。何が手掛かりになるか分からな
いぜ。それに、蝋の痕跡を辿れば今まで見えなかった人間関係が浮かび上がるかもしれ
ないってのを意識するのは、事件解決に大きな武器になるはず」
「そうだね」
 前向きな見方をする真瀬に、柿原もよい影響を受けた。
「僕も改めて注意して、地面の蝋を見るとするよ。本を借りても読む暇はなさそう」
「あっ、そうだ」
 柿原が付け足しに言った言葉で、真瀬は自身が持ってきた古本を思い出したらしかっ
た。
「まだ全然読めてない。集中して読みたいのに、今の状況じゃまず無理だろうからっ
て、つい遠ざけてしまって。先に読むか?」
「僕も難しいと思うけど……ここから帰って改めて借りたとき、早めに返せるようにち
ょっとでも読んでおこうか?」
 話を合わせた柿原に対し、真瀬は大真面目に「そうしてもらおうかな。手元にあると
落ち着かなくてさ」と応じた。そこで、蝋の痕跡を探しがてら、真瀬のコテージに向か
うことにした。
「あんまり、落ちてないね。メインハウスから向かう分がほとんど」
 8番コテージに向かう道中、柿原は徐々に暗くなるのを気にしながらも、目を皿のよ
うにして蝋の痕跡を探した。真瀬が残したものを探すことと同等なので、当人に言った
のだ。
「元々、トイレが近い方じゃないからな。それに、昼間、蝋を見付けたら何となく蹴っ
飛ばたことがあったから、その分、残ってないんだろ」
「通った覚えがないのに蝋が落ちてる、なんてことはない?」
「覚えてない。柿原は覚えてるってか?」
「うーん、無理だね。けど、好きな人のコテージまで往復するルートなら、必死に努力
すれば何とかなるかも」
「こいつ」
 柿原の方を小突くと、大げさなため息を吐いた真瀬。
「言っておくが、あれはまだ十時になってなくて、外灯は点いていた。完全な闇じゃな
かったんだからな。メインハウスに近いとこは明かりが届くから、普通に歩ける。枝道
だけ覚えりゃいい」
「ふーん」
「だいたい、計画的に前もって覚えたんじゃない。マッチの数が心許なかったから、帰
りは真っ暗になるかもと思って、行きしなに頭に叩き込んだんだ」
「へいへい、分かりました」
 話す内に到着。鍵で解錠し、ドアを開け、それでもなお警戒する風に中をしばし観察
してから、真瀬は靴を脱いで上がった。柿原が続き、後ろ手にドアを閉めようとする
と、「ちゃんと見ながら、鍵掛けないとだめじゃん」と、引き返して来て真瀬自らロッ
クした。
「すぐ出て行くつもりなんだけど」
「油断大敵と言うぜ。二人で枕を並べて討ち死には御免被る」
「その言い方だと、一人ならかまわないみたいに聞こえるよ」
「それはまずいな」
 冗談ぽく応じた真瀬だったが、柿原がさらに「僕なんかの心配するくらいなら、関さ
んを心配しなよ」と言うと、再び表情が引き締まった。
「えらいことが起きてしまった割に、何となくいい感じになってはいる。そこは認める
が、まさか同じコテージに入って、ボディガードみたいに張り付いてる訳にはいかな
い。なるべく他の女子と一緒にいて欲しい、これぐらいだな、言えるのは」
 犯人が男性とは限らないが、柿原は強いてそれを指摘するつもりはなかった。真瀬だ
って、承知の上で言っているに違いないから。
「俺に関さんのことを言うのなら、柿原はさぞかし素晴らしい対策を施しているんだろ
うねえ、湯沢さんを守るために」
 柿原に背を向け、リュックをがさごそやりながら、真瀬は言った。彼の表情が簡単に
思い描けたが、柿原はすぐに脳裏から追い出した。自分自身、ついさっき同じような顔
をしていたかもしれない。
「素晴らしい対策なんてものがあれば、こっちが教えて欲しい。犯人が狙うとは思えな
いけれども、絶対はない。不運にも巻き込まれることだって、ないとは言えないから
ね。犯行を目撃してしまうとか」
「……ま、そういうのは俺達にだって降りかかってくるかもしれない。できる限り、気
を付けるしかない」
 振り返った真瀬は、左手に本を持っていた。一日目にはなかったブックカバーを着け
てあった。
「これ、別に殊更丁寧に扱おうなんてしなくていいから。でも、血だけは勘弁な」
「そう言われるとかえって気にする。ていうか、ブックカバーありだと、いやでも気に
なるよ」
「値札のシール、きれいに剥がせそうにないんで、隠すためにカバーをしたんだ。書店
でのもらい物だけど、なかなか重宝してる」
 受け取った柿原は、その感触からカバーが紙製であると気付いた。黒地に白で幾何学
的な線の模様を誂えた、シンプルなデザインがよい感じである。
「念のため言っておく。もし読み終えたとしても、ネタばらしすんなよ」
「当たり前。ストーリー展開すらほとんど言うつもりないから」
 でもまあ、どんなに面白かったとしても読了は無理だろうなあ。心理的にも時間的に
も。そう思いながら、本を胸の前でしっかりと抱いた柿原。
「あー、あと又貸しはややこしくなる恐れがあるから、なしってことで」
「了解。それじゃ、気分転換を兼ねて、早速読んでみようかな」
 まだ陽の光がある内に、少し手を着けておきたい。そんな考えから、8番コテージを
早々にあとにすることにした。
 自分のコテージに戻った柿原は、一旦部屋の中央付近まで来て、本を置いてから、真
瀬の言葉を思い出し、鍵を掛けにドアのところへ戻った。それからベッドのそばまで行
き、床に足を延ばす格好で腰を下ろすと、ベッドを背もたれ代わりにした。自分の本な
ら、ベッドで寝転がって読むこともあるが、借りた物となるとちょっとできない。それ
に今は右手の怪我のこともある。傷口は塞がったようだが、まだまだ完治には程遠い。
薄手の手ぬぐいを上からくるくると軽く巻いて、万が一にも本を汚さぬように対策を施
した。
 しばらく読み進め、物語に没入しかけたが、じきに夕焼けの光が心許なくなった。ロ
ウソクに火を灯して読み続けるか、それとも一旦、巻を置くか。印象的な髪の依頼人が
探偵を訪ねた場面に差し掛かったところで、続きが気になったが、ひとまず灯りの準備
をすると決めた。読書を続行するか否かにかかわらず、コテージで過ごすつもりなら灯
りは必要だ。
(昨日まではまだ、明かりのあるメインハウスである程度時間を潰せていたのに)
 小津の遺体から足が切断されるという事件が発生して以降、風向きが徐々に、しかし
完全に変わった。コテージに籠もる人が、昨日の同じ時間帯に比べると増えたように思
う。尤も、このあとコテージを出て、メインハウス付近に足を運ぶ人もいるかもしれな
いが。
(ミステリだと、連続殺人が起きた場合、残り全員が一所にいれば安全だという考え
は、却下されることがほとんどだけど。実際問題、みんな集まってる方が安全な気がす
る。真っ暗闇だと安全度は下がるだろうけど、それでも個別にいるよりは……って、連
続殺人が起きてる訳じゃなのに、何言ってるんだ僕は)
 そんなことが頭をよぎったせいで、読書の気分ではなくなってしまった。結局、ロウ
ソクには火を灯さずに、少し考え、パソコンを起動させた。画面の放つ光で、コテージ
内がぼんやり明るくなる。
(バッテリーはあと六時間ぐらいある。実際はもう少し早くなくなるかもしれないけれ
ど、今まさに緊急事態なんだから、使おう)
 ネットにつながらないならあんまり意味がないけど……と思いつつ、ワープロを始め
た。何を書くと決めていた訳ではなく、しばらくは難読漢字の変換を無為に重ねた。や
がて、思考はやはり事件に向く。後でしようと思ってまだしていないことがなかった
か、書き出してみた。
(乾電池は調べた。ドライバーは、メインハウスにあったんだから、車の分までわざわ
ざ調べなくてもいい。刃物類がまだだったけど、実際に斧が使われたのは確定と見なせ
るから、もう調べる必要はないだろう。それから……ああ、部長と橋部先輩の会話に登
場した『あれ』に関しては、まだだった。聞きづらくはあるけど、動機絡みかもしれな
いから、聞かなくちゃな。あと、最大の捜し物は、小津部長の右足。見付けたいけど、
犯人が持ち去ったと仮定しするにしたって、まさか身近に置いているとは思えない。多
分、どこか離れた場所に遺棄するか、隠すかしてる。焼き鳥の缶を僕のコテージ近くに
捨てたのが犯人だとすると、同じように近くに捨てる可能性もゼロじゃないけど……犯
人が殺害方法の隠蔽目的で足を切断し、持ち去ったのであれば、少なくとも腐敗が進む
までは発見されないようにしたいはずだし。となると、池に沈めるか、土に埋めるか、
だよね。池を浚うのは無理でも、土の方は調べる余地はあるかな? 一夜にしてやって
のけたとすれば、土の柔らかいところを選ぶと思うし)
 メモを書き上げると、手が空いた。また少し考え、画面の明かりで本が読めるかどう
か、試してみようと思い付いた。真瀬から借りた推理小説を持ち出し、読み進めんだ
ページをしおりで探り当てて開くと、パソコンに近付けた。と、その拍子に何かがブッ
クカバーと裏表紙との間ぐらいからするりと落ちた。もう一枚、しおりが挟まっていた
のかなと目を凝らす柿原だったが、いざ見付けてみると違った。レシートだった。
(あ、ほんとに四百円。税込みだったのか)
 柿原も行ったことのある古本屋と分かり、少し悔しくなった。そんなレシートを改め
て挟んでおこうとしたとき、汚れのような物に気付いた。レシートの上の方、日付に重
なる位置と、そこから三センチほど下、整理番号らしき数字に重なる位置とに、うっす
らとではあるが黒くて細い線がカーブを描いている。ラグビーボールの両端を切り落と
したような印だった。触れてみたが汚れは落ちない。
(――似たような形をいくらでも見たような)
 妙な既視感に、柿原は頭を捻った。とにもかくにも、レシートを元の場所に挟む。小
説の方は、どうにか読めると分かった。光量が充分でない環境で細かな字を読もうとす
るのは、視力低下を招くから避けるべきとする説、いや関係ない大丈夫だとする説の両
方があると昔聞いたのを思い出す。悪くなる場合を想定し、ここはなるべく自粛するこ
とに。
(推理を続けようにも、今の状態じゃあ、堂々巡りが関の山、か)
 真瀬以外の人とも意見を交換したい。が、各コテージを訪ねても怪しまれる恐れがな
きにしもあらず。
 午後九時前。パソコンの画面で時刻を確かめた。柿原は電源を落とし、メインハウス
に行ってみようと思い立った。誰か出て来ていることを期待して。

「あ、ちょうどよかった」
 行ってみると、一名ではあるが、期待した通りにいてくれた。橋部だ。この状況なら
ば、謎の「あれ」についても聞きやすい。柿原は続けて尋ねようとした。
 が、橋部からの返しに、機先を制せられる。
「おう。こっちもだ。ちょうどいいタイミングで来てくれたな」
「え? ちょうどいいとは?」
「みんなを集めるべきか否か、迷ってるんだ」
 橋部がいつもより小さな声で言った。影ができて見えづらいが、困り顔をしているよ
うだ。
「何かあったんですね?」
「うむ」
 橋部は頷いたが、何があったのかまではなかなか話そうとしない。柿原に対してちょ
うどいいタイミング云々と言った割に、伝えていいものかどうか、決めきれていないら
しい。
「隠したい訳じゃないんだ。起きたばかりだから、今動くことにより犯人の行動を抑え
られるかもしれない一方で、逆襲を食らう恐れだってある」
「起きたばかりって、どこで何があったんですか」
 気負い気味に聞いた柿原だったが、次の瞬間には冷静に分析していた。
(起きたばかりの事件があって、そこへ僕がやって来たんだったら、僕が第一容疑者
か?)
 心の内側に冷や汗をかいた、そんな嫌な気がした。
「それに加えて、犯人の仕業かどうか、判断しにくい面もあるんだ」
 橋部が言い終わるのと同じか、少し早いくらいのタイミングで、足音が聞こえた。柿
原は音のした方を向いた。ロウソクの明かりが次第に大きくなる。橋部がそちらへと声
を掛ける。
「お、村上さん。戸井田を一人にして大丈夫か?」
 村上はメインハウスの前、充分な光量のある位置まで来ると、ロウソクの火を消して
から答えた。ちなみに、ロウソクは空き缶の燭台付きだ。地面に、無闇矢鱈と蝋を垂ら
しては、後日行われるかもしれない現場検証に悪い影響を及ぼすかもしれない。そんな
判断から全員が、小津や犯人?に倣って空き缶を活用することになった。
「戸井田君から伝言を頼まれました。それに、あの感じだと人間がやったんじゃなく
て、やはり獣の可能性が高い気がします。何にせよ、放置しておくのも問題があるの
で、運ぶのにくるむ布でも用意しようかと」
 村上は柿原の存在に気付くと、すっと距離を詰めた。そして携帯電話を取り出した
が、はたと思い当たったように橋部の方を見た。
「彼に教えても?」
「うむ、まあいいだろう。遅かれ早かれ、全員に伝えなきゃいけないんだ」
「――見て」
 携帯電話の画面を柿原に見せてきた。
「安易に動かせなかったから、ひとまず撮影してみたの」
「これは長靴、と……」
 絶句する柿原。村上は続けて、何枚かの写真を見せてくれた。
 村上の言う動かせない物が何なのか、柿原にもすぐに飲み込めた。その写真には、右
足用の長靴とそれを履いた“足”が写っていた。恐らく、小津の物と見なして間違いな
い。夜、フラッシュを焚いて撮った物だから、詳細は分かりづらいところもあるが、土
にまみれているらしいと分かる。
「ど、どこにあったんですか?」
 どもりながら聞いた。
「と、聞かれても……あっちとしか」
 村上は暗がりの一方向――山の方を指差した。代わって橋部が答える。
「山に入ってみたんだっけか、柿原は」
「はい。真瀬君や関さんと一緒に、部長の案内で」
「長靴があったのは、そのちょうど上り坂に差し掛かる掛からないかぐらいの辺りだ。
アケビ、いや、今の季節は零余子か。零余子が実っていたぞ確か」
「そこまで見ていませんよ。部長も教えてくれなかったですし」
「そうなのか。辺り一帯じゃ、零余子はあそこの高い枝にしか絡まっていないって、不
思議がってたのにな」
「あのう、先輩方はそもそもどうしてそんな場所に、こんな時間……」
 零余子談義を打ち切って柿原が経緯を尋ねると、再び村上が答えてくれた。
「四十五分ぐらい前になるかな。メインハウスに集まって、善後策を相談してた。私と
橋部さんと戸井田君とで。学年で言えば沼田さんも入れるべきなんでしょうけど、小津
部長の死に相当ショックを受けているから、彼女」
「そうなんですか」
 傍目には、そこまでには思えなかったので、柿原はつい、確認をした。
「ショックは私達ももちろん受けている。沼田さんは耐性があまりないタイプと言え
ば、分かってくれるかしら。一年生がいる前では気を張ってるでしょうけど、そうじゃ
なくなれば、周りに委ねて、頼り切りになりがちというか」
「はあ、何となく理解できました」
「それで――話し合っている途中で、メインハウスの前を、低くて丸い影が横切った
の。ほんの短い間だったから、何かは分からなかった。念のため、その影が走ってきた
ルートを見回っておこうという話になり、山の方に行ってみた結果、長靴を発見した。
以上よ」
「泥か土にまみれているみたいですが、これは埋められていたんでしょうか」
「まだ埋められていた場所は分かっていないけれども、恐らくね。そして、獣の仕業じ
ゃないかと考える理由が、これ。橋部さんもどうぞ見てください」
 村上が新たに示したのは、長靴の踝辺りに、穴が開いている写真だった。くりぬかれ
たのではなく、何かが刺さってまた引き抜かれた感じだ。
「もしかすると、イノシシの牙?」
 誰もが真っ先に思い浮かべるであろう想定を、橋部が口にした。
「だと思います。断定は避けますが、走り去った影もイノシシに似ていました」
「確かに……。そうなると、長靴と足がこうして掘り起こされたのは、犯人にとって意
図しない、ハプニングということになる」
 橋部は再度、黙考し、程なくして決断を下した。
「しばらく伏せておこう。ひょっとしたら、まだこのことを知らないメンバーの中に、
犯人がいるかもしれない。よし、このまま戸井田と合流。十時までに済ませたいから
な」
「あっ、伝言を忘れてたわ」
 村上が珍しく叫ぶような声を上げた。
「橋部さん、懐中電灯を使いましょう」
「うん?」
「小津君の持って来た新品の乾電池があるじゃないですか。証拠品と言える代物でもな
いですし、使ってかまわないはずです」
「ああ、そうだ、そうだったな。証拠調べにはロウソクよりも懐中電灯の方が便利に決
まっている」
 メインハウスにある懐中電灯と9番の鍵を用意し、三人揃って小津のコテージに行
く。乾電池をもらって、その場で懐中電灯にセットする。スイッチを入れると、当然な
がら明るく灯った。
(ロウソクなんかの火には暖かみを感じるものだけど、今は、懐中電灯のライトにも、
凄くほっとするような)
 柿原がそんな感想を抱く間も、動きは止めない。橋部が懐中電灯を持って先頭に立
ち、他の二人はロウソクの火を補助として、移動を開始する。
 十分と経たない内に、長靴発見地点に到着。柿原達のいる道から見て、長靴は切断面
を横に向けていた。先に村上が戸井田へ、柿原が加わった経緯を説明し、それから今度
は戸井田が話し出す。
「思い付く限り、写真は撮りました。で、考えたんですけど、一緒に安置するべきじゃ
ないかと」
 戸井田の話は、既に村上から聞いたものとそこそこ重なっていた。充分に考える時間
のあった橋部は、即座に意思表示する。
「そう、だな。彼が死んだときも、移動させたんだ。足だけここに置いておくのは、不
合理というもの。みんな、かまわないな?」
 橋部は村上と柿原にも意見を求めた。
 村上は元から賛成のはず。柿原にとっても、反対する理由は見当たらなかった。強い
て挙げるなら、遺体発見の時点では事件性の有無は判断が難しかったのに対し、現在は
明らかに犯罪と分かっているという違いはあるが。
「埋められた足がこうして出て来たのが、イノシシの仕業だとすれば、この場所自体は
さほど重視しなくていいと思います。肝心なのは、埋められていた場所」
「うむ。だが、捜索は夜明けを待つべきだろうな。付着してる土を見れば、ある程度は
場所を絞り込めると思うし、準備が必要だ」
 橋部はそれから柿原を見た。
「動かす前に、柿原も見ておきたいだろ。俺達は一通り見た。一年生代表ってことで、
しっかり見といてくれ」
 提案をありがたく受ける。柿原は懐中電灯を借り、長靴に顔を近付けた。
「……この土の感じだと、比較的柔らかいみたいですね」
 そう述べてから、鼻をくんと鳴らす。普段からあまり鼻を利かせないでいる彼だが、
今は違う。慎重に、少しずつ鼻で息をして嗅いでみた。
「……」
 特段、異臭は感じられない。たいして時間が経っていない上に、気温も低めに落ち着
いているから、当然か。仮に炎天下を経てこの程度の匂いにとどまっていたなら、冷蔵
庫等での保管を疑う必要が生じるが、実際にはそうではない。
「靴紐は、最初からほどけていたんですかね」
「ああ。村上さんがいる内に、ちゃんと写真に収めたから確かだぞ」
 戸井田の補足に、柿原は満足して頷いた。
「長靴を脱がせてみましたか?」
「いや、してない。そこまで触っていいのかどうか」
「橋部さん、靴下の件がありますし、脱がせて確かめたいんですが」
「うーん、同意はするが、この場でやるのはふさわしくない。もし何かが飛び散った
ら、もう判別が付かなくなる恐れがあるだろ。9番コテージに運んでからにしようじゃ
ないか」
 納得したので、今脱がせて調べるのは中止する。ただ、靴下の種類だけはすぐにでも
知りたい。
「隙間を少し広げて、覗いていいですか」
「隙間って何だ。ああ、長靴と足との間か」
 橋部ら三人は短く相談し、OKの断を下した。村上が手近の枝を探したが、適当な物
が見付からなかったのか、胸ポケットの辺りからボールペンを取り出し、柿原に手渡し
た。
「ありがとうございます。なるべく、汚さないようにします」
「いいわよ。渡した時点で、覚悟は決めてる。そんなことより、私達にも見えるように
して」
 複数のロウソクを地面に置き、懐中電灯も加えて現状で可能な限り明るくする準備が
整ってから、柿原は長靴と肉体との間に借りたボールペンを差し入れ、長靴の生地の方
を外方向に広げようとした。が、強い手応えに、ほんの少し隙間が広がっただけで、中
を覗くまでには至らない。
「紐をもっと緩めてみるか」
 橋部はそう言うと、これは念のためと言いつつ、指先をハンカチのような物でくる
み、それから長靴の紐を触って、余裕を持たせた。
「これでどうだ?」
「やってみます」
 同じ段取りで試してみると、今度は見えた。
「――靴下は通常タイプ。厚手のじゃありません。柄から推測して、小津部長のコテー
ジに残っている、一本だけの通常靴下の片割れがこれだと思われます」
「うむ」
「私にもそう見える」
「同感」
 先輩三人の判断も同じ。確認作業が済むと、柿原はボールペンを村上に返した。村上
は全く気にする様子なしに受け取ると、隙間に入れた先に目を凝らした。
「何もなし」
 呟いてから、元の場所に仕舞った。

 小津の物と思われる長靴と足は、布にくるんで橋部が9番コテージまで運んだ。
「すみません」
 橋部に柿原は頭を下げてから、ロウソクを持つ自らの右手を見下ろした。手の怪我は
相変わらずだし、ロウソクもだいぶ短くなった。未使用の一本は預けているので、これ
が切れると、柿原は直にマッチ棒を持つしかない。
「気にする必要は全然ないぞ。下手に触らせて、間違いの種を蒔きかねないことこそ避
けるべきっていうだけの話だ」
 村上によって、9番コテージのドアが開かれる。中は暗い。十時を過ぎ、外灯もさっ
き消えたところだった。
「正直、背筋がぞっとするような」
 独り言らしき言葉は、戸井田が発したもの。そこへ橋部が、「下手な発言は、疑われ
る元になりかねないぞ」と脅かす。
「冗談はなしですよ、橋部さん」
「ばか、俺だって怖くないと言ったら嘘になる。でもな、小津が迷わず成仏できるよう
にするには、犯人を見付けてやるのが、今の俺達にできる最善の道という気も一方でし
ている。そのためには、何よりも冷静でいることが一番。霊だの何だのを持ち出すんじ
ゃない」
「それはともかくとして」
 村上が、それこそ冷静さを極めた声で、淡々と告げた。
「かなり暗いんですが、本当に今ここで調べます?」
「今こそ緊急事態なんだから、発電機を使えってか」
「そこまでは言いません。このあともしかすると犯人が正体を現し、暴れるようなこと
にでもなったら、電気はそのとき使う方がよいような気がしますし、発電機を動かすと
大きな音がして、私達以外の人達に何事か起きているんだと気付かれます。犯人がこの
四人の中にいないのであれば、気付かれないようにするのが得策でしょう」
「ふむ……発電機はなしで行こう。今は暗くてはっきり見えなかったとしても、朝にな
れば見られるんだ」
 ロウソクの火と懐中電灯を頼りに、いくつかの気になる事柄の確認が始まった。
 真っ先に行われたのは、傷口の照合。当然ながら、目で見比べるだけなので、科学的
とはとても呼べない。だが、その目視で充分だと感じられるくらい、二つの肉体の切断
面似通っていた。宛がえば、ぴたりとつながりよく収まりそうだ。小津の右足に間違い
ない。
 いよいよ長靴を脱がせる段になった。まず、下に古新聞紙を広げ、それから先程くる
んでいた布を、重ねて敷く。その上で作業が開始された。無論、柿原を除いた三人は軍
手を着用済みである。手袋の類を填められない柿原は、観察役に回る。
 靴紐は既に解けているため、あとは引っ張り出すだけだった。が、これが意外と難物
で、心理的な抵抗の他に、実際に固くなっているため、脱がせるのは簡単ではなかっ
た。靴紐を完全に緩め、長靴の生地を左右に広げてからずり下ろすことで、どうにか引
っ張り出せた。
「こりゃあ、うまく戻せるかどうか、自信ないな」
 額を手の甲で拭うポーズをしながら、橋部が言った。彼と柿原が観察役で、戸井田は
撮影役、村上が文字による記録役を主に受け持つ形で進められる。
「再確認になりますが、靴下は通常の物です。柄も一致」
「犯人がわざわざ穿き替えさせたと考えるよりは、最初から小津が自身の意思で穿いて
いたと考える方が理に適っているよな。例えば、仮に毒針のような物が凶器だったとし
て、厚手の靴下だと失敗の可能性があるから、犯人は小津に通常の靴下を穿かせたとし
よう。だが、それは生前にすべきことで、死んだあとにどうこうする話じゃない。むし
ろ、犯行方法をごまかしたいのなら、殺害後、右足の普通の靴下を脱がし、厚手の靴下
を穿かせておくべきだ。そうだろ? だが、現実には違う。そうしなかったのは、犯人
が靴下そのものには何ら拘りを有していない証拠じゃないかな」
「その点は認めるとして、では小津君本人が異なる靴下を穿く理由って、思い付きま
す?」
 村上が疑問を呈し、ボールペンを軽く振った。手元を照らす彼女自身のロウソクのお
かげで、仕種を捉えられた。
「今は思考より、観察調査が優先です。僕のロウソクも貧弱になってきたので、急ぎま
しょう。ここは思い切って、靴下も脱がせる」
 柿原が言った。
「思い切るも何も、それをしなけりゃ意味がない。さて」
 橋部は喋り終わるかどうかのタイミングで取り掛かった。遺体の一部という意識は早
くも薄らいだらしく、思い切りのいい手つきで靴下をずらした。が、全てを脱がせる前
に、動作が止まる。
「――」
 露わになった肌を目の当たりにし、誰もが息を飲んだかもしれない。
「これが犯人の仕業なら」
 橋部はまだ何か続けそうな口ぶりだったが、そのまま途切れてしまった。
 足は、何箇所か斬り付けられていた。乏しいの明かりの下、数えられたのは四つま
で。いずれも長さは約五センチ、縦横斜めと方向は決まっていない。深さははっきりし
ないが、一センチには達していまい。凶器は分からないが、それなりに厚みのある刃を
当ててゆっくりと引けば、こんな具合の傷になるのではないか。
 さらに凄惨さを増すのが、皮膚を三箇所で削がれている事実。
(こ、こういうたとえがふさわしくないとは分かっているけれども、ドネルケバブ…
…)
 柿原はそれ以上想像するのをやめた。ドネルケバブを食べられなくなる。
「――悪魔の所業と言いそうになったが」
 口元を覆った橋部が言った。先程の台詞の続きから始めたらしい。
「落ち着いて考えてみると、これ、殺害に使った凶器の傷口を隠す目的で、皮膚を切り
取ったんじゃないか」
「推理に符合してなくはないですけど……三箇所も?」
 村上は毒針一発で仕留める構図を思い描いていたようだ。
「三箇所とも傷口があったとは限らないさ。切除したいのは一箇所で、残る二つはダ
ミーってことも考えられる。今はそれより、いつ傷付けられたかの推定がしたい」
 そうは言っても、誰も専門知識は持ち合わせていない。足そのものの切断面と比較す
るのがせいぜいだ。
「ほぼ同じに見えますね。足を斧で切断後、あまり間をおかずにやったんだと思いま
す」
 柿原の見解がそのまま採用された。
「すると犯人の狙いは、これこそ本命。足の切断自体は、9番コテージを離れてじっく
り細工するためと、傷を付けた足を埋めることで、本来の意図を不明にするためだっ
た。こう考えてよさそうだな」
 橋部は携帯電話を取り出し、画面を見た。時刻を確かめたようだ。
「さて、そろそろ撤収するか。他の連中に知らせるのは、朝になってからでいいだろ
う」
「あ、撤収の前に、あと一つ。念のため、靴下を全部取ってみませんか。獣に付けられ
たと思しき傷を見ておきたいんです。」
「それがあったな」
 橋部は元の状態に戻そうとしていた手を止め、靴下を脱がせた。すると、踝の辺り
に、何かで突いたような傷ができていた。靴下の同じ位置にも穴が空いていたが、長靴
にできた物に比べると、かなり小さめだった。
「この傷は、他の傷に比べると、新しい感じがします。遺体なので、出血量や血の凝固
具合では測れませんが、乾き方に差があります」
「要するに、イノシシか何か分からんが、獣に付けられた傷と見ていいってことだな」
 今度こそ撤収だ。可能な限り、足と長靴を発見時の状態に戻す。
「次は、切除された皮膚捜し、やるんですかね」
 コテージから全員が出たところで、戸井田が誰に聞くともなしに言う。施錠を村上に
任せた橋部が呼応する。
「やってもいいが時間がない。それに恐らく、犯人によって処分されちまったんじゃな
いか。燃やすのは簡単だし、池に放れば自然に還るのも早そうだ」
「でしょうかね。わざわざ隠し持つ意味が見当たらない上、埋めるほどの大きさでもな
いのだから」
 二人の会話を聞きながら、柿原は村上から声を掛けられていた。
「ロウソクは足りそう?」
「何とか、ぎりぎりって感じですね。今夜このあと、暗い内に何かあったら、ちょっと
困るかも」
「それじゃあ、使い差しをあげるわ。私は未使用分を持って来ているから」
「え、あ、どどうも」
 空き缶の燭台ごと渡そうとした村上だったが、途中でストップ。足を止めてしばし考
え、柿原の持つロウソクと空き缶を指差した。
「交換するのが一番早いわね。ロウソクを外したり、また付けたりしていては、手がい
くつあっても面倒だわ」
 村上は先に柿原の缶を受け取り、次に自らの分を渡す。
「ほんと、ぎりぎりね。消えそうになったらもう一本に着ければいいだけのことだけ
ど、この辺で戻るわ。鍵と懐中電灯を仕舞わなきゃいけないし」
 他の二人にも聞こえるように言い置くと、村上は歩みを早めた。
「一人で大丈夫か?」
 橋部の声に、村上は背中を向けたまま、手を振って応えた。

 自分のコテージに戻ってきた柿原は、知り得たばかりの事実を基に推理を組み立てよ
うと、やや興奮気味であった。だが、冷静さを全くなくしていたのでもない。頭の中の
どこか片隅で、「これ以上の連続稼働はオーバーヒートを招く。短くてもいいから頭を
休めるべき。そうしないと思い込みに陥る」というシグナルが明滅してもいた。
 結局、ワープロソフトを使ってメモ書きの清書だけはしておこうと決めた。暗い中、
怪我の治りきらない利き手で取ったメモは、あとから見て読めない恐れが少なからずあ
る。記憶が鮮明な今の内に、早くテキストデータ化しておくに限る。
「――これでよし、と」
 電源を落とすまで、いや、落としたあとも未練はあったが、心身に休息を与えるべ
く、意識的に横になった。
 そして――目が覚めて、時計を見ると、朝の五時三十分だった。外はさすがにまだ暗
い。
「睡眠時間としては充分のはずなのに、感覚的には眠いような」
 上半身を起こしてから、独りごちる。
(推理に時間を使うのもいいけど、長靴が埋めてあった場所を、早く探したいな。で
も、明るくなるまで時間があるみたいだし、単独行動だと運よく見付けたとしても、素
直に信じてもらえないかも。他に気になるのは……9番コテージ。あの足が掘り返され
たことを知った犯人が、再び9番に侵入し、足を奪ってどこかに隠し直す、なんていう
流れは起こり得ないだろうか)
 これは推理していても始まらない。起き出して、実際にその目で確かめるのが手っ取
り早い。明るくなるのを待つのがもどかしかったが、柿原は着替えなどをして、時間を
費やした。
 やがて空が白み始めたので、コテージを出た。少し靄が出ており、この三日間に比べ
ると肌寒い。我慢できないほどではないので、そのまま行く。
 ただ、昨日の苦い体験が頭に残っていた。周辺をよく見ておくことも忘れない。幸
い、今朝は濡れ衣を着せるような工作はないようだった。
(埋めた場所探しは、完全に明るくなってからにしよう。何人かと一緒に行動すべきだ
ろうし。今は、部長のコテージだ)
 誰か人と会うことなく、9番コテージがよく見通せる位置に来た。柿原は目をこらし
つつ、急ぎ足になった。が、次の瞬間には足が止まる。向かって左側、妙な物が視界に
入った。そんな気がした。
(昨日の夜、あそこにあんな物、あったっけ?)
 不可解さに警戒を膨らませながら、それでもさらに急ぐ。9番コテージ前、ちょうど
小津が倒れていた場所に近い。ほとんど重なっている。
「これは」
 思わず声が出た。枝や使用後の割り箸を骨組みにして、手ぬぐいらしき布を巻き付け
た人形――それを人形と呼んでよいのなら――があった。大の字をした十五センチほど
のサイズ。頭部には木の実のような物が突き刺してある。何の木の実か断定できないの
は、その人形が火で炙られた形跡にがあったため。頭に該当する部分も含め、全体に黒
っぽくなっている。人形の下には、たき火をした跡も残っていた。割り箸や木の枝、そ
れに少量の紙くずを燃やしたらしい。火が消えてからだいぶ経っているらしく、煙は全
く出ていない。
 人形を火あぶりの刑に処したということか。これもまた犯人の仕業かもしれない。そ
う思うと、おいそれと触る訳に行かず、上からじっと見るにとどまる柿原。そしてすぐ
に気付いた。
「うん? 布に字が」
 胴体に該当する部分に、縦書きで文字が認められた。布に元々あったものではなく、
赤いインクのボールペンで直に書かれたようだ。頭の中で読み取ろうと試みる。
(最初は「怨」かな。次に「才」か、片仮名の「オ」。その次が……読みにくいけど、
「シ」「ツ」辺り。これ単独だから、さんずいじゃあない。その下は、もう読めない…
…。あっ、「怨 オヅ」か? 小津部長を呪う儀式? 亡くなっているのに?)
 柿原は、困惑と不気味さがじわっと染み込んでくるような感覚に囚われた。ぶるっと
身体を震わせ、振り払う。
(「怨」とあるんだから、復活の儀式ってこともないだろうな。とにかく、早く知らせ
ないと。でも、みんなに知らせる前に)
 柿原は9番コテージに急行し、異変がないことを確認した。少なくとも破られた様子
はない。それからまず、8番コテージを目指すことにした。真瀬に声を掛けてから、二
手に分かれ、さらに残り全員に伝える目算だ。

――続く




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