AWC ●短編



#500/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  21/05/15  20:32  (  1)
彼女はラッキー過ぎるラッキーガール   寺嶋公香
★内容                                         22/01/06 16:46 修正 第3版
※都合により、一時的に非公開風状態にします。




#501/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  21/05/22  19:55  (  1)
出会い過多   永山
★内容                                         23/07/02 23:43 修正 第2版
※都合により、一時的に非公開状態風にします。




#502/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  21/05/29  20:10  (  1)
被害者はDM作成中   永山
★内容                                         23/07/28 17:30 修正 第2版
※都合により、一時的に非公開風状態にします。




#503/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  21/06/04  20:09  (  1)
君が一番ましだから   永山
★内容                                         23/07/28 17:18 修正 第2版
※都合により、一時的に非公開風状態にします。




#504/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  21/06/05  17:27  (  1)
目覚めると犯行現場が雪密室になっていた   永山
★内容                                         23/07/27 10:38 修正 第2版
※都合により、一時的に非公開風状態にします。




#505/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  21/06/17  21:29  (  1)
レッドアウト   永山
★内容                                         23/08/09 16:35 修正 第2版
※都合により、一時的に非公開風状態にしています。




#506/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  21/07/18  19:42  (200)
アイは朧気   永山
★内容                                         23/09/13 17:41 修正 第2版
 月曜の昼下がり、自宅でランチを終えてテレビを見るともなしに見ていると、衝撃的
な場面が映った。
 ワイドショーのレポーター達が、ある詐欺商法の中心人物と目される金城雅美《きん
じょうまさみ》という女性に往来で殺到し、コメントを取ろうとしていた。その人だか
りの隙間を縫うようにして一人の男が金城に近付き、刃物を突き立てたのだ。
 生中継映像と銘打っていても実際には十数秒ほど遅れて映像を流す方式が採られてい
ると聞いた覚えがある。トラブルやハプニングに対処して、不適切な映像をお茶の間に
流さないようにするためだ。
 ところが、番組は今も中継を続けている。人が恐らく刺されたのに中断はしないらし
い。逆に、スタジオにいる出演者達の声をカットしたように思われた。
 女性はまるで一本の丸太になったみたいに、アスファルト道にばたんと倒れた。長髪
の男は彼女に馬乗りになって追撃をしようとしている。が、その場にいた何人かが凶器
を持つ腕にしがみつき、どうにかそれ以上の犯行を食い止める。男はターゲットの女性
以外を傷つけるつもりはないのだろうか、ただただ執拗に刃物を女性に向けて振り下ろ
そうとするのが見て取れた。
 程なくしてパトカーが現れ、降りてきた警官二名が男を取り押さえた。ほんの少し遅
れて救急車も到着。男の下から引きずり出された女性に救命措置が施される。
 一部始終はワイドショーのカメラが収めて中継していたのだけれども、男の顔がはっ
きり映ったのはこのときが初めてだった。
 長い髪を引っ張られ、顔を無理矢理起こされた男はうっすらと無精髭を生やしてい
た。
「あ」
 瞬時にして思い出した。私はこの男を昔から知っていた。
 真藤一矢《しんどういちや》。小学校時代に好きだった。
 彼がパトカーに乗せられ、連れて行かれる。
 と、ここで警察官の制止が入り、中継はようやく?強制的に終了となった。
 私は台所に立ち、洗い物に取り掛かった。頭の中は今見た映像が占めている。手はほ
とんど自動的に食器を洗っていった。
(だいぶ変わってしまっていたけれども、間違いない)
 彼の席は私のすぐ前で、学校のある日は必ず顔を合わせていた。そのきらきらした印
象的な笑みが、すっかり消えてなくなり、やさぐれたと表現するのにふさわしい、恐ろ
しくも疲れ果てた面相になっていた。
 少し時間が経つのを待って、一時からのニュースを見てみた。金城雅美襲撃事件はト
ップニュース扱いだ。犯人――いや一応容疑者か――の名前がテロップで出た。
 真藤一矢。間違いない。彼だった。
 おかしなものでテレビを見ていた私が気になったのは、名前の末尾に括弧付きで示さ
れた50という数。
 ここ最近、私が歳を取ったと感じるのは当たり前か。それにしても、この歳になって
あのような凶悪事件を起こすなんてどうして。
 ニュースでは動機に関してはまだ何も判明していないらしく、言及がなかった。
 正直言って衝撃が強すぎて、好きだった人があんな風になってしまったという悲しみ
も何もなかった。とにかく「何故?」という疑問ばかり浮かぶ。
(調べてみようか。幸い、時間ならある。ただ、一般人が調べられる程度のこと、警察
はじきに調べ上げるだろうし。続報が出るのを待った方がいいのかしら)
 迷いを心中で言葉にしていると携帯端末が電話の着信を知らせてきた。ディスプレイ
に番号が表示されているが、覚えがない。普段なら無視をするという選択が有力だった
ろうが、今日このタイミングで掛かってくるということは――私は予感を強めた。もし
かすると昔の知り合いからの電話かもしれない。
「はい」
 名乗らずに返事だけしてみた。
「もしもし? 私、君塚利穗子《きみづかりほこ》と申します。そちらは峰小百合《み
ねさゆり》さんの電話でしょうか。姓は峰から変わっているかもしれませんが、私、峰
さんとは小学校で――」
「利穗子ちゃん、かしこまっちゃって」
 二つある愛称のどちらで呼ぼうか一瞬迷って、下の名前の方を選んだ。
「あ、小百合ちゃん、だよね? 久しぶり、懐かしい」
「ほんと何年ぶりになるのかしら。この年齢になってお互い、ちゃん付けで呼び合うな
んてねえ」
「歳のことは言いっこなしにしようよ。楽しい思い出話に花を咲かせたいところなんだ
けど、いきなり電話をしたのは、ニュースを見たからなの。小百合ちゃんは見ていた
?」
「ええ。たまたま見ていたお昼のワイドショーで、いきなりあんな風な恐ろしい場面を
見せられて、だからすぐには気付かなかったわ」
「そのことも含めて、話がしたいんだよね。今から出てこられる?」
「子供が帰ってくるまでの間なら。と、その前に利穗子ちゃんは今どこ? 私の番号、
どうやって知ったの?」
 これまで何度か同窓会が開かれたが、携帯電話の番号を教えたことはほとんどない。
利穗子とは連絡先の交換をしたんだったっけ。あれはでも家の固定電話か、古い携帯番
号だった気がする。
「力武《りきたけ》先生に教えてもらったの。あ、彼女はまず先方の意思確認をしてか
らとおっしゃったんだけれども、そこを私が無理を言って」
「なるほどね。分かったわ」
 番号の伝わったルートが明確になってすっきりした。私は若かった頃を思い起こしな
がら、「どこに行けばいいのかしら」と尋ねた。

 多少まごつきながらもどうにか約束した時刻通りに、指定された喫茶店に到着した。
 店内は半分方埋まっており、店の人に待ち合わせであることを告げて案内を頼むと、
利穗子は奥の方の壁際のボックス席にいた。
「あ、小百合ちゃん。おひさ〜」
 長い間会っていなかったというのに、軽いノリの挨拶で始められて、私は思わず苦笑
した。
「利穗子ちゃんは相変わらず若いわねえ」
「だから歳のことは言いっこなしだって。あんまり時間ないんでしょ? だったら早く
注文して、話をしよっ」
 私はアイスコーヒーを頼んだ。利穗子はすでにジュースを飲んでいたが、二人でつま
める物をとサンドイッチを注文した。
「先に聞いておきたいことがあるの。どうして私に電話をくれたの? 事件を見て知り
合いに電話するんだったら、他にもいっぱいいるでしょうに」
「それは小百合ちゃんが一番の親友だから……というのは言い過ぎだけど。でも、真藤
一矢っていう名前を見て、ぱっと浮かんだのは小百合ちゃんの顔だったから、ほんと」
「説明になっていないわ。だったらどうして私の顔が一番に浮かんだのか」
                        、、
「そりゃまあ、有名だったもの。小百合ちゃんが真藤先生を好きだってこと」
「そうだったかしら」
 記憶にない。秘めたる恋心のつもりだったから、誰にも言わずにおいた。そう思い込
んでいたけれども、違ったんだっけ。
 アイスコーヒーとサンドイッチが来た。
「そうだったかしらって、好きじゃなかったのー?」
「ううん、好きは好きだったけれども。そこを言ってるんじゃなくって、どうして私の
気持ちを利穗子ちゃんが知っているのかなっていうこと」
「え、だって」
 小さな三角型のサンドイッチを一口で頬張り、間を取る利穗子。待たされて、ちょっ
ぴりいらいらした。
「ばればれだったよ。バレンタインデーにチョコレートを渡したり、誕生日を調べた
り」
「ああ……」
 言われてみればそんなことをしていたかも。でも先生にバレンタインのチョコを贈る
ぐらい、他にもやっていた子がいた気がする。だからこそ、私も同じようにしても本気
と思われることはないだろうと高を括っていたんだっけ。
 アイスコーヒーを少し飲んだ。苦みが美味しい。小学生の頃は、たっぷりとシロップ
を入れないと飲めた物じゃなかった。
「利穗子ちゃんも先生に渡していなかった? チョコレートやプレゼントを」
「渡したことはあったよ。けれど、あれは小百合ちゃんとは別だったじゃない。私達の
はクラスの女子の総意って感じで」
「別……」             、、、、
「小百合ちゃんの場合は、言ってみれば職場恋愛でしょ。違った?」
「職場恋愛……そうね。その通りだわ」
 思い出してきた。
 私、峰小百合は真藤一矢と同僚の関係だった。ともに第四小学校の教師。小学校のあ
る日はいつも職員室で顔を合わせていたんだ。彼と私とのデスクは向かい合わせだっ
た。
 利穗子を見て若いと感じるのは当たり前だ。当時、利穗子は十二歳ぐらい。私は……
何歳だったっけ? 三十? 四十? まさか五十代には突入していなかったと思うけれ
ども、若くてきらきら輝いていた真藤先生にすっかりはまってしまったんだった。
 彼は当初はびっくりしていたし、おばさんの冗談だと受け取っていたみたいだけれど
も、私が本気だと分かると、徐々に心を開いてくれて。お付き合いしたのは一年ぐらい
だったかしら。児童達にばれないようにしていたつもりだったけれども、少なくとも私
が真藤先生に惚れていたことはばれていたのね。
 利穗子は特に、年の離れた妹みたいに感じていた。彼女も私を下の名前にちゃん付け
で呼ぶぐらい、なついてくれて。だからかわいがったし、親しくもした。
 あれ? おかしいな。音信不通になっていたのは何で? 連絡先は交換した覚えがあ
るのだけれども、新しい番号は知らせていなかったみたいだし。
 そもそもどうしてこんなに私の思い出、記憶ってあやふやなのかしら。全体にぼーっ
ともやが掛かってかすんでいる感じがする。
「じゃ、そろそろ本題に入ってもいい?」
「え、ええ」
「真藤先生、何であんなことしたんだろうね。小百合ちゃんは何か聞いてない?」
「何にも。聞くはずないわ。だって、真藤先生とはだいぶ前にお別れして、以来、ずっ
と会っていないし、電話すらしてないのよね」
「そうだったの? 力武先生や他の先生の情報だと、それなりに長い間付き合っていた
ような話、聞いたんですけど?」
 語尾にアクセントを置いて、どことなく面白がっている風に聞いてくる利穗子。凶悪
事件を話題にしているとは思えない。
 ため息が出た。渋い顔つきになっているだろうなと自分でも分かる。
「小百合ちゃん。私、もう一つ情報を得ていて、それ、聞いてみていい?」
「いいも何も、どうせ聞くつもりでしょうが」
「えへへ。ま、そうなんだけど。ちょっとデリケートな話だから」
 そう言うと居住まいを正した利穗子。思わず、こちらも背筋を伸ばし、身構えた。や
がて利穗子は潜めた声で聞いてきた。
「小百合ちゃん、ううん、峰先生。お金をだまし取られたって本当ですか」
「……?」
「今日、真藤先生に刺された金城雅美が代表を務めていた金雅の会に」
「……キンガ……」
 その名前を口にした途端、こめかみの辺りがずきんとした。
 同時に、呼吸が軽く乱れるのを自覚し、胸に片手を当てる。
「あ、ああ」
 また何か思い出してきた。

             *           *

 君塚利穗子は本当にこんな質問してよかったのかと心配になった。さっきまで曲がり
なりにもはきはきと受け答えしていた峰先生が、急に調子が悪そうになったのだから慌
てもする。両手を伸ばしかけたが、相手は「ううん、大丈夫よ」と拒んだ。実際、言葉
の通り、荒くなった息は収まってきた。
「お水、汲んでもらいますか」
 さすがに丁寧語になって意向を尋ねる。峰小百合はアイスコーヒーを飲んでから、首
を横に振った。
「もう大丈夫よ」
「そう、ですか」
 そのときだった。喫茶店の出入り口のベルがからんからんと鳴ったかと思うと、男性
の緊張を帯びた声が店員相手に何か問うている。その声の方を向くと、ちょうど目が合
った。短髪で髭の濃いその若い男性は、店員の腕が差し示すまま、こちらのテーブルに
向かって来る。
「母さん。やっと見付けた」
 男性は峰小百合に駆け寄り、肩に手を掛けながら言った。
「このメモ書き、判読するのに苦労したよ」
 握りしめてしわくちゃになった紙を広げる男性。そこにはミミズがのたくったような
文字があって、到底読み取れない。
「ああ、すまないね」
「勝手に出ちゃ行けないと言っただろ。大変なんだから。心配させないでくれよ」
 男性はそこまでしゃべると、君塚へと振り返った。
「あなたが利穗子さんですか。メモにあった」
「あ、はい。君塚利穗子と申します。あなたは先生の息子さんでいらっしゃいますか
?」
「ええ。皆さんにはお知らせしていないのですが、母はごらんの通りでして。いわゆる
痴呆の気がたまに出るんです。近頃は頻繁になってきたかな」
「そうだったんですか……」
 先生と話をしていても若干のちぐはぐさを感じた君塚だったが、理由が分かった。
「十年近く前から症状の兆しはあったんです。それが例の金雅の会にお金をだまし取ら
れて、一気に進行した具合でしてね」
「ああ……」
 やっぱり詐欺の被害に遭っていたのかと、情報の正しさを確認できてうなずく君塚。
「あの人が犯行に及んだのは、母の敵を討つつもりだったんです、きっと」
「あの人とは真藤一矢先生のことですよね。やはり、真藤先生と峰先生とは深い仲だっ
たんでしょうか」
 この問い掛けに、男性は目を丸くし、わずかに苦笑めいたものを表情に浮かべた。
「深い仲も何も……。申し遅れました。私の名前、真藤光哉《みつや》と言います」
 男性はそう言って運転免許証を示した。

 終わり




#507/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  21/08/07  19:52  (261)
虚笑の一線   永山
★内容
 新幹線の駅を出て程近い公園の横を通り掛かったとき、若い男性が同じ年頃の男性の
胸板を突くのが見えた。
「何で分からないんだっ。ほんとおまえは空気読めない奴だな!」
 マスク越しだというのによく通る声だ。どちらも同じ白シャツ・ジャケットにノーネ
クタイで、漫才師か何かに見える。足下には二人ともそれぞれそっくりの黒いボストン
バッグを置いているし、意識的にお揃いにしているのは間違いない。
 などと思っていたら。
「いちいちうるせえよ。俺のセンスに文句付けるな。不満あるならコンビ解消しよう
ぜ」
 胸を押された方が言い返したその台詞。どうやら本当にお笑いをやっている人達らし
い。周囲に誰もいないと思っているのか、やり取りは簡単には終わらない。
「何だと?」
 最初の男性Aが胸を反らせて詰め寄ると、二人の目の男性Bも負けじと同じポーズを
取る。もしかして、ネタ合わせの練習? そんな想像がよぎったが、外れだということ
は次の瞬間に分かった。BがAに足払いを掛けて転がし、バッグを指に引っ掛けてるよ
うにして持ち上げたかと思うと、そのまま相方を置いて立ち去ってしまったのだ。公園
の外に出ても振り返らずに、ずんずんと歩いて行く。やがて見えなくなった。
 転がされた方は足首をどうにかしたらしく、起き上がろうとしてしかめ面になった。
二度目のトライで立ち上がったものの、相方を追い掛ける気にはなれなかったみたい。
そのまま肩を落とすようなため息をつき、立ち尽くしている。
 私があんまりお笑いに詳しくないせいなのか、知らないコンビだけど、芸人さん達が
喧嘩しているところを初めて目撃し、ちょっぴり興奮した。このあとどうするんだろう
と、つい残されたAの方を見つめていると、その人が顔の向きを換えた。おかげで目が
合ってしまった。
「――ごめんなさい」
 覗き見行為を咎められそうな気がして、先に謝っちゃえと頭を下げる。その姿勢のま
まきびす返して遠ざかろうとした。けれどもAは思いのほか俊敏で、足首を痛めたんじ
ゃないの〜?と疑いたくなるほど素早く、私のいるところまで飛んできた。
「ちょっと待ってーや。ずっと見とったん?」
「は、はい。ずっとというか、あなたがもう一人の人の胸を押したところから」
「あちゃー、じゃあほぼほぼ聞かれとったんか」
 額に片手を当て天を仰ぐAさん。と、そのポーズを急に辞めて私に視線を合わせてく
る。
「撮影してへんよね?」
「してないです。動画も写真も。そういう趣味ないし」
 ふるふると首を左右にすると、Aさんはやや安心した顔つきになる。
「このこと、誰にも言わんといてほしいんやけど。家族とかだけならともかく、ネット
に書き込むのだけは」
 今度は腰を若干かがめ、手を合わせてお願いしてくる。
「そういう趣味もないので……」
「ああ、よかった」
「あの……失礼ですけど、有名な方なんですか」
 悪い噂を立てられるのをこんなに恐れるということは、そこそこ名前が売れている漫
才コンビなのかも。そう閃いて、聞いてみる。
「えっとどう言うたらええんやろ。……うん、深夜枠やけどテレビ定期的に出てるし、
知ってる人は知っている」
「そうだったんですか。お笑いのことにはまるで疎くて……すみません」
「謝られるようなこっちゃないからかまわんけど。そーかー、まだ俺らの知名度そんな
もんか。そやったら、一人でも知ってもらおうと努力せんと。俺ら、“ちびりちびり”
いうコンビでやってる。略してちびちびって言われてるわ」
 Aさんも、いなくなったBさんも結構背の高いのに。そんな感想が顔に出たのかし
ら、Aさんは私を見て「今、でかいのにとか思った?」と聞いてきた。曖昧に返事する
と、今度は眉根を寄せて「あら、おもろなかったか」と落胆の仕種を分かり易くする。
「こんなことなら、ほんまにあいつと組むの、解消した方がええんかも」
「あいつというのは、今さっき立ち去っていった……」
「そう、平田《ひらた》。あ、名前言ってへんかったな。俺は直木《なおき》。直木賞
の直木と同じ字やから、すぐ覚えられると思うわ」
 平田さんと直木さんが組むのなら、コンビ名はひらたなおきでもよかったのでは、な
んてことを考えた。
 直木さんは袖を少しまくって腕時計を見る仕種をし、「まだこんな時間か」と呟く。
それから続けて「君は?」と聞いてきた。
「え、な、名前ですか?」
「え? あ、違う違う。時間ええの?って意味」
 勘違いがおかしかったようで、柔和な笑みを見せながら言った。
「でも君が教えたいって言うのなら、是非聞かせてもらうねんけど、名前」
「いえ。そんなことはないので……でも時間ならあります」
「そうなん? そやったらどこかでお茶せえへんかと思いまして。新幹線で帰って来た
んやけど、あいつと隣り合わせで弁当食う気になれへんかって、腹空いとるし。ああ、
隣言うても実際には間に一つ空席挟んどったけどね。ソーシャルディスタンス」
「私もお昼はまだなんです、けど……」
 迷うそぶりを見せると、直木さんは続けて尋ねてきた。
「若いけど学生さん? 俺らまだ若手いうても一応稼いどるからファミレスレベルなら
おごれるよ」
「学生ですが、知り合ったばかりの方からおごられるのは」
「じゃ、おごるかどうかは後回しにして、一緒に食事をどーですか、お客さん?」
 台詞の最後の方は物真似らしい。お客ではないんですけど。でも笑ってしまった。
「笑《わろ》うてくれたってことはOK?」
「うーん、お店に入るのはちょっと。この公園でお弁当を食べるくらいなら、周りにも
人の目がありますし」
「お店にかて人の目はあるねんけど」
 不平そうにへし口を作った直木さんだったけど、次の瞬間、
「あ、弁当って言うたら。食べんかったの忘れとったわ」
 くるりとその場で向きを換えようとするも、つんのめって前に両手を着いてしまっ
た。
「だ、大丈夫ですか」
「あかんみたい。今になって足、痛《いと》うなってきた。あの鞄、駅弁入っとるの思
い出したんやけど、さっきのあいつと揉めたときにへしゃげたかもしれん」
「見てきましょうか。じゃなくて、持って来ましょうか」
「お願いするわ」
 私は小走りでボストンバッグを取りに行き、引き返して来た。
「ありがと」
「いいえ。それよりも足の方は」
「足首? 平気平気。これくせになっとる。よくぐにゅってなるんよ。放っといたら直
るから」
「でも」
 直木さんは手近のベンチに座り、ズボンの裾を少し上げた格好をしているのだが、そ
こから覗く足首は多少腫れているように見える。
「湿布薬か塗り薬、買って来ましょうか」
「――よかった、弁当無事や」
 話を聞いているのかいないのか、直木さんはボストンバッグから牡蠣飯のお弁当を取
り出し、私にも見せてきた。
「あの、お薬」
「そんなに言うんやったら、さっき話してたお弁当を買《こ》うて来て、ここで一緒に
食べるんはどう? もちろんおごる」
「……薬代も出してください。それなら買って来ます」
「あらま。うーん、しゃあないな。言うとくけどナンパと違うから。俺らのコンビのど
っちがおかしいんか、一般の方の意見を聞きたい思うて。お笑いに詳しくないっていう
人の方がより一般的やろうし」
 直木さんは二つ折りの財布から一万円札を出して、私の手に握らせた。

 学生手帳でも“人質”に取られるのかなと思っていたが、そんなことはなし。このま
ま持ち逃げしたらどうするつもりだろうと考えながら、買い物をして戻った。
「これ、お釣りと薬です」
 残ったお金と塗り薬及び貼り薬を渡す。そのあと私はレシートとともにペットボトル
を差し出した。
「飲み物も買いました。直木さんの分もありますけど、いらなかったですか」
「いや、もらう。気が利くんやね」
「自分が必要だったから。ついでに思い出しただけです」
「それはそれでええとして、食べよ。お昼だいぶ過ぎとる」
「その前に薬」
 私は半ば無理矢理直木さんの足首に湿布を貼った。
「固定したければハンカチでやれますけど?」
「いや、そんな大げさな。とにかく腹減った、いただきますしよ」
 言葉の通り、両手を合わせる直木さん。私も彼の隣に少し間隔を取って座った。お弁
当は好きな物を遠慮なく買わせてもらった。けれど広げると、やっぱり駅弁の方が美味
しそうに見える。
「牡蠣好きやったら一つ二つ、あげるけど?」
「いえ。そんなことよりもお話を早く」
「ああ、そうやった。――平田の奴は思い付きをすぐ口にしてまう悪い癖があるみたい
でなあ」
 一旦話を区切り、口を使って割り箸を割って、食べ始める直木さん。
「今日もアドリブで入れて来よったんよ。えっと、俺らのネタがどんなんかは知らんよ
ね、当然」
「はあ。すみません」
「いや、ええねん。今日の仕事は営業で、別にテレビとかネットとかで流すもんやな
い。だからテレビなんかではやれんようなネタもできる。女の人の前でアレやけど、下
ネタとかね」
 直木さん、こちらの反応を窺ったみたいだけど、私がスルーすると続けてしゃべり出
した。
「あと、替え歌。テレビなんかの番組で替え歌のネタをやるのは、手続きがあって色々
と面倒なんよ。著作権関係ね。でも営業でその場限りだと緩いから、割とぶっ込んでく
るみたいなところがあって。俺らもそれやってる訳。お笑いには詳しくのうても、今年
流行っている歌なら分かる?」
「歌ならだいたいは」
「じゃあ、当然知っとるはず」
 直木さんは箸を置くとわざわざマスクをし直してから、ハミングでメロディを奏で
た。それは動画配信で人気に火が着いた曲で、様々な有名人が真似をしている。私もも
ちろん知っていた。
「これを替え歌にして披露したんやけど、あいつ、打ち合わせにない歌詞で歌い出しよ
って」
 マスクを外した直木さんはそのときのことを思い出したらしく、苦虫を噛み潰したよ
うな表情をした。
「一体どんな替え歌だったんです?」
「気ぃ悪いから、フルでは言えへん。なんやかんやと災害の状況を挙げて最後に“洪水
《こうずい》のせいだよ〜”って。どう思う?」
「それは……デリカシーを欠いていますね」
 でもお笑い芸人なら多少は常識外れな部分があってこそ、より面白い発想ができるの
かも、なんていうフォローも考えた私。しかし直木さんの次の言葉の方が早かった。
「それだけやない。営業、どこでやったか分かる?」
 問われた私は彼の駅弁に視線を落とした。牡蠣と言えば……あっ。
「もしかして広島ですか?」
「うん。それも数年前に水害に遭《お》うた地域での応援イベントで」
「本当に? だったらその平田さん、確かにひどいです」
「そうよな、やっぱり……。今ってコロナがまだ燻ってる中、俺らの仕事がやーっと再
開されつつある大事なときやん。信じられへんと思わん?」
「お客さんの反応はどうでした?」
「せやなあ、凍り付いた感じ? よう石投げられんかったなって思うわ。そこに至るま
では結構うけてたからやろか」
 半分ほど駅弁を食べたところで、大きくため息をついた直木さん。
「ほんま平田にはこれまでも似たようなことされて、何べん注意しても直らん。もうし
んどいわ」
「他にもってたとえば」
 怖い物見たさ(聞きたさ)もあって、尋ねてみる。
「最近で言えば、やっぱ替え歌であった。流行ったのは少し前からやけど、今でも子供
の定番ソングみたいになっとるんちゃうかな」
 再びハミングする直木さん。聴く前から予想した通り、ピーマンによく似た野菜の名
前が何度も出て来る、あの歌だった。
「前から営業でよう使《つこ》うとったんよ。一番最後のフレーズを“母ちゃん やり
過ぎ その辺にしとけ”にしたりとかさ」
 状況は分からないがそこはかとなくおかしい。身振り手振りを交えれば、小さな子供
にはきっと受けるんじゃないかしらと想像した。
「言うてみれば営業での鉄板ネタの一つなんや。それをあいつ、今年の一月頃、まだ新
型コロナが今ほど広まってへんかった頃に突然“パプリカ”の部分を“コロナ渦”に換
えて歌い始めよった。花は鼻水の洟に置き換えて、せきだの熱だの何か付け足してた
わ」
「うわぁ」
「でもな、そんときはまだましやったんよ。あんまり流行ってなかった、どっかよその
国の話やみたいな感じで、笑ってくれたお客も結構おったわ。考えてみたらあれがよう
なかったんかも。これで笑い取れる思たんか、ネタを四月辺りから動画配信するように
なったにゃけど、そこでもやらかしよった。ネットやから自家の反応は分からへんねん
けど、俺は背中が冷やーっとなったわ。平田は隣でご満悦やったけど。その後、世間の
反応が分かって、ちょっとは落ち込んだみたいやと思ってた。それやのに、今日みたい
なことがあったら安心してお笑いできへん」
「……直木さんが言ってだめなら、それこそお客さんが直に声を届けるしかないかもし
れませんね」
「うーん、どうなんやろ。ごく少数なんやけど、今言ったようなラインはみ出したよう
なネタを支持するお客もおるんよ。平田に言わせたら『俺の笑いが分かってくれるファ
ンがおる』いうことになって、つまり逆に抗議してくるようなお客さんは、『笑いが分
からんあほな客や』ってことになる。聞く耳持たへん場合がほとんどやねん」
「お客さんですらない、お笑いのことを知らない私みたいな一般人が言ったら?」
 ちょっと期待を込めて、思い切って提案してみた。だけど、直木さんはほんの数瞬だ
け考えて、じきに首を左右に振った。
「だめやろうな。あいつは若い頃、お笑いを好きじゃない人間は人間やない、みたいに
息巻いとったくらいでねえ。今はだいぶ丸くなったやろけど、根っこは変わってないと
思うわ。だからほんまの一般の人に批判されたって、素直に聞かんやろね」
 あきらめ気味に、淋しく笑う直木さん。足首を痛め、背を丸くしているこの人を見て
いると、ますます気の毒に思えてきた。
「だったらお笑いをよく知っていて、しかも平田さんの笑いのセンスも理解している人
が注意すれば効果あるかもしれないですよね」
「あ? う、うん。まあ、そういう見方もできんことはないわな」
「だったら私、今からでもお笑いを観始めます。平田って言う人のセンスを理解するの
には時間が掛かるかもしれないし、理解できるかどうかさえも確かじゃないけれど、が
んばってみます。そういう条件をクリアできたと思えたとき、平田さんとお話しする機
会をください」
「……えっと」
 初めて素を見せたような、きょとんとした表情になった直木さん。私が真剣な眼差し
を向けるのへ、やがてふっと微苦笑した。
「いいねえ、お笑いのファン、俺らのファンを一人増やせたっちゅうわけや」
「私、本気で言ってるんですが」
「分かってる。俺も本気やで。ファンが増える見込みなんは嬉しい。そいでも、俺らの
ことをお客さんに尻拭いしてもらうんは筋違いや。だから丁重にお断りします」
「そう、ですか」
「気持ちは嬉しいんやで。ありがとう。ただ、やいのやいの言うたけれど、あいつにも
言い分はあるやろうし、実際、少しは分かっとるつもりなの、俺。世間様には言うてへ
んことやけど、平田の親族が何人か、阪神淡路大震災で亡くなっとるんや。あいつ自身
も生まれて間もなかったけど、被災者やし」
 あの震災の頃に生まれた? そういう人が相方っていうことは、この直木さんも見た
目よりも年齢がだいぶ上なのかもしれないと気付かされた。
「震災の何周年かの復興イベントで、お笑いライブがあったらしいわ。そのときに震災
を笑い飛ばすネタを見て、元気づけられたって懐かしそうに語っとったことがあった。
せやからきっとあいつは、そのとき受けた勇気とか感動が頭にあって、自分でも人に同
じように勇気や感動を与えたいいう願いが強いんとちゃうかな」
「そんな経験をされているのなら……分からなくはありません」
「ただ、それが現状、空回りしとるんがイタいところやで」
 苦笑いの顔から声を立てて笑った直木さん。駅弁はまだ少し残っていたけれども、も
ういいらしく蓋を閉じると、当人もマスクをした。
「繰り返しになるけど、ありがと。愚痴を聞いてくれて、すっきりしたわ」
「いえ、そんな……ごちそうさまでした」
 時間がだいぶ経過していると意識して、携帯端末の時計を見る。ぼちぼち動かないと
いけない。
「あの私、そろそろ」
「うん、ええよ。あ、今日見たことや話したことはほんまに他言無用やで」
「はい、それはもちろん」
 ありがとうございました、お笑い番組見るようにしますねと言って向きを換えた私
を、直木さんが呼び止めた。
「あー、やっぱり動かれへんから頼む。タクシーつかまえてきてくれへん? 俺のスマ
ホに配車アプリ、入ってへんねん」
 しょうがないなぁ。

 直木さんと話をした翌々日ぐらいだったか、家でテレビのチャンネルを適当に切り替
えていると、いきなり直木さんが映った。
 笑顔だけれども、松葉杖をついている。隣には、公園で揉めていた相方の男性、平田
さん。ちょうどテロップでコンビ名が表示された。どうやらお二人は改名したのか、ち
びりちびりではなかった。けれども不思議なことに、他の出演者は誰も改名について言
及しない。
 それにもっと不思議だったのは、直木さんと平田さんが前に聞いたよりもランクが高
いらしいこと。何たってゴールデンタイムのお笑い番組を仕切っている。これはもう大
御所扱いに見えるんだけど……もしかして私、うまくごまかされてたのかな? 超有名
な人だということを隠して、直木さんは一般の声を聞きたかったのかもしれない。

 終わり




#508/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  21/09/28  19:53  (143)
かみかみコンビのお題2:兎美味し   永山
★内容                                         22/01/22 20:19 修正 第2版
※本作は短編シリーズの二作目に位置付けされますが、一作目のAWCでの掲載は都合
により順番が後先逆になりました。m(__)m なお、本作のみで独立したものとして読め
ますのでご安心を。

             〜         〜

「来月のテーマ、難しくない?」
 KK学園高等学校の正門を出ると同時に、神林《かんばやし》アキラが言った。彼女
に半歩遅れてついていく神酒優人《みきゆうと》は、小首を傾げた。
「そうかな。毎回難しいから、取り立てて言うほどのものじゃ……」
「難しいことは認めるのね? だったら素直にここは『そうだね』とても言っておきな
さいな」
「……そうだね」
 二人はともにKK学園高等学校の文芸部に所属している。今話題にしている『テー
マ』とは、文芸部が毎月催している部内競作のお題のことで、部員が持ち回りで決め
る。月末締め切りで、読み合って批評し合うのだが、割と緩いムードでやっている。だ
から、部員同士が相談するのも問題ない。
「もうちょっとさぁ、堂本《どうもと》さんも広げやすいテーマにしてくれればいいの
に。まさかの動詞だなんて」
 今回の当番だった同じ一年部員に対して神林、文句をぶつぶつ。
「それを言っちゃだめだよ。堂本さんにとっては書き易い、広がりのあるテーマに思え
たのかもしれないじゃないか」
「彼女の肩を持つのね」
「そのようなことは決して。書きにくいのは確かだから」
「具体的にアイディア、浮かんでいるの? 書きにくいって言うからには」
「具体的には程遠い。使えないネタばかり浮かんでくるんで困ってる」
「一つか二つ、聞かせてよ。私にならうまく料理できるかもしれない」
「自信家だねえ。それじゃまあ、いつものように交互に披露するってことで。――知っ
ての通り、僕が好んで書くジャンルはミステリだろ。ミステリで『食べる』と言えば」
「毒?」
「ああ、それもあった。でも毒は服用、飲むってイメージだな。食べるとなると、証拠
を消すための行為さ。たとえば遺体を」
 言い掛けた神酒の前で、神林が立ち止まって、くるっと振り返った。レストランでコ
ウモリの丸焼きステーキ昆虫のサラダ添えでも出されたみたいに、嫌そうな顔をしてい
る。
「人肉ってことー?」
「うん。かなりポピュラーなんだけど、君が知らないってことは一般的ではないのか
な。ネタバレになるから作品名は伏せるけれども、傑作短編があるよ。ミステリ以外で
も、飛行機事故などで遭難して食糧がなくてやむにやまれずとか」
「そ、それだけ有名なネタなら、使いにくいって訳ね。証拠を消す、他のパターンはど
うなのよ」
 隣に並んで再び歩き始めた神林。神酒はどこまで話していいものかを考えながら答え
る。
「他の物証としては、凶器が筆頭かな。ネタバレにならないよう、即興で考えて……乾
物のかんぴょうで絞め殺したあと、煮戻して食べちゃう」
「さすがに切れるでしょ、かんぴょう」
「じゃ、ネタバレ云々を越えてる定番、氷の凶器はこれに近いと言えるんじゃないか
な。犯行後、食べるなり、溶かして飲むなり」
「氷は水にして流すのが一番だと思うけど……。それはともかく、凶器になり得る食べ
物ばかりが食卓に並ぶっていう絵面は面白いかもね」
「なるほど。普通に『事件が起きて凶器が消えた、実は食べられる凶器でした』では、
よっぽど凶器に工夫がないと二番煎じもいいことろだけど、ずらっと揃えればまた違っ
た方向の面白味が生まれそうだ」
「神酒君みたいなミステリ好きの夫と、無邪気を具現化したような妻がいて、妻が食卓
に並べる料理が、ことごとく凶器になり得る物ばかりだったら、夫は何を思うのかしら
とか、どう?」
「どうって……」
 神酒は既出の食べられる凶器トリックの数々を思い浮かべてみた。
(七面鳥の丸焼き、善哉、ダツのお造り、堅焼き、カニ、貝……ごちそうだな)
「とりあえず、ちぐはぐな組み合わせに、うん?となって、そこから、これ全部凶器に
なるぞと連想し、恐怖を感じるかな」
「『世にも奇妙な物語』っぽくしたらいけるんじゃない?」
「ああ、そっちの系統ね。いいオチが見付かれば、悪くない。さあ、もう半分は来た
よ。家に帰り着くまでに、次は君の番だ」
「うーん……考えてはいるんだけれども、最初のが頭から離れなくて」
 頭を抱えるポーズを取った神林。芝居がかっているけれども、何とはなしにかわいら
しい。
「最初って?」
「最初って言うか、前のテーマのね。『手紙』のときに浮かんだ『やぎさんゆうびん』
のアイディアって、『食べる』のテーマにも合ってると思わない?」
「ああ……そうか、手紙を食べるよね、確かに」
「今度のテーマが『食べる』と分かっていたら、『手紙』のときには温存したのに!」
 テーマ『手紙』に対して、神林はあれこれ迷った果てに、結局『やぎさんゆうびん』
ネタで書き上げ、理屈っぽいのとオリジナリティにやや欠ける点はマイナスだったもの
の、概ね好評を得ていた。
「別に、続けざまに同じ題材を扱ってはいけないという決まりがある訳じゃないんだか
ら、今度も『やぎさんゆうびん』で行けば?」
「前、オリジナリティを言われたのに、そんなことできますか。で、思ったのが、童謡
の次は童話かなって」
「童話って『浦島太郎』や『桃太郎』?」
「他に何があるっていうのよ。ともかく、そういう有名な童話と食べる行為を結び付け
ること自体は、さほど難しくはないと思うの」
「それはどうかなあ?」
 疑問を呈した神酒に、神林はすぐさま例を挙げ始めた。
「ベタなところでいいのなら、『桃太郎』で桃を割ってみたら、中の子供まで割ってし
まって、仕方がないからスタッフが美味しく」
「おぉーい、さっきまで人肉料理にびびっていた人と同一人物とは思えない発言だ」
「神酒君の話で、免疫ができたのね。改めて言うまでもなく、童話って残酷な物が多い
でしょ。『シンデレラ』のラストって、シンデレラと王子が継母や姉たちを炎で熱した
鉄板の上で裸足で踊らせるバージョンがあるって聞いたことあるわ。こんがり焼けたと
ころを、スタッフが美味しく」
「何でやねん」
 一応、礼儀として突っ込んでおく。
「『鶴の恩返し』は換えの利かないアンパンマンね。減る一方。あ、さっき言ってた遭
難の話だけど、瀕死の重傷を負った人が愛する人のために『僕の頭、食べていいよ…
…』って迫って来たら凄く怖いと思わない?」
「色んな所から石が飛んで来そうだから、やめなさい」
「愛と自己犠牲をホラー風味にしただけなのに。――残酷な童話と言えば、『かちかち
山』も。おばあさんはたぬきに撲殺された上に、料理され、おじいさんはそれを知らず
に食べてしまう。う、自分で言っていて気分悪くなってきた」
 今さら!?と思った神酒だったが、この童話が突出して残酷なのは論を待たないとこ
ろだ。
「おじいさんから依頼を受けたうさぎも、情け容赦のない残酷さを発揮。たぬきに大火
傷を負わせ、傷口に辛子味噌を塗り込み、最後は泥船に乗せて海に漕ぎ出し、沈んだと
ころを櫂でぼこぼこにして溺死させる。土左衛門となったたぬきは回収してスタッフが
美味しく」
「もういいって。うさぎのその行為が現代の法律に照らしてどの程度のものになるかっ
ていう、模擬裁判が何度か開かれたと聞いた覚えがあるなあ。判決は有罪で、量刑は覚
えてないけど、懲役刑だったのは間違いない」
「おばあさんを殺された段階で、おじいさんが復讐を果たしていたら、正当防衛?」
「いや、成立しないだろ。たぬきだってその時点では捕まって、食われる寸前だった。
盗みの代償に命を取るってのは、今の法律では行き過ぎってことになるだろうから、た
ぬきの方こそ、正当防衛が成り立つ可能性はあったかもね。口八丁で縄を解いてもらっ
たあと、おばあさんを殺しちゃったから過剰防衛になるけど」
「おじいさんが直接復讐するのと、依頼を受けた第三者が復讐するのとでは、どちらが
罪が重いのかしら」
「うーん、多分、うさぎが手伝う方が重いんじゃないかなあ。計画性が際立つって意味
で。おじいさんが激情に駆られて復讐したのなら、情状酌量の余地が大きいと言えそ
う」
「そっか。じゃ、だめかなあ」
 歩きながら腕組みをする神林。危ないからやめときなよって注意すると、案外素直に
解いた。
「腕組みするほど、何を考え込んでるの?」
「ぱっと思い付いたのがあって。童話を二つ、組み合わせるのよ」
「面白そう。聞かせて」
「『かちかち山』のその後に、かの有名な『うさぎとかめ』レースが開催されたことに
するのよ」
 『うさぎとかめ』って童話と童謡、どっちがメインだっけ? 神酒は内心思ったが、
神林の話には関係がなさそうなので、今はスルーした。
「で、かめは密命を帯びているの。競走相手のうさぎを痛い目に遭わせてくれと。依頼
主はもちろん、たぬき。と言っても『かちかち山』のたぬきは死亡確認済みだから、そ
の子孫ね。うさぎの方は『かちかち山』に登場した当|人《うさぎ》でもいいし、子孫
でもいい。依頼を請け負ったかめは、レース前に眠り薬をうさぎに盛る。あるいは、こ
のレースがマラソン並みに長いコースだったら、途中で給水スペースがあるから、そこ
のウサギのドリンクに薬を仕込んでおいてもいいわね。眠り薬により途中で眠り込んだ
うさぎに、かめは追い付いてから煮るなり焼くなり、好きなようにうさぎを料理できる
って訳」
「……そうしてできあがったうさぎ料理は?」
 答は分かっていた。けれども、聞かずにいられなかった。
 神林はにっこりして言った。
「もちろん、スタッフが美味しく食べる」

 おしまい




#509/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  21/10/14  21:15  (  1)
おとうのさ   永山
★内容                                         22/11/04 14:33 修正 第2版
※都合により、一時的に非公開風状態にします。




#510/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  21/11/18  19:36  (  1)
流れ星に手が届くとき   永山
★内容                                         22/11/10 22:15 修正 第2版
※都合により、一時的に非公開風状態にします。




#511/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  21/12/30  12:08  ( 76)
転んでもただでは生まれ得ない   永山
★内容                                         23/09/13 17:52 修正 第2版
 災害で歌織《かおり》を失ったときから僕は惰性で生きてきた。
 だからといって僕の行為が許されるものでないことは理解している。ほんの短い一
瞬、理性を失った結果、やってしまった。僕は今の恋人を殺した。彼女は、未だに歌織
を吹っ切れないでいる僕に業を煮やし、荒療治とも言える、僕からすれば心ない言葉を
投げつけてきた。それが最悪な事態を招いた訳だ。
 これからどうするか。罪から逃れられるだろうか。
 場所は自宅。マンションの一室だ。遺体を運び出すのが無理なのは明らかだ。夜の帳
が降りる時間帯とは言え、他の入居者の目や防犯カメラがあるし、あと二時間足らずで
友人が来る予定だ。
 友人の方は、こちらに急用ができたことにすれば訪問を回避できなくない。だが、遺
体の処分はやはり難しい。ばらばらにして運び出すとか薬品で溶かすとか焼却すると
か、僕には無理だ。仮にやり遂げても、彼女の家族や知り合いが彼女が帰らないのを心
配し、真っ先にここを訪ねよう。一巻の終わりになるのがオチだ。
 ならば素直に自首するか。殺した動機を正しく理解してくれる人がいればいいのだ
が。現状では「昔の女に未練たらたらの男が今の恋人を殺した」と、一面しか見てくれ
ない予感が強くする。
 ああ、何もかも投げ出して消えたい。
 僕のこの願いに一番近いのは、自殺かもしれない。が、それとて殺害動機を誤解され
る恐れが多分にある。踏み切れなかった。

 そんな風に悶々と思考すること一時間。いきなり、目の前に神と称する存在が現れ、
僕に転生の機会をくれるという。
 自称・神を信用するまでハードルはあったが、それについの記述は省く。
 僕は当然、自分自身への転生を希望した。今の記憶を持ったままもう一度自分として
生まれられるなら、歌織の命を救えるかもしれない。いや、救えるはずだ。
 だが神は、そういうのはできないんだよねとのたまった。全能の神にできないことが
あるのはおかしいと詰め寄ったけれども、「今君にしてあげられることの中には含まれ
ていないという意味だよ」と諭されてしまった。
 では歌織の家族だ。父親がいい。クラスメートよりも断然近くにいれるし、いざとい
うとき腕力が役立つはず。
 すると今度は「我慢できる?」と問われた。歌織の父として一生を無事に終える覚悟
はあるのかと。好きな女子の父親として……無理だと思った。
 結局、今の僕を捨て去る必要がある。別の男に生まれ変わり、歌織と恋仲になる。そ
の上で災害に遭わないよう事を運べばよい。僕は慎重に検討し、一人の男に決めた。
 沢口央起《さわぐちおうき》、小学生時代に歌織が好きだった男子で、現在は確か保
険会社勤務でまだ独身のはず。申し分ない。
 沢口に転生させてもらう前に、神に確かめた。転生したあと僕は僕の意思で行動でき
るのか、また、転生した先の時空における“僕”は、誰の意思で行動しているのか。
 神からの返答は、前者は「物心ついた時点で自分の意思で行動可能」、後者は「当時
の君の魂が動かしている」とのことだった。

 転生して、沢口央起としての人生は順調だった。思惑通り、歌織と親しくなり、小学
六年生のときには二人で一緒に遊びに出掛けた。中学一年の終わり頃には、公認カップ
ルと認識されていたと思う。
 ところが――想像もしていなかったアクシデントに見舞われたんだ。
 中学の卒業式の翌日、僕は同じ高校に通うことになった歌織と一緒に、買い物に出掛
ける約束をしていた。その待ち合わせ場所に向かう途中、川縁の道で男に襲撃されたの
だ。
 そいつは“僕”だった。
 僕は小中学校時代を通じて当時の“僕”から歌織を遠ざけることに意を割き、そのせ
いか“僕”は歌織の行く高校には合格できなかった。あの時点で運命は決まっていたの
かもしれない。
 僕は“僕”の歌織に対する執着心の強さを忘れていた。“僕”は僕――沢口をカッ
ターナイフで斬り付けて来た。僕はかわしたものの転んでしまい、馬乗りになれられ
た。“僕”は首を絞め始めた。遠くの意識の中、最後の力を振り絞り、僕は巴投げの要
領で“僕”を川へ投げ飛ばした。
 “僕”は泳げるのに打ち所が悪かったのか、一度浮上して顔を見せたものの、また沈
んで流されていく。あのままだと恐らく死ぬ。
 転生した先でも人を死なせる。それも“僕”自身を。
 この一件が公になれば、たとえ正当防衛が認められても、歌織との付き合いは吹き飛
ぶかもしれない。僕は“僕”を追い掛けた。
 どうにか“僕”の身体を視界に捉えた矢先、急に気分が悪くなり、跪いた。死の予感
――まさか、“僕”が死ぬと僕にも影響が? ならば絶対に助けねば。だが身体の自由
が利かない。
 心臓発作がこんな感覚なんだろうか。胸を押さえ、呼吸を整えたいがうまく行かな
い。
 死んだら、転生の目的が果たせない。歌織が将来見舞われる災害について、僕はまだ
何も話してないんだ!
 せめて歌織だけは生きてくれ。伝えねば。
 その場にばったりと倒れ、僕は人差し指で地面を引っ掻いた。爪に土が……重い。

   2011.3.11

 数字を書くのが精一杯だった。

 終




#512/549 ●短編    *** コメント #508 ***
★タイトル (AZA     )  22/01/22  20:22  (294)
かみかみコンビのお題1:手紙   永山
★内容
※本作は短編シリーズの第一作に当たりますが、AWCでの掲載は都合により二作目の
方が先になりました。本作のみで独立したものとして読めますので、ご笑覧いただけれ
ば幸いです。

             〜         〜

 KK学園高等学校の文芸部は、かつては文学少年、文学少女の集う場であった。しか
し時代は移り変わり、入部希望者が激減。一旦は休部扱いとなっていたところを、一人
の女生徒が復活させた。委員長キャラの彼女は学校側には伝統ある文芸部の復興を訴え
る一方で、部員を集める唯一の切り札として、「ライトノベル大歓迎、BLもOKだよ
〜」を密かに打ち出し、これはと目を付けた生徒に声を掛けることで、部として必要な
人数を集めることに成功した。
 彼女自身、ライトノベルを読むのも書くのも好きでいたのだが、キャラクター故に大
っぴらに語れないことでストレスを溜め込んでいたのだ。発散できる場を確保したこと
で、蓄積されてきたパワーが一気に開花し、文芸部は隆盛を極める。
 その女生徒が卒業すると、徐々に勢いは弱まり、復活十三年目となる今年度は、ゆる
〜い雰囲気の部として細々と、しかし確実に生き残っていた。
「ところで来月のテーマは何だったの?」
 風邪で学校を休み、部活にも当然出られなかった神林《かんばやし》アキラが言っ
た。枕元に立つのは、神酒優人《みきゆうと》。神林とは幼馴染みかつ同じクラスかつ
同じ文芸部とあって、今日の宿題やら連絡事項やらを伝えに、見舞いがてらやって来
た。
「あれ? 送ったんだけど、見てなかったか。『手紙』だよ」
 神酒は携帯端末をちょんちょんと指差しながら答えた。
 彼らの言う「テーマ」とは、文芸部が月一で決めるお題で、それに沿った作品を月末
までに書いて、皆で回し読みし、品評するのが習わしとなっている。
 そのテーマを決めるのは持ち回り制で、今月は副部長の当番だった。
「『手紙』かあ。今の時代、書きにくいんじゃない?」
「真面目に捉えると、多分そうだね。メールやLINEが当たり前のご時世に、手紙を
出す場面は限られてくる」
 神酒は鞄の蓋を閉じてから、「でも」と付け加えた。
「副部長が言うには、LINEはだめだがメールはOKにするってさ。だから厳密な意
味での手紙じゃなくてもいい」
「そっかー。でも、私は縛りがきついほど燃える質だから、厳密な方で行こうかな」
「……」
「どうかしたの、急に黙り込んで?」
「ちょっとエロい想像をしてみようと思ったけど、無理だった」
「な、何のこと?」
「“『縛りがきついほど燃える』神林”……うーん、どう思い描こうとしてもエロくな
らない。お子様向け特撮番組で人質に取られて、火責めに合っているおっちょこちょい
な女の子の姿になってしまう」
「あほか」
 布団の中で足をばたつかせ蹴る真似をする神林。その表情は怒っていると言うより
も、呆れている。が、不意に真顔に戻った。
「エロいで思い出した。昔、ネタだけ考えて作品にしてないのがあるんだ。あれも一種
の手紙だから、行けるかも」
「興味あるな。聞かせて」
 文芸部員同士のおしゃべりで、アイディアは割とオープンな話題である。盗作しても
すぐにばれるってのが大きな理由だが、それよりも何よりも、複数名でブレーンストー
ミングする楽しさに部員の誰もがはまっていた。
「『瓶詰の地獄』って知ってる?」
「そりゃもう。夢野久作の短編。傑作と言っていいよ」
「あれのパロディになるのかな。というか、パロディになるから書きにくいなあと思っ
て躊躇して、お蔵入りさせたんだけど。タイトルは一応、『瓶詰の極楽』か『瓶詰の快
楽』にしたいなと思ってる」
「その仮題を聞いただけで、ぼんやりと内容が想像できた気がする」
「うん、多分それ当たっている。でもまあ聞きなさい」
「分かった。僕から求めたんだしね」
「『瓶詰の地獄』で、島に流れ着いた幼い兄妹が持っていた物、いくつかあったでし
ょ。覚えてる?」
「え? えっと……水の入った瓶が三本に、鉛筆とノートと……ナイフ、虫眼鏡……だ
っけ」
「あと一つ。テーマに結び付いている大事なアイテムが抜けてる」
「テーマって、『手紙』のことじゃないよね。『瓶詰の地獄』のテーマ……ああ、聖書
も持ってたね」
「そう。私が考えてたのは、他の持ち物は同じにして、聖書だけ別の物に置き換える
の」
「快楽なら――エロ本?」
「エロから離れろ」
 布団の中でキックの音がした。神酒は距離を取ってから、反論する。
「いや、でも、そっち方面に進むんじゃないの、物語は」
「うーん、それはまあ認める。描写は別に濃厚にエロくしてもいいし、さらっと流して
もいいかな。――身体を動かしていたら元気になってきたわ」
 いきなり起き上がって、カーディガンを羽織ると、神林は勉強机に向かった。その抽
斗、一番上のを開けて、中からメモ書きが山と詰まった缶の箱を取り出す。
「おいおい、大丈夫なのかい」
「ぶり返したら明日も休む。――あった。これ、思い尽いたときのメモ書き」
 神林はよれて折り目の付いた紙切れを、神酒の前に突き出した。
「どれどれ……“・『瓶詰の地獄』のパロディで『瓶詰の極楽』。十一歳の兄と七歳の
妹が船の遭難により南の離れ小島に流れ着く。持ち物は鉛筆、ノート、ナイフ、水の入
った一升瓶三本、虫眼鏡、そしてライトノベルが一冊”……なるほど、理解した」
 少し吹き出してしまった。聖書の代わりにライトノベルと来たか。
「で、このライトノベルの内容があれなんだろ? お兄ちゃん大好き妹の出て来るタイ
プ」
「そうそう。もしそんなライトノベルを携えていたのなら、二人はハッピーな結末を迎
えたはず」
「うーむ、それはどうかなあ」
 苦笑いを浮かべ、言葉を濁す。メモを返してから、こほんと咳払いをした。
「一つアイディアを聞いたからには、こちらも礼儀として一つ披露するかな」
「待ってました」
「といっても、今日聞いたばかりで、君みたいにテーマに合うストックはないから、ま
だ全然まとまってないんだけどね。考えながら言ってみる」
「どうぞごゆっくり」
 ベッドへ戻り、布団に潜り込む神林。なまめかしさはほとんどゼロだが、同級生女子
の普段とは違う姿を目の当たりにするというのは、ちょっと感慨深い。
「テーマを聞いて真っ先に思い付いたのは、トイレットペーパーなんだ」
「うん? 何でまた。文字が印刷されているのがあるけど、あれは手紙じゃないでしょ
う」
「中国語で『手紙』と書いたら、トイレットペーパーのことなんだってさ」
「あ、何か聞いたことあるような」
「そこから発展させたいんだけど、なかなか……。ただ、ノックスの十戒と絡めてみよ
うかなと思ってる」
「ノックスの十戒って、推理小説を書くときの決め事だっけ。凄く昔の」
「ああ。それも一作家が言ってるだけと言えばそれまでなんだけど。ロナルド・ノック
スという作家の記した十の戒めの中に、『中国人を登場させてはならない』という意味
の条項があるんだ」
「へえー。どうして?」
「はっきり書かれていない。“ノックスの十戒が記された当時、中国人は怪しげな術を
使うと信じられていて、論理的な推理小説にはそぐわないと思われていた”とか、“中
国人は皆似たような顔立ちで、西洋人が見ても区別が付かず、一人二役トリックが簡単
に成立してしまうから”といった解釈があるよ。で、僕も新たな解釈ができないかなと
軽い野望を抱いたんだが、どうもうまく行かない」
「とにかく聞かせなさいよ」
 うずうずを体現したかのように、上体を起こし、全身を揺する神林。
 クッションにあぐらを掻いた姿勢の神酒は、片手で耳をいじりながら答えた。
「えーっと、理屈だけを言うよ。“中国人は『手紙』を見たらトイレに流してしまう。
そんな登場人物がいたら、世界最初のミステリと言われている『盗まれた手紙』が成立
しなくなる。だからミステリに中国人を登場させてはならない”」
「……うーん、ナンセンスギャグとしてやっと成立するかなってところ?」
「手厳しいなあ」
「だって、無理があるんだもの。君が言った『盗まれた手紙』って、ポーの作品よね。
あれならさすがに読んだことあるから分かるけど、文字として漢字の『手紙』が出て来
る訳じゃないんだし」
「あー、分かった分かりました。もう、この案は撤回する」
「いいの? 他にあるの?」
「なくはない。たとえば……大隈重信《おおくましげのぶ》って知ってる?」
「馬鹿にしないでよ、常識でしょ! ――詳しく説明はできないけど」
「はは。名前さえ知ってくれてればいいよ。大隈重信は十代半ば以降、字を書かずに通
したらしいんだ」
「ふぇ? 何でまた。というか、政治家をやったり大学を創ったりするような人が、字
を書かずに済むもの? 信じられない」
「口述筆記で済ませていたらしいね」
「へー!」
「唯一、憲法発布の際に大臣として自筆署名しなければならない場面があって、仕方な
く名前を書いたんだって。それしか残っていないそうだよ。僕が思い付いたのは、著名
人の手紙を偽造して売りつける輩の話で、うまくやっていた犯人が、お得意さんの希望
に応じて大隈重信の手紙を偽造したことによりばれる、というストーリー」
「悪くないじゃない。書いてみたら」
「でもよく考えると変なんだ。著名人の手紙を偽造することを生業とする犯罪者が、大
隈重信が字を書き残さなかったというエピソードを知らないなんて、あり得ないと思わ
ない?」
「あ、そうか。不自然よね。よし、没決定」
「だから厳しいって」
「使えない物を使えるって言う方が優しくないでしょ」
「そりゃまそうだけど。病人の方が元気になってるじゃん」
「お見舞いに来た甲斐があったというものじゃない? それで、他にはないの?」
「公平の原則に従うなら、次はそっちの番だよ」
「じゃあ、ストックじゃなく、今から絞り出してみるわ」
 腕組みをして、うんうん唸る神林。傍から見ていて実に分かり易い。その内ぶつぶつ
言い出したので、神酒が耳を澄ませていると「手紙は忘レター頃に届く」「郵便が指定
通りに届かないと気がメイル」なんて聞こえてきた。
「駄洒落!?」
「盗み聞きはよくないよっ」
「そっちが勝手に言ってるんですが」
「黒やぎさんと白やぎさんの歌って変じゃない?」
「いきなりだな〜。それって『やぎさんゆうびん』の歌のことだよね。読まずに食べた
ってやつ」
「そうそれ。読まずに食べたのに誰からの手紙なのか分かるのは、まあ外に書いてあっ
たとしても、内容を問い合わせるのに、何で紙の手紙を送るのかしら。相手も自分と同
じやぎだと分かってるのなら、手紙を食べられてしまうことくらい想像が付くでしょう
に。そもそも、やぎは自分で書いた手紙を食べてしまわないのかってのも不思議。空腹
なら、送られてきた手紙じゃなく、自分の家にある封筒や便箋を食べれば済むのに、何
で――」
「ストップストップ。言いたいことがたくさんあるのは分かるよ、謎多き歌詞だもの。
ただ、残念というか何というか、すでにそのことは多くの人によって指摘されているの
だ」
「え?」
「ネットで検索してみれば、結構たくさん出て来るよ。今君が言ったことも多分、指摘
されている。その上で、どうにかして合理的な解釈を与えようという試みもされてい
る。君が書こうとしたのは、この解釈を与えることじゃないかな」
「当たり。思うんだけど、白やぎが黒やぎに送った手紙の内容は、貸していた物を返し
てと催促するものだった。黒やぎは読まなくても察しが付くし、返したくても返せない
状況だったから、読まずに食べる。でも届かなかったよ〜と知らんぷりする訳にはいか
ない。何故なら黒やぎは郵便配達のやぎに恋をしていたから」
「は?」
 予想外の登場|人物《やぎ》に、神酒の目は点になった。
「ど、どうしてそういう論理展開になるのかな」
「だって、白やぎは黒やぎから何の反応もなかったら、ある程度は繰り返し手紙を送る
でしょ。その都度食べて無視していたら、白やぎは郵便局に問い合わせるわ。そして担
当配達員のやぎが郵便物を捨てている、もしくは食べているのではないかと疑いの眼を
向けられる。黒やぎにとってそれは全くもって本意ではない。そんな迷惑を掛けること
のないように、さっきの手紙の内容は何だったんでしょうと手紙を出す」
「なるほどね。出さなくてもいい、むしろ出したくない返信を黒やぎが出すのは、そう
いう理由付けか。だったら何で白やぎはその手紙を食べちゃうんだろ?」
「待ちに待った返事だったから、喜びのあまりつい。あるいは、本当は中身を読んだん
だけど、その内容に激怒して、『こいつふざけやがって。こうなったこっちも手紙を食
ってやる。そしてそっくりそのままの文章で聞き返してやる!』となったのかも」
「ふむふむ。ちょっと面白いけど、紙の手紙で出す理由がない。また食べてくださいっ
て言ってるみたいなもんじゃないかな」
「それはもう意地になっている感じ?」
「弱いな。僕だったら、いつでも事故死に見せ掛けて殺せるようにってことにするね」
「事故死? 何がどうなってそうなるの」
「白やぎは黒やぎに対して堪忍袋の緒が切れたとき、紙に毒を染み込ませればいいんだ
よ。それまでに数回やり取りがあって、食べても大丈夫と分かっている黒やぎはすっか
り油断して、毒の手紙でも食べてしまう」
「白やぎも結構黒いねー。だけど、どこが事故死なんだか」
「そうかい? 手紙を食べるなんて、どう見ても誤飲誤食でしょ。たまたま身体に悪い
成分が入っていた、不幸な事故だ」
「あははは、確かに。紙の手紙を出し続けることで、黒やぎの命運を握り続けられる。
こうなると、黒やぎが紙の手紙を出し続けた理由もほしい」
「さっき君が言ったように、無視する訳には行かないから、返事は出さなきゃならな
い。紙に拘ったのは……案外、黒やぎも出した手紙が白やぎに食べられていることを把
握していたのかも。その上で、黒やぎの方も相手をいつでも毒殺できるように備えてい
るつもりだった、とか」
「お互いに読んでいるのに読んでないふりをする。そうすることでお互いにいつでも殺
せる状態を保つ……そこまで行くと、お互いに殺そうと思えば殺せるんだぞと考えてい
ることにも気付いちゃうんじゃあないのかしら」
「そこに気付いたら、成り立たなくなるね。手紙が来ても食べずに捨てる」
「それもそっか。うーん、結構いい線行けそうだったのに」
「没にする判断は、ちょっと早いんじゃないか」
「うん。でもねえ、ネットで検索して似たようなネタが山ほど出て来ると聞いたら、情
熱が薄れた。よっぽど優れた解釈を用意できない限り、書いてもしょうがないかな。平
凡なネタだと、誰かがどこかで先に発表していそう」
「じゃあ、保留ってところか。他にもアイディアはあるのかい?」
「あるよ。全然まとまってないけど、その断片を示すとしたら……」
 右手人差し指をぴんと伸ばし、顎先に当てた神林。上目遣いになって天井を見やりな
がら、しばし沈思黙考。
 やがて、顎から指を離して視線を戻し、閃いた!って風に口角を上げた。
「私は敵が嫌いじゃない」
「……ん?」
 何のことやら。断片に過ぎる。
 神酒のきょとんかつぽかんとした表情がおかしかったのだろう、神林は唇の両端をさ
らに上げた。
「『私は敵が嫌いじゃない。でもこれは非鉄』、これが手紙だとしたら、別の意味にな
るのだよ」
 神林はふふんと鼻息で笑った。
「意味がさっぱり掴めない」
「帰り道にでも考えるといいよ」
「え、今この場で教えてくれないのか」
 思わず腰を浮かした。彼の前で神林は「何せ、非鉄、だからね」と言った。
「分からん……何かヒントないのかな」
「ヒントは、さっき聞かれた駄洒落路線。もう一つ大サービスすると、平仮名、だね」
「ちょっと待ってくれ。忘れない内に書き留める」
 生徒手帳を胸ポケットから引っこ抜くと、神酒は白紙のページを開いて鉛筆で書き記
した。『わたしはてきがきらいじゃない。でもこれはひてつ(駄洒落)』と。
 そろそろおいとまする時間になったこともあり、神酒は立ち上がった。
「結構、盛り上がったけれども、ぶり返さないように注意しろよな」
「分かってる。実を言うと顔がちょっぴり熱いよ、今」
「ほら見ろ。あー、うつされたらかなわないし、そろそろ帰る。お大事に」
 神酒は少しだけ開け放してあったドアを押して、廊下に出た。
「散々いといてよく言う」
 神林は苦笑いを浮かべ、それから神酒を呼び止めた。
「神酒! ありがとね。ヒントとしてもう一つだけ。テーマを忘れんなよ!」
「……分かった。声、かすれ気味になってるぞ」

 神林宅からの帰り道、神酒の足取りは普段よりも遅かった。歩きなのだが、ついつ
い、神林からの宿題を考えてしまう。
(『わたしはてきがきらいじゃない。でもこれはひてつ』で、テーマが手紙。これのど
こが手紙なんだ? 手紙に書くような文章でもなさそうだし。それに駄洒落……うー
ん)
 神酒は小説の中ではミステリを好むので、考え出すとなかなかやめられないのだ。赤
信号で立ち止まり、青に変わっても気付かないでいるほど。
(この中でも最も不自然な言葉を選ぶとすれば、非鉄だよなあ。非鉄金属って言うけれ
ども、関係ないのかな。『ひてつ』と手紙……結び付かない)
 青信号を視界の端で捉えて、ようやく渡り出す。もう点滅を始めていたが小走りで間
に合った。
 軽く乱れた呼吸を整えるために、渡った先でも立ち止まった。そのとき、小さな子供
用の横断旗が目に留まる。信号の柱に箱が設置され、中に黄色い旗が何本かあった。
「『おうだんほどうはさゆうをよくみててをあげてわたりましょう』」
 箱の側面に手書きしてある平仮名を何気なく読んだ。
(句読点がないから『よくみてて』とも読める。みてて……てがみ。もしかすると『手
紙』も平仮名で考えるべき? てがみ、てがみ)
 頭の中に平仮名三文字を思い浮かべ、心の呟きを繰り返す内に、ぴんと来た。
(あ。テがミ、か! 『て』の文字を『み』に置き換えろってことかもしれない)
 神酒は早速、元の文章を脳内スクリーンに書き、『て』を『み』に置換した。そして
一瞬息を飲み、それから目の下をやや赤くしながら独りごちる。
「――まったく。あいつめ」

 『わたしはてきがきらいじゃない。でもこれはひてつ』

            ↓

 『わたしはみきがきらいじゃない。でもこれはひみつ』

            ↓

   『私は神酒が嫌いじゃない。でもこれは秘密』


 おわり


  ・

  ・

  ・

<極めて短い蛇足>

 にんまりしてしまった神酒だったけれども、ふと我に返った。
(……うん? 神酒って僕の名前じゃなく、お酒ってことか?)

 未成年の飲酒はやめましょう。




#513/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  22/02/16  21:41  ( 92)
せめるもまもるも苦労がね   永山
★内容
※本作は過去に、某小説投稿サイトの超短期間お題付きミニコンテストに(別名義・別
タイトルで)出した一編です。時間が足りず、無理矢理捻り出した&下ネタで、ほぼ読
まれぬまま沈みました。(^^; そのつもりでご笑覧してもらえると幸いです。

 〜 〜 〜

 え? おうち時間、どう過ごしているかって?
 まあ充実していると思うな、自分的には。
 “おうち時間”て初めて耳にしたときは、何だそれはと思ったけどさ。何でか知らな
いが、おままごとを連想しちゃったんだよな。いい歳した大人同士の会話で、“おうち
”なんて言い回しはなかなか出て来ないからかな。せいぜい、迷子の小さな子供に「お
うちはどこ?」って聞くときぐらいしか、使いどころがないようなイメージだったし。
 でもさ、今は慣れた。慣れただけでなく、まあ悪くない表現だなって。英語よりかは
いい言い方だと思えたのが大きいんだろうな。
 うん? おうち時間に対応する英語って何だ、だって? 対応するかどうか知らない
が、似たような場面で使う言葉があるじゃないか、えっと何だっけな。ホーム……ホー
ムステイ?
 あ? そうか。ホームステイだと留学先で一般の家に住まわせてもらうことになって
しまうな。
 そうそう、ステイホームだ。あれってストレートに解釈したら、「家にいなさい!」
になるだろ。命令形。命令されるのって、やっぱり嫌な感じがするじゃないか。
 そこへ来ると、おうち時間は何となく、柔らかいイメージがあるだろ。基本的に、“
おうち”が子供向けの言葉っていうのが大きいんだろうけど。
 そりゃそうだろう。「おうち時間」が「家庭時間」だったら堅苦しさが出て来て、印
象が違ってくる。「家時間」でもまだ堅い。「うち時間」でやっと柔らかさが出て来る
けれども、このままだとどこかの方言みたいに聞こえなくもない。やっぱり、「おうち
時間」がぴったり来るんだよな。

 ああ、話が脱線してしまった。
 おうち時間をどう過ごしているのか、だったな。
 まあ、いくつかあるんだが、一番は女房の新たな魅力を発見できたことになるな。
 のろけてるんじゃあないぞ。いやまあ、のろけも入っているが、それが全てじゃな
い。本当の意味で、女房の新たな魅力を見付けることができて、それがおうち時間の充
実につながっている。
 お、差し支えがなければ詳しく聞きたい、と来たか。どうしようかな。この店はちょ
っと騒がしさが足りないな。誰も気にしちゃいないとは思うんだが、近くのテーブルの
連中に否応なしに聞かれているような気がしないでもない。
 人に聞かれちゃまずいこと? ああ、そうだよ。
 ん? 性的な意味で、ってか? うーん、その要素もある。だいたいおまえに話そう
としているのだって、おまえが同好の士だと知っているからこそ、打ち明ける気になっ
てるんだ。
 ……その顔は想像が付いたようだな。当たり前か。
 答合わせをするために、カラオケボックスにでも移るとするか。

 さて、ここなら心置きなく話せる。折角だから唄っていくんだろ。じゃあ、さっさと
話を済ませるとしよう。
 知っての通り、僕の女房は米国人だ。だから結婚を決める前に、より深く相手につい
て知ろうとした。女房の方も同じだったろう。だけど、それでもお互いに知らない部分
や隠している部分はあるもんだ。文化的な違いも原因かもしれない。
 それが、今度のホームステイ推奨、おうち時間がきっかけになって、僕は彼女の秘め
ていた一面を知った訳よ。
 彼女は以前までは、僕が会社に行っている間は、家で一人で過ごしていた。外国人で
日本語もまだまだ、友人を作るのに一苦労しているからな。家で趣味をこなす方が心身
共に楽なんだろう。平日の昼間は、趣味に没頭するのが習慣化していたんだな。
 僕が家にいるようになってからは、しばらくは意識してやめていたらしい。だがこん
なに長引くと、我慢するのにも限界が来る。僕が在宅中でも、女房は彼女の自身の部屋
に籠もって、趣味を楽しむようになっていた。
 で、だ。もう何ヶ月も前になるが、ちょっと大きめの地震があったろ。結構揺れた
し、何か物が落ちる音もしたから、仕事の手を止めて、彼女の部屋に様子を見に行った
んだ。
 ところが声を掛けても返事がない。ドアを開けようとしてもノブが回らない。鍵を掛
けてるなんて珍しい。
 が、それよりも、僕は中で彼女が落ちてきた何かが頭に当たって、失神してるんじゃ
ないかと心配になった。家の各部屋の合鍵は仏壇脇に仕舞ってあるんだけど、いきなり
取りに行かず、何度か呼び掛けてからにしようと思った。ノックし、女房の名を呼んで
は耳をドアに当てる。これを二度、繰り返すと、室内から妙な音がするのに気が付い
た。
痛がっている声がするんだ。何回も聞こえる。普段、なるべく日本語を話すように努め
ている女房がその余裕すらなくなってるんだから、相当だと思った。僕はもう迷うこと
なく、鍵を取りに行ったね。
 取ってきて、最後にもう一度呼び掛けても応答なし。僕は合鍵を使って部屋のドアを
開けた。

 女房は無事だった。
 それどころか凄く集中しパソコンの画面に見入っていた。耳にはヘッドホンを当てて
るんだが、音が丸聞こえでさ。どういうことかと不思議だったが、恐らく地震の衝撃で
ジャックが抜けたんだろうな。女房はそのことに気付かないまま、画面に意識を集中し
ていた。
 さて、同好の士である君にはとっくに想像ができているに違いないが、女房の見てい
た動画は、SM系のアダルト物だった。痛がっている声が繰り返しするはずだよ。“O
uChi,ouchi”ってな。

 僕が後ろで見ていることに気が付いた彼女は、当初、とても動揺して真っ赤になって
恥ずかしがっていたんだが、僕も興味あるんだ的な説明を丁寧にしてあげたら、安心し
たようだった。
 以来、僕らは暇な時間帯を共通の趣味に当てるようになった。二人で仲よく、肩を並
べて動画を見ているよ。実践の方は、ほんとに同じ趣味、同じ嗜好であるため、別個の
パートナーを見付けなくてはならない。なのでまあ当分無理だろうな。

 ともかく、これがほんとの、Ouchi時間。

 ――お粗末様




#514/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  22/03/02  17:22  (  1)
リハビリ探偵と冷たい警部補   永山
★内容                                         23/06/18 22:47 修正 第3版
※都合により、非公開風状態にしています。




#515/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  22/04/01  19:55  (113)
二人でソロを   永山
★内容
※本作は、某小説投稿サイトのいわゆる“お題”的なものに合わせて書いた物です。
 ほぼ出オチです。(--;) 

 〜 〜 〜

「「はいどうも〜」」
 舞台袖から二人組が登場すると、一斉に拍手が起きた。おざなりではない、人気に裏
打ちされた拍手だ。
「僕がソロ芋《いも》」
「私がソロ伝《つて》」
「「二人合わせて“ソロいもソロって”、略してソロソロ、どうかお見知りおきを」」
 二人は声を揃えて自己紹介をした。服装もおそろいの紺色のジレを着こなしている。
「と、そういうわけでね。見ての通り僕ら若いんで、まだまだ顔と名前、一致していな
い方も多いと思います」
「記憶力に不安がありそうなお歳の方がいっぱいやけど、大丈夫かいな」
「そんなこと言わないの。今日を機会に、覚えていってもらったら僕ら幸せです。皆様
から見て左の男前、僕がソロ芋」
「向かって右の女前、私がソロ伝」
「ちょいちょい、女前って何?」
「あんたそんなことも知らんの? 男前言うたらハンサムを意味するんやから、女前は
美人のことに決まってるやん」
「いやいやいや、その言葉の使い方もどうかと思うけど、それ以前に大問題がある。
君、男」
「あ、そうやった。きれいすぎてよう忘れるねん」
「君の記憶力が一番心配だね」
「そういえば大事なこと言うの忘れとったわ」
「何なに。そんな深刻な顔して」
「え? 秦の始皇帝みたいな顔って誰がやねん!」
「そんなこと言ってません。耳の聞こえまで悪い」
「今のは冗談。大事な話いうんは、大きな仕事が来てて」
「ええ? 初耳。僕が聞いてないってことは伝クンだけその大きな仕事やるのか。く
ぅ、悔しい」
「ちゃうちゃう。そういう意味の仕事やなくて勧誘、お誘い。大手芸能事務所から誘わ
れとるねん」
「つーことは、引き抜きか? いよいよ深刻になってきた」
「誰が秦の始皇帝」
「うるさいな。早く本題をしゃべりなさい」
「うん。しゅっとした男の人やったわ。自宅におるときに訪ねて来よってん。名刺出し
てきて受け取ったんやけど、それがまた濃厚な味で」
「ん?」
「ぼてぼてのソースにマヨネーズを山盛りかけたような」
「ちょっとちょっと。何の話?」
「味が濃ゆい名刺やった。これがほんまの固有名詞や、言うてね」
「めいし違いかい! そんなのは置いといてさっさと話を進めて」
「会社名見てびっくりして、声も出ん私に、彼は言いよった」
「“言いよった”は紛らわしいからやめて。まるでその芸能事務所の人が君に恋愛的ア
プローチをしたみたいに聞こえる」
「いや、ほんまに言い寄ってきたんよ」
「うそ?」
「うそです」
 ソロ芋がソロ伝のほっぺを引っ張る。彼ら流の突っ込みだ。端正な顔の伝が変顔にな
るだけでもそれなりに笑いを取れるが、二人ともこの突っ込み自体はスルーして何ごと
もなかったかのように漫才を続けるのが、何故かよく受ける。
「それで彼が言うにはやね、『ソロ伝さん、そろそろソロでやってみませんか』って」
「そのソロ重ねるの、僕らのネタでしょ。よその人に安易に使わせたらだめ」
「実話やからしょうがないやん」
「そもそも《《ソロって》》何?」
「|ソロ伝《ソロって》は私」
「いや、そういう意味じゃなく。えっと、『ソロ』と表現したらまるでアーティスト、
歌手みたいに聞こえるから。芸人が一人でやるのは『ピン』でしょって話」
「じゃあ、私らのコンビ名も『ピンピン』にする? 何かヤらしいけど」
「違う、そんなこと言ってませんからっ。伝クンが持ち掛けられたのって、本当にお笑
いの話か? もしかして歌手というか歌を出さないかって話では?」
「そんなんやないよ。間違いなくお笑い」
「おっ、自信満々。どうして断言できる?」
「だって、その人が言うてたから。『ソロ漫才をやってみるとか、どうですか』って」
「は? ソロ漫才って何? スタンダップコメディ?」
「“イケメン亭ボクつけ麺”という名前も用意してくれてるんやて」
「落語? ていうかそのギャグ、大先輩のだし、順番逆になってるから君、イケメンじ
ゃなくてつけ麺になるよ」
「うん、私もよう飲み込めんかったから、一応その部分は断った。一人でやってみるい
う話は保留してんねんけど」
「何で保留するの。僕を置いてかないで」
「急に変な言葉遣いになってるで。芋クンも一人で大丈夫とちゃうか? 名前にソロ入
ってるし」
「そんないい加減な理屈で安心できません。何かもっと自信持てること言って」
「……」
「何で黙るのー? いいとこ僕には一つもないのー?」」
「いや、ソロ活動をするにはここで甘い顔したらあかん。突き放そう思うて」
「冷たいな。君は自信あるのか。一人でできるネタ、もう何かあるの?」
「そうやね、たとえば……おソロしや」
「……ん?」
「独立したらソロばん弾くの楽しなるやろな。札束多すぎて、ソロりソロり歩かなあか
んようなる」
「ちょっと。また他人様のネタを。全然だめじゃない。ソロをずっと引きずってるし」
「……やっぱりそう思う? はっきり言ってくれて目さめたわ」
「おっ。てことは自信なかったの?」
「うん。自分は顔がいいだけやってよう分かった。いも顔の君と組んでからこそ生きる
んや」
「凄く引っ掛かる言い方をありがとう。でも嬉しいな。これで解散はなしだな」
「そうやね。――あっ」
 腕時計を見る仕種をする伝。
「どうした?」
「もう持ち時間使い切りそうや」
「焦ってたから時間の感覚が分からなくなってたな。じゃあ、解散の危機を乗り越えた
ところできりがいい。“ピンピン”終わりにしようか」
「そこはソロソロやろ?」
「いや、『ピンからキリまで』にも掛けたつもりだった」
「何や、かなんな。こっちはきりきり舞いや」
「きりがないと終われなくなるよ、また」
「じゃあ、時間ないし、『お後がよろしいようで』」
「それ、普通は落語だから! まだ独立気分が抜けきってないじゃん!」
「分かった、悪かった。言い直すわ。『おソロがよろしいようで』」
 揃いのジレの前開きを二人同時にぴんと張り、笑顔を作って舞台袖にはけていく。

 〜 〜 〜

「ところで単独の仕事が来てるのはほんまなんやけど」
「え、まじ? どんな?」
「ファッションモデル。一人だと自信ないから、芋クンもやらへん?」
「そんなこと言うのはこの口か〜!」

 幕




#516/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  22/04/14  21:06  (  1)
時を重ねて   永山
★内容                                         23/11/25 02:32 修正 第2版
※都合により、一時的に非公開風状態にしています。




#517/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  22/07/01  02:53  (145)
狐も狸も人を化けさせる   永山
★内容
 数年ぶりに再会した友達は食べ物の好みが変わっていた。
 念のため注釈すると、バカ舌の持ち主という意味じゃないわよ。穂積薫《ほづみかお
る》君の好みが、昔と違っているみたいってこと。
 私達の通う高校の広い広い学食は、日替わりでお得なサービスランチが設定される。
この日は『きつねうどんとちらし寿司のセット』。炭水化物の組み合わせに「今日のは
関西人向きな感じ。これで決まり?」と斜め前を行く穂積君に言った。
 ところが彼はサービス定食には目もくれず、単品メニューからカレーピラフとチーズ
春巻きを選んだ。
 彼は関西生まれではないけど関西育ち。小五で関西に引っ越して今年、つまり高二の
春に戻って来た。偶然同じ高校の同じクラスになり、ちょっとした感動の再会を果たし
て以来、友達関係が続いている。学校には他にも数名、小学生時代の顔見知りがいるの
だけれども、女子の中では私が一番、穂積君との距離が近いかも。それはさておき、越
す前からうどんやそばが大好物だったのに。
 私自身がサービス定食を選び、穂積君と同じテーブルに着いた。いただきますをする
なり、「昨日の晩ご飯がうどんかちらし寿司だったの?」と聞いてみる。
「唐突に何を言うかと思ったら、同じ食事が連続するからサービス定食を避けたと考え
たのか。外れ」
「じゃあ関西でうどん食べ過ぎて、一生で摂取する限度を超えてしまった、とか」
「はは。箸が止まるくらい気になるのなら答えるよ。嫌いになったんだ」
「――あ、だしが原因? 関東と関西でだしが異なるって言うじゃない。色も違うって
聞いたような」
 当たりでしょ?とにんまりするのが、自分でも意識できた。なので、穂積君が首を横
に振ったのを見たとき、凄く恥ずかしくなった。
「じゃあ何でよ。気になる」
「詳しい訳を話すにはちょっと時間が掛かる。それでもいいか?」
 落ち着いて話すためにと、食事を急ぎ片付けた。ごちそうさま。
「中一のときだから当然、引っ越したあとの話になる。うちの家族構成、どこまで知っ
てるんだっけ?」
「お母さんとおばあさんだけって昔聞いた」
 あでもこの間、男子同士の会話で母子二人暮らしだと言ってるのを小耳に挟んだっ
け。昔話を聞く分には今言う必要はないだろうと判断した。
「そう、当時は母と母方の祖母と僕の三人暮らしだった。母は仕事で夜遅いことが多
く、晩飯は祖母が作った。だけど環境の変化がよくなかったのか、外出しなくなって、
段々ぼけてきて。徐々にインスタント食品に頼るようになった。その頃よく食べたの
が、カップ麺のうどんやそば。赤いきつねとか緑のたぬきだった。二日続けて同じ物を
食べることのないよう、常に赤いきつねと緑のたぬきを一個ずつ用意してね。前の日に
僕がうどんを食べたとしたら、次の日はそばを食べる。祖母はその逆になるんだ。で、
冷え込んだ冬のある日、いつものように祖母と二人でお湯を沸かしてカップ麺の用意を
していた」
 懐かしそうに目を細めて微笑む穂積君。でもどこか淋しげでもある。
「その日は祖母が緑のたぬきで、僕が赤いきつねだった。食べ始めてすぐ、祖母が言う
んだ。『食欲ないから、天ぷら食べてくれる?』って。僕は『いいよ』と答えて、カッ
プを祖母の方に寄せ、まだ形の崩れていない天ぷらを入れ易いようにした。『けど、お
ばあちゃん大丈夫?』と聞き返す言葉が終わらない内におばあちゃんが、いや祖母が箸
を落として突っ伏して。痛い!と叫び始めて。僕はひっくり返ったカップから汁がテー
ブルに広がるのを見て、火傷しちゃいけないと布巾を取りに台所に行った。それくらい
動揺してた。ようやく救急車が頭に浮かんで、呼んだ。着いた頃には祖母は意識をなく
していたみたいで静かで、家の中は僕自身がしゃくり上げる音だけがしていたらしい。
そんないきさつがあって、きつねうどんと天ぷらそばが食べられなくなった」
 おしまい、という風に肩をすくめる穂積君。私は何も言えなくなった。
「以来、赤いきつねや緑のたぬきに限らず、きつねうどんや天ぷらそばを食べようとす
ると、一番に祖母の倒れる場面が浮かんできて、他のことは何も分からなくなる」
 自嘲する彼の台詞の一部に、私は引っ掛かりを覚えた。
「他のことは何も分からなくなる、って?」
「祖母や母と赤いきつね、緑のたぬきを食べた思い出にはいいこともあったはずなんだ
けど、封印せざるを得ないって感じなんだ。一番新しい、祖母の倒れる姿が焼き付いて
いるせいかな」
「そんなのだめだよ」
「うん?」
「もったいない。楽しい思い出まで閉じ込めちゃうのは。楽しいことも悲しいことも忘
れずに、無理せずに思い出せるようにしなくちゃ」
「僕自身、そうありたいと願うけど、でもどうやって」
「それは……特訓してみる?」
 まったくの思い付きだった。

 日曜の昼前、穂積君の家に出向いた。お母さんは休日出勤だと聞いたので、いい機会
だと思い、赤いきつねと緑のたぬきを五個ずつ買って持参した。
「無駄になるかもしれない。もったいないな」
 不安げな彼の前にはすでに赤いきつねと緑のたぬきが一つずつ、開封して置いてあ
る。適量のお湯を沸かし、まずはそばから。三分待って、さあ召し上がれと差し出す。
穂積君は割り箸を割って、フタを完全に剥がして……そこで止まった。香りを伴った湯
気が立ち上る液面を、じっと見下ろしている。
「だめっぽい」
「うーん、顔はそんなに嫌がってないのに」
「うまそうだと感じてはいるんだ。けど、口に運ぼうとした途端、思い出されて」
「貸して」
 私は緑のたぬきを受け取り、食べてみせた。タレントがCMでやるみたいに美味しく
見えるように。
「どう?」
「……まだ無理。ただ、怒らないで欲しいんだが、あのときを思い出した」
「あのときというのは、おばあさんが倒れたときのことね。怒らないでってのは何?」
「一瞬、おばあちゃんに見えた」
 顎を振って私を示す。普段なら怒ってグーでこめかみをぐりぐりしてあげるところだ
けれども、今は違う。
「そこまで思い出して、動揺はしてないのよね?」
「あ、ああ。食べる気になれないだけ」
「だったら、最初から再現してみよっ。あなたは赤いきつね、私は緑のたぬきを食べる
の」
 すぐ実行に移す。なお、一杯目の緑のたぬきは私が残さずいただきました。
 お湯を注ぐ段になって、穂積君が「思い出した」と呟いた。
「おばあちゃんを待たせると気が引けるから、先に赤いきつねにだけお湯を注いで、二
分経ったあと緑のたぬきにも入れてたんだ」
 なるほど。そこも含めて完全再現する。やがて五分が経過した。
「食べようとしてすぐ、天ぷらをそっちに渡したんだよね?」
「ああ。こんな風に、カップをくっつけて」
 私は天ぷらの底に箸を差し入れてそっと持ち上げ、えいやと相手のカップに移した。
「実際には入れるまで行かなかったんだが」
「いいの。今日はあのときの続きだと思って。ね?」
「続きと言われてもな……いや、何だか行けそうな気が」
 穂積君の表情がぱっと明るくなった。
「何ていうか、別の物に見えてきたよ。きつねうどんじゃなくたぬきうどんでもない、
両方載っているのは何か名称あるのかな」
「……化かし合いうどん?」
「悪くない。実際、僕にとっては化けたようなものだ」
 その言葉が口だけ出ないことはじきに立証された。穂積君はうどんをすすった。お揚
げも天ぷらも食べた。美味しそうだった。
「久々に食べたけど、こんなにうまかったんだな」
「そりゃあ元々好物だったのを我慢してたようなものだから、当然でしょ」
 もぐもぐしている彼からの反応は遅れ気味だったが、納得した様子だ。私もこんなこ
とで克服できるなんて、納得しつつも驚いている。
「次は単品でも食べられるように」
「そうだね。やってみてもいいんだけど、今はお腹がさすがに」
 ほぼ平らげた穂積君に対し、私はまだ残っている。二つ目なんだから当たり前。残さ
ずに食べようとしたところへ、呼び鈴の音が鳴り響いた。
「お客さんみたいだ」
 席を離れる穂積君を見送りつつ、私は音を立てないようにした。万が一にも彼の男友
達が来たのなら、気付かれないようにしたい。あ、でも、靴が。
 気になってそわそわし、私は玄関の方へ耳をそばだてると、突然、その声が聞こえ
た。
「おばあちゃん、今日、帰ってくる日だった?」
 おばあちゃん!? お父さんの方のおばあちゃんが来られたってこと? けど、“帰
ってくる”と言ってたわ。
 訳が分からず混乱する私の前に、穂積君が来訪者を連れて戻ってきた。
「初めてだったと思うから紹介するよ。僕の祖母の七恵《ななえ》ばあちゃん」
 ちょっと痩せ気味だけど柔和な笑顔の女性が、両手を揃えてお辞儀をしてくる。慌て
て立ち上がり、お辞儀を返した。名乗ってから、穂積君に耳打ちで尋ねる。
「あの、おばあちゃんてお亡くなりになったんじゃ……」
「え。そんなことは言ってない」
 穂積君の口調は驚きを帯び、当惑している。
 私は彼のおばあちゃんに関する言葉のやり取りを、猛スピードで思い返した。確かに
亡くなったと直接は聞いていないし、何の病で倒れたのかすら分からない。でも、三人
暮らしだったのが母子二人になったと。
「あ、それはおばあちゃんにケアハウスに入ってもらったから。母の開発した商品が思
い掛けず大ヒットして、実用新案を取っていたから、結構儲けて。それで母はますます
忙しくなり、僕も高校生になって時間があまり取れなくなって、おばあちゃんには住み
慣れた土地に戻った上で、施設に入ってもらったんだ。最初は渋っていたのに見学に行
ったとき、ハンサムな入居者を見付けたとかで俄然乗り気になってさ、おかしかった。
でもまあおかげで痴呆の進行は止まったみたい」
 笑いをかみ殺す穂積君。私の方はぽかんとしてしまった。
「何だか騙された心地……」
 私の呟きが聞こえた様子の七恵おばあちゃんは、くん、と鼻を鳴らしてから微笑ん
だ。
「これだけ狐や狸の香りが充満してるのだから、騙されても不思議じゃないね」

 おしまい




#518/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  22/07/29  20:45  (118)
赤いメッセージ   永山
★内容
 女性ホラー作家の赤井羊太郎《あかいようたろう》が死んだ。何らかの鋭利な刃物で
刺されたことによる失血死であった。現場である彼女の書斎は血の海と化しており、デ
スクや座椅子、書架などが赤く染まっていた。
 彼女の名前はもちろんペンネームで、本名は貫田美土里《ぬきたみどり》という。三
十という年齢にしては、今どき珍しいであろう手書きで原稿用紙の升目を埋めていくタ
イプだった。パソコンなどの機械を使わない訳ではないが、小説執筆は手書きでと決め
ていた。
 そんな赤井は死の間際、メッセージを残していた。
 血がべったり付いた手の下にあったのは原稿用紙で、そこには大きく「ツネキ」と書
かれていた。
 早速、関係者が調べられ、容疑者の筆頭に躍り出たのが常木鉄也《つねきてつや》な
る男。赤井羊太郎は売れっ子になる前は、共作作家で鹿庭亜衣《しかばあい》と称して
いた。そのときのパートナーが、常木なのである。
「何で私が彼女を殺さにゃならん」
 仕事場兼自宅の書斎で刑事二人組の訪問を受けた常木は、憤慨気味に問い返した。
「赤井さんの成功が妬ましかったとか、ありませんか」
「何言ってるの。稼ぎならこっちも負けてないよ。でなきゃ都内にこんな戸建て、構え
られるかっての」
「しかし知名度では劣ってるし、本当にそんな稼ぎがあるようには。もしかして、赤井
さんをゆすっていたのでは」
「失礼な人だね。通帳見せてあげる。印税だけじゃなく、映像化とかキャラクター商品
とかそっちのも入ってるから」
「これは……失礼をしました。確かに出版社からの、それも複数からの振込のようです
が、何の作品ですか」
「別の名前で出してて、イメージ崩れるからあんまり言いたくないんだけど、公言しな
いでくれる? 『魔法男子メルー』と『豚野郎でも信じれば願いは叶う? ピッグマリ
オン』と『自己愛探偵・鳴瀬、死す』の三つ。一つぐらい聞いたことは?」
「ないですね」
「あ、僕はあります。一個だけですが、『ピッグマリオン』を」
 動機ははっきりしなかったが、金絡みとは限らないので、一旦保留。
「アリバイをお伺いしたいのですが」
「答えろってんなら、いつ亡くなったのかを教えてくれないと」
「そうでした。今月九日の朝八時から九時の間と見積もられています」
「おやま、早いね。彼女は夜型人間で、そんな時間に人を自宅に招き入れるとは思えな
いんだけど。いれるとしたら編集者?」
「担当経験のある方全員に話を聞きましたが、皆さんアリバイがありました」
「じゃあ、付き合っている人でもいたかな」
「それは鋭意捜査中――それより、あなたのアリバイをお聞かせ願えますか」
「あ、そっか。今月上旬なら取材旅行に出ていたはず。――ほら」
 パソコンとスマホ、両方を使って写真を見せる常木。
 結局、同行した作家仲間及び編集者の証言もあって、常木のアリバイは成立した。
「常木さんが赤井さんと昔一緒に書いていたことは、有名なんですか」
「あんまり知られてないはず。お互い、プロフィールから削除してるし、当時はまた別
の名前だったし。まあ、勘のいい読者ならひょっとしたら辿り着けるかもね」
「え? どういうことです?」
「だからペンネーム。鹿庭亜衣は『化かし合い』のアナグラムになってるでしょ」
「アナグラム……文字の並べ替えでしたっけ」
「そうそう。で、何で『化かし合い』かって言うと、私が常木で、彼女が貫田だから。
つねきとぬきた、それぞれをちょっと並べ替えると、キツネとタヌキ」
「なるほど」
「で、今の私は常木をそのまま筆名にしているし、彼女の方も“赤井羊太郎”で検索す
れば、本名が出て来る。だから、勘のいい人なら気付く可能性、ゼロじゃないでしょっ
てこと」
「それはちょっと……かなりハードルが高いですな」
「でも、彼女を殺した犯人は、少なくとも分かっていた訳だ。業界の人なら知ってる人
もそこそこいるから、絞り込む条件にはならないか。いずれにせよ、犯人はこんな残酷
なことをしておきながら、洒落っ気のある性格だよね。赤い血文字で『ツネキ』って、
『赤いきつねと緑のたぬき』に掛けたに違いない」
「えっ?」
「あん、分からない? 彼女の本名が貫田美土里で緑のたぬきでしょ。私の名前には赤
の要素がないから、血文字でツネキと書いて、赤いきつね。――反応が薄いね、刑事さ
ん達。もしかして、インスタントのカップ麺を知らないとか?」
「いえいえ。我々がびっくりしたのは、別のことです」
 年配の刑事がそう答える間、若い方の刑事はこれまで話を聞いた関係者の証言一つ一
つを、猛スピードでチェックしていた。

「――という訳で、あなた唯一人が他の皆さんとは異なる反応を示していたことが分か
りました」
「何のことですか?」
 佐藤《さとう》ひろみの問い掛けに、刑事はたとえ話をいきなり始めた。
「とあるクイズ、いやパズルを出します。割と有名な問題らしいので、ご存知なら言っ
てください」
「この状況でクイズって……まあいいけれども」
「『真っ黒な塀の向こう側から、男が現れた。その男の出で立ちは黒い帽子に黒いコー
ト、黒の長ズボンに厚底の黒いブーツ。手には黒革の手袋をはめ、靴下も黒という全身
黒尽くめだった。男はしばらく歩いたあと、ふと立ち止まった。そして不意にしゃがん
で、黒いアスファルト道路に落ちていた小さな黒石を素早くつまみ上げた。男はどうし
てそこに黒い小石があると分かったのか? なお、月は出ていない』という問題なんで
すが」
「知りません。初めて聞きました」
「それはよかった。で、答は?」
「……靴底で小石の感触が分かったとか」
「厚底ですから無理だということにしておいてください」
「……分かりません。ねえ刑事さん。これは何の茶番なんです?」
 佐藤は苛立ちを露わにした。が、すぐに左手のピンキーリングをさすり、冷静さを取
り戻した。指輪の石は、落ち着くためのおまじないみたいな物なのかもしれない。
「そういきり立たずに、まずは答を聞いてください」
「別にいきり立ってはいません。答、何なんですか」
「答は、『真っ昼間だったから』」
「え?」
「佐藤さん、夜の闇の中での話だと思って聞いていましたよね? それが普通の反応で
す。事前にパズルの問題だと知らされていなければ、気付ける人はほとんどいないとさ
れています」
「確かに夜だと思い込んでましたけど、これと事件と一体どう関係すると言うのでしょ
う?」
「先日、話を聞きに上がった際、事件のあらましを話しましたよね。あれを聞いて、他
の関係者の皆さんは一様に同じ思い込みをしたんです。すなわち、被害者の赤井羊太郎
さんは、自らの血を使って『ツネキ』と書き残したんだと」
「……」
 佐藤の目は見開かれ、唇は逆にぎゅっと噛みしめられた。
「我々警察は、現場の具体的な状況は発表していません。現場にあった原稿用紙に『ツ
ネキ』と書かれていたことは、聞き込みの際に明かしていますが、どんな物で書かれた
かについては言及を控えていました。その結果、ほぼ100パーセントの人が、血文字
だと勝手に解釈していたんですよ」
「……」
「翻ってあなたの場合を思い返してみると、他とは違った反応をされていた。記録も取
ってあります。佐藤さん、あなたはこう発言している。『愛用のペンで最後に書いた文
字が、自分を殺した犯人の名前だなんて、先生もさぞかしご無念だったでしょう』と。
何故、ペンで書かれたと思ったのか。いくらでも理由付けはできるでしょうが、我々は
あなたを疑います。徹底的に」
「そんな」
「手始めに、その左手の指輪を調べます。返り血ってやつは意外と小さな隙間からも潜
り込んで、意外と長い間残るもんなんですよ」
 佐藤は指輪を隠すかのように、左手を右手で覆った。
 ダイイングメッセージを偽装した犯人は、どうやら被害者からの赤いメッセージで追
い詰められることになるようだ。

 終




#519/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  22/08/05  20:09  (112)
計算と新基準:20−2+3   永山
★内容
 クラスメートの白井《しらい》さんは、言葉遊びが好きであると広言している――な
んて風に書くと、彼女からすかさず、
「広言ではなく、公言よ」
 と訂正が入るに違いない。
 言葉遊び好きであると同時に、言葉や文章、そしてそれらの意味するところをこねく
り回すのが好きなんだと思う。
 一方、僕は彼女とは幼馴染みで、それ故なのか、男子勢の中では言葉遊びに付き合わ
されることが多いようだ。
 たとえばこの間も、こんなことがあった。

「如月《きさらぎ》君は当然、これまでに留年したことはありませんよね?」
 放課後、掃除当番の役目を終えたところで、白井さんが急に聞いてきた。
「何なに、白井さん。藪から棒に」
 僕は掃除道具を仕舞いながら聞き返す。彼女の方はゴミ箱が空っぽなのを再確認して
いるようだった。
「私と同じ年度に生まれているのか、確かめようと思ったんです」
「何だ。それなら誕生日を聞いてくれたらいいのに。年月日で答える」
「いえ、それは配慮のつもりでやめておきました」
 教室の鍵を手に取り、廊下に出る白井さん。僕も続いた。
「配慮って、何で。女性に年齢を聞くのは失礼だとか言うけどさ。僕は男だし、そもそ
も同じ学年なんだから誕生日ぐらい気軽に」
「もしそんな質問をしたら、如月君にいらぬ期待をさせてしまうのではないかと」
 いらぬ期待……これはすぐに分かった。プレゼントのことだ。白井さんは教室の鍵を
掛けた。
「そしてそういう想像をした私もまた、だったら誕生日プレゼントを何か用意しなくて
はいけないのではないかとプレッシャーに感じてしまいかねません」
「深読みっていうか、考えすぎだよ」
「では如月君は私から誕生日を聞かれても、何も感じないと」
「そんなことはないけど」
「だったら、そういうことです。それで、間違いなく二〇〇三年度生まれ?」
「あ、ああ。ていうか、小学生のときからずっと同じ学校なんだから、分かるだろう
に。最初の設問が成り立ってないぞ」
「ようやく気付いてくれましたね。これで安心して、話題を振れます」
 先を行く白井さんの隣に追い付くと、彼女が微笑しているのが分かった。この表情
は、言葉遊び的な何かを僕に仕掛けてくるときの顔だ。せいぜい警戒しておこう。
「来年の四月が来れば、みんな揃って大人になる訳です」
「大人……ああ、成人年齢の話か」
 日本の法律では二十歳が成人の証と定められていたけれども、ちょっと前に変更され
た。ちょうど僕らに関わることだったので、当時から割と話題にしたっけ。二〇二二年
の四月からは、十八歳が成人と見なされるのだ。
 僕らの年度は、これから先のおよそ一年でみんな十八歳を迎える。だから二〇二二年
の三月三十一日までは未成年だったのが、その翌日には全員が一斉に成人になる。ちょ
っと面白い。
 白井さんもその辺りのことに触れ、「私達にとってはそれが当たり前ではあるけれど
も、やっぱり特別感はありますね」と続けた。
「ところで、特別な成人と言えるかどうか分かりませんが、次みたいなことがあるのを
如月君は知っていますか?」
 来た。この切り出し方はクイズ方式だな。僕は心の中で身構えた。
「ある日本人家族が故郷である中国地方に帰って、一人息子の誕生日をお祝いしていま
す。父親が息子にビールを注いでやりながら、『これでやっとおまえとも酒を酌み交わ
せるな』と言いました」
 僕は聞きながら、関係しそうなことを頭に浮かべる。十八歳成人になっても、お酒や
たばこ、公営ギャンブルは二十歳になるのを待つ必要があるってね。だから白井さんの
話に登場する“息子”は二十歳になったばかりのはず。
「息子はビールを一口、ぐいっとやってから何とも言えない顔をして応じます。『夏の
方が間違いなく合うね、これ』と感想を述べた彼の前に、母親が唐揚げとおでんを持っ
て来ました。――ところがよくよく聞いてみると、この息子はこの日、二十一回目の誕
生日を迎えたんだそうです。こんなことがあるでしょうか?」
「えっ? 二十一回目の誕生日?」
 廊下の角で立ち止まる僕。聞き違いじゃないと分かっていても、つい、おうむ返しを
してしまった。数歩先から戻って来た白井さんは「そうですよ」と澄まし顔で肯定し
た。
「息子は二十一歳になってる。なのに、これでやっと親子で酒を飲める? おかしい
よ。日本の話だよね?」
「はい」
 国によって飲酒できる年齢が異なる&日本人でも外国にいるときはその国の法律に従
う、という話ではないようだ。
 また、白井さんの出題だから、父親の勘違いとかでは絶対にない。
「父親がどこか遠くに赴任していて、息子が二十歳になってからずっと会えないでい
た?」
 苦しいのは承知の上で、捻り出してみた。当然、白井さんは首を左右に振る。
「違います。逆に息子が遠くにいたというのもありません、念のため」
 穴を塞いでくるなあ。
「だめ元で言うけど、父子のどちらかが病気でお酒を飲めなかったのが、完治したって
いうのは?」
「ユニークな発想だとは思います。でも、スマートじゃない。息子の誕生日と病気が治
る日がぴたりと一致したなんて。もっとスマートな解釈、ありません?」
 うーむ。これが米国なら、禁酒法施行時代に絡めて、答っぽいのができそうなんだけ
ど、外国じゃないんだよな……。あ、待てよ。
「中国地方というのは実は中国という国だった、どう?」
「だめです。如月君は国としての中国を言い表すのに、中国地方という表現を使います
か? 使わないでしょう」
「だめか」
 そもそも、中国での飲酒年齢がいくつなのか知らないんだけどね。
「日付変更線を超えた、なんてのも違うし。うー、分からん」
「あきらめます? 中国地方と言ったのが実は中国ではないかというアプローチ自体
は、悪くないです。私の言葉遊び好きを理解してくれてますね」
「言葉遊び……うーむ。息子の誕生日が実は特殊な日だとかでもないだろ?」
 たとえば二月二十九日だったとして、それが何なんだってことになる。
「何日だろうと、誰であろうと関係ないですね。如月君でも同じです。《《二十一回目
の誕生日》》を迎える前に、飲酒しちゃだめです」
「僕も?」
 僕は自分自身を指差してちょっとびっくりしつつも、最前の白井さんの言い方が傍点
を打たれでもしたかのように強調されて聞こえた。
「――あ。分かった。ばかばかしい」
 僕は両手の平を合わせた。ようやく職員室に向かって再び歩き出し、答を口にする。
「生まれた時点で一回目の誕生日と数えてるんだ?」
「はい、ご名答です」
 表情をほころばせ、首をやや傾けてにっこりする白井さん。
 なるほど。思い込みは恐ろしい。生まれてから一年間は零歳で過ごすけど、誕生日そ
のものはすでに一度体験している。そうじゃなきゃ生まれてないことになる。人生二度
目の誕生日が来て、やっと一歳だ。二十一回目の誕生日で二十歳。不思議なことなんて
何もない。
「ということで、私達も二十一回目の誕生日を迎えたあと、会う機会があれば一緒に飲
みましょうか」
「え?」
 何だ何だ。これは“予約”と受け取っていいのかな? どきどきして職員室の手前で
足が再び止まった。そんな僕を振り返り、白井さんは当たり前のように続けて言った。
「成人式は前倒しになるかもしれないけれども、小学生のときのタイムカプセル、掘り
出すために集まるのは二十歳のままですよね?」

 終わり




#520/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  22/09/03  19:25  (  1)
逃げ水   永宮淳司
★内容                                         23/06/21 21:41 修正 第3版
※都合により、一時的に非公開風状態にしております。




#521/549 ●短編
★タイトル (miz     )  22/09/13  10:23  ( 16)
新相対性理論  ねこみみさん
★内容
光速を超えると、時間が逆行する。
宇宙空間では、慣性の法則が有るので、数ヶ月間か数年間かけて、宇宙船を加速する
と、光速を突破するはず。

光よりも、早く動くモノは、遠くになればなるほど、時間が逆行して、数十年数百年前
に戻るはず。

光よりも早いモノを発生させると、空間がバックフィードして、過去に伝わり、UFOが来
ているはず。

宇宙船が光速を突破すると、宇宙船の中で、時間が逆行して、中の人間が若返る可能性
がある。だからこそ、量子力学的な計算が欠かせない。

タイムマシンは、光速を突破すれば、時間が逆行して、必ず出来る。相対性理論では、
反転すると、時間が一気に進むというが、根拠が無い。数年間過去に戻ったところで、
再度反転して、また光速を突破すれば、また過去に戻るはず。




#522/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  22/10/11  21:23  (109)
お嬢さま、意味コワ話を所望する   永山
★内容
「――ああ、おかしい。ほんと、怖くて面白いわ。私、気に入りましたよ、『意味が分
かると怖い話』なるものに」
「お気に召したのでしたら、幸いです」
「ねえ、船場《せんば》。もっとないの、似た感じのお話」
「またお代わりを御所望ですか。これでもう七度、続けざまでございますよ。都度、あ
れこれと思い出して、振り絞ったあとのご要望とあっては、さすが私もネタ切れと言い
ますか」
「そんなこと言って、とっておきのがあるんじゃないの? あなたってほら、準備がい
いじゃない。『こんなこともあろうかと』って、決め台詞付きで」
「いえいえ。お褒めの言葉はありがたくも嬉しい限りですが、今宵はここで正真正銘、
ネタ切れでございます」
「ふうん。そう。残念ね」
「申し訳なく存じます」
「……でも、一つくらい、何かあるんでしょう?」
「いえ、ございません」
「おかしいわね。あなたの顔を見ていると、たいていの場合は分かるつもりだったんだ
けど。嘘をついているときって」
「そのような嘘など、滅相もありません」
「ほら、今、鼻で息をしたでしょ? そのせいで船場、あなたの立派な白い髭が微かに
揺れるの。嘘をついたという証よ。他に揺れることなんてない」
「まさか。はったりはおやめください」
「うふふ、そうね、今のははったりよ。でも、あなたが嘘をついたとき身体のどこかに
サインが出ているのは、本当なの。それが何なのか、簡単には教えやしないわ。これか
らも役に立つでしょうからね。とにかく、あなたは嘘をついている。違う? 違うのな
らはっきりと答えて。認識を改めさせてもらうから」
「……はぁ……仕方がありませんね。これを嘘と呼んでいいものか、難しいところでは
ありますが、確かにあと一つだけ、『意味が分かると怖い』系の話を知っております」
「ほら、ご覧なさい。嘘をついてた」
「弁明の機会をいただけるのであれば、何ゆえ私は頑なにないないと言い張ったのか、
説明をいたします」
「……ま、退屈しのぎに聞きましょうか。あと一つしか話すネタがないのは真実みたい
だし」
「ありがとうございます。説明と申しましても、至極単純、ほんの二言三言で済んでし
まうのですが……私が最後に残しておいた話は、お嬢さまにはふさわしくない内容なの
でございます」
「……どういう風にふさわしくないの」
「察していただけませんか」
「だめ、無理。察さない」
「それではやむを得ないと解釈しまして、お耳汚しになりますが、答を述べさせていた
だきます。ずばり言って、下ネタですから」
「下ネタ」
「はい。下ネタの意味まで説明する必要はないものと存じます」
「ええ、知っている。だけど、下ネタだからって隠すのもどうかと思うわ。確かに私は
まだ成人年齢に達してはいませんけれども、それなりに分かるつもりです」
「その調子ですと、私はどうしてもお話ししなければいけないようですね」
「分かっているのなら、早く言いなさい」
「その前にお約束を。決して怒らず、恥ずかしがらず、そしてもしも意味が分からない
ときは、右手をそっとお上げください」
「恥ずかしがらないというのは難しいかもしれないけれども、がんばるとします。心構
えのための深呼吸をしますから、少しだけ待ってなさい」
「かしこまりました」
「――よし。さあ、いつでも来なさい」
「では コホン。とある王国Aの王女が、隣国Bの王子とお見合いをして、結婚に向けての
交際が始まりました。順調に関係を深めていった二人ですが、いよいよ結婚の日取りを
決めようかという段になって、悲劇が起こります。A国に向かっていたB国王子の車列
が爆弾テロに遭い、王子を筆頭に護衛の者、通訳、運転手、お付きの者らが多数命を落
としてしまったのです。しかも爆弾は不必要なほど強力な代物で、遺体はばらばらのち
りぢりに飛び散ったという惨状を来しておりました。二日後、救出活動及び遺体回収に
当たった者が、王女に報せを持って参りました。
『非常に申し上げにくいのですが、王子様のお身体は損傷が激しく、また炎上の害も被
っているため、形をとどめているパーツがほぼありませんでした。できる限りの人員を
割いて探させた結果、ようやく見付かったのがこれでございます』
 報告者は部下に合図し、トレイを持って来させると、掛けられていた紫色の布を恭し
く取った。
『まあ』
『この、いわゆる“いちもつ”のみが、現場で発見されました。車の位置関係から、王
子様の物で間違いないかと』
 王女は、その物体に目を凝らし、手をかざすような仕種をしてから答えました。
『ご苦労様。しかしこれは王子様の物ではなく、護衛の物です』
 ――以上にございます」
「……」
「お分かりいただけたでしょうか」
「分かったと思うんだけど、さすが下ネタ、確証が持てないわ」
「その『さすが』の使い方、合ってます?」
「念のため、答合わせをしましょう。王女は王子とだけでなく、護衛の人とも関係を持
っていた、という解釈でいいのかしら?」
「ご明察にございます」
「ああ、よかった。うん、悪くない下ネタでした。他の方に話しにくいのが難ですけれ
ど」
「絶対に言わないようにしてください。たとえ同性のご友人に対してでもいけませんか
らね」
「はい、分かっているわ。それにしても思ったんだけど、王女様もちょっと軽率だった
わね」
「はい?」
「だってそうじゃない? “いちもつ”を見て、『王子様の物ではありません』とだけ
言ってやめておけばよいものを、つい、護衛の人だの何だのと付け足してしまったか
ら、関係がばれちゃって」
「ま、まあ、言われてみれば確かにその通りでございますが……そもそもこれは実話と
は思えません。オチのためにわざと、脇が甘いよう描かれたのだと推測するのが妥当で
ございましょう」
「なるほどね。それならいいわ。教訓にもなるし。私も万が一、同じ立場に立たされた
とき、同じ失敗をやらかさないよう、対策を講じておかなくては」
「対策、と申しますと?」
「そうねえ、たとえばなんだけど、結婚を前提に付き合っている殿方がいるとしてよ。
その殿方のあそこには、何か特殊な工作を施していただくというのはどうかしら」
「工作……」
「ええ。今思い付いたのを言うと、蛍光色のイエローかピンクで、あそこをきれいに塗
ってもらうとかね。それなら間違いようがないし、他人とも区別が付く。加えて、ばら
ばらに吹き飛ばされても見付け易い。いいこと尽くしだわ、これ」
「……お相手の男性が亡くなるのが前提になっています、お嬢さま。決して、いいこと
尽くしではございません」
「……そうね」

 おしまい


※講談社現代新書の何とかという本で、考えオチの例として挙がっていた話を基に膨ら
ませました。今、その書籍が手元になく確認できないため、このような注釈になること
をご了承ください。




#523/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  22/11/04  17:26  (105)
アンブレラは近すぎる   永山
★内容
※何年か前に某小説投稿サイトにて催されたミニコンテストに投じ、あえなく落選した
ものです。テーマは「傘」でした。

=======================================
=


「いや、これはないわ〜」
 同居人の振分綸太郎《ふりわけりんたろう》が、いきなり声高に言った。
 僕は読んでいたミステリコミックのページから目線をずらし、声の方を見る。
 振分が背を丸め、中古の文机に寄り掛かるようにして、旧い型のパソコンの画面を覗
いている。
「何かあったの?」
「聞いてくれるか。ちょっと来てくれ」
 呼ばれた。面倒だな、漫画の続きを読みたいなと思ったものの、こちらから何かあっ
たのと聞いたからには、行かねばなるまい。僕はページを覚えてから漫画を閉じた。振
分の左後ろまで移動し、ちょこんと座る。
「いつもの投稿小説サイトだね」
「そうだ。が、その前に訂正しておくぞ。投稿小説サイトじゃない。小説投稿サイト
だ」
 どっちでもいいという訳にはいかないらしい。以前、理由を説明してもらった記憶が
ある。しかとは覚えていないが、蒸し返すのも時間の無駄なので、ここは流す。
「『ないわ〜』ってのは、何のことなのさ」
「今度のコンテストの募集要項が出てたのにさっき気付いたんだが」
 その投稿小、もとい、小説投稿サイトでは、割と頻繁にコンテストを催している。字
数制限は100〜8000とかなり短めで比較的気軽に挑戦でき、しかも賞金が出ると
あって、そこそこの盛況を誇っているようだ。
「今回のテーマは『アンブレラ』か。もう梅雨のシーズンだからね」
「それはいいんだ。季節に合わせたベタなテーマの方が考えやすくて、ありがたい。な
いと感じたのは、そこに載っている事例だ」
 このコンテストの募集要項には、作品内容の例として、三つか四つ、短い文で説明が
あるのが常である。
 今回は四つ。相合い傘、100均で買ったビニール傘といった言葉が見えた。
「四つの中のどれだい?」
「三つ目だ。『晴れの日も傘を持つ老人。その正体は、仕込み傘を得物に使う暗殺者』
とあるだろう」
「ああ。これがどうかした?」
「え? いやいやいやいや」
 そんなに意外そうな反応をされるとは。それこそ意外だよ。振分は僕の顔を見て、そ
の大きな右手(左手も大きいよ、もちろん)を左右に振りながら続けた。
「説明必要か? この事例はちょっと変だろう」
「うーん? そうかな。スパイ映画か何かのイメージとして、別におかしくないと思う
よ」
「何ともはや、情けない」
 天を仰ぎ、今度は大きな左手で目元を覆う振分。そのポーズを解くと、改めてパソコ
ン画面を指差した。
「おかしいじゃないか。暗殺者って目立っちゃいけない存在だよな」
「うん、そりゃそうだ」
「じゃ、晴れの日に傘を持つ行為は?」
「……目立つね」
「暗殺者がそんなリスクを負うかね? 言っておくが、殺し屋じゃないんだ。暗殺者だ
ぞ。その格から言って、殺し屋よりも凄腕でなければならないだろう。プロフェッショ
ナルに違いない」
 何か感情論入ってるけど、言わんとする気持ちは分かる。アマチュアの殺し屋ならま
だいそうだが、アマチュアの暗殺者となるとまずいまい。
「仕込み傘を得物にとあるから、傘が商売道具の凶器、武器だ。暗殺者ともあろう者
が、どうしてそんな下手な武器を好んで使うというんだ?」
「さあ……」
 適当に聞き流そうとしていた僕だったけど、ふと、閃いた事柄があった。ついつい、
言ってみた。
「日傘だったんじゃないか? 今や、日傘を差す男だっている時代だ」
「むぅ」
 唸って黙り込む振分。日傘説は想定していなかったらしい。
 が、静かになったのはほんの数秒だった。
「いやいやいや。やっぱりおかしいって。晴れの日も傘を持つ老人と明記してある。わ
ざわざこんなことを書くからには、これは特記すべき事項なのだということに他ならな
い」
「手短に頼むよ」
「要するに、晴れの日に持っていてはおかしい傘なのだ。それは断じて日傘ではあり得
ない、だろ?」
「まあ、確かに……日本語をロジカルに解釈するなら、そう受け取るべきかな」
 一旦そこまでは認めておき、僕は「だけど」と続けた。
「男性が快晴の日に傘を持ち歩いていてもちっともおかしくない、ごく当たり前に思え
る場所があるよね」
「うん? 場所だと」
 怪訝な顔をする振分。この表情が見たくて、ここまでの話の流れとちょっと違う方向
で攻めてみたんだ、僕は。
「飽くまでイメージだよ。頭をリセットして素直に考えたら、すぐに浮かぶはず」
「――あ、大英帝国の都、ロンドンか」
 日本人同士で話しているのだからイギリスのロンドンでいいじゃないかと思うんだけ
ど、振分には彼なりのこだわりがある。
「そう。僕らの持っているイギリス紳士のイメージは、どんな天気であろうと、きちっ
と折り目正しく畳んだ傘を持っている、そんな感じだよね」
「いかにも」
 ちなみに昔、クイズ番組の○×問題で「生粋のロンドン男性にとって傘はお洒落アイ
テムだから、たとえ雨が降ってきても傘を開くことは決していない。○か×か」ってな
感じのがあったっけ。
 答? もちろん×だよ。
「ということは、面白いな」
 振分が何故か満足げな笑みを浮かべている。うんうんと頷いてみせてから、
「『晴れの日も傘を持つ老人。その正体は、仕込み傘を得物に使う暗殺者』たったこれ
だけの短い文章から、この老人が大英帝国の紳士であることが読み取れた。しかもこの
光景はロンドンでなければならないから、場所もロンドンで決まりだ」
「いや。ちょっと異議があるな」
「どうしてだ?」
 また訝しげな表情をする振分。僕は飄々とした態度に務めた。
「場所はまあいいとしても、イギリス人である確証が果たしてあるかな? 厳密に表現
するのであれば、イギリス紳士もしくはイギリス紳士らしい外見を持つ人物とすべきだ
よ」
「なるほど」
 振分は納得したように大きく頷いた。
 だが、五秒後、少し悔しげに付け足した。
「厳密さを求めるのなら、イギリス紳士ではなく大英帝国紳士だ」

 終わり




#524/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  22/11/26  21:32  (  1)
名コックでも初恋の味は分からない?   寺嶋公香
★内容                                         23/04/30 10:04 修正 第3版
※都合により、一時的に非公開風状態にします。




#525/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  22/12/01  19:38  (  1)
塵が積もれば罪となる   永山
★内容                                         24/01/22 03:44 修正 第2版
※都合により、一時的に非公開風状態にします。




#526/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  22/12/15  20:56  (242)
透明なラブレター   寺嶋公香
★内容
 幼馴染みの紫藤夏望《しどうなつみ》が恋をしているのは明白だった。
 本人は隠しているつもりかもしれないが、隠し切れていない。少なくとも僕には分か
る。理屈じゃ説明不能だが、彼女の発する雰囲気がこれまでと大きく異なるようになっ
たのは、恋のせいに違いない。

 あ、自己紹介がまだだった。
 僕の名は名和育人《なわいくと》。高校二年生だ。初対面の人に名乗る際、“NAW
ANAWA”となる辺りをやや早口で言うと、結構受ける。
 話がいきなり脱線して申し訳ない。でも名前は大事なんだよ。言わなくても分かって
るだろうけど。

 紫藤夏望とは家が隣同士で、ずっと小さな頃からよく遊んだし、家の行き来もした。
さすがに高校に上がってからは減ってきたが、それでも学校ではよく話す。僕から彼女
へ、恋愛感情がゼロかと問われたら肯定しづらい。かといって好きで好きでたまらない
って訳でもない。ま、要するに仲のいい友達ってことで。

 さて、紫藤夏望が恋をしているのは確定として、相手は誰? しばらく“観察”を続
けていたら、程なくしてこれはという人物に行き当たった。
 同じ学年の加山徹《かやまとおる》じゃないかな。クラスは違うが、部活動が同じレ
クリエーション研究会。他の部員共々和気藹々とやっているのを、幾度か目撃した。外
見のイメージは、整った顔立ちで賢そう。こういうたとえで伝わるかどうか心許ないけ
れども、将棋の名人かクイズ王という雰囲気がある。実際、学業成績は上位一桁の常連
だ。
 ちなみにだが、レクリエーション研究会とはeスポーツと称される分野を除く、身体
を動かすゲームをまとめて扱う部だ。実際には裾野はもっと広く、ボードゲームやクイ
ズの類まで含む。昔、同研究会がオリジナルのゲームを考案し、商品化されたことがあ
るらしい。その実績が認められて、文化会系にしては珍しく、専用の部室を与えられて
いる。
 ちなみにツー。僕は弱小文芸部に所属し、好きなミステリを書いている。

 またあまり関係ないことに筆を割いてしまった。本題に戻す。
 当たりを付けてしばらく経ったある朝。登校してきた僕は、生徒昇降口を入ってすぐ
の下駄箱の一群から、加山徹のスペースを見付けた。探していたのではなく、何の気な
しに目に留まったって感じ。上履きがあるから、加山はまだ来ていないらしい。
 そして上履きの他に入っていた物が一つ。蝶々の形をした二つ折りの便せんで、“羽
”を少し開いていた。内側の直筆文字が見るともなしに見える。紛れもなく、紫藤夏望
の字だった。
 思わず目を凝らし、文章を読み取った。そんなに長くはない。『ロッカーの上の段
ボール箱の下に秘密の手紙を置いてくから、今日の放課後に読んでみてね。見付けられ
るかな? 紫藤』、これだけ。ハートマークの一つもないところを見ると、ラブラブの
イチャイチャって訳ではなさそう。だいたい、何を段ボールの下に置いたって? 秘密
の手紙とはラブレターのことじゃないのか。ラブレターなら最初からこうして下駄箱に
入れておけばいい。わざわざ蝶の便せんで予告し、二段階にする必要、ある?
 思わず、その場で考え込んだが、ぐずぐずしていたら加山が来るかもしれない。そっ
と離れるとしよう。無論、便せんはそのままで。

 少し時間が経って冷静に考えてみると、ゲームの一環なのかなと思えてきた。レクリ
エーション研究会の部員同士の、ちょっとしたゲーム。二人が恋人かそれに近い関係な
ら、多少ふざけた要素が入っていても問題あるまい。
 だからあんなおかしな文章になっているのかもしれない。どこがおかしいか、だっ
て? 「段ボール箱の下に置いた」とはっきり記しておきながら、「見付けられるか
な?」と続けているのは、どう考えたって不自然だ。絶対に何かある。
 そういえば……と、僕はここ数日の紫藤夏望の言動を思い起こしてみた。機嫌よく歌
を口ずさんでいることが増えていた。古い曲が多かったみたいだ。僕でも知っているの
は確か、KinKi Kidsにピンクレディーだっけ。曲名までは思い出せないので、
耳に残っているフレーズで検索してみる。……これは……共通点があると言えなくもな
い。イメージだけの薄い共通点だが。僕が知っているくらいだから当然だが、どちらも
相当有名な曲なんだな。
 それはさておき、いくつかの事柄が結び付いて、一つの絵が僕の脳裏に描けた。直感
通り、蝶の便せんや秘密の手紙やらが紫藤夏望の加山に仕掛けたゲームだとすると、僕
も一丁噛んでやるかな。弱小文芸図書部で一人、小説を書くのにも飽きが来ていたとこ
ろだ。刺激を求めて、ここは賭けに出てみよう。
 それには、加山徹にコンタクトを取らなくちゃならない。

             *           *

「加山君、話があるんだが時間、いいか」
 二時間目と三時間目の間の休み時間に、名和育人から廊下で声を掛けられ、加山は身
構えた。
「暇はあるけど、何かな」
 名和とは紫藤を通じて顔見知りではあるが、あくまでも顔見知りレベルであり、親し
い友達という感じではない。
「そう警戒するな。今朝、紫藤さんから“お手紙”もらってないか」
「……彼女から聞いたのか」
「いいや。家が隣のせいか、登校時間もだいたい同じになるんだよ。だから、紫藤さん
がこっそり入れるところを、ちらと見てしまった」
 なるほど。おかしくはない。
「中身も知っている」
「え、盗み見たのか」
「かみつきそうな目をするなって。不可抗力なんだよ。紫藤さんが立ち去ったあと、
蝶々が羽ばたいて飛んで行きそうになったから、つかまえて入れ直してやっただけ。そ
のとき、文章も目に入ってしまった」
「……それで、何が言いたい」
「レクリエーション研究会の部室って、鍵は誰が管理しているのかな」
「もちろん、顧問の三田《みた》先生だよ。必要なときに先生に言って、全教室の鍵の
保管ボックスから取り出してもらう。三田先生がご不在のときは、他の先生に頼む」
「仮に、部員ではない者、たとえば僕がその鍵を借りようとしたら、可能だろうか?」
「無理だね。部員の顔と名前を覚えているのは三田先生だけかもしれないが、他の先生
にしても部員名簿でチェックする決まりだ。仮に部員の誰かの生徒手帳を盗んだとして
も、顔写真付きだからばれる」
「へえ。加山君も割とミステリ頭をしているみたいだ。他人の生徒手帳を使うケースま
で想定するなんて、普通すぐには思い付かない」
「ミステリなら好きだからな。クイズに近いところがある。だからなんだ?」
「生徒でレクリエーション研究会部室の鍵を借りられるのは、所属している部員だけ、
と認識していいのかな」
「ああ。又貸しを考えに入れなければな」
「そうか、それがあったか。まあいい」
 独り言を口にした名和を前に、首を傾げた加山。
「用件は結局何?」
「推理小説書きの僕から、レクリエーション研究会への挑戦状だと思ってくれ。紫藤さ
んの置いたという秘密の手紙を、君は決して読むことはできない。何故なら、手紙は消
え去ったからだ」
「……レクリエーションゲームの一環ということか?」
「解釈は人それぞれだ。念のため言っておくと、紫藤さんの力を借りてはいないし、彼
女が借りてきた鍵を僕が密かに持ち出したなんてこともしていない」
「つまり、ミステリ的に表現すると、こうか、『密室状態の部室から、紫藤さんの置い
た手紙を持ち去り、再び鍵を掛けた。さてどうやってでしょう?』と」
「そういう状況設定なら、もっとスマートに短く表現できる。密室からの手紙消失、
だ」
 気取った調子で言った名和は、腕時計を見て「時間がなくなった。邪魔したね」とき
びすを返す。その背中に、追加の質問をぶつけた。
「待った。紫藤さんと相談してもいいのか?」
「ご自由に!」
 前を向いたまま、右手の平をひらひらと振り、名和は立ち去った。
 面白い。受けて立とうじゃないか。

 昼休みにも時間はあったが、加山は敢えて動かなかった。蝶の便せんで紫藤から指示
されていたように、放課後になって初めて部室に行ってみることに決めていた。それま
でに紫藤に接触することは考えなくもなかったが、もし彼女に話せば、その性格からし
てすぐに部室に行くと言い出す可能性が高い。そう判断して、黙っておいた。
 そもそも、今日は部の活動日ではない。
(だからこそ、紫藤さんは秘密の手紙を老田だなんて、茶目っ気のある遊びを仕掛けて
来たんだろう。他の部員が頻繁に出入りする状況では、さすがに控える。
 そういえば放課後になったら、紫藤さんも部室に来るのだろうか。秘密の手紙を見付
けてくれってニュアンスだが、僕が探し回るのをその場で見ていたいのか、それとも僕
が見付けた手紙を持って、彼女の家にでも届けるのか)
 その辺りのことを確認したい気持ちが沸き起こったが、顔を合わせると余計な話まで
してしまいそう。結局、放課後になるまで我慢した。

 そして迎えた放課後。
「実は今日の午前中に、名和君から挑戦されてさ」
 職員室に寄って鍵を借り出し、部室へと向かう道すがら、着いて来た紫藤に加山は事
の次第を聞いてもらった。
「――っていう成り行きになってるんだけど、紫藤さん、何か聞いてる?」
 説明が済み、問い掛ける。紫藤の反応は、左右に激しく首を振ることだった。
「全然知らなかった。あいつが勝手にやってるのよ」
「そうか。じゃあ、名和君も嘘は言ってないんだな。君が協力してないのなら、いよい
よ楽しみだ。どうやって不可能を可能にしたか」
「不可能を可能――」
「そうだよ。鍵の掛かった部屋、密室状態の部室から君の置いた手紙が消え失せている
と言うんだから」
「……あの」
「うん? 何」
 隣の紫藤を見ると、俯き気味になり、声も小さくなっている。
「言いにくいんだけど」
「はい?」
「あ、やっぱりいい。部室に着いてから話すね」
 おかしな空気を感じ取った加山。でもここでは追及せず、彼女の言う通りにすると決
めた。
 三分と経たぬ内に部室前に到着。他の教室と同じく横開きのドアには、間違いなく施
錠されている。通常の教室に比べればぐっと狭い部屋なので、廊下に面した窓の数は二
つだけ。そのいずれもがやはり内側から鍵を掛けられていた。
「あとは校庭側の窓だな。入ったらすぐに確かめよう」
 呟いてから鍵を使って解錠する。ドアを開け、中をざっと見渡した。部室内は、前回
最後に見たときと変わっていない様子だ。
「紫藤さんが手紙を置いたのは、今朝のことなんだよね?」
「え、ええ」
 彼女が先ほど言っていた話の続きをする様子はまだない。加山は残りの窓のチェック
をした。しっかりと施錠されており、ガラス自体にも小さな穴一つない。部室は完全な
密室状態にあったと言える。
「さて、ロッカーの上の段ボール箱、その下ってことだが」
 ロッカー前に立つと、手を伸ばしてまずは段ボール箱を下ろす。中には少量の冊子類
が入っているだけだから、たいして重くはない。床に置いて、いよいよ“秘密の手紙”
を手探りする。男子の中でも背の高い方の加山だが、そんな彼でもロッカーの上を直に
見ることはかなわない。
「紫藤さん、この高さによく届いたね。椅子を使ったんだ?」
「うん」
 天板を何度かぺしぺしと触っていると、指先に感触があった。
「おっ、あるみたいだ。何か拍子抜けだな」
 言いながらもまだ確信を持てないでいる加山。というのも、指に触れたのは紙ではな
く、ビニールのような肌触りに思えたから。とにもかくにも、その薄い何かを人差し指
と中指とで摘まみ、引っ張る。
「これは……」
 手にあったのは、封筒型をしたビニールだった。防水目的で実際の郵便に使われるこ
ともあるやつで、色はなく、無地の透明な代物である。宛名のシールもなかった。
「中身が消えたってことか?」
 つい、声が大きくなる加山。まさかここまで見事に、密室からの手紙消失をやっての
けるとは……感嘆して続きの言葉がない。
 と、そのとき、右袖に突っ張る感覚が。振り向くと、紫藤がいてくいくいと引っ張っ
ている。
「何、どうしたの」
「非常に言いにくいんだけど……ううん、先にこれを二人で見ろって言われていたか
ら、そうする」
 そう言いながら彼女がポケットから取り出したのは、白い紙を固く三角に結んだ物。
神社のおみくじみたいなそれはかなりきつく結んであるらしく、紫藤は手間取ってい
る。
「代わろう」
 加山は受け取ると、紙の両端を押し込むようにして、どうにかきれいに解くことに成
功した。紙はノートから破った物らしく、幾重にも折り畳まれており、開く手間がもど
かしい。
 完全に開いたところで、紙の左端を加山自身、右端を紫藤が持って底にある鉛筆書き
の文章に視線を落とした。

『加山徹&紫藤夏望へ
 挑戦に付き合ってくれて感謝する。今回の件は僕がいたずら心から起こしたものだ。
僕の読みが当たっているとしたら、手紙はロッカーの上にもどこにもないはずだが、ど
うだった? 以下、読みが当たったという前提で書くから、外れていたのなら大笑いし
てくれ。
 紫藤さん、君は最初から見えない手紙を置くつもりだった。言い換えるなら、まった
く何も置かないか、あるいは置いたとしても透明な何かだろう。蝶々の便せんにあった
「見付けられるかな?」という言い回しからそうにらんだんだけど、当たったかい?
 ではなぜ透明な手紙を置こうと思ったのか。単なる思い付きにしては奇妙だ。何らか
のメッセージが含まれているんじゃないか。そう考えた僕は、紫藤さんがここ数日、い
くつか歌を上機嫌で口ずさんでいたのを思い出したんだ。何の曲なのか全部は分からな
いけれども、一部は調べて分かった。「透明人間」と「硝子の少年」を歌っていたね?
 透明とガラスが被っていると言えなくもない。そういった歌を機嫌よく口ずさんだの
には、きっと理由がある。考えていると、はたと閃いた。透明を別の言い方をすると?
 そう、「透き通る」だ。
 加山君。紫藤さんが伝えたかったのはきっとこれだ。今さらかい!と僕なんか呆れて
しまったが、人の恋路を笑いはしないよ。恋路をちょっぴり邪魔した形にはなるだろう
が、そこはまあ、僕の嫉妬だとでも思ってくれていい。
 僕の挑戦はこれで終わり。月並みだけど、次のフレーズを贈ろう。お幸せに!
                                 名和育人よ
り』

 目を通し終えた加山は、またも首を捻った。最後のところで意味が分からなくなっ
た。
「ねえ、紫藤さん。これって」
 彼女なら分かるはずだと向き直ると、紫藤は顔を赤くしていた。
「大丈夫? 何か手が震えているが」
「大丈夫。あいつめ、ネタばらしするんなら、最後まできっちりやればいいのに」
「てことは、ここに書かれていることは、当たっているんだ?」
「う、うん。認めたくないけど、名和君に完全に先を読まれていた。密室からの手紙消
失だなんて、インチキもいいところ。本人は何もしてないんだから。ああ、失敗だっ
た。せめて歌を口ずさむのを我慢して、鼻歌で止めておけば」
 いや、そこはさして重要じゃないのでは。加山は思ったが、声に出してつっこみはし
なかった。
「それで最後のところが分からないんだ。紫藤さんが伝えたかったフレーズの意味っ
て? 透き通るは透き通るじゃないか?」
「やっぱり、簡単には分かんないものよね?」
「あ、ああ」
「だったら……もう少しだけ、考えてみてくれない?」
 彼女から頼まれたら、従わざるを得ない。元来、クイズ好きな加山は脳細胞をフル回
転させるつもりで集中した。
 フレーズを頭の中でリピートすること一分強、正解は急に舞い降りてきた。
「あ!」

   透き通る → すきとおる → 好き徹

 部室の二人は透明じゃなく、真っ赤になった。

 終




#527/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  23/01/02  19:57  (180)
初恋とは梅雨知らず   永山
★内容                                         23/06/30 02:29 修正 第2版
 これが恋なんだと初めて知ったのは一年以上前、中学二年生の春だった。
 タイトルそのままに初恋を歌ったあの曲を、もし仮に聴かないままでいたなら、今で
も恋だと知らなかったかもしれない。
 ――というわけで、僕は帰宅部にもかかわらず、今日も放課後の学校に残り、校庭を
走る、もとい、向かいの校舎二階の一室、確か視聴覚教室で何かを一生懸命書いている
(もしくは描いている)であろう彼女を探していた。
 ちなみに今日の天気は五月雨模様だが、その色は緑色ではなく、校舎の壁と同じ灰色
をしているように見える。
 そしてその雨のおかげで、僕は彼女の姿をはっきりとは捉えられずにいた。窓が閉め
られているから。ただでさえ、真向かいの校舎の教室は廊下があるせいで見えづらいと
いうのに、ガラス窓が一枚あるだけでもうどうしようもなくなる。せいぜい、シルエッ
トが確認できるかどうかといったところだ。
 それにしても今日は特に見えづらい。光の具合や角度がよくないのか、シルエットさ
えも判然としない。彼女は視聴覚教室のどこかにいるんだろうな、と想像することしか
できなかった。
 彼女――榊菜恵《さかきなえ》さんは月曜から金曜まで、何かしらの用事があって放
課後は向かいの校舎のどこかの教室で過ごすのが決まり事のようになっていた。
 月曜と木曜は委員会活動で一階の生徒会議室、今日火曜と金曜は古典文学研究会とい
うサークル活動で視聴覚教室、そして水曜日は女子友達のつながりから、映画研究会
(こちらは正式な部として認められている)に助っ人で関わっている。
 僕からすると榊さんは美人の部類に入るのだけれども、映画研究会での役割は女優で
はなく、お針子さん――要するに衣装などの製作だそうだ。納得が行かないと僕が憤慨
してもしょうがないと、頭では理解している。
 それでも林間学校の夜、男子みんなの雑談の最中、「女子の中で誰がいいか」という
話題になったとき、誰も榊さんの名前を出さなかったのには、理解に苦しんだ。どうし
て誰も榊さんのことをいいと思わないのだろう? よさに気付かないんだろう?って。
 だけど、あるときから考え方を切り替えた。榊さんのよさに気付いているのは僕だけ
だってね。すると今度は逆に、もう誰も気付くなよって思えてくるから、おかしなもの
だ。
 こんなこと言っている僕自身、いつ、どんな理由で彼女のことを好きになったのか、
覚えていない。いつの間にか好きになっていた。だからこそ、曲を聴くまで気が付かな
かったんだろうと思う。
 僕は自分が奥手だとは思っていなかったんだが、少なくとも好きになった相手に告白
する勇気は持てないでいる。この一年、ずっとだ。高校受験を意識せざるを得ない学年
になり、勉強に集中できるようにするためにも、思いを伝えてはっきりさせたい。そう
考えてはいるものの、実行に移せないでいる。断られてそのダメージが受験に響くと困
るとか、いい返事をもらえたらもらえたで舞い上がってしまい、やはり受験に悪い影響
が及ぶかもしれないとか、あれこれ理由を作り出して、先延ばしにしている。いや、本
気でそう思うんなら二年の内に告白しとけよって話になるんだけど、当時は当時で、別
の理由を捻り出して先延ばししていたんだ、うん。
 我ながら情けなくはあるんだが、今でも、こうして榊さんの姿を探し、見付けただけ
でもそれなりに満足するし、好きだと強く念じていればその内想いは伝わるんじゃない
かと空想している。ああ、さすがに榊さんの方から僕に告白してくる、なんて場面は考
えもしないけど。

 そんな雨の日から数日経った木曜日。僕はまたいつものごとく、榊さんの姿を探して
いた。天気は快晴とまでは言えずとも、雲が少し浮かぶ程度の堂々たる晴れ。夏が近付
くこの季節だし、窓は当然、開け放たれている。
 だから榊さんの姿を見付けるのは容易かった。彼女もまたいつものような、何か書き
物をしているようだ。古典文学研究会っていうのは、絵も扱うらしくて、視聴覚教室を
使うのはそれが理由だとか、噂で聞いた。会員は榊さんの他に下級生が二人か三人とい
うから、非常に小規模なサークルで歴史も浅いと言える。なのに視聴覚教室を貸し切り
で使えるのは、榊さんの交渉術の賜物なんだろう、きっと。
 僕はその日出された宿題をちょっとずつ片付けながら、ちらちらと彼女の様子を見て
いた。向かいの校舎とノートを交互に見ている感じだ。何度目かに顔を上げて横を向い
たとき、榊さんが席を立つのが見えた。珍しい。一時間なら一時間、ずっと座って作業
に没頭していることがほとんどだったのに。……トイレかな? だとしたら目で追っか
けるのはよそうなどと思いつつ、彼女の行き先が気になって結局目で追う。
 榊さんは隣の小部屋、コントロールルームに入った。何らかの映像を再生して、プロ
ジェクター投影するのかなと思ったが、違った。その小部屋のドアを開けて、廊下に出
て来た。あれ? どうして視聴覚教室から直接廊下に出なかったんだろう。小さな疑問
が好奇心を膨らませ、僕自身も席を立った。そうしないと、榊さんの姿を視界に捉えら
れなくなるからだ。
 窓から多少乗り出す格好になり、彼女の行き先を見定める。一階に向かったのは分か
った。敢えてコントロールルームから廊下に出たのが最短距離を行くためだとしたら、
目的地は……校舎裏にある体育倉庫? いや、そうとは言い切れない。目的地は校内に
限らないかもしれない。外に用があるとしたら、西門がある。
 考えていてもらちがあかない。僕も廊下に出た。しばらく目を離さざるを得なくなる
が、とりあえず一階を目指す。体育倉庫に行ってみて、そこにいなければ辺りを探して
みよう。

 先生に見付かったら怒られること必至の猛スピードで階段を駆け下り、校舎一階から
地面に踏み出したときには息が切れ切れになっていた。運動は苦手ではないが、ウォー
ミングアップなしでいきなりのダッシュはきつかった。
 その瞬間、幸運にも榊さんの後ろ姿を視界の端に捉えられた。僕と違って榊さんは走
らず、せいぜい早歩きくらいのスピードだったんだろう。それでも彼女はちょうど体育
倉庫の影に隠れるところだ。ここで離されたら、見失う恐れが高い。僕は気力を振り絞
り、なるべく音を立てないようにしながら、あとを追った。
 程なくして倉庫の角まで来て、折れた先をそろりと覗いてみる。と、いた。
 日中、ほとんど陽の差し込まないじめっとしたスペース。その突き当たりと言える奥
の方で、榊さんの姿を確認。僕は心の中でやったと叫ぶ。
 が、次に目を見張らされた。
 榊さんは人と待ち合わせをしていたと分かったのだ。そしてその相手が誰なのか、知
ったとき、僕は思わず声を上げそうになった。
 倉庫の壁にもたれていた身体を起こし、榊さんに片手を振ったのは先生だったのだ。
 河野孝二《こうのこうじ》先生。僕らが入学する直前に結婚した若い教師で、割と人
気がある。目鼻立ちのくっきりしたちょっと厳つい系の二枚目で、厳しいことは厳しい
けれども話が面白くて、教え方がうまい。名前が「こう・こう」となっているのは入り
婿だからで、結婚相手は社長令嬢だとかいう噂も耳にしたが、否定されないところを見
ると事実なんだろう。
 そんな二枚目既婚者が榊さんの何の用だろう……。
 僕は急に不安に襲われた。
 榊さんはどうしてここに来たんだ? 校内放送で呼び出されたんじゃあない。前もっ
て約束していたにしては、サークル活動中というのが変だ。恐らく、携帯端末を通じて
呼ばれたんじゃないだろうか。教師と生徒間で、携帯端末の類を用いて個人的にやり取
りするのは、校則で禁じられている……。
 僕は空つばを飲んでいた。まだ背中しか見えないから、榊さんのがどんな表情で先生
と相対しているのかは分からない。ただ、彼女の足取りは軽く、決していやがっている
ようには思えなかった。
 まさか。
 さっきから否応なしに膨らむ悪い想像。
 ついに榊さんは河野先生の隣に立ち、同じように倉庫の壁にもたれ掛かった。やっと
横顔が見えた。
 彼女は――笑っていた。楽しげに河野先生とおしゃべりを始めている。距離があるの
と、周囲から聞こえる運動部などの活動する音が騒がしいこともあり、二人の会話の内
容は、ちっとも耳に届かない。聞こえないだけに、僕の頭はか彼らの台詞を勝手に作っ
てしまう。それはどう転んでも、恋人同士のやり取りになった。
 そして榊さんの普段見られない楽しげな顔が、僕の妄想じみた想像を裏付ける。あん
な風に、きゃっきゃうふふとはしゃいだ雰囲気の彼女を目にするのは、これが初めてだ
った。
 校則違反だの不倫だのという考えはどこかに消えていた。河野先生を責める気持ちが
起きなかったのは、榊さんの立場を考慮したためかもしれない。
 僕はその場をそっと離れた。

 〜 〜 〜

 体育倉庫裏の目撃以来、僕は榊さんの姿を追うことをやめていた。知らなくていいこ
とまで知ってしまいそうだからという理由からだ。もちろん完全に断ち切るのは難し
く、彼女の行動を気にする気持ちは残っていた。なので、河野先生と榊さんが言葉を交
わす機会があれば、なるべく見届けてやろうという気構えでいたのだが……あまりにも
回数が少なく、何だか変だなと思い始めていた。二人きりでいる場面を見掛けるチャン
スは一度もなく、榊さんを含めた女子何人かと河野先生が話しているところを数度見た
くらい。しかも、そのときの榊さんと来たら、以前倉庫裏で見たのとほぼ同じ態度で、
河野先生に接するのだ。他の女子の目が気にならないのか? あるいは女子は全員、事
情を把握しており、知らんぷりをしてあげているのか? そういった疑問を抱えたま
ま、答を見出すことなく高校受験に挑んだ。

 “真実”を知ったのは、高校に無事合格し、もうすぐ卒業式だという頃だった。
 たいした用事もなく学校に来ていた僕はその帰り際、職員室前を通った。と、向こう
から榊さんが歩いてくるのが見えた。ほぼ同時に職員室から出て来たのが河野先生。僕
は足を止め、柱の陰に隠れるようにしてから聞き耳を立てた。
「河野センセ、まただって? 切れ目ほとんどなしじゃない」
 弾んだ声で榊さんがなにやら問うと、先生の方は後頭部に片手をやり、気恥ずかしげ
に表情を歪めた。
「あんまり言ってくれるなよな。もう他の先生には知れ渡っているんだからいいとして
も、生徒の間で言い触らされるのは多少ばつが悪い」
「何でよ? 社会貢献だから胸を張れると言ってなかったっけ」
「言ったが、あれは受け狙いで。まあ、幸いにも卒業してくれるから、からかわれるの
もほんの短い間で済むよな」
「じゃあそうならないよう、高校に行ってからも私が噂を流してあげよう。先生に二人
目の子供ができるってことを」
「やめてくれ。日数を計算すれば分かるだろ。受験シーズンに被り気味なのは、外聞が
悪いんだ」
 ええ? 河野先生に二人目の子供?
 そういえば一人目が生まれたと聞いたのが去年だったっけ。それに二人目が生まれた
ってことは、先生と社長令嬢の奥さんは仲睦まじいまま?
「あれ? 霜倉《しもくら》君?」
 榊さんの声が僕の名を呼んだ。しまった。二人の目の子供が生まれたという話を聞い
て、驚きのあまり驚きが本当の声になっていたみたい。僕は鼻の頭をこすりながら、柱
の陰を離れた。
「ごめん、何か聞こえてしまって」
「そうなんだ? じゃあ、分かるよね? 一緒に噂を流そう!」
「は、はあ?」
 こうして榊さんと踏み込んだ話をするのはこれが初めてで、僕は物凄く戸惑い、緊張
し、そして嬉しさも感じていた。
「あれ。ノリが悪い。霜倉君て、うちの兄貴に目を付けられていたかしら?」
「……兄貴?」
 しゃっくりみたいな口調で僕は聞き返した。榊さんは何を今さらと、呆れ顔で付け足
した。
「そうよ。知らなかった? 河野先生は私の兄。とあるお嬢さまと結婚して、榊から河
野に変わったけれども、私とは正真正銘、実の兄妹だよ」
「ていうことは」
 ほぼ無意識の内に榊さん、先生の順に指差した僕は、続けて聞く。
「二人がこそこそ会っていたように見えたのも、携帯端末でやり取りするのが許されて
いたのも……」
「兄と妹だから、だね。って、やだわ、霜倉君。そんなことどうして知っているの」
「それは……」
 答に窮しつつ、僕は別のことでも辻褄が合うのを理解した。僕以外の男子はきっと、
榊さんが河野先生の妹だと知っていて、だから好きな女子の候補に榊さんの名を出さな
かったんだろう。先生の目があると付き合いづらいと考えたに違いない。
 弱小サークルなのに視聴覚教室を思いっ切り使えたのも、榊さんが先生の妹だから
か。先生の奥さんの家が大金持ちなら、学校にいっぱい寄付するだろう……ってこれは
邪推になるけれども。
「霜倉君、何か隠しごとがあるのなら、正直に白状した方が身のためだぞ。我が妹は大
人しい外見に反して、非常に鋭いところがあるんだよ」
 河野先生が笑いながら言った。先生自身へ向いていた矛先をかわすためかもしれない
が、おかげで僕はきっかけを掴めた。
「分かりました。――榊さん、実は僕、榊さんのことが」

 終わり




#528/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  23/01/14  20:54  (111)
混ぜご飯最強を決めようじゃないか   永山
★内容
 ――てな訳でちょうど一ヶ月前の放送で募集を掛けました『最強のオリジナル混ぜご
飯決定戦』のお題に対し、リスナーの皆々様から送られてきたのは何と総数4000と
んで1。とびすぎやねん!というか端数1って!等という突っ込みはさておき、ネット
時代にわざわざ葉書で、4001もの料理を書いて送ってくださり、感謝感激雨霰! 
ありがとうございまっす。
 募集を掛けたときに説明したので繰り返しになるけれども、ビギナー各位のためにも
う一度言うよ。大事なことなので。
 送ってくれた4001のメニューすべてに目を通し、僕を含めた我がRANGSスタ
ッフの独断と偏見、あと面白いのがあればそいつも入れて七通、ていうか七つの混ぜご
飯を選出。今回順不同で発表するから、リスナーのみんなはどれが一番美味しそうに聞
こえたか、一番食べたいと思ったかを投票してくださいまし。締め切りは二週間後の三
月十四日消印有効。そう、投票も葉書でのみ受け付けるから、間違えないように。
 それでは早速、選りすぐりの七品を紹介、と行きたいところなんだが、最初にちょっ
とだけ苦言を。まあこれは僕の言い方のせいでもあるから、反省しきりなんだけれど
も、とりあえず自分のことは棚上げするから、お許しを。募集のときに、僕が「単純に
混ぜご飯、五目ご飯の類に限ると狭い気がする。だから、もっと幅広い意味で捉えてく
れてもいいことにしようか」と、こんなこと言った。ここで止めておけばよかったのか
もと、後悔してるんだよね。このあと僕はこう付け足してしまった。
「たとえば、天丼とカツ丼のカップリングとか、ケチャップライスのお茶漬けとか」
 で、集まったメニューの半分近くが、この手の合わせ技で占められていて、少なから
ずびっくり。しかも、ケチャップライスのお茶漬けを受け狙いと解釈したんだろうな、
大喜利的なのが結構あって、それはいいとしてもまずそうなのには参ったな。送られて
きた中から二つだけ、よくない例を挙げておく。あ、飽くまでも今回のお題には不適だ
ったってことであり、けなしてるんじゃないのよ。僕の言い方も悪かったと自戒を込め
てだから。
 えっと、どちらもこじらせた感じがしてね、捻ろうという精神は好きなんだけどね。
一つ目は『米粉パンでビーフンを挟んだサンドイッチ』。確かに米を原料とした食材の
組み合わせだけれど、混ぜご飯とは呼べないよ、さすがに。二つ目、『スライスチーズ
ライス』。一見、どこが混ぜご飯なんだ?となるでしょ。ライスが二つ含まれているか
ら混ぜご飯、という趣旨だよね。言葉遊びは他のコーナーがあるから、そちらでお願い
します。ああ、二人ともラジオネームは伏せますので、あしからず。
 そうそう、選出した七傑についても、ラジオネームは現時点では明かさないことにす
る。ないと思いたいけど、投稿者の人気で順位が決まったらつまらないでしょ。だから
名前を明かすのは、三週間後の結果発表のときになる予定。
 さあ、やっと発表だ。重ねて言うと、読み上げる順番は善し悪しとは無関係だから。
到着した順になってる。ネタが被ったときは最初に来た葉書を有効にするって言っちゃ
ったから、手間を掛けて可能な限り分けたんだ。あと、発表は料理名、料理の簡単な説
明を続けてしゃべるからよく聞くように。
 では一つ目。実はまったく同じあるいは類似のネタがいくつか来たんだけど、美味し
そうだから外せなかった。『鶏一族の集会:親子丼とチキンカツカレーのハーフ&ハー
フ』。鶏肉で揃えようという心配りを買った。なお、『カツ丼とカツカレー』という組
み合わせも多数集まったが、チキンの方が早かったので、ポークは落選とさせてもらい
ました。
 二つ目。一転して、普通の混ぜご飯寄りのメニューだ。『キノコのタマ:味付け濃い
めのきのこの炊き込みご飯にそぼろを混ぜ、さらに温泉玉子一つを落とす』。個人的に
はどんぶりのイメージが浮かんだけど、うまそう。
 三つ目。次は料理名だけ先に言うよ。ちょっと説明がいると思うんで。米米と書いて
マイマイと読ませる、『米米倶楽部』。倶楽部は漢字表記だ。で、肝心の内容だが『コ
シヒカリとササニシキを混ぜて炊く』これだけ。実際にやってみたら、どうなるんだ
ろ? お米の持ち味や特徴がぶつかって、足を引っ張り合う可能性なきにしもあらずか
な。お金と時間のある人は試してみて。とりあえず、くすっと来たので選出。
 四つ目も名前の説明から。こじらせ系に分類できるんだけれども、ぎり、美味しそう
でもあったので。牛に結ぶと書いてもーむす。『牛結:牛肉のサイコロステーキとミニ
サイズのおむすびを混ぜる』。ネーミングのネタありきなのは間違いないんだけど、一
回は試してみたい気がしないでもなしってことで。ソースに関する言及がないんだけ
ど、まあかけなきゃ食べられないだろうな。
 五つ目。『猫のまんま:削り節、錦糸玉子、海苔などで白ご飯の上に猫を描く。ぐち
ゃぐちゃに混ぜて食す』。料理の内容がだいぶこちらに投げっぱなしなんだけど、名称
は悪くないし、添えられたイラストがよかった。曖昧に言うけど、お椀に入れた白ご飯
の上に描かれているのが単なる猫じゃなくて、猫系の有名人気キャラクター二つの顔。
キャラ弁との違いは?と問い詰めたいところではあるけれども、小さな子供受けは間違
いなし。実際に作るとなったら、赤は紅ショウガとして、青は食紅だと芸がないから、
ソーダ味のアイスバーか?
 えー、次で六つ目? 『狐と狸の化かし合い:刻んだ油揚げと揚げ玉をふんだんに使
って混ぜる。めんつゆのお出汁で味変も』。これも似たアイディアは多かったんです
が、出汁茶漬けによる味変がポイント。きつねうどんやたぬきそばからの連想なんだろ
うけど、出汁茶漬けまで思い至る人は意外と少なかった。
 ラスト、七つ目ー。料理名だけ先に言うと『らいす・ぼうる』、全部平仮名ね。これ
はある意味、ご飯物の究極かなあ。個人的には美味しそうとは思わないかもなんだけ
ど、それでも感心したっていうか。と、内容を言わずに勿体ぶったのは、長くなるから
でして。では改めて発表をば。『らいす・ぼうる:――」

             *          *

<――では改めて発表をば。『らいす・ぼうる:――>
「ん?」
 不意に音が途切れて、そのままラジオが沈黙を続ける。
 リスナーの一人、米田《よねだ》は左手前の筺体を指先でとんとん叩いてみたが、無
音のままである。つまみを少し捻って調整を試みるも、効果はなし。かえって雑音が入
り、大きくなった。
 ちぇ。
 米田は舌打ちして、独り言を口にする。
「古いやつだから、もうだめかもうだめかと思いつつ使ってきたけれども、何も選りに
選って、こんなタイミングかよ〜。電波の具合、この辺で悪くなるなんてこと、これま
でになかったもんな」
 ハンドルに手を添えたまま、フロントガラス越しに少々空を窺う。山の稜線に這わせ
る心地で目線を動かしてみたが、飛行機などが飛んでいて受信の邪魔になっている、な
んてことはなさそうだ。あきらめ気分で視線を戻し、独り言に舞い戻る。
「ったく、全候補を聞いた上でないと、投票しにくいんですけど。ホームページに候補
メニューの内容、全部載せてくれればいいんだが、この番組、妙に時代に逆行すること
やりたがるしなあ。メールで応募できないとか。ま、そこがいい、気に入ってる連中も
多い訳で」
 それからもぶつぶつと愚痴をこぼしていた米田だったが、ふとした瞬間に、ラジオが
音を出し始めたので、びっくりした。
「あれ? 調子が悪かっただけか。それか、今日に限って妨害電波的な何かが……」
 口をつぐんだのは、ラジオの伝える内容がまだ先ほどのコーナーだと気付いたから。
耳をすませた。
<――とまあ、こんな風に八十八の具を用い、八十八の手間を掛けた混ぜご飯なんだ
な。ひょっとしたら知らない人もいるかもしれないので敢えて注釈しておくと、八十八
手という表現にエロい意味はない。米が取れるようになるまで、八十八の手間が掛かる
って話だから間違えないように。
 さあ、やっと候補が出揃った。改めて投票について説明をすると>
 何だ、これでは何も分からないじゃないか。米田は肩を上下させて嘆息した。
「八十八の手間を掛けた八十八種類の具の入った五目ご飯て、どんなんだよ? 八十八
目ご飯じゃないの? 八十八も具は思い付かない……」
 想像だけが膨らみ、やたらと豪華な混ぜご飯が脳裏のスクリーンに映し出される。
「ああ、もうっ」
 もう少し行けばサービスエリアがある。そこに入って駐車したら、すぐにネット検索
して調べよう。きっとどこかで、誰かが書き込んでいるはずだよね。

 おし米《まい》




#529/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  23/02/04  17:05  (139)
走らせたのは誰?   永山
★内容
 うーん、もうネタ切れだなあ。君に合う面白い話なんて、そうそう持っていないよ。
年齢差を考えてもらいたいね。
 かといって、ここで白旗を掲げて、次の一杯をおごるのは癪だな。
 え? 作り話でもいいって? それはありがたい譲歩だが、私は嘘をつくのが苦手で
ねえ。嘘を考えるのは得意なつもりなんだが、しゃべりが下手で。話している内に顔に
出てしまう。場をしらけさせるのは避けたい。
 ……そうだな。事実に基づいた話に、嘘をたっぷりと塗りたくる、これなら行けるか
もしれない。根っこに事実があるんだという自信があれば顔に出ないことを願おう。
 ちょっと考えてみるが、その前に確認しておきたい。君は中国ドラマ、特に『項羽《
こうう》と劉邦《りゅうほう》』や『三国志』が好きなんだよな? うん、それはよか
った。

 さて、準備はできた。思い出しながら話すところもあるので、つっかえつっかえにな
るかもしれないが、ご静聴してくれたらありがたい。

 今から話す出来事を私が体験したのは、かれこれ三、四十年ほど前になるかな。はっ
きり覚えてはないが、調べればじきに分かる。何しろ、親友が結婚する前夜のことだっ
たんでね。
 ああ、もちろん男友達だ。彼の独身最後の夜、ぱーっと盛り上がろうぜという集まり
だった。
 大昔のことだから、今風の言い方、バチェラーパーティとかを意識したんじゃなく、
大勢で集まって、馬鹿騒ぎして楽しもうぜというのりだった。男だけじゃなく、女友達
もいたし。そいつ――親友の結婚相手はさすがに呼ばなかったけど。
 そいつの家で飲み食いして、ビデオで映画観て、音楽掛けて、ゲームもしたかな。テ
レビゲームじゃなくて、ビリヤード。ああ、結婚するそいつは裕福でね。家に当たり前
みたいにビリヤード台を置いていた。他にもバスケットのゴールがあったり、卓球台も
あったり、水上バイクも所有していたな。
 散々遊んだ挙げ句、みんな寝ちまったのが午後十一時頃だったと思う。そりゃあ翌日
が結婚式と披露宴で私らも呼ばれてんだから、これでも割と早めに寝たつもりだよ。

 で、午前三時過ぎに目が覚めた。正確には、起こされたんだ。えっと、名前を出すの
は念のため、やめとこう。どうせ時効だけど、一応な。
 仮の名前として、結婚する奴が佐藤《さとう》、前夜のパーティに呼ばれていたのは
男が田中《たなか》、高橋《たかはし》、私。女友達が栄子《えいこ》と愛子《あいこ
》としておこう。私を起こしたのは、高橋の奴で顔が緊張で強ばっていた。訳を聞いて
も、とにかく来てくれの一点張り。ビリヤードなんかのある地下の部屋に行くと、愛子
が死んでいた。変な角度に首が曲がっていた。
 どこか高いところから落ちて、首を折ったみたいに見えた。でも、その部屋にそんな
高さを稼げる場所はない。ビリヤード台の上に立って、天井からぶら下がる傘付きの照
明器具にしがみついてよじ登ったって、三メートルもない。そこから落ちて、首の骨を
折って死ぬなんて考えにくい。だいたい、愛子がそんな奇妙な行動を取る理由がない。
もちろん、自殺だとしてもおかしい。自殺の動機もないし、死を選ぶには方法が不確実
に過ぎる。
 そんな状況だったから、みんな口には出さないでいたけれども、思っていたに違いな
いね。これは殺人? 誰が殺した?って。

 そして田中が本当に言い出した。誰がこんなことをしたんだと。田中は愛子と仲がよ
くて、恋人に近い関係だったからね。少なくとも仲間はみんなそう認識していたはず。
だから田中が疑問を呈して喚くのは納得だ。
 矛先が向けられたのは、佐藤と高橋だ。愛子は結構移り気で、田中と親密になる前
は、高橋と、そのまた前は佐藤と付き合っていたんだ。喧嘩別れって訳じゃなく、自然
消滅でもなく、発展的解消って感じで別れるから、別れたあとも友達付き合いは問題な
く続けられたらしい。
 きれいに別れてるんだから、殺害動機なんて存在しないと思うわな、普通。けど、田
中が納得できないのも道理ってものだ。田中は二人に詰め寄った。もちろん、物証なん
てないから、感情的な攻撃一辺倒だ。田中が特に責めたのが佐藤で、明日――日付は変
わってたがな――結婚するおまえは、何かまずいことを愛子に掴まれていて脅された
か、愛子から新婦にそのまずいことを吹き込まれるのを恐れた、だから口封じに殺した
んだろうとか何とか。
 当然、佐藤も高橋も否定。ただし、疑われた方もアリバイなんかがある訳じゃなく、
感情論で訴えるしかなかった。不毛なやり取りが続いた。

 やがて、高橋が強烈な反撃をした。動機だったら田中、おまえにもあるんじゃないの
かと。恋人付き合いしている田中には思い当たる節があったらしく、一瞬詰まった。そ
こを高橋が一気に攻め返す。大学時代に田中は、ある絶対に必要な単位を体調不良で落
としそうになって、救済テストでもやばそうだったから、カンニングをしたという。愛
子がその手伝いをしたんだと。
 田中はそのパーティの時点で一流企業のエリートコースに乗っていたから、大学時代
のカンニングでもばれるとまずいことになりかねない。大人しくなったよ。何よりも、
愛子がカンニングの件を高橋に話していたのがショックだったみたいだ。
 そこから潮目が変わった。佐藤が主導権を取った。
 といっても偉そうに上から物申したんじゃない。切々と訴えたんだ。
“自分は結婚するんだよ。こんなタイミングで、殺しなんてするものか。たとえ犯人と
して捕まらなくたって、警察に事情を聞かれるのは確実。式も披露宴も、新婚旅行も何
もかもパーになってしまう。二人の家族や親戚、いや、招待した全員に顔向けできない
じゃないか。縁起が悪いとかどうとか言われて、結婚そのものが壊れるかもしれない。
だから、どうかお願いだ。提案を飲んでもらいたい”ってね。

 その提案が、愛子の死をずらすというものだった。
 具体的にはまず、死んだ場所を地下室ではなく、近くの湖に面した断崖にする。当
然、他殺じゃなく自殺か事故死だ。
 警察への通報も遅らせる。二日、いや三日、遅らせよう。彼女が披露宴に来なかった
ことを妙に思わなかったのかと聞かれるかもしれないが、なんとでも理由付けできるだ
ろう。
 高橋と田中は割と早くに提案を受け入れた。私も面倒ごとはごめんだと思っていた
し、他殺かどうかはっきりしないんだから、いいんじゃないかと考えた。すぐに賛成し
なかったのは、この件を後々活かせるんじゃないかという計算を働かせていたからに過
ぎない。
 ただ一人、栄子だけは最初、反対を唱えた。真実は明らかにすべきだと。
 ところで言ってなかったけれども、栄子は私の身内でね。詳しい関係は隠すけど、私
の言うことなら聞くんだ。だから私は説得役を買って出た。それでまあ、うまく行っ
た。

 お金が動いたかどうかは、想像に任せる。
 ただ、その後……何年後だったか忘れたけれども、佐藤は病気でこの世を去ってしま
い、協力した私らはさほど美味しい目は見られずじまい。田中はそれよりも早く、海外
赴任から一時帰国した矢先に交通事故で命を落としていた。まあ、田中からカンニング
をネタにしてお金を引き出すつもりはなかったがね。高橋とは早々に音信不通になっ
て、今もどこで何をしているのか知らない。やはり早死にしたとも噂に聞く。
 こんな訳で、私は全くの善人という訳ではないが、それでもこの年齢になると、時々
波が襲ってくるんだ。あのときの真相は何だったのか、無性に知りたくなる波がね。
 思うんだが、愛子の死はやっぱり殺人で、殺したのは佐藤なんじゃないかなあ。
 最終的に場をコントロールしたのは佐藤だし、田中のカンニングの件を高橋が知って
いたということは、佐藤も以前から知っていた可能性が高い。愛子をあの場で殺して
も、田中の暴走を食い止められると踏んでいた。
 佐藤からすれば私は計算高い奴で、いざとなればお金で解決可能と見なされていたろ
うし、その身内の栄子の対応は私にやらせればいい。問題があるとしたら、高橋が田中
と組んで佐藤を責めるパターンだが、これも恐らくはないと予想できる。田中の矛先が
最初に向くのは、愛子の前の彼氏である高橋になるのはほぼ確実。高橋はプライドが高
く、一度疑ってきた相手と簡単に手を結ぶタイプではない。
 こうして、佐藤は結婚前夜という条件も含めて、前もって制御可能な状況を作り出し
た上で、愛子を始末したのではないか。そう思えてならないんだ。
 思い返してみれば、結婚前夜のパーティをやろうと言い出したのも、当の佐藤からだ
ったな。普通、悪友の誰かが言い出すものじゃないのかねえ。

 え?
 なかなか悪くない話だったけれども、最初に聞いてきた『三国志』云々てのとどうつ
ながるんだって?
 そうか、やっぱり言わないと分からんよな。
 当時、提案に従って偽装工作をやっている最中、確か佐藤が呟いたんだ。
「死せる孔明、生ける仲達を走らす、か」
 確かに、愛子が佐藤を困らせるために自殺したんだとしたら、なかなか言い得て妙
だ。佐藤だけでなく、私ら友人まで走り回された。

 だがね。
 もしも愛子の死が佐藤の仕業だとしたら、「死せる孔明、生ける仲達を走らす」では
ないわな。
「生ける仲達、死せる孔明を利して曹叡《そうえい》を走らす」ぐらいか。あんまり詳
しくないので人名は適当だが。

 それよりもその後に起きた田中や高橋の早死には、別の諺を思い起こさせるじゃない
か。
 劉邦に仕えた韓信《かんしん》が遺したとされる言葉だったか、
「狡兎死して走狗煮らる」
 これの方がぴったりだ。
 私が今こうして君らと酒を酌み交わせるのは、佐藤が病死してくれたおかげかもしれ
ないね。

 終




#530/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  23/02/06  20:44  (101)
彼女の声はそのままに   永山
★内容
 夢を見ているんだってことにはすぐに気が付いた。

 物置からVHSのビデオデッキが出て来て、まだ使えるかどうか試してみようという
ことになった。
 まず、電源は入った。第一関門クリア。
 VHSのビデオテープは別のところから出て来た。再生してみて、再生や早送りを試
して、次に録画を試そう。でも保管しておきたいような録画内容だったら、録画はテス
トせずに別のテープにしよう。
 その前に、ビデオデッキをテレビとつなぐ配線の仕方を忘れていたから、説明書を見
ようと思った。けど、説明書なんかもうとっくにどこかに行ってしまっていて。
 仕方がないので必死になって思い出し、目をこすりこすり、赤色と黄色と白色のコー
ド三本を確認しながらつなげた。
 ビデオテープは何本かあった。その中から、レーベルは貼ってあるけど無記入で白い
ままの物を入れてみる。再生ボタンを押すと、うぃん、きゅるるという感じの音がし
て、再生が始まった。
 最初は白い画が続いたが三十秒ほどして、壁に掛かる黒板が映し出された。トラッキ
ングの調整をする必要なしに、きれいな画像が流れる。
 見覚えのある光景だと感じる。まあ、昔通った学校の教室は、どこも似たような作り
になっていたけれども。
 と、画面に突然、人が現れた。セーラー服を着た女子中学生。知っている人だ。
 海川咲那《うみかわさな》さん。
 クラスメイトで、僕の好きな人。
 ああ、思い出した。中二のときのホワイトデーに、僕は海川さんに告白したんだ。バ
レンタインデーにチョコをもらったわけでもないのに。
 返事は……どうだったっけ。
 思い出そうとしている内に、テレビの中の海川さんが話し始めた。口を開こうとして
やめて、緊張の面持ちが一瞬あって、次にはにかんだような笑み。やっと本当に喋り出
した。
「はい。えっと、三田島《みたじま》君。お手紙読みました。あ、プレゼントもありが
とう。でも、今は手紙のことだよね。告白、とても嬉しかったです。でも、あの場です
ぐに返事するのは恥ずかしいので、こういう風にしました。ビデオレターです。自分一
人だと録れないので、友達のあやちゃん――浪江《なみえ》さんに手伝ってもらってい
ます。カメラマンとして撮影しようとした浪江さんだけど、いられると私がどうしても
緊張するので、お願いして席を外してもらいました。だから、この返事は誰も知らない
です」
 話を聞いている内に、僕の記憶も甦った。ホワイトデーに僕が無謀な告白をして、そ
の場では返事できないからと言われて、もう一度会う約束をしたんだった。一週間ある
かないかの間隔を空けて、学校の外で会ったはず。
 そうそう。電車に乗った。映画を観に行く予定だったっけ。もうこれデートだ!って
心の中で有頂天になった覚えが……。
 ビデオで遠寺をもらうというのは、電車に乗る前に言われた気がする。先に言ってお
かないと渡すのを忘れるかもしれないからって。返事が気になったんだよなあ。
 ……あれ? 返事を聞いた記憶がない。
 忘れているんだろうか。あんなにいい雰囲気だったのに、断られたんだろうか。いや
いや、そんな記憶すら欠片もない。
 僕は画面に集中した。
「テープは120分。5分ぐらいで終わらせるのは勿体ないかもしれないけど、もうが
んばっても引っ張れないので、覚悟を決めて思い切ります」
 改めて背筋を伸ばす海川さん。一度下を向いて、三秒ぐらいで再び起こす。
「三田島君、私は――」
 いよいよ答が聞ける。そう思った瞬間に、爆音が空から轟いた。飛行機だ。びりびり
と空気の震える感覚があって、テレビからの音声はまるで聞こえなくなる。耳に手を当
ててみたけど、効果なし。
 飛行機が飛び去って静かになったときには、テレビ画面から海川さんはいなくなり、
黒板だけを映していた。
 なんだよと僕は鼻息を荒くしたが、怒ってもしょうがない。ため息を一つついてか
ら、リモコンを手に取った。巻き戻してもう一度見よう。
 ビデオデッキにリモコンを向けてボタンを押す。ちゃんと利いた。画面に白い横線が
幾本か入り、カウンターの数字が減っていく。じきに、海川さんが横歩き戻って来た。
そろそろだと判断し、巻き戻し再生を解除。
 うん?
 違う……映像が違う。さっき見たのから変わっている!
 巻き戻したのに、あの返事の場面がなくなっている。何でだ?
 海川さんの返事の中身を知ることは、永遠に不可能?
 混乱していた僕だったが、やがてはたと気付いた。

 今の僕は夢を見ているんだった。
 ビデオを巻き戻しても、同じ場面がどうしても再生されないのは、僕が彼女からの返
事の内容を知らないからだ、きっと。
 そういえば、そもそもこのビデオレター、これまでに再生したことあったかな?

           *           *

「先生。反応が続いています」
「そうか。彼女よりも一日遅れぐらいだが、三田島君にも効果が現れてきたな。よしよ
し」
「笑ったような表情は、今までにもまれに見られましたが、しかめたり、ちょっと怒っ
たみたいな顔つきは初めてです。それが連続して出ています」
「脳波の観測によると、夢を見ているようだ。昨日の海川さんと同じだ。損傷を受けた
箇所が再生され、元通りに機能し始めた証拠と言える」
「このままうまく目覚めてくれるといいんですけど」
「うむ。無理矢理起こすのがよくない結果を生みがちなのは、これまでの臨床データで
――っと、目を開きかけているようだよ」
「ほんと。まぶたがぴくぴくしている」
「よし、過剰な刺激を与えぬよう、静かにするとしよう」

 三田島|恒彦《つねひこ》と海川咲那は、ホワイトデーから六日後、一緒に乗った電
車内で事件に巻き込まれた。
 人が吸うと神経に悪影響を及ぼし、最悪死に至るという猛毒のガスが撒かれたのだ。
 被害者数は四桁を数え、死者も多数出た。ガスを吸った人達の中には、命を取り留め
るも、成長が極端に遅くなり、“眠れる森の美女”のような状態に陥った者がいた。脳
に深刻なダメージを受けた恐れもあり、回復はほぼ絶望視されたが、医者や家族ら周り
の者の尽力で、彼ら彼女らは生きた。
 そして。時が積み重ねられる内に、研究者や医者らのたゆまぬ研鑽により、再生医療
の新しい技術が確立。患者は文字通りの生還を果たすようになった。

「それでは先生。ビデオテープから取ったこの音声も止めた方がよろしいんでしょう
か」
「いや、彼女の声はそのままに」

 おわり




#531/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  23/02/23  21:02  (  1)
ライクアタック殺人事件   永山
★内容                                         23/02/28 21:40 修正 第2版
※都合により、一時的に非公開風状態にします。




#532/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  23/03/01  19:49  (117)
その時間なら異世界に   永山
★内容
「三月九日の午後一時から三時まで、何をしていたか教えてくださいって、さっきから
言ってるんですがね。何度も何度も」
 刑事の定岡《さだおか》は片方の眉を吊り上げてみせ、取り調べの相手を軽く威嚇す
る。
「それをどうして何にも答えてくれないんですかっ、磯崎《いそざき》さん?」
 机を挟んで窓側に座っているのは、磯崎|廉也《れんや》。三十になるサラリーマン
で、ゲーム好きが高じて、ゲーム雑誌専門の出版社に就職。問題の九日は土曜で、会社
は休みだった。
 事件の方は殺人で、被害者は勝倉満里奈《かつくらまりな》。旦那はいるが、子供は
なし。磯崎と浮気していた痕跡が、死後の調べて多々見付かっている。磯崎とは中学高
校と同じ学校に通い、クラスも何度か同じになっており、ある程度親しかった。高校卒
業以来添えになっていたが、オンラインゲームの世界でばったり再会、焼けぼっくいで
はなく、このとき初めて恋愛感情が芽生えたらしい。
 生前、浮気は露見しておらず、独身の磯崎が既婚者の勝倉を殺害する動機がいまいち
弱いが、独占欲という見込みで捜査は進められている。
「何もね、あんた、アリバイと一緒に証人もセットで示せと言ってるんじゃないんだ
よ。そこんとこ分かってる? 一人でいたとしたって、何か言えるでしょうが」
「……」
「寝てたとか、他の旦那持ち女と遊んでいたとか、一人でゲームしてたとか、何かある
だろうよ! い・そ・ざ・き・さ・ん!?」
 思わず手が出そうになったふりをして、机をばんと叩いてやった。
 びくりとした磯崎は、おびえの色がありありと浮かぶ目で、定岡刑事を見返してき
た。そしてぼそぼそした声で何か言った。
「はあ? 何か言いましたか? 聞こえるように言ってください、お願いします」
 さっきまでの調子が抜けず、つい嫌みったらしくなった。定岡は密かに反省した。や
っと口を開こうという相手を怯えさせて、再び口をつぐまれては台無しだ。机の端を両
手で掴み、深々と頭を下げる。
「すまん。話、聞こうじゃないの」
「……言っても信じてもらえないでしょうから……」
「は? いやいや、それはないでしょう。信じる信じないは、言ってくれなきゃどうし
ようもない。私ら警察は何でもかんでも疑うイメージがあるかもしませんけどね。ちゃ
んと調べて、疑うべきは疑うし、信じるべきは信じるよ、ええ」
「でも……」
「いいから言ってください。話はそれからだ」
「怒りませんか?」
「……怒らせるようなこと、言うつもりなんですかな」
「いや、そんなつもりはないです。ただ、正直に話しても、我がことながら突拍子もな
い内容なんで、しんじてもらえないどころか、下手すると怒らせるろうなっていう」
「とにかく、言ってください。何度も繰り返し舞うが、話はあんたの主張を聞いてか
ら。いいね?」
 粘り強く言った成果なのか、磯崎は一つ大きく頷くと、思い切ったように口を開い
た。
「実は、その時間帯……もっというと九日の朝九時から昼三時まで、異世界に行ってま
した」
「……何て?」
「異世界に行ってました」
「『異世界』ってそういうお店があるの? どこに、何の店だい?」
「い、いえ、ですから、怒らないで冷静に聞いて欲しいのですが、この日本というか地
球とは違う、異世界、です」
「うーん、分からんな。ゲームの話なら、詳しくないんで」
「いえいえいえ、違います、ゲームと違います」
 両手のひらを向けて、懸命に振る磯崎。演技っぽさはなく、真剣味がにじみ出てはい
る。ただ、どことなくコミカルでもある。非現実的な内容も含め、信じろと言われても
到底無理だった。
「う〜。怒らんように努力しているが、あんたの今後の答え方次第じゃ、怒らん訳には
いかなくなりそうだ」
 ゆっくりと小さく深呼吸をしつつ、定岡は言った。余った空気が鼻腔を通じて出るか
ら、鼻息を荒くしたように見えるかもしれない。
「でも、事実なんです」
「うー、あー、それ、信じろと。よし、うむ。分かった。では仮にその話を主張すると
して、磯崎さんは何か証拠を示せるのか?」
「それは……服装や道具といった物体は向こうに置いて来ざるを得ませんし、戦いで負
った怪我もウィッチドクターに治してもらったし」
「……異世界で何してきたの、あんた?」
「今回は、と言ってもまだ二回目なんですけど、ゴーレム退治にちょっと。あ、僕が
リーダーじゃないんですよ。パーティを組むのに――」
「やっぱりゲームの話をしてるんじゃあないのか」
「違いますって! ああ、もうどうやったら信じてもらえるのか」
 髪の毛をがしがしとかき回す磯崎。相当参っているようだ。尤も、定岡ら取り調べに
当たる刑事だって、これでは参ってしまう。
 と、そのとき、磯崎が「あ」と呆けたような声を漏らした。
「何だ、どうした」
「あるかも、証拠」
「ええ? 嘘だろ」
「僕も確信はないですけど、ひょっとしたら……向こうの世界に行って、強化してもら
うというかレベルアップのために、銀の髪を入手したんです」
 銀紙? アルミホイルか?などと思った定岡だったが、今は口を挟まないでおこうと
思い直し、スルーした。
「で、そのアイテム銀の髪を頭頂部に移植することで、苦労なしにレベルアップするん
です。銀の髪、抜いてはいないから、もしかするとあるかもしれません!」
「そんなに嬉しそうに言われてもだな」
 辟易しているのを隠さぬ定岡だったが、磯崎がやや下を向き、つむじを向けてきたの
で、仕方なく調べてやる。
「……あった、これか? 確かに銀色の髪だな。うん?」
 さわってみて、ちょっと驚いた。感触が普通の毛髪ではない。金属とも違う。もちろ
んアルミホイルでもない。銀色の魚の肌のイメージが一番近い。
「けったいな物があるな」
「そうでしょ? 刑事さん、是非ともすぐに調べてください! 地球上にはない、いや
もしからしたら、宇宙を含めたこっちの世界には存在しない物質だと分かるはずですか
ら!」
 やれやれ。
 定岡は怒りと呆れを同時に感じながらも、願いを聞いてやることにした。

「いや〜、磯崎さん、びっくりしたよ。あんたの言った通り、これは少なくとも地球上
には存在しない物質でできているらしい」
「でしょ? よかった」
「詳しい組成分析をやってるから、もしかしたら異世界の物だと証明できるかもしれん
ですなあ」
「でしょでしょ。これで無罪放免になりますよね?」
「おっと、安心するの早い」
 定岡は席を立とうとした磯崎を押しとどめた。
「まだ何か。あ、証明されるまで待てと?」
「いやまあ、それもあるにはあるが、ほかにも確かめたいことができてね。実は勝倉満
里奈さんが死んでいた自宅ってのが、ドアや窓の鍵という鍵全てが内側から掛けられて
いてね。キーは彼女自身が身に付けていたし、合鍵が作られた形跡もない。要するに、
密室殺人てやつでね。磯崎さんに黙っていたのは、あんたがぼろを出すかもと期待して
たからなんだが」
「ひどいなあ、刑事さん」
「こっちも困ってるんだ。密室の作り方が皆目見当も付かない。しかし、あんたの話を
聞いて光明が差したよ」
「へえ? 何かヒントになること言いました、僕が?」
「ああ。もしもあなたが異世界とこちらとを行き来できるのなら、密室殺人も簡単だ。
一度異世界に行き、そこから勝倉さんの部屋に戻って彼女を殺害。現場を密室状態にし
たあと、再び異世界を得て、さらにこっちの世界に戻る。な? これで密室殺人の一丁
上がりだ」

 終わり




#533/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  23/03/04  20:51  (100)
三途の川縁   永山
★内容
 目が覚めると同時に、頭痛に襲われた。しかも尋常な痛みでない。割れるように痛い
とはこのことか。加えて息苦しい。
 日常生活で言うところの頭痛じゃないと気付くのに、しばらく時間を要した。
 頭を殴られ、血が出ている。
 呻き声を上げるつもりが、できない。口にはガムテープらしき物がぴたりと貼り付け
られていた。鼻呼吸だけで息を整えるのが辛い。容態は悪化していると自分でも分かっ
た。
 床に横たわっているようだが、身体を動かせない。左腕は身体の下敷きになり、右手
は顔の近くにある。指先に血が付いているのが見えた。
 フローリングの床に何か書いてある。赤い文字だ。血をインクにして書いたのか、
所々かすれている。ピント調節してもぼやける距離だが、どうにか読めた。

   “はんにん はたなか”

 何だこれは。まるでダイイングメッセージみたいだな。
 私は死んでないけれども。
 そもそも、こんな物を書いた覚えは全くない。頭に強い衝撃を受けて、記憶が飛ん
だ? いや、それもないだろう。その証拠に、こうなるに至った状況を徐々に思い出し
つつある。
 床に座った姿勢でいるところを背後から殴りつけられ、倒れた。口は……殴られる前
からすでに塞がれていた。両手首もガムテープでぐるぐる巻きにされていたと思うが、
今は枷はない。
 そう。
 私は襲われたんだ。自宅に一人でいるところを、半ば強引に上がり込んできた知り合
いの……誰だっけ……北島《きたじま》か。北島の奴が持参した酒を勧めてきて、飲ん
だら意識をなくして、気が付いたら拘束されていた。食堂の床に足を投げ出す感じで座
らされて、北島の奴、恨み言をねちねちと言い立てていた。
 五分か十分ぐらい経って、年貢の納め時とかどうとか言って、後ろから殴りやがっ
た。
 そのあとあいつが何をしたのかは想像するしかないが、どうやらダイイングメッセー
ジの小細工をしたんだな。
 このメッセージは、罪を田中に擦り付けたいのか、畑中に擦り付けたいのかが分かり
にくいな。どちらも私とは因縁がある相手だから、どちらかが代わりに逮捕されればい
いと考えたのか。“はんにん”と“はたなか”の間に少し隙間があるのが気になる。
 恐らく“はたなか”と書いてあるのを見付けた畑中が、ごまかすために“はんにん”
と書き加えた――というつもりなのだろう。
 と、いけない。意識がまた朦朧としてきた。
 犯行の過程なんてあとで考えればいいことであって、今最優先すべきは、助けを求め
る、これに尽きる。どこかに携帯端末があるはず。多分、ズボンの左尻ポケットにある
はずだが、生憎と今、身体の向きがよくない。姿勢を変えないと絶対に取り出せない位
置だ。ともかく、左腕を身体の下から出そうともがき始めたその瞬間、“がさ、しゅ
っ、がさ”という音がした。
 アコーデオンカーテンが開け閉めされる音だ。
 何者かがいる!?
 我が家でアコーデオンカーテンがあるのは、浴室へと通じる脱衣所。この状況で、犯
罪の現場に留まり、何かしらのことをなそうとしているのは、犯人に他ならない。
 気配を感じ取ろうと、耳を澄ませる。何かを探しているのか? それよりも、今この
部屋に戻って来たら、私に息があることを察知するのではないか。
 察した犯人――北島は、私にとどめを刺そうとするだろう。そうなる前に、攻撃すべ
きなのか?
 五体満足な状態でなら、北島とやり合って負ける気はしない。だが、頭に深手を負
い、身体の方もアルコールのせいか薬のせいか知らないが、自由に動くのか怪しい現状
で、北島に勝てるのか? 恐らく、無理だ。不意打ちに成功しても、四分六分で負けそ
うな予感がある。たとえ北島を組み伏せ得たにしても、こっちは出血多量でぶっ倒れか
ねない。
 折角、九死に一生を得たと思ったのに、ここで見付かってまた殺されては何もならな
い。
 私は死んだふりをした。
 瀕死の私が、生きるために、死んだふりをする。

 ……まだいる。
 早く出て行ってくれないか。携帯端末さえ取り出せれば、通報のしようもあるのだろ
うが、今のこの姿勢を崩せないのなら打つ手がない。
 北島の奴、食堂のドアの外に立って、何かやろうとしている。時折、ドアを開けて、
ノブの滑りを確かめでもしているかのように、かちゃかちゃと音が聞こえる。一体何が
したいんだ? ドアに物を隠すスペースなんてない! 秘密の抽斗でもあると思ってん
なら、漫画の見すぎだ、馬鹿野郎。
 思えば、大人になってからも、子供じみたところのある奴だった。同窓会ではアニメ
や特撮のヒーロー同士の夢の対決を語っていたし、推理ドラマでは探偵が変装を解く場
面が大好きだと公言していた。今まさに私を襲っておいて、ダイイングメッセージの小
細工を施したのも、子供っぽさの表れ……。
 まさか。
 嫌な予感を伴って、私は閃いた。
 北島はこの部屋を密室にしようとしてるのでは?
 ドアやノブをしきりにいじっている気配は、用意していたトリックがうまく働かない
ため、何度も試しているのか。
 何で、こんな明らかに他殺と分かるやり方を取っておいて、現場を密室にしなくちゃ
ならないんだよ! 意味のない密室なんて作ってないで、さっさと逃げろよ! ガキ
か!
 ――興奮して血の巡りが激しくなったのか、私の頭からの出血量が増えてしまった気
がする。だめだ。すぐにでも出て行ってくれ。限界が近い、そんな感覚がある。血の温
かさを感じながらも、同時に死の冷たさがひたひたと忍び寄ってくるような。

 !

 不意に、電話が鳴った。
 私の携帯端末だ。誰かは分からないが、誰かが掛けてきた。くそ、出られる状況なら
出て、助けを求めるのに。最早、身体がほとんど動かせない。
 何よりも北島が音に気付いたに違いない。何事か確かめに、密室作りを中断して、こ
ちらにやって来る。
 私は覚悟を決めた。
 必死で死体を演じる。
 最後の瞬間、最後のチャンスのために、息を潜め、興奮を鎮め、残りわずかな体力を
温存する。
 そうだ。近くまで来た北島は、私の携帯端末を取り出して、誰からの電話なのかを確
かめるだろう。
 そのタイミングで、私は北島に掴み掛かり、唯一まともに動きそうな顎で、喉笛にで
も噛み付いてやる。

 終




#534/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  23/03/09  20:54  (113)
今日昨日料理 〜 狂喜乱舞するお話   永山
★内容
 べたーんと、地図にあるアメリカ大陸みたいな形に延びた餅は、電子レンジで温めた
物だろうか。その上には台形にカットした筍《たけのこ》――これは醤油か何かで煮付
けた物らしい――が多数埋め込まれ、さらには骨付き肉が無造作に一個、どんと左隅に
置いてある。傍らの透明なグラスには水らしき透明な物が注がれていて、ぶくぶくと白
い煙を立てている。細長くカットしたドライアイスが、氷の代わりに入れてあるらしか
った。
「いかがですか、皆さん」
 初老男性が、席に着いている歴々を見渡して言う。ホスト役の彼は、髪はすっかり白
くなり、顎髭にも白い物が混じるようになっていたが、目付きは鋭く、にこにこしてい
るようで実のところ目は笑っていないというタイプだ。
 招かれた客達のほとんどは、目の前に出された皿の上の料理に困惑していた、かもし
れない。その証拠にまだ誰も箸を伸ばそうとしないし、宴のホストに対して表立って説
明を求める声も上がらない。
「おや、お気に召さない? 私なんぞはこの料理をそうですね、今日昨日と目にして、
飽きることがないのだが」
 ホスト役の初老男性の発言からしばらくして、一人の男が発言した。
「そうかあ。これはこれは、個人的には面白い趣向ですね」
 作家を生業とし、趣味で探偵をやっているという亜嵐歩《あらんあゆむ》氏だ。めが
ねを掛け直し、皿の料理をしげしげと見つめる。かと思うと、グラスの方にも目をや
り、これまたしばし観察した。
「気付かれるとしたら、一番早いのは亜嵐さんだと予想はしておりました」
 ホストの初老男性が、やや悔しげに言う。
「光栄です。では確認の意味を込めて、この料理の名前をお聞きしたいのですが。」
 ホストに尋ねる亜嵐。
「いやあ、創作料理なので料理名なんて考えていなかったな」
「でしたら、今付けてみてくださいよ。テーマに沿った名前をね」
「そうですな……そのまんま、あからさまなタイトルを付けるのでは芸がない。こうい
うのはいかがかな。『テリー嬢のお気に入り』」
「テリー嬢……なるほど、ちょっと洒落ていていいですね」
 は、は、はと乾いた笑い声を交わす二人。置いてけぼりを食っていた他の面々の中か
ら、とうとう辛抱たまらなくなった者が出た。
「お二方で分かり合って楽しまれるのも結構ですけれども、そろそろ我々にも種を教え
てくれませんか。いい加減、居心地が」
「ああ、それもそうでしょう」
 亜嵐は返事をしてから、ホスト役を振り返る。
「どうでしょう、教えて差し上げては?」
「うむ。ぼちぼち種を明かすのには異存はないのだが、その役目はあなたに譲るよ、亜
嵐さん」
「よろしいんですか」
 ホスト役は黙って首を縦にする。このときばかりは、目も笑んでいたようだ。
「ではご指名を受けましたし、僭越ながら僕の気付いたことをお話しします。料理の素
材に注目を。何が使われています?」
 亜嵐による場への問い掛けに、先ほど口を開いた客の一人が応じた。
「羊か何かの肉に筍、その下に大量の餅が。これでいい?」
「はい、結構です。次に皆さんはこの会に呼ばれるほどですから、そこそこミステリを
読まれていますよね?」
「ええ。推理物を読んだり観たりするのは好きですよ」
 招待客は各々が頷いた。
「でしたら、料理の素材に着目せよと促されれば、もう分かった方もいらっしゃるので
はないですか」
「ちょっと待って。よろしいかしら」
 やや砕けた言い方で、別の女性が割って入った。どうぞと応じる亜嵐。
「そもそもの話になるけれども、どうしてこのお料理をミステリと結び付けようという
発想が生まれる訳です?」
「ああ、その点は僕は先に直感が働き、あとから補強材料を得たんです。けれども、今
し方付けられたばかりの料理名があれば、最初からミステリと関係があると分かります
よ」
「料理名……って、『テリー嬢のお気に入り』? どこをどう読み解けばいいのかし
ら」
「割と有名なクイズ、パズルのネタなんです、これ。テリー嬢の“嬢”を英語にする
と、ミス。詰まり、テリー嬢とはミス・テリーとなりますから、これすなわちミステリ
に通じますよね。そのミステリのお気に入りとなると、料理そのものもミステリに密接
な関係を持っているんじゃないかと想像するのは、さほど難しくはないでしょう」
「そういうことでしたの。分かりましたわ。私どもはもうとうに周回遅れですし、お料
理が冷めてしまう。早く正解を披露してくださいな」
「そうですね……。皆さんが絶対確実に読んでいると保証があれば、作品名を挙げて示
唆するのがスマートかなと思ったのですが、保証は無理でしょうから、ずばり言うほか
にないかな。えっと、完結に説明を済ませるなら、羊肉、餅、筍はそれぞれ別個の推理
小説で、凶器に用いられているのです」
「凶器?」
 一斉に声が上がる。そこには、納得した響きもあれば、信じられないという驚きの口
調もあった。
「軟らかい餅が凶器って、喉に詰めるのかい?」
「いえ、柔らかくする前のカチンコチンに固い餅を使うんですよ」
「ということは、羊の肉も冷凍肉か」
「ご名答です」
「筍が一番分からないな。シナチクの材料になると聞いた覚えがあるが、まさかシナチ
クで絞め殺すとかじゃあないよね?」
「ええ。筍はそれ自体が凶器ではなく、竹を使う――ですよね?」
 ホスト役に確認を取る亜嵐。
「そうだよ、削って鋭く尖らせて、喉を」
「おっと、そこまでにしましょう。あまり言うと、これから読まれる方々の興を削いで
しまいます」
「だな。ついでにグラスの方にも言及してくれるか」
「ああ、そうでした。このコップに浮かべられたドライアイスが、皆さんにとって一番
分かり易いんじゃないですかね。以前の読書会で課題図書に選んだ……」
「ああ!」
 ホスト役と亜嵐を除く、テーブルに着いていた誰もが、合点が行ったという態度を露
わにした。
 その後、食事が始まる。
「正直言って、味はともかく、見栄えと分量のバランスがあまりよくないですね」
 亜嵐が感想を述べると、ホスト役は笑って小刻みに頷いた。
「そりゃそうだろう。まともな料理に仕立てる気はほぼゼロだったのだ。そうだな、ち
ゃんとした料理にするには、餅の半分ほどは小さく丸めて油で揚げ、あられにするとい
いアクセントになりそうだ。筍は飾り包丁を入れて、綺麗に飾る。羊の肉もほぐしてテ
リーヌ状にするのがよいかもしれない」
「病膏肓に入るくらいのミステリマニアが相手なら、そのくらいアレンジした料理で出
題して大丈夫でしょう」
「うむ。機会があればそうしてみるかな」
「昨日も今日も食べたというのは、じゃあ嘘でしたのね?」
 女性が口を挟むと、ホスト役の初老男性は何を今さらと言わんばかりに目を見開き、
おどけてみせた。さらに言葉をつなげる。
「私は昨日も今日もこれを食べたとは言っておらんよ。今日昨日とこれを見たという風
な表現をしたはずだ」
「……確かにそうだった気がしますけれど、それが? 何かこだわりがおありなのは分
かるものの、皆目見当が付かない」
「なに、これもまたちょっとした洒落だ。この『テリー嬢のお気に入り』は凶器の料理
と言えるだろう? それを示唆するために、“凶器のう”と言ったのさ」
 説明にぽかんとする聞き手達。彼らをよそに、ホスト役はぽんぽんと手を打ち、控え
ていたウェイターに伝えた。
「ぼちぼち、本物の料理をお出ししてくれ」

 終わり




#535/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  23/03/11  20:17  (149)
こんなダイイングメッセージは嫌だ!   永山
★内容
「さあ、始まりました。『第一回こんな|DM《ダイイングメッセージ》は嫌だ!コン
テスト』〜。ぱふぱふ。鳴り物がないから口で言いました。司会の金田一《きんだいち
》です。どうぞよろしく」
「……」
「どうかしましたか。明智《あけち》さん。まずはご挨拶を済ませないと」
「あ、どうも、アシスタントの明智です。本日は最後までお付き合いください」
「で、何か気にしてたみたいですが?」
「最初のルビが非常にアンバランスに見えたので」
「あ? ああ、最初のあれですね。気にすることはないでしょう。読めればいい」
「だから、あのアンバランスさでは読みづらい方も多々いるのではないかと、心配で」
「心配性ですなあ。しょうがない、改めて言い直すとしましょう。さあ、始まりまし
た。『第一回こんなダイイングメッセージは嫌だ!コンテスト』〜。司会の金田一《き
んだいち》です。皆さん、どうぞよろしく」
「そもそも何で、DMって略したんだろう? ダイレクトメールと間違われかねない」
「だからこそ振り仮名をしたんでしょう、きっと」
「だったら最初から略さずに、ダイイングメッセージと書けばよいものを」
「まあまあ、細かなことを気にしてると、コンテストが始められません。ここは一つ、
大人になって」
「自分は最初から大人だが」
「うん? 最初からってことはないでしょう。最初は子供、いや、赤ん坊だったはずで
すよ、いくら明智さんでも」
「……もういいです。早く始めねば」
「ではスタートです、前もってリスナーの皆様から寄せられた作品の中より、選りすぐ
りの物をアトランダムにセレクトしました」
「突っ込みたいところだが、どちらが本当なのか分からない。選りすぐりなのか、アト
ランダムなのか」
「選りすぐりと言って発表した作品が受けなかったら、我々の鑑識眼が疑われるので、
ここはアトランダムということにしておきましょう」
「何で及び腰なの」
「最初は兵庫県のハムウ女さんから」
「公安の駄洒落の人だ。ハとムで公、ウと女で安」
「毎回指摘しますね」
「この番組を初めて聴く人のためを思ってのこと。さて、作品は?」
「こんなダイイングメッセージは嫌だ! 登場人物一覧にない名前が書いてある」
「……やや受けかな。嫌なことは嫌だが、それはだめダイイングメッセージと言うより
も、推理小説としてだめなのでは」
「始まると割と真面目に批評しますね、明智さん」
「遊びは本気でやらねば楽しくないからね」
「では二人目。秋田県の錫亜紀《たもうあき》さんから」
「名前を繰り返し呼ぶと、もう飽きたになるんですよ、この人」
「解説どうも〜。こんなダイイングメッセージは嫌だ! 被害者も後ろから殴られて死
んだから犯人誰か分からないのに勘で書いた」
「長い! でもネタとしては悪くない。昔、某落語家が原案を作ったというミニ推理ド
ラマで、被害者が毒殺されるんですが、誰に毒を盛られたか知りようがないのに、ダイ
イングメッセージを残すのがありましてね。絶対に裏があると思ったのに、そのまんま
メッセージを解読して終わり。ふざけるなと」
「はいストップ。エスカレートすると悪口になりそうなので。次、三人目は長野県の神
尾寛太《かみおかんた》さん」
「この人もラジオネームとのことですが、カミオカンデの洒落なのかなあ。でも長野と
関係ないし」
「気にしない気にしない。えー、こんなダイイングメッセージは嫌だ! 三択クイズに
なっている」
「さっきのに続いてこれとは、並びがいいね。今度の被害者は自信がないから、三択に
したと」
「ひょっとしたら三人とも外れかも。次、四人目は奈良県の偽《にせ》んとくんさん」
「某せんとくんの偽者ってことです。言うまでもないでしょうが」
「言わなきゃいいのに。作品は……こんなダイイングメッセージは嫌だ! 『分かりま
せんでした』と書いてある」
「三段落ちですか。誰に殺されたか分からないときは潔く『分からない』と書きましょ
う、と。いいねえ」
「いや、そんな余裕があるのなら書いてないで、救いを求めろよと」
「ダイイングメッセージを扱う作品で、それを言っちゃおいしまいよ、だな」
「ま、そのことに言及しつつおしまいにならない作品もあるみたいですが。さて五人
目。石川県のぼく五右衛門さんから。――石川五右衛門とドラえもんを掛けた駄洒落っ
てことは? ああ、言わなくていいですか。作品の方は……こんなダイイングメッセー
ジは嫌だ! 『犯人は あなたの後ろ』」
「ぎゃー!って叫ぶところなのかな。いや、被害者死んでないことになるよね」
「ははは。ダイイングですらない。では六人目。長崎県からアイアムちゃんぽんさんか
ら」
「チャンピオン麺、食べたいね」
「……えー、こんなダイイングメッセージは嫌だ! 血文字で『遺書』から始まり、自
殺した理由が書いてある」
「普通に遺書を残しなさいっての。同工異曲のネタで、『遺言』もだめだよ」
「あ、このあとにそのネタがあったらどうするんですか」
「そのときはそのときだよ。さあ、続けてくれたまえ」
「じゃあ、七人目。広島県から広島風なんて言うなさん。こんなダイイングメッセージ
は嫌だ! 死亡時刻と凶器は書いてあるが犯人だけ書かれていない」
「うん? 犯人が誰だか分からないシリーズに戻りました? これは順番をミスしたの
ではないかな」
「そんなことはないですよ、多分。えっと、次で八人目か。青森県のペンパイナッポー
ペンさん」
「来た、敢えてのリンゴ外し」
「こんなダイイングメッセージは嫌だ! 『助けて! 殺される〜』って書いてある」
「残念、もう死んでますから」
「さくさく行きましょう。九人目は山形県の怪人20.5面相さん。こんなダイイング
メッセージは嫌だ! 『三億円事件の犯人は……』で途切れてる」
「うわあ、これは確かに嫌だな。自分が殺されかけてるのに殺人犯の名ではなく、有名
な未解決事件の犯人について記そうとするとは、執念を感じる」
「いや、そもそも本当に三億円事件の犯人を知っていたのか、疑問に思いますね、僕
は。『三億円事件の犯人は……誰だったのだろう』と悔しがりながらこの世を発ったの
かもしれない」
「そんな夢のないことを。ドリームジャンボは三億円というじゃないか」
「訳が分かりません。次、ちょうど十人。愛知県は|天娘。《てんむす》さんからいた
だきました。こんなダイイングメッセージは嫌だ! 犯人を示すであろうメッセージの
あとに続けて『な〜んちゃって』と書き足してある」
「犯人が偽装工作していったのかな。斬新だ。被害者のメッセージを壊すことなく、そ
の内容の信憑性に疑いを抱かせる高度なテクニックです」
「実際に遭遇したら本気で嫌だなあ、これ。案外、実用性のある答かもしれませんよ」
「僕らが犯罪者の味方をするような発言はまずい。ほどほどにして、次に行ってみよ
う」
「それでは十一人目。佐賀県はガサ入れさんによる作品。こんなダイイングメッセージ
は嫌だ! 犯人の名前が素直に書いてある」
「これは嫌だな。謎にならないから、我々の出番がなくなる訳だ」
「シュールですねえ。伝えたい意味を必死になって読み取ろうとするのがダイイングメ
ッセージであり、意味が明らかだと最早それはダイイングメッセージではないことにな
ってしまう」
「ま、少なくとも我々の世界ではそうだなあ」
「それでは次が最後になります。十二人目、何と海外からだ。フロムUSA、アメリカ
合衆国のエラリー・ジャックさんから送られて来た作品。こんなダイイングメッセージ
は嫌だ! 被害者がエラリー・クイーンだからといって皆難しく考えすぎる」
「お、洒落が効いている。エラリー・クイーン氏はダイイングメッセージ物を得意と
し、また発明したとまで評価されているのだから、最後を締め括るのにふさわしい。作
品としてはちょっとばかり弱いがね」
「さすが明智さん、手厳しいです」
「いや、これでも他のことに気を取られていたのだよ」
「え? そうは見えませんでしたが」
「ふっふっふ。広島県の作品が何故あんな配置にされたのか、気になってね。犯人が分
からないシリーズとしてひとまとめにすればいいのに」
「ということは、何か他に理由があると?」
「多分だがね。ここのスタッフの遊び心じゃないか。もしかすると、僕らを試そうとい
う魂胆があったのかもしれないよ」
「うーん、分からないですねえ」
「ちなみにだけど、金田一さん。最後の作品紹介で、USAと言ったのは、君の意思か
な?」
「いや、違いますね。スタッフに指示されていました……お。ちょっと待ってください
よ、明智さん。僕にも見てきましたよ。はぁはぁ、なるほど。順番に意味があったのか
あ」
「その通り。今回、このコーナーで紹介したリスナーの住んでいる都道府県を、順に並
べてイニシャルを抜き出してみると、HANNINHAYASUとなる。アメリカ合衆
国はUSAだから、そのままUにした。これをローマ字読みして、『犯人はヤス』とな
る。この有名なフレーズを織り込むために、広島県を七番目に持って来ざるを得なかっ
た」
「どうなんですか、スタッフ? ――え、違う? 偶然だって?」
「そんな馬鹿な。悪魔の証明かもしれないが、わざとではない証拠は何かないのかい?
 うん? 何なに。『広島と同じHの兵庫県とを入れ替えれば、犯人が分からないシ
リーズがひとまとまりになる。ネタの順番としてもさほどおかしくないでしょ』だっ
て? ……うーむ」
「じゃ、じゃあ、何でそうしなかったの? ネタの紹介順として理に適っているし、
『犯人はヤス』を組み込めて、万々歳じゃないか。あ? 気が付かなかった、すみませ
んて……」
「うむ。金田一さん、どうやら我々は難しく考えすぎたようだ」
「そのようですね、明智さん。被害者の能力の程度を見極めてから出ないと、ダイイン
グメッセージを解き明かすことは困難だと、改めて肝に銘じておくとしますか」
「読者諸氏も、くれぐれも注意召されよ。被害者はあなたほど賢くはないかもしれな
い」

 ああ。そんなダイイングメッセージは嫌だ。

 おしまい




#536/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  23/04/02  21:16  (  1)
当たり前になる前に   永山
★内容                                         23/10/23 03:24 修正 第2版
※都合により、一時的に非公開風状態にしています。




#537/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  23/05/21  20:07  (135)
2020年、夏の誘拐   永山
★内容
※よその小説投稿サイトからの移植です。時事ネタ的にちょっと厳しくなってきたの
で、賞味期限切れの前に、こちらでも公開しておこうという次第。

 〜 〜 〜

 参ったね、こりゃ。
 刑事の石渡《いしわたり》は誰にも聞かれぬよう、口の中でもごもごと呟いた。

 二〇二〇年八月八日。感染症の勢いがなかなか収まらない中、誘拐事件が発生した。
 被害者は藤木俊也《ふじきしゅんや》という小学三年生になる男の子。正午から三十
分で食事を終えた俊也君は友達と遊びに行くと言って、自転車に乗って出かけた。とこ
ろが同日午後二時過ぎに息子をさらったという電話が、藤木家に掛かってきた。子供に
与えていた携帯端末には位置情報を知らせるアプリを入れてあったが、調べてみると反
応が消えていた。追跡を嫌った犯人が誘拐直後に破壊した可能性が高い。
 一回目の電話で警察には知らせない方がいいという警告はあったが、もし知らせたら
どうなるかについての言及はなかった。そもそも警察に通報せずに、独自に子供を奪回
する自信が藤木家の主である藤木|寛吾《かんご》にはなかった。
 通報を受け、石渡は捜査指揮官として被害者宅に配管工事業者を装ってやって来た。
午後三時前のことである。彼は見張っているかもしれない犯人の視線やじりじりとひり
つくような暑さをもたらす太陽を避けるために、早く中に入りたかった。が、のっけか
ら事件とは関係ないことで頭を悩まされる。
「どうしましょう。ソーシャルディスタンスを保とうとしたら、とてもじゃないですが
全員は入れませんよ」
 車から降りようとしたところへ、部下の貫田《ぬきた》が眉を八の字にして報告に来
た。そんないかにも困ってますという表情をするんじゃない、と怒鳴りつけたかった
が、ここで大声を出しては近所に何ごとかと思われるだろうし、犯人がどこで見ている
かも分からないのだ。
「分かった。何人なら行けそうだ?」
 石渡の問いに、貫田は上目遣いになって、宙に広げた仮想の見取り図の上を指でちょ
んちょんと触れていく仕種をした。
「三名ですかね。被害者家族が両親だけだとしての話ですが」
「そんなに少ないのか。誘拐犯が目を付けるだけあって、このお宅はかなり広いようだ
が」
「食堂や大広間が広いんですが、それらの部屋には電話がないんです」
「ん? まさか固定電話しかないのか、この家には」
「いえ。誘拐犯からの連絡が固定電話に掛かってくるので、やむを得ない状況なんで
す」
「何てこった。コードを延ばせないのか」
「古いタイプなので、それなりに大げさな工事になるそうです。工事している間に電話
が掛かってきたら目も当てられません」
「くそっ。次に誘拐犯から電話があったら、とりあえずスマホの番号を教えてやれ!」
 結局、捜査員は揃って被害者家族宅に上がり込んだものの、固定電話があるのは夫婦
の寝室。録音装置などを設置するも、どことなく緊張感を欠いた、妙な空間ができあが
った。
 石渡は部下とともに、電話に出た藤木夫妻に矢継ぎ早に質問を浴びせた。「電話の声
に聞き覚えはありませんでしたか」「固定電話の番号を知っている者はどのくらいいま
すか」「俊也君の行動を知っている者はいたのか」「次は何時頃にかけてくるかを言っ
ていなかったか」等々。
 対する答は、「聞き覚えはない」「電話帳に載せているので調べれば誰でも」「お友
達しか知らないはずですが」「言っていなかった、ただ待機だけしておけと」と、手掛
かりになりそうな話は見当たらない。
 午後五時を過ぎたところで工事業者の車両を帰らせ、現場に残る人員も最小限に絞り
込んだ。
 午後六時ちょうどに、大きなサイレン音が鳴り響いた。庭の方からだった。警察はま
だ介入していない体なので、主たる藤木寛吾が急いで庭に降り、音の源を探すと植え込
みと高い塀の間から一機のスマートヘリが見付かった。いわゆるドローンで、ミニサイ
ズであるため法律の規制は緩い。その機体におもちゃと思しき小さな小さなスピーカー
が貼り付けてあり、午後六時ジャストに音が出るようにセットされていたと判明した。
 無論、第三者によるたちの悪いいたずらなどではなく、誘拐犯からのメッセージも付
いていた。薄いビニールで封じられたそれは、きつく折り畳まれたA4サイズの白い紙
だった。広げるとプリントアウトした黒い文字が躍っている。

<身代金として電子マネー百万円分と現金九百万円を用意せよ。八月九日の午後三時に
電子マネーは指定する五つの口座(末尾に記載)へ等分に、寄付名目で送金せよ。ま
た、藤木寛吾は現金九百万円を持って自家用車を自らの運転で国道*号線を使って道の
駅@@に、午後三時から同五分までの間に到着せよ。その後の指示は追ってする。
 なお、警察等の追跡者が確認できた場合、直ちに本取引を停止し、預かっているお子
さんについての安全を解除する。我々は藤木家の人間の顔を全員把握しており、また一
千万円程度なら右から左に楽に用意できることも把握済みである、そのような端金のた
めに大事な俊也君を命の危険にさらすことのないよう、賢明な判断をされることを期待
する。
 追記.我々の手元には誘拐する子供の膨大なリストがある。今回の取引が停止になれ
ば速やかに子供を殺害し、次の誘拐に移るだけである。>

 記載されていた口座五つについてすぐに調べられたが、どこも慈善団体の所有するも
のと簡単に判明した。電子マネーは明らかに陽動のための捨て金で、陽動の用をなして
いないとすら言えた。
「本命が九百万なのは間違いないが、今の時期にこの脅し文句はまずいな」
 藤木家の者がいないところで石渡と貫田は検討を重ねていた。
「ええ。道はどこもがらっがらですからね。そんな中、追跡のための車を出したら目立
って仕方がありませんよ。加えて、道の駅@@は現在休業中です。駐車場に入った時点
で、まず間違いなく犯人に気付かれる」
「道の駅@@では恐らくメモか携帯による次の指示だけなんだろうな。それもすでに仕
込んである可能性が高い」
 石渡の判断には理由がある。藤木家の庭から見付かったミニドローンは誘拐発生後で
はなく、事前に密かに入れられた物と推測されたからだ。藤木家の防犯カメラ映像や刑
事の目をかいくぐって、問題の場所にドローンを着陸させるのは絶対に不可能と言え
た。残念ながらカメラ映像の録画には、二十四時間で上書きされる(これまた)旧い形
式を採用していた。
「今の内に@@の敷地内に人を張り込ませておくか、目立つからやめておくべきか」
「僕は反対です。というのも@@は宣伝をかねて、駐車場を含む敷地全景を捉えた防犯
カメラ映像をリアルタイムで発信しているんです。そのカメラに写らずに施設に入るの
は多分無理じゃないかと」
「厄介だな。一時的に故障ってことにしてもらって――」
「いや、それこそ犯人に怪しまれますって。あの文面から感じたんですけど、犯人は本
気で被害者の命を何とも思ってないんじゃないですか。最悪、@@の映像が途絶えてネ
ットで見られなくなっただけで、子供に手を掛けるかも」
「文字通り、最低最悪だ」
 八月七日以前に、藤木家周辺の道路を通った不審者や不審車両がないかについても、
急ピッチで調べが進んでいた。出歩く人が極端に少ないため、目撃者捜しよりも防犯カ
メラ映像の提供を求めることがメインになっている。これはそれなりの効果が発揮さ
れ、怪しげな車が三つ四つ通っていたのだが、どれも途中より追跡できなくなった。何
故なら藤木家のある住宅街へは、とある商店街そばの大通りを必ず通らねばならないの
だが、道沿いの店全てが休業要請を受けて閉店したばかりか、苦しい経営に陥る中、わ
ずかでも節約しようと全店、防犯カメラの電源を完全に落としていたのだ。商店街自体
が付けた防犯カメラもあるにはあったが、それらは商店街内を撮影するのが目的であ
り、周辺の道路を行き交う車を特定するのには全く向いていなかった。
「残るは藤木寛吾の運転する車に捜査員を一人潜り込ませる。これはどうだろうな」
「車に一人しか乗っていないことを示させようとするかもしれません。@@の防犯カメ
ラに移る位置に車を来させて、ドアを全開にさせれば」
「そうか。弱った。あらゆる手が封じられていく心地だ」
 石渡は思わず天井を仰いだ。

 結果から記すと、警察は後手後手に回るどころか有効な手をほとんど打てず、身代金
の九百万円は犯人に奪われた。二十万円ずつ五つの口座に送られた電子マネーに関して
は、犯人によって手を付けられる気配は全くなく、それぞれの団体に事情を話して戻し
てもらう予定である。
 俊也君はどうなったか? 八月十日の午前中、無事に帰ってきた。隣町の病院の近く
でぽつねんとしているところを発見されたのだ。体調が思わしくない兆候が見られたた
め検査がその病院で行われ、今は回復に向かいつつあるという。

 およそ三週間後の八月末。
 とあるアパートの一室で、借主の江藤《えとう》という中年男が現金の詰まったバッ
グを抱えたまま横たわり、死んでいるのが大家によって発見された。金額は九百万円
で、その札束の帯封及び紙幣番号は捜査員が記録しておいたものときれいに一致した。
 江藤が藤木俊也誘拐事件の犯人であることは明白だった。
 そして彼の死因を調べたところ、今年になって大流行しているあの感染症が元になっ
ていたと判明した。

 藤木俊也に症状は全く出ていなかったが、感染した証拠とされる抗体が検査により見
付かった。また彼に移したと考えられるバス運転手も特定できた。つまり、俊也君はさ
らわれた時点で既に感染しており、そのウイルスがさらに江藤に移ることで最終的に犯
人の命を奪ったに違いない。

 終わり




#538/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  23/06/30  03:12  (  1)
罰ゲームは初恋語り   永山
★内容                                         24/02/29 01:43 修正 第2版
※都合により、一時的に非公開風状態にしています。




#539/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  23/07/04  17:34  (141)
裏の顔 〜 担任教師はアイドルを切り刻む   永山
★内容
 朝、登校してきて五年三組の教室の前まで来ると、すでに雰囲気がおかしいのが伝わ
ってきた。
 ざわざわしているのはいつもの通りなんだけれども、ざわざわの質がいつもと違うっ
て感じ。そう、きっと笑い声が極端に少なかったんだ。
 教室に入ってみて、はっきりした。席で言えば窓際の列の真ん中辺り、金沢《かなざ
わ》さんの席を中心にして、人の輪ができていた。もちろん窓際の席だから、ぐるりと
囲む訳にはいかないため、実際には半円だけれども。
 金沢さんと、彼女と仲のいい滝本《たきもと》さんがその中心にいて、二人揃って目
を腫れぼったくしている。金沢さんはほとんどしゃべらずにいて、三つ編みを垂らして
俯き気味だ。その隣で滝本さんが近くの男子、藤原《ふじわら》君と話をしているみた
いだ。どちらも声が大きく、しかも滝本さんの方が時折ショートヘアを掻きむしる仕種
をするものだから、すわ、口喧嘩か?と一瞬思わされた。
 が、どうやらちょっと違う。滝本さんが何かを説明するのに対して、藤原君が信じら
れないで首を傾げている、そんな雰囲気だ。周りにいるみんなも二つに分かれているの
が感じ取れた。男子と女子とで分かれている、なんていう単純なものではなく、あちこ
ちでぽつぽつと言い合いが起きているのが見て取れた。
「あっ、委員長」
 とりあえず自分の席に荷物を置こうとした僕に、佐々木《ささき》さんが気付いて声
を上げた。彼女はクラスの副委員長で、この何だか分からない揉め事をさっきから一歩
離れて見ており、どうしようか迷っている風だった。
 佐々木さんは近付いてくると、小声だけどしっかり聞こえる口調で僕に言った。
「何とかして」
 そして人の輪の方にあごを振る。
「このままだと、授業どころじゃなくなるかも」
「来たばかりで状況がさっぱり飲み込めてないんだけど」
 授業どころじゃないとは大げさじゃないかと思いつつ、そのことを口には出さずに応
じた。
「説明するから」
「うん。先に聞いておくけどさ、佐々木さんはどちらかの味方?」
「味方っていうか、金沢さん達の話を信じるかどうかという意味なら、ちょっとね。聞
いただけではにわかには信じられないってところかなぁ」
 迷いの露わな表情で答える副委員長。強いて選ぶなら、というニュアンスが感じられ
たよ。
「分かった。なるべくありのままに話してみて」
「ええ。金沢さんと滝本さんは昨日の日曜、先生の家に遊びに行ったんだって」
 確か、金沢さんの家が、先生の家に近いんだっけ。一軒家ではなく、アパートの一室
だが。
 ここでいう先生とは僕らのクラス担任、秀島大吾《ひでしまだいご》先生のこと。え
っと、年齢は二十代後半で独身、いわゆるイケメン、僕ら児童に総じて甘いこともあっ
て人気が高い。特に女子人気は絶大だ。前に、忙しかったのか無精髭を残して学校に来
たことがあって、普段に比べたら小汚くみすぼらしい外見だったにもかかわらず、女子
は誰一人として悪く言わなかった。それどころかワイルドでいい感じ!って賞賛する子
すらいたくらいだ。
「特に約束をしていた訳じゃなく、突然の訪問だったから、先生は仕事をしていて」
 いきなり押し掛けた挙げ句に先生が恋人と一緒にいるところを目撃してしまい、ショ
ックを受けた、とかいう話ではないらしい。とりあえずほっとした。
「もう少しで片付くからという状態だったから、二人は部屋の外で待たされたの。十分
くらいで終わって、中に入れてもらって。最初に、先生を訪ねる建前として、勉強で分
からないところを教えてもらったみたい。そのあと、おしゃべりに突入」
 どんな話をするんだろう? 僕自身はこれまで先生の家を個人的に訪ねたことなんて
一度もなく、想像するほかない。……想像してみたら、間が持ちそうにないなと思っ
た。たとえ相手が女の先生でも、難しそうだ。
「それで、これまたいつものことらしいんだけれども、途中で先生が台所に立って、お
茶を入れてくれたんだって」
 途中でお茶……杜仲茶《とちゅうちゃ》……駄洒落が浮かんだけれども、言わないよ
うに我慢、我慢。
「その隙にと言うのも変だけれど、先生の部屋をあちこちチェックした。本棚の隙間と
かベッドの下とか、普通にしていたら目の届かないようなところをね」
 もし将来、僕が先生と同じ立場になったときは充分気を付けることにしよう。
「昨日はすぐにでも先生が引き返して来そうだったからあんまりチェックできなくて、
引き出しを開けてみて特に何もなくて、そのあと何の気なしにゴミ箱を覗いたら……」
 ためを作る佐々木さん。手短に話してくれないと時間がどんどん進み、みんなの騒ぎ
も心なしか大きくなっている気がするよ。
「切り刻んだ写真が見えたって。見られちゃまずい物を急いで切ったのかもしれないと
二人は思って、大きめの切れ端をいくつか拾い、調べてみた。そうしたら河相《かわあ
い》リセナの写真と分かったって」
「河相リセナってアイドルの?」
 子供向け番組出身のタレントで、今十五歳くらいだっけ。春のドラマで準主役をやっ
て、人気に火が着き、男女問わず年齢層は幅広い。コマーシャルの出演本数は増加中、
たまに雑誌の表紙を飾ることもあった。無論、僕らのクラスにもファンはいっぱいい
る。
「そう。一週間ほど前、先生も話題に出してたの、覚えてる?」
「うん。えっと、『ああいう子が娘だったら嬉しいかもしれない。けれども演技力あり
すぎるのは怖いなあ。嘘をつかれても見破る自信が持てない』だったっけ?」
「そんな感じ。それでも、先生も河相リセナのファンという風だったでしょ?」
「ファンというか、好ましい芸能人の一人と思っている雰囲気だったな」
「何にせよ、嫌ってはいないはずよね。嘘をつかれたらどうこうと言っていたにせよ」
「まあ、そうだろうね」
「にもかかわらず、写真を切り刻んでいた。金沢さん達はそこにショックを受けて、そ
のあとほとんどすぐに帰ったと言っていたわ」
「なるほど。昨日のそのいきさつをみんなに話したら、信じる人と信じない人とで分か
れたってわけか」
「そういうこと。私は写真を切り刻んでいたという話自体が信じられない。先生のキャ
ラに合わないもん」
「キャラねえ。どうだったら合うんだろう?」
 まさか燃やすとかじゃあるまい。
「仮に嫌いなアイドルなら、写真を捨てる。それだけで終わり」
「それもそうだ。嫌いな人の写真なら捨てればいい。切り刻んだり燃やしたりするの
は、写真の人物に恨みを持っているレベル」
「そうそう、それが言いたかったの」
 先生が河相リセナに恨みを抱いているとはとても考えられない。かといって金沢さん
達が口裏を合わせて嘘をついているとも思えないし。先週、話題に出たとき、本当は嫌
いなアイドルだけど、僕らに話を合わせたのか? そんな風には見えなかったなあ。一
週間で真反対に嫌いになるとかも、ありそうにない。
 ……待てよ。そもそも、嫌いなアイドルだとしたら、わざわざ写真を手に入れる? 
それこそ恨みを持っているくらいじゃないと、切り刻むために写真を入手しまい。
「――あのー、質問いいかな」
 僕は佐々木さんから視線を外し、金沢さんと滝本さんに聞いた。近付きながら、話は
聞いたと告げる。
「質問て何、委員長?」
 金沢さんが少ししゃがれた声で聞き返してきた。よかった、思ったよりは元気そう
だ。
「二人が見た写真て、どんな物だったか覚えてる? ブロマイドなのかポスターなの
か、それともシールか何か?」
「えっとー」
 金沢さんは覚えていないのか、困惑した表情になり、滝本さんの方を向く。滝本さん
も似たようなものだったが、こめかみの辺りを人差し指でこつこつやる内に思い出した
ことがあったみたい。
「シールではないわ。それなりに厚みがあって、裏に小さめの字や数が書いてあっただ
からポスターでもないし、ブロマイドというのも違うかも」
「裏の字や数っていうのは、手書き?」
 これには滝本さんと金沢さん、揃って首を横に振った。
「ううん。印刷された文字」
「そうか。うん、ありがとう。多分だけど、分かった」
「ええ? 今の話だけで?」
 佐々木さん達が驚きの声を上げる。いや、全然たいした思い付きじゃないんだけど。
「だから多分ね。心配してるようなことではないと思うよ」
 僕はみんなを前に、思い付いた想像を詳しく伝えた。

 一時間目が始まり、秀島先生が教室にやって来た。必要な教材を入れた鞄に加え、今
朝は丸めた模造紙を小脇に抱えている。工作めいた資料や教材を使う先生は、秀島先生
を入れて今でも結構いる。コンピュータでは表現しにくいことでも、紙や木などを使っ
て作れば分かり易くなる場合もある。
 起立、礼、着席のあと、秀島先生が出欠確認のために機械を開く。そのタイミング
で、僕は挙手した。
「ん? 何だい、小原《おはら》君」
「先生が持って来た物って、昨日、ご自宅で作ったのですか」
「ああ、これか。そうだよ。学校で作った方が持ち運ぶ手間が省けていいんだけどな。
なかなか時間が取れなくて。それがどうかしたか」
「ちらっと見えたんですが、色々と切ったり張ったりしていますよね。カッターナイフ
ですか」
「うむ、カッターを使う。何だ何だ、気味悪いな」
 秀島先生は出欠確認の手を止め、苦笑いを浮かべた。
「もう一つだけです。先生は雑誌、今でも紙のを買いますよね?」
「そりゃまあ、紙でしか売ってないのもあるし、再利用できるしな。ああ、昨日も台に
したよ。こう、紙を切るのに下の机を傷つけないよう、雑誌を敷いて」
 やっぱり。想像が当たったと確かめられて、僕は頬を緩めた。これで問題解決だ。
 と、そのとき窓際の席から叫び声に近い調子で、金沢さんが言った。
「先生! 裏の表紙の写真に気を遣ってください! 怖かったんだから〜っ」

 終わり




#540/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  23/07/09  21:31  (220)
あやまりマジック、解けた   永山
★内容
 中学二年に上がるのを目前に控えた春休み。その瞬間まで手品に何の興味も持ってい
なかった。強いて言うなら、悪いイメージ。格好付けている印象が強いし、ある意味、
見る人をだましているわけだから。
 そんな私が、手品を観る機会なんて滅多にない。すべては偶然から始まった。
 お気に入りのアイドルグループの特番があって、番組内で、一芸を身に付けよう!み
たいなコーナーが用意されていた。メンバーの一人が手品を習うことになり、その先生
として登場したのが月影里雨《つきかげりう》という男性マジシャンだった。年齢四十
ぐらいで、一言で表すとダンディ。演じるマジックは選ばれたカードを当てたり、切っ
たロープをつないで見せたりと多分基本的な物ばかりと思うんだけれど、月影里雨の演
じ方には格好付けているところはなかったし、嫌味な感じも受けなかった。何故か好感
を持ってしまったのだ。ちなみにアイドルに教えた演目は、五百円玉サイズのコインを
噛みちぎっては元通りにし、さらにそのコインがとても入りそうにない口の細いガラス
瓶の中に、するりと入れてしまうというもの。教え方が丁寧で、優しそうだったからか
な。とにかく私は月影里雨のファンになると共に、手品――奇術やマジックと呼ぶ方が
似合っているかな――が好きになった。
「奇術部を作りたいの。舞《まい》ちゃん、協力して!」
 中学校には奇術部の類はなく、数ヶ月は我慢していたけれども、それも限界を迎えた
六月頭。私は放課後の教室で、友達の戸田《とだ》舞ちゃんに声を掛けた、というか拝
んだ。二年生の知り合いの中で、私と同じ帰宅部はあんまりいない。新しく部を作るに
は、少なくとも四人、揃わなければいけない。四人だと同好会扱いなのだけれど、とに
かく自分以外に三名は仲間になってもらう必要がある。
「その部は何を書くの」
 舞ちゃんが聞いてきたが、何のことだか分からない。思わず首を傾げると、「キジュ
ツブと言うからには文字か何かを記述するんでしょ?」と言われた。やっと分かった。
「その記述じゃなくて、奇術だよ。マジック」
「マジック……やっぱり文字を書くんじゃないの、マジックペンで」
「違うってばー」
 声を大にすると、怒ったみたいに聞こえたのか、舞ちゃんは「ごめんごめん、わざと
ぼけました。手品でしょ、分かってるって」と笑顔で言ってきた。はぁ、疲れる。
「何でマジックをやろうと思った? 冴《さえ》ちゃんて、これまで全然そんな素振《
そぶ》りなかったじゃない」
 一応断っておくと、冴ちゃんとは私の愛称で、君島冴子《きみしまさえこ》というの
が本名だ。
「テレビで凄い人を見たから。月影里雨って知らない?」
「あ、知ってる。この頃、ちらほらと出演が増えてるわよね。渋いイケメンで、人気出
るのもうなずける。そーかー、冴ちゃんはあの手の顔がタイプなのね」
「……否定はしない。けど、年齢は近くないと」
 素直な気持ちを答えると、舞ちゃんは拍子抜けしたみたいに肩をすくめた。
「暇だし、奇術部の名簿に名前を書くのはかまわない。でも、どんな活動するのよ。冴
ちゃんだってマジックはできないでしょ?」
「やってみたくて練習はしているんだけれど、まだまだ。人に教えるなんてとても無
理」
「だよねえ。先生の中にマジックの得意な人がいると聞いた覚えはないし、いたとして
も顧問になってもらえるかどうか不明だし」
「そうなんだよね。だからできれば、みんなで一緒に覚えていく、マジックの勉強会み
たいな感じで行きたいなあ」
「それにしたって、一人ぐらいマジックのできる子がいた方が」
「心当たり、あるの?」
「噂でだけど。江栗《えぐり》君がマジックやるらしいよ」
「江栗……」
 幼馴染みの名が上がって驚いた。それ以上にちょっと嫌な気持ちになる。
 江栗|克樹《かつき》とは小学生のときから同じクラスになることが多く、ご近所同
士ということもあって、よく遊んだ。でも、小学五年か六年の頃、原因は忘れたんだけ
ど喧嘩して、以来、遊ぶことはなくなった。今は必要があれば会話するけれども、友達
とも呼べないレベルだ。
 なお、江栗君はかなりの男前で、彼と幼馴染みだというと羨ましがられたり何だかん
だと頼まれたりするので、女子友達には話さないようにしている。なお、舞ちゃんは小
学校が同じだったので、私と江栗君が幼馴染みだと知っている。
「知らなかったみたいね」
「え、ええ。マジックをやるなんて、小さな頃には全然感じられなかった。どんなマジ
ックをやるんだろ?」
「それが誰も分からないの」
「はい? どうしてよ」
「一人前じゃない内は、無闇に披露しないと決めているんだとか。で、ここまでほんと
に言ったかどうか不明なんだけど、江栗君ファンの女子の間では、『もし見せるとした
ら、好きになった相手にだけだ』ということになっているそうよ」
「……」
 うう、好きじゃないタイプのマジシャンみたい。それはさておき。
「そんな噂話が出るってことは、本当に誰も見てないのね、江栗君がマジックしている
ところを」
「だね。男子ならいるかもだけど」
「うーん。経験者がいて欲しいのは確かだけど、その話だと当てにならない」
「じゃ、確かめて来なよ」
「え?」
「幼馴染みなんだし、頼めば見せてくれるよ、きっと」
 話が面倒な流れになってしまった。も、彼がマジックをやっているのなら、私が奇術
部を作ろうとしていること、いずれ耳に入るよね。あとになって「何で声かけてくれな
かった?」と言われるより、こっちから打診する方が平和的かな。ずーっと冷戦状態な
のは嫌だし。

「嫌だ」
 断られてしまった。わざわざ自宅を訪ね、玄関先で頭を下げてお願いしたのに、けん
もほろろっていうやつ。
「何で」
 なるべく昔の雰囲気っぽく、軽い調子で聞く。久しぶりに江栗君の家に来て立ち話と
いうシチュエーションが、私にも小学生の頃を仄かに思い出させた。
「僕がマジックを見せるのは、僕が好きな相手だけ――」
 うわ、やっぱりそうなの?
「という噂が一人歩きして、おいそれと披露できないんだよ」
 なーんだ。
「その噂なら最近聞いたわ。こっそり、他に誰もいないところで見せてくれればいいん
じゃない?」
「女子はおしゃべりだからな」
 偏見!と言いたいところだけど、今の私には言えない。だって仮にマジックを見せて
もらえたら、そのことを少なくとも舞ちゃんには話してしまうだろう。奇術部起ち上げ
のために、話さざるを得ない。
「そもそも何で君島さん、僕なんかのマジックを見たがるんだ?」
 あ、そこから説明しないといけないんだ。私はこの春からのマジック好きになった経
緯を話し、さらに奇術部を作りたいとも言った。
「――ってわけで、急にマジックに目覚めた感じと言えばいいのかしら。三ヶ月経って
も熱が冷めないし、本当に好きになったんだと思う」
「……」
 話し終わって相手の反応を窺うと、江栗君は何故か口をぽかんと開け、胸の高さ辺り
に構えた右手で、こっちを指差している。何か言いたそうだけど、それよりも男前が台
無しじゃないの。
「江栗君? どうかした?」
「――突っ込みたいところが山盛りで、言葉が出なかった」
「はあ」
 口調が少々荒っぽくなっていたけれども、久々に昔のやり取りをしている感覚が蘇っ
て、嬉しくなる私。続きを待った。
「敢えて、おまえと言わせてもらう。おまえなあ、その様子だと覚えてないな」
「はい?」
「小学一年のときだ。いや、あれは四月に入っていたから法律上は二年か。まあどっち
でもいい。あの頃は一緒に遊んでいたよな?」
「うん。何を今さら、改まって」
「覚えているかどうか確かめたんだよ。忘れていたらどうしようかと思った」
 まさか、そこまで記憶力ひどくないわよ、失礼な――と、胸の内で反発しておいた。
 江栗君はそんな私の気持ちなんて知らず、言葉をつないだ。
「僕は小二の春休みのある日、覚え立てのマジックを披露した」
「誰に?」
「だから君に」
 “おまえ”はやめくれたらしい。いや、そんなことよりも、マジックを見せてもらっ
た? 真剣に覚えてない。
「やはり完全に忘れてるか。僕にとっても嫌な思い出だから、手短に話す。僕のマジッ
クを見た君は、『それ知ってる』と言ったんだ」
「……何か、ぼんやりと思い出してきたかも」
「ちっとも驚かない君を見て、子供心にショックを受けた僕は一年後、違う演目でリベ
ンジしようとした。でも反応は同じ、『知っている』だった。それからしばらく君に見
せるのはやめて、家族相手に練習を重ねた僕は、小五の春休み、うちに遊びに来た君
に、自信を持って新たなマジックをやるつもりだった。その前に昼ご飯をうちで摂るこ
とになっていて、一緒にテレビを見ながら待っていた。ちょうどマジック番組の再放送
をやっていて、君は出演マジシャンの一人を指差して、『この人が一番のかっこつけだ
ね。がんばって化けても似合わない』とばっさり。僕がその瞬間から不機嫌になったの
を、当時の君は感じ取っていたように思うけど、覚えていないかい?」
「段々と思い出してきたわ。そういうやり取りがあったのは確かよ。不機嫌になった理
由までは当時も今も分からない。それ以来、疎遠になってたし」
「だったら、教える。小五の君がくさしたマジシャンは、現在の月影里雨だ」
「え、嘘でしょ。顔を覚えてはいないけど、イメージが全然違う……」
 小学五年のときに見たあのマジシャンは軽薄で、どこか無理をしている雰囲気があっ
て、ダンディな月影里雨とは結び付かない。三年という時間を経てもだ。
「嘘じゃないさ。当時は別の名前で出ていたが、正真正銘同一人物。若作りをやめて、
渋さを隠さないようにしたのが、月影里雨だ」
「ふうん。それって奇術ファンの間では有名な話なの? 随分、詳しいみたいだけど」
 それに江栗君の不機嫌な理由がまだ聞けてない、と思った矢先。
「有名な話かどうかは知らないけど、僕は知っていて当然なんだ。何せ、月影里雨は僕
の父だから」
「――」
 嘘!という声が出ないまま、腕を精一杯伸ばして江栗君を指差していた。
「こんなことで嘘なんてつかないよ。親父を悪く言われたら、小五の僕が機嫌を悪くす
るのは無理ない、だろ?」
 口をつぐんだまま、こくこく頷く私。そうしてやっと声が出た。
「ごめんなさい。今さらだし、知らなかったこととはいえ……」
「いや、まあ、実は感謝もしてるんだ」
「はい? 何で」
「あの頃の親父が行き詰まっていたのは事実で、あとから出て来た若手にどんどん追い
抜かれていて、将来を迷っていた。このまま細々と続けるか、すっぱりとやめて別の仕
事に就くか。そんなとき、僕が伝えたんだ、親父に君の感想を」
 うわぁ。恥ずかしくて思わず遼頬を押さえた。
「見た目でも演目でも背伸びすることをやめ、素で勝負するようになった親父は、運も
あったんだろうけど、人気が再び出始めた。月影里雨という名前もよかったと、僕にお
世辞を言ってくる始末さ」
「月影里雨って名前、あなたが考えたとか?」
「そうだよ。……君島さんにだけ明かそうか。アナグラムになっている」
「アナグラム?」
「言葉遊びの一種で、文字の並べ替えとでも言えばいいのかな。この場合、ローマ字で
考えた。僕、EGURI−KATUKIをうまく並べ替えると、TUKIKAGE−R
IUになる」
「へえー! 凄い」
 ほぼ無意識の内に拍手していた。江栗君はくすぐったそうに横を向き、ぼそりと「君
の感想ほどじゃない」なんてことを言った。
「それより、君島さんはマジックなんて種を知っている物ばかりでつまらないというス
タンスだったのに、よく心変わりしたな」
「ん? 種を知っている?」
 聞き咎め、首を左右に振った。
「ほとんど知らないわよ、マジックの種。四月にマジック好きになってから、いくつか
調べて覚え始めたばかり」
「ええ? おかしいな。小学生のとき、僕が見せる度に、知ってるを連発してたくせ
に」
「あ、それは」
 誤解されてたんだ。何年も経って気付かされたけど、遅すぎるかなぁ……。とにかく
話さなくては伝わらない。
「知っていると言っても、種を知っているんじゃなくて、そのマジックを見たことがあ
るという意味で言ってたんだけど……」
「なに」
 再び、口ぽかんの江栗君。うう、何だか凄く申し訳ない。肩を縮こまらせ、背を丸く
して、俯いてしまう。
 と、斜め下を向いていた私の視界に、江栗君が入って来た。力が抜けたのか、玄関に
続く飛び石の一つにへたり込んでいる。
「ったく、何だよそれ。ほんとにもう……」
 泣き笑いに近い声で、しかし意外と元気な口ぶりで、江栗君。心配することないかな
と思いつつ、「大丈夫?」と声を掛けた。
「ああ、大丈夫。いやー、凄く損した気分だ」
「損をした……って何を」
 首を傾げた私の前で、江栗君は勢いよく立ち上がった。今さらだけど、背が伸びてい
るなと感じる。
「うーん、遠回りをした分だな。よし、君島さん、時間は平気だよな? わざわざ訪ね
てきたくらいだから」
「う、うん、まあ多少は」
「じゃあ」
 きびすを返し、家へと向かう江栗君。
「上がって行けよ。昔みたいに」
「え、あ、あの−」
 嬉しいんだけど、展開が唐突で着いて行けない。
「マジック、見せてやる」
 え、お、あ、そ――返事がまとまらない。驚きと喜びと感謝それぞれの表明と、あと
マジックを見せてくれる意味について問い返したい。
 結局、最後の事柄を優先した。
「私なんかに見せていいの、マジック。噂のことは?」
「……皆まで言わせるなよな。マジックの種と同じ、秘すれば花」
 なるほど、確かに。
「それよりも僕のマジックを見て満足したなら、奇術部の設立メンバーに迎え入れてく
れ」
「それはもちろん、喜んで」
 前を行く江栗君がドアを開け、招き入れてくれる。中に入るとき、三和土にある革靴
が目に付いた。よく手入れされていて、ぴかぴかだ。
「あ、親父、今日は休みで家にいるんだ。いいよね?」
「――」
 どんな顔をしてお会いすればいいんだろう……。

 終




#541/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  23/08/30  14:36  (116)
最後の希望   永山
★内容
 一人息子が死んだ。
 高校一年の夏のことだった。

 私、高平伸人《たかひらのぶと》は、息子の伸輝《のぶてる》にできる限りいい教育
を受けさせてやり、ゆくゆくは我が社の跡継ぎに育て上げるつもりでいた。
 一方で、私は自分の会社を成長させることにも力を注ぎ、成果を上げてきた。自分で
言うのも口幅ったいが、業界4位5位付近にランクされる世間によく知られたメーカー
である。
 その分、家庭を顧みる機会が乏しく、特に息子に関して人任せになってしまっていた
ことを、今さらながら反省せねばなるまい。本心を言えば、私自ら伸輝の面倒を見て、
手取り足取り教えてやりたかった。時間の制約があって、どうしてもできなかったの
だ。
 周りの者は皆、私と家族の置かれた状況を理解しており、仕方がなかったんだと言っ
てくれる。だが、それらは恐らくおためごかしで、胸の内では私に父親失格の烙印を押
しているに違いない。言葉で指摘されなくても分かる。彼らの私を見る目が、以前と違
うことを痛いほどに感じるのだ。
 このままでは、悪評が悪評を呼び、社長としての能力にまで疑問符が投げ掛けられる
やもしれん。
 一人息子を失ったというのに、結局は会社の先行きや自身の立場が大事なんだなと、
誹る向きもあるだろう。どうか勘弁願いたい。今の私にとって、会社が息子のようなも
のなのだ。

 無論、伸輝の死に関心を持っていない訳ではない。
 息子が何故、どのように死んだのか。
 通っている高校の三階の教室から転落した、とだけ判明している。
 事故か自殺か、まだ分かっていない。この事案が発生した当時、くだんの教室には伸
輝しかおらず、また誰も入れる状況ではなかった。他の階から落ちたのではないこと
も、科学的に証明された。だから少なくとも他殺ではないだろうと言える。
 ただ……父親にとって苦々しいことだが、自殺の可能性が高いのは認めざるを得な
い。教室に一人でいて、一体どんなアクシデントが起きれば、窓から外へ転落するよう
な事態になるのか。あり得ない。
 自殺であるならば、遺書を早く見付けたい。現場にはなく、自宅にある息子の部屋か
らも何も見付からなかった。遺さなかったんだろうか。
 息子は字を書くのが好きだった。まだ私が比較的忙しくなかった頃、伸輝が作文で誉
められたと自慢げに言っていたのを、微笑ましく聞いた覚えもある。そんな伸輝が遺書
を遺さないなんてことがあるあろうか。考えられない。私や家族宛じゃなくったってい
い。他人に宛てた遺書でもいいから、早く見付けて、目を通したいのだ。

 初七日が過ぎ、しばらく経ってから、妻が「あの子に買ってやったノートパソコンが
見当たらないのですが、もしかすると」と言い出した。
 言われて、私もどうにか思い起こせた。中二の誕生日に、伸輝に買い与えたのだっ
た。携帯端末があるのにどうしてパソコンをと思わないでもなかったが、敢えて問い質
さずにいた。後日、インターネットやワープロに使っているのをちらと見掛けて、携帯
端末ではやりにくかったんだろうな、ぐらいに受け取ってすっかり忘れていた。
「だが、どこにあるんだ。部屋にはなかったようだが」
 遺書を探すために、あちこち開けてみたのだが、ノートパソコンは見当たらなかった
ように思う。
「学校だろうか」
 遺書探しは高校でもやらせてもらったが、飽くまでも伸輝の使っていた個人スペース
に限られた。パソコンなら学校にも何台かあるだろう。備品に紛れ込ませたら分かりづ
らくなるのではないか。
「いや、それよりもUSBメモリを使っていたんじゃなかったか」
 息子の死がショックなあまり、実に基本的なことを見落としていた。遺書は紙に書い
てある物という思い込みが、間違いなくあった。

 結局、伸輝のノートパソコンは見付からなかった。死の前に何らかの理由で処分した
可能性が出て来たが、はっきりしたことは分からない。
 USBメモリも複数個、少なくとも三つは使っていたと思うのだが、見付かったのは
一つだけだった。何故か自宅の冷蔵庫の裏から見付かった。正直な印象を述べるなら、
隠してあったのか落としてたまたま入り込んだのか判断できない。
 メモリの中身を見たあとも、疑問は解消されなかった。
 遺書はなかったのだ。
 遺書らしき文章も、死を選ばねばならないような窮状を訴える書き込みも、一切な
し。あったのは、いくつかの物語。そう、小説だった。長さは様々、掌編もあれば大長
編もある。書きかけの物もいくつかあった。ジャンルはちょっと奇妙な物語、変格ミス
テリが多いようだ。
 私はUSBメモリを見付けた日から、時間を作っては伸輝の作品を読みふけった。
 純文学・大衆文学の別なしに小説の善し悪しなんてほとんど分からぬ自分だが、息子
の作品は出来不出来の差が大きく、落語の小咄を引き延ばしたような馬鹿々々しい物が
あったかと思ったら、掛け値なしに面白いと言えるも物にも巡り合う。アマチュアらし
い乱高下ぶりだった。生前の伸輝には、つまらん文なんて書いてないで勉強しろと叱っ
た覚えがあるが、ここまで書けるようになっているとは思いも寄らなかった。
 こうして読み進めていき、なかなかの佳作と呼べる中編を読み終えたとき、その末尾
に本文とは違う付け足しがあることに気が付いた。

『自分の書いた話を紙の本で出せたらいいな。今一番の望みはプロになること』

 これには心動かされた。、亡くなった息子の望みを叶えてやれないものだろうか。
 亡くなった身内の書き綴った文章を、遺族が自費出版の形で本にするという話は、割
によく聞く。そう言えば、社長が勇退時に自分史を書いて本にするなんてことは、腐る
ほど聞いた覚えがある。
 ただ、息子の一番の望みがプロであるなら、自費出版はだめだ。息子の小説を商品と
して出してもらいたい。仕事関係の知り合いを辿っていけば、伸輝の小説を評価し、請
け負ってくれる出版社が見付かるだろうか。

 死んだ息子が結構いい小説を書いてたので、何とか本にしてやりたいんだ――と、近
しい社長や重役クラスに人らに吹き込んで回っていたら、ある日ひょっこり、噂聞きま
したんでとりあえず御作を見せてもらえませんか、という大手出版社からのアプローチ
があった。
 そこからはとんとん拍子に話がまとまり、「有名企業の社長の一人息子が生前書きた
めていた小説」なんていう謳い文句だけでもそれなりに売れると見込みも出て、息子の
一周忌の頃に刊行と決まった。
 これでちょっとはいい供養になるかなと思えた。ようやく、伸輝のことで少しは笑え
るようになった。

             ※           ※

 この後、高平伸人は社長になってから初めてと言っていいほど、どん底の状況へ突き
落とされる。
 というのも、高平伸輝の遺したと思しきUSBメモリにあった小説の約半分は、他人
が書いた物だと判明する。公の投稿小説サイトに上がっていた物を、じっくり読むため
という理由でコピー&ペーストを行い、USBメモリに保管した。
 それを、息子の実力を全く知らない伸人は、単純にこれらは伸輝が書いたと信じ切っ
た。
 我が子と密なつながりを持てなかったがために大ごとになり、非難に晒されることに
なろうとは。

 あるいは……もしかすると事態がこうなるまで全部、伸輝が期待し、計画していた通
りだったのかもしれない。
 小説家になりたいという密やかな夢を、父親は「つまらん文を書いてないで」という
台詞で切って捨てた。どうにかして、思い知らせることはできないか。息子に先立た
れ、家庭人として大恥をかいた父親に、さらなる決定的な一撃をお見舞いする。
 もし、これこそが伸輝にとって真の意味での一番の望みだったのなら、見事に叶えた
と言えるだろう。

 終




#542/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  23/09/28  17:20  ( 94)
第六感が外れると   永山
★内容
 共通の友達から神藤和奈恵《じんどうかなえ》と田中磨律《たなかまりつ》が喧嘩し
たと聞かされ、僕・八木敦彦《やぎあつひこ》は声を上げるほど驚いた。
 その日の昼休み、隣のクラスへ“遠征”し、いつものように一緒に弁当を食べようと
したのだが、二人がばらけて座っているので、変だなと感じてはいたんだ。そのときに
察するべきだったのだが、たまには別々に食べる場合もあるよなと理解して、自分は立
ち去った(どちらか一人だけと一緒にお昼を食べるのは忍びなかったため)。
 神藤と田中はものの捉え方や考え方がほぼ正反対なのに、何故か馬が合ったらしく、
高校に入学して知り合って以来、二人仲よく行動することがほとんどだった。
 二人の違いを簡単に言い表すなら、論理と直感、だろう。神藤は合理主義で、非科学
的なことは疑って掛かる。それでも占いや縁起担ぎについては周りに合わせるくらいの
柔軟さも持ち合わせていた。
 田中は逆に何でもとりあえず受け入れる。盲目的に信じるのではないが、非科学的な
ことでも楽しまなきゃ損、と考える方だ。実際、運や勘がいいタイプだと思う。
 そんな二人が親友になれたのは、自分のないものを持っているという相互補完の関係
なのかもしれない。
「一体何があって喧嘩したんだ? 知ってる?」
 その友達に重ねて聞くと、苦笑いが返って来た。
「知っているよ、うん。ちょっとこじれただけだから、放っておいても大丈夫とは思う
が。心配なら、八木君が取りなせばいい」
「そうしたいのはやまやまだが、原因が分からないんじゃあな」
「聞いたら、八木君でも放置しておこうと思うかもよ」
「そんなしょうもない理由なのか」
「だね。本人達にとってどうかは置くとして、第三者的にはくだらないと思う」
「うーん、信じられん。あの仲のよさが仮に一時的にせよ壊れるくらいだから、よほど
深刻な事情があるかと思ったのに。逆に気になってきた。聞かせてほしい」
「じゃあまあ、あっさり教えるのも何だから」
 そう前置きして、友達は昨日の放課後及び今朝、目撃した神藤と田中のやり取りを話
してくれた。

 放課後の教室。神藤の席の前に田中が陣取る。
『カナちゃん、さっき小耳に挟んだんだけど、カナちゃんて第六感、あるって?」
『え? ええ。第六感なら持っているわよ』
『えー、知らなかった。凄いね』
『そう? まあ、凄いと言えば凄いと言えるかしら』
『凄いよー。じゃあさ、これ、当ててみて』
 神社のおみくじみたいにきゅっと結んだ紙を四つ、机に置いた田中。
『はい?』
『この四つの中に、一つだけ、文字が書いてあるの。その紙がどれかを当てて、さらに
文字まで当てられないかな』
『どうして私がそんなことを……無理よ』
『そんなこと言わずにやってよ、ねえ。外れてもいいから』
 やってやらないの繰り返しが何度か続いたあと、神藤が席を立つ。
『用事があるから帰るね』
『そんなあ。どうしてやってくれないのよー?』

 得意になって話してくれている友達に、僕はストップを掛けた。
「あのさ。声色、うまいけど、やめろ。ちょっと気持ち悪い」
「いや、やめないよ。こうしないと気分が乗らないもんで。それよりも、ここまでで何
か気付いたことは?」
「うーん? そうだな、会話が噛み合っているようで噛み合っていないような、微妙な
ずれを感じなくもない」
「お。もしや、原因にも気が付いてるんじゃあ?」
「確信はないが。田中さんは“第六感”とは直感がよく当たるってな意味のつもりで使
っているのに対し、神藤さんは“第六感”を単なる当て推量のことだと想定していて、
よく当たるかどうかまでは考慮していないんじゃないか?」
「なかなかいい線を行っていると思う。だけど、外れ。続きをどうぞ」
「声真似、する気満々だな……」

 翌日の朝(今日の朝)の学校。教室で田中の席の前に、神藤が立つ。朝の挨拶はかわ
したものの、あからさまに不機嫌な田中に、神藤が鞄の中から出した物を見せる。
『昨日のことだけれども。私が言っていたのはこれだったのよ。分かる?』
 その物を見た田中、一瞬で赤面して恥ずかしがったかと思うと、次に怒り出す。
『何でこんな? 私が言ってるんだから、第六感て意味、分かるでしょっ?』
『それを言うなら私だって。私が非科学的なことは鵜呑みにしないってこと、マリは知
ってるでしょうに。そんな私が、よく当たる第六感を持っているはずがないって、聞く
までもなく分かるでしょうが』
『そんなの分かんないよっ。他人の不思議体験は全然信じなくても、自分が体験したこ
とだけは信じるって人だっているはずだよ』
 このまま堂々巡りになり、喧嘩別れに。

「そして今に至るってわけ」
「状況は理解した。だが、肝心の原因はまだ見えてこないな。神藤さんが見せた物がポ
イントなのは分かるが」
「今の話だけで当てるのはさすがに厳しいから、ヒント。神藤さんが持って来たのは古
いCDだった」
「CD? 珍しいな。ていうことは、昔の曲が第六感と関係しているんだ?」
 友達が頷き返すのを見て、僕はあれこれ連想してみた。その中に“大ロック感”なん
て駄洒落が含まれていたのは内緒だ。
「考えるよりも検索した方が早いし、確実だよ。正確に言い当てるには、いくら考えた
って無理だろうし」
「……悔しいが、古い音楽に造詣が深い訳ではないしな。えっと、“第六感”“音楽”
“歌曲”ぐらいで……うん? 『第六感』という曲はあるが、割と今の時代の曲だな」
「あ、忘れてた。そのCDはアルバムだったよ」
「じゃあ“アルバム”を追加して……ああ、これか」
 条件に合いそうな結果が表示された。日本の歌手でイニシャルK・S、愛称Jの異名
でもよく知られた人が『第六感』というアルバムを出していた。
「これを持っていたから、神藤さんは『第六感がある』と答えたのか。なるほどな」
 たったこれだけの行き違いで、こうもこじれるなんて。
「どう? 仲直りに骨を折る気になったかい?」
 友達に問われ、僕は考えた。その最中、検索結果の画面の片隅に、歌手の代表曲の一
つが表示されているのに気付く。
「どうもこうも……『勝手にしやがれ』って言いたくなるわな」

 おしまい




#543/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  23/10/09  20:05  (108)
猫は手を貸してくれる?   永山
★内容
 ラノだけが友達だった。
 母は離婚してしばらくは悲劇のヒロイン気分を味わい、そこからは男を見付けては同
棲して、貢いで、捨てられるを繰り返した。確か四度目ぐらいで懲りたのか、暴力的で
はない男を見付けてきた。私に対しても、男は当初、優しかった。お小遣いをくれた
し、車で色んな所に連れて行ってくれたりもした。だから私も男のヘビースモーカーぶ
りには目を瞑り、吸い殻で一杯になった――水を少し溜めて確実に火を消せるようにし
た――灰皿を片付けるのも、嫌がらずにやった。
 だけど、それは錯覚だった。その男は母には暴力的ではなかったが、私には違った。
優しかったのはほんの短い間だけ。男の機嫌のよさそうなときに、私がたばこをちょっ
と減らしてくれないかなあ的な願いを言った途端、口汚く罵られ、小突かれた。以来、
少しでも意に沿わない言動を私がすると、すぐ手が出るようになった。暴力はそれだけ
にとどまらず、頭に「性」の字を付けた暴力もたまにしてきた。母は何にもしてくれな
い。身代わりに私を差し出して、自分だけ助かろうとしているように見えた。
 家庭のことが漏れ伝わるせいか、学校の友達は私と一緒にいるのが怖くなったみた
い。もしかしたら家族の人から言われたのかな。あんな家の子と遊んじゃだめって。ど
んどん減っていき、ゼロになった。
 私の話し相手は、下校のときに通り掛かる原っぱにいるラノだけになった。一匹の野
良猫だ。初めて見掛けたときは汚れて灰色だったけれども、雨に打たれて水で流された
あとは、見違えるようにきれいな白猫になった。でも凄く活動的なラノは、すぐにまた
汚れてしまう。喉のところに細い首輪の名残があったから、以前は飼われていたらしい
のに、人間を見ると立ち去るか、威嚇してくることがほとんどだった。元の飼い主に酷
い目に遭わされ、挙げ句に捨てられたのかもしれない。
 そんなラノが私にだけは懐いた。私から餌をあげた訳でもないのに、最初っからすり
寄ってきた。お互いにシンパシーを感じたから、なんて思わない。ただ、嬉しかった。
 下校途中のラノとの時間は、私にとってかけがえのないものになっていた。ラノと一
緒にいればいるほど、癒やされ、回復する気がした。回復することで、そのあと帰宅し
てからのあれやこれやにも耐えられたんだ。

 でも。
 ある晩、耐えられない出来事が起きた。正確にはまだ実際には起きていない。男と母
が会話しているのを、たまたま盗み聞きし、二人が何を考えているのかを知った。
 男は販売ルートを見付けてきたから、制作に取り掛かろうと言った。母は男の指示
で、撮影は安物でも大丈夫だが照明器具はちゃんとしたのを揃えることに同意してい
た。そのあと断片的に聞こえた単語から、二人が私を撮ろうとしていると分かった。具
体的には書くまい。おかしくなりそうだから。その撮影の結果、私が自殺を選んでも二
人はお金が手に入るように、生命保険を掛けたらしい。保険会社から怪しまれないよ
う、母と男もそれぞれ掛けて余計に金が掛かったと苦笑いしていた。
 私は当然、逃げようと思った。だけど、どこに? 当てがまったくない。先生に相談
してもまともに取り合ってもらえるだろうか。元の友達に言っても、助けてくれるか分
からない。親戚なんて一人も知らない。あとは……警察? 何かが起きてからじゃない
と動いてくれないって、母が言っていた気がする。起きてからなんて嫌。意味がない。
 相談相手のいない私は、ラノに話した。
 ラノは大きな石の上にくるっと丸まって座ると、黙って最後まで聞いてくれた。時
折、顔を上げて何かを考える風に、中空を見つめていた気がする。
 そして私は、胸の内の思いも吐き出し、やがて話し終わった。ラノは当然、何も返事
しない。それでもちょっとだけ、ほんのちょっとだけ気が晴れて、家への道を重い足取
りで向かおうとした。撮影があるのは今夜かもしれない、明日かもしれない。
 そのとき、背中の方から声が聞こえたように思った。
『二人を殺しましょう。手伝うから』
 振り返った先で、ラノは大きなあくびをしていた。

 ラノが話し掛けてきたのではないことくらい、分かっていた。それでも私は背中を押
された気分になって、計画をたちまちの内に作り上げた。
 私の家は古い社宅の平屋で、壁の足元には風を通すための小さな窓がいくつか着いて
いる。開けても間隔の狭い格子があるし、そもそもそのサイズから言って小さな子供だ
って通り抜けはできない。けれども、猫ならできる。
 そして通風窓の外には、ちょうどいい具合に植え込みがあって、往来からの目隠しに
なる。私のような子供が通風窓の前でごそごそと何かやっていても、誰も気付かない。
 私は母が男を殺し、そのあと自殺したように見せ掛けることにした。風邪薬等を集
め、男の口にするお酒や食べ物に溶かし込み、食べさせると意識を失ったんじゃないか
っていうくらいの勢いで、熟睡を始めた。薬とお酒の効き目で稀にこのまま死んでしま
うこともあるみたいだけども、そんな幸運には期待しない。私は母の目を盗み、包丁を
持ち出すと、眠っている男の頸動脈を切り裂いた。返り血対策として、大きな大きな透
明のビル袋で、私自身をすっぽり包んで。
 短いけど大きな悲鳴を聞いて飛んできた母のお腹に、同じ包丁を突き立てる。可能で
あれば首吊りに偽装したかったんだけど、意外とばれやすいそうだし、私の他一家腕は
無理と思った。だから包丁で死んでね。ドラマで覚えたためらい傷は、すぐあとで付け
るから、今は一撃で絶命させることに集中する。
 数分後、どうにかうまく行った、と思う。返り血を浴びたビニールから出ると、その
ビニールを別のゴミ袋に仕舞い込む。それから必要な物を持って、外に出て、鍵を掛け
る。家は密室状態になった。もちろん、壁の足元の通気窓は一つだけ、施錠せずにして
ある。私は原っぱから前もって連れて来ていたラノを、抱き上げた。外で大人しくして
いたラノは、嬉しそうに、“にゃあ”と鳴いた。そんな愛らしい猫のラノに私は、前に
何度か練習した通りのことをやってよとお願いし、通気窓の所へ連れて行った。
 ラノは家の鍵をくわえたまま、通気窓の隙間から室内に侵入。血だまりを踏むことな
く、タンスへと一直線に向かった。そして予め開け放しておいた中程の抽斗に、ジャン
プしてぽんと乗ると、鍵をぽとりと落とす。鍵を受け止めた抽斗を、ラノは両後ろ足で
蹴って、再びジャンプ。床に降り立った。一方、抽斗は蹴られた勢いでうまい具合に閉
まった。
 ラノは万事うまく行っていることを知ってか知らずか、とことこと澄ました足取りで
同じルートを引き返して来た。
 おいで。口の動きだけで声は出さずに呼ぶと、ラノは格子の間をするりと抜けた。よ
くやったと耳元で囁く。その瞬間、異臭が鼻を突いた。これはたばこ? ラノの脇を支
えたまま、距離を取ってよく見ると、足が若干濡れていた。それに白い毛に茶色い飛沫
が点々とある。私は気付いていなかったけれども、灰皿の中の水が床かテーブルにこぼ
れ、それをラノが踏んだみたい。思わず、顔をしかめた。
 途端にラノが“ふぎゃー!”って叫んで暴れ出したの。こんなの初めてだったから、
慌てちゃって。すぐ放せばよかったのに、落ち着かせようとしてしまった。おかげで腕
を何度か引っ掻かれ、傷ができた。
「ごめん、ラノ。よっぽど怖い顔してたのね、さっきの私。目標を達成して、興奮して
いたかもしれないし」
 痛みを我慢し、猫に目線を合わせるためにしゃがんで、手招きする。でもラノはくる
りと向きを変え、とっとと歩き去ってしまった。原っぱの方向だったから、敢えて追い
掛けはしなかった。いつでも会える。
 当面の問題は、腕の引っ掻き傷だ。猫にやられたと分かれば、密室にした方法に思い
当たる人が出て来るかもしれない。隠さなきゃ。幸い、もう肌寒い季節になる。長袖を
着ればいい。……でも、母達が死んだことで警察が来て、虐待の有無を調べるために、
身体検査されるかもしれない。まずいわ。この傷の上から火傷をすれば隠せるだろう
か。家は密室にしてしまったから入れない。どこか他の場所……学校の理科室とか?
 そこまで考えた私は、息苦しさを覚えた。呼吸が乱れている。脈も速く、額やこめか
みには脂汗が浮き、じきにたらりたらりと垂れてきた。立ち上がると、めまいまで襲っ
てきた。
 おかしい。恐ろしい計画を立てているときだって、こんな変なことにはならなかった
のに、何で今?
 遠くなる意識の中で、私はサスペンスドラマで見たあることを思い出していた。
 たばこの成分、ニコチンが体内に入ったら、死ぬ恐れがあるって――。

 終




#544/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  23/11/01  16:44  ( 97)
二刀流の三本目   永山
★内容
「僕、時々思っていることがあって」
「何だ、こんなときに」
「二つのことに挑んでいる人を、報道などでは二刀流と言い表す場合が多いですよね。
あれってちょっと変な印象受けてしまうんです」
「どこに。二つのことに挑戦しているのなら二刀流でいいだろう、単純明快だ」
「二つのことで優れた実績を出した人なら、二刀流と呼んでもかまわないと思います。
けれども、二つのことに挑んでどちらもたいした結果を残せていないのであれば、それ
は器用貧乏、虻蜂取らず、二兎追うものは一兎をも得ずというやつではありませんか」
「そりゃまあ言われてみれば、確かにそうだが。しかし世間には二つ挑んで、どちらか
一つで実績を残している人だっている。ああいうのはどうなる?」
「そのような方達は単に、成果を上げられていない方の事柄に関して、向いていなかっ
ただけの話です」
「身も蓋もない言い方だな」
「別に気にしなければいいんでしょうけれども、どうしても気になるというか。何でも
かんでも二刀流と表現する風潮に飽きたといったところでしょうか。そもそも、何で刀
なんでしょうね。二丁拳銃じゃいけないのかな」
「そこはほれ、日本は刀だろ」
「英語圏では二丁拳銃と言い表すかというと、そうではないみたいですよ。武器やス
ポーツ選手の場合によって色々ありますから、興味があったらあとで調べてみてもいい
かもしれません」
「覚えていたならな。って、結局何の話をしてるんだ? 捜査の邪魔をするなら、引っ
込んでいてもらおう」
「あ、すみません。言いたかったのは、ダイイングメッセージに“ニトウリュウ”とあ
ったからといって、被害者が伝えたかったことが『二刀流』であるとは限らないのでは
ないかって話です」
「それくらいなら、我々警察だって考慮している。検討を重ねた上で、他に解釈のしよ
うがないから、関係者の中で二刀流と関連付けられそうな三名をピックアップしたん
だ。総合格闘技とキックボクシングでチャンピオンになった日代鳥英美里《ひよどりえ
みり》、仕事は平凡なサラリーマンで二刀流とは縁もゆかりもないが、いかにもな名前
の大谷武蔵《おおたにたけぞう》、名前の読み方が同じ仁藤龍《にとうりゅう》。この
三人の中に犯人はいるはずだ。三日前の夜、片桐《かたぎり》氏を後ろから刺した奴が
な」
「えっと、僕が思っている人が抜けているのですが」
「何だと。誰だ?」
「瓜生《うりゅう》さんです」
「瓜生? あんなひょろひょろには、柔道重量級だった片桐氏をやるのは困難だろ。他
の容疑者達はそれぞれ、女性ながら格闘家、二メートル超の巨漢、アクション俳優と対
抗できる要素が備わっている」
「背後から刺されているのだから、不意を突けば何とかなりそうな気もしますが」
「そこは何とも言えん。片桐氏は犯人の顔を見たからこそ、メッセージを遺したんだ。
少なくとも相対する瞬間はあったはず。刺されたあとだとしても、ひょろひょろの犯人
なら片桐氏は死に物狂いで確保するなり、爪痕を残すなりしたに違いなかろう」
「可能性は認めますけど、その決めつけはどうかと……」
「君こそ、どうして瓜生の名を挙げる? 何か知っているのか」
「いえ。ただ、ダイイングメッセージの中にウリュウって含まれているじゃないです
か」
「ああ? まさか、片桐氏は最初、“ウリュウ”と書き遺していたのだが、気付いた犯
人が頭にニトを付け加えたと言いたいのか? 残念だが、それはない」
「断言するんですね」
「もちろんだ。捜査上の方針で皆さんには伝えていなかったが、絞り込めてきたことだ
し、絶対確実なアリバイのある君には教えてやろう。遺体発見現場にはちょうど防犯カ
メラのレンズが向けられていたんだ。当夜、現場一帯は真っ暗闇だったが、赤外線カメ
ラの優秀なやつで、被害者がメッセージを書くところが、ばっちり収められていた。そ
の後、書き加えられたり、一部が消されたりといった細工が施されたなんてことはあり
得ない」
「えっと、現場がカメラに映っていたのなら、犯人も移っているのでは?」
「残念ながら、片桐氏は刺されたあと逃げてきて、遺体発見現場で倒れたんだ。犯人の
姿はまったく映っていない。まあ、だからこそ犯人は自らを示唆するメッセージを遺さ
れたなんて知らずに、そのまま放置したんだろうがな。ともかく、瓜生を容疑者に入れ
るのはナンセンスだってことは分かったろう」
「うーん、それでも僕は入れるべきだと思います」
「やれやれ。見た目と違って頑固だな」
「理屈もあります。映像があるのなら、被害者の手や指の動きを拡大して、血文字の形
とともに詳細に解析することをお願いしたいのですが」
「やっているよ。時間が掛かるんだ」
「じゃあその結果待ちになりますね。僕が考えたのは、二人による犯行なんです。瓜生
さんともう一人。あるいはもしかしたら瓜生さんにはそっくりな双子がいて、ずっと隠
れているのかもしれない」
「はあ? どこからそんな突拍子もない考えが」
「紙と鉛筆を借りますよ。――被害者は、こう、“二人ウリュウ”と書いたんじゃない
かと思うんです」
「……“二人”が“ニト”に読めたってか。まあ、“ト”の字がちょいと前に傾けば“
人”に似てはいるが」
「でしょう? 二人による犯行だとすれば、瓜生さんのような細身の方でも可能性が出
て来る、と思いませんか」
「……」
「それに、刑事さんが最初に挙げた三人も、瓜生さんとそんなに差はないと思います。
巨漢の片桐さんを殺すつもりで襲うのなら、背後から不意を突くのが成功確率が高い。
暗闇で相手の顔ははっきりしなくても、シルエットでだいたい分かるし、的は大きいか
らまず外しはしない。ところで片桐さんの立場から見てみると、どうでしょう? 暗い
夜、背後からいきなり刺されて、その場から逃げた。後ろを振り返る余裕があったかど
うか。あったとしても犯人の顔を確認できたかどうか」
「待て。君の言う仮定を認めると、片桐氏は犯人を知らないまま亡くなったことになっ
てしまう。つまり、メッセージを書きようがない。事実とそぐわないじゃないか」
「そうなんです。でも、瓜生さんを含む二人による犯行だとすると、どうでしょう? 
瓜生さんが片桐さんの前に立ち、話し掛けて注意を引く。その隙を狙って、共犯者が片
桐さんの背後に忍び寄り、刺す。この状況であれば、片桐さんが逃げて地面に倒れ伏し
たあと、犯人の人数と片割れの名を示すために、“二人ウリュウ”と遺したとしても不
思議じゃありません」
「……分かった。君の意見も一つの説として取り入れるとしよう」

 その後、防犯カメラの映像を解析したところ、瓜生が犯行に関わっていた可能性が強
まった。ただし、それは血文字を書く指の動きから判断されたものではない。
 被害者の口が、「ウリュウ」と書くのに合わせて同じく「ウリュウ」と動いているら
しいことが認められたためである。

 終




#545/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  23/11/22  19:56  (118)
邪魔な死体を処理する方法   永山
★内容
 目の前に足がある。見覚えのある薄いグリーンの靴下を穿いていた。
 兄の光太郎《こうたろう》だ。
 金の無心に来て、まさか兄の遺体を見付けることになるとは、全くもって想像の埒外
であった。思わず膝からくずおれて、首吊り遺体を見つめてしまっていた。
 中堅作家としてそこそこ知られ、そこそこ稼ぎ、数は少ないがヒット作のおかげでこ
うして執筆専用の別荘まで建てた友近《ともちか》光大郎が、どうして死を選ぶ必要が
あったのだ。背こそ低いが顔はまずは二枚目の部類で、運動もできる。ファッションモ
デルの年下女性を妻に迎え、子にも恵まれていた。そんな兄が何故。
 私に、その才能と幸運を分けてもらいたかった。
 最初の衝撃が去ると、私は立ち上がり、首を傾げた。こういう風に死亡が明らかな場
合でも、一一九に電話するのか? 遺体は降ろしておくのか、それともこのままにして
おいていいのか。警察には報せなくても?
 そこまで考えて、重要なことに思い当たった。
 自殺だとしたら、生命保険金は基本的に下りない。出ても、微々たる額のはず。
 兄は私よりは資産を持っているが、妻と子供がいるので、彼らに全部行くだろう。遺
言状を残していて、某かの言及をしてくれている、なんて期待はしまい。兄が四つもの
生命保険に加入したのは、その内の二つは妻子のため、一つは妹の真美《まみ》のた
め、そして残る一つが弟である私・明彦《あきひこ》のためにという、篤志家みたいに
よくできた長兄だった。だからこそ、わざわざ財産分与にまで仲間に入れてくれるとは
思えない。
 私はふと思い付いて、兄の書斎の奥にあるデスクを調べた。自殺ならば遺言状とは別
に遺書があっても不思議じゃない。なければ他殺の可能性ありとして、警察が捜査して
くれるだろうか。保険金が手に入るのなら、遺書なんてなくていい。
 が、淡い望みはあっさり断ち切られた。デスクの椅子に近い方の辺に、折り畳んだ便
箋が見付かった。私は迷うことなく手に取り、便箋を開いた。一枚きりで、文章量もた
いしたことなかった。

<責任は自分で取る。心配いらない。旅立つにはよい日となろう。
                         友近光大郎>

 便箋の一行目と二行目に、きれいな手書き文字で記してあった。兄の光大郎が書いた
物に間違いない。
 これでは警察を呼んでも、自殺と認定されるのは確実。せめて遺書がなければ……そ
んな考えが脳裏をよぎった刹那、私は遺書を握り潰していた。
 無意識に、「あ」と声を上げた。
 今ならまだ引き返せる。兄の死に動揺して、遺書をくしゃくしゃにしてしまったと言
えば、許してくれるだろう。
 ――だろうが、今の私には金の方が重要だ。決意を固める意味も込めて、遺書を真っ
二つに破いた。もっと細切れにしてもいいのだが、紙切れが書斎の床に散らばるのはま
ずい。私は遺書を自分のジャケットの内ポケットに押し込んだ。
 覚悟は決まった。
 友近光大郎の死は自殺じゃない。事故死……は難しそうだ。首に紐の跡が残ってい
る。小さな子供じゃあるまいし、事故で首吊り状態になるのも無理がある。病死はなお
のこと。
 やはりここは、他殺に見せ掛けるのが唯一の道だ。
 とは言え、首の痕跡をそのままにしておくのはまずいだろう。絞殺に偽装することも
考えたが、あの痕跡は恐らく首吊り自殺を連想しやすい。警察にそんな疑念をちらっと
でも抱かせないよう、ここは違う死に様を演出しなければ。それも、首にある紐の痕を
ごまかせるような。
 閃きはすぐにやって来た。
 痕跡は上から潰せばいい。
 この別荘には、ある程度の大工道具があったはず。当然、のこぎりも含まれる。
 身体から頭を切り離された死体を見て、自殺だと思う捜査官はまずいまい。

 私は時間を掛けて兄の遺体から頭部を切断した。首に付いた紐の痕跡はちょうどいい
下書き、あるいは破線だった。

             *           *

 警察に連行される友近明彦を横目で見送りながら、真美は思惑通りに事が運んだと、
安堵の笑みをかすかに覗かせた。
 弟・明彦への容疑は、現段階では遺体損壊のみだが、いずれ友近光大郎殺害の容疑も
掛かるだろう。
 三人が水入らずで久しぶりに揃うのも悪くないかもと、気まぐれを起こして光大郎の
別荘を午前中に訪ねた真美は、彼の首吊り死体を発見した。自筆の遺書らしき書面も見
付けていた。
 そして彼女もまた、金に多少困っていた。
 自殺はよくない、他殺に見せ掛けたいところだけれども、死体に触る勇気がない。い
や、勇気というよりも生理的にだめなのであった。
 そこで真美は、第一発見者の立場を捨てることにした。
 光大郎の首吊り遺体をこのままにして、午後に訪れると言っていた明彦に発見させ
る。似非ネット企業を起ち上げたはいいが、早々に資金繰りに窮した明彦は、自分以上
に金に困っている。恐らく、他殺に偽装することを思い付き、実行するのではないか。
 姉としての読みは見事に的中した。
 これで生命保険金が入ってくる可能性が高まった。明彦が受け取るはずの生命保険金
だって、契約内容は知らないけど、ひょっとしたら回ってくるかも。だから、お願いだ
から他殺で決着してね。

             *           *

 夫が死亡し、義理の弟が夫の遺体から頭部を切断した容疑で捕まったとの報せを電話
で受け、愛理《あいり》は悲嘆に暮れる妻を演じきって見せた。少なくともそう自画自
賛したくなる出来映えだったと思う。
 愛理は執筆専用の別荘に、食事の支度をしてやる、ただそれだけのつもりで出向いた
のだが、些細なことで夫の光大郎と口論になってしまった。原因は光大郎の女癖の悪さ
にあるのだが、今回の浮気相手は愛理の後輩に当たるモデルと分かり、いつもよりエス
カレートした。
 筆の立つ光大郎も、口では愛理にかなわない。詫び状を書くことで、許しを得られる
方向に収まった。
 と思ったのは光大郎だけで、愛理の方は怒りが収まらないでいた。もう殺してしまお
うと考え、咄嗟に詫び状の文言として、遺書とも受け取れる内容を指定し、書かせたの
である。
 その後、机に向かって執筆中だった光大郎に、背後から忍び寄ると、洗濯物を干すた
めのロープを使って、夫の首を締め上げた。
 二人の身長差から言って、ちょうどいい。つまり、後々首吊り自殺に見せ掛けるのに
ぴったりの角度で、首に痕跡が残る。愛理はそう思っていた。
 ところが、である。
 洗濯紐を使って実際に梁から夫を吊してみると、若干ではあるが、首にできた痕跡か
ら紐がずれてしまうと分かった。姿勢をどんなにいじっても無理で、多分、遺体の衣服
に重しをたっぷり入れたら、うまく合致する角度まで持って行けそうなのだが、そんな
不自然さの残る工作はやっても意味がない。
 計画の破綻によって窮地に立った愛理が、ふっと思い浮かべたのが、光大郎を訪ねて
くる予定になっているという義理の弟・明彦の存在。
 あれに擦り付けられないかしら?
 そこからの偽装は手早かった。改めて光大郎を首吊り死体のように吊し、下に踏み台
となる椅子を用意してから、書斎の机には詫び状として書かせた偽の遺書を置いた。
 よし。これでいいわ。
 あとはもう何もしなくても、義弟が勝手にやってくれるはず。殺人の罪も被ってもら
うことになると思うけど、仕方がないわよね。あなた自身が考えて、起こしたアクショ
ンが招いた濡れ衣なんだから。

             *           *

 パトカーに押し込まれ、捜査本部の設置されるであろう警察署へ移動する道すがらで
も、私は考え続けていた。
 何であのタイミングで警察が来たんだ?

 終わり




#546/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  23/12/10  17:07  (128)
だいありー   永山
★内容
日記とは本来、己のために書くもの。
神池政雄は高二の冬、付き合っていた同級生の日向明美が何も言わないまま突然遠くへ
越してしまい、呆然とすると共に苦しめられた。どうして黙って去って行ったのか、理
由を知りたいと思い続けた彼に、約七年ぶりの機会が舞い込む。偶然再会した彼女は問
い掛けには答えず、代わりに暗号を神池に渡して来た。その暗号を解いた先に、事実を
したためた日記帳があるという。苦心して暗号を解読した神池は、その隠し場所に辿り
着き、日記帳を手に入れた。そこに書かれていたのは――続きは本編で!

             *           *

 神池政雄《かみいけまさお》様。この日記帳を開いて、このページを読んでいるとい
うことは、あなたは暗号を期限内に解いたんですね。ちなみにどのくらい余裕があった
のかな。答を聞く機会はないと思うけれども、ちょっと気になる。私の計算では、期限
を過ぎて三時間以内に、インクが蒸発して読めなくなるように調節していたのよね。化
学は得意だけれども、薬品の一部に高価な物を使ったから実験を重ねられなかったの。
ぶっつけ本番てやつ。

 さあ、ここから本題に入るわね。
 あなたが私、日向明美《ひゅうがあけみ》を追い掛けていたのは、姿を消した理由を
知りたいから、だよね。高校二年生の冬、クリスマスを目前にして、付き合っていた彼
女が何も言わずに遠くへ引っ越してしまったら、呆然としてもおかしくないわ。その
上、連絡も取れないんだから、なおさら。
 黙って転校していった理由、それはね、何度注意してもあなたが癖を直そうとしなか
ったから。紙書籍を読むとき、ページをめくれなくてよく指先に唾を付けてたでしょ。
あれをいつまで経ってもやめないから、嫌気がさして――というのは冗談よ、もちろ
ん。
 怒った? 怒っていいよ。私は平気だもの。怒っているのは私の方。ジョークから始
めないと、怒りが抑えられなくて、また爆発しそうになる。どうにかこらえて、今まで
生きてきたんだから。
 あのときの冬、ううん、まだ秋と呼べる頃だったかな。あなたのお父さんはスクープ
をものにした。下衆な芸能ネタじゃなく、硬派な週刊誌のトップを飾る政治汚職記事だ
から、あなた自身も鼻高々だったわよね。自慢したい気持ちが、そこかしこからこぼれ
落ちていたわよ。
 それでね。あの報道のあと、事件の関係者の一人が自殺したのは覚えている? 覚え
ていなかったら検索でも何でもして、知って欲しいんだけれども、話を進めるために教
えてあげる。
 夜の公園で首を吊って自殺したのは、玉木良造《たまきりょうぞう》っていう男の
人。当時は独身と報じられていたと思うけど、実際のところ、あなたのお父さんや同僚
の人達は、どこまで掴んでいたのかな。
 実はね、玉木良造というのは私の父。
 うちが母子家庭だってことは知ってたでしょ? 離婚してシングルマザーになった、
なんてことまでは話したかどうか、さすがに私も覚えていないけれども。死別なら仏壇
周りで分かるだろうけど、それがなかったんだから離婚したか元々未婚の母だったんだ
ってことは、神池君にも察しが付いてたと思う。
 もちろん、そのことをもって、自殺した玉木良造が私の父だと想像が及んでしかるべ
き、だなんて主張はしない。ただ、あなたのお父さんの記事が、私の父を追い込み、命
を絶たせたのは紛れもない事実だってことは理解して。
 言っておくけど、父は積極的に汚職に関わったんじゃない。上司からの圧力に屈して
しまった、ただそれだけ。弱い人だったかもしれない。でも、命を落とすことはなかっ
たじゃない。
 それでね、母とはうまく行かなかった父だったけれども、私は大好き。関係も良好だ
った。私が父と会うことを、母も咎めなかった。
 そんな父が命を断つ原因を、あなたのお父さんが作った。
 この現実に、私は耐えられそうにないと判断したの。具体的に言いましょうか。あの
まま神池君のそばにいたら、私は恐らくあなたを殺していた。あなたのお父さんに、私
が味わったのと同じ苦しみ、いえ同じじゃないわね、似た苦しみを味わわせるために。
 あのとき、そうしないで踏みとどまれたのは、何でだろう……。分からない。ただ、
素知らぬ顔をして神池君とのお付き合いを継続できるほどの神経を持ち合わせてはいな
かったから、ああして消えることにしたの。他に理由を付けて別れようにも、神池君、
割といい彼氏だったから、難しくって。

 あのまま会わないでいられたら、父の死のことは封印しておこうと思っていた。
 だけど、運命のいたずらってあるのかな。まさか大学の合同研究がきっかけになっ
て、再会するなんて。私は避けようとしたのに、あなたは追い掛けてくる。何も知らな
い神池君にすれば当然でしょうけれども、私の方は追われれば追われるほど、封印が解
けてしまいそうで怖かった。
 だからこうして日記帳に真実を記し、さらに暗号があなたに渡るようにして、日記を
探してもらうことにした。時間を稼いでいる間に、また距離を取りたかったの。

 これで話はだいたい終わり。
 ところで、日記って普通は人に見せるものじゃないよね。一時、ホームページに日記
と称して日々のことを綴ったり、世間的なニュースの感想を書いたりするのが流行った
けれども、あれって真の日記じゃないと思う。ほぼ確実に、脚色するでしょ。自分をよ
く見せようという思いを自覚していようがいまいが、人に読まれるのを前提にしてるん
だから。
 その点、私がこの告白を日記帳に記したのは、嘘偽りのない話だという証のため。尤
も、そのこと自体を日記に書いちゃうと嘘っぽく聞こえるかしら? ま、私は『日記』
はその字を分解すれば明らかなように、《《日》》々のことを《《己》》に《《言》》
うためのものだと思ってるから。だから、ここに書かれた内容は私自身へ向けた言葉で
もある。嘘はない。

 そろそろ終わりにしましょう。
 あなたには知る由もないでしょうが、この日記を読み終わる頃には、もう二度と私と
会うことはかないません。さようなら。あの世というものがあれば、いつかまた会うか
もね。
 そのときまでに癖は直しておいてよ。

             *           *

「亡くなっていた男性の身元、分かりました。神池政雄、二十四歳。※※大学の院生で
す。かなり優秀な学生だったみたいですよ」
「将来有望な若者が、何でまたこんなレンタルルームの一室で、毒死したんだか。部屋
を借りた人間は、まだ正体不明か」
「はい、すみません。身元証明のための書類はすべて巧妙な偽造で、防犯カメラ映像ぐ
らいしか手掛かりがなく」
「しょうがないな。死に至った手口は?」
「手にしていた日記帳の各ページに、経口毒の微細な粉末が振りかけてありました。そ
れで、被害者の友人らに聞いた話では、被害者は小さな子供の頃からページをめくるの
に指を嘗めてからやる癖があったそうで。それを知っていた人物が、殺害するのに利用
したんじゃないかと」
「そうか。毒物が微細な粉末になっていたってことは、もしかしたら犯人自身が加工し
た可能性もある。その線から調べれば、何か分かるかもしれん。
 あとは、すべてのページが白紙の日記のどこをどう好き好んで、じっくり読んでいた
のかの説明をつける必要がありそうだ」
「まさか、あぶり出しじゃないでしょうしねえ」
「冗談抜きで、より詳細に検査すれば、あぶり出し的な細工の痕跡が検出されるかもし
れんぞ。とにかく日記帳が凶器なんだという認識に立って、徹底的に調べてもらうん
だ」
「了解しました。――そういえば気付きましたか?」
「何がだ」
「問題の日記帳、表紙のアルファベットが巧妙に書き換えられているんですよ。普通、
日記のダイアリーの綴りって、diaryじゃないですか。その三文字目、aがeにな
ってるんです」
「いや、気付いてなかったな。そんな単語は実際にはないのか」
「ざっと調べただけですが見付けられていません。ひょっとしたら犯人による造語か
も。これを読むと命に関わる、“死の日記”であると示唆した、なんて」

             *           *

 毒が回り、死を自覚した刹那、神池政雄ははっとした。日記にあったあるフレーズの
真の意味が理解できた気がしたのだ。
(「この日記を読み終わる頃には、もう二度と私と会うことはかないません。さような
ら。」とあったのは、君が死を選んでもうこの世にはいないという風に読み取ったけれ
ども、間違っていた。死ぬのは僕だったんだ。死んだ僕は、生きている君とはもう会え
ない……)


 了




#547/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  24/01/09  19:38  ( 94)
主の八八のお祝いに(米寿祝宴殺人事件)   永山
★内容
「――という訳で、刺殺された被害者は、血文字で『88』と書き遺していました。い
わゆるダイイングメッセージなる代物です。間違いなく本人が書いており、また、何者
かが手を加えた可能性もありません。
 冒頭お伝えの通り、荒天で警察本体の到着が遅れています。事件関係者は、パーティ
出席者である招待客やゲストタレント、会場スタッフを含めると、総勢九十名に上る。
現時点で手掛かりはダイイングメッセージのみですが、本体到着前に少しでも容疑の枠
を絞り込むことを目的に、メッセージに関係ありそうな方をピックアップし、話を伺う
ことにします。次に名前を呼ぶ方々、こちらに出て来てください。八十八に関連付ける
理由も併せて説明します。
 最初は、八十八歳になったばかり、この集まりの主役である白石初太郎《しらいしは
つたろう》さん。お願いします。
 二人目は、米寿とくれば次は米に着目しない訳にいかないので、米田規世《よねだの
りよ》さん。さらにグレッグ・ライスさん、オール・ベーカーさんも。――あ、ベー
カーさん、意味が分からないと思いますが、こちらで部下に説明させます。ご辛抱くだ
さい。
 米作りという観点から、田上《たうえ》さん。漢字が違いますが、念のため。同様に
稲垣《いながき》さん、穂積《ほづみ》さん、俵《たわら》さん、糠田《ぬかた》さ
ん。下の名前にも注目して、油井耕作《あぶらいこうさく》さんも含めましょう。
 続いて、一九八八年生まれの加藤友助《かとうともすけ》さん。平成二十五年生ま
れ、昭和に換算すると昭和八十八年になる徳森未来《とくもりみらい》君も、お母さん
同伴で結構ですからお願いします。
 え? 生まれ年まで関連付けるのは無茶苦茶だ、ですと? そりゃあね、普通なら
我々だってここまで含めやしませんよ。でもさっき皆さんが言ったじゃありませんか。
米寿の祝いの席上で、八十八に関係する事柄を出し合って、盛り上がったと。その際に
徳森未来君が昭和で言えば八十八年生まれになることを見付けて、大いに湧いたそうで
すね。そういったことどもが被害者の印象に残っていたのかもしれない。そういう可能
性を無視する訳にはいかないし、公平を保つ意味でもご協力願います。いいですね?
 続けます。次は星野《ほしの》すばるさん。もう言う必要はないかもしれませんが、
星座です。全天にある星座は八十八個。
 それから芸人の木売麻里《きうりまり》さん。ラジウムの原子番号八十八にちなんだ
ものです。あなたの芸名の元になったマリー・キュリー、ラジウムの発見者の一人なの
はご存知でしょう。
 次、那智伸也《なちしんや》さん。自分は初めて知ったんですが、88はアルファベ
ット八番目の文字Hを並べたHHを示唆し、これはハイル・ヒトラーの隠語だそうで。
ご不快でしょうが、その話題もパーティで出たとのことなので、何卒。
 あと、チェスチャンピオンとオセロチャンピオンのお二方。そもそもが8×8の盤上
で競うゲームのチャンピオンというだけの理由で、ゲストに呼ばれたと来ました。ご面
倒でしょうがお付き合いください。
 次は誰だったかな。そうそう、8×8は64、虫に通じるということで、昆虫博士の
野呂昭彦《のろあきひこ》さん。
 心苦しいのですが、被害者のお母さんとおばあさんにも出て来てもらいましょう。8
8は“はは”“ばば”にも通じますので。
 そう、察しがよくて助かります、馬場《ばば》さんも候補に入っています。どうぞ。
 次は、無限二真流《むげんにしんりゅう》の師範、蜂須賀八雲《はちすがやくも》さ
ん。流派のシンボルが、8を寝かせた形に似た無限大のマーク二つを並べた物ですし、
お名前を略すと『はちはち』と言えなくもない。
 似た理由になりますが、八重島英人《やえじまえいと》さん。八重は“はちじゅう
”、英人はエイト、8の英訳に通じますので。
 茶道の家元である万代《ばんだい》さんも。“夏も近付く八十八夜”と唄われるのは
茶摘みのことだとか。
 88をかけ算の九九と捉えると、はっぱと読める。草津葉一《くさつよういち》さ
ん、あなたのことかもしれません。おいでください。木漏れ日写真で名をなしたカメラ
マンの大黒雅実《おおぐろまさみ》さん、同じ理由でお越しを。
 この調子だと時間がいくら合っても足りなくなるので、スピードアップしていきま
す。
 末広がりの八が二つということで、末広双樹《すえひろそうき》君。
 第八十八代のプロレスNWCヘビー級王者、的場雷剛《まとばらいごう》選手。
 今年で創業八十八年になる老舗漬物屋さん、上地高秀《かみじたかひで》さん。それ
から――」
 先乗りの刑事はこんな調子で名前を読み上げていった。
「最後、これが最も広範囲の網になりそうですが……ベージュ色の服やアクセサリーを
身に付けている人は、前に出てください」
 ざわつく会場。それでも抗議の声は上がらず、該当者がぞろぞろと指示された側へと
歩いて行く。
 というのも、名前を読み上げられた人数がとうに過半数を超していたからである。多
数派にならないと不安を覚えるのかもしれない。そして今、少数派だった自分がベージ
ュのアイテムをに見付けていたことで多数派に転じられて安心した、といったところ
か。
「以上です。カウントしていたのですが、出て来てもらった方の総数はなんと、八十八
になりました。偶然とは言え恐ろしい。
 そして、計算するまでもなく、この会場を見れば分かることですが、ダイイングメッ
セージとの関連性が見当たらないのは、たった一人」
 関係者は全部で九十名、被害者が一人。前に出てきてもらったのが八十八人。90−
1−88=1。
「九十九《つくも》七五三太《しめた》さん、あなただけはどう想像を膨らませても、
八十八とは結び付けられなかった。だからお帰りになって結構ですよ、と言いたいとこ
ろですが、天気はまだ荒れ模様だし、一人だけ除外されるというのもかえって怪しく見
えなくもない」
「そんなあ」
「もしかすると被害者の方は、あなただけが八十八に関係しないことを把握した上で、
『88ではない者が犯人』とでも書き遺したかったのかも」
「まさか。いや、もう、一人だけ特別視されている感じが、凄く嫌なんですが」
「だったら、がんばって八十八に関連付けてみては?」
「それでそちらに仲間入りさせてもらえるのでしたら、努力します。……計算してもい
いですかね?」
「計算、とは」
「私の名前の数字99753の間に四則演算の記号を入れて計算するんです。たとえ
ば、9×9+7と5+3に分ければ、前者は88、後者は8になる」
 どうです?と迫らんばかりに目を見開く九十九。
 刑事は顎に片手をやり、少しの間、沈思黙考。程なくして口を開いた。
「惜しいけれども、やっぱり無理」

 おしまい





#548/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  24/02/08  17:40  ( 61)
ゴールラッシュ   永山
★内容
※小説投稿サイトでのお題企画に応じた物です。タイトルは変更しております。


「『クイズ・ゴールを目指せ』、続いてのチャレンジャーが本日最後の方となりそうで
す。ご存知の通り、全十三問連続正解で“ゴールラッシュ”を達成した挑戦者には素晴
らしい賞品を獲得するチャンスが与えられます。が、今回もまだ達成者は出ておりませ
ん。次のチャレンジャーは座間味蓮《ざまみれん》さん。**高校で教鞭を執っておら
れるとのことです。座間味さん、自信の程はどのくらいありますか」
「この日のために色々と勉強してきました。不言実行をモットーにがんばります」
「それを言っちゃうと、有言実行と変わらない気もしますが、まあいいでしょう。心の
準備はよろしいでしょうか」
「――はい」
「結構ですね。では始めます。――問題です。テニスの四大大会及びオリンピックのす
べてで優勝を達成することを何スラムという?」
「《《ゴール》》デンスラム」
「正解。問題です。栗本薫の小説『グイン・サーガ』にて、ゴーラ三大公国の内、最も
新しい国は?」
「モン《《ゴール》》」
「正解。問題です。一八四八年頃からアメリカ合衆国はカリフォルニア州にて起きたと
される現象を何ラッシュという?」
「《《ゴール》》ドラッシュ」
「正解。問題です。化学式C10H18O、メンソールを合成する際にできる物といった
ら?」
「イソプレ《《ゴール》》」
「正解。問題です。ウクライナ出身の格闘家でありながら得意技にロシアンフックと名
付けられたのは?」
「イ《《ゴール》》・ボブチャンチン」
「正解。問題です。柑橘類の呼び方で、みかんとオレンジ類の交雑種を何という?」
「コン《《ゴール》》」
「正解。問題です。パラグライダー競技の一つで、数キロから数十キロ遠方に設定され
た目標への到達を競うのは?」
「《《ゴール》》タスク」
「正解。問題です。突起のある円盤を用いた物はディスク、金属の円筒を用いた物はシ
リンダー。これ何?」
「オル《《ゴール》》」
「正解。問題です。フィクションの中でプロの殺し屋ジャッカルに命を狙われた、実在
のフランスの有名人は?」
「シャルル・ド・《《ゴール》》元大統領」
「正解。問題です。細菌の感染によって植物にできる腫瘍で、根頭がんしゅ病を別の言
い方で言うと?」
「クラウン《《ゴール》》」
「正解。問題です。主に江戸期に編まれた分類体実用辞書のことを何と呼ぶ?」
「《《ごうる》》いせつよう(合類節用)」
「正解。問題です。複方ヨード・グリセリンを考案者の名前を取って別名何という?」
「ル《《ゴール》》液」
「正解。最後の問題です。次の三つの言葉から連想されるのは? マウス、ライン、ホ
スト」
「《《ゴール》》!」
「おっと、座間味さん残念。不正解です」
「え? 全部、ゴールが付く言葉なのでは?」
「ゴールマウス、ゴールラインはありますが、三つ目が違います。ゴールホストもホス
トゴールもないでしょう。あるのはゴールポスト」
「ええ? じゃあ、正解は……」
「IT、インフォメーションテクノロジーです。マウス、ラインはそのまま。ホストは
ホストコンピュータですね」
「ず、ずるい」
「――という訳で、今週もゴールラッシュ達成者は出ませんでした。新たなる挑戦者に
期待するとしましょう。ではまた次回! さようなら。司会は角楡新地《かくにれにい
ち》でした」

 終わり




#549/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  24/03/27  10:29  (140)
幸運にUNが付いたらアンラッキー   永山
★内容
 7は幸運の数と、小さな頃から教わってきた。
 無邪気だった頃の俺は微塵も疑わずに信じたものだ。何かを選ぶときに、選べるので
あれば7を取りに行った。ただただ愚直なまでに。
 結果、どうなったか。ちっとも幸運じゃなかった。
 たとえば幼稚園のとき。八つに分けた先生手作りのケーキを九人でくじ引きして、一
人だけ食べられないというゲームをやった。園の全員が参加して、最後の一人になるま
で繰り返し行われたのだが、俺は悉く外れを引いた。みんなが7を選ばないのをいいこ
とに、常に7を採っていったら、この有様だ。結局、俺一人だけがケーキにありつけな
かった。
 小学生のときは、班分けだった。林間学校と修学旅行、それぞれで班分けのためのく
じ引きが行われた。俺はどちらの場合も7を選んだが、思い通りの結果は待っていなか
った。というのも同じクラスに片思いしている女子がいて、その子と一緒の班になりた
いと強く願っていたのだけれども、まったく当てが外れてがっかりした。
 中学のときも修学旅行。ただし、班分けは機械的に出席番号順に前から数名ずつに分
けられたから関係ない。泊まったホテルの部屋番号が777だったのだ。これは御利益
ありそうだと期待が膨らんだが、修学旅行中、特にいいことが起きるでもなく、淡々と
進んだ。自分には関係ないが、引率の先生の一人が夜、宿を抜け出してパチンコをして
いたのがばれ、何らかの処分を食らったというおまけが付いた。
 高校では三年間、出席番号が7だった。今度こそ、高校生活はラッキーセブンの恩恵
に与れるかも、と期待を抱いたのだが、甘かった。出席番号7は何の因果か、各教科の
先生からやたらと当てられる順番だった。数学の先生は素数番目を当てていくのを好
む。英語の先生は七番目と言えば日曜日、日曜日は学校が休みで当てられることが少な
いだろうからという謎理論を持ち出して、公平を保つためにと出席番号7を多めに指名
する。国語の先生は教卓に張ってある座席表の上で右手人差し指を構え、目を瞑って、
えいやと下ろしたところにある番号を指名するのだけれども、この人の癖なのか、7が
当たる確率が滅茶苦茶高かった。とまあこんな具合に、高校時代はサボれる授業が一つ
もなく、少なくとも予習だけはバッチリこなしておかねばならず、大変だった。
 そして今年迎えた大学受験。本命校の受験番号が7777だった。
 この頃になるともうラッキーセブンを当てにするのはやめよう、と考える気持ちも大
分大きくなっていたが、それでもなお信じてみようという気持ちも残っていて。それだ
け大学受験という関門は、人生にとってかなり重要だってことなのかもしれない。

 そんな大事な試験の直前になって、不思議なことが起きた。
 周囲が暗転したかと思うと、他の人達の気配が消えた。同時に、目の前に、といって
も7メートルくらい離れた先に、赤ん坊くらいのサイズの人型が浮かんでいるのを認識
する。その人型にどこから来たのかスポットライトが当たり、俺からもはっきり見え
た。
 何というか、外見は古代ギリシャの哲学者って風貌なんだが、若い人が付け髭や白髪
のかつらを被って、がんばって年寄りを演じていますという雰囲気があった。
「未成年の内は助けてあげてたけど、今日からは自分で判断してね」
 人型がいきなり言った。俺は辺りを横目で見やったが、誰からも反応がない。という
か、ずっと人の気配、ざわつきが消えたままだ。
「勉強ばかりしてきて、ぴんと来てないのかな? これよくあるパターンなんだけど」
 続けて人型の台詞。
 いや、俺だって暗転の瞬間から少しして、思わないではなかったさ。でもまさかとい
う頭もあったし、仮に“例のアレ”だとしても、そっちが説明を始めるのが筋だろう
と。
「えっと。あれか。あなたは神様か何かで、ここは異空間、みたいな?」
「そう、分かってるじゃないの」
 ちっちゃい神様は手を叩いて喜んだ。
「で、試験の直前に邪魔して悪いんだけど、手っ取り早く終わらせるから少しの間、辛
抱して聞いて頂戴。さっきも言った通り、これまで僕はあなたが間違った道に行かない
よう、サポートをしてきた。特に、7という数が関わるポイントで」
「……サポートって言った?」
 物事の理解を急速に進め、次に相手の言葉の意味を飲み込もうとする。
「サポートって普通はよくなる方に導いてくれるんじゃないの? 俺、7でいい思いを
した覚えが一個もないんだが。ラッキーセブンを信じるのをやめようかと思うくらい、
縁がなかったぞ」
「かもしれない。けど、それはそういう結果だから。あと、僕が言うサポートって、よ
くなるとか凄くよくなるに限らないんだ。あくまでも、悪くならないように持って行く
のがメイン」
「……よく分からないな。じゃあ、そうだな、幼稚園のとき、俺だけ先生の手作りケー
キを食べられなかったことあったが、あれって何だったんだよ」
「あー、あれね。もしあのときあのケーキを君が食べていたら、そばアレルギーの激し
い反応が出て、命に関わっていたから」
「はい?」
「あのケーキには、ほんのちょっぴりだけど、そば粉が混じっていたんだ。もちろん幼
稚園の先生がわざと入れたんじゃあないよ。自宅でケーキを焼く前日、手打ちそばを作
ったんだ。そのときの粉がごく微量だけど、ボールやめん棒などに残っていて、意図せ
ずしてケーキに混入した。ちょっぴりと言ったって、当時、そばアレルギーを完全には
克服していなかった君にとって、危険な量だったんだよ」
「まさかそんな。だったら、小学五、六年のとき、好きな女子と同じグループになれな
かったのは何でだ? 絶対に一緒になれた方が楽しい」
「あれは君の将来を見越してのこと。もしもあのとき同じ班になっていたら、君と彼女
はどんどん仲よくなっていた」
「ほら見ろ。どうして邪魔を――」
「待った。最後まで聞いてよ。小学生のときは分からなかっただろうけど、彼女はとん
だわがままなんだよ。君を彼女の好み通りに仕立てようと強制してくるんだ」
「そ、それくらい受け入れる。仮に俺の趣味と多少ずれていても、我慢するさ」
「よくないよ、そういうのって。それに中学以降の彼女について、噂は耳に入ってない
のかい?」
「それは……まあ、ちょっとは。悪い噂だから信じたくなかったっていうか」
 中学は同じだったが、高校は別々になった。だから本当に噂話でしか知らないのだ
が、高校二年の時にその女子は付き合っていた男子とトラブルになり、通学途中の駅
で、彼氏をホームからレール側へ突き飛ばそうとしたらしい。そのあとどうなったのか
は知りたくもなかったので、聞いてない。
 僕は気持ちを切り替える意味も込めて、話題を換えた。
「中学の修学旅行で、部屋が777だったのに何もなかった。あれは?」
「ああ、僕的にはあれが一番苦労した。あのときはいいことが起きる寸前だったんだ。
それを食い止めるためにそれなりに力を使ったからね」
「いいことを食い止めた? 何で」
「いいことと言ったって大した話じゃない。777のプレートを見た先生が、その部屋
の君達男子を誘ってくるんだ。パチンコに連れて行ってやろうか、と」
「はい?」
「旅先で高揚していたせいか、誘いに乗った君達、というか君はパチンコで大勝ちす
る。それだけだ。直後に見付かって、こってり絞られて、休学させられるよ」
「それじゃああのとき、先生が一人だけで行って、一人だけ処分を食らったのは」
「そう、僕の尽力のおかげ」
「それが事実なら助かったけど……あんまりありがたみを感じないな。実際には体験し
てない訳だから」
「実際に起きてしまったら、僕程度のクラスの力ではどうにもならないからね。ついで
に高校三年間の件にも答えようか。出席番号7になったばっかりに、授業で当てられる
ことが激増したっていう」
「あ、ああ」
「あれは逆に僕は何もしないでよかった。だって、君にとって確実にプラスに働いたん
だから」
「……もしかして、勉強に熱心に取り組んだこと?」
「そうそう。そのおかげで成績が上がり、やりたいことを学ぶために、こうして高いラ
ンクの大学を狙えるところまで来た。でしょ?」
「……確かに」
 そこは認めざるを得ない。高校生活を通じて、勉強量が半分以下だったとしたら、進
学を選んでいたかどうかすら怪しい。
「分かってくれた? ならよかった。僕も嬉しい」
「ありがたい神様が今日このタイミングで姿を現したのは、どうして」
 感謝の気持ちが少々沸いてきて、言葉遣いが若干丁寧になっていた。と同時に、疑問
をぶつける。
「いい質問だね。けど、最初に答を言ったようなもんなんだけどな」
「未成年とかどうとかってやつ?」
 僕に限らず、大多数の受験生は十八歳になっている。
「そう。なんやかんやと手助けできるのは、未成年のときだけなんだ。だから今日のテ
ストの受験番号が7777と7揃いであることをどう受け止めるかは、君の自由。ラッ
キーセブンなんてないんだと無視してもいいし、僕の話を聞いて過去の7にはそれなり
の意味があったんだなと解釈するもよし」
「それって……正解とか間違いとかあるのかな」
 迷う気持ちを素直に出す。答が返ってくると期待はしてないが、念のために聞いてみ
た。
「もう僕は何もしないから」
 小さな神様は淡々と返事する。が、続けてこうも言った。
「ただ最後に一つアドバイスを送るとしたら、前向きでいること、だね。僕が何の神様
か分かる?」
「さあ……」
「7に関わること全般扱っていることから、想像付くんじゃないかな。その中ではまだ
まだ下っ端なんだけど」
「7に関わる、ねえ」
 7といえばやっぱり、ラッキーセブン。てことは。
「福の神?」
「正解。その調子で試験に臨むといいよ。笑う門には福来たると言うしね」
 そう言って満面の笑みを作った福の神さまは、徐々にフェードアウトしていった。

 終わり




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